[2484] シネマとジャズの濃密な関係

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<腐女子イタリアより来たるありメイドバーでカラオケ>

■映画と夜と音楽と…[386]
 シネマとジャズの濃密な関係
 十河 進

■Otaku ワールドへようこそ![79]
 ぼくの夏休み '08編
 GrowHair


■映画と夜と音楽と…[386]
シネマとジャズの濃密な関係

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20080829140200.html
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●リトル・ジャイアントと呼ばれたジャズマン

ひと月ほど前のことだが、新聞にジョニー・グリフィンの死亡記事が載った。シカゴに生まれ、1940年代から音楽活動を開始、「リトル・ジャイアント」の異名を取り、テナーサックス奏者として活躍したとある。共演者に、アート・ブレイキーやジョン・コルトレーン、セロニアス・モンクの名前が挙がっていた。80だったという。

荒っぽいところはあったものの、僕はジョニー・グリフィンのテナーサックスが好きだった。荒っぽさは力強さにつながる。「THE LITTLE GIANT」というアルバムでは、その力強さが全面に出ていた。もちろん、代表曲になった「HUSH-A-BYE」のしっとりした演奏も忘れがたい。僕としてはアルバム「A BLOWING SESSION」(1957年)の「THE WAY YOU LOOK TONIGHT」が印象に残っている。

さて、手持ちのジョニー・グリフィンのCDを調べてみたら、リーダーアルバムが5枚、サイドメンに入っているのが5枚あった。リーダーアルバムはわかっていたが、サイドに入っている5枚は改めて見ると「へえー、この人のアルバムにも参加していたのか」と意外な感じのものもある。

セロニアス・モンクのレコードで初めて買ったのが「ミステリオーソ」(1958年)だった。高校一年の時に高松市丸亀町の日本楽器で「エイ、ヤッ」という思いで買った。当時、LPレコードは1800円から2000円ほどだったと思う。15歳の少年が簡単に買えるものではない。少ない手持ちのレコードを、友人たちと貸し借りして聴いていた。

ジョニー・グリフィンは「ミステリオーソ」でテナーサックスを吹いている。だから僕は15歳の時に初めて彼の演奏を聴いたのだが、「ミステリオーソ」にジョニー・グリフィンが参加していることを、すっかり忘れていた。まあ、そんなものかもしれない。

「ミステリオーソ」は、ジャケットにキリコの絵を使っている。ちょっとミステリアスな感じだ。「私が殺した少女」など私立探偵沢崎シリーズを書いている原尞(はら りょう)さんはジャズ・ピアニストでもあるが、「ミステリオーソ」というタイトルのエッセイ集を出している。

意外な気がしたのはローラ・フィジィの「BEWITCHHED(瞳のささやき)」(1993年)にジョニー・グリフィンが参加していることだ。オランダ出身の女性歌手のデビューアルバムである。この後、フランスの大御所ミッシェル・ルグランと組んで「WACH WHAT HAPPENS(風のささやき)」(1997年)を出す。

余談だが、10年ほど前、ルグランと組んだアルバムを出したときにローラ・フィジィが来日し、僕は青山の旧ブルーノート東京に聴きにいった。ローラ・フィジィは客の膝に乗ったりしてサービス満点だったが、僕のそばにはこなかった。しかし、ルグランの「シェルブールの雨傘」が聴けたので僕は幸せな気分になった。大きな文字では書けないけれど、隣には若く美しい女性がいたし…。

●フランスで始まったシネ・ジャズのブーム

ジャズメンはヨーロッパとの関係が深い。オランダ出身の女性歌手のサイドメンにアメリカの黒人テナーサックス奏者が入っていても不思議ではない。オランダやスウェーデンの女性歌手のレコードが何枚もジャズの名盤として残っているし、有名なジャズメンとの共演も多い。

マイルス・デイビスの自伝は抜群に面白い読み物だが、その中にヨーロッパにいって初めて自分が「黒人」ではなく、「ミュージシャン」としての扱いを受けたというようなことが書いてあった。ジュリエット・グレコとの恋物語や映画「死刑台のエレベーター」(1957年)の録音の話なども詳しく語っている。

ジョニー・グリフィンも1962年にヨーロッパに渡り、そのまま定住している。アメリカに帰ったマイルスが「ヨーロッパはいいぜ。人種で差別されることもない。音楽がよけりゃ白人女にもモテモテだよ」なんてことを言い触らしたのかもしれない。1960年前後には、多くの黒人ジャズメンがパリを中心にヨーロッパで活躍した。

