映画と夜と音楽と…[386]シネマとジャズの濃密な関係
── 十河 進 ──

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●リトル・ジャイアントと呼ばれたジャズマン

The Little Giantひと月ほど前のことだが、新聞にジョニー・グリフィンの死亡記事が載った。シカゴに生まれ、1940年代から音楽活動を開始、「リトル・ジャイアント」の異名を取り、テナーサックス奏者として活躍したとある。共演者に、アート・ブレイキーやジョン・コルトレーン、セロニアス・モンクの名前が挙がっていた。80だったという。

荒っぽいところはあったものの、僕はジョニー・グリフィンのテナーサックスが好きだった。荒っぽさは力強さにつながる。「THE LITTLE GIANT」というアルバムでは、その力強さが全面に出ていた。もちろん、代表曲になった「HUSH-A-BYE」のしっとりした演奏も忘れがたい。僕としてはアルバム「A BLOWING SESSION」(1957年)の「THE WAY YOU LOOK TONIGHT」が印象に残っている。

さて、手持ちのジョニー・グリフィンのCDを調べてみたら、リーダーアルバムが5枚、サイドメンに入っているのが5枚あった。リーダーアルバムはわかっていたが、サイドに入っている5枚は改めて見ると「へえー、この人のアルバムにも参加していたのか」と意外な感じのものもある。



ミステリオーソ+2セロニアス・モンクのレコードで初めて買ったのが「ミステリオーソ」(1958年)だった。高校一年の時に高松市丸亀町の日本楽器で「エイ、ヤッ」という思いで買った。当時、LPレコードは1800円から2000円ほどだったと思う。15歳の少年が簡単に買えるものではない。少ない手持ちのレコードを、友人たちと貸し借りして聴いていた。

ジョニー・グリフィンは「ミステリオーソ」でテナーサックスを吹いている。だから僕は15歳の時に初めて彼の演奏を聴いたのだが、「ミステリオーソ」にジョニー・グリフィンが参加していることを、すっかり忘れていた。まあ、そんなものかもしれない。

ミステリオーソ (ハヤカワ文庫JA)「ミステリオーソ」は、ジャケットにキリコの絵を使っている。ちょっとミステリアスな感じだ。「私が殺した少女」など私立探偵沢崎シリーズを書いている原尞(はら りょう)さんはジャズ・ピアニストでもあるが、「ミステリオーソ」というタイトルのエッセイ集を出している。

風のささやき意外な気がしたのはローラ・フィジィの「BEWITCHHED(瞳のささやき)」(1993年)にジョニー・グリフィンが参加していることだ。オランダ出身の女性歌手のデビューアルバムである。この後、フランスの大御所ミッシェル・ルグランと組んで「WACH WHAT HAPPENS(風のささやき)」(1997年)を出す。

余談だが、10年ほど前、ルグランと組んだアルバムを出したときにローラ・フィジィが来日し、僕は青山の旧ブルーノート東京に聴きにいった。ローラ・フィジィは客の膝に乗ったりしてサービス満点だったが、僕のそばにはこなかった。しかし、ルグランの「シェルブールの雨傘」が聴けたので僕は幸せな気分になった。大きな文字では書けないけれど、隣には若く美しい女性がいたし…。

●フランスで始まったシネ・ジャズのブーム

ジャズメンはヨーロッパとの関係が深い。オランダ出身の女性歌手のサイドメンにアメリカの黒人テナーサックス奏者が入っていても不思議ではない。オランダやスウェーデンの女性歌手のレコードが何枚もジャズの名盤として残っているし、有名なジャズメンとの共演も多い。

死刑台のエレベーターマイルス・デイビスの自伝は抜群に面白い読み物だが、その中にヨーロッパにいって初めて自分が「黒人」ではなく、「ミュージシャン」としての扱いを受けたというようなことが書いてあった。ジュリエット・グレコとの恋物語や映画「死刑台のエレベーター」(1957年)の録音の話なども詳しく語っている。

