音喰らう脳髄[26]呪いと命名
── モモヨ ──

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二千年を目の前にした、とある年、某ムックのために、林原めぐみ、宮村優子、三石琴乃という『エヴァンゲリオン』ゆかりの声優達がリリースした関連CD等について、簡単な感想文を書いたことがある。

その中で、かの有名な『エヴァンゲリオン』のテーマソングについて想うところを述べた。内容は、否定的な内容ではなく、むしろ絶賛に近いものだったはずだ。

その時、それを読んだ友人やファンの方からいろいろと意見をいただいたのだが、その中でやたら多かったのが、アニメ主題歌を好きだと公表したり、楽曲として評価したりするのは如何なものか、という内容。つまり私の身を案じたものだった。


忠告の多くは、アニメの主題歌なんて、という言い方をしていたと思うが、正直を言うと当時の私はこの忠告に面喰った。感覚的に理解できるにしても、きちんと考えると、考えるほどに不分明になってしまったのである。いま考えても明晰に意味を把握できない。

アニメの主題歌であるかどうかは、私にはどうでもいいことだった。私自身からしてアニメ関連の仕事もしていたし、映画音楽やサントラだって手がけたことがある。

いうまでもないことだが、××音楽という分類は私の音楽作品の使われ方に注目して為される。音楽の質的な問題、今流行りの言葉で言えば《品格》とは一切関係がない。音楽がどのように享受されるか、どのような媒体によってユーザーの手元に届くか、そういう違いが、こういったタグの特徴であろう。

バレエ音楽とか、映画音楽とか、いうものは、便宜的に確かに存していい。しかし、それによって音楽の貴賎や序列が決定されたり、採用された作品が蔑視されたりすることなど、あってはならぬものだ。

名前の違い、タグやレッテルの違いは、当然ながら、本質そのもの自体とは無縁である。音楽の差異ではない。

太陽にしても、お日さま、Sunとも言うし、その指し示すところは同じである。太陽が正しく、Sunと呼ぶのは間違い、なんてことはどう考えても異常な話だろうが、私からすれば、アニメ音楽云々という差別も似たようなものに見えたし、今もそう想うのだ。

名前の違いということで思い出したのだが、いつだったろう、名づけることこそ咒、呪いそものである、そういった民俗学者の論文を読んだことがある。単なるタグ、分類の名目が人々にその内容の貴賎すら判断させてしまうという現象には、さらに大きな問題を連想させるところがある。

私は神の名前、分類などについて思いをめぐらせる。同じ砂漠で神を幻視した預言者達が、仮に名づけた神がいる。当然、その名前、呼称は違っている。

預言者達は、それぞれに、《方便》をつくして神への道を示した。方便という語には、まさに《その真、当体こそを重視せよ》という示唆が含まれている。預言者は、それぞれの言語で名づけ、秘儀、真理を記録した。時代、文明、国家が異なれば、当然、その表記や呼称は変わってくる。

そうした違いはあっても、預言者達が命がけで示した者は、おしなべて、幸福へと通ずる道であったはずだ。そうした願いと裏腹に、彼等の方便の違い、神の名前の差異、便宜的な言葉の違いが、何百年もの間、砂漠の民を戦闘へと駆ってきた事実が眼前にある。

そんな人類の殺伐とした過去と因果の結果である現在を想うと、タグでしかない便宜的な名称とはいえ、そこに魔が潜んでいるのは確実なように思える。名づけることは呪術そのものであるという論の、悲しくも恥ずかしい実例といえよう。民俗学者の通説といえども、机上の空論として投げ捨てておくわけにはいかないようだ。

Momoyo The LIZARD
管原保雄
< http://www.babylonic.com/
>


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