[1843] ニューギニアに降る雪

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1843    2005/10/14.Fri.14:00発行
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   1998/04/13創刊   前号の発行部数 18338部
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<女装する男性はしない男性よりも長生き?>

■映画と夜と音楽と…(266)
 ニューギニアに降る雪
 十河 進

■Otaku ワールドへようこそ![13]
 ロリ服が好き
 GrowHair


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■映画と夜と音楽と… (266) 
ニューギニアに降る雪

十河 進
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●役者一族に育った名優がいた

成瀬巳喜男監督の生誕百年特集としてNHKが二十数本の作品を放映し、僕はそのほとんどを見た。僕が最も凄い日本映画だと思っている「浮雲」を作った監督なのに、今まで数本しか見ていなかったからだ。

その成瀬監督の戦後の作品には、ほとんど加東大介が出演していた。僕は子供の頃からあの小太りで禿げ上がった俳優が好きだった。口跡がよく、どんなセリフもよく聞き取れる。

黒澤明の「七人の侍」では勘兵衛こと志村喬の一番の右腕で最後まで生き残るひとりを演じたが、例によって怒鳴りまくる黒澤映画の中でもきちんとセリフが聞き取れた。三船敏郎など何を言っているのかまったくわからない。

子供の頃から歌舞伎の舞台で鍛えたのだから、スタッフとして入社試験を受けにきて、たまたま東宝ニューフェースになってしまった三船とは俳優としての基礎が違うのだろう。

加東大介の家族は芝居の世界で生きてきた人ばかりである。姉は名女優の沢村貞子(成瀬作品「晩菊」でも舌を巻くほどうまかった)、兄は沢村国太郎、甥は長門裕之と津川雅彦である。

先日、呑み友だちのIさんと会ったときも「もともと好きだったけど、成瀬作品を見ていると、つくづく加東大介はうまいと思いますね」と言う。「ああいう脇の人がいなくなりました。『女が階段を上がる時』は、主役じゃないけど加東大介がいないと成立しない映画です」とIさんは手放しだった。

その夜は、ほとんど成瀬映画と加東大介の話題で盛り上がり、例によって翌朝はフラフラになっていたし、記憶が定かでなかった。もっとも、定かでない記憶は店を出てから自宅のベッドで気付くまでの間のことだから、Iさんとの会話はしっかり覚えている。

翌朝、僕は二日酔いのぼうっとした頭で「南の島に雪が降る」という加東大介唯一の著書のタイトルを思い出した。最近、どこかの出版社が文庫で出したはずだという記憶を頼りにネットで検索してみると、光文社知恵の森文庫で昨年に発行されていた。まだ、書店に並んでいるかもしれない。

昼休みに会社の近くの本屋へいくと、一冊だけ棚にあった。「南の島に雪が降る 加東大介」という背文字が太くしっかりと印刷されている。表紙のイラストは、アウトフォーカスになった旧陸軍兵士の後ろ姿だった。南方に配属された兵隊はうなじまで隠れる日よけのついた軍帽をかぶっている。

「南の島に雪が降る」というテレビドラマを子供の頃に見た記憶はある。具体的なシーンは思い出さないが、何となく内容は覚えている。映画化され公開されたのは1961年9月29日だから、NHKがテレビドラマにしたのはその前のことだろう。僕は小学校の4年生だった。

映画は「おはなはん」で有名な小野田勇が脚色して、「警察日記」で有名な久松静児が監督した。加東大介が主演で、伴淳三郎、渥美清、桂小金治、森繁久彌、三木のり平、フランキー堺など豪華な顔ぶれが出ている。見てみたい。

●人間を消耗品としてしか見ない頽廃した指導層

加東大介は明治44年の生まれ。兵役はすませていたが、昭和18年に30歳を過ぎて召集令状がくる。前進座の役者だった加東大介は大阪公演の途中に東京へ帰り、両親や姉、それに妻に見送られて軍隊に入る。

