[1737] 言葉では伝わらない想い

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1737    2005/04/22.Fri.14:00発行
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   1998/04/13創刊   前号の発行部数 18426部
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<カメコ3原則>

■映画と夜と音楽と…[253]
 言葉では伝わらない想い
 十河 進
 
■Otaku ワールドへようこそ![3]
 カメコる技術(前編)
 GrowHair


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■映画と夜と音楽と…[253]
言葉では伝わらない想い

十河 進
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●あり得るはずのないシーンの喚起力

荒涼とした風景だ。空はどんよりと昏く、遠くに入り江を囲む断崖が見えている。波は砂浜にリズムを刻むように寄せては引いていく。その波打ち際にポツンと置き去りにされたピアノがある。四本の足を今にも波が洗いそうになっている。

その映像を撮りたいがゆえにこの映画を創ったのだな、と初めて見た時に僕は思った。それほど喚起的なイメージだった。この映画が描きたかった何かがすべて語られているような映像だった。

置き去りにされたピアノはヒロインの孤独な心を感じさせたし、嫉妬に苦しめられる夫の悲しみも伝わってきた。原住民のような生活を送る男がヒロインに惹かれる激しさを予感させ、見る者に不安感を掻き立てた。静かな光景の中に、嵐の予兆を印象づける。

「ピアノ・レッスン」というタイトルで公開された映画の原題は「THE PIANO」というシンプルなものだ。だが、それは単なるピアノではない。イギリスから長い旅をしてニュージーランドにたどり着き砂浜に置き去りにされたピアノである。

ピアノはヒロインを象徴する。子供の頃、自らの意志でか精神的障害からか、話すのをやめてしまったエイダはピアノを自らの表現手段として選んだ。彼女にとってピアノは自分の精神を顕わにするものであり、他者とのコミュニケーションを成立させる唯一の手段なのだ。

だが、再婚のために娘を連れピアノを大切に運んでニュージーランドにやってきたのに、夫は「こんな重いものは運べない」とピアノを浜辺に置き去りにする。妻は夫の胸を叩いて無言で抗議するが、夫は聞き入れない。彼はこの初対面の女にとってピアノがどういう意味を持つのかを理解しない。

顔に刺青を入れ原住民のような生活をしている白人の男ベインズは、エイダに頼まれて再び浜辺まで彼女を案内する。エイダは慈しむようにピアノを愛撫し、荒涼たるニュージーランドの風景の中でピアノを弾く。その時、ベインズは感じたのだ。エイダにとってピアノが何なのかを…

エイダが弾くピアノ曲を聴いたベインズは強く惹かれる。エイダの夫スチュアートが土地を譲ってくれと言ってきた時、彼は交換に浜辺に置き去りにされたピアノを要求し、原住民たちを雇って自分の小屋に運び込ませる。この時、スチュアートは自分が妻を売り渡したことに気付いていない。

ベインズにはわかっていたのだ。ピアノがエイダそのものなのだと、ピアノを手に入れればエイダを手に入れたのと同じことなのだと…

●女性監督たちが創る官能に充ちた映画

「ピアノ・レッスン」ほど官能的な毒に充ちた映画を僕は知らない。日活ロマンポルノで名作を作り続けた神代辰巳でさえ、ここまでの女の官能は描けなかった。監督のジェーン・カンピオンが女性だからだろうか、とも思う。

他に思いつくとしたら、やはり女性監督リリアーナ・カヴァーニの作品である。「愛の嵐」のシャーロット・ランプリングや「善悪の彼岸」のドミニク・サンダは、男の考え方では絶対にわからない官能的存在だった。

こういう映画を見ると「女はわからない」とつぶやく男が増える。僕も時にはそんな風なことを韜晦気味に口にはするが、実は映画の中を生きる女性でまったく理解できなかったことはない。毎日顔を合わす現実世界のカミサンと娘の方がよほど理解できない。

ピアノがエイダにとって何なのかがわかれば、「ピアノ・レッスン」のヒロインの気持ちは伝わってくる。それがなければ自分自身が存在しないほどの何か…、エイダのピアノはそういうものだ。彼女にとってそれを理解してくれた相手がベインズだった。

ベインズはピアノのレッスン一回につき鍵盤ひとつを返すという約束をしてエイダを小屋に通わせる。やがて「胸を見せたら黒鍵三つ」とか「スカートを脱いだら白鍵五つ」というように、ベインズの要求はエスカレートしていく。コルセット姿でピアノを弾くエイダをベインズは眺める。

