[2258] 躯が汚れるなんて嘘っぱちだ

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<とかく恥の多いオタクの人生>

■映画と夜と音楽と…[342]
 躯が汚れるなんて嘘っぱちだ
 十河 進

■Otaku ワールドへようこそ![56]
 私はテレビ映えするカメコなのか
 GrowHair


■映画と夜と音楽と…[342]
躯が汚れるなんて嘘っぱちだ

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20070824140200.html
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●満州の果てで娼婦が放った誘いの言葉

──兵隊さん、あたしんとこさ遊びにおいでよ。
  うんと、かわいがってやっからさ。

昭和初期の左翼一斉取り締まり事件に始まり、満州事変、上海事変、そしてノモンハンでのソ連との戦闘に至るまでを描き、九時間を優に超えることになったその大河映画は、ひとりの東北訛りの娼婦の言葉で終わった。

その言葉に込められた娼婦の純情に涙がこぼれる。人を想うことの純粋さが、典型的な娼婦の誘い文句から伝わってくる。そんな言葉でしか、あふれ出る愛を伝えられない彼女の切なさと悲しみが…、僕の胸を熱くする。

愛する男が最前線から生きて帰ってきた喜びに浸りながらも、その胸に飛びこんでいけないのは自分が娼婦だからだ。数え切れない男に抱かれてきた。そのことによって汚れたとは思わない。だが、男の胸に素直に身を任せられるほど単純ではない。だから、海千山千の商売女のようなその言葉には、彼女の万感の思いが込められている。

彼女は、東北の小作農の家に育った元気のよい娘だった。勝ち気で明るくて、働き者だった。ある日、馬車を走らせているときに道の真ん中で絵を描いている男に出逢う。「道の真ん中で突っ立ってたら危ないだろ」と男のような言葉で娘は叱りつける。だが、最後に男に見せた笑顔は満面に無邪気さをたたえている。それは、都会の男に対するはにかみだったのかもしれない。

彼女が働く工場では、男たちが卑猥な言葉をかけてくる。「どうせ、女郎に売られていくんじゃないか。一晩どうだ」といった類の言葉ばかりだ。中には抱きついてくる男もいる。そんな中でも、都会から流れてきた元プロレタリア運動をしていたという画家は、彼女の身を案じてくれていた。

その画家の友人だという男に会ったとき、彼女は相手が道の真ん中で絵を描いていた男だと知って恥じらう。本当は、初めて見る知的で優しい都会の男に娘心が騒いだのだ。画家は東京の男の家に女中奉公に出ることで、彼女が身を売らずにすませられないかと親たちを説得する。

娘は東京の男の家に奉公を始める。そこは、大きな財閥の邸宅だった。東北の田舎育ちでは作法を覚えるのさえ大変だ。当主は財界でも主要な位置を占め、軍部とも密接な繋がりがある。男はその家の次男だった。ブルジョアの家に育ったが故に、彼は自分だけが恵まれていることに懐疑的だ。

彼の優しさは貧しい人すべてに向けられている。だが、娘は自分だけに向いてほしいと願う。そんな彼女の慕情を彼は想像もしない。彼が満州へ渡ると知った夜、泣きながら彼の荷物をトランクに詰めている娘の気持ちを彼はわかっていない。

彼が満州に渡った後、実家からは金の無心しかこない。結局、自分の躯が売り物になるうちは、実家の親たちはそれをあてにする。それだったら、いっそ、満州で身を売ろう。満州にはあの人がいる、と彼女は決心する。持ち前の明るい性格は、自分に対する憐れみなどはない。ただ、最後にあの人に抱かれたい。彼女はそう願った…

●「愛し合う」ことと「殺し合う」ことの対比

「戦争と人間」第一部が封切られたのは、1970年8月14日のことだった。翌年の6月、第二部が封切りになる。制作会社の日活は、その年の夏の終わりに「八月の濡れた砂」「不良少女魔子」という二本立てを最後に一般映画から撤退し、成人映画(ロマンポルノと称した)専門の映画会社となった。