入隊し大阪に移送され、司令部の用事で外出したときに稲垣浩監督・坂東妻三郎主演「無法松の一生」を見ようとして憲兵にとがめられるエピソードがある。映画を見ようとしたのは、無法松が仕える吉岡ぼっちゃんの役で甥の沢村アキヲ(後の長門裕之)が出ているからだ。せめてスクリーンででも甥と別れたかったのだろう。

その後、彼は台湾を経由してニューギニアのマノクワリという場所に送られる。衛生兵の伍長である。マノクワリというところが戦略上でどういう位置にあったのかはわからない。地図を確認すると、オーストラリアとルソン島の間にあり重要な拠点だったろうと思える。

今では想像もできないが、太平洋戦争を闘っていた日本はとんでもなく戦線を拡大した。中国大陸で闘い、インドシナ半島で闘い、太平洋の島々で闘っていたのだ。グアム、サイパンはもちろんフィリピンでも闘い、ニューギニアでも闘った。まさに環太平洋戦争である。

よくそんなところまで軍隊を送ったものだと、今更ながら地図を見て溜め息をつく。何万人もの兵隊を船で送るだけでどれくらいの日数がかかるのか、それらの兵隊を養うための食料や武器弾薬をどのように調達するのか、素人考えでも無理があると思う。

神国日本が負けるはずがないという狂信、大東亜共栄圏のためにという大義名分、忠君愛国教育、天皇の神格化など、戦前の大日本帝国は歴史的に見て愚かで異常な国だったと思う。最近の北朝鮮の報道を見るたび、金日成が敷いた体制はすべて大日本帝国を手本にしているように見える。

加東大介は移送の途中で船がマニラに寄ったとき、別の部隊の兵隊が自分たちと同じ装備で同じ場所へ違うルートで向かっていることを知り、上官に問う。

──コースを変えて、どっちかをマノクワリに着かせる寸法なんだな。片いっぽうがボカ沈を食うのは計算に入ってるんだよ。ダブル・キャストってわけさ。

「そんなバカなッ」と加東大介は憤慨する。彼の記述はクールだが、兵隊を消耗品としてしか見ない軍の上層部の卑劣さが静かに伝わってくる。消耗品のひとりが生き延び、戦後に映画俳優となって名を成し、一冊の戦記を書くことなど、彼らには想像もできなかったに違いない。

作戦を立てる上層部の人間たちは「一万人の部隊」と言うとき、それぞれ別の顔をした一万人の人間を想像することは絶対にない。それは現代の政治家たちも同じだ。イラクに派遣する自衛隊員のひとりひとりを想像したら、とてもそんな命令など出せないだろう。

●ジャングルに囲まれた劇場に降った雪

加東大介が派遣されたニューギニアは悲惨な状況だった。敵機の空襲がある。三方をジャングルに囲まれ、湿気に悩まされる。マラリアなどの病気がはびこる。加えて食糧難が全部隊を襲う。間もなくサツマイモの栽培を始めるが、イモの葉まで食料にしないとやっていけない。日々、戦友が死んでゆく…

そんな中、加東大介は理解のある上官に頼まれて演芸部隊を編成する。三味線をやっていた者、コロンビアレコードの売れない歌手だった者、浪曲師など様々な職業の兵隊たちが集まる。舞台美術を担当する者、衣装やカツラを作る者もいる。やがて劇場が完成し、各部隊が毎日見にくるようになる。

ある日、長谷川伸の「関の弥太っぺ」を上演するときに「雪を降らそう」と誰かが言い出す。マノクワリにも飛行場があったが、もう一機もやってこないのがわかっていた。その倉庫にパラシュートがいっぱいあった。

演芸部隊は舞台に白いパラシュートを敷いて雪景色を作り出す。降る雪は紙を細かく切ったものだ。仕掛けは大受けだった。「雪だアッ」という叫び声が兵隊たちの中から起こり、余韻がいつまでも消えない。

