笑わない魚[229]焼肉屋での一件
── 永吉克之 ──

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これは、昨年体験した不快な出来事にもとづいている。しかし体験をした直後にその体験談を書いたら、ただの鬱憤ばらしになりかねないので、一年間寝かせて、腹の虫も少し収まったところで、今回、公正な立場から書いてみようと思ったのである。

場所は、大阪の焼き肉屋だった。大阪以外にもチェーン展開をしている有名店なので、店名を聞いたら、あそこね、とすぐ思い出せる人も多いだろう。その店に昨年の夏頃、あまり若くはない男女あわせて六人で入ったのであった。


●われわれの言い分

どう考えても、あの若い女子店員の態度は無礼だったとしか思えない。

いつも客の入りの多い店だが、とりわけ混み合う金曜の七時頃だったから、店員から、二時間以内なっておりますので、と無表情でそっけなく言われても、まあ仕方がないかと納得して、テーブルが空くまでしばらく待ってから、われわれは入店した。

二時間しかないから、網のうえで生ビールが焼ける匂いを楽しみながら、ロースやカルビを一気に飲み干し、その後に焼酎のお湯割りをかじりながら、生レバーをちびちび飲んで、次の総裁は安倍くんだろうね、毛並みが違うよ、なんて時事放談を心ゆくまで楽しもうという野望は捨てて臨んだのであった。

ところで、テーブル上に、まだ焼いていない肉が載ったプレートがあり、空いていないビールのジョッキがあるにもかかわらず、時間が来たからといって、店員がそれらを「お下げしてもよろしいでしょうか」とも断らず、さっさと片付けたら、客はどんな気持がするだろうか。

まあ、それだけなら他の店でもあることだろう。しかし食べている最中に、手にしている箸まで抜き取るなどという行為は生まれて初めて見た。信じられないかもしれないが、そんな血も凍るような惨劇が実際に起こったのだ。その被害者は私ではなく同席していた女性だったが、他人であっても正義は全うされなければならない。

私は「おい貴様、それが客に対する態度か、店長を呼べ、店長を!」とその女子店員に向かって、心の中で叫んでやった。

●女子店員の言い分

この女子店員の立場になって、その言い分を推測してみたい。私は、焼き肉屋の女子店員になった経験はないわけだが、経験がないから相手の立場が理解できないというのは、大人の言うセリフではない。Gacktは、戦国武将として越後を治めた経験はないはずだが、大河ドラマで上杉謙信を演じている。

《広井あや・仮名23歳》

あの、お客様面していつまでも席を立とうとしない図々しい客たちを見ながら、あたしは思い出していたのさ。みかじめ料を払うことを断り続ける商売人に、地元のヤクザが、飼っているチンピラを毎日店に送り込んで、客が来られないようにしてしまう手口をね。

高校生のときだった。父親が課長までいったのに会社を辞めて、退職金つぎ込んだうえに借金までして、小さい店だけど長年の夢だった焼肉屋を開いたんだ。瀬戸内のきれいな海がよく見える町にね。あたしも学校が休みのときは店を手伝った。そしたらある日、あいつらの一人が店にやってきやがった。

始めは普通の客のように振舞って、旨いねこの店、いい肉使ってるよ、なんて言っといて、帰り際、勘定をするときに、そっと店員の耳元で、このあたりで商売をするときの「しきたり」を囁くんだ。

父親はバカがつくほど正直な性格だったから、そんな筋の通らないお金は出せません、と断った。そんなことが何度かあって、ある日から、連中がやって来るようになったんだ。四、五人でね。

何時間も居座って、その間、大声で喚く、食べもしないのに次々と注文する。そして、こんな堅い肉が喰えるかと言って、あたり構わず吐き散らす。でも絶対に暴力は振るわないんだよ。行儀の悪い客というだけでは警察も手錠をはめるわけにはいかないからね。連中も賢いよ。

たまりかねた父親が、お代はけっこうですから、今日のところはお引き取りくださいと言うと、そうかい、そいつぁ悪いな、と言って帰って行く。でも、それが毎日だよ、毎日。これじゃ、いちばん稼がせてくれるはずの地元の固定客をつかむ前に開店休業になるのは当たり前さ。

結局、店をたたんだ父親は、しょぼい時給で町工場でアルバイトを始めた。それであたしも、高校を中退して働かなきゃならなくなったけど、父親を責める気持はぜんぜんなかったよ。連中の言いなりにカネを払うよりは、はるかにましさ。よくやったと思うよ。

あたしは仕事を探しに大阪に出てきて、また焼肉屋で働いてる。もう六年になるよ。この仕事が向いてるなんてちっとも思わないけど、なにかの因縁だろうか。ひょっとしたら、父親が満足にできなかったことを代りに自分がやろうとしてるのかもしれないね。

●女子店員との対話

上の発言には私も驚いた。私たちが、広井あやなる女子店員のそんな過去の記憶を呼び起こしていたとは全く気がつかなかったのだ。そして彼女に対する見方が根本的に変ってしまった。いやそれどころか、守ってやりたい、そばにいて支えてやりたいとまで思うようになった。

私は、彼女と会ってゆっくり話がしたくなり、一年ぶりにその焼肉屋に行った。開店前だった。入ると彼女はテーブルを拭いていて私に気がつかないので、近寄ってそっと話しかけた。

永吉「その節はどうも。あのとき私たちがもう少し店員さんの気持を慮ることができれば、あなたもあんな態度はとらなかったんじゃないかと思うんです」

広井「びっくりした。どちらさんですか?」

永吉「私ですよ。ほら去年、あそこの席に座っていた六人グループのひとりの。その中に、あなたに箸を取りあげられた女性がいたでしょ」

広井「去年? そんなん憶えてませんわ」

永吉「あんな言い分まで聞かせておいて憶えてないはないでしょう。私はあなたの言葉を聞いて、あなたのことを理解し始めているところです。食べている客の箸を取りあげたときの気持も、今では解ります」

広井「なんの話? それにお客て言われても、いっぱい来るから、いちいち…」

永吉「あなたすれば、大勢いる名もない客のひとりにしたことかもしれませんが、客にしてみれば、広井さん、あなたという具体的な人物にされたことなんです。そう簡単には忘れられませんよ」

広井「広井さんて誰? 人違いしてますよ」

永吉「いいえ、あなたは広井あやさんです。これからは私があなたを守ります」

広井「店長! 店長!」

【ながよしかつゆき/枢機卿】katz@mvc.biglobe.ne.jp
座骨神経痛に罹って、ひと月以上になる。今ではなんとか普通に歩けるようになったが、ひどい時には左の腰から左脚全体にかけて疼痛があり、鎮痛薬も効かず、部屋にこもって寝て暮らす日が続いた。うつ伏せになると痛いから新聞を読むのも一苦労。寝てばかりいるから脳の働きも低下して、読んでも憶えられない。それを考えると、三年間も寝たきりで多くの歌を詠んだ正岡子規の歌にかける執念たるや凄まじいというほかない。

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