それが、おそらくフレンチ・ジャズのブームを作り出し、シネ・ジャズを生んだのだろう。1997年に月刊「スウィング・ジャーナル」が企画したアルバム「オールド・モンマルトル」にジョニー・グリィンも参加しているが、そのアルバムには「死刑台のエレベーター」「褐色のブルース」など、シネ・ジャズの名作が取り上げられている。

シネ・ジャズの嚆矢をマイルス・デイビスの「死刑台のエレベーター」とする説が主流だが、同時期にMJQ(モダーン・ジャズ・クァルテット)が音楽を担当した「大運河」(1957年)がある。監督はロジェ・ヴァディム。才人ヴァディムは、映画とジャズの相性のよさを感覚的に気付いていたのだろう。ミルト・ジャクソンのヴァイブの音色が美しい。

ロジェ・ヴァディム監督作品としては「危険な関係」(1959年)もジャズを使った映画として有名だ。ラクロの古典小説を現代に移した異色作。ジェラール・フィリップとジャンヌ・モローの顔合わせが印象に残るアンモラルな映画だった。主題曲はシネ・ジャズの名曲として残った。アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズの演奏はワクワクさせる高揚感がある。

──永い間、私は、ロジェ・ヴァディムが嫌いだった。むしろ、軽蔑していたといった方が適当かもしれない。三年ほど前、品田雄吉氏とヴァディムが天才かどうか、言い合ったことがある。彼は、絶対に天才だと主張し、「大運河」を見ろ、と言った。

これは1962年にヴァディムの「血とバラ」が公開されたときに書かれた文章である。書いたのは若き小林信彦さん。「コラムは笑う」(ちくま文庫)の中で見付けた。副題が「エンタテインメント評判記1960〜1963」となっている。その目次を見ると、フランスなどのヨーロッパ映画が毎月のように公開されていたことがわかる。

「ひと夏の情事」「二重の鍵」「唇によだれ」「太陽がいっぱい」「艶ほくろ」「若者のすべて」「地下鉄のザジ」「金色の目の女」「女は女である」「雨のしのび逢い」「私生活」「素晴らしい風船旅行」などなど、ヌーヴェル・ヴァーグからブリジッド・バルドーのコメディまで様々な作品が公開されていた。

●映像と音の積み重ねで語られる物語が伝えるもの

今では忘れられた映画監督になっているかもしれないが、エドアール・モリナロという人がいる。「絶体絶命」でデビューし、初期の作品には「殺られる」「彼奴を殺せ」(1959年)など、フィルム・ノアール作品が多い。ちなみに前者は「やられる」と読み、後者は「きゃつをけせ」と読む。「現金」を「げんなま」と読んでいた頃の映画だ。

「殺られる」のテーマ曲は、やはりアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズが演奏してヒットした。アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズ最大のヒットは「モーニン」で、彼らが来日した1961年の正月にはテレビ中継があり「蕎麦屋の出前も鼻歌で歌った」と言われている。これも小林信彦さんの本で読んだ。

「彼奴を殺せ」は、モリナロの監督3作目だった。新人監督らしい、キレのよいカッティングが印象に残るから、公開当時はかなり話題になったのではないだろうか。気負いも感じられるが、何となくほほえましい感じがする。ほとんどパリの夜のシーンばかり。モノクロで描く夜のシーンは素晴らしい。加えて、ジャズは夜に似合う。

映画は女が絶叫するアップから始まる。カメラが引くと、列車から女を突き落とそうとしている男。ショッキングなオープニングである。女は手すりを必死でつかむ。その指をひとつひとつ剥がしていく男。女は落下する。次のシーンは裁判所だ。先ほどの男が弁護士と共に裁判官の部屋に入る。「非常に疑わしいが、証拠がないのであなたは無罪だ」と裁判官が無念そうに言う。

男は、邪魔になった愛人を殺したのである。だが、殺された愛人は人妻だった。男が自宅に帰ると、その夫(リノ・ヴァンチュラ)が忍んでおり、命乞いする男を絞殺し、首つり自殺に見せかけて男の屋敷を出る。だが、リノ・ヴァンチュラが屋敷を出た途端に男が呼んでいたタクシー運転手に声をかけられ、顔を見られる。

裏切った妻なのに復讐をする殺人者を演じたリノ・ヴァンチュラは、若く目の鋭さは尋常ではない。この映画のヴァンチュラをモデルにして、手塚治虫はアセチレン・ランプというキャラクターを創った。確かに、アセチレン・ランプの視線には、「彼奴を殺せ」のヴァンチュラの面影がある。