何日めかのことだった。場面が変わって幕が開き、大詰めの雪景色の舞台になった途端、騒々しかった客席がシーンと静まりかえった。不思議に思った加東大介は舞台の袖から客席を覗く。全員が声もなく泣いていた。三百人近い兵隊が両手で顔を覆い、肩を震わせて泣いていた…

彼らは国武部隊といい、全員が東北出身者だった。芝居の後、加東大介は国武部隊の将校に礼を言われ、さらに「ウチの隊に、もう歩けなくなっている病人が、なん人かおります。そのものたちにも、この雪を見せてやりたいんです」と頼まれる。

翌朝、彼は戦友たちに担架で連れてこられたふたりの重病人が寝かされたまま手をのばして散らした紙の雪をソーッと触っているのを目撃し、いたたまれなくなる。彼は「紙じゃねえか。紙じゃねえか」とわけのわからない言葉を叫びながら宿舎へ駆け戻る。

彼の中には、栄養失調とマラリアで死んでいく兵隊たちを、そんな状況に追い込んだ目に見えないものに対しての怒りが煮えたぎっていた。彼らは故郷を遙かに離れ、ニューギニアのジャングルの中で死んでいく。紙で作った雪を愛おしそうに触りながら…。誰が悪いんだ、誰のせいなんだ、と加東大介は叫びたかったに違いない。

「南の島に雪が降る」が出版されたのは昭和36年、戦後16年めのことだ。まだまだ戦争の記憶は生々しく、傷跡も癒えてはいなかった。ニューギニアで息子を戦病死させた老母が加東大介を訪ねてきて「劇中で担架にのった病兵が舞台を見ているところがありましたが、そこに息子の姿を見ることができました」と手をついて礼を言ったという。

それから44年後の現在、先日の朝日新聞に載っていたが、大勝した自民党がとうとう憲法改正案を見せ始めた。愛国心、国防、天皇制などについて前文に記述されるという。そんなきな臭い時代だからこそ、「南の島に雪が降る」をもっと多くの人に読んでもらいたい、と今の僕は思う。

加東大介は多くの名画名演と共に、一冊の名著も遺してくれたのである。その本は戦争が人類最大の愚行であることを、静かに、そして感動的に訴える力を未だに失っていない。いや、ますます強めている。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
柴田さんの編集後記で私の本が出ることが知られ、会社でも冷やかされ始めた。6年前、作っている雑誌の宣伝になるかと思って本名で書き始めたが、こんなことならペンネームにしておくのだったなあと思う今日この頃。会社が出しているビデオ誌に映画コラムを書いていたときは吉里侑だったし、昔、柴田さんがやっていたネットマガジンでは藤川五郎だった。

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■Otaku ワールドへようこそ![13]
ロリ服が好き

GrowHair
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ファッションの一ジャンルに「ロリータ」というのがある。ロココ時代の上流階級のお家に暮らす、12歳ぐらいの少女のお出かけスタイルといったイメージのいでたちである。刺繍やフリルやリボンによる装飾がこれでもかってくらい施され、乙女チックな可愛らしさが強調された服である。実際には現代の10代から20代向けであるが。

ロリータ服の代表的なブランドに "Baby, the Stars Shine Bright" というのがある。去年の夏ごろ上映された映画「下妻物語」でフィーチャーされて、一気に人気が高まった。深田恭子の演じる主人公桃子がこのブランドのお洋服をとっかえひっかえ着て登場するのである。

中でも特に可愛いのが「はわせドール」と名前のついたワンピースのピンクである。おフランスの野山の空想シーンや茨城県下妻の牛のシーンなどで着ていて、ポスターにも使われている。ピンクの綿の生地には薔薇の刺繍が施され、白の細かいレースが縦にも横にも走り、さらにピンクのリボンがあっちにもこっちにも、ばってんばってん、蝶結び蝶結び。今、それを着てこれを書いている。はぁ~ん♪(うっとり)

