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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1881 2005/12/09.Fri.14:00発行
http://www.dgcr.com/
1998/04/13創刊 前号の発行部数 18239部
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<宇宙を征服したくらいの気分に>
■映画と夜と音楽と…[274]
世界で一番有名な裏切り者
十河 進
■Otaku ワールドへようこそ![17]
一心不乱にパズル:スリザーリンク
GrowHair
【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1881 2005/12/09.Fri.14:00発行
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<宇宙を征服したくらいの気分に>
■映画と夜と音楽と…[274]
世界で一番有名な裏切り者
十河 進
■Otaku ワールドへようこそ![17]
一心不乱にパズル:スリザーリンク
GrowHair
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■映画と夜と音楽と…[274]
世界で一番有名な裏切り者
十河 進
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●「スーパースター」という言葉を一般的にしたロック・オペラ
イエス・キリストを英語で「ジーザス・クライスト(Jesus Christ)」と発音するのだと知ったのは、中学生の頃によく聞いていたピーター・ポール・アンド・マリーの歌でだった。「ジーザスは井戸のそばで女に会った」とPPMは何度も何度もリフレインした。
その数年後、「ジーザス・クライスト・スーパースター」というロック・オペラがブロードウェイでヒットした。その結果、「ジーザス・クライスト」が日本ではイエス・キリストという名で知られている男なのだと多くの人が知ることになった。
そのロック・オペラは劇団四季によって日本で上演され、加賀丈史がジーザス・クライストを演じ、滝田栄がユダを演じた。1973年には「夜の大捜査線」のノーマン・ジュイソン監督によって映画化され、日本でも公開された。
「ジーザス・クライスト・スーパースター」は、イエス・キリスト最後の7日間を描いた物語で、日本のロック好きの若者たちにもバイブルの内容を知らしめる役割を担ったのだった。
同じ頃、僕はギャビン・ライアルの「最も危険なゲーム」を読んで以来、彼の新作を待ち続けていたのだが、何作か新作リストが紹介されているもののなかなか翻訳が出なかった。
そのライアルの新作リストに「ユダの国」(Judas Country)というタイトルがあった。その小説がハヤカワポケットミステリとして出版されたのは、結局、1982年だったが、タイトルは「裏切りの国」となっていた。
そのタイトルを見て「ユダは〈裏切り〉という意味になっているのか」と僕は思った。辞書を引いてみると「イスカリオテのユダと呼ばれるキリスト12使徒のひとりで、後にキリストを裏切った」という解説に続いて「(軽蔑的に)裏切り者」という意味が出ていた。
その時に連想したのが「ジーザス(Jesus)」はなぜ罵り語になっているのだろうということだった。辞書を引くとジーザスはスラングとして「おやまあ、やれやれ、ちぇっ、くそったれ、ちくしょう」などの意味で紹介されている。
ずいぶん以前だが、会社の同僚と食事をしているとき、最後に残ったグリーンピースひと粒を食べようとして床に落とした同僚(もちろん日本人)が「オー、ジーザス」と天を仰いで肩をすくめた。何と芝居がかった人かと僕は思ったけれど、アメリカ映画などを見ていると、そんなシーンをよく見かける。
子供が何かのときに「ジーザス」と口にして母親に叱られるといったシーンも見たことがあり、そのことを僕はずっと不思議に思っていたのだが、ユダの名前が転じて「裏切り者」の意味になったのはすんなりと納得できた。
キリスト教徒でなくても、バイブルを読んだことがなくても、キリストとユダの話は知っている。ユダは歴史上、世界で最も有名な裏切り者になった。
●パゾリーニが描いた激烈なイエス・キリスト像
僕はクリスチャンでもないし、バイブルも読んだことはない。しかし、キリスト教圏の文化は小説や映画でずいぶん接してきた。たとえばジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」「エデンの東」などは、新約聖書、旧約聖書を下敷きにして書かれたものだし、他の作家の小説でもバイブルのフレーズが頻繁に引用される。
グレアム・グリーンやフランソワ・モーリアックなどはカトリック作家として有名だし、日本には遠藤周作がいた。遠藤周作の「沈黙」は高校生の時に読み、名作だと思ったが、神の沈黙というテーマはよく理解できなかった。要するに、僕が神を信じていなかったからだと思う。
バイブルは映画にも多くの素材を提供してきた。「ベン・ハー」は古代を舞台にしたスペクタクル作品だが、キリストの裏面史みたいな側面もある。「十戒」も紅海がまっぷたつに割れて海底の道が現れるシーンを売り物にした作品だが、あれで旧約聖書の内容を知った人もいるだろう。
僕は見ていないのだが、最近ではメル・ギブソンが監督した「パッション」がキリストの処刑シーンをリアルに再現して話題になった。マーチン・スコセッシ監督の「最後の誘惑」(1988)は、怪優ウィレム・デフォーが苦悩し葛藤するイエス・キリストを演じて物議をかもした。
しかし、未だに僕が忘れられないイエス・キリストを主人公にした映画は1964年制作のイタリア映画「奇跡の丘」である。監督はピエル・パオロ・パゾリーニ。彼はコミュニストの無神論者として知られていたのだが、新約聖書のマタイ伝を忠実に映画化した。
パゾリーニは詩人であり小説家だった。フェリーニの作品に協力した後、映画監督に転じ「アポロンの地獄」「テオレマ」「王女メディア」などの名作を作る。「デカメロン」から性的でスキャンダラスな傾向を強め、最期は同性愛の愛人に殺され海岸で死体が発見されるという激烈な人生を送った人である。