「戦争と人間」は、左翼監督あるいは日共監督と言われた山本薩夫の作品だった。労組が経営に参画した日活である。ロマンポルノに活路を求めたとしても、完成させたかったのかもしれない。経営危機の中、日活は「戦争と人間」完結編を1973年8月11日に封切る。ソ連の全面協力をとりつけ、ノモンハン事変を迫力いっぱいに再現した。

すべて通してみれば九時間を超える「戦争と人間」を、先日、久しぶりにWOWO Wの一挙放映で再見した。三十数年ぶりのことである。日活オールスターに加え、俳優座、文学座、劇団民芸が協力している。松原千恵子、吉永小百合、浅丘ルリ子、栗原小巻が若い。高橋英樹も凛々しい青年将校だ。

山本薩夫監督は、映画をプロパガンダとして位置づけているのではないか。実際にあった汚職事件をモデルにして描いた「金環蝕」(1975年)という映画を見たときに、そう思った。政財界を舞台に、醜い人間たちが金銭と権力を得ようとあがくその映画は、ときの権力政党にダメージを与える内容だったし、その視点は日本共産党の主張に近かった。

「戦争と人間」も関東軍より中国共産軍の方が人間的であるし、日本で弾圧される左翼系の人々は立派な人間として描かれている。日本陸軍の非人間性は強調され、南京大虐殺は生首の並んだ当時の記録写真を使って描かれる。石井部隊の生体実験のシーンも関東軍の残虐さとして挿入される。

もっとも、山本薩夫の作る映画はどれも面白い。市川雷蔵主演の「忍びの者」(1962年)だってそうだ。原作者の村山知義はプロレタリア文学者として有名であり、だからこそ山本薩夫が映画化したのだろう。中学生のときに学校の図書館で「忍びの者」を借りて読んだ。左翼的かどうかはよくわからなかったが、面白さは抜群だった。

「戦争と人間」も同様だ。伍代家という新興財閥の人々を中心にして描かれる…昭和の歴史劇は、原作が五味川純平だからエンターテインメントとしても一級品である。それを山本薩夫は的確に映画化した。そこでは「戦争=殺し合い」と「人間=愛し合う存在」が対比される。愛し合う人間たちは戦争という殺し合いに巻き込まれ、次々に死んでゆく。

愛し合う存在として三人の女優が肌を晒し、象徴的なベッドシーンを演じる。伍代家の長女(浅丘ルリ子)は青年将校(高橋英樹)と別れを覚悟して愛し合う。左翼青年(山本圭)を愛した次女(吉永小百合)は出征直前に結婚し、たった一度の愛を交わして男を戦場に送り出す。

そして、「戦争と人間」完結編のヒロインは、東北の貧しい農家に生まれた苫である。伍代家の女中奉公を辞し、身を売って満州まで伍代家の次男である俊介(北大路欣也)を追ってくる積極的な女だ。彼女は東北訛りで俊介に愛を告白する。

──俊介様が好きでした。最初に逢ったときから。
  あたす、今夜だけなんです。ずぶんの躯でいられるのは…

だが、真面目で堅物の俊介は迫る彼女を避けようとする。俊介の背中に抱きついた苫は、「そんなにあたしが嫌いですか」と切なそうに言う。ゆっくり首を振る俊介を見て、苫の大きな瞳が光を帯び顔が輝く。「だったら、ひと晩ここにおいてください」と彼女は俊介の唇を求める。

●三部作を締めくくる「愛」の象徴を演じた女優

たった一度、俊介に抱かれた思い出を胸に苫は娼家に赴く。酔客や兵隊たちを相手に躯を開く。身を任せる。娼家にいながらも、苫は男の安否を気遣う。しかし、ノモンハンに出征する兵隊たちの中に俊介を見付けても黙って見送るだけだ。野戦病院の看護に借り出されたときも、負傷兵たちに俊介の無事を確かめないではいられない。

そして、ノモンハンでの敗戦。敗残兵を迎える苫は俊介を見付け、黙って水を差し出す。むさぼるように水を飲み干し、俊介は去っていく。その後ろ姿に、苫は声をかけるのだ。「兵隊さん、あたしんとこさ遊びにおいでよ。うんと、かわいがってやっからさ」と…。