ヴァンチュラは目撃者であるタクシー運転手を殺そうとつけ回す。タクシー運転手には無線係の恋人がいて、彼女が機転を効かせてパリ中のタクシー運転手に救いを求める。タクシー運転手たちがヴァンチュラを追いかける。次第に追い詰められていくヴァンチュラの表情が悲しい。彼は妻に裏切られていたにもかかわらず、その妻を愛していたのだ。だから相手の男を殺した。だが、今度は自分が殺人者として警官隊に囲まれる…。

この映画の脚本には、ピエール・ボアローとトーマ・ナルスジャックが加わっている。ボアロー・ナルスジャックの名で様々なミステリを書いたフランスの代表的なコンビ作家だ。「悪魔のような女」(1955年)や「めまい」(1958年)などの原作で有名だ。サスペンスの盛り上げ方はさすがだと思う。

「彼奴を殺せ」に続くモリナロの4作目が「ひと夏の情事」(1960年)だった。初めての恋愛映画。ゴダールやシャブロール、トリュフォーなどのヌーヴェル・ヴァーグ派とは一線を画す監督だったが、やはりカッティングにキレがあり、そこが魅力的だった。主演はパスカル・プティという小柄な人だが、この一本で僕にとっては忘れられない女優になった。

夏、海、ヴァカンス、恋…、それらを夏の終わりに回想する話である。元々、僕は海が好きなのだが、この映画では様々な海が撮影されていて、それが記憶に残った。小林信彦さんも「この映画の内容はすっかり忘れてしまったとしても、あの海の色だけはいつまでも忘れないだろう」と書いている。

映画って、そういうところがあって、僕も「ひと夏の情事」のストーリーはほとんど忘れているが、ワンシーンの美しさや映画全体から伝わってきたニュアンスや雰囲気、倦怠感や人生の虚しさ、喪失感のようなものはよく憶えている。そして、もちろん映像を彩った音楽も…。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
このコラムの第一回目は、1999年8月28日でした。今回で10年目のスタートになりますか。歳もとったし、生活も変わりました。何より子供が大きくなってしまいました。無理がきかないなあ、と思うことも増えました。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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■Otaku ワールドへようこそ![79]
ぼくの夏休み '08編

GrowHair
< https://bn.dgcr.com/archives/20080829140100.html
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一般的に言って、環境を自分の思い通りにそっくり作り変えるのと、自分の側を環境に合わせて調整するのとでは、後者の方が楽である。楽とは言っても、いつもうまくいくとは限らないわけで、うまい具合に環境に適応できた人は、心の土台が安定し、幸福のひとつの段階に到達したと言っていいだろう。

学生生活の終わりごろには、自由を謳歌できるのももはやこれまで、あとは地道に仕事をこなして淡々と生活を回していくだけの灰色の人生が待つばかりだ、と暗澹たる気分に陥っている人も、たいていの場合は、会社勤めするようになってから半年も経たないうちに、手のひらを返すように「いつまでも学生気分が抜けないやつは、甘いなぁ」なんて言ってたりする。

そんなの見てたらすっかり白けた気分になっちゃって。環境に適応するというのはいいことだけど、見方を変えれば、調子よくうぬぼれてるだけじゃん。実際の環境がどうあれ、どこかになんらかのうまみを見出して、人より一段高いところに上がったような気になってればいいんだから。

そこへ思い至ったとたん、すっかりシニカルな気分に陥ってしまい、おかげでサラリーマン生活20年になる今でも学生気分がちっとも抜けず、心のどこかでサラリーマンを小ばかにしている。自分の歩む道に誇りが持てないので、しかたなく、オフの時間だけをささやかな楽しみとして生きるよりない。そんな幸薄いおじさんが、夏の総決算として提出できるのは、特に意見もなく、できごとばかりを長々とつづった日記のようなコラムくらいが精一杯なのでありまして。って、すでに言い訳が長いですね。ごめん。

●カメラが痛い目に

うーん、ちゃんと「おじゃまします」と言って一礼して、靴を脱いで上がったんだけどな。やっぱ許していただけなかったかなー。どうもその後、カメラまわりに受難が続く。やっぱ墓石によじ登って撮ったりしては、いけなかったか。

7月20日(日)に、川口の鋳物工場跡のスタジオ "KAWAGUCHI ART FACTORY"にて、劇団 MONT★SUCHT の公演の宣伝用の写真を撮らせてもらった。
< http://www.art-kouba.com/
>
前日に買ったばかりのレンズを使う。キヤノンは50mmの単焦点を3種類出しているが、その中で最上位の"EF50mm F1.2L USM"。開放絞りがF1.2 と非常に明るく、異常分散ガラスを使って収差を抑え、シャープで高コントラストな像が得られる、優れもの。