その激烈な監督の人生に似て「奇跡の丘」のイエス・キリストも強烈な個性を感じさせた。イエス・キリストが人々に語りかける印象は、まるでアジテーターである。闘うイエス・キリストだった。
主人公を演じたのは素人の大学生だと、当時の映画雑誌で読んだ。その素人俳優のイエス・キリストが素晴らしい。また、陰翳の深いモノクロームの映像が美しく、印象に残る。
35年以上前に一度見ただけの映画だが、様々なシーンが甦る。たとえば崖のそばで悪魔の誘惑を断つイエスのシーンを思い出す。「悪魔よ去れ」と毅然と言い放つイエス・キリストの力強さが心地よかった。
最後の晩餐を経て、イエス・キリストは十字架を背負いゴルゴダの丘へ登っていく。そのときのイエスには何の迷いもない。磔になるのが己の使命なのだと確信しているのだ。
キリスト処刑後の弟子たちのエピソードも聖書に基づいて再現される。最も忠実だとされていた弟子(パウロだったかルカだったか、あるいはヨハネだったかは忘れたけど)は、イエスに「おまえは私を知らないと三度言うだろう」と予言される。
彼は「そんなことは絶対にありません。なぜ師はそんなことを言うのですか」と大見得を切り抗議するのだが、キリストが処刑された後、群衆に「あの男の弟子のひとりだ」と捕吏に訴えられると「私はあの男を知らない」と言いながら逃げる。
彼は三度目に「知らない」と言った後、さめざめと涙を流す。人間とは何という弱い存在だろう、とその映像を見ながら僕は思ったものだ。僕は18歳で、ひとり暮らしを始めたばかりだった。強くなりたい、とそのときに思った。
●微妙で些細な裏切りの記憶を抱えて生き続けるしかない
イエス・キリストを売ったのはユダである。イエスを裏切り、処刑に追いやる。十字架を背負い血を流しながら死んでいくイエス・キリストを見てユダは何を思っていたのだろう。
「奇跡の丘」はイエス・キリストが処刑された後のユダも描いてくれた。勢いよく森に走り込んできたユダは躊躇せず木にロープをかける。次のショットではもう首をくくっている。逡巡することもなく、決意的に、もの凄い勢いで死んでしまう。ユダの最期は衝撃的だった。何のためにキリストを売ったのだという疑問が湧き起こる。
ユダはイエス・キリストを密告し、裏切ったゆえに世界で最も有名な裏切り者になった。その名が「裏切り者」の意味になった。しかし、イエス・キリストは人々の罪を背負って処刑されたが故に名を遺したのではないか。復活し神の子であることを証明したのではないか。
ユダの裏切りがなければ、ゴルゴダの丘でイエスが処刑されなければ、キリスト教徒への迫害がなければ、その後のキリスト教圏の世界的な拡大はなかったのではないだろうか。それに元々、イエス・キリストはユダの裏切りを予言し許していたのではなかったか。
僕は「人生は三つの要素でできている。愛と友情と裏切りだ」というジャン・ピエール・メルヴィル監督の言葉を座右の銘にしてきた人間だ。裏切りという行為に人間存在の特異さを見ようとしてきた。裏切りに内包される矛盾、説明の仕様がないニュアンス、人間としての弱さを感じとろうと思ったきた。
だから、「奇跡の丘」で僕が最も気になったのは、イエス・キリストの死後に予言通り「イエスなどという男は知らない」と言い、裏切ってしまう弟子である。(そのくせ名前をきちんと覚えていないのだけど…)
彼の方がユダよりずっとずっと己の言動に絶望しているのではないか、と僕は思う。自分がやったことに、言ってしまった言葉に深く深く絶望し、悔い、それでも師への裏切りを正当化しようとし、正当化しきれないから涙を流す。
自分が生き延びるために「イエスなど知らない」と三度まで口にした己の浅ましさを罵る。だが、そんな自分を師は許してくれる、許してくれていたと甘える。ユダの裏切りに較べれば…、と言い聞かせてみる。
それでも、師を知らないと否定した言葉は消え去りはしない。間違いなく自分の口から出たのだ。その記憶を刻み込んで彼は生きていかなければならない。裏切りの記憶が彼の死までついてまわるのだ。
人は裏切られた記憶と共に裏切った記憶を持っている。一度も人を裏切らなかったと断言できる人はいないだろう。他者を裏切らなかったとしても、自分を裏切ったことはないか。自分を裏切り、誤魔化したことはないか。些細なことかもしれない。しかし、自分の記憶はそれを消せない。
僕だって人に言えない裏切りの記憶はある。相手は僕に裏切られたなどとまったく思っていないだろう些細なことだって、僕にとっては心中深く刻み込まれた裏切りの記憶なのだ。
あるいは自分自身はこんな人間ではないと思っていたセルフイメージを裏切るようなことを、僕は日常的にやっている。だから、日々、自己嫌悪に陥り、時には前後不覚になるまで酒を飲む。裏切りの記憶から、あるいは裏切られた傷から一時的にでも解放されるために…
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
前回、喘息のことを書いたらお見舞いメールをいただいてしまい、恐縮です。医者にもらった薬でかなり快方に向かい「さっさと病院いけばよかったのよ」とカミサンに叱られてしまいました。
デジクリ掲載の旧作が毎週金曜日に更新されています
< http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html
>
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■Otaku ワールドへようこそ![17]
一心不乱にパズル:スリザーリンク
GrowHair
https://bn.dgcr.com/archives/20051209140100.html
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しょせん私の人生なんて一言で総括すれば「暇つぶし」で片がつく程度のものだが、最近は暇つぶしの種がやけに増えてきて、忙しい。またひとつ扉を開けてしまった。パズルである。巷では、9×9マスを1~9の数字で埋めていく「数独」が人気のようだが、私がハマったのは「スリザーリンク(Slither Link)」という、線をつないでいくパズルである。きっかけは同僚の結婚。
●「ニコリ」と出会う
10月29日(土)、同僚のK山K樹君の結婚披露宴に招かれた。彼は学生時代からパズルを解くのが趣味、新婦と知り合ったのもパズルを通じて、という筋金入りのパズラーである。共にパズルを解くうちに、その情熱がいつしか愛情に変わっていったとは、なかなかいい話である。そのつながりで「ニコリ」の編集と読者の人たちが招かれ、ひとつのテーブルを囲んでいた。「ニコリ」とは、1980年に日本で初めてパズル誌を創刊した出版社である。雑誌などに提供されたパズルを見ていたので、学生の頃から存在は知っていた。
