[2698] ダイアン・レインの聡明な額

投稿:  著者:


《夏風邪を3回もひいた…》

■映画と夜と音楽と…[431]
 ダイアン・レインの聡明な額
 ブラックサイト/トスカーナの休日/ストリート・オブ・ファイヤー
 十河 進

■ところのほんとのところ[23]
 「One second book(1秒の本)」と「PRADOX -TIME-」と
 所 幸則

■ローマでMANGA[21]
 2万人の中の1%
 midori


■映画と夜と音楽と…[431]
ダイアン・レインの聡明な額
ブラックサイト/トスカーナの休日/ストリート・オブ・ファイヤー

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20090904140300.html
>
───────────────────────────────────

●アクセスの数が増えれば人が死ぬという設定

少し前のことだが、「ブラックサイト」(2008年)というダイアン・レイン主演のサスペンス映画を見た。流行のサイコキラーあるいはシリアルキラーものだが設定が凝っていて、なるほど現代ではこんな犯罪も可能なのか、と少し落ち込んだ。ネット社会のダークサイド(結局、人間自身のダークサイドだ)を扱っていて、テーマ自体が現実を批判している。

ヒロイン(ダイアン・レイン)は刑事の夫が殉職し、母親と同居して娘を育てているFBIのサイバー犯罪捜査官である。一晩中、様々なサイトを監視し、犯罪行為を摘発している。場合によっては罠を仕掛けて犯人を特定し、地域の警察に連絡して逮捕させる。

彼女が夜の勤務に就いているのは、朝、帰宅して娘を学校に送り出すことを日課にしているからだ。娘が学校にいっている間に眠り、娘を迎え食事をさせて、出勤する。その落ち着いた母親ぶりが、歳を重ねたダイアン・レインによく合っていた。

ある夜、彼女はとあるサイトのライブ映像を見付ける。子猫が監禁されていて、そのサイトにアクセスするたびに子猫の命が縮まる仕掛けになっている。ネットで情報が駆け巡りアクセスが増加し、子猫はアッと言う間に死んでしまう。サイトから「みんなで一緒に殺した」というメッセージが発信される。

ところが、次の獲物は人間だった。裸の男が監禁された映像が映る。アクセス数が増えると、男の周りに仕掛けられた照明用の白熱ランプが点灯し、男を灼く仕掛けだ。男の皮膚が火ぶくれになり、悶え苦しむ様子がライブで映る。FBIはアクセスしないようにアナウンスするが、アクセス数はどんどん増えていく。

この仕掛けには、ちょっと考えさせるものがあった。僕は嫌いだから見ないのだが、ネットでは殺人シーンや死体の写真が掲載されているという。イラクで人質になり殺された日本人の映像は、かなりの人が見たらしい。そういう映像を見たがる人がいるのは知っているが、「ブラックサイト」の設定ではアクセスすることは殺人に手を貸していることになるのである。

物語は「羊たちの沈黙」(1990年)が創ったストーリーパターンを踏まえるが、犯人が単なるシリアルキラーではなく明確な動機があるのがわかり、それを追うヒロインや同僚に危機が迫るなどハラハラドキドキさせる要素は充分で、映画としては楽しめるものになっていた。

最後に絶体絶命の危機に陥ったヒロインが、どうやって救出されるのか、あるいはどうやって脱出するのか、とダイアン・レインびいきの僕としては手に汗を握った。それにしても、デビュー作「リトル・ロマンス」(1979年)から30年近くになり、13歳の少女だったダイアン・レインは40を過ぎて魅力的な女優になっていた。

調べてみたら、昨年公開されたダイアン・レイン出演作は3本もある。「ジャンパー」(2008年)は見たが、「最後の初恋」(2008年)は未見だ。リチャード・ギアと共演している。評判になった「運命の女」(2002年)でもリチャード・ギアと共演していたが、あの映画からダイアン・レインは自分の演技に再び自信を持ち始めたような気がする。

次作の「トスカーナの休日」(2003年)はベストセラーの映画化で、イタリアのトスカーナで暮らすアメリカの作家の役だが、のびのびと演じていて見ている方も気持ちがよかった。ただ、「運命の女」以来、彼女はセクシーなシーンを詳細に演じる傾向がある。「トスカーナの休日」でもイタリア男とのベッドシーンは、不必要に長かった。

40を過ぎても見事な肢体を披露してくれるのはうれしいけれど、どうも僕にはなじめない。おそらく、13歳で出逢った美少女のイメージが強いからだろう。僕が「リトル・ロマンス」のローレンが気になったのは、ひどく聡明な役だったからだ。「ブラックサイト」のヒロインも落ち着いた聡明な女性で、印象に残った。

