[2361] 裸を晒すようなものたち〜内田百間調

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<Max太った時の写真がないと意味がないんだよ!>

■笑わない魚[239] 
 裸を晒すようなものたち〜内田百間調
 永吉克之

■デジアナ逆十字固め…[70]
 Maxメタボのセルフポートレイト
 上原ゼンジ

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 グラフィックデザインの時代を築いた20人の証言


■笑わない魚[239]
裸を晒すようなものたち〜内田百間調

永吉克之
< https://bn.dgcr.com/archives/20080207140300.html
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日頃から、芸術をするとは自分の裸を晒すようなものだと、誰彼構わず云いふらしているが中中理解が得られない。「己の本性と向き合う」と云うような意味で云っているのだけれど、どうも、その譬喩が六ずかしいらしい。

亡日、曾ての教え子だった甘木君と梅田で会う機会があったので、久闊を叙するのもそこそこに、件の長広舌を振るったけれど、彼の方はしきりに頸をかしげたり、余所見をしたりして、ちっとも解っていない様子だった。

「そうですよね。女性の芸術家で、自分の素っ裸を写真にしてる人がいます」「そういう意味じゃない。実際に裸体を晒すということじゃないんだ」「成る程そう云えば、この間見た映画『拘束のドローイング9』で、ビョークが素っ裸になってました。歌手でも素っ裸にならなきゃいけないんですね」「いや、だから君、そうじゃない」

無闇に、素っ裸素っ裸と云うのがどうもいけない。

と、そんな事を云っておいて、こんな事を書くのも可笑しいけれど、私自身もテレビで全国津津浦浦に裸体を晒したことがある。人気バラエティ番組のエキストラの仕事だった。銭湯のシーンで、何とか云う名前の若いタレントが湯船に浸かって、あれやこれやしている間、われわれエキストラは入浴客の振りをして鏡に向かい、無闇に体を洗い続けるのだ。

撮影に時間が掛かって六回も七回も体を洗う破目になった。放送を見ると、皮を剥かれた因幡の白兎のように真っ赤になった背中とお尻が二秒程映っていた。仕事仲間の何樫君には、テレビに映るかもしれないと予め話しておいたので、番組が終ると早速電話がかかってきた。

「見たよ。恥ずかくなかったかい」
いきなりそう云われて吃驚した。そう云えば、収録中も、その放送を見ながらも、恥ずかしいなんて考えもしなかったのである。
「全然。だってあれは役じゃないか。この裸体の所有者は僕だが、役としての裸体は番組の制作会社にその所有権を帰するものであるから、私の与り知らぬところだよ、君」云云。
ほとんど答えになっていないようなことを一気に饒舌ったら、そうだね、と先方で勝手に納得してくれた。

しかし、テレビで実際に裸を晒すことは、指して恥ずかしくはないのに「裸を晒すような」恥ずかしい気持になるものがあるのだ。

●下の名前

つまり姓名の「名」である。これを公の場で晒すことは、裸とは云わないけれど、浴衣がはだけて臍を晒したような恥ずかしさがある。尤も、自分の名が厭なのではない。それを晒すのが厭なのだ。自分の顔は厭じゃなくとも、それを万目に晒すのは厭だという理屈である。

しかし程度の差はあっても、これは私に限った事ではないのではないか知ら。日本のどこだかの劇団の役者が話していたが、恥ずかしいとか照れくさいとかいった、己の体を得物として芸術する者にとっては足手纏いとなる感情を取り払うために、下の名前でお互いを無闇に呼び合う稽古をしているらしい。

西洋では考えられないことだ。彼の地では「下の名前」は「上の名前」となり、学校でも職場でも街角でもどこでもジョン、ジョンと日夜、風雨に晒されているから、ジョンの皮が厚くなって痛痒を感じなくなって仕舞うのである。

しかし日本では、「苗字」が上の名前となり、弁慶のように両腕を広げて立ち塞がり、生まれたての御世継ぎのように下の名前を守護しているので、それに触れることが許されるは、肉親か配偶者か許嫁、もしくはそれに准じた人人のみである。いやさ、配偶者ですら「あなた」とか「お父さん」とか呼んで、下の名前を避けるのだから、何時迄経っても皮が厚くならないのだ。