そんな面白い方々とはぜひちょこっとでもお話ししてみたいと思っていたところ、お開きの後に、編集のI氏と立ち話をする機会を得た。より客観的な視点からは、酔った勢いでからんだという見方をされているようだが。何を話したのか覚えていないところをみると、やはりそうだったか。
後に、ハワイから帰ってきたK山君を通じて「ニコリ」の出版するパズルの本をいただいた。その本はいろいろな種類のパズルがてんこ盛りであったが、中でも特にスリザーリンクが面白かったと言ったら、今度は一冊丸ごとスリザーリンクの本をくれた。
●線をつないでいく
スリザーリンクというのは、線をつないでいくパズルである。「ニコリ」の読者である日本人が考案したそうだ。碁盤目状に並べられたマスの、線の交点に相当するところに点がぽちぽちと打ってある。この点と点を縦横の線で結んでいく。線は途切れたり分岐したり交差したりしてはいけない。最終的には一本の輪っかを完成させる。輪っかが分離して2本以上になったり、輪っかの中にまた輪っかがあったりしてはいけない。
いくつかのマスの中には、0から3までのうちのどれかの数字が記されている。その数字は、そのマス目を囲む上下左右の辺のうちの何本に線が引かれるかを表している。1と書いてあれば、上下左右の辺のうちのどれか1本に線が引かれることになるが、それだけではどの辺に線が引かれるのかまでは決定できない。
しかし、例えば0のマスと3のマスが隣り合わせになっていたとしよう。すると、0のマスを構成する4辺にはどこにも線が引かれない。ということは、3のマスを構成する4辺のうち、0のマスとの境界線には線が引かれないことが分かっているわけで、残りの3辺に線が引かれることが決定する。さらに、コの字型の両端点から0のマスの側に線を延ばすことはできないので、それぞれ外側に開く方向にしか延びていけない。というわけで、これだけで5本の線が決定する。
このようにして決定した断片的な線を、必然必然の推論によって次々につないでいく。数字の入っていないマスもあり、そこには何本の線が引かれるか、分からない。しかし、解き進むにつれて、そういうところも必然的に決まってくる。最終的にはすべての辻褄が合うように、輪っかが完成する。答えが必ず一意に決まるように、問題が作ってある。サイズは10×10マスから20×36マスに至るまでいろいろある。
図もなしに言葉だけで説明すると分かりづらいが、「ニコリ」のページに行くととても分かりやすく説明してある。またお試し問題が10題、用意されている。
< http://www.nikoli.co.jp/puzzles/3/
>
しかし、お試しにしては少々難しいところもあったりするので、ニフティの提供する「はじめて問題」の方がとっつきやすい。こちらは気分よくすいすい解ける。
< http://www.nifty.com/puzzlejapan/letsplay/play_slitherlink_starter-j.html
>
●たっぷり遊べる
もらった本は「ニコリ」の「スリザーリンク15」だが、これに載っている96題を全部解くのに89時間55分45秒かかった。1題平均56分12秒である。一番てこずったやつには5時間16分30秒かかっている。651円の本でこれだけ遊べれば、超お得である。全部解き終わると世界征服したくらいの達成感と疲労感が得られる。しかしまだ1~14巻もあるし、すでに第16巻も発売されている。それを全部解いたらきっと宇宙を征服したくらいの気分になれるだろう。
各問題には、初級者、中級者、上級者それぞれの標準時間が書いてある。これらの数字は例えば301分、74分、16分のように大きな開きがある。チャンピオンクラスになると、上級者タイムのさらに3分の1程度で解くそうである。道を極めるというのは、すごいことだ。
ちなみに中級の標準タイムの合計が57時間29分であるから、私は大体その約6割増しの時間で解いていることになる。初めてにしては割といい方らしい。
●技巧を鑑賞する面白さ
さて、ここまで読まれて、それのいったいどこが面白いんだ、と思われたかもしれない。その疑問はもっともである。カクカクと直角に折れて延びゆく縦と横の線の世界であって、なまめかしい曲線美があるわけではない。リボンもフリルもない。小学校の計算ドリルみたいなもんで、「何でこんなもん、自分から好んでやるかいな」ってなもんである。
それが、意外にもけっこう楽しめるのである。作業がサクサク進む楽しみと、立ち止まって考える楽しみが並存している。途中で手がかりが見つからなくて停滞するとちと苦しいが、ああでもない、こうでもないと頭をフル回転させて突破口が見つかったときにはスカッとする。そして、最後の一本をつなげてすべての辻褄が合ったときの爽快感は、富士山登頂に匹敵する。登ったことないけど。
解くこと自体にクリエイティブな要素は全然ないものの、技巧を鑑賞するという面白みがある。例えば、こんなのがあった。盤面の周辺部には数字が一切置かれていないために、そこへはどうにも手がつかない。薄皮一枚を残した状態で、内陸部に線が埋まっていく。最後に、あっちとこっちへ突き出した2つの端点を、ぐるぐるぐるっと半周回ってつなぐと完成する。ほぼ最終段階に至るまで、線のどちら側が外側になるのが分からないところに意外性があった。
●複雑系の香り
その種の技巧が、まだ発見されずにどれほど埋もれているかは未知の世界である。そのあたりに複雑系の香りがする。
複雑系とは、ひとつひとつの個体は割と単純なルールに則った働きしかしないのに、そういう個体がたくさん集まって相互作用することにより、全体として複雑で豊かな世界が自然発生的に生じるようなシステムである。
例として、よくライフゲームが引き合いに出される。碁盤目の各コマを住処とする仮想の個体は、自分を取り巻く環境が過密でも過疎でも死んでしまうが、ほどよい人口密度では誕生し、生存する。
初期状態として、適当に個体をばらまいておくと、後の世界の変遷は必然的に決まるのだが、これがそう簡単に定常状態に陥ることがなく、個体全体の描き出した模様が次々に変化していく活発な社会が展開し、眺めていて飽きない。
