音喰らう脳髄[29]理不尽な凶弾
── モモヨ ──

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前回はつい国際的な政治状況に言及してしまったが、環境の問題は、まさに地球規模の話で、いわゆる大国と呼ばれる国がどの道を選択するか、それによってしか解決し得ない問題であることは言うまでもない。

足もとからエコロジーをみなおそう、そんな御馴染みのキャンペーンは、大国とやらのグローバル企業に利用されるばかりで、連中の企業戦略とやらの用語で言うなら、あらたに開拓する余地のあるマーケットということになろう。

つまりは、私達がエコを意識すればするほど連中にとって旨味のあるエサと化していく理屈だ。そう考えると、かっこうのカモにされているようなもので、どうも面白くない。


国内に眼を転じれば、企業だけでなく、エコは、あちこちの地方自治体で、インチキな行政の免罪符にすら使われている観がある。ここ十年くらいの間、国会議員、地方自治体議員でエコを選挙公約にかかげて立候補し当選した議員の数は相当数にのぼるはずだ。その結果はどうか? というとはなはだ疑問である。企業には消費者としてカモにされ、一方で有権者としてカモにされる。いうならば踏んだり蹴ったりだ。どう考えても面白くない。

しかしながら、同じカモ仲間であっても、いわゆる大国在住のカモに比べて私たちは恵まれてもいるような気もする。おなじカモ仲間でありながら、私たちの場合、理不尽な強制力が及ばない場所で生活してきたように思う。例えば、米国在住のカモの場合、徴兵制というシロモノがある。

徴兵制という言葉だけでは、なかなか実感がわかないだろうが、いずれ不幸の原因となることは間違いない。

先日、離婚した元妻に復縁を申し入れた男が短銃を手に暴れだし、その交渉相手たる元妻を人質に閉じこもったあげく、110番通報に駆けつけた警官に銃口をむけ、ついにはSAT隊員を射殺した事件があったが、例えば、イラク戦争で憤死した兵士の無念さ、無惨さ、遺族のやるせなさは、憤死した警官の遺族のそれに似ていよう。

夫婦喧嘩は犬も喰わないというけれど、元妻との復縁をめぐる、犬も喰わないような痴話喧嘩の果てである。犯人家族からの通報で駆けつけたところ、銃口をむけられたのだから尋常ではない。理不尽である。不条理である。

イラク国内に送られた兵士の境遇はまさにそれ。自国政治家、指導者に対する不信感を抱きながらも、徴兵された兵士の心理としては、自らが命をかけて危険な場所で活動するのだから、ある種の使命感を信ずるしかない。自分が正しいことをしているという自信を無理やりにでも抱かねばならない。

その点では、治安維持に命をかける警官に似た信条を無理やりにでも抱くしかない。そして実際、不条理の果てに憤死していく者達がいる。徴兵制という言葉の向こうには、こうした光景がある。これをよく見なければならない。

最近、憲法改正論議が喧しいが、そうした状況もあって、第九条の改変だの集団的自衛権だのという話が単なるお題目として無意味な言葉として世の中の表層を漂いつつあるが、こうした言葉の先には徴兵という悪夢が待ちうけている。

政権与党の除名議員問題よろしく、国民を煙に捲きつつ恣意的にシフトしていく、同じ遣り方で自国民を悪夢に追い込むかもしれない。それが目に見えているだけに現今の政治状況の元で憲法改変を論議するのは不安である。

この悪夢が私の杞憂にすぎなければ幸いだ。先だって、環境汚染を自国民に対するテロと表現した同じ物言いで表現するなら、こうした悪夢的状況に国民を囲い込もうとする力もまたテロであろう。

いずれにしても、である。エコがどうのこうのという問題ももちろん重要だが、近い将来、選択を迫られるだろう岐路に対して、より厳しい態度でのぞむことである。

消費者、有権者としてカモにされるのは、まだいい。カモにだってクチバシがあり足先には爪がある。その気になれば闘うことができよう。そして、つねに勝負は水物、猛禽類が勝つとは限らない。

しかし、飼いならされ、家畜化されるのはゴメンだ。カモに家がつくと家鴨になる。どんなことがあっても家鴨にだけは絶対になるまい、なんてことを真剣に考える今日この頃であった。

※5月27日(日)渋谷LaMamaでライブがあります。カモ仲間の皆様、渋谷にお立ちよりの方、お暇な方、ぜひ遊びに来てください。一緒にクチバシを鋭くし爪をみがきましょう。

Momoyo The LIZARD
管原保雄
< http://www.babylonic.com/
>

photo
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リザード
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by G-Tools , 2007/05/22