[2232] 豚の嘆き・狼の戸惑い

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<準備三割、努力三割、運四割……ってホント?>

■映画と夜と音楽と…[339]
 豚の嘆き・狼の戸惑い
 十河 進

■うちゅうじん通信[2]
 秘伝、瞑想と読書と技法とコンセプト作り。
 高橋里季

■デジクリトーク
 ぶぅから見た我が家
 なりた麻美

■イベント案内
 「クリエイターの夢 実現に向けて」


■映画と夜と音楽と…[339]
豚の嘆き・狼の戸惑い

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20070629140400.html
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●豚はおとなしく食べられるだけの動物か

豚は可哀想だと思う。その名前を呼ばれるだけで罵りになるのは「豚」と「犬」くらいだろう。ただし、犬には「走狗」などというカッコイイ(?)表現もあるが、豚はあくまで「豚」という言葉しかない。他には、せいぜい「豚児」くらいか。「犬」と言われるより「豚」と罵られる方が精神的には辛い。「犬」と呼ばれることにはまだ救いがあるが、「豚」は存在自体を否定されるところがある。そういえばウォーレン・マーフィーが「豚は太るか死ぬしかない」というミステリを書いている。

僕は若い頃は「痩せたソクラテス」だった。今では「太った豚」になってしまった。慚愧の念に耐えない。六十年安保の挫折の後、若き石原慎太郎は「狼生きろ豚は死ね」という戯曲を書いた。今でも現都知事は本気でそう思っているに違いない。彼にとって安保闘争を闘い敗北した大衆の象徴が「豚」なのだろう。「豚」は能なしの弱者なのだ。群れることしかできない。

阪本順二監督の「KT」(2002年)の中で、主人公の元自衛官(佐藤浩市)が「狼生きろ豚は死ね、だ」と言うセリフがあるが、これは角川映画「白昼の死角」(1979年)のキャッチコピーに使われて有名になったようだ。角川映画は「野性の証明」(1978年)では、「タフでなければ生きられない」という誤ったフィリップ・マーロウのセリフをキャッチコピーに使い有名にした。

さて、豚に対するこの偏見は何なのだろう。ベジタリアンを別にして、豚を食べたことがない人はいないと思う。最近では牛肉コロッケと称していても、豚肉が混ぜられているらしい。吉野屋も牛丼が出せなくなったときに豚に救いを求めた。豚は人類の役に立っているのに、どうしてこんなに貶められなければならないのか。

それは、豚がおとなしく食われるだけの存在に思えるからだろう。無抵抗で、文字通りブタのように(?)残飯を食らい、人間に食われるためだけに肥え太る…、その情けないイメージが豚を覆っている。喜劇的であり、軽蔑される存在になっている。同じように人間に食われるための存在である牛は広い牧場で草を食み、ゆっくりと生きているイメージがある。賢者の趣もある。豚のように蔑まれることはない。

しかし、豚は凶暴な動物なのだ。僕は身をもって知った。けっして無抵抗な動物ではない。攻撃的で、旺盛な食欲は人間さえ食べてしまう。まだ小学生になる前のことだが、僕は豚に追いかけられ、逃げ回ったことがある。母親は後々までそのことを言って笑い、僕を傷つけた。豚に追い回されて泣き出したことは、笑い話にしかならない。

それは小学校の運動場で開催された「農場体験」だった。小学生になったばかりの兄と僕を連れて母は参加した。豚がいたのは強烈に覚えている。「ホラホラ、さわってごらん」などと母親が言ったに違いない。僕はおそるおそる手を伸ばした。子豚だった。絵本で見るほど鼻はペシャンコではなく、猪まではいかないがけっこう尖って見えた。

子豚はおそるおそる伸びてくる僕の手が気に入らなかったのだろうか。いきなり、鼻で手をはねのけた。「ブヒブヒ」と啼きながら追ってくる。僕は逃げた。必死で逃げた。豚は速かった。ホントに速かった。泣きながら僕は校庭を逃げ回った。

それ以来、仇のように豚を食ってきた。トンカツ、ポークソテー、ポークシチュー、ポークカレー、チャーシュー、酢豚、豚汁…ありとあらゆる豚料理を食べ続けてきた。一度だけだが、豚足まで食べたことがある。あげく、己が豚のように太ってしまった。