人間の脳も複雑系の一種だとする見方もある。現在知られている限りにおいては、一個一個の脳細胞は、近隣から受け取った信号に重みをつけて合計し、近隣に配信する、という簡単な計算機のような働きしかしていないらしい。しかし、それが150億個も集まると、感情やら思想やらが生じるとのことである。
ということは、一個一個の脳細胞と同じ働きをする素子を大量につなぎ合わせれば、脳と同じ働きをするものができ、感情や個性を備えたロボットみたいなものが作れるのではないかと考えられる。この構想のもとに進められているのが、「人工生命」と呼ばれる研究テーマである。まだ成功したという話は聞かないが。
このように、ひとつひとつの個体は割と単純な働きしかしないのに、それらが相互作用することによって、全体として予想もつかないような豊かな世界が「出現」する現象を英語で "emergence" と呼び、日本語では「創発」という造語があてられている。相互作用が多すぎても少なすぎても創発は生じない。ほどよいさじ加減が大事なのである。
創発は応用範囲が広い。企業のトップにこの概念を吹き込んでメシの種とする経営コンサルタントもいるくらいである。「現代社会は創発的である」と言うが、それは誤解。真相は「社会はいつでもどこでも創発的であったが、現代になってそれが認識されるようになった」というだけのことである。
現代社会はインターネットやケータイの普及で情報の流れが活性化されたようにみられがちだが、実は相互作用の過密と過疎が両極化し、創発のかえって起きにくい状態になっている。むしろ逆に、情報のセグメンテーション化(区画化)が進んでいる。活発な情報の流れは、各セグメンテーション内でしか起こらず、セグメンテーション間は接点が薄れていっている。
え~っと、何の話だっけ? そうだ、だからスリザーリンクにおいても、この複雑系のにおいがぷんぷんと漂う。ルールは単純なのに、どれほどの面白さをもった技巧が、まだどれだけ埋もれているか、測り知れないものがある。作り手にとって、技巧を編み出すという創意工夫の余地があるところが、このパズルの奥深いところである。問題を制作することには、天地創造の喜びが伴うに違いない。
●パズラーはオタクか
それはオタクの定義による。まあ、パズラーの側からしてみれば、メイド喫茶に入り浸って「萌え~」とか言っている連中と同じ範疇にくくられたくはないだろうけど。でも、オタクとはつまるところ趣味人であって、とりわけのめり込み度の激しいやつ、というふうに見れば、ほーら、仲間である。
メイド喫茶で脇目もふらず、時計を傍らに、一心不乱にスリザーリンクを解いている客、というのもシュールな光景かもしれない。あ、今度やってみよ。「ニコリ」さん、次のを出版するときは、表紙を萌えキャラにして、タイトルを「萌えるスリザーリンク」にしてみてはいかがでしょ。で、アニメイトあたりにも置きましょう、ぜひ。
【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
カメコ。前々週のくうさんに引き続き、先週末は永吉さんを迎撃。個性派ぞろいで、なんかすご~く楽しかった。私は平凡すぎて埋もれてたかも。買物王子さんと3人で行った二次会では、激しいディベートの末、芸術論に関する驚くべき啓示を得たような気がするのだが、ノートの余白が足りなかったため(←分かる人には分かるフェルマーネタ)、アルコールとともに揮発した。/前回ここに書いたことに事実と相違があったらしい。くうさん、ごめん。/先日書いたテレビ番組制作の件、順調に収録が進行中。デジクリを読んでメールをくれた風之宮そのえさん(ゲーム「アニマムンディ」のプロデューサ)とともに私もちょこっと出演。秋葉原のメイド喫茶で。次回にでも書きます。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/
>
<応募受付中のプレゼント>
Illustrator CS2完全制覇 本誌1877号(12/12締切)
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■編集後記(12/9)
・わが家のブームは、田島みるく「本当にあった愉快な話」である。娘が出産と育児系から田島みるく著書を読み、続けて「本当にあった愉快な話」になだれこんだらしい。娘が読み捨てたコンビニ本が何冊もわが家にある。マックを立ち上げるわずかな時間とか、プリントしているときなどつい読んでしまう。ひまつぶしに最適である。んなアホな、って話が満載だ。もちろん、ツボをおさえた脚色してるんだろうけど。絵はそんなにうまいと思えない。むしろヘタだが、独特の味があっていい。読者の投稿ネタを4コマか8コマにうまく描いている。手慣れたものだ。愉快な実話を募集し、田島みるくが漫画化し、マンガ雑誌4誌のいずれかに掲載、採用分には1,000~10,000円を進呈という仕組み。著作権は田島みるくと竹書房に帰属する。なかなかこなれたシステムではないか。ネタに困ることがない(と思うが実際は知らない)。デジクリでも、かつては「お蔵出し 本当にあった~~な話」という読者投稿(プレゼントのコメント欄)をまとめた特集を、おもにレギュラー記事が落ちたときの穴埋めにつかっていたが、さいきんはプレゼント自体も減っているのでコメントがたまっていない。いや、いま発作的に思いついた。デジクリ向けの「本当にあった愉快な話」を読者のみなさんから募集して、まとめて記事を作ろう! てなわけで、送って下さい、ハンドルネームで可、宛先は info@dgcr.com、件名は「本当にあった愉快な話」、締切は12月20日、最少催行人数は10人。とりあえず凶徒の友人、頼みます(←本人以外、意味不明)。(柴田)
・目を閉じれば、昼でも暗闇。byポスペ。/なぜ私がおかしいと思ったか。同じもの(新品)を大量に出品していたから。お金と同じ価値のあるアマゾンギフトカード(期限は来年10月末)もたくさん出品していたから。大量出品は業者が個人を装って在庫処理のためにすることがあるので、それだけでは詐欺とはいえない。安く物を売って、そのサプライ品を買ってもらおうという動きもある。マニアックなものなら、同じ傾向の物も安く売っていますと店の紹介を兼ねている場合もある(直接取引できればヤフオクに手数料を払わずに済む。宣伝としてのヤフオク利用)。アマゾンギフトカードをたくさんもらうことなんて、まずない。期限が近いものなら出品する理由もわかるが、期限が残っているのに出すってことは、クレジットカードで購入して、支払いまでの期限を利用して運転資金にしているのかなぁと。ただし運転資金にするとしても、長期に渡り調達するのではなく、厳しい一回を逃れるためだけに出品している人もいる。運転資金にあてるために出品すること自体は問題ないわけで。でも危険度は高いから避けた方がいい。/ヤフオクが有料化されて身元チェックされるようになったり、範囲は限定されるとはいえ補償がきくようになった。無料の時は、有志の人たちが詐欺商品に妨害入札をしてくれていたりしたんだよね。高額にして値ごろ感をなくして一般入札を退けたり、詐欺師の評価欄をわざと汚したり。今はそういう妨害方法はなくなったなぁ。(hammer.mule)
