<早くメリル・ストリープのような女性にならなくては!>
■映画と夜と音楽と…[389]
わらにまみれて生きていく
十河 進
■うちゅうじん通信[29]
うちゅう人をワクワクさせる「イラストレーション」誌!
高橋里季
■ところのほんとのところ[2]
ところスタイルのランドスケープ
所 幸則
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〜キーパーソンが語るWebとRIA、そしてその未来〜
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■映画と夜と音楽と…[389]
わらにまみれて生きていく
十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20080919140400.html
>
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●「わらの女」は衝撃が強すぎて一種のトラウマが残った
僕の記憶が確かならば、「わらの」というタイトルの映画は三つある。年代順に並べれば「わらの男」(1957年)「わらの女」(1964年)「わらの犬」(19 71年)となる。「わらの男」は「ピエトロ・ジェルミの」であり、「わらの女」は「カトリーヌ・アルレーの」と形容詞がつき、「わらの犬」は「サム・ペキンパーの」である。
ピエトロ・ジェルミはイタリアの監督であり、サム・ペキンパーはアメリカの監督である。カトリーヌ・アルレーだけはフランスのミステリー作家であり、原作者だ。「わら」という言い回しは、ヨーロッパやアメリカではけっこうあるのだろうか。「とるに足らない」「つまらない」「卑小な存在」といった意味らしい。日本でも「溺れる者はワラをもつかむ」と言われていて、あまり頼りにはされていない。
「わらの女」は中学1年生のときに読んで天地がひっくり返るほどびっくりした。衝撃が強すぎて、一種のトラウマが残った。ある意味では、僕の人生観を変えた小説だ。世の中には悪意があり、残酷な結末が有り得るのだと叩き込まれた小説である。甘っちょろいことを言ってんじゃないよ、とムチを手にした怖いお姉さんに教えられた気分だった。
僕は12歳だった。創元推理文庫である。ちょうど「わらの女」が映画化された頃で、表紙はショーン・コネリーとジーナ・ロロブリジーダの写真だったと思う。ショーン・コネリーは007シリーズがヒットしジェイムズ・ボンドの印象が強かった頃だが、そのイメージを変えるためにあえて出演したと映画雑誌で読んだ記憶がある。
同じ頃、コネリーは「マーニー」(1964年)というアルフレッド・ヒッチコック監督作品にも出ている。どちらもジェイムズ・ボンドのようなスーパーヒーローとはほど遠い役である。いや、「わらの女」では徹底的な悪役だ。ヒロインは悪女なのだが、その悪女を騙し罠にはめる役がショーン・コネリーだった。
「わらの女」は、今読んでも初めてならかなりショックを受けると思う。僕は女流作家に偏見があり、彼女たちは自作の登場人物たちに徹底的に残酷になれると思っている。アガサ・クリスティもそうだし、カトリーヌ・アルレーにいたってはどうしょうもないほど自分が作り出したキャラクターたちに対してサディスティックである。
カトリーヌ・アルレーの小説のタイトルはどれもよくできていて、読んでみたくなる。1953年に「死の匂い」でデビューしたというから、僕がまだおむつをしていた頃から小説を書いているのだ。「わらの女」はデビューから3年後の作品だという。
僕は「二千万ドルと鰯一匹」というタイトルが好きで、小説も読んだけれど、これも悪女vs悪女の話である。昔、NHKが連続ドラマにした。ヒロインの看護士役は山本陽子だった。「二千万ドルと鰯一匹」は1971年の作品だ。アルレーはいくつになったのだろうか。元気でフランスで生きているのか。東洋の果ての少年に、女の怖さを教え込んだなどとは夢にも思っていないだろう。
しかし、僕のような経験をした少年は多いのではないだろうか。僕がミステリを読み始めた頃、名作と言われていたのは「Yの悲劇」であり、「樽」であり、「僧正殺人事件」であり、「木曜日の男」であり、「幻の女」であり、「長いお別れ」であり、「わらの女」だった。世界中で多くの人が読んだに違いない。そして、あの結末に衝撃を受けたはずだ。
●完全犯罪は成功してはならないという不文律があった
完全犯罪は成功してはならない。それは不文律である。アラン・ドロンの魅力に充ちた「太陽がいっぱい」(1960年)のラストシーンが、なぜとってつけたようなどんでん返しになったのか? 「地下室のメロディー」(1963年)のラストシーンは、なぜプールの水面を埋め尽くす札束で終わったのか? もちろん、その不文律から逃れられなかったからだ。
だが、容疑者全員が犯人であるとか、小説の語り手が犯人であるとか、禁じ手を破るミステリを書いたのが女流作家のアガサ・クリスティであったと同じように、完全犯罪が成立してしまう結末を書いたのがカトリーヌ・アルレーだった。彼女の小説の結末では、悪人の高笑いが聞こえてくる。「わらの女」はそれを実践した最初ではないだろうか。
創元推理文庫の扉には梗概が簡単に掲載されている。そこから引用すると「勧善懲悪という推理小説の不文律を破り、女の虚栄の醜さを完膚なきまでに描いて全世界にショックを与えた超問題作」と書かれている。その紹介文に偽りはない。今では、歴史的な意味を持つミステリになった。
しかし、映画版は原作ほど残酷にはなれなかった。ヒロインを演じたジーナ・ロロブリジーダはイタリア出身のグラマー女優で、多くのハリウッド映画でセクシーさを発散していたが、大金持ちの老人を騙して結婚し、財産目当てに殺してしまう悪女役を演じるには腰が据わっておらず、中途半端なヒロインになった。
大金持ちの老人の頭の切れる秘書であり、ヒロインをその老人と結婚させ遺産を奪おうとする主犯を演じたショーン・コネリーは、徹底的な悪役にもかかわらず、いざとなるとジェイムズ・ボンドのイメージを棄てきれず、これもまた中途半端になった。したがって、映画全体がどっちつかずの印象を与えることになったのだ。
ハリウッド映画は「犯罪は引き合わない」というモラルを守り続けていた。ジョン・ヒューストン監督「アスファルト・ジャングル」(1950年)やスタンリー・キューブリックの「現金に体を張れ」(1956年)が犯罪者たちの自滅で終わるのは、そのモラルに縛られていたからである。
そのモラルは60年代末のニューシネマの時代を経て、やがて薄れていくのだが、現在でも強く残っている気はする。「オーシャンズ11」(2001年)シリーズのように盗む相手が悪辣であり、コメディータッチの犯罪映画では強奪が成功したりするが、シリアスな犯罪もので犯人が罰せられなかったり自滅しなかったりするものは少ない。
「わらの女」が原作通りの結末にしていれば、完全犯罪が成立するハリウッド映画の嚆矢として名を残したに違いない。ちなみに「わらの女」とは文庫の解説によれば「フランス語のHomme de Paille(わらの男)をもじった言葉で、ロボットとか、でくのぼうとかいうイディオムである。この場合は『囮にされた女』という」ことらしい。
●人間の行動は護身のために焼くわらの犬のように卑小な存在
「わらの犬/Straw Dogs」は、「天から見れば、人間の行動は護身のために焼くわらの犬のように卑小な存在でしかない」という老子の言葉から引用されたタイトルだという。「わらの犬」は映画史に残る名作だ。ヴァイオレンス派と言われたサム・ペキンパー監督初の現代劇であり、暴力そのものをテーマとし、レイプシーンのリアルさや暴力描写の凄まじさにおいて、ではあったけれど…。