●豚だからヤクザが奪い合うバカバカしさが出せる

食うだけの能なし。豚はそのように思われている。「食って寝てばかりじゃ豚になるよ」と人は言う。だが、雑食性の豚は人も食う。比喩ではない。ホントに人を食べるのだ。人食いレクター博士が活躍する「ハンニバル」(2000年)では、レクターの宿敵は豚に食われて死んでしまう。これほど情けない死に方があるだろうか。もう少しましな死に方があると思うのだが、レクターの宿敵の富豪は「当然の報い」として豚に食われるのである。

豚に食われる話は、サキの短編が有名だ。僕はオリジナルを読んだことがないのだが、サキの短編をマンガにしたものをずいぶん昔に読み、「ああ、『豚と軍艦』はこれはだな」と思った。ストーリーはよく覚えていないが、最後の場面で豚肉を食べている男が何か固いものがあったので口から取り出すと人間の金歯だったというオチである。

この話を取り込んだのが今村昌平監督の初期作品「豚と軍艦」(1961年)だ。横須賀を縄張りにしている暴力団が米軍基地から残飯を払い下げてもらって養豚業を始める。それを任されたのがチンピラのキン太(長門裕之)である。暴力団のシノギとしてはカッコ悪いが、これで恋人のハルコ(吉村実子)と一緒になれるとキン太は張り切る。

組に因縁をつけてきた流れ者を殺してしまうエピソードがある。その後、組員たちが豚を食うシーンがあり、ひとりが固いものを噛み、あわてて取り出すと人間の金歯だ。「何でぇ、こりゃ」と言うと加藤武演じるヤクザが「めんどくせぇから細切れにして豚に食わしちまった」と言う。組員たちは、あわててゲェーゲェーと吐き出そうとするが、ひとり加藤武だけが悠然と食い続ける。

もうひとつの笑えるエピソードは兄貴分のヤクザ(丹波哲郎)が血を吐き、自分がガンだと思い込んだことから始まる。彼は「どうせ死ぬのなら…」と知り合いの殺し屋に自分を殺すように依頼する。しかし、その後、単なる胃潰瘍だとわかり、その殺し屋から逃げ回るはめになる。

「豚と軍艦」のクライマックスでは、横須賀の歓楽街(ドブ板通り)を豚の大群が走り回る。豚の利益をめぐってヤクザたちの抗争が始まり、トラックの荷台から豚が解き放たれるからだ。キン太は「大事に育てた豚を奪われてたまるか」と機関銃を撃ち続ける。ヤクザたちは豚に追い回され、踏みつぶされる。キン太も死んでしまう。

ここでは、ヤクザが利権争いをする対象が豚だということで喜劇になる。だから、豚以外のものには置き換え不可なのだ。その馬鹿にされる豚によってヤクザ組織が壊滅する。ヤクザが狼だとすれば、その狼たちはただ走り回るだけの豚の大群に悲鳴をあげて逃げまどうだけなのだ。狼を気取ったって、物言わぬ(ブヒブヒと無意味に啼き続けはするが)豚の大群にやられてしまう。

●豚はみじめにぶざまに生き残るのだろうか

「豚と軍艦」が公開された三年後、新鋭監督として注目されていた深作欣二が「狼と豚と人間」(1964年)を作る。ドヤ街に生まれた三兄弟を三國連太郎、高倉健、北大路欣也が演じた。当時、暴力描写の凄まじさが評判になった映画で、笑える「豚と軍艦」とは対照的だろう。何しろ、一匹狼のヤクザになる次男(高倉健)は、愚連隊になった三男(北大路欣也)の仲間の手を万力に挟んで潰すのだ。

次男が「狼」で三男が「人間」だとすると、当然、「豚」は長男の三國連太郎ということになる。長男は、母親の金を奪って家出して暴力団に入り、組織の一員として飼われている。ひとりで生きている次男(狼)にもなれず、人間らしい暮らしを求めて抵抗する三男(人間)にもなれない。だが、最後までぶざまに生き残るのは長男(豚)である。

豚がカッコよく登場したのは、宮崎駿監督の「紅の豚」(1992年)だった。「刑事コジャック」こと森山周一郎の声を得て、「紅の豚」は思いっきりハードボイルド・ヒーローの雰囲気を醸し出した。豚のくせに群れず、スタンドアローンで生きている。飛行機の腕は超一流だ。「一匹狼の豚」という形容矛盾を生むヒーローである。