ふたりの交渉を不審に感じたスチュアートがベインズの小屋の床下に潜り込み、ふたりのレッスン風景を覗き見るシーンは目を背けたくなるほど辛い。スチュアートの悲しみと昂ぶりが伝わってくる。彼は自分に身を任せない妻とベインズの官能的なやりとりを見て性的興奮にとらわれてしまう。

自尊心からかスチュアートは妻には何も言えず、ただ彼女を激しく求めるだけだ。しかし、相変わらず彼に身を任せないエイダは手と口だけで彼の欲望を受け止める。

ある日、ベインズから「ピアノを返す」と言われたエイダは自ら彼に身を任す。ベインズはピアノを人質にしてエイダの躯を得ようとした自分を恥じたのだろう。ベインズはエイダを理解し、彼女を愛したのだ。ふたりの間には、ピアノという介在が必要なくなったのである。

だが、そのことがスチュアートを狂わせる。彼が嫉妬したのは、妻とベインズの肉体の関係ではなかった。彼らが互いを精神的に受容し、それがゆえに官能的高み(究極のエクスタシーと言ってもいいですけど)に到ったことを知ったからだ。

雨の中、ベインズの小屋へ走ろうとするエイダを抱きしめスチュアートは狂う。錯乱する。愛されない己を呪う。ついに彼はエイダのひとさし指を斧で切り落とす。ピアノを弾く指を…、ベインズの肉体を愛撫する指を…

●言葉を重ねれば重ねるほど伝わらないもどかしさ

「ピアノ・レッスン」を見終わっても、全編に流れるピアノ曲がいつまでも頭の中で響き続けている。激しく、強く深い想いを抱いたヒロインのパッションを伝え続けるように、ピアノの旋律がいつまでも鳴りやまない。音楽を担当したマイケル・ナイマンは、こんなことを言っている。

──エイダは言葉を話しませんから、ピアノは通常の音楽表現という以上に、彼女の「声」としての役割を担っているのです。ピアノの調べは彼女の性格や折々の気持ち、表情、声にならない発話、ボディ・ランゲージなどを表現しなければなりません。

──それはレッスンに臨む彼女がベインズに寄せる想いも伝えなければならないのです。さらに、肉体関係や情愛の昂揚といった両者の関係の進展にともなって、レッスンからレッスンへと、その音色は自ずと変わってくるはずです。

エイダはなぜ言葉を棄てたのか。彼女のあふれるほどの想いは、言葉では伝わらないからだ。

強い意志的な表情をし続けるエイダを見ていると、僕は彼女が自らの決意で言葉を封じているのだとしか思えなかった。長い長い間、自分の意志で言葉を発しないで生きてきたエイダは、いつの間にか本当に話せなくなった…、僕はそう感じた。

それは彼女が自閉的だったからではない。エイダからはあふれるほどの想いが伝わってくる。世界への、他者への、そして愛する者たちへの過剰な想いが彼女の中で渦巻いているのだ。それは言葉で伝えられるほど簡単なものではない。だが、それを解き放ってやらないと自分が狂いそうになるほど苦しい。

エイダがピアノを弾く姿を見ていると、そんな想像が浮かんでくる。だが、それは音楽家が音楽にすべてを託すのと同じだし、画家が画布に自分の情熱を叩きつけるようにして描くのと何ら変わりはない。伝えたいもの、表現したいものを持った人間はそうやって自分の想いを解き放つ。エイダはピアノを弾き続けることで自らの情熱を抑え、狂うのに耐えてきた。

そんな彼女を真に解放したのがベインズだった。そういう意味でラストシーンは象徴的だ。エイダはピアノを海中に沈めるように指示し、その沈んでいくピアノからのびたロープに自らの足をからませ、共に海中に没する。

再び浮上したエイダからは何かが消えている。あの強い意志的な表情もない。彼女のピアノは深い海底に沈み、同時に彼女を強く縛っていた何かも沈んだのだ。最後に見せるエイダの穏やかな表情に僕はどこか救われる想いを抱きながら映画館を出たことを覚えている。

人は日常生活では実用的な言葉が話せれば事足りる。簡単なことなら無言でも大丈夫だ。たとえばコンビニにいき欲しい商品を棚からとり、レジに出して金を払うという行為は言葉がなくても可能である。誰かに仕事を頼まれれば「はい」と返事するだけでいい。相手と向かい合っていれば、無言でうなずくだけで意思は通じる。

そうした時に言葉を使うのは伝達機能というより、人間関係の潤滑油としての機能の方が大きいかもしれない。大事なことや自分が想っていることを伝えるには、僕らの言葉はあまりに無力だ。そう嘆いたことの一度や二度は誰にでもあるのではないだろうか。