この映画で「わらの犬たち」と呼ばれるものは、登場する人間たちすべてなのだろう。人間の愚かさが次第に顕わになっていく映画である。数学者で平和主義者である主人公(ダスティン・ホフマン)は、イギリス人の妻(スーザン・ジョージ)の故郷であるイギリスの片田舎の農場を借りて隠棲する。
1971年制作という背景を考えるならば、おそらく彼は、アメリカの大学が荒れていて、そこから逃れてきたのだ。暴力が嫌い。もめ事が嫌い。人と対立することが嫌い。だから、妻とふたりで人とほとんど会わないような田舎に籠もり、研究に没頭しようとする。
だが、妻の昔の恋人やその仲間たちが登場する。肉感的な妻を昔の恋人は誘惑しようとするし、妻の方もまんざらではない。彼は夫とはまったく逆のタイプのブルーカラーであり、上半身よりは下半身で生きているような男であり、彼の仲間たちも野卑を絵に描いたような連中だ。彼らは主人公を鴨猟に誘い出し、その間に妻を輪姦する。
彼らの中のひとりに妹がいる。男と見れば誘惑する色情狂のようなハイティーン娘だ。彼女は主人公にも色目を使うが、知的障害者の男をからかうように誘惑する。ある夜、知的障害者の男は娘の誘惑にのり、力を入れすぎて娘を縊り殺してしまう。恐ろしくなった彼は主人公の農場に逃げ込むのだ。
娘の父親を筆頭に男たちが「あいつを引き渡せ」とやってくる。彼らの手に渡せば、すぐにリンチに遭い首をくくられるだろう。主人公は家に閉じこもり、男を守ろうとする。男たちが主人公の家を壊し始め、次第にエスカレートする。そこからの暴力描写がもの凄い。窓を破って入ってこようとした男に煮えたぎる油をかける。熊を捕らえる巨大な鉄の罠で侵入者の首を挟む。窓から入ってきた男の足を散弾銃で破砕する。最後に残った男を何度も何度も火掻き棒で殴りつける。
この長い長い攻防をペキンパーは、短いカット割りのハイスピード撮影(スローモーション)という得意技を使って描写する。これは、「ワイルドバンチ」(1969年)で完成させた手法で、「暴力の美学」と評される結果になったのは、アクションをスローモーションで引き伸ばしながら、惜しげもなくカットを素早くつないだからである。
これはペキンパー独特の実に魅力的な映像で、ジョン・ウー監督がいくら真似をしても届かない境地に達している。二挺拳銃をぶっ放しながら飛ぶ主人公をスローモーションで見せる(たとえば「M:I-2」のトム・クルーズなど)ジョン・ウー印のカットは、それなりに魅力的ではあると思うのだけど…。
それにしても、ペキンパー作品に出てくる男たちは、どうしてあんなにギラギラと欲望を丸出しにしているのだろうか。「わらの犬」を見ると、登場する人間たちすべてが愚かに見える。主人公も、その妻も、主人公の家を襲おうとした男たちを止めようとして殺される退役軍人の男さえも、誰も彼もが愚かさを見せる。映画を見終わった後には、虚しさが消えない。
「わらの…」とタイトルをつけるのは、とるに足らない人間を表現したいがためらしい。「鉄道員」(1956年)や「刑事」(1959年)で有名なピエトロ・ジェルミ監督の「わらの男」も、妻子が留守の間に近所の女とできてしまった男の煮え切らない日々を描いたものであるという。ジェルミが描く中年男の悲哀が好きな僕としては一度見たいのだが、未だに見逃している。
「わらの男」と言われるまでもなく、人間がとるに足らない存在なのはわかっていることだ。しかし、つまらない、とるに足らない存在かどうかは、本人の自覚の問題だと思う。とるに足らない存在だと認識しながら、生きていく…。そう考える人に僕は好意を感じるタチらしい。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
日本冒険小説協会会長・内藤陳さんの?回目の誕生パーティに参加してきました。先日、講談社文庫で「笑い犬」が出たばかりの西村健さんが、松田優作の「何だぁ、こりゃあ」のモノマネをやってくれました。気合いが入っていて、なかなかの見ものでした。
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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■うちゅうじん通信[29]
うちゅう人をワクワクさせる「イラストレーション」誌!
高橋里季
< https://bn.dgcr.com/archives/20080919140300.html
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今日は、リニューアルされた雑誌のことを書きます。玄光社の「イラストレーション」9月号。この雑誌は、隔月奇数月発売で、173号だそうです。日本で唯一のイラストレーション専門誌として、ずっと続いてきた雑誌なのです。
リニューアルされた9月号を手にとると、一番変わったのは、本のサイズで、前はB5判だったのが、A4変形判というふうに、少し大きめになりました。大きくなったのに、重くはなくて、軽やかに見える。広くて自由になった感じ。この雑誌のロゴが、私は大好きなんだけど、ロゴもひとまわり大きいわ。嬉しいわ。
前より表紙がツヤツヤして見えるのは、私の気のせいかも? 宇野亜喜良さんの写真が表紙を飾っているせいか、なんだか、キラキラして「リニューアル号だわ!」っていう気がするの。
そうなの。リニューアルされて素敵になったイラストレーション誌のことを書こうと思っているんだけど、もう、そのことより「宇野亜喜良が選んだ名画50」という内容が嬉しくて、ありがとう「イラストレーション」編集部!
宇野さんのメガネがなんてカッコイイんでしょう。私は、このごろメリル・ストリープに憧れていて、メリルみたいな女性になりたいんだけど、メリルみたいになった私と対談企画で絵になるのは、宇野亜喜良さんをおいて他にはいるまい! と勝手に心に決めました。
< >
宇野さんは、私のことを全く覚えていないと思うんだけど、私は宇野さんに、二回もサインを頂いています。一度目は、何年も前にラジカル鈴木さんと展覧会を見に行った時。灘本唯人さんと宇野亜喜良さんの二人展でした。ひどい雨の日で、ギャラリーで、灘本さん、宇野さん、ラジカルさんと一緒にお茶を頂いて、少し楽しいおしゃべりをしました。そして、宇野さんの著書「薔薇の記憶」にサインをして頂いたんです。
二度目は、ひとりで宇野さんの個展を見に行って、その時はサイン会だったので、宇野さんの画集にサインを頂こうと、長い列に並びました。私が有名人のサイン会の列に並んだのは、この一回だけで、私は有名人のサインが欲しい訳ではないんですね。宇野さんのサインが、カッコイイんです。なんだか、お守りにしたいくらいの、魔法使いの手による文字みたいな気がします。
それから何年かして、私は女性誌の占い特集の扉ページでイラストの仕事をしたんだけど、本ができあがってきたら、同じ本で宇野さんが仕事をしていらして、あろうことか、目次のところに、私の絵と宇野さんの絵が、小さく並んで載っていたんです! 夢のようでした。
「う、宇野亜喜良の絵と私の絵が、お、同じページに載っている〜!!!」と心の中で叫んだけど、「でも、宇野さんは、きっと私の絵なんか気に止めないんだろうな。名刺もお渡ししているし、たぶん年賀状とかも出してると思うんだけど、そういうファンはいっぱいいっぱいいて、私の名前とか、ぜんぜん気がつかないわよね〜。」
それでも、「イラストレーション」誌が大きめサイズなって、私と宇野亜喜良との対談の準備が着々と進んでいるんだわ! (誰が進めているのかと言えば神様が)私は、その日に間に合うように、早くメリル・ストリープのような女性にならなくては!