だが、豚をカッコよく表現したのではなく、従来からのカッコいいヒーロー像をそのまま再現し、キャラクターを豚にしたただけなのだ。その証拠に主人公自身が「飛べねぇ豚は…ただの豚だ」と断言する。そのセリフはテレビスポットで繰り返し流され、人々の脳裏に刷り込まれた。

当時、八歳だった僕の娘はご多分にもれず宮崎アニメのファンだった。僕はまだ三十代で、一週間の勤めの疲れで週末はいぎたなくグズグズと寝ていることが多かった。ある朝、遅くまで寝ていた僕の部屋にやってきた娘は、「飛べねぇ豚は、ただの豚だ」と言いながら蹴りをいれ僕の布団をはいだ。少し傷つきましたねぇ、僕は…。

「紅の豚」は豚が持つイメージを変えようとしたのではなく、「ただの豚」は否定しているのである。豚の対極に存在するものとしてよく使われる狼のイメージを借りれば、「紅の豚」は「豚の顔をしたひとり狼」なのである。誇りを持ち、誰にも頼らぬ生き方をし、実力も能力もある「豚」なのだ。だから、美しい歌姫にも惚れられ、若きエンジニアの娘にも愛される。

豚を正当に扱った映画としては「豚の報い」(1997年)を思い出す。流行りの言い方をすれば、脱力系の不思議な映画だった。芥川賞受賞作を映画化した崔洋一監督は、不思議な余裕とユーモアを漂わせながら、ゆったりとした映像の流れを創り出す。特別な登場人物はいない。フツーの人たちがフツーに話し、盛り上がりのない物語が悠々と進んでいく。

キーワードは「豚がもたらす厄」である。豚は穢れる存在なのである。だが、その映画に豚を貶める気配はない。最初に豚がスナックに迷い込んでくるシーンは、何だか「豚と軍艦」を思い出す。まるで「豚と軍艦」からスピンオフした物語のようだ。しかし、豚には何の隠喩も感じない。豚は豚として存在しているだけだ。その映画の中の人々がフツーの人として存在しているのと同じように…

豚に勝手なイメージを付与するのは人間だ。同じように狼にだって勝手なイメージを持っている。それによって、豚や狼が迷惑しているとは思わないけれど、もしかしたら豚は嘆き、狼は戸惑っているかもしれない。とはいっても、僕だって「太った豚」と呼ばれるよりは「ひとり狼」と呼ばれたい。「ただの豚」よりは「飛べる豚」になりたいと思う。

しかし、「狼生きろ豚は死ね」と本気で言う輩を信用してはいけない。誰だって、ぶざまに、みっともなく、豚のように生きる権利はある。豚であることを恥じる必要はない。豚だって日々を懸命に生きているのだ。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
テレビの歴史の本を調べて書いたのだけれど、前回の文章の中で「柔道一直線」の開始時期が違っているのでは…と指摘されました。確かに「てなもんや三度笠」よりはずっと後にスタートしたなあ、と今更ながら思う。資料は複数にあたらないとダメですね。

●第1回から305回めまでのコラムをすべてまとめた二巻本
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■うちゅうじん通信[2]
秘伝、瞑想と読書と技法とコンセプト作り。

高橋里季
< https://bn.dgcr.com/archives/20070629140300.html
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「誰のせいでもないからこその絶望と、だからこその希求。奇跡的に人間というシステムを含んだ宇宙……」というのが、この頃、私の絵のコンセプトです。

実は、女性美や、お洒落や流行を描くことは、私には少しプレッシャーだったりします。これからも、ずっと、このプレッシャーを大切にするつもり。女性美を描くことは、自分で選んだのか、女に生まれたりしたことも含めて宿命?

「お洒落や流行なんて!」地球には、そんなこととは関係なく生きている人、死んで行く人が、たくさん居るのに。と思います。

こういうことを乗り越えていくために、私の工夫したやり方を書いてみます。私もそろそろ人生のなかばですので、たまには、正直なことを書いておけば、たとえそれが若気の至りであったとしても、あとで比べることができて読み物としては面白いかも。いっぱい書いて、そしたら、十河さんみたいに本にするんだわ!

▼イラストレーター高橋里季という名の、宇宙人の志が大きいっていうのも、どうかと、、、志というより野望か?!(柴田)

偉い人の話は役に立つけど、具体的なことは真似できないことも多いし。でも、高橋里季の話は、真似して酷い目に合う可能性もあるので気をつけてね。
……助け起こしてやるのが友情、一緒に転んでやるのが愛……ってホント?