いや、以前から密かにそういう趣味があったというわけではなく、特にロリ服を着るのは今日が初めてである。しかしまあ、着てみたかったのは否めないところで。これはKotoiっちにお願いして譲り受けたものである。彼女とは、4月に新宿のロフトプラスワンで開催された「ローゼンメイデン決起集会」で知り合った。その後も何回か会っているが、ほとんどいつもロリータ姿であり、しかも同じ服を二度見ることはなく、クロゼットにはいったいどれだけあるんだか計り知れないぞってあたり、下妻の桃子に通ずるものがある。そう言えば、深田恭子の出演する「富豪刑事」にはエキストラで出て、撮影終了後に本人ともあいさつを交わしたそうである。

5月にバラ園にて、Kotoiっちと彼女の分身のスーパードルフィー「ローズ」ちゃんとをお揃いの姿で撮らせてもらったのだが、そのときのを最近譲り受け、今着ているというわけである。はぁ~ん♪

●遠い思い出

初めて女装したのは小学校1年のときである。した、というか、させられたのだが。あのころ私は、クラスの女の子のスカートをめくることを人生の目的としていた。朝、1時間目の授業が始まる前にはクラス中の女の子がどんなパンツをはいているかを把握しておくのが日課になっていた。今でもあの子たちを思い出すときは、パンツとともに記憶がよみがえってくる。医者の娘であるゆき子はシルキーな光沢のある白だったし、かおるの赤に黒の縁取りのあるやつとか、たか子の緑色の毛糸のなんかが珍しかったのを昨日のことのようにありありと覚えている。

教育熱心な鈴木道子先生は、そんな私の将来を案じ、この悪癖をなおす策を練って下さった。で、クラスの前で大恥をかかせればきっと懲りるに違いないと思い至られ、再三の警告の後、ついに私にスカートをはかせた。そのスカートはひろみのはいていたものである。真っ赤なプリーツの吊りスカートで、吊り紐が背中でクロスしていた。クラス中の視線が集まる中、教卓の陰で先生は私のズボンを脱がせ、ひろみのスカートをはかせた。ちなみに私の位置からひろみは丸見え、クリーム色の毛糸のパンツをはいていた。私はポーズをとってみせたりして、クラス中がやんやと沸いた。

鈴木先生、ひとつ誤算がありましたね。それ、罰にも何にもなってませんでしたよ。ウケる快感を学習してしまいました。もし今どこかで同じようなことがあったら虐待とか人権侵害とかで問題になりそうであるが、私としては今振り返ってもそういう解釈はぴんとこなくて、トラウマどころかむしろいい思い出である。仰げば尊しわが師の恩。

まあ、スカートめくりのほうは、ほどなく止んだ。しかし、小学校の高学年まで、女の子から髪留めなどを借りては自分につけたりしていた。もともとは笑われるためにしたことだったが、意外と目が慣れるようで、すぐに誰も反応しなくなった。それを逆手に取り、市民権を得たものとして、一日中つけていたりした。そうこうするうちに、そういう装飾品がけっこう好きになっていった。ただし、それをきっかけに女装に目覚めちゃったというほどではない。中学高校は一貫の男子校へ行き、女の子自体が遠きにありて思うものになった。

目覚めたのはつい今しがた、それも本格的にというほどではなく、半分はシャレである。これからどんどんエスカレートしていくことは多分ないと思う。まあ、着心地はすこぶるよろしいのだけど。はぁ~ん♪

●ロリ服と悪戦苦闘

普段は着るものにほとんど頓着しない。高校時代からさして変わらぬ格好である。こういうファッションにも最近は名前がつくようになり、「アキバ系」、「アキバカジュアル」、「A系」などと呼ばれる。

アインシュタイン方式とにな川方式の採用により、朝起きてから10分で出かけられる態勢が整う。アインシュタイン方式とは、何を着て行くかというような些事に囚われる時間を最小限に抑えるために、アインシュタインにより考案され実践された方式で、同じ服をたくさん揃えておくというものである。にな川方式とは、綿矢りさの小説「蹴りたい背中」からで、にな川が部屋に干しっぱなしの洗濯物を直接もいで着ることから。