●「リトル・ロマンス」以降の成長が気になっていた女優

何となく、その後の成長が気になる映画スターがいる。僕が「リトル・ロマンス」を見たのは20代の後半だったから、ローレンを演じたダイアン・レインとは、10歳以上の差があった。妹みたいなものだ。その後、コッポラ監督に気に入られたのか「ランブルフィッシュ」(1983年)「アウトサイダー」(1983年)「コットンクラブ」(1984年)などにヒロインとして出演する。

その頃、ダイアン・レインは20歳前である。少女の顔から大人の顔に変わりつつあったが、妙にケバくなった印象が僕にはあった。妹の堕落を見るような気分だった。それに、マット・ディロン、ミッキー・ロークが不良少年を演じた「ランブルフィッシュ」、トム・クルーズやエミリオ・エステベスが不良少年たちを演じた「アウトサイダー」では、あまり精彩を放っていない。

その当時のダイアン・レインの魅力を最も写しとっているのは「ストリート・オブ・ファイヤー」(1984年)である。このダイアン・レインを見たから、僕は今もダイアン・レインびいきなのだ。13歳のローレンを超えたと、僕は映画館で拍手をした。13歳の天才少女は、ロックスターとして甦ったのだ。

「ストリート・オブ・ファイヤー」はアクション映画であり、ロック映画だった。映画が始まると、劇場中にギターとドラムスのリズムが充満する。何かを期待させ、煽るようにロックのリズムが響き渡った。音楽を担当したのは、ライ・クーダーである。

真っ黒なスクリーンに「ロックンロールの寓話」という文字が出る。次のクレジットは「いつか、どこかの街で」というもの。架空の街を舞台にしたおとぎ話だと断っているのだ。やがて、どこかの街の劇場が映り、「帰ってきたロックの女王エレン・エイム」の看板が見える。観客が、リズムに合わせて拍手をする。

リズムが変わる。ステージでドラムスがシンバルを叩く。ギターが力強いイントロを弾く。音楽が盛り上がったところで、エレン・エイム(ダイアン・レイン)が走り出てくる。赤と黒のステージ衣装だ。マイクの前で歌い出す。そこから一曲まるまる歌ってくれるのだが、そのステージを映し出す映像は、当時のミュージックビデオに影響を与えたほどの見事さだ。

やがて、スモークの中に不気味な男たちのシルエットが立ち上がる。観客の中のひとりの男の顔が浮かび上がる。骸骨のような顔に逆三角形に逆立て固めた髪、ひと目見たら忘れられない男だ。目には狂気をはらんでいる。日本の観客はその男を初めて見たが、あまりに印象的で演じた俳優は有名になった。

男はボンバーズというオートバイ集団のリーダーで、演じたのは、ウィレム・デフォーである。あまりに強烈な顔なので使える役は少ないだろうと思われたが、案に反して「ストリート・オブ・ファイヤー」で一番売れた俳優になる。数年後、「プラトーン」(1986年)で主役を張ったときには驚いた。

そのボンバーズの男たちにエレンがさらわれる。ボンバーズは少し離れた街を本拠地にしていて、そこへエレンを連れ去ったのだ。そんなとき、かつてのエレンの恋人で流れ者のトム・コーディが帰ってくる。エレンのマネージャーに礼金を示され、トムは流れ者で元女兵士のマッコイと共にエレンの救出に向かう。マッコイと「エイリアン2」(1986年)のバスケスは、映画に登場した最も強力な女兵士である。

マッコイを演じたのはエイミー・マディガン。「ストリート・オブ・ファイヤー」の男のような役の印象が強いから、「フィールド・オブ・ドリームス」(1989年)でケヴィン・コスナーの奥さんで出てきたときは椅子からずり落ちそうになった。アカデミー賞の会場でエド・ハリスと並んで座っていたが、彼は夫である。似合いの夫婦だ。いい女は、いい男をつかまえる。

●ステージで歌うダイアン・レインが記憶に刻み込まれた

一時期、僕はLDで購入した「ストリート・オブ・ファイヤー」の音声だけをカセットテープにダビングし、通勤の途中に聴いていたことがある。一時間半ほどの映画だから家を出るときにオンにすると、ちょうど会社に着いた頃に終わる。最初のステージのシーンに呼応するように、ラストも盛大なステージシーンだからノリノリになり、仕事を始めるのにもいい。

最初からロックのリズムをギターとドラムスが刻んでいるのだが、それは途切れることがない。人物のセリフの背後でも常に鳴り響いているのだ。途中、スローなバラードが挿入されるときは別だが、常にリズムセクションがリズムを刻んでいる。ライ・クーダー調のギターのメロディが挟まれる。