ジョニー・グリフィンも1962年にヨーロッパに渡り、そのまま定住している。アメリカに帰ったマイルスが「ヨーロッパはいいぜ。人種で差別されることもない。音楽がよけりゃ白人女にもモテモテだよ」なんてことを言い触らしたのかもしれない。1960年前後には、多くの黒人ジャズメンがパリを中心にヨーロッパで活躍した。

それが、おそらくフレンチ・ジャズのブームを作り出し、シネ・ジャズを生んだのだろう。1997年に月刊「スウィング・ジャーナル」が企画したアルバム「オールド・モンマルトル」にジョニー・グリィンも参加しているが、そのアルバムには「死刑台のエレベーター」「褐色のブルース」など、シネ・ジャズの名作が取り上げられている。

シネ・ジャズの嚆矢をマイルス・デイビスの「死刑台のエレベーター」とする説が主流だが、同時期にMJQ(モダーン・ジャズ・クァルテット)が音楽を担当した「大運河」(1957年)がある。監督はロジェ・ヴァディム。才人ヴァディムは、映画とジャズの相性のよさを感覚的に気付いていたのだろう。ミルト・ジャクソンのヴァイブの音色が美しい。

危険な関係ロジェ・ヴァディム監督作品としては「危険な関係」(1959年)もジャズを使った映画として有名だ。ラクロの古典小説を現代に移した異色作。ジェラール・フィリップとジャンヌ・モローの顔合わせが印象に残るアンモラルな映画だった。主題曲はシネ・ジャズの名曲として残った。アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズの演奏はワクワクさせる高揚感がある。

──永い間、私は、ロジェ・ヴァディムが嫌いだった。むしろ、軽蔑していたといった方が適当かもしれない。三年ほど前、品田雄吉氏とヴァディムが天才かどうか、言い合ったことがある。彼は、絶対に天才だと主張し、「大運河」を見ろ、と言った。

これは1962年にヴァディムの「血とバラ」が公開されたときに書かれた文章である。書いたのは若き小林信彦さん。「コラムは笑う」(ちくま文庫)の中で見付けた。副題が「エンタテインメント評判記1960〜1963」となっている。その目次を見ると、フランスなどのヨーロッパ映画が毎月のように公開されていたことがわかる。

「ひと夏の情事」「二重の鍵」「唇によだれ」「太陽がいっぱい」「艶ほくろ」「若者のすべて」「地下鉄のザジ」「金色の目の女」「女は女である」「雨のしのび逢い」「私生活」「素晴らしい風船旅行」などなど、ヌーヴェル・ヴァーグからブリジッド・バルドーのコメディまで様々な作品が公開されていた。

●映像と音の積み重ねで語られる物語が伝えるもの

殺られる今では忘れられた映画監督になっているかもしれないが、エドアール・モリナロという人がいる。「絶体絶命」でデビューし、初期の作品には「殺られる」「彼奴を殺せ」(1959年)など、フィルム・ノアール作品が多い。ちなみに前者は「やられる」と読み、後者は「きゃつをけせ」と読む。「現金」を「げんなま」と読んでいた頃の映画だ。

「殺られる」のテーマ曲は、やはりアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズが演奏してヒットした。アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズ最大のヒットは「モーニン」で、彼らが来日した1961年の正月にはテレビ中継があり「蕎麦屋の出前も鼻歌で歌った」と言われている。これも小林信彦さんの本で読んだ。

「彼奴を殺せ」は、モリナロの監督3作目だった。新人監督らしい、キレのよいカッティングが印象に残るから、公開当時はかなり話題になったのではないだろうか。気負いも感じられるが、何となくほほえましい感じがする。ほとんどパリの夜のシーンばかり。モノクロで描く夜のシーンは素晴らしい。加えて、ジャズは夜に似合う。