その娼婦を演じた女優の泣き笑いのような表情を見たとき、ああ、三十年以上も昔のことになってしまったけれど、あの頃、僕はこの人が大好きだったのだと、その当時の気持ちがそのままに甦ってきた。

その女優は夏純子、という。唐十郎が主演した若松孝二監督「犯された白衣」(1967年)でデビューし、日活最後の映画になった「不良少女魔子」のヒロインを演じたクリクリした瞳を持つ女優である。テレビシリーズ「シルバー仮面」(1971〜72年)では春日五人兄弟の長女を演じ、僕の胸をときめかせた。

日活がロマンポルノ路線になったため、松竹に移籍した夏純子は森崎東監督の「喜劇 女売出します」(1972年)や「剣と花」(1972年)、東宝系で公開された「影狩り ほえろ大砲」(1972年)「反逆の報酬」(1973年)などに出た後、「戦争と人間」完結編のヒロインを演じた。いや、三部作の最後を締めくくる「愛」の象徴を演じたと言うべきだろう。

戦争という「殺し合い」に対抗するには、「愛し合う」ことしかない。「戦争と人間」には様々な人々が登場する。親子、兄弟、友人、恋人、夫婦…、彼らはそれぞれ愛し合っている。愛する対象が存在する。たとえば中国共産党の幹部で伍代財閥の満州支社にスパイとして潜り込んでいる人物(山本学)は、日本人の少女を父親のように愛している。

抗日戦線を強硬に主張し、両親の仇をうつために非情に日本軍を殺しまくる共産軍の朝鮮人(地井武男)も自分と共に朝鮮から中国に流れてきて共に戦っていた女を愛し、彼女の亡骸を雪原に埋めながら「春には桃色の花を咲かすのだ」と慟哭する。

人の最大の悲しみは「愛する人の死」だ。両親の死であり、我が子の死であり、恋人の死であり、妻や夫の死である。戦争はそれらを無視して「敵をどれだけ殺せるか」を競い合う。「愛する人を守るために戦う」などというのは、戦争に巻き込まれた人間が自分の存在理由を己に納得させるための詭弁だ。愛する人を悲しませないためには、絶対に死なないこと、生き続けることである。

どんなにみじめであっても生き続けていること、娼婦に身を落としても生き続けること…、「戦争と人間」のラストのセリフに僕はそんなことを思った。敗残兵である男を見送る夏純子の笑顔から、汚れのない爽やかさが匂い立つ。美しかった。これほど美しい女がいたのかと心底思った。

昔、同じシーンを見たとき僕はまだ潔癖だった。女性経験のない若さが、娼婦という存在にこだわった。大勢の男たちと寝ることで「汚れた躯」になるという価値観から逃れられなかった。純潔であること、処女性に僕はまだとらわれていた。

だが、三十四年後に見た僕は思う。躯が汚れることなんてないんだ。心さえ汚れなければ、躯は絶対汚れない。夏純子が呼びかけた典型的な娼婦の誘いの言葉から、彼女のあふれ出る愛を僕は感じ取れるようになった。真実の心の叫びがくみ取れるようになった。歳をとってよかった、とその時に思った。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
連日、暑い日が続きます。頭も溶けそうです。こんな時には原稿の書きだめもできません。涼しいところで寝っ転がっているのが一番ですが、貧乏性でなかなかそうもいきません。電車に乗ってセッセと会社に通っています。

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■Otaku ワールドへようこそ![56]
私はテレビ映えするカメコなのか

GrowHair
< https://bn.dgcr.com/archives/20070824140100.html
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脳内妻真紅との「誓いの薔薇の指輪」を自慢したのが、TBSテレビの「ピンポン!」で全国放送された。…これが私の夏のハイライト。去年と同じパターン。名古屋で開かれた世界コスプレサミットでカメコっていたら、またまたテレビカメラにつかまり、数日後に放送された映像は全国のお茶の間にイタい笑いをもたらし、コミケでは「見たよ」攻撃にあい…。

目白押しのイベントが一段落した今は、すっかり力が抜け切っているが、あえて力を入れなおそうとせず、ケバヤシの夏を振り返って日記ふうにとろとろとつづってみましょうという回です、今回は。

