<開発終了したソフトやサービスはなるべく早く抜ける主義>
■武&山根の展覧会レビュー
メンドクサくない感じ
【ジム・ランビー:アンノウン プレジャーズ】を観て
武盾一郎&山根康弘
■グラフィック薄氷大魔王[165]
Googleノートブックが開発終了?
吉井 宏
■展覧会案内
第13回 成安造形大学卒業制作展
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メンドクサくない感じ
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武盾一郎&山根康弘
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■武&山根の展覧会レビュー
メンドクサくない感じ
【ジム・ランビー:アンノウン プレジャーズ】を観て
武盾一郎&山根康弘
< https://bn.dgcr.com/archives/20090121140300.html
>
───────────────────────────────────
武:こんばんはー。
山:どーも。
武:今年最初のデジクリチャットですねー。あ、「あけましておめでとうございます!」か。
山:まあもう1月も終わりかけやけどね。
武:なんかねー、体調崩してる人多いね。
山:風邪はやってるみたいやしな。
武:という感じで、今年もよろしくお願いしマッス!
山:そうですねー、よろしくおねがいしまーす、、ってなんか年明けてから疲れてんのよ。呑むか。。
武:ああ、俺すでにジンロいってます。
山:最近わかったことがあって。
武:なに?
山:酒を呑むから疲れる。
武:ほう! それって酒呑んで元気になっちゃうから、そこでエネルギーを使い果たしてしまう という事か?
山:わからんけど、疲れる。
武:あー、それね、年ですよ。酒量がガクッて減る時期ってあるんすよね。それを乗り越えてダラダラ呑んでると、今度は酒をブロックするエネルギーすら衰えて、昼間っから酒呑みだしちゃうんだよな、これが。
山:ひどいな(笑)。
武:取り返しつかんな、そうなると。山根、今ならまだ間に合う!
山:何に間に合うねん。
武:わはは!
山:くそう、年とか言われたら俄然やる気が出てきたぞ! 今日はズブロッカを呑もう。
武:ズブロッカなんて呑んでた? 好きなん? 山根ん家に俺が持ってった日本酒あるじゃん。
山:ああ、あの料理酒か。
武:おいこらっ! 料理酒にするな! れっきとした純米酒だぞっ!
山:常夜鍋に使います(笑)。
武:常夜鍋って?
山:日本酒と豚肉とほうれん草の鍋。
武:へーっ!美味そう!
山:うまいで。最近よくやる。
武:まあ、鍋と酒の話しはそのくらいにして、そろそろ本題参りましょうか。
山:ズブロッカうまいなあ、さて、今回は久々に原美術館に行ってきました!
< http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html
>
武:えっと、ヘンリー・ダーガー以来か。
< https://bn.dgcr.com/archives/20070501140100.html
>
●ジム・ランビー:アンノウン プレジャーズ
山:あ、そうやね。いつやったっけ。
武:デジクリ掲載は2007年5月か。1年半以上前なんだね。行ったのは4月末ってことになるかな。ああ、なんだか時の流れを感じてしまって胸がいっぱいになるな。
山:全然ならへん。腹減った。
武:え、、、まあ、今回は品川駅から行ったんですけど、前回は大崎駅から行ってたんですよね。で、品川駅から歩くけど全く道に見覚えがないんだよね。おかしーなー、おかしーなーって思って、ちょうど交番が目に入ったんでお巡りさんに「原美術館ってここら辺にあるらしいのですが……」って聞いたら、「そこの道入って200mくらいの左側」って教えてもらって、原美術館の前まで来た時に「あー、前回は大崎方面から来たんだ!」って気がついた。
山:気付くのおそっ!
武:俺はジム・ダイン初めて観た。
山:ジム・ランビーです。十和田市現代美術館にありました。
< https://bn.dgcr.com/archives/20080514140200.html
>
あれ、でもこのときは書いてないな。
武:わはは、そうなん? じゃあちょうどいい。
山:作品としては要するに床にビニールテープを張りつくしてて、そこにオブジェが置かれる、ということやな。
武:なんつったらいいんだろう。イリュージョン型インスタレーション?
山:……20世紀初頭にワシリーカンディンスキーが"発見"し、その後、60年代半ばのオプアートという大輪の花を咲かせた抽象美術は、美術をイメージからイリュージョンに転化し、人々に新たな視覚体験をもたらしました。ちょうどオプアート全盛期に生を受けたジムランビーは、床一面に規則正しいテーピングを施すことで生まれる幾何学的パターンによって空間を大胆に変容させ、今再び抽象による豊かな視覚体験の創出とその可能性を追究しています。さらに、椅子やベッド、レコードやプレーヤーといった身近な日用品を大胆かつ繊細にデコレーションした彫刻を巧みに配置することで、私達の視覚に"未知の快楽"(=アンノウン プレジャーズ)をもたらします。
ランビーの創造する空間にひとたび足を踏み入れると、私たちの眼は床の幾何学模様に"応答"し始めます。一定のリズムで振動し伸縮しているかのような、めまいさえ覚える錯視的な空間内で、いつしかそこが美術館であることを忘れ、意識の内奥で際限なく広がる時空間へと変化していきます。それはバンド活動やDJを続け、音楽に浸って暮らすランビーの、「音楽をかけると、いろんな境界がなくなっていくように感じられるよね」という感覚とも重なるでしょう。知覚のメカニズムによって、私たちの行動や精神のしばりが一時消滅し、いきいきとした生に変わる──そんなライヴ感が、ランビーがたどり着いた境地といえそうです。(原美術館サイトより)……
武:床にテープが張り巡らされているのが『ストロークス』。オブジェとして床に置かれてるのはレコードジャケットの入ったコンクリキューブ『ソニック リデューサー』、切断されたカラフルな椅子が積んであるオブジェが『トレイン インヴェイン』、壁に設置されたドアは『メイベリン』『ブラスチック オノ』『カインダ ブルー』。心地いい空間というか、ちょっと日本庭園みたいな感じだったかな。
山:あ、それは僕もおもった。あれなんやったっけ、京都の庭園。
武:砂庭式枯山水(龍安寺方丈石庭)かな?
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E5%AE%89%E5%AF%BA
>
山:そうそうこれこれ。ジム・ランビーは意識してたんやろか?
武:うーん、多分そんな気がする。DJとかミュージシャンとかの「サンプリング&リミックス」みたいな感覚で日本庭園を再構築、みたいな。
山:本人曰く、「原美術館は建築そのものが面白くて、カーブを描いたいい感じのスペースですよね。だから建物のカーブについて語るような作品にしたかったんです。と同時にビニール盤のレコードの溝みたいにもしたいと思いました。切り取ってリミックスしてという感じに。」(※展覧会図録より)と。
●インスタレーション作家
武:おー。っていうか、あれどうやって貼ってるんだろう? ちゃんと本人が貼る作業とかしたのかなあ?
山:けっこうな人数で貼ってたみたいやね。本人もどうやら一緒にやってる。図録買ってんけど貼ってる作業の写真がある。なんか最初にでかいシートみたいなのを貼ってるんだかガイドにしてるんだかよくわからんけど、使っている。写真だけじゃよくわからん。
武:へー。あの黒テープがよくシワにならないなあ。
山:何にしても結構大変そうやぞ。
武:端っこまでピタって貼ってあったもんね。
山:僕もこの前、とあるギャラリーの手伝いでとある写真家の作品シートを床と壁に貼りつくしましたが、たいした大きさじゃなかってんけどけっこう大変やった。
武:蜷川○花だっけ?
山:まあ別に誰でもいいけど。
武:ここで「商業写真家」と「インスタレーション作家」の違いが出るんかな、とか思ったんですよ。つまり、インスタレーション的発想を写真家や画家はするけど、インスタレーション作家ではないんだなあって。
山:どういう意味だ。
武:蜷川○花も床と壁一面に写真シートを貼る展示なワケじゃないですか。けど、その床と壁目一杯に貼るという発想はするけど、その貼る手法自体を作品化してはいないんですよね。ジム・ラディンは、床にテープを貼る手法自体も作品化されてるんですよね。
山:めんどくさいボケはいらんが、ジムランビーは床にテープを貼ることが、作品化っていうか作品な訳で。
武:インスタレーション的展示とインスタレーションは違うんだなあと今更思ったわけですよ(笑)。で、ジム・ランピーはやっぱり音楽的だなあって思った。イマドキの音楽ね。
●音楽的な空間
山:だからめんどくさいボケはいらんが、音楽的というと、つまりどういうことやと思う?