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●「スーパースター」という言葉を一般的にしたロック・オペラ
イエス・キリストを英語で「ジーザス・クライスト(Jesus Christ)」と発音するのだと知ったのは、中学生の頃によく聞いていたピーター・ポール・アンド・マリーの歌でだった。「ジーザスは井戸のそばで女に会った」とPPMは何度も何度もリフレインした。
その数年後、「ジーザス・クライスト・スーパースター」というロック・オペラがブロードウェイでヒットした。その結果、「ジーザス・クライスト」が日本ではイエス・キリストという名で知られている男なのだと多くの人が知ることになった。
そのロック・オペラは劇団四季によって日本で上演され、加賀丈史がジーザス・クライストを演じ、滝田栄がユダを演じた。1973年には「夜の大捜査線」のノーマン・ジュイソン監督によって映画化され、日本でも公開された。
「ジーザス・クライスト・スーパースター」は、イエス・キリスト最後の7日間を描いた物語で、日本のロック好きの若者たちにもバイブルの内容を知らしめる役割を担ったのだった。
同じ頃、僕はギャビン・ライアルの「最も危険なゲーム」を読んで以来、彼の新作を待ち続けていたのだが、何作か新作リストが紹介されているもののなかなか翻訳が出なかった。
そのライアルの新作リストに「ユダの国」(Judas Country)というタイトルがあった。その小説がハヤカワポケットミステリとして出版されたのは、結局、1982年だったが、タイトルは「裏切りの国」となっていた。
そのタイトルを見て「ユダは〈裏切り〉という意味になっているのか」と僕は思った。辞書を引いてみると「イスカリオテのユダと呼ばれるキリスト12使徒のひとりで、後にキリストを裏切った」という解説に続いて「(軽蔑的に)裏切り者」という意味が出ていた。
その時に連想したのが「ジーザス(Jesus)」はなぜ罵り語になっているのだろうということだった。辞書を引くとジーザスはスラングとして「おやまあ、やれやれ、ちぇっ、くそったれ、ちくしょう」などの意味で紹介されている。
ずいぶん以前だが、会社の同僚と食事をしているとき、最後に残ったグリーンピースひと粒を食べようとして床に落とした同僚(もちろん日本人)が「オー、ジーザス」と天を仰いで肩をすくめた。何と芝居がかった人かと僕は思ったけれど、アメリカ映画などを見ていると、そんなシーンをよく見かける。
子供が何かのときに「ジーザス」と口にして母親に叱られるといったシーンも見たことがあり、そのことを僕はずっと不思議に思っていたのだが、ユダの名前が転じて「裏切り者」の意味になったのはすんなりと納得できた。
キリスト教徒でなくても、バイブルを読んだことがなくても、キリストとユダの話は知っている。ユダは歴史上、世界で最も有名な裏切り者になった。
●パゾリーニが描いた激烈なイエス・キリスト像
僕はクリスチャンでもないし、バイブルも読んだことはない。しかし、キリスト教圏の文化は小説や映画でずいぶん接してきた。たとえばジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」「エデンの東」などは、新約聖書、旧約聖書を下敷きにして書かれたものだし、他の作家の小説でもバイブルのフレーズが頻繁に引用される。
グレアム・グリーンやフランソワ・モーリアックなどはカトリック作家として有名だし、日本には遠藤周作がいた。遠藤周作の「沈黙」は高校生の時に読み、名作だと思ったが、神の沈黙というテーマはよく理解できなかった。要するに、僕が神を信じていなかったからだと思う。
バイブルは映画にも多くの素材を提供してきた。「ベン・ハー」は古代を舞台にしたスペクタクル作品だが、キリストの裏面史みたいな側面もある。「十戒」も紅海がまっぷたつに割れて海底の道が現れるシーンを売り物にした作品だが、あれで旧約聖書の内容を知った人もいるだろう。
僕は見ていないのだが、最近ではメル・ギブソンが監督した「パッション」がキリストの処刑シーンをリアルに再現して話題になった。マーチン・スコセッシ監督の「最後の誘惑」(1988)は、怪優ウィレム・デフォーが苦悩し葛藤するイエス・キリストを演じて物議をかもした。
しかし、未だに僕が忘れられないイエス・キリストを主人公にした映画は1964年制作のイタリア映画「奇跡の丘」である。監督はピエル・パオロ・パゾリーニ。彼はコミュニストの無神論者として知られていたのだが、新約聖書のマタイ伝を忠実に映画化した。
パゾリーニは詩人であり小説家だった。フェリーニの作品に協力した後、映画監督に転じ「アポロンの地獄」「テオレマ」「王女メディア」などの名作を作る。「デカメロン」から性的でスキャンダラスな傾向を強め、最期は同性愛の愛人に殺され海岸で死体が発見されるという激烈な人生を送った人である。
その激烈な監督の人生に似て「奇跡の丘」のイエス・キリストも強烈な個性を感じさせた。イエス・キリストが人々に語りかける印象は、まるでアジテーターである。闘うイエス・キリストだった。
主人公を演じたのは素人の大学生だと、当時の映画雑誌で読んだ。その素人俳優のイエス・キリストが素晴らしい。また、陰翳の深いモノクロームの映像が美しく、印象に残る。
35年以上前に一度見ただけの映画だが、様々なシーンが甦る。たとえば崖のそばで悪魔の誘惑を断つイエスのシーンを思い出す。「悪魔よ去れ」と毅然と言い放つイエス・キリストの力強さが心地よかった。
最後の晩餐を経て、イエス・キリストは十字架を背負いゴルゴダの丘へ登っていく。そのときのイエスには何の迷いもない。磔になるのが己の使命なのだと確信しているのだ。
キリスト処刑後の弟子たちのエピソードも聖書に基づいて再現される。最も忠実だとされていた弟子(パウロだったかルカだったか、あるいはヨハネだったかは忘れたけど)は、イエスに「おまえは私を知らないと三度言うだろう」と予言される。