想いを伝えようとして言葉を重ねれば重ねるほど相手は混乱する。誤解し、曲解する。ストレートに伝わらないもどかしさに身悶えする。いっそ、この胸を開いて身の内の想いを直接見てほしい、そう願ったことはなかったか。自分の嘘っぽくなる言葉に絶望したことはないか。

エイダのように言葉を拒みピアノに何かを託したくなる自分がいることを自覚しながら、他者とのコミュニケーションを拒否してはいけないと僕は言い聞かせる。しかし、こう書きながら、僕は今、自分の文章さえもどかしい。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
ゴールデンウィークが近づいてきた。特に予定はないが、やはり一年の中ではひとつの区切りの感覚が強い。あれをやってこれをやって…と考えるけれど、いつもできた試しはない。今年は長い本を読み終えたいのだが…。

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■Otaku ワールドへようこそ![3]
カメコる技術(前編)

GrowHair
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花が咲けば虫が集まり、猫がいればノミがたかる。レイヤーにはカメコが...。

レイヤーとはコスプレイヤーのこと、カメコとはレイヤーさんたちを撮りに来たカメラ小僧のことである。コスプレイベントで繰り広げられる、ありふれた光景。今回はカメコをテーマにしたい。

この話題については、語りたくて語りたくて仕方がなかったのである。何しろ私自身がカメコだから。生粋のオタクからすると邪道な入り方と怒られるかもしれないが、コスプレイベントでカメコることが、私にとってはオタクワールドへの入り口だった。

●じわじわと人気高まるコスプレイベント

日曜日には、都内や近辺だけでもほぼ毎週のように、コスプレイベントが開催される。会場は有明のTFT(東京ファッションタウン)や蒲田のPiO(大田区産業プラザ)のようなイベントホール、あるいは、豊島園やよみうりランドのような遊園地がよく使われる。思い思いの漫画やアニメのキャラクター等に扮したレイヤーさんたちが集い、カメコたちはお願いして撮らせてもらう。

レイヤーさんたちはコスプレを楽しむために入場料を払って来ているのであり、必ずしも撮られることが目的でない。カメコには勝手に撮る権利はないのだ。しかしながら、ひと声かければ、たいてい快く撮らせてもらえる。レイヤーさんたちも、後できれいに撮れた写真をもらったりするのは嬉しいことに違いなく、概して共存共栄の関係にある。

コスプレイベントは、じわじわとだが、年々規模が拡大している。5年ほど前は月に1~2回の開催で、場所も東京ビッグサイトの西ホールひとつを半分に区切って同人誌即売会と分かち合うのが典型的だった。来場者は数百人程度。地味だった。それが今では、同じ日に都内および近辺2~3か所で開催されることもざらで、そういうときでも来場者はそれぞれ 2,000人を優に超える。混雑するのだ。

このまま行くと、今にコスプレユビキタス時代が到来するのではあるまいか。道を歩いていると普通にセーラームーンや犬夜叉とすれ違い、オフィスでは金曜日をコスプレフライデーと定め、十二単のお姫様が会議を仕切ったり、猫耳の妹キャラがパソコンをたたいたりする。ぐはっ! 想像しただけで萌え~!

●カッコいいもんではないカメコ

撮ってどうする、という疑問はある。人はなぜカメコるか。--- そこにレイヤーがいるから。カメコの醍醐味は理屈で説明しきれないものがある。

コスプレ撮影をどう楽しむかは、こうあるべきだ、と指針を示すようなものではなく、人それぞれ、多様な楽しみ方があってよい。ポートレート撮影の腕を上げる実践の場と捉えるもよし、ひたすら撮り集めてコスプレ辞典を編纂するもよし、撮った写真を家宝として子孫に代々受け継がせるもよし。

しかしまた、大きいお兄ちゃんの考えていることは大体読めるぞ、という見え見えな部分もあり。時として、ひとりのレイヤーさんの前にカメコが列をなして順番を待っているという、傍目にはいかにも間抜けな光景が出現する。

行列ができるレイヤーの条件は、若い、かわいい、露出度高い、の三拍子そろっていることである。特に露出度はキーファクターであり、覆っている面積xとカメコの列の長さyはほぼ反比例することが経験的に知られている。xが0に近づくとyは無限大に発散していくはずである。

実際にはそれほど極端なことはないが、まず長いカメコの列が目に入り、この先頭にはどんな素敵なレイヤーさんがいるのだろうと目をやると「あ、あー、なるほど、そういうわけね」ということはしばしばある。