ところがロリ服を着てみると、女性がお出かけの準備に途方もなく時間がかかるというのがよ~く理解できる。まず、上下揃いのパンティーとブラを付け、さらにドロワーズという下着をはく。これはKotoiっちに買ってきてもらったのだが、Babyの純正品で9,345円もした。裾のレースが大きくて、かなりリアルな薔薇の花の模様になっている。

それからワンピースを着るのだが、一番苦労したのは首の後ろでホックを留めるところ。小さな輪にホックをひっかけないといけないのだが、見えないので手探りだし、後ろ手なので、どっちにどう力をかければよいのか、感覚がつかめない。思っていた向きと反対に動かした瞬間、偶然ふっと留まった。

それで終わりではない。首の下あたりと胸の両脇とに一対ずつ長いリボンが垂れているのだが、これをどうしたらいいのか。Babyのホームページへ行って調べる。首のリボンは、前で交差させて、首の後ろで蝶結びに。難しい~。胸の脇のリボンは背中で蝶結びに。一段と難しい~。他にも蝶結びにするとこがいっぱい。袖のリボンがほどけると大変で、着たままでは結べない。幸い袖だけ着脱可能になっているので、全部脱がなくて済むのは助かるけど。まさに悪戦苦闘。仕上げは同色の大きなカチューシャリボン。

これは恥ずかしいのであんまり言いたくないのだが、実は背中のファスナー、上がりませんでしたー。私の体型はB92・W90・H93、でかすぎるらしい。中学高校時代は背が低いのを引け目に感じていたものだが、今となってはでかくなってしまった自分が恨めしい。なんと、Babyのお洋服は、ひとつしかサイズが用意されていないのでした。お洋服が着る人を選ぶというコンセプトのようで。私じゃ、だめですか? Babyの社長兼デザイナーであらせられる磯部様、どうか大きいサイズのも作っておくんなまし~。

●これはお薦めかもしれない

悪戦苦闘の甲斐あって、着心地は最高。ああ、もう、どうかなりそう、ってくらい。着ているものの色が淡いピンクだと、それだけでがらっと気分が変わる。人間の内部に本来備わっているのに、ともすると忘れられがちな、生きようとする原動力みたいなものを、可愛いお洋服が引き出してくれる感覚。

現代社会は高度に文明が発達し、暮らしが超便利になっている反面、どこか精神を疲弊させ、元気を萎えさせるものがある。内部が疲弊しきっているのに、表層的な意識がそれを認めず、がんばらねばと意思の力で何とかして自分を奮い立たせようとするとき、本来内発的に湧き出してくるはずのエネルギーまで表層意識の支配下に置いて管理しようとする無理な力が働き、エネルギー源はかえって抑え込まれてしまう。そんなときこそ、ピンクのひらひらを着てみよう。ロリ服セラピー。

日本人の平均寿命を見ると、女性85.0年、男性77.8年と、女性の方が7年も長い。また、一般的に女性の方がストレスに強いと言われる。これにはいろいろな要因があろうが、着るものの違いというのは効いていないのだろうか。女装する男性はしない男性よりも長生き、なんて統計はないかな? 来年はクールビズを一歩進めてキュートビズで行かないか、小泉さん。

試しにと「女装サロン」でググってみた。おおーっ、やってる、やってる。メジャーなところでは、百人にもおよぶ女装者たちを美しく撮った写真が載っている。うわっ。...しばし絶句...。みんな表情がいい。顔のいかつい造形はどうにもならんとして、微笑む表情が女性そのものなのである。こんな表情は普段の男性からは決して見ることができない。心が開放されて嬉しそう。

それともうひとつ、女装する男性というのは、男性から見るとおぞましいイメージがあるかもしれないが、女性からは意外とウケがいい。それは、女性の側に立ってものごとを見てみようとする姿勢に対する親しみ感なのかもしれない。世に女好きの男性は多いが、ややもすると、獲物かトロフィーのように、対象を獲得しようとの強い思いに駆られているばかりで、女性の内面を深く理解しようという姿勢が伴わないことがある。対象として相対するのではなく、壁の向こう側に回って同化しようとしてみるときに初めて見えてくる女心みたいなものがある。