彼は「そんなことは絶対にありません。なぜ師はそんなことを言うのですか」と大見得を切り抗議するのだが、キリストが処刑された後、群衆に「あの男の弟子のひとりだ」と捕吏に訴えられると「私はあの男を知らない」と言いながら逃げる。
彼は三度目に「知らない」と言った後、さめざめと涙を流す。人間とは何という弱い存在だろう、とその映像を見ながら僕は思ったものだ。僕は18歳で、ひとり暮らしを始めたばかりだった。強くなりたい、とそのときに思った。
●微妙で些細な裏切りの記憶を抱えて生き続けるしかない
イエス・キリストを売ったのはユダである。イエスを裏切り、処刑に追いやる。十字架を背負い血を流しながら死んでいくイエス・キリストを見てユダは何を思っていたのだろう。
「奇跡の丘」はイエス・キリストが処刑された後のユダも描いてくれた。勢いよく森に走り込んできたユダは躊躇せず木にロープをかける。次のショットではもう首をくくっている。逡巡することもなく、決意的に、もの凄い勢いで死んでしまう。ユダの最期は衝撃的だった。何のためにキリストを売ったのだという疑問が湧き起こる。
ユダはイエス・キリストを密告し、裏切ったゆえに世界で最も有名な裏切り者になった。その名が「裏切り者」の意味になった。しかし、イエス・キリストは人々の罪を背負って処刑されたが故に名を遺したのではないか。復活し神の子であることを証明したのではないか。
ユダの裏切りがなければ、ゴルゴダの丘でイエスが処刑されなければ、キリスト教徒への迫害がなければ、その後のキリスト教圏の世界的な拡大はなかったのではないだろうか。それに元々、イエス・キリストはユダの裏切りを予言し許していたのではなかったか。
僕は「人生は三つの要素でできている。愛と友情と裏切りだ」というジャン・ピエール・メルヴィル監督の言葉を座右の銘にしてきた人間だ。裏切りという行為に人間存在の特異さを見ようとしてきた。裏切りに内包される矛盾、説明の仕様がないニュアンス、人間としての弱さを感じとろうと思ったきた。
だから、「奇跡の丘」で僕が最も気になったのは、イエス・キリストの死後に予言通り「イエスなどという男は知らない」と言い、裏切ってしまう弟子である。(そのくせ名前をきちんと覚えていないのだけど…)
彼の方がユダよりずっとずっと己の言動に絶望しているのではないか、と僕は思う。自分がやったことに、言ってしまった言葉に深く深く絶望し、悔い、それでも師への裏切りを正当化しようとし、正当化しきれないから涙を流す。
自分が生き延びるために「イエスなど知らない」と三度まで口にした己の浅ましさを罵る。だが、そんな自分を師は許してくれる、許してくれていたと甘える。ユダの裏切りに較べれば…、と言い聞かせてみる。
それでも、師を知らないと否定した言葉は消え去りはしない。間違いなく自分の口から出たのだ。その記憶を刻み込んで彼は生きていかなければならない。裏切りの記憶が彼の死までついてまわるのだ。
人は裏切られた記憶と共に裏切った記憶を持っている。一度も人を裏切らなかったと断言できる人はいないだろう。他者を裏切らなかったとしても、自分を裏切ったことはないか。自分を裏切り、誤魔化したことはないか。些細なことかもしれない。しかし、自分の記憶はそれを消せない。
僕だって人に言えない裏切りの記憶はある。相手は僕に裏切られたなどとまったく思っていないだろう些細なことだって、僕にとっては心中深く刻み込まれた裏切りの記憶なのだ。
あるいは自分自身はこんな人間ではないと思っていたセルフイメージを裏切るようなことを、僕は日常的にやっている。だから、日々、自己嫌悪に陥り、時には前後不覚になるまで酒を飲む。裏切りの記憶から、あるいは裏切られた傷から一時的にでも解放されるために…
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
前回、喘息のことを書いたらお見舞いメールをいただいてしまい、恐縮です。医者にもらった薬でかなり快方に向かい「さっさと病院いけばよかったのよ」とカミサンに叱られてしまいました。
デジクリ掲載の旧作が毎週金曜日に更新されています
< http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html
>
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■Otaku ワールドへようこそ![17]
一心不乱にパズル:スリザーリンク
GrowHair
https://bn.dgcr.com/archives/20051209140100.html
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しょせん私の人生なんて一言で総括すれば「暇つぶし」で片がつく程度のものだが、最近は暇つぶしの種がやけに増えてきて、忙しい。またひとつ扉を開けてしまった。パズルである。巷では、9×9マスを1~9の数字で埋めていく「数独」が人気のようだが、私がハマったのは「スリザーリンク(Slither Link)」という、線をつないでいくパズルである。きっかけは同僚の結婚。
●「ニコリ」と出会う
10月29日(土)、同僚のK山K樹君の結婚披露宴に招かれた。彼は学生時代からパズルを解くのが趣味、新婦と知り合ったのもパズルを通じて、という筋金入りのパズラーである。共にパズルを解くうちに、その情熱がいつしか愛情に変わっていったとは、なかなかいい話である。そのつながりで「ニコリ」の編集と読者の人たちが招かれ、ひとつのテーブルを囲んでいた。「ニコリ」とは、1980年に日本で初めてパズル誌を創刊した出版社である。雑誌などに提供されたパズルを見ていたので、学生の頃から存在は知っていた。
そんな面白い方々とはぜひちょこっとでもお話ししてみたいと思っていたところ、お開きの後に、編集のI氏と立ち話をする機会を得た。より客観的な視点からは、酔った勢いでからんだという見方をされているようだが。何を話したのか覚えていないところをみると、やはりそうだったか。
後に、ハワイから帰ってきたK山君を通じて「ニコリ」の出版するパズルの本をいただいた。その本はいろいろな種類のパズルがてんこ盛りであったが、中でも特にスリザーリンクが面白かったと言ったら、今度は一冊丸ごとスリザーリンクの本をくれた。
●線をつないでいく