●同じインタビュアーに見つけられた

8月4日(土)はコスプレイヤーたちが大須商店街を練り歩くパレード、5日(日)は世界12か国の予選を勝ち抜いてきたコスプレイヤーたちが、栄の屋外ステージで栄冠を競い合うチャンピオンシップ。

去年は、日曜の会場で「ちょびっツ」のちぃのコスプレ姿の来場者を撮っているところへTBSのテレビカメラが後ろからすうっと近づいてきて、インタビュアーの女性からマイクを差し出されたのであった。きれいなコスプレイヤーたちを差し置いて、むさいおっさんカメコなんぞにスポットを当てて、いったいどうするのかね? と思っていたら、数日後の「2時ピタッ!」という番組で全国放送されちゃったのであった。

私は見ていないのだが、コミケでは、知り合いからずいぶん「見たよ」攻撃にあった。さて今年、行く前には、「またそんなことがあったりして〜」なんて冗談を言ってはいたが、本当になるとは思っていなかったので、結局、不意打ちを食らったのと同じだった。

土曜日、4:00pmになると海外からの参加者を含む100人ほどのコスプレ集団が大須観音に到着し、パレード開始。平行に二筋延びる商店街の右側から行って左側を戻る。かんかん照り。テレビの女性レポーターは、汗をだらだら流しながら実況中継。見物人の数も、報道関係者の数も、去年より多い感じ。パレードを見送ってから再び先頭から撮るべく、裏道を全力疾走して先回りする人も20人ほどいて、これまた去年より多い。

涼宮ハルヒとメイドさんがいっぱい。他は、ガンダムSEED、セーラームーン、デ・ジ・キャラットのうさだヒカル、ファイナルファンタジーXのユウナ、のだめカンタービレのマングース、ローゼンメイデンの翠星石と蒼星石、などなど。アンパンマンやできるかなのゴン太君は大きくて目立っていたけど、着ぐるみはものすごく暑そう。ありゃビリーのブートキャンプなんてもんじゃないぞっ!

大須観音に戻るとコスプレイヤーたちはいったん引っ込む。が、観音堂の参拝用の石段の右半分を領域確保して、石段下にはテレビカメラが据えられている。何か始まるらしい。あっという間にすごい人だかり。私はずうずうしくも、テレビカメラの三脚の前にでんと座る。ここは特等席。テレビと同じ構図の絵が撮れる。しかも、「灯台下暗し」といって、自分がテレビに映っちゃうことの絶対にない位置である。

翌日のチャンピオンシップにエントリーするコスプレイヤーたちが次々に再登場して集合し、プレス向けに撮影。TBSテレビは「ピンポン!」という番組の収録だそうで、全員一斉に「ピンポン!」と言ってもらっていた。

解散して振り返ると、テレビカメラが待ち構えていた。「もし間違っていなければ、去年の……」。あっ! あのときのインタビュアーの方! よくぞ覚えていて下さいました。「はい、まさに!」。

で、またインタビューに答える。「毎年来ることにしています」とか、「今年は参加国が増えたので、明日も楽しみ」とか。そこでふと思い出した。去年、言っときゃよかったと後悔してたことがあったんだ。TBSはローゼンメイデンを放送した局である。そして、私の脳内妻は、それに出てくるアンティーク人形の真紅。左手の薬指には「誓いの薔薇の指輪」。自慢しない手はない。

「次元の壁を超えて、2次元の脳内妻と幸せに暮らしております」。それに対して「えー? 3次元は?」と聞き返してきたので、思わず、「3次元のカミサンは10年前に別れました」と答えてしまった(後で考えると、正確には18年前だったけど)。インタビュアーのおねえさん、石になってる〜。や、悪りぃ、悪りぃ。シャレがドギツすぎてお茶の間向けではないから、きっとボツだね?