瞑想のやり方は、オリジナルで、ものすごい不思議で、自信があるんだけど、その前に読書のやり方を。この読書が、瞑想の準備になります。
……準備三割、努力三割、運四割……ってホント?

まず、知りたいことを中心に、何冊か本を選びます。いま読んでいる本は教えたくないな〜。コンセプトの資料だし。たとえば一昨年あたりは、「この頃、よく雑誌とかに載ってる、ロハスって何かな?」って思ったら、自分で勝手にアタリをつけます。社会学とか自然志向に関係あるらしいとか。

で、年代的に、こういうことを考えている人たちって、レヴィ・ストロースとか好きかも? で、そういう本を何冊か。考え方がかたよらないように、自然志向に対立的な考え方とか、一緒に読みます。つまり、ロハスっていう言葉がどういう感じでメディアに使われているかに興味がある訳ではなくて、なんていうのか、、、。

一緒に読むというのは、一冊ずつ読まないで、何冊かの目次の関連事項をバラバラに読んでいきます。流行っていても、同じ著作者の新刊を何巻も揃えたりは、、、我慢。読みたい本は他にもいっぱいあるし。メルロ・ポンティとか面白いんだけど、でも、思想の研究する訳じゃなし、ハマっちゃいそうだし原語で読む力はないし、三冊目を読んじゃダメだ。と我慢。

読んだページの端を折ってゆく。全ページ折ったら読了。大切だと思うところには線が引いてあるので、すぐに捜せる。なんだかね、ページの折り方の微妙な形で覚えてるみたいなの。私は。こういう読み方だから本の貸し借りは、できません。

バラバラに読んでるので、本の題名は覚えないし、訳者の世代の文体にもあんまり影響されないし、誰がなんて言ってたかも、混ざってるんですが、不思議と、興味のある事がらについては、「あ、有機体観」っていうのは、この本のここと、こっちの本のここに、ちがう視点で載ってるの、、、って、本棚からポンと取り出すことができるの。あっちを読んだり、こっちに戻ったりしている間に、だいたい一冊につき三回くらい読みかえしていると思うけど、全体的には、短時間で済みます。

絵の技法についても勉強の仕方は似ていて、補色同士をとなり合わせに使って80年代ファッションを描きたいな〜と思ったら、ハレーションを防ぐ方法ばかりを見てみると、黒い線を入れるピカソだとか、気がつかないほどの細いグレーの線だったり、急激な二色のグラデーションがタッチで入っていたりと、いろんな作家のそういうハレーションを防ぐ技法ばっかり見ている。やってみる。ので、作家の名前とかは、よく知らないままです。

それでね、この感じを覚えると、別に読書じゃなくても大丈夫だと思うの。メイクのプロになる訳じゃないんだけど、とにかく上記のような関わり方で、メイクを勉強してみるとか、育児のプロになる訳じゃないけど、子育てをしてみるとか、お洒落でもいいし、スポーツでも、続けて積み重ねて行けるような、やり方を工夫するの。恋をして、脳内麻薬が二年で切れて、ときめかなくなっても、同じ相手と友だちとして付き合い続けて、また疲れが取れたら同じ相手に恋をする、ひとりの人と長くしっかり関わっていくとかでも良いかも。

これは、目的ではなくて、準備なので、使って良いエネルギー(時間とか)は目的達成までのプロセスの三割くらいで。楽しむというよりは手際良く続ける感じです。次回、不思議な事がいっぱい! の瞑想の具体的な方法につづく。

【たかはし・りき】イラストレーター。< riki@tc4.so-net.ne.jp >

今日は、国立新美術館へ、イラストの先生の展示を見に行く予定。
「TOKYO illustration 2007」
< http://www.tis-ex.com/
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高橋里季のホームページ
< http://www007.upp.so-net.ne.jp/RIKI/
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■デジクリトーク
ぶぅから見た我が家

なりた麻美
< https://bn.dgcr.com/archives/20070629140200.html
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我が家には、昨年夏に生まれた幼猫がいる。シャム猫MIXなので、白地にシャム猫色のぶち、こげ茶の長いしっぽ、青い目をしたちょっと不思議な猫だ。

