●「わらの女」は衝撃が強すぎて一種のトラウマが残った
僕の記憶が確かならば、「わらの」というタイトルの映画は三つある。年代順に並べれば「わらの男」(1957年)「わらの女」(1964年)「わらの犬」(19 71年)となる。「わらの男」は「ピエトロ・ジェルミの」であり、「わらの女」は「カトリーヌ・アルレーの」と形容詞がつき、「わらの犬」は「サム・ペキンパーの」である。
ピエトロ・ジェルミはイタリアの監督であり、サム・ペキンパーはアメリカの監督である。カトリーヌ・アルレーだけはフランスのミステリー作家であり、原作者だ。「わら」という言い回しは、ヨーロッパやアメリカではけっこうあるのだろうか。「とるに足らない」「つまらない」「卑小な存在」といった意味らしい。日本でも「溺れる者はワラをもつかむ」と言われていて、あまり頼りにはされていない。
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僕は12歳だった。創元推理文庫である。ちょうど「わらの女」が映画化された頃で、表紙はショーン・コネリーとジーナ・ロロブリジーダの写真だったと思う。ショーン・コネリーは007シリーズがヒットしジェイムズ・ボンドの印象が強かった頃だが、そのイメージを変えるためにあえて出演したと映画雑誌で読んだ記憶がある。
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「わらの女」は、今読んでも初めてならかなりショックを受けると思う。僕は女流作家に偏見があり、彼女たちは自作の登場人物たちに徹底的に残酷になれると思っている。アガサ・クリスティもそうだし、カトリーヌ・アルレーにいたってはどうしょうもないほど自分が作り出したキャラクターたちに対してサディスティックである。
カトリーヌ・アルレーの小説のタイトルはどれもよくできていて、読んでみたくなる。1953年に「死の匂い」でデビューしたというから、僕がまだおむつをしていた頃から小説を書いているのだ。「わらの女」はデビューから3年後の作品だという。
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しかし、僕のような経験をした少年は多いのではないだろうか。僕がミステリを読み始めた頃、名作と言われていたのは「Yの悲劇」であり、「樽」であり、「僧正殺人事件」であり、「木曜日の男」であり、「幻の女」であり、「長いお別れ」であり、「わらの女」だった。世界中で多くの人が読んだに違いない。そして、あの結末に衝撃を受けたはずだ。
●完全犯罪は成功してはならないという不文律があった
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だが、容疑者全員が犯人であるとか、小説の語り手が犯人であるとか、禁じ手を破るミステリを書いたのが女流作家のアガサ・クリスティであったと同じように、完全犯罪が成立してしまう結末を書いたのがカトリーヌ・アルレーだった。彼女の小説の結末では、悪人の高笑いが聞こえてくる。「わらの女」はそれを実践した最初ではないだろうか。
創元推理文庫の扉には梗概が簡単に掲載されている。そこから引用すると「勧善懲悪という推理小説の不文律を破り、女の虚栄の醜さを完膚なきまでに描いて全世界にショックを与えた超問題作」と書かれている。その紹介文に偽りはない。今では、歴史的な意味を持つミステリになった。
しかし、映画版は原作ほど残酷にはなれなかった。ヒロインを演じたジーナ・ロロブリジーダはイタリア出身のグラマー女優で、多くのハリウッド映画でセクシーさを発散していたが、大金持ちの老人を騙して結婚し、財産目当てに殺してしまう悪女役を演じるには腰が据わっておらず、中途半端なヒロインになった。
大金持ちの老人の頭の切れる秘書であり、ヒロインをその老人と結婚させ遺産を奪おうとする主犯を演じたショーン・コネリーは、徹底的な悪役にもかかわらず、いざとなるとジェイムズ・ボンドのイメージを棄てきれず、これもまた中途半端になった。したがって、映画全体がどっちつかずの印象を与えることになったのだ。
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「わらの女」が原作通りの結末にしていれば、完全犯罪が成立するハリウッド映画の嚆矢として名を残したに違いない。ちなみに「わらの女」とは文庫の解説によれば「フランス語のHomme de Paille(わらの男)をもじった言葉で、ロボットとか、でくのぼうとかいうイディオムである。この場合は『囮にされた女』という」ことらしい。