対談の題名は、「見ることと見られることのエロス」で、アルブレヒト・デューラーの絵を眺めながら(クリムトでもいいんだけど)、宇野さんと私は、奇麗な色のカクテルを頂く。美しい絵を描くことは、闇夜の一族の決まりの遊び。そうでしょう? 宇野さん、次の新月は9月の29日ですね。とか、お話するのだわ。
日刊デジクリ編集長柴田氏は、もしかして、高橋里季の夢を叶える術をご存じでは? 日刊デジクリの読者には、玄光社の編集部の方が、もしかしたら? そういえば、「イラストレーション」誌の前の編集長、片桐淳一さんのファンが、私の友人の中に何人かいて……と「イラストレーション」誌の話題はつきないので、今日はこのくらいで。
「イラストレーション」誌、次号9月27日発売(11月号)も楽しみにしています!
【たかはし・りき】イラストレーター。riki@tc4.so-net.ne.jp
・高橋里季ホームページ
< http://www007.upp.so-net.ne.jp/RIKI/
>
クリエイター向けのサービスを提供するLASOサイトにて、私の作品紹介をして頂きました。イラスト新作を載せて頂いたので、見てみてくださいね! この絵は、岩絵の具を使ったり、それをスキャンしてワットマンという紙にプリントしたものにさらに着色したり、新しい技法にチャレンジして楽しく描いた絵です。
・クリエイター向けLASOサイトトップページ
< http://laso.jp/
>
・私の作品掲載ページ
< http://laso.jp/createrlist/special/38.php
>
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■ところのほんとのところ[2]
ところスタイルのランドスケープ
所 幸則
< https://bn.dgcr.com/archives/20080919140200.html
>
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元旦早朝から撮っていた渋谷のスナップシリーズ。コンセプトもおもしろく、読者が楽しめる企画ということで、老舗写真雑誌の副編集長も連載に前向きになっていたのになぜ迷ったのかというと、所幸則の新しい顔としてそれでいいのか? という懸念があった。風景を撮る、スナップを撮る、それ自体は構わないが、よくも悪くも僕はめだつ。
「ところが新しい事をやり始めた」というのが伝わるのは早い。「ところがおもしろい新しい事をやり始めた」でなければいけないところなのに、「ところが普通のスナップ撮ってるみたいだ」じゃあだめなんだ。予想を裏切りつつも、良い方に裏切らないと、と思うところです。
ちょうどその頃、中堅(?)カメラマンのグループ3人(33〜36歳っていうと若手?中堅?)が僕んちにやってきた。山田君と、川崎君と、米原君、どうも中堅から若手中心のフォトグラファーの発表の場を作って、みんなが刺激し合うのはどうかという発想で、まあそこからいろいろ広がるんだろうね。妄想も広がってる人がいて、ちょっとクスッとしちゃったりもしたが、そういうことをするって凄くパワーがいることだからまあいんじゃなかな、本音のところ。
とりあえずプレゼンテーションの3分企画に参加する事を約束して、当日行ってみるとなぜか3分ではなく僕ら、40オーバー世代は"大御所枠"とかいわれて5分持ちになってた。僕は若手じゃんかー! と思ったけど。
第一回目は開催者の思惑と違う学生達が集まって、19〜20歳くらいの人が非常に多かった。学校の先生やってるゲストが、生徒を授業の一環のように呼んだんだろう。教授や准教授や講師の方々にとって、こういった活気ある場所はぜひとも生徒を連れて行きたいだろう。
だけど、それは自分たちでその場を作るべきだよね。他人のフンドシで授業をしてはいけないんだよ。ところはそう思う。彼ら(山田君と、川崎君と、米原君、松川君)がやりたいのは、自分たちを刺激する仲間達とのプレゼンであり、それはプロで悩み苦しみもがいてる熱い人たちとの交流だ。学生にも悩む人はいるけれど、悩む内容が違うんだよ。
35歳プロと19歳学生じゃね。学生が多かったためもあり、100人キャパのところ130人以上の人が来て、30人以上の人が帰って行った。遅れて来た人達はほとんどが忙しい中をやりくりして来たデザイナーだったり、編集者だったり、プロの人だったようだ。
次回からは、対象を基本プロにするようだ。いろんな人に協力を頼むと、当然みんなの思惑がずれて行く。勉強になったよね。
僕は母校で展示禁止になった作品を使ってプレゼンしたけど、結構受けた。みんなが想像もつかないLOVE&SEXシリーズを好きだと言って、学生が何人も名刺をもって挨拶に来てくれてうれしかったなあ。
そこで横木安良夫さんにお会いした。横木さんと言えば、ぼくが20そこそこのころにコマーシャルフォトでの活躍を見た事があったあこがれの人だ。その方の個展が5月末前後に四谷で開催されていて、お邪魔してみた。
お話もしてみた。僕の普段のスナップに対する考え方ととても近しい考えで、とても共感できたのだが、それがのちに僕のターニングポイントになろうとは。5月末に我慢できずにSIGMA DP1を買った。使い方は相変わらずよくわからないけど何となく使ってた(じつは携帯もカメラも操作は苦手だ)。そのときに、はっとする写真が撮れた。いや、まだ完成していないのだけど、イメージが頭に流れ込んで来た。
これだ!! これなら、ところを知る人も知らな人でも、はっ! とするよ。うん、これだー。ところスタイルのランドスケープだ! それを現実に一枚に定着するにはどうすればいいのか? Adobe CS3で試行錯誤、数日悩む。ここは友人のAdobeの人に来てもらう事に。ランチでおびき寄せる。
ぼく:こういうイメージなんだけど、それに向いた技術はCS3にあるかな〜。K:こうやれば良いんじゃないかな。(とテキパキ教えてくれる)
できそうだ! ありがとう! ヒントはいただいた! そこから3〜4日ずっと実験。手応えあり! ところはいつもみんなに助けられてところでいられるんだなあと実感。
6月15日に一枚の写真が仕上がった。「合成」という言葉はチョット違うと思う。「凝縮」があってる。「コマーシャル・フォト」10月号の個展紹介の3枚並んだぼくの作品の真ん中のが最初の完成品です。本もってたら見てみてー。
こういうのが撮りたかったんだ。横木さんの個展のスナップと、ぼくの元旦から撮ってたスナップはまさに王道なスナップだ。その場の出会いに反応して、自分の目とカメラで素早く切り取り定着される。もちろん、みんな同じ写真は撮れない。だけど、王道であるが故に個性はマニアにしか見分けがつかないだろう。
僕は一目でわかる、自分の体の中を通って行ったスナップであり、風景、ところスタイルを探したかった。そしてこの写真は今、このカメラじゃないと撮れない(理由は今度書くかな)。
6月末に4〜5枚の写真が仕上がって、渋谷で有名雑誌のADやってる知人のいる編集部に電話して、面白い事やってるんだけど見に来ない? って言ったらその日の夕方に編集部を抜け出してやってきてくれた。面白いからもっといっぱい見たいという。新作できたらいつでも見に来たいと言って帰って行った。
自信が出て来て突っ走る事に。念のためもう一人の渋谷の写真の目利きに電話。彼女はハーフでかつて上○◎彦さんが売れてビッグになるまでマネージャーをしていた。正統派の目利き。
彼女も「これはまるで、渋谷という街のポートレートね。」「渋谷と、ところさんの狂気が見えるわ。」といって帰って行った。
次の日、近所にいるから会おう、ついでに昼飯でも! っと電話をかけて来たのがMOGRAの大将だった。彼はアートコーディネーターをしている。彼にも見せてみた。「これは……、渋谷で個展やる気ないすか?」
ん? これはベルリンかパリに持ってくつもりなんだけど(これも長くなるから次回!)日本なら確かに渋谷が一番だよね。
渋谷なら思う場所があるので、話をしてみていいすか! とのこと。その2週間後に個展が決まった。その時点で作品数8枚……。