いきなり本チャンの撮影に使うのは恐いので、もともとの予定では、7月13日(日)に買っておいて、その足で撮影場所へ下見に行き、試し撮りすることにしていた。ところが、新宿でうっかりフランス人をナンパしちゃって、買ってる時間がなくなってしまったのである。

いや、正確には、ナンパではないのだけれど。西口の地上1階のロータリーから高層ビルの方へ伸びていく道で、立ててある地図と、手に持った英語のガイドブック「ロンリー・プラネット」を見比べながら困っている様子の若くてきれいな外国人の女性が二人いたもんで、ここは手を貸してあげようかと声をかけたのである。

よく、東京に来たことのある外国人から、道や鉄道路線が分からなくて困っていても、誰も助けてくれなかったという悪評を聞いていたので、日本男児たるもの、ここはひとつ勇気を出して日本のイメージ向上に一肌脱がねば、と使命感に燃えてのことである。

二人ともリヨンから来てて、2か月にわたって日本を旅行する予定なんだそうで、都庁の建物内にある旅行案内所に行こうとしているとのこと。説明するのが面倒だったのと、軽く話などしてみたくなったのとで、目的地まで同行して差し上げる。

一人はブロガーだった。
< http://lesvoyageusesmadeinlyon.blogspot.com/
>

この日のことは、"Les buildings de Shinjuku" の項で書いてくれている。私の後姿の写真入りで。フランス語の分かる友人に訳してもらうと、「私達のガイドは、私達を中に招き入れて、さらには富士山への小旅行に必要な情報を全て、私達の代わりに聞き出してくれました。私達が今まで触れることが出来た日本流のもてなしの中で、最高の実例だったと私は思います。しかもどうやらこの日本人はフランスのことを知っていて、パリやグルノーブルにも行ったことがあるそうです」。よしっ。

本チャンの撮影の翌日、写真を眺め渡していて、思いもよらぬ失敗に気づき、血の気が引く。ささーーーっ。ピントが合ってないのだ。目に合わせているつもりだったのが、耳やサイドの髪に合ってて、ほとんどが後ピンなのだ。しかも撮った枚数の半分くらい。やばいやばいやばいっ。

これが起きているのは50mmのレンズで撮った写真だけ。テスト撮影してみると、オートフォーカスは一見ちゃんと作動し、合焦マークが点灯するのだが、撮った結果は後ピンになっているのである。

7月28日(月)、ヨドバシカメラ新宿西口本店へ。問題のレンズを店のカメラ本体に装着し、現象を確認。あっさり再現した。無償交換してくれるとのこと。で、新品のレンズで念のためテストしてみると……。あれ? そのレンズでも現象が再現。在庫の4本で次々に再現。全滅。

結局、メーカーにすべて返品し、一週間ぐらい経って良品が届いたので、無償交換してもらえた。まあ、後ピンの写真も、大伸ばししなければなんとかごまかしきれるレベルなんで、それほどの被害をこうむらなかったのは幸いだった。実は、ひどかったのは、カメラ本体のほうで。

7月27日(日)、山へ。私が勝手に「スピリチュアルの森」と呼んでるところ。人形の撮影の予定だったのが都合で流れ、行く必要はなかったのだが、前回から季節が変わったので、とにかく見ておきたくなり、行ってみる。

杉の森の中の道は、涼しくて、さわやか。沢辺に降りると、水しぶきのせいか、空気がいっそうひんやりとしていて、気持ちがいい。沢に沿って遡ると、まだ14:00前だというのに、かなり暗くなってきて、雷が雲の中で低くごろごろいっている。

避難小屋で休憩していて、そこを動かなければよかったものを、まだ降り出さないだろうと楽観して、歩き出してしまった。ものの10分も経たないうちに、やられる。まず、近くに落雷。雲の中からほぼ一直線に真下へ向かって太い稲妻が走り、地上に届いている。1秒足らずのうちに、非常にクリアな音で、パッシャーーーン! と。ビビる。

それから、ものすごい雨。滝に打たれるような感じで、あっという間に全身ずぶ濡れ、飽和状態。パンツまでびちょびちょ。帰りの電車はがらがらに空いてたのに、座るに座れず。しかも、途中は降った形跡すらなく、一人、水もしたたるいい男。

まあ、パンツはいいのだが、カメラをしまう間もなく、雨ざらしにしてしまったのは、まずかった。屋根の下に逃げ込んでからテストすると、うんともすんとも言わない。そういうわけで、翌日、ヨドバシカメラでは、カメラを修理に出すという用事も兼ねることになってしまった。