然るに、初対面の西洋人が「やァ、僕ジョン。よろしく」と挨拶してきた時に、日本人が「私ヒロコ、Nice to see you」と、悪怯れもせず下の名前を暴露することができるというのが、どうにも不可解である。若しも私が、知り合って間がない女性に「やァ、宏子」等と云おうものなら、横眉怒目して睨めらるること必定である。この反応の成因、那辺に在りや。

●肉筆

私は、日常、文字を生身の手で書くのはメモくらいのもので、大半はパソコンで書く。いや、打つ。そのせいで、ただでさえ悪筆だったのが、今や極悪筆になって仕舞った。悪筆は世上に幾らでもあるけれど、自分で書いた字が読めないのだから無残だ。これぞ正に、裸を見せるようなもの、の骨頂である。

昨夏、ある会社から仕事を頂き、その請求書を送る際、宛名を書き終った封筒を見て顔から火が出そうになった。と云うのは、私の下手な字に体面した経理係が、思わず「永吉さん、ほんとうに字が下手ねえ」と素っ頓狂な声を挙げると、社員たちが興味津津の面持ちで、オフィスの奥から後ろから、どれどれと集まってきて、全社を挙げて呵呵大笑するのを想像したからである。

字が下手なのは絶対に損である。馬鹿に見える。如何に筆鋒犀利な文章であっても下手では駄目だ。筆鋒犀利な馬鹿に見える。此奴はこんな高尚な事を書いているが、屹度、どこだかの作家の文章を剽賊したのだろう、と思われてしまうのである。

先の経理係とて同様。こんな小学生のような字を書いている奴に、まともな仕事ができるものか、他人にやらせておいて中間搾取をしたに違いない、もうこの男に仕事を出すのは止めましょうと、社長に進言したのだろう、それっきり仕事が来なくなってしまった。

●自宅

これはもう裸どころか、はらわたを晒すに等しい。つい先日、以前の職場の後輩であるヒマラヤ山系君が電話で、東京から大阪に飛来する折、関西空港から大阪市内までの途上にある拙宅を訪問するなどと云う恐るべき企てを明かした。

「駄目だ駄目だ、それは困る。こんな部屋を人に見せるのは厭だ」
「何が厭なんですか」
「何がって、掃除をしていないから汚い。部屋もトイレも何もかも汚い」
「じゃあ、いい機会ですから、掃除をしてください」
「掃除しても厭だ。厭なものは厭だ」

子供が駄駄を捏ねる手口で厭を通し、彼の企みを粉砕してやった。家とは、そこに住する人間の人生から思想から性癖から、何から何まで映し出す鏡なのである。男やもめに蛆が湧くの社会通念を蔑ろにし、軽軽しく部屋を見せろとは全く、怪しからん男だ。

若し、誰かを自宅に入れるとなると、無闇に掃除さえすればいい等と云う生易しいことでは済まないのである。まず生活臭。一体どんな臭いが籠っているのか、自分では分らないので、真冬であろうが豪雨であろうが、家の窓と云う窓を全て開け放って臭いを追い出す。

次に、親が住んでいた頃から無闇に壁に掛かっている、訳の分らない装飾品や、北海道かどこだかの土産である熊の置物などを押し入れの中に隠匿して、モダンボーイのイメージを損なわないようにしなければならない。また仏壇をカーテンで隠し、両親は千の風になっているから、仏壇の中で眠ってなんかいません、と云った風を装わなければならないのである。いろいろ大変なのだ。