スリザーリンクというのは、線をつないでいくパズルである。「ニコリ」の読者である日本人が考案したそうだ。碁盤目状に並べられたマスの、線の交点に相当するところに点がぽちぽちと打ってある。この点と点を縦横の線で結んでいく。線は途切れたり分岐したり交差したりしてはいけない。最終的には一本の輪っかを完成させる。輪っかが分離して2本以上になったり、輪っかの中にまた輪っかがあったりしてはいけない。
いくつかのマスの中には、0から3までのうちのどれかの数字が記されている。その数字は、そのマス目を囲む上下左右の辺のうちの何本に線が引かれるかを表している。1と書いてあれば、上下左右の辺のうちのどれか1本に線が引かれることになるが、それだけではどの辺に線が引かれるのかまでは決定できない。
しかし、例えば0のマスと3のマスが隣り合わせになっていたとしよう。すると、0のマスを構成する4辺にはどこにも線が引かれない。ということは、3のマスを構成する4辺のうち、0のマスとの境界線には線が引かれないことが分かっているわけで、残りの3辺に線が引かれることが決定する。さらに、コの字型の両端点から0のマスの側に線を延ばすことはできないので、それぞれ外側に開く方向にしか延びていけない。というわけで、これだけで5本の線が決定する。
このようにして決定した断片的な線を、必然必然の推論によって次々につないでいく。数字の入っていないマスもあり、そこには何本の線が引かれるか、分からない。しかし、解き進むにつれて、そういうところも必然的に決まってくる。最終的にはすべての辻褄が合うように、輪っかが完成する。答えが必ず一意に決まるように、問題が作ってある。サイズは10×10マスから20×36マスに至るまでいろいろある。
図もなしに言葉だけで説明すると分かりづらいが、「ニコリ」のページに行くととても分かりやすく説明してある。またお試し問題が10題、用意されている。
< http://www.nikoli.co.jp/puzzles/3/
>
しかし、お試しにしては少々難しいところもあったりするので、ニフティの提供する「はじめて問題」の方がとっつきやすい。こちらは気分よくすいすい解ける。
< http://www.nifty.com/puzzlejapan/letsplay/play_slitherlink_starter-j.html
>
●たっぷり遊べる
もらった本は「ニコリ」の「スリザーリンク15」だが、これに載っている96題を全部解くのに89時間55分45秒かかった。1題平均56分12秒である。一番てこずったやつには5時間16分30秒かかっている。651円の本でこれだけ遊べれば、超お得である。全部解き終わると世界征服したくらいの達成感と疲労感が得られる。しかしまだ1~14巻もあるし、すでに第16巻も発売されている。それを全部解いたらきっと宇宙を征服したくらいの気分になれるだろう。
各問題には、初級者、中級者、上級者それぞれの標準時間が書いてある。これらの数字は例えば301分、74分、16分のように大きな開きがある。チャンピオンクラスになると、上級者タイムのさらに3分の1程度で解くそうである。道を極めるというのは、すごいことだ。
ちなみに中級の標準タイムの合計が57時間29分であるから、私は大体その約6割増しの時間で解いていることになる。初めてにしては割といい方らしい。
●技巧を鑑賞する面白さ
さて、ここまで読まれて、それのいったいどこが面白いんだ、と思われたかもしれない。その疑問はもっともである。カクカクと直角に折れて延びゆく縦と横の線の世界であって、なまめかしい曲線美があるわけではない。リボンもフリルもない。小学校の計算ドリルみたいなもんで、「何でこんなもん、自分から好んでやるかいな」ってなもんである。
それが、意外にもけっこう楽しめるのである。作業がサクサク進む楽しみと、立ち止まって考える楽しみが並存している。途中で手がかりが見つからなくて停滞するとちと苦しいが、ああでもない、こうでもないと頭をフル回転させて突破口が見つかったときにはスカッとする。そして、最後の一本をつなげてすべての辻褄が合ったときの爽快感は、富士山登頂に匹敵する。登ったことないけど。
解くこと自体にクリエイティブな要素は全然ないものの、技巧を鑑賞するという面白みがある。例えば、こんなのがあった。盤面の周辺部には数字が一切置かれていないために、そこへはどうにも手がつかない。薄皮一枚を残した状態で、内陸部に線が埋まっていく。最後に、あっちとこっちへ突き出した2つの端点を、ぐるぐるぐるっと半周回ってつなぐと完成する。ほぼ最終段階に至るまで、線のどちら側が外側になるのが分からないところに意外性があった。
●複雑系の香り
その種の技巧が、まだ発見されずにどれほど埋もれているかは未知の世界である。そのあたりに複雑系の香りがする。
複雑系とは、ひとつひとつの個体は割と単純なルールに則った働きしかしないのに、そういう個体がたくさん集まって相互作用することにより、全体として複雑で豊かな世界が自然発生的に生じるようなシステムである。
例として、よくライフゲームが引き合いに出される。碁盤目の各コマを住処とする仮想の個体は、自分を取り巻く環境が過密でも過疎でも死んでしまうが、ほどよい人口密度では誕生し、生存する。
初期状態として、適当に個体をばらまいておくと、後の世界の変遷は必然的に決まるのだが、これがそう簡単に定常状態に陥ることがなく、個体全体の描き出した模様が次々に変化していく活発な社会が展開し、眺めていて飽きない。
人間の脳も複雑系の一種だとする見方もある。現在知られている限りにおいては、一個一個の脳細胞は、近隣から受け取った信号に重みをつけて合計し、近隣に配信する、という簡単な計算機のような働きしかしていないらしい。しかし、それが150億個も集まると、感情やら思想やらが生じるとのことである。
ということは、一個一個の脳細胞と同じ働きをする素子を大量につなぎ合わせれば、脳と同じ働きをするものができ、感情や個性を備えたロボットみたいなものが作れるのではないかと考えられる。この構想のもとに進められているのが、「人工生命」と呼ばれる研究テーマである。まだ成功したという話は聞かないが。
このように、ひとつひとつの個体は割と単純な働きしかしないのに、それらが相互作用することによって、全体として予想もつかないような豊かな世界が「出現」する現象を英語で "emergence" と呼び、日本語では「創発」という造語があてられている。相互作用が多すぎても少なすぎても創発は生じない。ほどよいさじ加減が大事なのである。