次の週末、8月2日(土)、3日(日)は名古屋で世界コスプレサミットがある。カメコが空身で行くわけにはいくまい。代替機を買う。EOS-kiss を考えたのだが、小さくてレンズとのバランスが悪くてかっちょ悪い。それと、電池や記録媒体に互換性がなく、ややこしい。

EOS-40Dにした。ドック入りしているEOS-5Dに比べると撮像素子の領域が小さいのが難点だが、代替機としては、まあ手ごろ。コスサミではそれで撮りまくり、帰ってくると、修理工場から留守電が入っている。折り返しかけると、修理不能との宣告。げ。中が腐食してて、どうにもならないという。げ。そのまま手をつけずに返品するという。げげげのげ〜。

代替機はあくまでも代替機であって後継機ではないのだ。まだ人形の本チャン撮影が続くので、グレードを落とすわけにはいくまい。EOS-5Dを買う。あのー、大変なんですけど。ヨドバシカメラさん、吉野家あたりとコラボして、ポイントで牛丼が食えるようにしてはくださいませんか?

●寝るときは枕に頭を乗せられるといい

もういっちょ、受難の話。8月22日(金)、日曜まで帰らないつもりで着替えを持って会社へ。22:00過ぎまで仕事して、新宿へ。"club hoop" にて、劇団MONT★SUCHT の公演を観る。真夜中にスタートして、朝までなんだよねー。私の撮った写真は、サイトで5枚ほど使っていただいている。
< http://www.artism.jp/ad_m030.html
>

ラブクラフトのクトゥルフ神話をモチーフとした演劇。集団発狂する人々の身体の動きが、人間とは思えない奇妙さで面白かった。怖かったとも言える。

それと、VANQUISH。
< http://www.ness2000.com/ks.html
>
ボーカルの青炎(セイレーン)さんを、川口のときに一緒に撮らせていただいている。やや小柄ながら、パンチの効いた歌いっぷりで、迫力ある。

両者の出番の終わった3時過ぎ、集団発狂の人たちを靖国通りで記念撮影。6:00品川発ののぞみで新大阪へ。8月23日(土)、24日(日)は、岸和田でDAICON7である。正式名称は、「第47回日本SF大会」。
< http://www.daicon7.jp/
>

SFアートギャラリーには、美登利さんが作った人形が展示される。それと、美登利さん、八裕沙さん、橘明さんが作った人形をスピリチュアルの森で私が撮った写真を展示させてもらえる。戎橋(えびすばし)の漫画喫茶に寄って、その日の宿を予約。岸和田近辺が全部満室、別の路線の聞いたことない駅の近くにやっとひとつ空いてるとこがあった。

大根の内容報告は後回しにして、まず、受難のこと。夜、SFギャラリー関係者たちと、難波で飲みとカラオケ。23:00過ぎに美登利さんとともに辞して、なんば駅からはひとり、宿に向かう。この辺にとっときゃよかった。

日付変わって8月24日(日)。0:30ごろ宿の最寄駅に着く。暗い道を歩いてやっと探し当てると、入り口は真っ暗で鍵が閉まってる。「フロントは終了しました」の表示。そう言や「23:00を過ぎる場合は必ず連絡ください」って書いてあったっけ? げげ。

終電が出た後の、聞いたこともない田舎駅の前で、泊まるとこがねーよ、という面白い状況。どーしたもんか、かーしたもんど(←意味不明。困り果てた心理描写)。途方に暮れてると、タクシーが一台、来た。河童に水とばかりに(← チョットちがうか)乗る。事情を言うと、この地域のホテル2軒に問い合わせてくれたが、いずれも満室。これまた聞いたことない地名のとこで24時間営業している漫画喫茶へ。小上がりマットの個室が取れたんで、横になれる。快適に寝れる私。

日曜も大根に行き、撤収後、夕方、京都へ。人形のお店「昔人形青山/K1 ドヲル」へ。橘さんの作った人形が3体、展示されている。月代わりで、人形作家一人ずつの特別展示として。
< http://www2.odn.ne.jp/k1-aoyama/
>

近鉄で行って、18:30ごろ着いたら、後から出たはずの美登利さんが先に着いてた。新幹線で来たそうで。だけど、熱海あたりで大雨が降って大幅に遅れてるとかで、帰りを心配してた。私は、雨ぐらいならそう大したことはあるまい、と楽観。

19:00閉店。家族を待たせているという美登利さんと北大路駅前で別れ、あとは帰るだけ。京都駅に着くと、下りの新幹線は約90分遅れで運転しているが、上りはほぼ定刻通りのこと。19:42京都発ののぞみ260号。新大阪始発の臨時列車なので、比較的すいてて、自由席の窓際に座れる。22:03東京着の予定。