日にちが決まったのが7月31日。9月28日(日)から10月4日(土)だ。7月31日は「アイデア」8月9日売りの校了日、たまたま編集長立ち会いで撮影をしていた。そのとき差し替えで個展のために表3をくれた。感謝です!その時点で作品数まだ半分かな(苦笑)
今回時間もギリギリのなか、お盆前に9月売りの本にページをくださった、
「フォトグラフィカ」発売中
「コマーシャル・フォト」発売中
「アサヒカメラ」20日
「日本カメラ」20日
「キャパ」20日
「デザインの現場」27日
みなさんに感謝です。
●「渋谷1sec(ワンセコンド)瞬間と永遠」写真展
テーマは「ワンセコンド(1秒)瞬間と永遠」
渋谷の駅周辺の風景(あくまで主役は風景、建築物)のなかで、自分自身では一瞬もそこにとどまれない儚い存在である人間や(人間が走らせてる)車を使って、建物は動かないけれどそこに生きて存在する人間たちを空気のように扱う事で生き物のように変貌して行く今の街を表現するために、ところスタイルのランドスケープ1sec(ワンセコンド)というシリーズを撮り始めました。詳しくは会場で見て体感してください。瞬間と永遠がそこにはあります。
その序章としての「渋谷1sec(ワンセコンド)瞬間と永遠」写真展を開催します。時代の証人になっていただければと思います。
日時:9月28日(日)〜10月4日(土)11:00〜23:00
場所:Gallery Conceal Shibuya 4F(ギャラリーコンシール渋谷)
東京都渋谷区道玄坂1-11-3 4F TEL/FAX:03-3463-0720
渋谷駅から徒歩3分です。A-ROOMとB-ROOMです。
A-ROOMではバライタプリントによる作品の展示。B-ROOMでは特殊な大型出力による部屋の3方向の展示で渋谷の臨場感を演出。
最終日10月4日(土)19:30から対談(渋谷と写真)&クロージングパーティーがあります。1,500円(対談の相手は有名音楽雑誌のAD他予定)
協賛:東京リボン シグマ supported by MOGRA
展示作品のオリジナルプリントも予約販売します。50限定です。
冬以降ヨーロッパで展開して行く予定。
< http://www.renovationplanning.co.jp/gallery_conceal/shibuya4f/
>
【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則
< http://tokoroyukinori.seesaa.net/
>
所幸則公式サイト
< http://tokoroyukinori.com/
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■セミナー案内
RIAコンソーシアム・ビジネスセミナーXI
〜キーパーソンが語るWebとRIA、そしてその未来〜
< http://www.ria-jp.org/information/20080929.html
>
< https://bn.dgcr.com/archives/20080919140100.html
>
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今までRIACビジネスセミナーでは、技術的な観点やビジネス的な視点を主にしてきましたが、今回は、この業界を切り開いてきた3人の視点を中心に構成しました。この流れの速い業界で、何を見、何をなし、何に関心を払っているのか、幾つかの事例も交えて一緒に考えてみたいと思います。
日時:9月29日(月)14:30〜17:00(14:00より受付開始)
会場:アジュール竹芝 天平の間(東京都港区)
< http://www.hotel-azur.com/access.html
>
講師:阿部淳也氏/株式会社ワンパク 代表取締役社長
森田雄氏/株式会社ビジネス・アーキテクツ 取締役
長谷川敦士氏/株式会社コンセント 代表取締役社長
馮富久氏/Web Site Expert 編集長
参加費:3,000円(事前振込み制/定員:120名先着順)
その他:
・技術評論社「Web Site Expert 」誌で好評連載中の対談ライブ版です
< http://gihyo.jp/design/serial/01/key-person
>
・ご来場いただいた方には2007年版「RIA構築ガイドEssential」を進呈!!
< http://www.ria-jp.org/about/guide.html
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■編集後記(9/19)
・実家からいまの集合住宅まで歩いてみた。いつもは自転車で往復する。のんびり走って片道20分くらいかかる。その日はたまたまクルマで行ったから、帰りの足がなかったので仕方なく歩いたのだけど。コースの1/3くらいのところにある京浜東北線蕨駅まで約20分、ここまでは快調そのもの。気分はハイ。ところが、残り2/3はそうはいかなかった。時刻は正午少し前、炎天下、正直いやいや歩いた約40分。合計60分歩くって思ったよりずっと大変だった。甘く見ていた。運動不足の身で、いきなりはきつい。やはり15分ぐらいの散歩から始めて、徐々に時間を増やしていくべきなのだろう。会社員をやめた50歳の時点では、まだまだ体力に自信があった。いくらでも歩ける気がしていた。だが通勤をやめたとたん、急激に運動不足に陥った(意識していなかったが)。奥武蔵の軽いハイキングコースをショートカットして帰って来たり、寄居の名水の里を半日歩き回ったら数日後に体にガタが来て愕然とした。その後はまさに坂道を転がり落ちるごとく、運動不足による体力の低下が止まらない。それでも、まだ甘くみていた。まだ少しは自信があったのだからバカだなあ。涼しくなったら、荒川沿いに25キロを歩いて河口(東京湾)まで行ってみようかなんて思っていたのだから、こりゃ妄想にちかい。そのうち時間を確保して毎日歩くぞ、そう思いながら、「そのうち」がまだ来ない。(柴田)
・ホームベーカリー(HB)のことを書いたら、midoriさんからメール。なんとmidoriさんはパンを手作りされているのだそう。メールの文面だと簡単でおいしいというように書かれてあったので、私も作りたくなっちゃいましたよ〜。そういやクッキーやケーキは手作りしたことあるのに、どうしてパンはないんだろうと。なんとなく難しいというイメージが先行して、二の足を踏んでいるように思う。midoriさんのメールを読んで、強力粉とインスタントドライイーストを買ってくること決定。こねこねは毎日続かないように思うので、HBは買うつもり。ナショナルからパナソニックに変更する時点で新製品が出るのかなと買い控え中。あ、関係ないけど、電子レンジのオーブンって、独特の臭いが出るよね。余熱段階から気分が悪くなる。大量のクッキーを作るために数時間オーブンを稼働し続けていたら、倒れたことあったよ。/本棚からパトリス・ジュリアンや枝元なほみ、ベス・ハンスパーガー、堀井和子さんらの本発掘。お菓子作りの次はパンに挑戦したいと思っていたのよ〜。仕事が忙しくて日常をおろそかにしているうちに忘れてたよ。録画しただけで見ていなかった番組(Sweets & Bread #05―Foodies TV)にいがらしろみさんのパン作り工程があって、バターすら入れないシンプルなパンの作り方が見られたよ。堀井和子さんの番組も録画していたはず。こねこねばんばんはストレス解消にいいかもしれないっ。納期はズレないのに、新製品のデータがまだってどういうこと? ばん! その修正、一度戻したものじゃないのさっ! ばん! 適度な疲れの数時間後に、幸せな香りに包まれながら、ストレスを食べて文字通り消化しちゃう。あ、うどん作りでもいいねぇ。(hammer.mule)
< http://mari2.net/mt_books/archives/2_/000011.html
>
「ヘルシーなパンとマフィン」
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4891942592/dgcrcom-22/
>
絶版。翻訳の枚元なほみさんって誤植?