例えば、女性が着飾るのは、男性の気を引きたい心理からくるものだと信じている男性が多いようだが、それは大きな勘違い。私がBabyのお洋服を着るのが男性の気を引く目的でないのと同じである。すべては自分の気分を高めるため。

ストレスを溜め込んで参りそうになっている世の男性諸君、だまされたと思って女装してみよう。美しく着飾って、ちょっとはにかみつつにっこりと微笑んでみれば、あ~ら不思議、元気百倍ですぞ。お互い長生きしようではないか。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
カメコ。いくら何でも半年以上放ったらかした無精ヒゲとロリ服とでは相容れないものがあった。でも、脱色して同系の淡いピンクに染めればヒゲもそれなりに可愛く見えそうな気がする。さすがにやる勇気ないけど。
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■編集後記(10/14)
・わたしにとって、今年最も注目の展覧会は「北斎展」である。中学校時代の宝物が、平凡社「世界名画全集」別巻の浮世絵(風景画)だった。「東海道五十三次」「富岳三十六景」「木曾街道六十九次」などをなめるように眺めていた。ヘンな少年だ。その本は、外箱がボロボロになってもずっと持っていたが、この前の引っ越しのときに処分してしまったらしい。記憶にないのだが(ハシモトか? わたしは)。広重VS北斎では、わたしは広重が好き(とくに木曾街道)だが、世界的評価は圧倒的に北斎だ。ヨーロッパの印象派は北斎の影響で生まれたとか、ドビュッシーの交響曲「海」は「神奈川沖浪裏」からのインスピレーションであるということはどこかで読んだ覚えがあるが、LIFE誌のアンケート「この1000年でもっとも重要な世界の100人」に、日本人として唯一人選ばれているとは知らなかった(それにしても、たった一人とは情けない)。10月25日から東京国立博物館で開かれる「北斎展」は、大英美術館、ボストン美術館、メトロポリタン美術館はじめ内外から500点が集まった。本邦初出品となる作品は約100点。この規模の「北斎展」は100年に一度のチャンスだという。日本人ならこれは行かずばなるまい。10月24日までの前売りで、2回券(2,300円)を買えば、会期中2回行けて700円お得だ。メールマガジン2誌を早朝に仕上げて、とにかく早い時刻に上野に向けて出発だ。(柴田)
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・前日は雨だったのに、決勝は晴れ。秋だというのに蝉が鳴いている。日差しが強いので同行者らは帽子購入。A木さんは、レース終了後に叩き売りするかもと言っていた。私はパンフレットを購入。自由席の我らは、前日の大雨の中、A木さんがシートを張っているというスプーンカーブに向う。ゲートから一番遠い場所だ。「デグナーにしようかと思ったんだけど、スプーンなら長く車を見ていられるし」と。スプーンに到着するまでの間、ここが130R、ここがヘアピン、この辺りだと一瞬しか見られないとか、逆光になるから観戦しづらいとか、この辺りも以前は自由席だったんだよ、などと教えてもらう。駅で見かけた脚立の使い方(フェンス越しに見る)や、簡易とはいえない堂々とした折りたたみ椅子が何故必要なのかもわかった。剥がされているかもしれないと懸念していたシートはちゃんと残っていて、スプーン中央の一番上にスペースを確保。スプーンに入ってくるところから、西ストレートへ加速していくところまで見渡せるベストポジション。といっても、決勝前に来ても隙間に人は入れるし、私たちの後ろにも折りたたみ椅子が次々に並んで行くぐらいの余裕はある。中途半端な指定席に座ると見づらいことがあるし、何しろ自由席なので寝転んでもいいし、前後左右の人との距離が広くとれ、のびのびできていい感じ。無いのはTVビジョンだけ。(hammer.mule)

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