【ながよしかつゆき/マドロス】katz@mvc.biglobe.ne.jp
旧仮名遣いを用いた方が百間先生っぽくなるのだが、旧仮名遣いは、前前前回の拙稿でやってしまって新鮮味がないので今回はよした。また、先生の文には、「亡日」とか「六ずかしい」とか、辞書にない言葉がよく出てくるが、これらの当て字は、師匠である夏目漱石の影響らしい。また「無闇に」という言葉を無闇に使うところが好きである。かつての文豪たちもかなり自由に日本語を細工していたようだ。
ところでもうお気づきとは思うが、「百間」の「間」は正確には、門構えに月である。しかし文字コードがどうとかで、環境によっては、正しく表示されないことがあるらしいので「間」にした。それにWikipediaでも「間」になっている。「百けん」と書くよりはよかろう。

・ちょ〜絵文字< http://emoz.jp
> au&Yahoo!ケータイ公式サイト
・アーバンネイル< http://unail.jp/
> ネイルアートのケータイサイト
・無名芸人< http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz
> ブログ

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■デジアナ逆十字固め…[70]
Maxメタボのセルフポートレイト

上原ゼンジ
< https://bn.dgcr.com/archives/20080207140200.html
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●ファイルを読み込むことができません

新年早々ハードディスクが飛んでエラい目に遭ってしまったが、まあなんとか仕事ができるような態勢にはなってきた。ただ、サルベージしたファイルの整理は全然進んでいない。

デジクリ月曜日の「クリエイター手抜きプロジェクト」で「EXIF情報の日付に従ってJPEG画像をリネームする」という、あたかも私のために書いてくれたかのような内容の記事が掲載されていたのだが、まだ実践できずにいる。
< https://bn.dgcr.com/archives/20080128140300.html
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古籏さん、どうもありがとうございます。ひまができたら、ぜひやらせていただきます。

サルベージしたファイルは、たとえばJPEG画像が一つのフォルダに4万枚とかいう状態なので、うっとうしくて見たくもないのだが、一応開くかどうか調べてみた。すると、JPEGは大丈夫なのだが、Photoshopのファイルに問題があった。ファイルが集められたPSDというフォルダを開こうとすると、ファインダーが終了してしまうのだ。項目の表示をアイコン表示にしても、リスト表示でもカラム表示でもCover Flowでもダメ。

うーむ、こいつも面倒だな。さらに、一番重要なNikonのRAWデータであるNEF(Nikon Electronic Format)を開こうとしてみた。ところが、PhotoshopのCameraRAWでは、「要求された操作を完了できません。予期せずにファイルの末尾に達しました」というアラートが出てしまう。ん? これってもしかして、ファイルが壊れてる?

Adobe BridgeやApple Apertureでサムネール画像が見えていたから、救出できたものと思っていたが、甘かったか? 次にNikonのCapture NXで開いてみる。「ファイルを読み込むことができません」と表示される。あちゃー、壊れてますねえ。これはけっこうまずいかも……。

重要なファイルはバックアップをとってあったんだけど、消えてしまったとなると、かなり惜しい写真もある。たとえば、パンツ一丁で撮影したポートレイト写真だ。

●太っちゃいないんですよ

現在ダイエット中で、13kg痩せたというような話は、すでにこの連載にも書いた。高校を卒業してから27年間で30kg太った。その間、二度ほど「ビフォア」の写真を撮影し、最大に太り上げた昨年8月に、三度目のビフォアの撮影を行った。ビフォアの写真ばかり何度も撮影してもしょうがないので、太るのは打ち止めにして、ついにダイエットを始めた。

というか、27年間痩せられなかったとも言えるんだけどさ……。しかし、この度はなぜか、いいペースで体重が落ちている。なんか、このまま行けば本当に痩せられそうだ。ついに、夢にまで見たアフターの写真が撮影できるんだよ。

ふだん私はトランクス派なのだが、太った情けない男を演出するために、わざわざ白いブリーフを買ってきて身につけた。もちろん、痩せ倒したあかつきには、素敵なパンツで撮影するつもりだ。体毛は剃るべきだろうか? とか、日サロに行って焼きを入れてこようか、とか考えるのは楽しい。