●人間の行動は護身のために焼くわらの犬のように卑小な存在
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この映画で「わらの犬たち」と呼ばれるものは、登場する人間たちすべてなのだろう。人間の愚かさが次第に顕わになっていく映画である。数学者で平和主義者である主人公(ダスティン・ホフマン)は、イギリス人の妻(スーザン・ジョージ)の故郷であるイギリスの片田舎の農場を借りて隠棲する。
1971年制作という背景を考えるならば、おそらく彼は、アメリカの大学が荒れていて、そこから逃れてきたのだ。暴力が嫌い。もめ事が嫌い。人と対立することが嫌い。だから、妻とふたりで人とほとんど会わないような田舎に籠もり、研究に没頭しようとする。
だが、妻の昔の恋人やその仲間たちが登場する。肉感的な妻を昔の恋人は誘惑しようとするし、妻の方もまんざらではない。彼は夫とはまったく逆のタイプのブルーカラーであり、上半身よりは下半身で生きているような男であり、彼の仲間たちも野卑を絵に描いたような連中だ。彼らは主人公を鴨猟に誘い出し、その間に妻を輪姦する。
彼らの中のひとりに妹がいる。男と見れば誘惑する色情狂のようなハイティーン娘だ。彼女は主人公にも色目を使うが、知的障害者の男をからかうように誘惑する。ある夜、知的障害者の男は娘の誘惑にのり、力を入れすぎて娘を縊り殺してしまう。恐ろしくなった彼は主人公の農場に逃げ込むのだ。
娘の父親を筆頭に男たちが「あいつを引き渡せ」とやってくる。彼らの手に渡せば、すぐにリンチに遭い首をくくられるだろう。主人公は家に閉じこもり、男を守ろうとする。男たちが主人公の家を壊し始め、次第にエスカレートする。そこからの暴力描写がもの凄い。窓を破って入ってこようとした男に煮えたぎる油をかける。熊を捕らえる巨大な鉄の罠で侵入者の首を挟む。窓から入ってきた男の足を散弾銃で破砕する。最後に残った男を何度も何度も火掻き棒で殴りつける。
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これはペキンパー独特の実に魅力的な映像で、ジョン・ウー監督がいくら真似をしても届かない境地に達している。二挺拳銃をぶっ放しながら飛ぶ主人公をスローモーションで見せる(たとえば「M:I-2」のトム・クルーズなど)ジョン・ウー印のカットは、それなりに魅力的ではあると思うのだけど…。
それにしても、ペキンパー作品に出てくる男たちは、どうしてあんなにギラギラと欲望を丸出しにしているのだろうか。「わらの犬」を見ると、登場する人間たちすべてが愚かに見える。主人公も、その妻も、主人公の家を襲おうとした男たちを止めようとして殺される退役軍人の男さえも、誰も彼もが愚かさを見せる。映画を見終わった後には、虚しさが消えない。
「わらの…」とタイトルをつけるのは、とるに足らない人間を表現したいがためらしい。「鉄道員」(1956年)や「刑事」(1959年)で有名なピエトロ・ジェルミ監督の「わらの男」も、妻子が留守の間に近所の女とできてしまった男の煮え切らない日々を描いたものであるという。ジェルミが描く中年男の悲哀が好きな僕としては一度見たいのだが、未だに見逃している。
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【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
日本冒険小説協会会長・内藤陳さんの?回目の誕生パーティに参加してきました。先日、講談社文庫で「笑い犬」が出たばかりの西村健さんが、松田優作の「何だぁ、こりゃあ」のモノマネをやってくれました。気合いが入っていて、なかなかの見ものでした。
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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![photo](http://ecx.images-amazon.com/images/I/41XGYOfgs2L._SL160_.jpg)
- 映画がなければ生きていけない 1999‐2002
- 十河 進
- 水曜社 2006-12-23
- おすすめ平均
ちびちび、の愉悦!
「ぼやき」という名の愛
第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
すばらしい本です。
ものすごい読み応え!!
by G-Tools , 2008/09/19