創発は応用範囲が広い。企業のトップにこの概念を吹き込んでメシの種とする経営コンサルタントもいるくらいである。「現代社会は創発的である」と言うが、それは誤解。真相は「社会はいつでもどこでも創発的であったが、現代になってそれが認識されるようになった」というだけのことである。
現代社会はインターネットやケータイの普及で情報の流れが活性化されたようにみられがちだが、実は相互作用の過密と過疎が両極化し、創発のかえって起きにくい状態になっている。むしろ逆に、情報のセグメンテーション化(区画化)が進んでいる。活発な情報の流れは、各セグメンテーション内でしか起こらず、セグメンテーション間は接点が薄れていっている。
え~っと、何の話だっけ? そうだ、だからスリザーリンクにおいても、この複雑系のにおいがぷんぷんと漂う。ルールは単純なのに、どれほどの面白さをもった技巧が、まだどれだけ埋もれているか、測り知れないものがある。作り手にとって、技巧を編み出すという創意工夫の余地があるところが、このパズルの奥深いところである。問題を制作することには、天地創造の喜びが伴うに違いない。
●パズラーはオタクか
それはオタクの定義による。まあ、パズラーの側からしてみれば、メイド喫茶に入り浸って「萌え~」とか言っている連中と同じ範疇にくくられたくはないだろうけど。でも、オタクとはつまるところ趣味人であって、とりわけのめり込み度の激しいやつ、というふうに見れば、ほーら、仲間である。
メイド喫茶で脇目もふらず、時計を傍らに、一心不乱にスリザーリンクを解いている客、というのもシュールな光景かもしれない。あ、今度やってみよ。「ニコリ」さん、次のを出版するときは、表紙を萌えキャラにして、タイトルを「萌えるスリザーリンク」にしてみてはいかがでしょ。で、アニメイトあたりにも置きましょう、ぜひ。
【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
カメコ。前々週のくうさんに引き続き、先週末は永吉さんを迎撃。個性派ぞろいで、なんかすご~く楽しかった。私は平凡すぎて埋もれてたかも。買物王子さんと3人で行った二次会では、激しいディベートの末、芸術論に関する驚くべき啓示を得たような気がするのだが、ノートの余白が足りなかったため(←分かる人には分かるフェルマーネタ)、アルコールとともに揮発した。/前回ここに書いたことに事実と相違があったらしい。くうさん、ごめん。/先日書いたテレビ番組制作の件、順調に収録が進行中。デジクリを読んでメールをくれた風之宮そのえさん(ゲーム「アニマムンディ」のプロデューサ)とともに私もちょこっと出演。秋葉原のメイド喫茶で。次回にでも書きます。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/
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<応募受付中のプレゼント>
Illustrator CS2完全制覇 本誌1877号(12/12締切)
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■編集後記(12/9)
・わが家のブームは、田島みるく「本当にあった愉快な話」である。娘が出産と育児系から田島みるく著書を読み、続けて「本当にあった愉快な話」になだれこんだらしい。娘が読み捨てたコンビニ本が何冊もわが家にある。マックを立ち上げるわずかな時間とか、プリントしているときなどつい読んでしまう。ひまつぶしに最適である。んなアホな、って話が満載だ。もちろん、ツボをおさえた脚色してるんだろうけど。絵はそんなにうまいと思えない。むしろヘタだが、独特の味があっていい。読者の投稿ネタを4コマか8コマにうまく描いている。手慣れたものだ。愉快な実話を募集し、田島みるくが漫画化し、マンガ雑誌4誌のいずれかに掲載、採用分には1,000~10,000円を進呈という仕組み。著作権は田島みるくと竹書房に帰属する。なかなかこなれたシステムではないか。ネタに困ることがない(と思うが実際は知らない)。デジクリでも、かつては「お蔵出し 本当にあった~~な話」という読者投稿(プレゼントのコメント欄)をまとめた特集を、おもにレギュラー記事が落ちたときの穴埋めにつかっていたが、さいきんはプレゼント自体も減っているのでコメントがたまっていない。いや、いま発作的に思いついた。デジクリ向けの「本当にあった愉快な話」を読者のみなさんから募集して、まとめて記事を作ろう! てなわけで、送って下さい、ハンドルネームで可、宛先は info@dgcr.com、件名は「本当にあった愉快な話」、締切は12月20日、最少催行人数は10人。とりあえず凶徒の友人、頼みます(←本人以外、意味不明)。(柴田)
・目を閉じれば、昼でも暗闇。byポスペ。/なぜ私がおかしいと思ったか。同じもの(新品)を大量に出品していたから。お金と同じ価値のあるアマゾンギフトカード(期限は来年10月末)もたくさん出品していたから。大量出品は業者が個人を装って在庫処理のためにすることがあるので、それだけでは詐欺とはいえない。安く物を売って、そのサプライ品を買ってもらおうという動きもある。マニアックなものなら、同じ傾向の物も安く売っていますと店の紹介を兼ねている場合もある(直接取引できればヤフオクに手数料を払わずに済む。宣伝としてのヤフオク利用)。アマゾンギフトカードをたくさんもらうことなんて、まずない。期限が近いものなら出品する理由もわかるが、期限が残っているのに出すってことは、クレジットカードで購入して、支払いまでの期限を利用して運転資金にしているのかなぁと。ただし運転資金にするとしても、長期に渡り調達するのではなく、厳しい一回を逃れるためだけに出品している人もいる。運転資金にあてるために出品すること自体は問題ないわけで。でも危険度は高いから避けた方がいい。/ヤフオクが有料化されて身元チェックされるようになったり、範囲は限定されるとはいえ補償がきくようになった。無料の時は、有志の人たちが詐欺商品に妨害入札をしてくれていたりしたんだよね。高額にして値ごろ感をなくして一般入札を退けたり、詐欺師の評価欄をわざと汚したり。今はそういう妨害方法はなくなったなぁ。(hammer.mule)
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