取材を受けたことは、ついつい職場でしゃべってしまった。そしたら、いつもよく気の回る後輩が奥さんに頼んで録画してもらっていた。9日(木)の「ピンポン!」で、このイベントの話題を取り上げると予告が出てたようで、私が映るかどうかも分からないのに、しっかりと録っててくれて、放送直後には「映ってた」と速報が来た。げっ。

さて、この気のよく回る後輩、翌日には録画したDVDを持ってきて、昼休みに職場で上映会になった。ひー、恥ずかしいって。だけど、面白いっ! 実に上手く編集されてて、とっても笑える。まずは、テレビカメラの三脚の足もとにでんとあぐらをかいた私の姿。あれっ? いつの間に録られてたんだ?! 石段の上にカメラが来てたようで、私を狙ってびゅーんとズームされている。この時点ですでに去年の人だと見破られているし。それで、ちぃを撮ってる去年の映像まで引っ張り出してきている。そして、今年の指輪を自慢するシーンもしっかり採用。「10年前に別れました」がオチになってる〜。ひ〜。

ま、全国のみなさんにさわやか...ではないけど、笑いを提供できたということで、よしとしよう。面白く編集してくれたTBSよ、ありがとう。恥ずかしいのも喉もと過ぎるとだんだん快感になってきたぞ。芸能界に転身しよっかな?

●どよめき、歓声、大拍手のチャンピオンシップ

日曜のチャンピオンシップも、去年以上の人出だった。しょこたんこと中川翔子がコメンテーターを務めたのも大きかったのかもしれない。

私は出遅れて、観客席が満杯、上の階右側の手すりにもたれて見ていた。下の階の右側からは長いアームがぎゅーんと伸びていて、先端に据えられたテレビカメラが観客席の上をぐいんぐいん動き回る。

12か国、14チームに各々3分ずつのパフォーマンスの時間が与えられているが、どのチームも、見る人の度肝を抜くような仕掛けを用意していて、会場は沸きに沸いた。それに、参加各国のお国柄がよく現れていた。それぞれ異質な面白さを見せてくれるので、バラエティに富んでいて、見るほうは楽しかったけど、比べてどうこう言うのは難しく、審査はさぞかし大変だったことだろう。結果うんぬんよりも、参加者全員に、気合いの乗ったパフォーマンスをありがとうと言いたい。

しょっぱなのスペインは、ローゼンメイデンの真紅と水銀燈。トランクを中から開けて出てくる真紅に萌え〜。フランスはコミカルなパフォーマンスで、会場を笑いの渦に陥れる。ALICHINO(アリキーノ)という、私の聞いたことのなかった作品のキャラになっていたが、それとは関係なくデスノートをパロディ化した「オタクノート」を持ち出したり、「涼宮ハルヒの憂鬱」のエンディングテーマ「ハレ晴れユカイ」の振り付けを演じたり。海外に遠征して、その国の言葉で笑いを勝ち取ってくるって、すごいことだと思う。

イタリアは、CLAMPのツバサより、和風のテイストをふんだんに取り入れた、十二単ふうの衣装に巨大な扇子で、ややゆっくりめの、芸術的で幻想的な舞い。その美しさに会場からは、どよめきが何度も。中国も、芸術路線。CLAMPのXより軍服ふうの衣装で、大きな扇子を、いい音をたてて瞬間的にぱっ、ぱっと開く、美しい演技。歌も上手く、会場から大拍手。韓国は、D.Gray-manで、めちゃめちゃ派手な大立ち回り。一方が素早く剣を振り回せば、他方はバク転で逃れたり、相手を投げ飛ばしたり。大歓声。

日本Cチーム(名古屋)はコードギアスより、巨大なロボット「ランスロット」のがちゃがちゃした動きと皇女「ユーフェミア」の速い動きと絶叫がいい対比。日本Bチーム(東京)は、デスノートより、夜神月(やがみライト)の肩をつかんで宙に浮いている死神リュークを一人が演じている。うぉーっ、という大歓声。巨大なデスノートの中に弥海砂(あまねミサ)が入っていて、内側からスプレーで裏返しに字を書くことで、名前を浮かび上がらせる。「中川翔子」。えっ? ばたっ。