ところが、名古屋で1時間半止まり、三河安城の通過線で2時間半止まり、ホームにつけて停車中のひかりとドアの位置を合わせるために1メートルほど進み、通路を渡してホームに下車できるようにするとのアナウンスがあり、しかし、実行される前に運転再開となり、東京に着いたのは5時間半遅れの3:33。5:00ごろまで、休憩用に新幹線車両が3編成、用意されてた。朝、帰宅。

この原稿を書く暇がどこにもないわな、ってわけで、あらかじめ月曜は休みを取っておいたのだが、寝てつぶれる。枕って、いいなぁ。ま、言い訳するのはみっともないんであんまりしたくないんですけど、こういう事情があって、今回の原稿は、書いてる時間が十分にとれなかったということをあらかじめご承知いただければ幸いです。

では、本題の夏休みの日記に入りましょう。まず、箇条書きすれば、こんな感じです。
7月20日(日)川口にて MONT★SUCHT 撮影。
7月27日(日)「スピリチュアルの森」。夕立、カメラ故障。
8月 2日(土)世界コスプレサミット、大須にてパレード。
8月 3日(日)世界コスプレサミット、栄にてチャンピオンシップ。
8月 9日(土)高円寺散歩。
8月10日(日)朝までだらだら飲んでしゃべる会。
8月13日(水)腐女子イタリアより来たるあり、メイドバーでカラオケ。
8月14日(木)山へロケハン。また夕立にあうも、カメラは守りきる。
8月15日(金)16日(土)17日(日)コミケ。
8月20日(水)前日に仰せつかって、広島へ日帰り出張。
8月22日(金)夜中〜。新宿にて MONT★SUCHT 公演。
8月23日(土)24日(日)岸和田にて DAICON7。
8月24日(日)京都、青山 K1 ドヲル。
じゃ、ひとつひとつ、いきますよー。順不同で、まずはだらだら飲みのことから。

●朝までだらだらというよりは激論飲み

デジクリ編集の柴田さん、水曜日にチャット形式で美術展を楽しく評論している武さんと山根さん、金曜日に隔週交代で書いてる高橋里季さんと私、という面子で、山根さんちで飲んでしゃべる会。

この会、どうしても合わないみんなの予定を無理くり合わせて開いてるもんで、ちょっとヘンなことになってる。夕方、みんなでおじゃました時点では、場所を提供してくれた山根さん本人が不在。7時ごろには帰ってくると言ってたのに、結局、夜中ごろになったもんだから、柴田さんと里季さんとは入れ違い。

武さん、山根さんとは初めてお会いする。デジクリのチャットからは、廃人寸前のぶよぶよなアル中のおっさんを想像してたのに、なんか二人ともすんげーたくましくて若々しくて、びっくり。武さんが、私のコラムについて感想を述べて下さった。「頭おかしいよ」。まー、ほめられたと受けとっておきます。

武さんと山根さんが、しこたま飲んでチャットするのは、意識の作用で巡らされた枠が発想の自由な広がりをブロックしたりしないよう、酒の力で枠を壊しておいて、無意識から発せられた生の言葉を読者にお届けしようというサービス精神からなのだそうで。

うーん、それはすごい。私は、言葉がどっかにつっかえて出てこなくなったとき、酒の力を借りてスムーズに出してやろうとしたことはあるけど、するする出てきた言葉を翌朝読み返して、こりゃ使いものにならんわ、と全部ボツにしたっけなー。武さん&山根さん的には、それこそ採用すべきだった、ってことになるのかな? いや〜、そんな恥ずかしいもん、ぜ〜ったいにお見せできません、て。

まー、恥ずかしいもんを、みずからさらけ出すのが芸術なのかな。確かに、写真の場合、被写体が写ると思ってるうちはまだまだで、あれは実際、撮ってる自分がよーく写っちゃうんだよねー。ものを見る見方が浅い場合、その浅さが丸見えになっちゃう。撮った写真を人に見せるなんてのは、非常に勇気のいる行為なのだ。人間、見られていちばん恥ずかしいのは、ソコでもアソコでもなく、そこ。人間の底なのだ。

んで、芸術論になる。絵の原点、つまり、人類が最初のころ、そもそも絵を描こうと思った動機って何だろうねー、って話。武さんによれば、例えば砂浜で打ち寄せる波に洗われて均された砂を棒でつーっとやれば、線が引けるように、何かをしたら、何かになった、という素朴な楽しさ、みたいなのが原点なのではないかという。あるいは、降り積もった、まっさらな雪の上に、思わず足跡をつけてみたくなる、なぜそうしたいのかよく分からない衝動みたいなもの。結局は消えていく、という点が絵の本質的なところなのだという。うーん、そこは難しくて、私にはよく分かりません。