13kgも痩せたのに、誰からも痩せたとは言われず、いつ言われるだろうかとドキドキしているのだが、先日ショックなことがあった。

「上原さん、太られました?」と言われたのだ。「13kg痩せたんですけど……」と返すと、ビミョーな空気が流れた。痩せたことは自分がよく分かっているし、怒るようなことじゃあないんだけど、13kg痩せたのに逆に太って見えるというのは、ひじょうに興味深い事例と言っていいだろう。

以前から太ってもいないのに「太った?」と言われることがあり、これは太ったかどうかを尋ねているというより、「太ってるね」という意味で発している言葉のように思える。なんか私はそういう言葉を引き出す、特殊な能力を持っているのだろう。

その他、思い当たることとしては、私がまだMax大きかった時に買ったズボンを履いているということがあると思う。ようするにダボダボなのだ。カミさんはおかしいから、合ったズボンを買えというのだが、本人はまだまだ痩せるんだから、こんな半端なところで買ったらもったいない、という気持ちと、もしかするとリバウンドしてしまうかもしれない、という恐れで、新しいズボンが買えないでいるのだ。

今、ズボンを買ってしまうと、ダイエットの神様の怒りに触れ、「いい気になるな!」と言って、デブに戻されてしまいそうな気がするのだ。ハードディスクが壊れたのも、そのせいかもしれない。25kg痩せてバク転をする、なんて言ってるけど、今まで失敗ばかり繰り返してきたから、不安なんだよ。

今回、使用前、使用後のセルフポートレイトを撮影しようとしているが、これは遠大な計画のもと、緻密に計算をしながらやってきたことだ。まず、始めに1986年に会社を辞めフリーになった時にスキンヘッドにした。剃毛の過程を記録し、最終的には眉毛まで剃ってしまった。その写真は、当時所属していたFOTO SESSIONのグループ展に出し、写真集にも載せた。

その他のセルフポートレイトのバリエーションとしては、角刈りで前髪だけアイパーをかけて剃りを入れるとか、ひさしが鼻の頭まであるリーゼントとか、ヒゲ面のカーリーヘアとか、まあ、いろんなことをやった。

あとは、まあ長髪でかわいい感じのもあるし、女装も何度かした。一番本格的に女装したのは、ビッグコミックスピリッツでモデルをした時。「めぞん一刻」が連載していた頃だから、見たことがある人もいるかもしれない。まあ、記憶がある人は皆無だと思うけど……。

この時は、カツラをかぶり、付けまつげもして、きちんとメークしてもらった。26.5センチのハイヒールを用意してもらい、網タイツも履いた。男子に一度体験をおすすめしたいのは、この網タイツだな。その後、やみつきになってしまったということは、まるでないんだけど、網タイツの微妙な圧迫感、スカートを履いて外を歩くときの頼りなさ、ハイヒールの歩き辛さ。まあ、得難い経験でした。

痩せたあかつきには、アフターの写真と一緒に、昔のセルフポートレイト作品も公開したいと思うんだけど、Max太った時の写真がないと意味がないんだよ! もう一度、太り直すというのは相当厳しいなあ。さあ、困った。

【うえはらぜんじ】zenstudio@maminka.com
◇上原ゼンジのWEBサイト
< http://www.zenji.info/
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◇「カメラプラス トイカメラ風味の写真が簡単に」(雷鳥社刊)
< http://www.maminka.com/toycamera/plus.html
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■展覧会案内
グラフィックデザインの時代を築いた20人の証言
Interviews by 柏木博
< http://www.dnp.co.jp/gallery/ggg/
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< https://bn.dgcr.com/archives/20080207140100.html
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大日本印刷は、2000年にDNPグラフィックデザイン・アーカイブ(DGA)を立ち上げ、グラフィックデザイン作品を組織的に収集・保存しております。その一環として2003年、作家本人が自身の作品や制作について語る姿を映像として記録する「人物アーカイブ」プロジェクトを発足いたしました。デザイン評論家の柏木博氏が、戦後のグラフィックデザイン界を代表するグラフィックデザイナー20人にインタビューし、作家の詳細な年譜と合わせて編纂するものです。本展では、柏木氏の視点により、グラフィックデザインの時代と20人の作家の関わりに焦点を当て、それぞれ40分に編集した映像を紹介いたします。1940年以降の日本のグラフィックデザインが築かれてきた様子を総括的にご覧いただけます。(サイトより)