武:つまり、「カーブした何本かのライン」というフレーズがあるんですね。リフとも言うのかな。そして、コンクートキューブ、ドア、コラージュタブロー、椅子、バッグ、とそれらもフレーズなんですよね。テクノで言うとなんだろう? 機械に仕込んであるフレーズになるのかな。それらを空間に合わせてDJ remixしちゃう、みたいな。どこの場所でも「仕込みフレーズ」さえ持って行けば、その空間に合わせたインスタレーションを奏でる事ができちゃう。そんな感じ。なんかとても音楽的だなあって感じたんだよね。
山:今回はカーブしてたけど、それ以前のものはカラフルな直線やねんな。でもそれも規則=リズムを感じさせることには違いはないな。
武:そのフレーズ配置の心地良さ、とかね。
山:以前のは『ゾボップ』という作品ですか。本人はこれらのテープ作品を「彫刻」と言っているらしい。
武:床にシステマティックな模様、幾何学っていうのかな、それを一面に貼る、というのがジム・ピンキーの「メインスタイル」っていうかね。システムがすっきりしていて応用が利いてしかも心地良い! 巧いなーっ! チクチョーッ! ってのが感想です(笑)。
山:観てるとクラクラしたりする。直線の作品よりも今回の方がそう感じた。で、ジム・ランビーはこういった作品に辿り着く前に「どうやってスペースを埋め、同時にどうやってスペースを空にするか」ということを考えていたらしい。
武:うーむ。確かにホントにそれが成立してた感はあるよ。空間把握というか、そういうセンスが場所としっかり合ってるっていうかね。情念というより、センスを感じるんだよね。
山:モノとしての作品の場合、どうしたって空間に左右される、空間に依存する部分ってあるじゃないですか。
武:ほい。
山:その依存の方法がなんて言うのか、依存じゃない、と言うか、当たり前として扱っているというのか。逆手に取っていると言えばそうなのかも知れないけど、うまい。
武:あと、なんと言っても「メンドクサくない感じ」っつーのかな(笑)、心地良いんですよ。
山:なるほど。武さんと真逆や、と。
武:なんかホントに最近いろいろメンドクサイじゃないですか。だからね、こういうメンドクサくない作品は観てて楽なんですよ。若い女の子が外人の彼氏連れて観に来てるカップルが多かったけど、ホントにそういうシチュエーションにピッタリだよ!
山:あ、最近ね、iPodを使うようになって。貰って。僕今までイヤホンすごいあかんかったんですよ。ウォークマンとか。
武:ほい。カンケーあるんか、その話(笑)。
山:あんなもんつけて外歩くの怖くって。外の音聞こえへんやないか! と。で、今まで毛嫌いしててんけど、ちょっと前に貰って最近使うようになって、、これがすごいんですね。知らんかった(笑)。
武:なんの話ぢゃっ!!
山:めちゃめちゃ集中するんやな。つまりね、ある世界の中に没頭出来るんやな、と。
武:ふむ、で?
山:それと同じようなことを感じた。ジム・ランビーの作った空間に入ると、そこに入り込むと言うか。だからある意味では、、なんやったっけ。
武:イリュージョン?
山:いや。
武:パフューム?
山:ちゃう。
武:モリッシー ゲ ヒサヤ?
山:ほんまにめんどくさいな。えーと、蹂躙。僕が以前音楽に対して思ってたりしたことなんやけど。
武:犯される感覚、ということか?
山:もう否応なしなんやな。もし心地よいと感じる音やったらそれは蹂躙とは感じへんやろうけど、嫌な音やなあと感じるライブになんか行ったりした日にゃあ、もうこれは拷問やろ。逃げられへんし。
武:うん、確かに(笑)。昔、ハードコアパンクのライブ行ってゲロ吐いた事あるから良く分かる。
山:で、イヤホンで音楽聞いてると、これはもう逃げられへんねんな、当たり前やけど。でも自分が心地よいと感じることが出来る音やったらもうその世界の中にすごく集中するやん。ライブでもそう、空間がまるで違うものになったりする。
武:音楽だとさ、最初嫌いだったけど、聴いてるうちにもんのすげー好きになっちゃった。とか結構あるじゃないですか。
山:ふむ。絵でもあるけど。
武:中学生の頃、最初ドアーズ聴いた時のつまらなさとか思い出せるもん(笑)。でも聴いてるうちにすんごい好きになっちゃうのよ。結構短期間で。
山:それは僕には分からんが(笑)。まあ好みの問題はあるやろ。いろいろ変るし。
武:音楽とか空間全体を使うインスタレーションとかって、自分の身体を覆われちゃうっていうかさ。絵の一点一点を観る場合だと、観る自分の主体が非常に強いでしょ、だから音楽ほど短時間で嫌いだったものが好きにならないんじゃないかなあとかね。
山:うーん、人にもよるやろ。僕なんかはむしろそういうのをわかる方がすごく時間を要した。
武:あー、なるほどね。で、ジム・ランビーに蹂躙された時はどうだったわけ?
山:心地よかったですな(笑)。あーー、もうセメントキューブの意味とかあるんかないんか知らんけど、どーでもいいわあー、と。椅子が半分に切られてペイントされてるけど、ええかあ、と。扉とか、なんでもいいかあ、と(笑)。
武:あー! 確かに意味考えなくて済むもんね。そういう心地良い空間に仕上がってる。うんうん。わかるわ。それを「センスが支配してる」って言うのかな。感覚でオッケー、思考は停止、みたいな。これも音楽っぽい(笑)。
山:だから怖くもなるし、そこにはだまされないぞ! みたいな意識も働かない訳ではないねんけどね。でも気持ちいいんでまあええか、と思わされてしまうとこがある。
武:「絵画」と「文学」って似てて、「音楽」と「インスタレーション」って似てるな、と思ったんですが、それってどういうことかというと、「絵画」と認識してるもの、そして「文学」と認識してるものって括ってしまうと「モダーン」なんですね、で、ここで言う「音楽」「インスタレーション」ってのは、「コンテンポラリー」なんですよ。
山:モダンというと、これはイメージなのかもしれないが、意味の追求という感じがあるな。
武:そうそう。それって自我でしょう近代自我。モダーンは自我、コンテンポラリーは脱自我、あるいは非自我、なのかなあ、とか。
山:ポストモダンというと差異ですか。
武:うーん、ポストモダンはムズイけど。。。
●めんどくさい/めんどくさくない
山:階段昇って行く感じと、だだっ広い平地を歩いて探し回る感じですか(笑)。
武:自我は消せるのか? 自我なんて消去したい、という欲望があるんじゃなかろうか? それは心地良いイリュージョン的インスタレーション空間で体感出来るとか。解放を求めて閉鎖空間に入るってことじゃないかの?
山:だから引きこもるのか。
武:引きこもりって、深いな。
山:でも昔からあったわけでしょ。
武:小乗仏教って引きこもりだと思うんですよ。密教とかも。だから、ずっとあるんだけど、
山:どっかで遮断してるわけや。
武:現代は「希望」が消えた引きこもりになってるんじゃないかな。
山:そうなんかね。
武:籠って座禅組んでる修行僧にとってそれは「希望そのもの」でしょう。しかし、引きこもってる今の人たちはみんなその行為に「絶望」を感じてるわけで。ある意味、神々が殺されてしまって信仰が消費にすり替わったからなんだろうけど。って、そんなことはいいんですが、ジム・キャリーですがな。
山:どこまでもめんどくさい。まるで心地よくない。
武:俺がか?