審査結果の集計中に、審査員を務めたアニキこと水木一郎のミニステージ。マジンガーZの主題歌を歌ったり、しょこたんと「かりあげクン」のオープニングテーマ「夜の銀ギツネとタヌキ」をデュエットしたり。アニメ歌手をやってきたことの幸せをかみしめ、また、しょこたんの人柄をほめたたえ、会場を盛り上げた。

審査の結果、日本Bチームが準優勝、フランスが優勝に輝いた。フランスチームが「参加者全員の勝利だ」とコメントしたのが、会場のみんなの気持ちをも言い表していて、大拍手。すばらしく盛り上がったイベントだった。来年も楽しみ。

●強烈な暑さと人混みのコミケ

8月17日(金)、コミケの初日は空前の暑さと混雑だった。絶後であってほしい。採った水分2.5リットル。かいた汗、胸のポケットに入れた手帳のページがべっちゃりと一体化してめくれないほど。「近ごろの若者は辛抱強さがなくなった」なんて言ってるじいさんがいたら、「そういうことは、コミケの入場待機列に並んでみてから言ってくれ」と言い返したい。

11時ごろ国際展示場前駅に到着。すいすい入れるはずの時間なのだが、この日はまだ待機列がはけず、正面階段の手前で列の尻尾につく。列は左側から階段をくぐって右に抜け、TFTビルの裏手へぐるーっと続き、ひと巻きして戻ってくると階段を上がれる。TFTの裏手から、右折して元の場所に戻るのかと思いきや、回れ左して、橋を渡り、回れ右して戻ってくる。このヒダ、今年から増えたんか〜? 約一時間かかって入場。水分補給。500mlのお茶が胃袋へと瞬間移動。

会場内も、人の流れが交差するところなど、デッドロックして、しばらく身動きがとれないことも。だけど、まわりはイラついてなくて、余裕で人に気遣いできてるのが救われる。みんな、この独特の空気がほんっとに好きなんだねぇ。「コミケなんてつまんないから行かないほうがいいぞー!!!」と、ここで訴えてみても減らないだろうな?

3日目、デジクリの水曜日に書いているまつむらまきおさんが寄稿している同人誌「らくがき帖」を発行しているサークル「楽書館」に立ち寄る。11巻まで出ていて、まつむらさんの漫画 "LUNAPARK" は59話を数える。まるで幻覚のようなSFチックな現象が、何気ない日常生活を一気にシュールな世界へと運び去るが、妙に筋の通った理屈に裏打ちされているところがとぼけていて実に楽しい。

今回は、私もある同人誌に一枚噛んでいるのだが、その話は次回にでもあらためて。

コスプレ広場では、何人かの知り合いレイヤーさんたちから、「テレビ見たよ」攻撃にあった。うわーーーっ。撃沈。

岡田斗司夫、やせた〜。女性の売り子さんに「ご本尊は?」と聞いちゃった。すぐ後ろに立っているのが本人であった。隠れて見えなかったよー。

スタッフが大声で「道を開けてくださーい」と叫んでいるので見ると、暑さで倒れた人が担架で運ばれていた。メイド服を着た男性だった。とかく恥の多いオタクの人生。...なんて言ってたら、コスプレ広場で撮ってる私の姿が2ちゃんに晒されてた。「同人イベント」板の「コミケで見つけたすごい&痛いヤシ」スレで。「老兵は死なず」とか、ってほっとけ。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
カメコ。鉄ヲタではないけれど。名古屋からの帰り、地下鉄が人身事故で遅れ、東京行き最終の「のぞみ」に乗りそこなう。夜行の快速「ムーンライトながら92号」の指定席が取れる。けど、油断してたらそれにも乗りそこなう。後続の「ムーンライトながら」で追いかけ、静岡で追いつく。新型の快速用車両と国鉄カラーの特急用車両の両方に乗れて、得した気分。

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■編集後記(8/24)