しかし、原初的な動機というと、結局は、基本的な欲求あたりに取り込まれちゃったりはしないかな? 自己保存の欲求とか、種の保存の欲求とか。雪なんて、「バージンスノー」っていうくらいで、やっぱこう、性的ななんかを象徴してたりしないかな? オスがメスに、一押し二に押し三に押しで根気よく口説いたら、ついに思いかなってヤラせてもらえた、よし、いただき! みたいな。消えるのが本質だとすると、ヤッときながらなかったことにしたいってこと? ヤリ逃げ? 責任逃れ欲?

でも、そうすると、人間以外の動物はなんで絵を描かないんだ、って話になるわけで。あるいは、ひょっとすると、ふとした瞬間にそういう低次元の営みから切り離されて、なんらかの抽象概念に行き着くことができて、その先の先のずっと先に神的なものの存在をちょこっとだけ感じ取ることができて、ユーフォリア(euphoria:高い高揚感)を得て感動を味わう、という、基本的な欲求とは別の、高次元の芸術的体験、みたいなものが、当初からあって、それが動機になっているのかもしれない。

いやいや、もしかすると、言葉だけでは伝わらない何かを絵で伝達したかった、という実用の必要性からだったのかもしれないけど。プレゼン資料用の図だった、っちゅうか。

里季さんが、最初のころに書いてた、ステンドグラスで神を作ったって話が非常に印象的だった。たしか、学生のころ、例えば受験生なら理系か文系か進路を選ばなくてはならないように、生きるか死ぬかを自分で決めなくちゃ、って思って、それなら神様にお伺いをたてよう、ってことで、ステンドグラスで神様を作ってみた、って話だったよね。そんなことを考えるのは、里季さんをおいて他にいないだろうと思ったんだけど、それを言うと、里季さんたら「でも、みんなそうだと思うの」。これには、みんな、のけぞる。

でも、考えてみると、なんとなく、分からなくもないかなー。ステンドグラスで神様を作るかどうかはともかくとして、創作って、とてつもないエネルギーを注ぎ込む行為なわけで、動機としては生きるか死ぬかっていう切羽詰まったものがないと、できないことなのかもねー。

私は、捨象することが創造することだ、みたいなことを言ったかも。表現空間の次元が下がれば下がるほど、要らない部分をより多く捨象しなくては入りきれなくなるので、それだけ創造性のレベルは上がっていくのだ、と。あとは、よく覚えていない。

柴田さんと里季さんは、早めにお帰りになった。私は特に用事もなければ待つ人や犬もいないので、残る。夜がずいぶん更けてから、山根さんが帰ってきた。そしたら、武さんが、ちょっと15分だけ、とか言って隣りの部屋に行って、寝ちゃった。どう見ても朝まで起きそうもない様相だったけど、そこを山根さんがたたき起こして、復活させる。

んで、朝まで激論。これは、意図的に激論にしたもので、それを2時間分ぐらい、デジカメに録音していた。私ゃ、マジで、泥酔へべれけ状態で、かなり限界に近いとこにいた。議題すら、覚えてないぞ。無意識の底から、なんか言葉が出ちゃったかも。いやいや、しゃべってる間は、けっこう理性のはたらいた会話が成り立ってたような気がしなくもないけど。いやまあ、しょせんは酔っ払いの会話なんだけど。

ま、そういうわけで、いちばん滞在&覚醒時間が長かった私がいちばん楽しめたんじゃないかな? 6時半ごろだっけ、おいとま。途中まで、お二人に見送ってもらって、地下鉄の駅へ。ずっと熟睡状態のまま家まで帰り着いた感じだけど、途中でちゃんと二回、乗り換えてんだよね。帰巣本能ってやつか? 夕方まで、寝る。夜中近くになって、ようやく復活し、ヒトカラ行ったのが、この日にしたことの、すべて。

さて、まだまだ書くことはあるのだけれど、なんと、原稿の締め切り時間が来ちゃいました。どうやら次回に持ち越しで、また日記みたいなコラムになっちゃうかもしれませんが、よろしくおつきあい下さいませ。というわけで、今回はちょっと短いですが、このくらいにしときます。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