山:当たり前やん(笑)。
武:これ、きっと性癖だな(笑)。
山:めんどくさい。
武:音楽と一緒で、繰り返し聴いてるとそのうち好きになって来るんだよね。
山:それありえないから、即答やから(笑)。
武:で、本題に戻りましょう。ジム・ランビー、一見ドメスティックな感じもしないしクールなんだけど、アナログレコードを作品に使ってたり。コンクリート使ってたり。何気に「モダーン」が入ってるんよね。
山:でもそこに意味を求めてる訳ではなく、「脳の生理的反応を主軸としている」(図録より)と。そうなるとやはり心地よさが重要なのか。
武:iPodカッコイイーと思うよ、けどウォークマンも好きだし、ラジカセも好き、蓄音機とかクールじゃん! みたいな。
山:めんどくさくない、というのもポイントか。いや、めんどくささをめんどくさくないようにさせる、見せるということか。
武:めんどくさかったものに対するリスペクトはあるんさよね。でも、今自分はめんどくさいことはしないよ。ってことなのかな。もちろん、搬入作業とかメンドクサイだろうけどさ(笑)。
山:実際貼るのめんどくさいで。
武:相手をめんどくさい気持ちにさせるってのが流行じゃないんだな。「私はなぜここに居て、これを観てるんだろう。そしてどんな意味がそこにはあるのだろう」とか、思わせるのはヤボなんすよ。きっと。
山:でもなあ、実際にはそこは考えてしまうことやったりしないもんなんかね。あ、そうか。考えることさえもめんどくさくないようにするのか。
武:蹂躙してあげて自我を奪ってしまい心地良い空間を提供する、と。何がメンドクサイってさ、自己存在を突き詰められることだと思うんですよね。それをしないようにオーディエンスの自我は最初に犯してあげちゃうんですよ。それがイリュージョン型インスタレーションじゃないのかな(笑)。
山:ほほう。それは確かに楽なんやろね。自分で考えなくて済むし、変な話し、解った気になることが出来る。
●箱庭の心地よさ
武:それって、送り手と受け手の共犯関係だよね、多分。共犯関係というとネガティブな言葉だが信頼関係と言っても良いね。
山:そこの関係に「安心」出来ると大丈夫で、「不安」になると問題が生じるんかな。
武:あるだろうね。
山:こういうことか。実は誰しも何かに蹂躙されたい、がしかし、そこまでのものが今は何もない、あるいは無数にある、選択は自分でしなければならないが、選択の基準もまた、無数にある、と。選べた人はラッキーだが、選べない人は不安でしょうがない。
武:そのラッキー感覚を増長してくれるのが「アート」とやらの機能でもあったりしてね。
山:うむ、そうなるとでも、アートというよりデザインの感覚に近い気もするが。広告っていうかね。
武:広告、イメージ、なるほど。ジム・ランビーの手法はものすごくクレバーだと思うよ。システマティックなのに、感覚に訴える。どこでも閉鎖空間ならイリュージョンを作り出せる。この作品、野外だと土の上とかにテープをあのようにピタッと貼れないし、コンクリキューブも野外だとカラーコーンより目立たないし。クラブじゃないけど引きこもった空間ならではの心地良いインスタレーションなんだと思うのよ。
山:確かに閉じた空間というのは大きいよな。制作の方法としては、アースワークだっけ、外で土で模様作ったりしてる作品と似たような所もある。どこに依存してるか、っていうことやと思う。やっぱり。
武:日本庭園に似てるしね。そういった意味では完全管理された野外に似てる。
山:管理された野外というのもやはり閉じた空間であるわけやな。
武:そうですね、箱庭。
山:箱庭の心地よさってあるよな。
武:あるねー。箱庭師ってことなのかな。ジム・ランビー。
山:箱庭研究をしている友人に聞いてみたいところやな(笑)。その友人も、脳の生理学的反応ということが問題になっていることを考えていた。つまり、今の心理学は脳科学抜きではお話にならない、と。
武:同じ箱庭的でも、イリヤ・カバコフみたいな物語性はないんだよね、
< https://bn.dgcr.com/archives/20071017140200.html
>
ジム・ランビー。即物的、感覚的、ものすごくダイレクトに快感を与える、みたいな。やっぱりそれって音楽だなあって思っちゃうよ。
山:「即物的」ということと「感覚的」ということって同時に成り立つんか?モノに依存することが「即物的」と、今ちょうど考えててんけど。ジム・ランビーの場合、モノに依存しつつ即物的な印象は受けないと言うか。
武:即物的と感覚的は矛盾しないと思うんだが。
山:即物的という意味がよく分からなかったので。
武:そうだねー、即物的ってイメージでは表層的というか、深くないっていう
イメージだったが、調べてみます。
そくぶつてき【即物的】
(形動)
(1)物に即して考えるさま。主観を交えないで、事物そのものの本質を見きわめようとする態度。ザッハリッヒ。
「—描写」
(2)物質的なものや金銭・利害な どを重視するさま。
「—な人」(goo辞書より)
山:なるほど。二通りあるわけだ。
武:(2)の「物質的なもの」って言った場合、対として前提的に「精神的なもの」がある。で、物質より精神の方が深いという観念がある。俺もそれに無意識的に乗っ取ってしまってるってことか。
山:僕がジム・ランビーに対して感じたことは、インスタレーションとしては(1)を感じた。だけど、本人の話なんかを読んでいたりすると、(2)も感じる。レコードの溝、とか。ひどく物質的な本人の主観を感じる。
武:ふむ、わかる気がする。で、あそこでのコンクリキューブやドアの配置なんかは、空間感覚というか、意味で場所を選んでるんじゃなくて、感覚的に配置してる。「いい感じ」のところに置いてあるんで心地良く感じたりするワケだ。
山:こうも言えるかも。つまり幾何学模様を使うことによってあたかも主観を排除させたように見える。だがしかし、オブジェ、しかも本人が考える「日常的なモノ」を使うことによって、主観がこぼれ出ている、と。
武:なるほど。
山:そう考えると、めちゃくちゃ「即物的」な人や(笑)。
武:物作りとしては正しい(笑)。
山:もっと言うと、主観から逃れることは出来ない(笑)。
武:あとね、なんども繰り返しになるけど、DJとかクラブとかハウスとかテクノとか、そういった音楽的方向から眺めた方がスッキリしちゃうような感じがするんです。
山:まあ音楽の人やしな。
武:音楽は瞬発伝播力が強い。女の子が外人の彼氏とか連れてきたくなるわ。
山:なんやねんそれは(笑)。
武:絵画とか文学って基本メンドクサイんですよ。若い女の子がチャラチャラ外人の彼氏連れて楽しむものじゃないんですよ。
山:何の嫉妬やねん(笑)。
武:嫉妬と劣等感と憎悪こそ最大の向上心に繋がる。
山:うーん、"未知のめんどくささ"(笑)。
◇ジム・ランビー:アンノウン プレジャーズ
< http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html
>
会期:2008年12月13日(土)〜2009年3月29日(日)11:00〜17:00(入館は閉
館の30分前まで/水曜のみ20:00まで開館。祝日を除く)
休館日:月曜日(祝日の場合は開館、翌日休館)
会場:原美術館(東京都品川区北品川4-7-25 TEL.03-3445-0651)
入館料:一般1,000円、大高生700円、小中生500円(原美術館メンバーは無料、
学期中の土曜日は小中高生の入館無料、20名以上の団体は1人100円引)
【山根康弘(やまね やすひろ)/脳内骨折】
yamane@swamp-publication.com
SWAMP-PUBLICATION
< http://swamp-publication.com/
>
【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/ロンリー アゲイン】
take.junichiro@gmail.com
246表現者会議
< http://kaigi246.exblog.jp/
>
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■グラフィック薄氷大魔王[165]
Googleノートブックが開発終了?
吉井 宏
< https://bn.dgcr.com/archives/20090121140200.html
>
───────────────────────────────────
ライフハッカー[日本版]によれば、Googleノートブックが開発終了になっており、新規のサインアップができなくなってるそうだ。Firefoxの「Googleノートブックアドオン」も次のアップグレードではなくなってしまうらしい……そりゃ困る!!