映画は女が絶叫するアップから始まる。カメラが引くと、列車から女を突き落とそうとしている男。ショッキングなオープニングである。女は手すりを必死でつかむ。その指をひとつひとつ剥がしていく男。女は落下する。次のシーンは裁判所だ。先ほどの男が弁護士と共に裁判官の部屋に入る。「非常に疑わしいが、証拠がないのであなたは無罪だ」と裁判官が無念そうに言う。

男は、邪魔になった愛人を殺したのである。だが、殺された愛人は人妻だった。男が自宅に帰ると、その夫(リノ・ヴァンチュラ)が忍んでおり、命乞いする男を絞殺し、首つり自殺に見せかけて男の屋敷を出る。だが、リノ・ヴァンチュラが屋敷を出た途端に男が呼んでいたタクシー運転手に声をかけられ、顔を見られる。

裏切った妻なのに復讐をする殺人者を演じたリノ・ヴァンチュラは、若く目の鋭さは尋常ではない。この映画のヴァンチュラをモデルにして、手塚治虫はアセチレン・ランプというキャラクターを創った。確かに、アセチレン・ランプの視線には、「彼奴を殺せ」のヴァンチュラの面影がある。

ヴァンチュラは目撃者であるタクシー運転手を殺そうとつけ回す。タクシー運転手には無線係の恋人がいて、彼女が機転を効かせてパリ中のタクシー運転手に救いを求める。タクシー運転手たちがヴァンチュラを追いかける。次第に追い詰められていくヴァンチュラの表情が悲しい。彼は妻に裏切られていたにもかかわらず、その妻を愛していたのだ。だから相手の男を殺した。だが、今度は自分が殺人者として警官隊に囲まれる…。

この映画の脚本には、ピエール・ボアローとトーマ・ナルスジャックが加わっている。ボアロー・ナルスジャックの名で様々なミステリを書いたフランスの代表的なコンビ作家だ。「悪魔のような女」(1955年)や「めまい」(1958年)などの原作で有名だ。サスペンスの盛り上げ方はさすがだと思う。

「彼奴を殺せ」に続くモリナロの4作目が「ひと夏の情事」(1960年)だった。初めての恋愛映画。ゴダールやシャブロール、トリュフォーなどのヌーヴェル・ヴァーグ派とは一線を画す監督だったが、やはりカッティングにキレがあり、そこが魅力的だった。主演はパスカル・プティという小柄な人だが、この一本で僕にとっては忘れられない女優になった。

夏、海、ヴァカンス、恋…、それらを夏の終わりに回想する話である。元々、僕は海が好きなのだが、この映画では様々な海が撮影されていて、それが記憶に残った。小林信彦さんも「この映画の内容はすっかり忘れてしまったとしても、あの海の色だけはいつまでも忘れないだろう」と書いている。

映画って、そういうところがあって、僕も「ひと夏の情事」のストーリーはほとんど忘れているが、ワンシーンの美しさや映画全体から伝わってきたニュアンスや雰囲気、倦怠感や人生の虚しさ、喪失感のようなものはよく憶えている。そして、もちろん映像を彩った音楽も…。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
このコラムの第一回目は、1999年8月28日でした。今回で10年目のスタートになりますか。歳もとったし、生活も変わりました。何より子供が大きくなってしまいました。無理がきかないなあ、と思うことも増えました。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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映画がなければ生きていけない 1999‐2002
十河 進
水曜社 2006-12-23
おすすめ平均 star
starちびちび、の愉悦!
star「ぼやき」という名の愛
star第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
starすばらしい本です。
starものすごい読み応え!!

映画がなければ生きていけない 2003‐2006



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ジャズ&シネマ(1)
バルネ・ウィラン アラン・ゴラゲール ケニー・ドーハム
ユニバーサル インターナショナル 2001-03-23
おすすめ平均 star
star『彼奴を殺せ』『墓に唾をかけろ』



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ジャズ&シネマ(2)
アート・ブレイキー JATP ジョルジュ・アルヴァニタス
ユニバーサル インターナショナル 2001-03-23

by G-Tools , 2008/08/29