死の接吻 (ハヤカワ・ミステリ文庫 20-1)・読売新聞の「本よみうり堂」に、「2007年読書委員が選ぶ『夏のコワ〜イ一冊』」というトピックがあって、こういうのはじつに楽しい企画だ。わたしも読んだのが三冊あってうれしい。梅原猛「隠された十字架—法隆寺論」、貴志祐介「黒い家」、いがらしみきお「Sink」である。バラエティがあっていい配列ではないか。さて、榧野信治氏(読売新聞社社論説委員)は、アイラ・レヴィン「死の接吻」(ハヤカワ・ミステリ文庫、中田耕治訳)を推している。「夏休みといえば、よくミステリーを読んだものだ。というわけで一押しなのがこれ。読み進む途中で鳥肌が立ったのは本著だけである。裕福な三姉妹に、貧しい育ちの青年が絡む殺人事件がどういう結末を迎えるのか。ネタばれするので詳しくは紹介出来ないが、こんな恐ろしい筋書きをよく考えたなあ、と感心するばかり。映画で評判になった『ローズマリーの赤ちゃん』も著者の作品だが、本著の方が数倍すごい」という。翻訳ミステリーはあまり読まないのだが、ここまで言われたら読むしかあるまい。古い文庫本を図書館で借りた。けしからんことに、あちこちに鉛筆で線が引かれている。ネタをばらすのはマナー違反だから書けないが、第二部はヒロインが接触する誰かが殺人犯なのだが、読者もわからない。なぜなら、犯人は第一部において「彼」としか出てこなかったからだ。とてもスリリングだ。「こいつだよ→」なんて書き込みがあったら怒り狂うところだが、幸いそこまでは行ってなかった。幸福絶頂の婚約者に遺書を書かせる方法、これはみごとだった。鳥肌は立たなかったが、続きが心配で夢中になって読み進めた。23歳でここまで書けるとは、さすがに天才作家である。ほかのコワ〜イ一冊では、委員によってはあざとい、嫌味な、奇をてらったような選定もある。素直にコワ〜イと思うのを推すのが、こういったゲームのお約束だぞ。篠田節子「神鳥」はコワ〜イ。小松左京の短編にも「くだんのはは」はじめコワ〜イのがぞろぞろある。暑いから読み直すか。(柴田)
< http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20070813bk06.htm
> コワ〜イ1冊

・ひと月ほど前、空手の試合の応援に行って来た。参議院選挙投票日ということで不戦勝がちらほら。私が応援していた人たちは、準優勝3人とベスト8が1人とまずまずの成績。ビデオカメラ片手に、応援していた選手や面白そうな試合を撮影していたのだが、だ〜れも声をかけてくれない。聞くと、試合観戦に気合いが入りすぎて、極妻ばりの鬼の形相だったらしい。こわくて声をかけられないと言われてしまった。自分が試合に出るわけじゃないのにね。また空手をやってみたいと、一瞬だけ思ったり。主催道場の館長さんのお人柄か、しっかりした試合進行。タイムキーパーらのところに自ら出向いて、「順番に食事をとるように。誰それに代わってもらえ、食いっぱぐれるぞ。」と声をかけていたりと、細かなところ、スタッフへも目が行き届いている。こういう試合って休憩がほとんどなくて、休憩があっても夕方に20分程度ということだってあるのよね。観戦する側も疲れるのだ。空手道場の館長って、いかつい職業に間違われるような外見の人が多くて、ここの館長も例外ではなかったんだが、会話の内容は優しげ。主催試合ではメンツもあって、他道場の選手に優勝をさらわれるわけにはいかない。道場によっては、明らかな誤審があったりするんだけど、この道場のはとてもフェアで、納得のいく審判ばかり。選手へのアドバイスも的確でいい館長だなぁと。内弟子を持たず、全員社会人なのに短期間で実力者を輩出しているのが納得できるわ。/これもひと月ほど前のネタ。「ビューティフル塊魂」ステキソングのラインナップが発表されたのだが、とっても不安である。女性アイドル寄りなのである。どうして松崎しげると新沼謙治、クリスタルキングはいないのだ? これは一部なのか? 斉藤由貴がエンディングって?(hammer.mule)
< http://www.famitsu.com/game/coming/2007/07/31/104,1185885773,76134,0,0.html
>
< http://katamaridamacy.jp/beautiful/song.html
>  ステキソング
< http://namco-ch.net/beautiful_katamari/
>  こっちも
< http://katamaridamacy.jp/mobile.html
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