< http://www.lifehacker.jp/2009/01/google_4.html
>
以前、オンラインメモサービスの「Quill」と「紙copi Net」について書きましたが、実は、それらではなくGoogleノートブックだけを使うようになってたのです。以来、4〜5ヶ月間、細かい仕事メモや計画表、ネタやアイディア、デジクリの原稿書きまで、Googleノートブックでやってました。あんなに使っていたMail.appのメモ機能は、昨秋からほとんど新規メモなし状態です。
参考 < https://bn.dgcr.com/archives/20080917140100.html
>
手軽で軽快と絶賛していたはずの他のメモサービスを差しおいて、Googleノートブックを使うようになった大きな理由は、「タグ」です。G-Mailと同様、タグさえつけておけば、項目を整理する必要がない。どんどん書き飛ばしてタグをつけるだけ。複数のタグがつけられるので、分類に迷わなくて済む。もちろん、ノートブック内の検索はお手の物。G-Mailの「下書き」をメモ的に使う手もあるけど、メールのタグと混じるのはいやだし。
う〜ん、便利だったのになあ。なんか、Googleのサービスって半永久的みたいな印象があったけど、やはり錯覚だったか。Googleノートブックがスタートしたのは2006年5月だそうで、まだ3年もたってない。
今日明日にもGoogleノートブックが消滅するわけじゃないけど、僕は開発終了したソフトやサービスはなるべく早く抜ける主義。とりあえず、Google Docsに全部エクスポートした。でも、Google Docsはメモサービスではなく、オンライン版のワープロソフトなので、軽快な使い勝手は期待できない(タグの代わりにタグ的に使えるフォルダ機能があって便利だけど)。
実はワープロソフトは好きじゃないのです。WordもPagesも使い勝手が変でストレスがたまる。だいたい、テキスト書きにはエディタのほうがシンプルで効率いいし、きれいな書類に仕上げるのもレイアウトソフトにかなわない。僕的には用途が中途半端なソフトってことになってしまう。なんで多くの人は単に文章を書くのにワープロソフトを使うんだろ……?
で、ライフハッカーの記事には他のサービスに移行する方法が紹介されている。その中から、Evernoteというメモサービスに登録してみた。これはオンライン版とデスクトップ版を連携させられるサービスで、なかなか便利です。デスクトップ版(iPhone版とWindows Mobile版もある)のEvernoteで書いて「Sync」すると、オンライン版にも反映されるし、その逆もできる。タグをつけられるのも良い。
Evernote< http://evernote.com/
>
しかし、やはりワープロソフト的に使うのが前提らしいのと、保存や同期が自動でないことがイマイチ。Google Docsと同じく、わざわざタイトルをつけなくちゃいけないし、書類は開いてみないと中身を読めない(一応、中身がわかるピクチャーアイコンはつく)。これじゃGoogle Docをメモサービス的に使うのとさほど変わらない。目的と合わなそう。Mail.appのメモ機能やGoogleノートブック、紙copi.Netが手軽に感じるのは、タイトルをつけなくてもいいことが大きい。テキストの最初の行が見えているので、内容が一目でわかるのだ。Quillでさえそうなってる。
まあ、Evernoteは他にもいろいろ便利な機能があるそうなので、メモ用途以外には生かせそうだけど。っていうか、これを手軽なメモサービスとして使うってのが間違ってるんだけどね。WIRED VISIONによれば、「ユーザーの人生を構成するすべての知識を網羅したデータベース それが『EverNote』の目指すものだ。」だそうです。おもしろそうなので使い込んでみたいと思います。
< http://wiredvision.jp/news/200803/2008031820.html
>
現状、紙copi Net以上に手軽なものはないかも。でも、ボックスが4つしか作れないなど、いまだにベータ版のままだ。他にもオンラインメモサービスはたくさんあるようなので、調べてみます。オンラインメモの便利さを知っちゃった今となっては、Mail.appのメモ機能を全面復活する気にもならないし。MobileMeのオンライン版でメモが閲覧できればいいんだけどな。
ところで昨年末、Dropboxを有料版にしました。バックアップに気を使わなくて済むため、テキストや仕事のデータや画像など何でもかんでもDropboxフォルダを使うようになってきた。オンラインとオフラインの境目がなくなってきたって感じ。Evernoteもそんな感じで使えばいいんじゃないかな。重要なファイルはすべてDropboxにアップしましたが、まだ全容量の4分の1しか使ってません。もっと大胆に使っていいのかも。
【吉井 宏/イラストレーター】 hiroshi@yoshii.com
古いオーディオ機器4点を処分することにした。先日見つけた中古オーディオ屋に持っていこうと荷造り完了。出かける前に念のため、買い取りしてもらえるか問い合わせの電話をしてみた。「残念ながら4点とも買い取りできません」ですと。がくっ。出かける前でヨカッタけど。まあ、20年くらい前の小型スピーカーや16年前のアンプじゃあしょうがないけどね。ところで、バイオType Pを見てきた。小さくて美しくて安いのは素晴らしいんだけど、やはり画面の文字が小さすぎる〜。あと、トラックパッドがないとキツイなあ。
HP < http://www.yoshii.com
>
Blog < http://yoshii-blog.blogspot.com/
>
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■展覧会案内
第13回 成安造形大学卒業制作展
< http://www.seian.ac.jp/topics/0812221715.html
>
< https://bn.dgcr.com/archives/20090121140100.html
>
───────────────────────────────────
内容:ぼくが教えているイラストレーションクラスでは、アート的なものからマンガ、絵本、アニメーション、ドール、立体など、幅広いイラストレーションの可能性を展示します。使い古された言葉ですが、「若い人の感性」は刺激的です。入場無料ですので、京都にお出かけの節はお気軽にお立ち寄り下さい。(まつむらまきお)
会期:1月21日(水)〜1月25日(日)9:00〜17:00 入場は閉館30分前まで
最終日16時まで
会場:京都市美術館 本館・別館(京都市左京区岡崎円勝寺町124)
・ファッションデザインクラス卒業制作展
会期:1月24日(土)25日(日)10:00〜19:00
会場:池坊短期大学 洗心館1階 アートフォーラム(京都市下京区市場室町
鶏鉾町491)
ファッションショー 1st 13:00〜/2nd 17:00〜
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■編集後記(1/21)
・予想をはるかに超えた酷さに、寝てからうなされた国産の名画リメイク作品とは? 誰でも容易に回答できると思うが「隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS」である。嵐ファンの我が娘から借りたDVDを見てしまい、激しく後悔している。こんなどうしようもない映画初めてだと娘に文句をつけると、アイドル映画だから仕方ないじゃないの、わたしはそこそこ面白かったよと言う。出だしはけっこうテンポよく、もしかしたら大丈夫かもと少し安心していたら、武蔵・松本潤と雪姫・長沢まさみのツーショットが入り出してから、もはや収拾のつかないとんでもない世界に転げ落ちて行く。時代劇のお約束ごとは無視され、幼稚な恋愛劇に変わる。どこがひどいのか、いちいち突っ込んでいたらきりがない。本当にリメイクと謳っているのか。リメイクなんてオリジナルに失礼もいいとこで、設定を盗んで安っぽい別物にしただけではないか(制作費15億円は安っぽくないが)。ホント最低の脚本である。アイドル映画だからいいじゃんって感覚で、観客を舐めて作るという路線も否定しないが、もし本気で作ったというなら監督が大バカでしょう。アイドルではない宮川大輔がいい味を出していたのが、唯一のプラス評価だ。同じリメイクでも織田裕二主演の「椿三十郎」は、テレビで見たが(ノーカットではないらしい)まともだった。オリジナルと同一脚本を使った完全なコピーで、ちゃんとした役者達が演ずるから当然と言えば当然。配役には不満があるが、この脚本で配役を変えた作品をつくったら楽しいかも。そう、何度も作られた「白い巨塔」みたいに。椿三十郎は、室戸半兵衛は、奥方は、押し入れ侍は、城代家老は、誰が演じたら素敵か、ひまなときに考えよう。(柴田)
・続き。Designセミナーのユーザーセッションも鷹野さん。IllustratorのTips集。目からウロコぽろぽろ。普段あまりIllustratorを使う機会はなく、頭の中は8や10で止まったまま。Illustratorのそこがめんどくさくて使いたくないのよね、みたいなのが目の前のTipsでクリアされていく。鷹野さんはまるで手品師か豪腕通販番組案内者のようで、8や10しか持っていなかったら、ふらふらと購入申し込みしてしまうと思うわ。不勉強って損だと強く感じた。アピアランス、グラフィックスタイル、擬似的合体などなど、勉強しなおさなければ。カラー提案のためのバリエーション作成方法も実用的だった。そういえばあちこちでメモをとっている姿が見られたなぁ。もう少し長く見ていたかったよ〜。/新機能の目玉は、なんといっても複数のアートボードが持てるようになったこと。塗りブラシツールとか。(hammer.mule)
< http://www.adobe.com/jp/products/illustrator/features/?view=topnew
>新機能一覧
< http://www.dtp-transit.jp/
>鷹野さんのDTPユーザーのためのお役立ちサイト
メンドクサくない感じ
【ジム・ランビー:アンノウン プレジャーズ】を観て
武盾一郎&山根康弘
< https://bn.dgcr.com/archives/20090121140300.html
>
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武:こんばんはー。
山:どーも。
武:今年最初のデジクリチャットですねー。あ、「あけましておめでとうございます!」か。
山:まあもう1月も終わりかけやけどね。
武:なんかねー、体調崩してる人多いね。
山:風邪はやってるみたいやしな。
武:という感じで、今年もよろしくお願いしマッス!