トムはエレンを救い出し途中でバスを乗っ取るのだが、そのバスには黒人4人のボーカルグループが乗っている。彼らはバスで地方巡業していたのだ。その4人組の歌がいい。古いモータウン調のハーモニーからロックまでこなすグループで、彼らの歌が入るのがアクセントにもなっている。

ラストシーンのステージでは、彼ら4人をバックに従えてダイアン・レイン演じるロックスター・エレンが歌いまくる。スタイリッシュな映像を撮らせたら一番のウォルター・ヒル監督だ。スモークと色鮮やかなライト。エレンのステージの動きも見事に決まる。

映画が公開されたのは、まだ昭和と呼ばれていた時代だった。1984年、昭和59年の8月である。僕は32で、子供が生まれたばかりだった。カメラ雑誌の編集部にいて、毎日、何となく生きていたような気がする。ある日、汗だくになって歩いていた僕は、有楽町のチケットビューローの前に置かれたダイアン・レインの等身大ポスターを見た。

映画を見てわかるのだが、それはステージで歌うエレン・エイムの姿だった。赤と黒のステージ衣装。肩を露出し、髪を乱し、少し顎を上げている。片手の拳を力強く握りしめ、今にも突き上げようとしていた。セクシーだったし、力強くもあった。あのローレンが…と、僕は感慨深いものを感じてすぐにチケットを買い日比谷の映画館に向かった。

あれから、25年が過ぎていった。振り返る時間は、いつもアッと言う間に過ぎてしまう。「ストリート・オブ・ファイヤー」を見た僕は、しばらくその話ばかりをした。ウォルター・ヒル監督の映像的なこだわり、「夜と室内のシーンばかりで、昼間のシーンは雨。太陽の光はない」だとか「逆光とシルエットを多用する」といったマニアックな話を繰り返した。

しかし、僕が「ストリート・オブ・ファイヤー」を気に入ったのは、ステージで歌うダイアン・レインが記憶に刻み込まれたからだ。女兵士マッコイはカッコよかったし、ウィレム・デフォーの悪役は強烈だった。石切場で使うようなハンマーで決闘するシーンも手に汗握った。しかし、ラスト、ステージにすっくと立ち、男たちを従えて高らかに「TONIGHT IS WHAT IT MEANS TO BE YOUNG」を歌うダイアン・レインの映像と音楽は鮮やかだった。

その記憶があるから、ダイアン・レインという女優のその後が気になっていたのだろう。だが、その後のダイアン・レインは長い沈潜の時期に入る。20代前半の3年間は、まったく出演作がない。その後、「元は有名女優だったんだけどね」的な仕事しかできなくなる。官能的な役にも挑戦したが、作品には恵まれない。

最悪は日活映画の「落陽」(1992年)だ。「にっかつ八十周年記念映画」だったのでハリウッドスターをヒロインに…と発想したのだろう。ギャラもよかったのかもしれないが、出たのは間違いだった。その後、彼女は「ジャック」(1996年)という映画ではロビン・ウィリアムズの母親(!)まで演じた。それでも、彼女は映画に出続けた。

「ブラックサイト」に犯人がヒロインの娘を狙っていると思わせるシーンがある。それを知ったヒロインは、狂気のような振る舞いで娘を捜す。子供を思う母親の気持ちを見事に表現していた。ダイアン・レインにも、最初の夫クリストファー・ランバートとの間に娘がいるらしい。13歳だったローレンは、母になり二度の結婚を経て、大女優の貫禄を得た。そういうことだろう。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com

8月も終わり、9月になりました。この連載は11年目に入っています。11年も経てば、いろんな変化があります。仕事も家庭も…。そんな変化が書くものにも出ているのでしょうか。先日、ある人に「歳を重ねて、諦めの境地に入ったのでは…」といったようなことを言われ、そんな要素もあるのだろうなあと納得しました。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html
>
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
>
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
>

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ところのほんとのところ[23]
「One second book(1秒の本)」と「PRADOX -TIME-」と

所 幸則
< https://bn.dgcr.com/archives/20090904140200.html
>
───────────────────────────────────
さて、この夏は振り返るとさんざんな夏だった。梅雨がいつまでも終わらなかったというのが最大の理由だ。[ところ]の撮影は、「晴れた日」というのが基本スタイルなのである。説明するのは大変なので割愛するけれど、とにかく晴れてないとだめなのです。

運が悪いことに、この夏はたまに晴れても[ところ]は撮影以外で動かなければならかったり、夏風邪で倒れていたりということが本当に重なって、撮りに出られなかったのである。