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4574802022/dgcrcom-22/
>
「いつでもどこでもお菓子とパン」
< http://patricejulien.com/
> パトリス・ジュリアン
< http://allabout.co.jp/gourmet/bread/closeup/CU20010330A/
> 堀井和子
< http://www.foodiestv.jp/recipe/recipe.php?eid=00087&cat=4&myid=3
>
レシピ「私のいつものパン」
< http://romi-unie.cocolog-nifty.com/
> いがらしろみ
わらにまみれて生きていく
十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20080919140400.html
>
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●「わらの女」は衝撃が強すぎて一種のトラウマが残った
僕の記憶が確かならば、「わらの」というタイトルの映画は三つある。年代順に並べれば「わらの男」(1957年)「わらの女」(1964年)「わらの犬」(19 71年)となる。「わらの男」は「ピエトロ・ジェルミの」であり、「わらの女」は「カトリーヌ・アルレーの」と形容詞がつき、「わらの犬」は「サム・ペキンパーの」である。
ピエトロ・ジェルミはイタリアの監督であり、サム・ペキンパーはアメリカの監督である。カトリーヌ・アルレーだけはフランスのミステリー作家であり、原作者だ。「わら」という言い回しは、ヨーロッパやアメリカではけっこうあるのだろうか。「とるに足らない」「つまらない」「卑小な存在」といった意味らしい。日本でも「溺れる者はワラをもつかむ」と言われていて、あまり頼りにはされていない。
「わらの女」は中学1年生のときに読んで天地がひっくり返るほどびっくりした。衝撃が強すぎて、一種のトラウマが残った。ある意味では、僕の人生観を変えた小説だ。世の中には悪意があり、残酷な結末が有り得るのだと叩き込まれた小説である。甘っちょろいことを言ってんじゃないよ、とムチを手にした怖いお姉さんに教えられた気分だった。
僕は12歳だった。創元推理文庫である。ちょうど「わらの女」が映画化された頃で、表紙はショーン・コネリーとジーナ・ロロブリジーダの写真だったと思う。ショーン・コネリーは007シリーズがヒットしジェイムズ・ボンドの印象が強かった頃だが、そのイメージを変えるためにあえて出演したと映画雑誌で読んだ記憶がある。
同じ頃、コネリーは「マーニー」(1964年)というアルフレッド・ヒッチコック監督作品にも出ている。どちらもジェイムズ・ボンドのようなスーパーヒーローとはほど遠い役である。いや、「わらの女」では徹底的な悪役だ。ヒロインは悪女なのだが、その悪女を騙し罠にはめる役がショーン・コネリーだった。
「わらの女」は、今読んでも初めてならかなりショックを受けると思う。僕は女流作家に偏見があり、彼女たちは自作の登場人物たちに徹底的に残酷になれると思っている。アガサ・クリスティもそうだし、カトリーヌ・アルレーにいたってはどうしょうもないほど自分が作り出したキャラクターたちに対してサディスティックである。
カトリーヌ・アルレーの小説のタイトルはどれもよくできていて、読んでみたくなる。1953年に「死の匂い」でデビューしたというから、僕がまだおむつをしていた頃から小説を書いているのだ。「わらの女」はデビューから3年後の作品だという。
僕は「二千万ドルと鰯一匹」というタイトルが好きで、小説も読んだけれど、これも悪女vs悪女の話である。昔、NHKが連続ドラマにした。ヒロインの看護士役は山本陽子だった。「二千万ドルと鰯一匹」は1971年の作品だ。アルレーはいくつになったのだろうか。元気でフランスで生きているのか。東洋の果ての少年に、女の怖さを教え込んだなどとは夢にも思っていないだろう。
しかし、僕のような経験をした少年は多いのではないだろうか。僕がミステリを読み始めた頃、名作と言われていたのは「Yの悲劇」であり、「樽」であり、「僧正殺人事件」であり、「木曜日の男」であり、「幻の女」であり、「長いお別れ」であり、「わらの女」だった。世界中で多くの人が読んだに違いない。そして、あの結末に衝撃を受けたはずだ。
●完全犯罪は成功してはならないという不文律があった
完全犯罪は成功してはならない。それは不文律である。アラン・ドロンの魅力に充ちた「太陽がいっぱい」(1960年)のラストシーンが、なぜとってつけたようなどんでん返しになったのか? 「地下室のメロディー」(1963年)のラストシーンは、なぜプールの水面を埋め尽くす札束で終わったのか? もちろん、その不文律から逃れられなかったからだ。
だが、容疑者全員が犯人であるとか、小説の語り手が犯人であるとか、禁じ手を破るミステリを書いたのが女流作家のアガサ・クリスティであったと同じように、完全犯罪が成立してしまう結末を書いたのがカトリーヌ・アルレーだった。彼女の小説の結末では、悪人の高笑いが聞こえてくる。「わらの女」はそれを実践した最初ではないだろうか。
創元推理文庫の扉には梗概が簡単に掲載されている。そこから引用すると「勧善懲悪という推理小説の不文律を破り、女の虚栄の醜さを完膚なきまでに描いて全世界にショックを与えた超問題作」と書かれている。その紹介文に偽りはない。今では、歴史的な意味を持つミステリになった。
しかし、映画版は原作ほど残酷にはなれなかった。ヒロインを演じたジーナ・ロロブリジーダはイタリア出身のグラマー女優で、多くのハリウッド映画でセクシーさを発散していたが、大金持ちの老人を騙して結婚し、財産目当てに殺してしまう悪女役を演じるには腰が据わっておらず、中途半端なヒロインになった。
大金持ちの老人の頭の切れる秘書であり、ヒロインをその老人と結婚させ遺産を奪おうとする主犯を演じたショーン・コネリーは、徹底的な悪役にもかかわらず、いざとなるとジェイムズ・ボンドのイメージを棄てきれず、これもまた中途半端になった。したがって、映画全体がどっちつかずの印象を与えることになったのだ。
ハリウッド映画は「犯罪は引き合わない」というモラルを守り続けていた。ジョン・ヒューストン監督「アスファルト・ジャングル」(1950年)やスタンリー・キューブリックの「現金に体を張れ」(1956年)が犯罪者たちの自滅で終わるのは、そのモラルに縛られていたからである。
そのモラルは60年代末のニューシネマの時代を経て、やがて薄れていくのだが、現在でも強く残っている気はする。「オーシャンズ11」(2001年)シリーズのように盗む相手が悪辣であり、コメディータッチの犯罪映画では強奪が成功したりするが、シリアスな犯罪もので犯人が罰せられなかったり自滅しなかったりするものは少ない。
「わらの女」が原作通りの結末にしていれば、完全犯罪が成立するハリウッド映画の嚆矢として名を残したに違いない。ちなみに「わらの女」とは文庫の解説によれば「フランス語のHomme de Paille(わらの男)をもじった言葉で、ロボットとか、でくのぼうとかいうイディオムである。この場合は『囮にされた女』という」ことらしい。
●人間の行動は護身のために焼くわらの犬のように卑小な存在
「わらの犬/Straw Dogs」は、「天から見れば、人間の行動は護身のために焼くわらの犬のように卑小な存在でしかない」という老子の言葉から引用されたタイトルだという。「わらの犬」は映画史に残る名作だ。ヴァイオレンス派と言われたサム・ペキンパー監督初の現代劇であり、暴力そのものをテーマとし、レイプシーンのリアルさや暴力描写の凄まじさにおいて、ではあったけれど…。