山:そうですねー、よろしくおねがいしまーす、、ってなんか年明けてから疲れてんのよ。呑むか。。
武:ああ、俺すでにジンロいってます。
山:最近わかったことがあって。
武:なに?
山:酒を呑むから疲れる。
武:ほう! それって酒呑んで元気になっちゃうから、そこでエネルギーを使い果たしてしまう という事か?
山:わからんけど、疲れる。
武:あー、それね、年ですよ。酒量がガクッて減る時期ってあるんすよね。それを乗り越えてダラダラ呑んでると、今度は酒をブロックするエネルギーすら衰えて、昼間っから酒呑みだしちゃうんだよな、これが。
山:ひどいな(笑)。
武:取り返しつかんな、そうなると。山根、今ならまだ間に合う!
山:何に間に合うねん。
武:わはは!
山:くそう、年とか言われたら俄然やる気が出てきたぞ! 今日はズブロッカを呑もう。
武:ズブロッカなんて呑んでた? 好きなん? 山根ん家に俺が持ってった日本酒あるじゃん。
山:ああ、あの料理酒か。
武:おいこらっ! 料理酒にするな! れっきとした純米酒だぞっ!
山:常夜鍋に使います(笑)。
武:常夜鍋って?
山:日本酒と豚肉とほうれん草の鍋。
武:へーっ!美味そう!
山:うまいで。最近よくやる。
武:まあ、鍋と酒の話しはそのくらいにして、そろそろ本題参りましょうか。
山:ズブロッカうまいなあ、さて、今回は久々に原美術館に行ってきました!
< http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html
>
武:えっと、ヘンリー・ダーガー以来か。
< https://bn.dgcr.com/archives/20070501140100.html
>
●ジム・ランビー:アンノウン プレジャーズ
山:あ、そうやね。いつやったっけ。
武:デジクリ掲載は2007年5月か。1年半以上前なんだね。行ったのは4月末ってことになるかな。ああ、なんだか時の流れを感じてしまって胸がいっぱいになるな。
山:全然ならへん。腹減った。
武:え、、、まあ、今回は品川駅から行ったんですけど、前回は大崎駅から行ってたんですよね。で、品川駅から歩くけど全く道に見覚えがないんだよね。おかしーなー、おかしーなーって思って、ちょうど交番が目に入ったんでお巡りさんに「原美術館ってここら辺にあるらしいのですが……」って聞いたら、「そこの道入って200mくらいの左側」って教えてもらって、原美術館の前まで来た時に「あー、前回は大崎方面から来たんだ!」って気がついた。
山:気付くのおそっ!
武:俺はジム・ダイン初めて観た。
山:ジム・ランビーです。十和田市現代美術館にありました。
< https://bn.dgcr.com/archives/20080514140200.html
>
あれ、でもこのときは書いてないな。
武:わはは、そうなん? じゃあちょうどいい。
山:作品としては要するに床にビニールテープを張りつくしてて、そこにオブジェが置かれる、ということやな。
武:なんつったらいいんだろう。イリュージョン型インスタレーション?
山:……20世紀初頭にワシリーカンディンスキーが"発見"し、その後、60年代半ばのオプアートという大輪の花を咲かせた抽象美術は、美術をイメージからイリュージョンに転化し、人々に新たな視覚体験をもたらしました。ちょうどオプアート全盛期に生を受けたジムランビーは、床一面に規則正しいテーピングを施すことで生まれる幾何学的パターンによって空間を大胆に変容させ、今再び抽象による豊かな視覚体験の創出とその可能性を追究しています。さらに、椅子やベッド、レコードやプレーヤーといった身近な日用品を大胆かつ繊細にデコレーションした彫刻を巧みに配置することで、私達の視覚に"未知の快楽"(=アンノウン プレジャーズ)をもたらします。
ランビーの創造する空間にひとたび足を踏み入れると、私たちの眼は床の幾何学模様に"応答"し始めます。一定のリズムで振動し伸縮しているかのような、めまいさえ覚える錯視的な空間内で、いつしかそこが美術館であることを忘れ、意識の内奥で際限なく広がる時空間へと変化していきます。それはバンド活動やDJを続け、音楽に浸って暮らすランビーの、「音楽をかけると、いろんな境界がなくなっていくように感じられるよね」という感覚とも重なるでしょう。知覚のメカニズムによって、私たちの行動や精神のしばりが一時消滅し、いきいきとした生に変わる──そんなライヴ感が、ランビーがたどり着いた境地といえそうです。(原美術館サイトより)……
武:床にテープが張り巡らされているのが『ストロークス』。オブジェとして床に置かれてるのはレコードジャケットの入ったコンクリキューブ『ソニック リデューサー』、切断されたカラフルな椅子が積んであるオブジェが『トレイン インヴェイン』、壁に設置されたドアは『メイベリン』『ブラスチック オノ』『カインダ ブルー』。心地いい空間というか、ちょっと日本庭園みたいな感じだったかな。
山:あ、それは僕もおもった。あれなんやったっけ、京都の庭園。
武:砂庭式枯山水(龍安寺方丈石庭)かな?
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E5%AE%89%E5%AF%BA
>
山:そうそうこれこれ。ジム・ランビーは意識してたんやろか?
武:うーん、多分そんな気がする。DJとかミュージシャンとかの「サンプリング&リミックス」みたいな感覚で日本庭園を再構築、みたいな。
山:本人曰く、「原美術館は建築そのものが面白くて、カーブを描いたいい感じのスペースですよね。だから建物のカーブについて語るような作品にしたかったんです。と同時にビニール盤のレコードの溝みたいにもしたいと思いました。切り取ってリミックスしてという感じに。」(※展覧会図録より)と。
●インスタレーション作家
武:おー。っていうか、あれどうやって貼ってるんだろう? ちゃんと本人が貼る作業とかしたのかなあ?
山:けっこうな人数で貼ってたみたいやね。本人もどうやら一緒にやってる。図録買ってんけど貼ってる作業の写真がある。なんか最初にでかいシートみたいなのを貼ってるんだかガイドにしてるんだかよくわからんけど、使っている。写真だけじゃよくわからん。
武:へー。あの黒テープがよくシワにならないなあ。
山:何にしても結構大変そうやぞ。
武:端っこまでピタって貼ってあったもんね。
山:僕もこの前、とあるギャラリーの手伝いでとある写真家の作品シートを床と壁に貼りつくしましたが、たいした大きさじゃなかってんけどけっこう大変やった。
武:蜷川○花だっけ?
山:まあ別に誰でもいいけど。
武:ここで「商業写真家」と「インスタレーション作家」の違いが出るんかな、とか思ったんですよ。つまり、インスタレーション的発想を写真家や画家はするけど、インスタレーション作家ではないんだなあって。
山:どういう意味だ。
武:蜷川○花も床と壁一面に写真シートを貼る展示なワケじゃないですか。けど、その床と壁目一杯に貼るという発想はするけど、その貼る手法自体を作品化してはいないんですよね。ジム・ラディンは、床にテープを貼る手法自体も作品化されてるんですよね。
山:めんどくさいボケはいらんが、ジムランビーは床にテープを貼ることが、作品化っていうか作品な訳で。
武:インスタレーション的展示とインスタレーションは違うんだなあと今更思ったわけですよ(笑)。で、ジム・ランピーはやっぱり音楽的だなあって思った。イマドキの音楽ね。
●音楽的な空間
山:だからめんどくさいボケはいらんが、音楽的というと、つまりどういうことやと思う?