カメコ。8月9日(土)には、人形作家でもあり、劇団 MONT★SUCHT の看板女優でもある由良瓏砂さんに、高円寺を案内していただく。小物屋さんとか、手作りペンション風のこぢんまりした喫茶店などを回り、さらに古着屋さん「チョコレートチワワ」へ。いろんな人が持ち寄った手作りの品々を展示・販売してくれるお店。人形作家三人と私が10月に銀座で開くことにしているグループ展「幻妖の棲む森」のDMを置かせていただいた上に、ブログにも載せていただいた。ありがとうございます。
< http://yaplog.jp/choco-chiwawa/
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8月13日(水)、イタリアからビアンカさんが来る。何年か前、原宿の「橋」で "Psycho le Cemu" というビジュアル系のバンドのメンバーのコスプレをしていたイタリア人がいて、撮らせてもらった。それがバーバラさんで、ビアンカさんはそのお友達。今回は、ビアンカさんがお友達二人を紹介してくれた。で、イタリア人三人をお連れして、行きつけのメイドバー「ヴィラージュ・レイ」へ。カラオケが大好きなんだそうで、ウィングガンダムのオープニングテーマなどを上手な日本語で歌ってくれた。また楽しからずや。
< http://village-rei.girly.jp/
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■編集後記(8/29)

・来年5月から始まる裁判員制度で、候補者名簿に載る確率は全国では352人に1人だと新聞にあった。裁判所からの呼出状を「現代の赤紙」という人もいる。これを逃れるのは不可能ではないが、「イキガミ(逝紙)」を受け取った若者は、24時間後に確実に命を奪われる。逃れるすべはない。間瀬元朗のマンガ「イキガミ」(小学館)の話である。発売されているコミック5巻をリアルに一気読み。その国では、全国民が小学校入学時に「国繁予防接種」を受ける。そのとき1000人に1人、ナノカプセルを体内に注入される。対象者は、18歳から24歳までのあらかじめ設定された日時にカプセルが破壊されて死ぬ。国民は、その時期が来るまで「自分が死ぬのでは」という危機感を常に抱きながら成長することになる。なぜこんな無意味な国家による殺人が行われているのかというと、敗戦後すぐに制定され今も続いている「国家繁栄維持法」があるからだ。その危機感こそが、「生命の価値」に対する国民の意識を高め、社会の生産性を向上させる、という。このシステムに疑問や反対を唱えた者は、密告などにより告発され「退廃思想者」として粛正される。といった、とんでもない設定のマンガである。たぶん、「もし、あと一日しか生きられないとしたら……」というドラマの裏付けとなるルールを考えたらこうなった、のだと思う。死を告げる「逝紙」を受け取った若者の多くは、絶望してもなお最後の一日を懸命に生きようとする。そこに感動的なドラマが生まれ、3つのエピソードをまとめて映画化される。まさに荒唐無稽の「国家繁栄維持法」だが、ありえね?と笑っている場合ではない。裁判員制度だって、わけのわからない根拠で実施されようとしている。外国人参政権に積極的な国会議員も少なくない。マンガを読みながら感じていたいや?な雰囲気は、いままさに日本という国家が変な方向に行きそうだという雰囲気と似ているからだろうか。(柴田)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4091532810/dgcrcom-22/
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アマゾンで「イキガミ」を見る

・呑み会に参加したかったよ?。甥らがいるので、遠出は何かと気になるのである。/そういや書きそびれた「Googleストリートビュー」。もう試されました? こちらは自分の住んでいる地域は撮影されていなかったが、「Location View」には、うつってしまっていた。ま、住所を入れて検索しても近くが出るだけで、自宅はうつらないのだが、自宅がうつるようになったら削除願いを出したい。住宅街はやめて欲しいなぁ。顔うつっている人もいたし。便利ではあるけど、リスクは大きい。土地勘なくても犯罪できちゃったりして?。心理的なダメージも大きいよ。普段よく行くお店の周辺をまわったり、なつかしい場所に行ったり、東京見物なんかしちゃって楽しいことは楽しいんだけどさ。「Location View」はドライブできるし。商業地や民家のないところだけにしてくれないかなぁ。マンション住まいなら気にならないと思うんだけど。/Kさんからメール。「来週のプロフェッショナルが水泳の北島選手中村選手のコーチである、平井伯昌さんです。」絶対見るっ! ありがとうございます?!/今日、明日にBS日テレで「NITABOH」「ふるさとJAPAN」。これも見たい。(hammer.mule)
< http://www.google.co.jp/help/maps/streetview/
>  ストリートビュー
< https://www.locaview.com/
>  Location View
< http://www.nhk.or.jp/professional/schedule/
>
攻めの泳ぎが、世界を制した
< http://www.nitaboh.com/
>
津軽三味線始祖外聞。受賞多数。「消臭プラグ」の殿が声を
< http://www.furusatojapan.com/
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万引きした子供にお父さんは何と言ったか