笑わない魚[207]表現の可能性と倫理の相剋
── 永吉克之 ──

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昔、価値の低い粗悪な銭を「びた」(鐚)と呼んだことから「びた一文出さない」なんて言い方が生まれたわけだが、これには一円も払わない! いや一銭一厘一毛払わない! という強固な意志が感じられる。

そこで、およそ人と呼べるものは誰もいない、もう徹底的にいない、無人よりもっといない、という状況を伝えるのに「びた一人いない」という表現を使いたくて使いたくてしかたがないのだ。

他にも、「晴れ渡った空には雲がびたひとつなかった」「そんな気持はびたもない」「そういえばそんなことが、びた一度だけあった」なんて使い方がしたいのだが、それはできない。もし、いたいけな子供がそれを読んで、そういうふうに言ってもいいんだな、と思ってはいけないからだ。

自分の御子様であろうがよそのガキであろうが、将来の日本を背負って立つ子供たちの前では大人は模範的な行動をとらなければならない。ポイ捨てはもちろん、恐喝も放火もすべきではない。とりわけ日頃から、盲目的に日本の文化を賞讃している、その私が日本語破壊の一翼を担うわけにはいかないのだ。


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国語の破壊はひとりの人間の、無意識的あるいは意識的な誤用から始まるのではないのか。たとえば私がここで、そんな気持はまったくない、ということをさらに強調して伝えたいあまりに「そんな気持はネコの額ほどもない」と書いたとすると、それがアーカイブに残るから、将来、どこかの物好きが日本語破壊の犯人探しで検索していくうちに、この号にたどりついて、私が「ネコの額ほど」の本来の意味を破壊した立役者にされてしまうのである。

「昔捨てた女が転職した会社の上司だったとは、ひき肉なめぐり合わせだよ」
「隣のガキはよく客喰うガキだ」
「ポン酢が病苦にジョーズにホースの屁をこいた」
「ゲッゲッゲ鳩ゲッゲ」(鳩ポッポのメロディと鬼太郎の雰囲気で)

モノカキが国語を崩して使うときは、表現性と倫理性との間で折り合いをつけておかなければならない。その意味で上のように、将来、誤用されたまま定着してしまいそうな使い方は絶対にしてはならない。

しかし崩しても、意味的にも文法的にも間違っていなければ、そのあたりに新たな日本語表現開拓の可能性が見えてくるのではあるまいか。要するに、なんか変だけど間違ってはいないような気がする日本語である。

【口が裂ける】

「そればかりは、口が裂けても言えない」という表現があるが、そりゃあんた、口が裂けたら痛くてものが言えないだろうさ、と子供心に思っていたものだ。これは要するに、心の中にしまってあるものは、たとえ口が裂けたって外には出さない、という喩えなのだろうが、こういう言い方が許されるのなら、

「あんな奴の話なんか、耳が裂けても聞くもんか」
「そんなくだらない映画、目が裂けても見るもんか」
「こんな不味い料理、満腹中枢が裂けたって喰いたくなるもんか」

なんて言い方があってもいいはずだ。あまり聞かないが、少なくとも間違ってはいないから、子供が真似をしても大丈夫だ。

【出没する】

先日、大阪の南海本線の混んだ電車内で、若い女が周囲の目も気にせず、携帯で「あ、サチ? これから難波に出没しに行くねん。あんたもけえへん?」と大声で話をしているの聞いて、カッとなった私は思わず「出没という言葉はそんな風に使うんじゃないんだあ!」と叫んで、窓ガラスを破ってその女を外に放り出そうとしたが、ちょっと待てよ、と思いなおした。というのはこの女の言った「出没しに行く」という言い方は、よく考えてみれば間違ってはいないからである。

出没というと「この辺りにはクマが出没する」のように、ときどき現れては消えるようなイメージがあるが、「出没」を大辞林で調べてみると「現れたり隠れたりすること」とだけある。つまり、一度でも現れて隠れれば、それで出没は成立するのである。だから難波に出て、遊び終わってそこを立ち去れば、もうそれは「出没」なのである。だから「今朝、寝坊してね、トイレにも出没できずに家を出てきたよ」なんて言ってもいいのだ。

いやーしかし、間一髪でそれに気づいてよかった。もし、その女を電車の外に放り出していたら、「あの女の日本語が間違っていたから」という言い訳が通用せず、暴力行為の罪に問われていただろう。

【起爆剤になる】

「その景気刺激策が起爆剤となって、日本に好況の波がやってきた」

なんて使い方をしている限り文学に将来はない。Wikipediaによると、起爆薬(起爆剤)とは「少しの刺激を受けただけで爆発する爆薬」で、それがさらに大型の爆薬に点火されるのだ。つまり起爆剤自体が爆薬なのである。だからその辺の危機的なニュアンスを表現しなければならない。

「ひとり生徒のアクビが起爆剤になってクラス全員が居眠りを始めた!」
教師の能力が著しく低下し、生徒も授業に関心をなくしてしまった教育の現場の荒廃を如実に表し、若者たちが担う将来の危機を暗示している。

「ワカメの味噌汁を食べたのが起爆剤になって『サザエさん』を見た!」
もしそれがシジミの味噌汁なら、サザエさんに気がつかず大惨事になるところだったという、紙一重の危機感が充満している。

「郵便局員が書留を持ってきたのが起爆剤になって、私はハンコを押した!」
書留で送ってくるとは重要な手紙に違いない。裁判所からの通達か、サラ金からの督促状か、それとも脅迫状か、といった切迫した脅威が伝わってくる。

【ながよしかつゆき/非国民】katz@mvc.biglobe.ne.jp
恥ずかしい。日本人のくせに鶴が折れない。もう日本人を中止しよう。

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