体操着であったり、スクール水着であったり、レースクィーンであったり。いや、もちろんレースクィーンが好きでコスプレしていること自体はいいのであって、また、それが好きで撮る分にはいいのだけれど、単に露出度に吸い寄せられただけだろってのが見え見えなカメコの群にちょっと頭痛、眩暈が...。「なっさけねえなぁ」と心の中でつぶやく自分。

本格派のレイヤーさんたちは、作品やキャラへの熱い思いを原動力に、材料費と手間暇を惜しまず、夜な夜な衣装作りに励む。2次元キャラを3次元に起こすのは、単純な模倣などでは決してなく、美的センスと服飾制作の技量が大いに発揮される。そして、イベントは、がんばった成果のお披露目の舞台である。それはそれはきらびやかな衣装を、元キャラの雰囲気たっぷりに着こなして登場する。そういうレイヤーさんが一番の人気を博してしかるべきではないか。

そのあたりにレイヤーとカメコの意識のずれを感じる。これじゃあ尊敬されないわな。オイ、カメコよ、見るとこが違うんじゃないのかい?

... などとごにょごにょ考えつつ、ふと我に返ると、なぜか自分も列に並んでいたりする。アレ? 「まあ、いちおう撮っておくか」。

●あっぱれなカメコ

しかしまた、侮れないのがオタクワールド。カメコの中にも、レイヤーの情熱に呼応するかのように、美しく撮ることに尋常ならぬ情熱を注ぎ込む、こだわり派がいる。

肌は清潔感のある明るい色調に、かつ、滑らかな陰影で立体感を強調したい。鼻や髪の毛の影がくっきりと頬に落ちているのは駄目、テカっているのも駄目。後ろの壁に影がつくのはもってのほか。できれば瞳の中にキラキラを入れたい。コスチュームは色鮮やかに。全体的にハイキー(high key:明るい調子)だが、締めるところは締めて、コントラストの高さで緊張感を演出したい。構図はバランスよく決め、背景はごちゃごちゃさせず、すっきりとまとめたい。以上を基本とした上で、味のあるポーズや表情を捉え、レイヤーさんの魅力を最大限に引き出したい。

さらに、ファッション写真ではなく、コスプレ写真であることの特色として、元キャラの雰囲気をしっかりと再現すること。必ずしも写実的であることをよしとしない。お化けキャラは半透明がよい。飛べるキャラは飛んでいるとよい。

さて。これをひとりで何とかしようとすると、とっても大変。適当に撮っておいて、後でPhotoshoopのような画像加工ソフトを使えばどうにでもできそうな感じがするが、実際にやってみると、どうにもならない場合が多い。汚い写真がきれいに蘇る、ということは、まずない。やはり撮るときにちゃんと撮っておかないと駄目なのだ。影を消し、滑らかな陰影をつけるには、面積の広い光源が、少なくとも2灯は要る。しかも、真正面から当ててはテカる。さてどうするか。

カメラに丈夫な柄を取り付け、その先にストロボを取り付ける。カメラのシャッターとシンクロして光るようにする。光源の面積を広げる効果を得るために、ディフューザやレフ板も取り付ける。これを2本以上延ばす。

そうすると、撮ってる姿はカミナリさんみたいになる。この装備を通称「デンドロビウム」という。アニメ「機動戦士ガンダム」に由来する。ガンダム本体は蘭の花のおしべであり、シールドがめしべ。合体してデンドロビウムになると、もともとの本体よりも遥かに大きな姿になる。突拍子もなく大げさなアクセサリをつけたカメラはこれにたとえられるのである。

こういう姿のカメコを見かけると、カッコいいと私は思う。なりふり構わず、脇目も振らず、荒行に没我する求道者のようではないか。

ただし、レイヤーさんたちからどう見えているかは保証の限りではない。最近の混雑した環境では、邪魔だしなぁ。

●かくありたし ...カメコ3原則

カメコの楽しみ方は多様であってよいが、臨む態度としては、かくあらまほしきところ、という理想像を思い描くことができる。ここに「カメコ3原則」として提唱したい。

カメコ3原則
1)レイヤーに対して謙虚で礼儀正しくあれ
2)美しく撮る心意気と技を持て
3)コスチュームの出典作品を深く理解せよ

しょせんは猫あってのノミ。身の丈をわきまえ、撮らせてもらっているのだという立場を忘れてはならない。

レイヤーさんたちがどれだけの手間隙をかけてコスチュームを作ってきたかを思えば、それをきれいに捉えるのはカメコの使命である。手を抜いてはいけない。美的センスの研鑽と撮影技術の習得に努め、常に創意工夫の労を惜しむな。