武:つまり、「カーブした何本かのライン」というフレーズがあるんですね。リフとも言うのかな。そして、コンクートキューブ、ドア、コラージュタブロー、椅子、バッグ、とそれらもフレーズなんですよね。テクノで言うとなんだろう? 機械に仕込んであるフレーズになるのかな。それらを空間に合わせてDJ remixしちゃう、みたいな。どこの場所でも「仕込みフレーズ」さえ持って行けば、その空間に合わせたインスタレーションを奏でる事ができちゃう。そんな感じ。なんかとても音楽的だなあって感じたんだよね。
山:今回はカーブしてたけど、それ以前のものはカラフルな直線やねんな。でもそれも規則=リズムを感じさせることには違いはないな。
武:そのフレーズ配置の心地良さ、とかね。
山:以前のは『ゾボップ』という作品ですか。本人はこれらのテープ作品を「彫刻」と言っているらしい。
武:床にシステマティックな模様、幾何学っていうのかな、それを一面に貼る、というのがジム・ピンキーの「メインスタイル」っていうかね。システムがすっきりしていて応用が利いてしかも心地良い! 巧いなーっ! チクチョーッ! ってのが感想です(笑)。
山:観てるとクラクラしたりする。直線の作品よりも今回の方がそう感じた。で、ジム・ランビーはこういった作品に辿り着く前に「どうやってスペースを埋め、同時にどうやってスペースを空にするか」ということを考えていたらしい。
武:うーむ。確かにホントにそれが成立してた感はあるよ。空間把握というか、そういうセンスが場所としっかり合ってるっていうかね。情念というより、センスを感じるんだよね。
山:モノとしての作品の場合、どうしたって空間に左右される、空間に依存する部分ってあるじゃないですか。
武:ほい。
山:その依存の方法がなんて言うのか、依存じゃない、と言うか、当たり前として扱っているというのか。逆手に取っていると言えばそうなのかも知れないけど、うまい。
武:あと、なんと言っても「メンドクサくない感じ」っつーのかな(笑)、心地良いんですよ。
山:なるほど。武さんと真逆や、と。
武:なんかホントに最近いろいろメンドクサイじゃないですか。だからね、こういうメンドクサくない作品は観てて楽なんですよ。若い女の子が外人の彼氏連れて観に来てるカップルが多かったけど、ホントにそういうシチュエーションにピッタリだよ!
山:あ、最近ね、iPodを使うようになって。貰って。僕今までイヤホンすごいあかんかったんですよ。ウォークマンとか。
武:ほい。カンケーあるんか、その話(笑)。
山:あんなもんつけて外歩くの怖くって。外の音聞こえへんやないか! と。で、今まで毛嫌いしててんけど、ちょっと前に貰って最近使うようになって、、これがすごいんですね。知らんかった(笑)。
武:なんの話ぢゃっ!!
山:めちゃめちゃ集中するんやな。つまりね、ある世界の中に没頭出来るんやな、と。
武:ふむ、で?
山:それと同じようなことを感じた。ジム・ランビーの作った空間に入ると、そこに入り込むと言うか。だからある意味では、、なんやったっけ。
武:イリュージョン?
山:いや。
武:パフューム?
山:ちゃう。
武:モリッシー ゲ ヒサヤ?
山:ほんまにめんどくさいな。えーと、蹂躙。僕が以前音楽に対して思ってたりしたことなんやけど。
武:犯される感覚、ということか?
山:もう否応なしなんやな。もし心地よいと感じる音やったらそれは蹂躙とは感じへんやろうけど、嫌な音やなあと感じるライブになんか行ったりした日にゃあ、もうこれは拷問やろ。逃げられへんし。
武:うん、確かに(笑)。昔、ハードコアパンクのライブ行ってゲロ吐いた事あるから良く分かる。
山:で、イヤホンで音楽聞いてると、これはもう逃げられへんねんな、当たり前やけど。でも自分が心地よいと感じることが出来る音やったらもうその世界の中にすごく集中するやん。ライブでもそう、空間がまるで違うものになったりする。
武:音楽だとさ、最初嫌いだったけど、聴いてるうちにもんのすげー好きになっちゃった。とか結構あるじゃないですか。
山:ふむ。絵でもあるけど。
武:中学生の頃、最初ドアーズ聴いた時のつまらなさとか思い出せるもん(笑)。でも聴いてるうちにすんごい好きになっちゃうのよ。結構短期間で。
山:それは僕には分からんが(笑)。まあ好みの問題はあるやろ。いろいろ変るし。
武:音楽とか空間全体を使うインスタレーションとかって、自分の身体を覆われちゃうっていうかさ。絵の一点一点を観る場合だと、観る自分の主体が非常に強いでしょ、だから音楽ほど短時間で嫌いだったものが好きにならないんじゃないかなあとかね。
山:うーん、人にもよるやろ。僕なんかはむしろそういうのをわかる方がすごく時間を要した。
武:あー、なるほどね。で、ジム・ランビーに蹂躙された時はどうだったわけ?
山:心地よかったですな(笑)。あーー、もうセメントキューブの意味とかあるんかないんか知らんけど、どーでもいいわあー、と。椅子が半分に切られてペイントされてるけど、ええかあ、と。扉とか、なんでもいいかあ、と(笑)。
武:あー! 確かに意味考えなくて済むもんね。そういう心地良い空間に仕上がってる。うんうん。わかるわ。それを「センスが支配してる」って言うのかな。感覚でオッケー、思考は停止、みたいな。これも音楽っぽい(笑)。
山:だから怖くもなるし、そこにはだまされないぞ! みたいな意識も働かない訳ではないねんけどね。でも気持ちいいんでまあええか、と思わされてしまうとこがある。
武:「絵画」と「文学」って似てて、「音楽」と「インスタレーション」って似てるな、と思ったんですが、それってどういうことかというと、「絵画」と認識してるもの、そして「文学」と認識してるものって括ってしまうと「モダーン」なんですね、で、ここで言う「音楽」「インスタレーション」ってのは、「コンテンポラリー」なんですよ。
山:モダンというと、これはイメージなのかもしれないが、意味の追求という感じがあるな。
武:そうそう。それって自我でしょう近代自我。モダーンは自我、コンテンポラリーは脱自我、あるいは非自我、なのかなあ、とか。
山:ポストモダンというと差異ですか。
武:うーん、ポストモダンはムズイけど。。。
●めんどくさい/めんどくさくない
山:階段昇って行く感じと、だだっ広い平地を歩いて探し回る感じですか(笑)。
武:自我は消せるのか? 自我なんて消去したい、という欲望があるんじゃなかろうか? それは心地良いイリュージョン的インスタレーション空間で体感出来るとか。解放を求めて閉鎖空間に入るってことじゃないかの?
山:だから引きこもるのか。
武:引きこもりって、深いな。
山:でも昔からあったわけでしょ。
武:小乗仏教って引きこもりだと思うんですよ。密教とかも。だから、ずっとあるんだけど、
山:どっかで遮断してるわけや。
武:現代は「希望」が消えた引きこもりになってるんじゃないかな。
山:そうなんかね。
武:籠って座禅組んでる修行僧にとってそれは「希望そのもの」でしょう。しかし、引きこもってる今の人たちはみんなその行為に「絶望」を感じてるわけで。ある意味、神々が殺されてしまって信仰が消費にすり替わったからなんだろうけど。って、そんなことはいいんですが、ジム・キャリーですがな。
山:どこまでもめんどくさい。まるで心地よくない。
武:俺がか?