会期:2月6日(水)〜2月29日(金)11:00〜19:00 土18時 日祝休
会場:銀座グラフィックギャラリー(東京都中央区銀座7-7-2 DNP銀座ビル1F TEL.03-3571-5206)
出展作家:青葉益輝、浅葉克己、粟津潔、宇野亜喜良、岡本滋夫、勝井三雄、木村勝、木村恒久、田名網敬一、永井一正、仲條正義、長友啓典、中村誠、灘本唯人、早川良雄、平野甲賀、福田繁雄、松永真、横尾忠則、和田誠

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■編集後記(2/7)

ミッキーかしまし・西加奈子「ミッキーかしまし」を読む(筑摩書房、2007)。真っ黄色のカバーにヘタなイラストを散らした、いきなりこれは期待できないな〜といった雰囲気。目次やタイトルはヘタな手書き。本文組みは文芸書にはありえない太い明朝体で、しかも字間がスカスカ。なんともお下品。加えて、ヘタなイラストがいくつも出てくるので、じつにマイナーな印象の本である。で、「はじめまして」から読み始めると、「エッセイというものを、書こうと思います。早速エッセイを国語辞典で調べたところ『随筆』とありました。そこで随筆を調べてみたところ」なんてどうしょうもないイントロなので、小学生の作文かい、こりゃだめだぜ、ほんとに。我慢して読み進めて行くと、どんどんおもしろくなっていくではないか。しかも、すばらしくうまい。何者なんだとプロフィールを見ると、ベストセラー作家なのだ。織田作之助賞大賞も受賞している。まったく知りませんでした。失礼しました。36編のエッセィは「Webちくま」に連載されたものだ。筑摩書房のサイトには、松田哲夫によるインタビュー「脳みそつるつるエッセィ集ができるまで」が掲載されている。「読んでいると、『西加奈子さん』という人が主人公の物語を読んでいるような気持ちにもなるんですよ。」と松田。まさしく。「仁義なき戦い」への熱狂ぶり、まわりにいるおかしな人達の行状、ムー少女であったことのカミングアウト、飼っている猫たちのこと、ほかにもすてきな話が満載。おもしろく書こうとしていると感じられるけど、ぜんぜんわざとらしくない。絶妙な西加奈子ワールド。最後の「アネモネ」は絶品。最初に感じた、下品なマイナー本という感想は取り消す。本人によるイラストも文字も味があっていい。組版はサイテーだが。(柴田)
< http://www.chikumashobo.co.jp/special/kashimashi/
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筑摩書房・西加奈子「ミッキーかしまし」
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・MRAでは血管の立体画像が見られる。QuickTime VRのように、マウスを持っていくと横回転する画像と、縦回転する画像がある。ここが首の部分にある脳に血液を運ぶ太い血管で〜などと説明を受ける。太い血管、細い血管ともに綺麗に揃っていて、動脈瘤もまったくないらしい。検査料は私にとって決して安いとは言えないが、安心できるのは嬉しい。で、思い切って尋ねてみた。「先生、この画像ってもらえないんでしょうか」と。先生は目をそらしながら、「フィルム代がかかるのと……、持って帰られた方はみなさん、最初ちらっと見られるようですが、あとはまったく見られないですよ。異常があれば用意しますが、何もありませんし……。」確かに。この脳の形や血管は現在のものであって、また変わるんだしなぁ。記念写真みたいなスライス写真とともに、所見の書かれたプリントアウト一枚をもらい、ま、いっかと次の検査に向ったのであった。(hammer.mule)
< http://www.apple.com/quicktime/gallery/cubicvr/
>  QTVR

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ミッキーかしまし
西 加奈子
筑摩書房 2007-10
おすすめ平均 star
star日常生活。
star素の姿が見られます。

通天閣 しずく あおい (小学館文庫 に 17-1) きいろいゾウ マザコン

by G-Tools , 2008/02/07