その色味が綿花に似ていたので、わたぼうという名前をつけたが、今ではその名で呼ばれることはほとんどなく、もっぱら、「ぶぅ」または、「ぶぅちゃん」と呼ばれている。

わたぼう>わたぶぅ>ぶぅ……そう変化していったという説もあるが、なによりぶぅは、「ぶぅぶぅ」鼻を鳴らすねこだったのだ。「ぶたさんぢゃないんだから、ぶぅぶぅ言うのはやめなさい。」っと注意をしてみたが、まるで聞いていなかった。

ところで、話は変わるが、だんなは、なぜか猫に好かれるタイブの人間だ。ごたぶんにもれず、ぶぅもだんなが大好きである。しかしながら、貰ってきた当初はどちらかと言えばわたしになついていた。やはり、仔猫は女の人の方が安心するんだなぁっと思ったものだ。

●貰ってきた当初のぶぅから見た我が家
1番………私(おかあさん)
2番………だんな(おとうさん)
3番………ぶぅ

と、思っているのもつかの間、いつの間にか、日中会社に行っている私よりも、大好きなボール遊びをしてくれる(犬みたい)だんなの方にキモチが傾いてしまった。

だんなが外から帰ってくると「お帰り〜」っとかわいい声で鳴くのに対し、私が帰ってもまるでムシっといった状況。それどころか、私に対しては、明らかに好意的とは思えない「ニャッ、ニャッ」という短い鳴き声を上げて、パンチパンチしたりするのだ(まあ、痛くも怖くもないけどね)。

だんなの腹の上で、お気に入りのボール乗せて遊んでいるぶぅの姿を見ていると、どうやら、だんなのことを親だと思っているらしい。「ねこは父親は関係ないから母親なんじゃないか?」とだんなは言う。それは、もっともな話かもしれないが……。

●ぶぅから見た我が家(その後)
1番………だんな(おかあさん)
2番………私(???)
3番………ぶぅ

そんなある日、聞きなれない声でぶぅが鳴いている。「ムシが入ってきたんだよ。」とだんなが言った。見ると、ぶぅは、届きもしない天井のハエに夢中になっていて、しきりに「おれにまかせろ!」と言っている。そして、例の「ニャッ、ニャッ」と言う短い鳴き声……。

●ぶぅから見た我が家(その後)
1番………だんな(おかあさん)
2番………ぶぅ
3番………私(ハエ)

私は、ぶぅが、そのマッシュルームみたいに小さくてつるつるの脳みそで、何を思っているか垣間見た気がして、少々切なくなったのである。

【なりた・まみ】< http://ART.NYAR.NET/
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神奈川県出身、桑沢デザイン研究所卒。
現在、SEの仕事の傍らDegital Painterとしての活動を行っている。
ディジタル・イメージ会員。アジアグラフィック会員。

《主な作業環境》
iMAC G5,WACOM Intuos2
MAC OS X (Ver10.3)
Corel Painter9.5、Adobe PhotoshopCS, Adobe Illustrator CS

《展示会情報》
下記の展示会に参加しています。
2007/06/20〜2007/07/02 海辺のロハス展
2007/07/18〜2007/07/30 『涼風』展〜uchiwa〜

場所:アートラッシュ
時間:11:30〜20:00 月曜日17:00まで/火曜日定休
住所:東京都渋谷区恵比寿西2-14-10 トゥワォン代官山103
TEL.03-3770-6786
関連URL < http://www.artsrush.jp/
>
アートラッシュは、代官山にあるアーティストショップです。私は絵を出展していますが、一点ものの雑貨が色々あります。お近くにお越しの際は、是非お立ちよりください。

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■イベント案内
「クリエイターの夢 実現に向けて」
< https://bn.dgcr.com/archives/20070629140100.html
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日時:7月13日(金)18:00〜20:30
会場:扇町インキュベーションプラザ メビック扇町(大阪市北区南扇町6-28 水道局扇町庁舎2階)< http://www.mebic.com/access/
>
入場料:4,000円(交流会費2,000円含む)
内容:ゲーム・アニメ等、デジタルエンターテインメントのクリエイターが進めているプロジェクト事例や経緯、裏話などを対談形式で紹介。制作中の手塚治虫アニメ「ブッダ」、音楽をテーマにしたオンラインゲーム「クロスロード(仮)」、バーチャルライブ合成システム「なれるんです・あなたも主役(仮)」などを紹介。