山:当たり前やん(笑)。
武:これ、きっと性癖だな(笑)。
山:めんどくさい。
武:音楽と一緒で、繰り返し聴いてるとそのうち好きになって来るんだよね。
山:それありえないから、即答やから(笑)。
武:で、本題に戻りましょう。ジム・ランビー、一見ドメスティックな感じもしないしクールなんだけど、アナログレコードを作品に使ってたり。コンクリート使ってたり。何気に「モダーン」が入ってるんよね。
山:でもそこに意味を求めてる訳ではなく、「脳の生理的反応を主軸としている」(図録より)と。そうなるとやはり心地よさが重要なのか。
武:iPodカッコイイーと思うよ、けどウォークマンも好きだし、ラジカセも好き、蓄音機とかクールじゃん! みたいな。
山:めんどくさくない、というのもポイントか。いや、めんどくささをめんどくさくないようにさせる、見せるということか。
武:めんどくさかったものに対するリスペクトはあるんさよね。でも、今自分はめんどくさいことはしないよ。ってことなのかな。もちろん、搬入作業とかメンドクサイだろうけどさ(笑)。
山:実際貼るのめんどくさいで。
武:相手をめんどくさい気持ちにさせるってのが流行じゃないんだな。「私はなぜここに居て、これを観てるんだろう。そしてどんな意味がそこにはあるのだろう」とか、思わせるのはヤボなんすよ。きっと。
山:でもなあ、実際にはそこは考えてしまうことやったりしないもんなんかね。あ、そうか。考えることさえもめんどくさくないようにするのか。
武:蹂躙してあげて自我を奪ってしまい心地良い空間を提供する、と。何がメンドクサイってさ、自己存在を突き詰められることだと思うんですよね。それをしないようにオーディエンスの自我は最初に犯してあげちゃうんですよ。それがイリュージョン型インスタレーションじゃないのかな(笑)。
山:ほほう。それは確かに楽なんやろね。自分で考えなくて済むし、変な話し、解った気になることが出来る。
●箱庭の心地よさ
武:それって、送り手と受け手の共犯関係だよね、多分。共犯関係というとネガティブな言葉だが信頼関係と言っても良いね。
山:そこの関係に「安心」出来ると大丈夫で、「不安」になると問題が生じるんかな。
武:あるだろうね。
山:こういうことか。実は誰しも何かに蹂躙されたい、がしかし、そこまでのものが今は何もない、あるいは無数にある、選択は自分でしなければならないが、選択の基準もまた、無数にある、と。選べた人はラッキーだが、選べない人は不安でしょうがない。
武:そのラッキー感覚を増長してくれるのが「アート」とやらの機能でもあったりしてね。
山:うむ、そうなるとでも、アートというよりデザインの感覚に近い気もするが。広告っていうかね。
武:広告、イメージ、なるほど。ジム・ランビーの手法はものすごくクレバーだと思うよ。システマティックなのに、感覚に訴える。どこでも閉鎖空間ならイリュージョンを作り出せる。この作品、野外だと土の上とかにテープをあのようにピタッと貼れないし、コンクリキューブも野外だとカラーコーンより目立たないし。クラブじゃないけど引きこもった空間ならではの心地良いインスタレーションなんだと思うのよ。
山:確かに閉じた空間というのは大きいよな。制作の方法としては、アースワークだっけ、外で土で模様作ったりしてる作品と似たような所もある。どこに依存してるか、っていうことやと思う。やっぱり。
武:日本庭園に似てるしね。そういった意味では完全管理された野外に似てる。
山:管理された野外というのもやはり閉じた空間であるわけやな。
武:そうですね、箱庭。
山:箱庭の心地よさってあるよな。
武:あるねー。箱庭師ってことなのかな。ジム・ランビー。
山:箱庭研究をしている友人に聞いてみたいところやな(笑)。その友人も、脳の生理学的反応ということが問題になっていることを考えていた。つまり、今の心理学は脳科学抜きではお話にならない、と。
武:同じ箱庭的でも、イリヤ・カバコフみたいな物語性はないんだよね、
< https://bn.dgcr.com/archives/20071017140200.html
>
ジム・ランビー。即物的、感覚的、ものすごくダイレクトに快感を与える、みたいな。やっぱりそれって音楽だなあって思っちゃうよ。
山:「即物的」ということと「感覚的」ということって同時に成り立つんか?モノに依存することが「即物的」と、今ちょうど考えててんけど。ジム・ランビーの場合、モノに依存しつつ即物的な印象は受けないと言うか。
武:即物的と感覚的は矛盾しないと思うんだが。
山:即物的という意味がよく分からなかったので。
武:そうだねー、即物的ってイメージでは表層的というか、深くないっていう
イメージだったが、調べてみます。
そくぶつてき【即物的】
(形動)
(1)物に即して考えるさま。主観を交えないで、事物そのものの本質を見きわめようとする態度。ザッハリッヒ。
「—描写」
(2)物質的なものや金銭・利害な どを重視するさま。
「—な人」(goo辞書より)
山:なるほど。二通りあるわけだ。
武:(2)の「物質的なもの」って言った場合、対として前提的に「精神的なもの」がある。で、物質より精神の方が深いという観念がある。俺もそれに無意識的に乗っ取ってしまってるってことか。
山:僕がジム・ランビーに対して感じたことは、インスタレーションとしては(1)を感じた。だけど、本人の話なんかを読んでいたりすると、(2)も感じる。レコードの溝、とか。ひどく物質的な本人の主観を感じる。
武:ふむ、わかる気がする。で、あそこでのコンクリキューブやドアの配置なんかは、空間感覚というか、意味で場所を選んでるんじゃなくて、感覚的に配置してる。「いい感じ」のところに置いてあるんで心地良く感じたりするワケだ。
山:こうも言えるかも。つまり幾何学模様を使うことによってあたかも主観を排除させたように見える。だがしかし、オブジェ、しかも本人が考える「日常的なモノ」を使うことによって、主観がこぼれ出ている、と。
武:なるほど。
山:そう考えると、めちゃくちゃ「即物的」な人や(笑)。
武:物作りとしては正しい(笑)。
山:もっと言うと、主観から逃れることは出来ない(笑)。
武:あとね、なんども繰り返しになるけど、DJとかクラブとかハウスとかテクノとか、そういった音楽的方向から眺めた方がスッキリしちゃうような感じがするんです。
山:まあ音楽の人やしな。
武:音楽は瞬発伝播力が強い。女の子が外人の彼氏とか連れてきたくなるわ。
山:なんやねんそれは(笑)。
武:絵画とか文学って基本メンドクサイんですよ。若い女の子がチャラチャラ外人の彼氏連れて楽しむものじゃないんですよ。
山:何の嫉妬やねん(笑)。
武:嫉妬と劣等感と憎悪こそ最大の向上心に繋がる。
山:うーん、"未知のめんどくささ"(笑)。
◇ジム・ランビー:アンノウン プレジャーズ
< http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html
>
会期:2008年12月13日(土)〜2009年3月29日(日)11:00〜17:00(入館は閉
館の30分前まで/水曜のみ20:00まで開館。祝日を除く)
休館日:月曜日(祝日の場合は開館、翌日休館)
会場:原美術館(東京都品川区北品川4-7-25 TEL.03-3445-0651)
入館料:一般1,000円、大高生700円、小中生500円(原美術館メンバーは無料、
学期中の土曜日は小中高生の入館無料、20名以上の団体は1人100円引)
【山根康弘(やまね やすひろ)/脳内骨折】
yamane@swamp-publication.com
SWAMP-PUBLICATION
< http://swamp-publication.com/
>
【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/ロンリー アゲイン】
take.junichiro@gmail.com
246表現者会議
< http://kaigi246.exblog.jp/
>
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■グラフィック薄氷大魔王[165]
Googleノートブックが開発終了?
吉井 宏
< https://bn.dgcr.com/archives/20090121140200.html
>
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ライフハッカー[日本版]によれば、Googleノートブックが開発終了になっており、新規のサインアップができなくなってるそうだ。Firefoxの「Googleノートブックアドオン」も次のアップグレードではなくなってしまうらしい……そりゃ困る!!