この映画で「わらの犬たち」と呼ばれるものは、登場する人間たちすべてなのだろう。人間の愚かさが次第に顕わになっていく映画である。数学者で平和主義者である主人公(ダスティン・ホフマン)は、イギリス人の妻(スーザン・ジョージ)の故郷であるイギリスの片田舎の農場を借りて隠棲する。
1971年制作という背景を考えるならば、おそらく彼は、アメリカの大学が荒れていて、そこから逃れてきたのだ。暴力が嫌い。もめ事が嫌い。人と対立することが嫌い。だから、妻とふたりで人とほとんど会わないような田舎に籠もり、研究に没頭しようとする。
だが、妻の昔の恋人やその仲間たちが登場する。肉感的な妻を昔の恋人は誘惑しようとするし、妻の方もまんざらではない。彼は夫とはまったく逆のタイプのブルーカラーであり、上半身よりは下半身で生きているような男であり、彼の仲間たちも野卑を絵に描いたような連中だ。彼らは主人公を鴨猟に誘い出し、その間に妻を輪姦する。
彼らの中のひとりに妹がいる。男と見れば誘惑する色情狂のようなハイティーン娘だ。彼女は主人公にも色目を使うが、知的障害者の男をからかうように誘惑する。ある夜、知的障害者の男は娘の誘惑にのり、力を入れすぎて娘を縊り殺してしまう。恐ろしくなった彼は主人公の農場に逃げ込むのだ。
娘の父親を筆頭に男たちが「あいつを引き渡せ」とやってくる。彼らの手に渡せば、すぐにリンチに遭い首をくくられるだろう。主人公は家に閉じこもり、男を守ろうとする。男たちが主人公の家を壊し始め、次第にエスカレートする。そこからの暴力描写がもの凄い。窓を破って入ってこようとした男に煮えたぎる油をかける。熊を捕らえる巨大な鉄の罠で侵入者の首を挟む。窓から入ってきた男の足を散弾銃で破砕する。最後に残った男を何度も何度も火掻き棒で殴りつける。
この長い長い攻防をペキンパーは、短いカット割りのハイスピード撮影(スローモーション)という得意技を使って描写する。これは、「ワイルドバンチ」(1969年)で完成させた手法で、「暴力の美学」と評される結果になったのは、アクションをスローモーションで引き伸ばしながら、惜しげもなくカットを素早くつないだからである。
これはペキンパー独特の実に魅力的な映像で、ジョン・ウー監督がいくら真似をしても届かない境地に達している。二挺拳銃をぶっ放しながら飛ぶ主人公をスローモーションで見せる(たとえば「M:I-2」のトム・クルーズなど)ジョン・ウー印のカットは、それなりに魅力的ではあると思うのだけど…。
それにしても、ペキンパー作品に出てくる男たちは、どうしてあんなにギラギラと欲望を丸出しにしているのだろうか。「わらの犬」を見ると、登場する人間たちすべてが愚かに見える。主人公も、その妻も、主人公の家を襲おうとした男たちを止めようとして殺される退役軍人の男さえも、誰も彼もが愚かさを見せる。映画を見終わった後には、虚しさが消えない。
「わらの…」とタイトルをつけるのは、とるに足らない人間を表現したいがためらしい。「鉄道員」(1956年)や「刑事」(1959年)で有名なピエトロ・ジェルミ監督の「わらの男」も、妻子が留守の間に近所の女とできてしまった男の煮え切らない日々を描いたものであるという。ジェルミが描く中年男の悲哀が好きな僕としては一度見たいのだが、未だに見逃している。
「わらの男」と言われるまでもなく、人間がとるに足らない存在なのはわかっていることだ。しかし、つまらない、とるに足らない存在かどうかは、本人の自覚の問題だと思う。とるに足らない存在だと認識しながら、生きていく…。そう考える人に僕は好意を感じるタチらしい。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
日本冒険小説協会会長・内藤陳さんの?回目の誕生パーティに参加してきました。先日、講談社文庫で「笑い犬」が出たばかりの西村健さんが、松田優作の「何だぁ、こりゃあ」のモノマネをやってくれました。気合いが入っていて、なかなかの見ものでした。
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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■うちゅうじん通信[29]
うちゅう人をワクワクさせる「イラストレーション」誌!
高橋里季
< https://bn.dgcr.com/archives/20080919140300.html
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今日は、リニューアルされた雑誌のことを書きます。玄光社の「イラストレーション」9月号。この雑誌は、隔月奇数月発売で、173号だそうです。日本で唯一のイラストレーション専門誌として、ずっと続いてきた雑誌なのです。
リニューアルされた9月号を手にとると、一番変わったのは、本のサイズで、前はB5判だったのが、A4変形判というふうに、少し大きめになりました。大きくなったのに、重くはなくて、軽やかに見える。広くて自由になった感じ。この雑誌のロゴが、私は大好きなんだけど、ロゴもひとまわり大きいわ。嬉しいわ。
前より表紙がツヤツヤして見えるのは、私の気のせいかも? 宇野亜喜良さんの写真が表紙を飾っているせいか、なんだか、キラキラして「リニューアル号だわ!」っていう気がするの。
そうなの。リニューアルされて素敵になったイラストレーション誌のことを書こうと思っているんだけど、もう、そのことより「宇野亜喜良が選んだ名画50」という内容が嬉しくて、ありがとう「イラストレーション」編集部!
宇野さんのメガネがなんてカッコイイんでしょう。私は、このごろメリル・ストリープに憧れていて、メリルみたいな女性になりたいんだけど、メリルみたいになった私と対談企画で絵になるのは、宇野亜喜良さんをおいて他にはいるまい! と勝手に心に決めました。
< >
宇野さんは、私のことを全く覚えていないと思うんだけど、私は宇野さんに、二回もサインを頂いています。一度目は、何年も前にラジカル鈴木さんと展覧会を見に行った時。灘本唯人さんと宇野亜喜良さんの二人展でした。ひどい雨の日で、ギャラリーで、灘本さん、宇野さん、ラジカルさんと一緒にお茶を頂いて、少し楽しいおしゃべりをしました。そして、宇野さんの著書「薔薇の記憶」にサインをして頂いたんです。
二度目は、ひとりで宇野さんの個展を見に行って、その時はサイン会だったので、宇野さんの画集にサインを頂こうと、長い列に並びました。私が有名人のサイン会の列に並んだのは、この一回だけで、私は有名人のサインが欲しい訳ではないんですね。宇野さんのサインが、カッコイイんです。なんだか、お守りにしたいくらいの、魔法使いの手による文字みたいな気がします。
それから何年かして、私は女性誌の占い特集の扉ページでイラストの仕事をしたんだけど、本ができあがってきたら、同じ本で宇野さんが仕事をしていらして、あろうことか、目次のところに、私の絵と宇野さんの絵が、小さく並んで載っていたんです! 夢のようでした。
「う、宇野亜喜良の絵と私の絵が、お、同じページに載っている〜!!!」と心の中で叫んだけど、「でも、宇野さんは、きっと私の絵なんか気に止めないんだろうな。名刺もお渡ししているし、たぶん年賀状とかも出してると思うんだけど、そういうファンはいっぱいいっぱいいて、私の名前とか、ぜんぜん気がつかないわよね〜。」
それでも、「イラストレーション」誌が大きめサイズなって、私と宇野亜喜良との対談の準備が着々と進んでいるんだわ! (誰が進めているのかと言えば神様が)私は、その日に間に合うように、早くメリル・ストリープのような女性にならなくては!