スピーカー:
吉川惣司/東京都出身のアニメ監督、脚本家、演出家、アニメーター、舞台演出家。鉄腕アトム・あしたのジョー・天才バカボン・ルパン三世・ベルサイユのばら・太陽の牙ダグラム・装甲騎兵ボトムズ・沈黙の艦隊ほか。
< http://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=12829727
>

川口孝司/アニメプロデューサー、ゲームプロデューサー。ポケットモンスターイベント立案・実行。映画の巻頭に流れるCMのプロデュースなど。
< http://www.nintendo.co.jp/nom/0007/kawaguti/
>
< http://www.jmdb.ne.jp/person/p0562580.htm
>

お申し込み・問い合わせ:デジタルクリエイターズ 山本修までメールにて。
< mailto:osamuchi@ca3.so-net.ne.jp >
※名前(漢字・ふりがな)・住所・連絡先TEL・E-mailアドレス・勤務先を明記の上、お送りください。締切7月10日(火)。定員に達し次第締切。

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■応募受付中のプレゼント
「デジカメでトイカメ!! キッチュレンズ工房 〜ピンホールに蛇腹、魚眼でレトロでアナログなデジタル写真を撮ろう!〜」
7月6日(金)14時締切です。
< https://bn.dgcr.com/archives/20070628140100.html
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■編集後記(6/29)

映画が目にしみる・小林信彦「映画が目にしみる」(文藝春秋、2006)を読む。2002年8月から2006年9月までに中日新聞に発表されたコラムに書き下ろしを2篇加えて、ちょうど100本のコラムを収めたものだという。四六変型判並製カバーで、312ページとやや厚い。三段組みの貧相な本文レイアウトで、タイトル処理も芸がない。お手軽なビデオレビューみたいな体裁で、安っぽいったらない。そのくせ、本体1805円とすごく高い。前書きもなければ、あとがきもない。索引もない。新聞連載を並べただけの安易な作りだ。天下の「見巧者」の文章を、こんないいかげんな本に仕上げていいのか。見かけはサイテーだが、もちろん内容は面白い。試写会は行かないで、必ず金を払って劇場で映画を見る人だから、作品の批評は信頼がおけると感じている。映画に強くないわたしだから、100本コラムの三分の一はよくわからない。気がついたのは、小林信彦は女優とくに若い娘をよく観察している。テレビ局のセットの片隅にいる彼女を少し見ていれば、その人のセンスはわかると言い切っている。最高のおすすめは長澤まさみ、堀北真希らしい。ほかに大塚寧々、相武紗季、土屋アンナ、深田恭子、須藤理彩、中島美嘉、篠原涼子、米倉涼子などが名を連ねる。だが、わたしは彼女らを見分けることができない(泣)。そして、重ねて言うが、さいきんの書籍はものすごく高い。一昔前だったら、せいぜいいまの定価の半額だろうと感じる。買えるわけがない。図書館の存在に気がついてよかった。(柴田)

全国百線鉄道の旅 SLやまぐち号と山口線・リゾート特急で行く伊勢志摩・SLやまぐち号。うちの母親が駅でチラシを見つけて、きかんしゃトーマス好きの甥らのために検討している。甥らが大人しく観光するとは思えないから、行って帰ってくるだけになるのはもったいなくない? 津和野にある現役の転車台(トーマスでしょっちゅう出てくる)は見せてあげたいよねぇ。どうせすぐに寝てしまうし、乗るより走っているところを見るほうがいいと思うよ。大正風と昭和風の客車のクッションだと乗り心地悪そう。明治風のは豪華ねぇ。二時間も乗るなら明治風か欧風が良さそう。などと話しつつ検索してたら公式ページが。何気なく「SLムービー集」をクリックしたら、臨場感のある動画が見られて、全然興味なかったのに私まで行きたくなってきてしまう。しかし観光できないのに行くのはなぁ……。もっと近場でSLが走るところはないのかと調べたら、SL北びわこ号があった。米原から木ノ本までの約50分の旅。これなら気楽に行けるんじゃないかと調べるが、運行予定や詳細はJRサイトに見当たらず。(hammer.mule)
< http://www.c571.jp/
>  SLやまぐち公式
< https://www.jr-odekake.net/train/sl-yamaguchi/accommo.html
>  客車
< http://www.c571.jp/movie/index.html
>  音声大きめでの再生推奨
< https://www.jr-odekake.net/train/sl-kitabiwako/
>  SL北びわこ
< http://blog.goo.ne.jp/spro_leader/d/20070618
>  同じこと考える人が