< http://www.lifehacker.jp/2009/01/google_4.html
>
以前、オンラインメモサービスの「Quill」と「紙copi Net」について書きましたが、実は、それらではなくGoogleノートブックだけを使うようになってたのです。以来、4〜5ヶ月間、細かい仕事メモや計画表、ネタやアイディア、デジクリの原稿書きまで、Googleノートブックでやってました。あんなに使っていたMail.appのメモ機能は、昨秋からほとんど新規メモなし状態です。
参考 < https://bn.dgcr.com/archives/20080917140100.html
>
手軽で軽快と絶賛していたはずの他のメモサービスを差しおいて、Googleノートブックを使うようになった大きな理由は、「タグ」です。G-Mailと同様、タグさえつけておけば、項目を整理する必要がない。どんどん書き飛ばしてタグをつけるだけ。複数のタグがつけられるので、分類に迷わなくて済む。もちろん、ノートブック内の検索はお手の物。G-Mailの「下書き」をメモ的に使う手もあるけど、メールのタグと混じるのはいやだし。
う〜ん、便利だったのになあ。なんか、Googleのサービスって半永久的みたいな印象があったけど、やはり錯覚だったか。Googleノートブックがスタートしたのは2006年5月だそうで、まだ3年もたってない。
今日明日にもGoogleノートブックが消滅するわけじゃないけど、僕は開発終了したソフトやサービスはなるべく早く抜ける主義。とりあえず、Google Docsに全部エクスポートした。でも、Google Docsはメモサービスではなく、オンライン版のワープロソフトなので、軽快な使い勝手は期待できない(タグの代わりにタグ的に使えるフォルダ機能があって便利だけど)。
実はワープロソフトは好きじゃないのです。WordもPagesも使い勝手が変でストレスがたまる。だいたい、テキスト書きにはエディタのほうがシンプルで効率いいし、きれいな書類に仕上げるのもレイアウトソフトにかなわない。僕的には用途が中途半端なソフトってことになってしまう。なんで多くの人は単に文章を書くのにワープロソフトを使うんだろ……?
で、ライフハッカーの記事には他のサービスに移行する方法が紹介されている。その中から、Evernoteというメモサービスに登録してみた。これはオンライン版とデスクトップ版を連携させられるサービスで、なかなか便利です。デスクトップ版(iPhone版とWindows Mobile版もある)のEvernoteで書いて「Sync」すると、オンライン版にも反映されるし、その逆もできる。タグをつけられるのも良い。
Evernote< http://evernote.com/
>
しかし、やはりワープロソフト的に使うのが前提らしいのと、保存や同期が自動でないことがイマイチ。Google Docsと同じく、わざわざタイトルをつけなくちゃいけないし、書類は開いてみないと中身を読めない(一応、中身がわかるピクチャーアイコンはつく)。これじゃGoogle Docをメモサービス的に使うのとさほど変わらない。目的と合わなそう。Mail.appのメモ機能やGoogleノートブック、紙copi.Netが手軽に感じるのは、タイトルをつけなくてもいいことが大きい。テキストの最初の行が見えているので、内容が一目でわかるのだ。Quillでさえそうなってる。
まあ、Evernoteは他にもいろいろ便利な機能があるそうなので、メモ用途以外には生かせそうだけど。っていうか、これを手軽なメモサービスとして使うってのが間違ってるんだけどね。WIRED VISIONによれば、「ユーザーの人生を構成するすべての知識を網羅したデータベース それが『EverNote』の目指すものだ。」だそうです。おもしろそうなので使い込んでみたいと思います。
< http://wiredvision.jp/news/200803/2008031820.html
>
現状、紙copi Net以上に手軽なものはないかも。でも、ボックスが4つしか作れないなど、いまだにベータ版のままだ。他にもオンラインメモサービスはたくさんあるようなので、調べてみます。オンラインメモの便利さを知っちゃった今となっては、Mail.appのメモ機能を全面復活する気にもならないし。MobileMeのオンライン版でメモが閲覧できればいいんだけどな。
ところで昨年末、Dropboxを有料版にしました。バックアップに気を使わなくて済むため、テキストや仕事のデータや画像など何でもかんでもDropboxフォルダを使うようになってきた。オンラインとオフラインの境目がなくなってきたって感じ。Evernoteもそんな感じで使えばいいんじゃないかな。重要なファイルはすべてDropboxにアップしましたが、まだ全容量の4分の1しか使ってません。もっと大胆に使っていいのかも。
【吉井 宏/イラストレーター】 hiroshi@yoshii.com
古いオーディオ機器4点を処分することにした。先日見つけた中古オーディオ屋に持っていこうと荷造り完了。出かける前に念のため、買い取りしてもらえるか問い合わせの電話をしてみた。「残念ながら4点とも買い取りできません」ですと。がくっ。出かける前でヨカッタけど。まあ、20年くらい前の小型スピーカーや16年前のアンプじゃあしょうがないけどね。ところで、バイオType Pを見てきた。小さくて美しくて安いのは素晴らしいんだけど、やはり画面の文字が小さすぎる〜。あと、トラックパッドがないとキツイなあ。
HP < http://www.yoshii.com
>
Blog < http://yoshii-blog.blogspot.com/
>
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■展覧会案内
第13回 成安造形大学卒業制作展
< http://www.seian.ac.jp/topics/0812221715.html
>
< https://bn.dgcr.com/archives/20090121140100.html
>
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内容:ぼくが教えているイラストレーションクラスでは、アート的なものからマンガ、絵本、アニメーション、ドール、立体など、幅広いイラストレーションの可能性を展示します。使い古された言葉ですが、「若い人の感性」は刺激的です。入場無料ですので、京都にお出かけの節はお気軽にお立ち寄り下さい。(まつむらまきお)
会期:1月21日(水)〜1月25日(日)9:00〜17:00 入場は閉館30分前まで
最終日16時まで
会場:京都市美術館 本館・別館(京都市左京区岡崎円勝寺町124)
・ファッションデザインクラス卒業制作展
会期:1月24日(土)25日(日)10:00〜19:00
会場:池坊短期大学 洗心館1階 アートフォーラム(京都市下京区市場室町
鶏鉾町491)
ファッションショー 1st 13:00〜/2nd 17:00〜
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■編集後記(1/21)
・予想をはるかに超えた酷さに、寝てからうなされた国産の名画リメイク作品とは? 誰でも容易に回答できると思うが「隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS」である。嵐ファンの我が娘から借りたDVDを見てしまい、激しく後悔している。こんなどうしようもない映画初めてだと娘に文句をつけると、アイドル映画だから仕方ないじゃないの、わたしはそこそこ面白かったよと言う。出だしはけっこうテンポよく、もしかしたら大丈夫かもと少し安心していたら、武蔵・松本潤と雪姫・長沢まさみのツーショットが入り出してから、もはや収拾のつかないとんでもない世界に転げ落ちて行く。時代劇のお約束ごとは無視され、幼稚な恋愛劇に変わる。どこがひどいのか、いちいち突っ込んでいたらきりがない。本当にリメイクと謳っているのか。リメイクなんてオリジナルに失礼もいいとこで、設定を盗んで安っぽい別物にしただけではないか(制作費15億円は安っぽくないが)。ホント最低の脚本である。アイドル映画だからいいじゃんって感覚で、観客を舐めて作るという路線も否定しないが、もし本気で作ったというなら監督が大バカでしょう。アイドルではない宮川大輔がいい味を出していたのが、唯一のプラス評価だ。同じリメイクでも織田裕二主演の「椿三十郎」は、テレビで見たが(ノーカットではないらしい)まともだった。オリジナルと同一脚本を使った完全なコピーで、ちゃんとした役者達が演ずるから当然と言えば当然。配役には不満があるが、この脚本で配役を変えた作品をつくったら楽しいかも。そう、何度も作られた「白い巨塔」みたいに。椿三十郎は、室戸半兵衛は、奥方は、押し入れ侍は、城代家老は、誰が演じたら素敵か、ひまなときに考えよう。(柴田)
・続き。Designセミナーのユーザーセッションも鷹野さん。IllustratorのTips集。目からウロコぽろぽろ。普段あまりIllustratorを使う機会はなく、頭の中は8や10で止まったまま。Illustratorのそこがめんどくさくて使いたくないのよね、みたいなのが目の前のTipsでクリアされていく。鷹野さんはまるで手品師か豪腕通販番組案内者のようで、8や10しか持っていなかったら、ふらふらと購入申し込みしてしまうと思うわ。不勉強って損だと強く感じた。アピアランス、グラフィックスタイル、擬似的合体などなど、勉強しなおさなければ。カラー提案のためのバリエーション作成方法も実用的だった。そういえばあちこちでメモをとっている姿が見られたなぁ。もう少し長く見ていたかったよ〜。/新機能の目玉は、なんといっても複数のアートボードが持てるようになったこと。塗りブラシツールとか。(hammer.mule)
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