コスチュームの題材となった作品を深く理解してこそ、どういうふうに撮るのがふさわしいかというコンセプトを描くことができる。

もちろんこれは自戒を込めて言っているので、言っている本人も、耳が痛い。だけど、これが正しいカメコの道。この道を究めれば、カメコにもカメコなりの幸せが訪れる。

「カメコの幸せって何よ?」と聞かれても、私なんざ、まだまだ道半ば、ちゃんとお答えできないのが心苦しいところではあるのだが。

私に降りてきた、ささやかな幸せと言えば...。一眼レフにポジフィルムを入れて撮っているので、現像の仕上がりを見るまでは落ち着かない。月曜なんて、てんで仕事が手につかない。現像が仕上がってきたポジをライトテーブルにのせた瞬間、美しい絵が目に飛び込む。「よっしゃあ!」と、思わずひとりでガッツポーズ。と同時に緊張感がほぐれていき、ふーっと息が抜ける。つまるところ、この瞬間に勝る幸せはないのかもしれない。

・付記
コスプレイベントのスケジュールを調べるのは、コスプレイベント情報誌
"C-NET" のホームページが便利。
< http://cnet.cosplay.ne.jp/
>
過去のイベントの模様も写真で見られて、楽しい。近々開催される中では、5月の「ポティロンの森」がすご~く楽しみ。この開催地は初めてなので。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
カメコ歴5年。まだまだ駆け出しか? しっかし、カメコがカメコについて薀蓄を語り出したら、もう、止まらん、止まらん。実は、これを書き始めた時点で書こうと思っていたことがあったのだが、そこまでたどり着かず、まだ触れてもいない。とりあえず「前編」と銘打ったが、後編、続編、続々編、完結編、復活編、もういっちょ編、と際限なく続く可能性も...。
・GrowHair Photo Gallery
http://i.am/GrowHair/



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■編集後記(4/22)
・昔の昔のデジイメ仲間Nさんから、最近のユニークな活動の知らせがきた。そして、彼女はMixiにぞっこんはまって一年とか。「ところで最近、ぞっこんなのは(笑)?」と聞かれて、間髪を入れずに「孫娘ですね」と言いそうになったが(本音)、クリエイティブな人を相手にそれじゃまずいだろう。「デスノートです」と速攻で答えたのであった。わたしはマンガは好きだが雑誌はまったく読まずに、単行本になってから集めて読む。「週刊少年ジャンプ」連載の「デスノート」(大場つぐみ・原作、小畑健・漫画)については、どこかで評論を読んでぜひチェックしなくてはと思っていたが、書店ではパックされてるから内容を確認できない。先日、ようやく古本創庫で発見、一見してこれはスゴイと驚愕、そこにあった1~4巻を買って一気に読む。さらに続きを読みたくて、翌朝書店に走り5、6巻を買った。仕事にならんなあ。本の帯にある「少年漫画誌唯一の予測不可能本格サスペンス」もおおげさではない。こんなにドキドキさせられるマンガも久しぶりだ。何度も読みたくなる緻密なストーリーに加えて、絵がじつにうまい。最近あまり本が出ない「20世紀少年」よりストーリーも絵も優れていると思う。で、評論しようとしたが、念のためネットを探るとデスノート系の濃いサイトやブログはいっぱいあり、それらを見るといまさら出る幕ではないと断念。中には、誌面をスキャンして掲載したようなトンデモ物件もある。だが、よく見るとマンガのコマをあちこちから持ってきて配置し(加工してるのもある)、セリフは創作、パロディのコラージュなのだった。この作品を読んだ者にとって、おもしろいのなんの。やはり絵がうまいからさまになっているのだ。しかし、、、仕事にならない。(柴田)
http://members.at.infoseek.co.jp/kuro725/deathnote-log.htm


・「いい歯磨きなんて簡単だ。」気になって読んでみたら、歯磨きは一日10分、1回でいいとのこと。口内炎になりやすい人は、食事の栄養バランスが悪いのだと思っていたからびっくりした。実際ビタミン剤をすすめたら出来にくくなったと言っていたし。/湯船につかりながらのんびり歯磨きするのが好き。歯と歯肉への刺激が強すぎて、電動歯ブラシより手用歯ブラシのほうがいいそうなんだが、手用歯ブラシだといまいち頼りないように思ってしまうわ。あまり強く当てないから大丈夫だとは思うんだけど。(hammer.mule)
http://mitaimon.cocolog-nifty.com/blog/2005/04/post_929d.html
 歯磨き
http://homepage3.nifty.com/kdental/hamigakinogai.htm
 ブラッシングの害

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