対談の題名は、「見ることと見られることのエロス」で、アルブレヒト・デューラーの絵を眺めながら(クリムトでもいいんだけど)、宇野さんと私は、奇麗な色のカクテルを頂く。美しい絵を描くことは、闇夜の一族の決まりの遊び。そうでしょう? 宇野さん、次の新月は9月の29日ですね。とか、お話するのだわ。
日刊デジクリ編集長柴田氏は、もしかして、高橋里季の夢を叶える術をご存じでは? 日刊デジクリの読者には、玄光社の編集部の方が、もしかしたら? そういえば、「イラストレーション」誌の前の編集長、片桐淳一さんのファンが、私の友人の中に何人かいて……と「イラストレーション」誌の話題はつきないので、今日はこのくらいで。
「イラストレーション」誌、次号9月27日発売(11月号)も楽しみにしています!
【たかはし・りき】イラストレーター。riki@tc4.so-net.ne.jp
・高橋里季ホームページ
< http://www007.upp.so-net.ne.jp/RIKI/
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クリエイター向けのサービスを提供するLASOサイトにて、私の作品紹介をして頂きました。イラスト新作を載せて頂いたので、見てみてくださいね! この絵は、岩絵の具を使ったり、それをスキャンしてワットマンという紙にプリントしたものにさらに着色したり、新しい技法にチャレンジして楽しく描いた絵です。
・クリエイター向けLASOサイトトップページ
< http://laso.jp/
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・私の作品掲載ページ
< http://laso.jp/createrlist/special/38.php
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■ところのほんとのところ[2]
ところスタイルのランドスケープ
所 幸則
< https://bn.dgcr.com/archives/20080919140200.html
>
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元旦早朝から撮っていた渋谷のスナップシリーズ。コンセプトもおもしろく、読者が楽しめる企画ということで、老舗写真雑誌の副編集長も連載に前向きになっていたのになぜ迷ったのかというと、所幸則の新しい顔としてそれでいいのか? という懸念があった。風景を撮る、スナップを撮る、それ自体は構わないが、よくも悪くも僕はめだつ。
「ところが新しい事をやり始めた」というのが伝わるのは早い。「ところがおもしろい新しい事をやり始めた」でなければいけないところなのに、「ところが普通のスナップ撮ってるみたいだ」じゃあだめなんだ。予想を裏切りつつも、良い方に裏切らないと、と思うところです。
ちょうどその頃、中堅(?)カメラマンのグループ3人(33〜36歳っていうと若手?中堅?)が僕んちにやってきた。山田君と、川崎君と、米原君、どうも中堅から若手中心のフォトグラファーの発表の場を作って、みんなが刺激し合うのはどうかという発想で、まあそこからいろいろ広がるんだろうね。妄想も広がってる人がいて、ちょっとクスッとしちゃったりもしたが、そういうことをするって凄くパワーがいることだからまあいんじゃなかな、本音のところ。
とりあえずプレゼンテーションの3分企画に参加する事を約束して、当日行ってみるとなぜか3分ではなく僕ら、40オーバー世代は"大御所枠"とかいわれて5分持ちになってた。僕は若手じゃんかー! と思ったけど。
第一回目は開催者の思惑と違う学生達が集まって、19〜20歳くらいの人が非常に多かった。学校の先生やってるゲストが、生徒を授業の一環のように呼んだんだろう。教授や准教授や講師の方々にとって、こういった活気ある場所はぜひとも生徒を連れて行きたいだろう。
だけど、それは自分たちでその場を作るべきだよね。他人のフンドシで授業をしてはいけないんだよ。ところはそう思う。彼ら(山田君と、川崎君と、米原君、松川君)がやりたいのは、自分たちを刺激する仲間達とのプレゼンであり、それはプロで悩み苦しみもがいてる熱い人たちとの交流だ。学生にも悩む人はいるけれど、悩む内容が違うんだよ。
35歳プロと19歳学生じゃね。学生が多かったためもあり、100人キャパのところ130人以上の人が来て、30人以上の人が帰って行った。遅れて来た人達はほとんどが忙しい中をやりくりして来たデザイナーだったり、編集者だったり、プロの人だったようだ。
次回からは、対象を基本プロにするようだ。いろんな人に協力を頼むと、当然みんなの思惑がずれて行く。勉強になったよね。
僕は母校で展示禁止になった作品を使ってプレゼンしたけど、結構受けた。みんなが想像もつかないLOVE&SEXシリーズを好きだと言って、学生が何人も名刺をもって挨拶に来てくれてうれしかったなあ。
そこで横木安良夫さんにお会いした。横木さんと言えば、ぼくが20そこそこのころにコマーシャルフォトでの活躍を見た事があったあこがれの人だ。その方の個展が5月末前後に四谷で開催されていて、お邪魔してみた。
お話もしてみた。僕の普段のスナップに対する考え方ととても近しい考えで、とても共感できたのだが、それがのちに僕のターニングポイントになろうとは。5月末に我慢できずにSIGMA DP1を買った。使い方は相変わらずよくわからないけど何となく使ってた(じつは携帯もカメラも操作は苦手だ)。そのときに、はっとする写真が撮れた。いや、まだ完成していないのだけど、イメージが頭に流れ込んで来た。
これだ!! これなら、ところを知る人も知らな人でも、はっ! とするよ。うん、これだー。ところスタイルのランドスケープだ! それを現実に一枚に定着するにはどうすればいいのか? Adobe CS3で試行錯誤、数日悩む。ここは友人のAdobeの人に来てもらう事に。ランチでおびき寄せる。
ぼく:こういうイメージなんだけど、それに向いた技術はCS3にあるかな〜。K:こうやれば良いんじゃないかな。(とテキパキ教えてくれる)
できそうだ! ありがとう! ヒントはいただいた! そこから3〜4日ずっと実験。手応えあり! ところはいつもみんなに助けられてところでいられるんだなあと実感。
6月15日に一枚の写真が仕上がった。「合成」という言葉はチョット違うと思う。「凝縮」があってる。「コマーシャル・フォト」10月号の個展紹介の3枚並んだぼくの作品の真ん中のが最初の完成品です。本もってたら見てみてー。
こういうのが撮りたかったんだ。横木さんの個展のスナップと、ぼくの元旦から撮ってたスナップはまさに王道なスナップだ。その場の出会いに反応して、自分の目とカメラで素早く切り取り定着される。もちろん、みんな同じ写真は撮れない。だけど、王道であるが故に個性はマニアにしか見分けがつかないだろう。
僕は一目でわかる、自分の体の中を通って行ったスナップであり、風景、ところスタイルを探したかった。そしてこの写真は今、このカメラじゃないと撮れない(理由は今度書くかな)。
6月末に4〜5枚の写真が仕上がって、渋谷で有名雑誌のADやってる知人のいる編集部に電話して、面白い事やってるんだけど見に来ない? って言ったらその日の夕方に編集部を抜け出してやってきてくれた。面白いからもっといっぱい見たいという。新作できたらいつでも見に来たいと言って帰って行った。
自信が出て来て突っ走る事に。念のためもう一人の渋谷の写真の目利きに電話。彼女はハーフでかつて上○◎彦さんが売れてビッグになるまでマネージャーをしていた。正統派の目利き。
彼女も「これはまるで、渋谷という街のポートレートね。」「渋谷と、ところさんの狂気が見えるわ。」といって帰って行った。
次の日、近所にいるから会おう、ついでに昼飯でも! っと電話をかけて来たのがMOGRAの大将だった。彼はアートコーディネーターをしている。彼にも見せてみた。「これは……、渋谷で個展やる気ないすか?」
ん? これはベルリンかパリに持ってくつもりなんだけど(これも長くなるから次回!)日本なら確かに渋谷が一番だよね。
渋谷なら思う場所があるので、話をしてみていいすか! とのこと。その2週間後に個展が決まった。その時点で作品数8枚……。
日にちが決まったのが7月31日。9月28日(日)から10月4日(土)だ。7月31日は「アイデア」8月9日売りの校了日、たまたま編集長立ち会いで撮影をしていた。そのとき差し替えで個展のために表3をくれた。感謝です!その時点で作品数まだ半分かな(苦笑)
今回時間もギリギリのなか、お盆前に9月売りの本にページをくださった、
「フォトグラフィカ」発売中
「コマーシャル・フォト」発売中
「アサヒカメラ」20日
「日本カメラ」20日
「キャパ」20日
「デザインの現場」27日
みなさんに感謝です。
●「渋谷1sec(ワンセコンド)瞬間と永遠」写真展
テーマは「ワンセコンド(1秒)瞬間と永遠」
渋谷の駅周辺の風景(あくまで主役は風景、建築物)のなかで、自分自身では一瞬もそこにとどまれない儚い存在である人間や(人間が走らせてる)車を使って、建物は動かないけれどそこに生きて存在する人間たちを空気のように扱う事で生き物のように変貌して行く今の街を表現するために、ところスタイルのランドスケープ1sec(ワンセコンド)というシリーズを撮り始めました。詳しくは会場で見て体感してください。瞬間と永遠がそこにはあります。
その序章としての「渋谷1sec(ワンセコンド)瞬間と永遠」写真展を開催します。時代の証人になっていただければと思います。
日時:9月28日(日)〜10月4日(土)11:00〜23:00
場所:Gallery Conceal Shibuya 4F(ギャラリーコンシール渋谷)
東京都渋谷区道玄坂1-11-3 4F TEL/FAX:03-3463-0720
渋谷駅から徒歩3分です。A-ROOMとB-ROOMです。
A-ROOMではバライタプリントによる作品の展示。B-ROOMでは特殊な大型出力による部屋の3方向の展示で渋谷の臨場感を演出。
最終日10月4日(土)19:30から対談(渋谷と写真)&クロージングパーティーがあります。1,500円(対談の相手は有名音楽雑誌のAD他予定)
協賛:東京リボン シグマ supported by MOGRA
展示作品のオリジナルプリントも予約販売します。50限定です。
冬以降ヨーロッパで展開して行く予定。
< http://www.renovationplanning.co.jp/gallery_conceal/shibuya4f/
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【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則
< http://tokoroyukinori.seesaa.net/
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所幸則公式サイト
< http://tokoroyukinori.com/
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■セミナー案内
RIAコンソーシアム・ビジネスセミナーXI
〜キーパーソンが語るWebとRIA、そしてその未来〜
< http://www.ria-jp.org/information/20080929.html
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< https://bn.dgcr.com/archives/20080919140100.html
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今までRIACビジネスセミナーでは、技術的な観点やビジネス的な視点を主にしてきましたが、今回は、この業界を切り開いてきた3人の視点を中心に構成しました。この流れの速い業界で、何を見、何をなし、何に関心を払っているのか、幾つかの事例も交えて一緒に考えてみたいと思います。
日時:9月29日(月)14:30〜17:00(14:00より受付開始)
会場:アジュール竹芝 天平の間(東京都港区)
< http://www.hotel-azur.com/access.html
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講師:阿部淳也氏/株式会社ワンパク 代表取締役社長
森田雄氏/株式会社ビジネス・アーキテクツ 取締役
長谷川敦士氏/株式会社コンセント 代表取締役社長
馮富久氏/Web Site Expert 編集長
参加費:3,000円(事前振込み制/定員:120名先着順)
その他:
・技術評論社「Web Site Expert 」誌で好評連載中の対談ライブ版です
< http://gihyo.jp/design/serial/01/key-person
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・ご来場いただいた方には2007年版「RIA構築ガイドEssential」を進呈!!
< http://www.ria-jp.org/about/guide.html
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■編集後記(9/19)
・実家からいまの集合住宅まで歩いてみた。いつもは自転車で往復する。のんびり走って片道20分くらいかかる。その日はたまたまクルマで行ったから、帰りの足がなかったので仕方なく歩いたのだけど。コースの1/3くらいのところにある京浜東北線蕨駅まで約20分、ここまでは快調そのもの。気分はハイ。ところが、残り2/3はそうはいかなかった。時刻は正午少し前、炎天下、正直いやいや歩いた約40分。合計60分歩くって思ったよりずっと大変だった。甘く見ていた。運動不足の身で、いきなりはきつい。やはり15分ぐらいの散歩から始めて、徐々に時間を増やしていくべきなのだろう。会社員をやめた50歳の時点では、まだまだ体力に自信があった。いくらでも歩ける気がしていた。だが通勤をやめたとたん、急激に運動不足に陥った(意識していなかったが)。奥武蔵の軽いハイキングコースをショートカットして帰って来たり、寄居の名水の里を半日歩き回ったら数日後に体にガタが来て愕然とした。その後はまさに坂道を転がり落ちるごとく、運動不足による体力の低下が止まらない。それでも、まだ甘くみていた。まだ少しは自信があったのだからバカだなあ。涼しくなったら、荒川沿いに25キロを歩いて河口(東京湾)まで行ってみようかなんて思っていたのだから、こりゃ妄想にちかい。そのうち時間を確保して毎日歩くぞ、そう思いながら、「そのうち」がまだ来ない。(柴田)
・ホームベーカリー(HB)のことを書いたら、midoriさんからメール。なんとmidoriさんはパンを手作りされているのだそう。メールの文面だと簡単でおいしいというように書かれてあったので、私も作りたくなっちゃいましたよ〜。そういやクッキーやケーキは手作りしたことあるのに、どうしてパンはないんだろうと。なんとなく難しいというイメージが先行して、二の足を踏んでいるように思う。midoriさんのメールを読んで、強力粉とインスタントドライイーストを買ってくること決定。こねこねは毎日続かないように思うので、HBは買うつもり。ナショナルからパナソニックに変更する時点で新製品が出るのかなと買い控え中。あ、関係ないけど、電子レンジのオーブンって、独特の臭いが出るよね。余熱段階から気分が悪くなる。大量のクッキーを作るために数時間オーブンを稼働し続けていたら、倒れたことあったよ。/本棚からパトリス・ジュリアンや枝元なほみ、ベス・ハンスパーガー、堀井和子さんらの本発掘。お菓子作りの次はパンに挑戦したいと思っていたのよ〜。仕事が忙しくて日常をおろそかにしているうちに忘れてたよ。録画しただけで見ていなかった番組(Sweets & Bread #05―Foodies TV)にいがらしろみさんのパン作り工程があって、バターすら入れないシンプルなパンの作り方が見られたよ。堀井和子さんの番組も録画していたはず。こねこねばんばんはストレス解消にいいかもしれないっ。納期はズレないのに、新製品のデータがまだってどういうこと? ばん! その修正、一度戻したものじゃないのさっ! ばん! 適度な疲れの数時間後に、幸せな香りに包まれながら、ストレスを食べて文字通り消化しちゃう。あ、うどん作りでもいいねぇ。(hammer.mule)
< http://mari2.net/mt_books/archives/2_/000011.html
>
「ヘルシーなパンとマフィン」
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4891942592/dgcrcom-22/
>
絶版。翻訳の枚元なほみさんって誤植?
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4574802022/dgcrcom-22/
>
「いつでもどこでもお菓子とパン」
< http://patricejulien.com/
> パトリス・ジュリアン
< http://allabout.co.jp/gourmet/bread/closeup/CU20010330A/
> 堀井和子
< http://www.foodiestv.jp/recipe/recipe.php?eid=00087&cat=4&myid=3
>
レシピ「私のいつものパン」
< http://romi-unie.cocolog-nifty.com/
> いがらしろみ