[ところ]は本当に落ち込んだ日々を過ごしていた、夏風邪は3回もひいた。これは人生でも最大の回数だ。3回とも胃腸にくるタイプだったので、体力的にもずいぶん低下してしまった。

9月1日は台風一過という予報だったので、今回は逃せないな! ということで朝8時から12時まで、久々の夏日に渋谷を徘徊。「渋谷ワンセコンドシリーズを撮りまくり」のつもりだった。ロケハンは薄曇りの日に結構行っていたので、だいたいあたりはついているから、期待を持って現場に向かったのだけど、意外に雲が多く頻繁に太陽が隠れる。

それにしても暑いので、待ち時間のあいだにも体力は消耗していく。[ところ]の体力が落ちていたせいもあるのだろうけれど、家に帰ると倒れそうなくらい消耗していた。撮影中はテンションがあがってるせいか、そこまでじゃなかったんだけど。なんとか3カットは新作が撮れたと思う。

シャワーでも浴びてちょっと仮眠がとりたかったけれど、その日は本が来る日だったんだ! ところのほんとのところ[20]One second book(1秒の本)で書いた本だ。
< http://www.tokoroyukinori.com/1sec_project_j.html
>

午後の1時から3時くらいに到着だと聞いていたので、寝てるわけにもいかないし、ソファーで倒れこんでいたら、2時にピンポーン! 本がキター! 一気にテンションが上がって疲れが吹き飛んだ。

しかし、ダンボール14箱だ。よし、この山を少し減らそう。100冊買ってくれてる学校にまず送る手配。クロネコは思ったより早く来てくれて、3時半くらいには発送完了! 2箱減った。

次に75冊を仕入れてくれるナディッフに持って行こう。渋谷と恵比寿だし、と思ったけど持てる重さじゃないね。ちなみに僕の愛車は故障中。友人に電話したらラッキーなことに3人目で「いいよ〜!」の返事。3箱半減った。

ナディッフの仕入れ責任者にも、本は評判が良かった。NADiff a/p/a/r/t(恵比寿本店)、NADiff X10(東京都写真美術館1F)、NADiff modern(Bunkamura)は次の日にも配本されるらしい。東京都写真美術館店には、オリジナルプリントの額も一緒に飾ってもらえるそうだ。
< http://www.nadiff.com/home.html
>

車のお礼に、二人にとって思い出深い、20年前によく通ったラーメンやさんにいって奢った。懐かしい話もしたなあ。

翌日には、ところのほんとのところ[21]でも書いた、特別な本「PRADOX-TIME-」20冊限定にサインをしに、朝からギャラリー21のオフィスに向かった。One second book(1秒の本)01も20冊届けた。

本を見てビックリ! 本当にかっこいいです。日本人のセンスじゃないですね。それと本のコンセプトがハッキリわかった。この本を鑑賞していると、所有者だけのための個展のように思えてくる。この本を持つとはそういうこと、なんという贅沢。

本の大きさに対する写真の大きさが絶妙。構成もすばらしく、まさに「PRADOX-TIME-」だった。外見の高級感も素晴らしい。[ところ]のサイトのdiaryに写真があります。

一般に販売されるのは10冊くらいだそうで、他はNY、LONDON、PARISなどの美術館や国立図書館などに収蔵されるそう。これを書いてる時点で、2〜3冊は予約も含めもう売れている。

そして、ギャラリー21オリジナルのオーダーメイドの額に収まった僕の出展作品(A2サイズ)にもサインした。今回はインターネットTVの「写真芸術の現場」の取材もあったので、サインしてる[ところ]を撮られてちょっと緊張。

その後、新宿御苑にある蒼穹舎に10冊納品に行き、太田さんと少し話した。蒼穹舎で今開催中の個展が、なかなか骨太でいい写真だったので、どういう人?って聞いてたら、大学の同期の京都の写真家、杉浦正和君のようだ。ちょっとびっくり。この写真展「ルモンタージュ」もおすすめです。
< http://www.sokyusha.com/
>
< http://www.sokyusha.com/gallery/20090831_sugiura.html
>

9月4日(金)、今日から「東京フォト2009」が始まります。
おすすめであります! ぜひ会場でお会いしましょう。
◇東京フォト2009
< http://www.tokyophoto.org/jp/index.html
>
会期:9月4日(金)〜9月6日(日)
会場:ベルサール六本木1F/BF(東京都港区六本木7-18-18)
チケット:当日1500円、前売り1200円

【ところ・ゆきのり】写真家

CHIAROSCUARO所幸則
< http://tokoroyukinori.seesaa.net/
>
所幸則公式サイト
< http://tokoroyukinori.com/
>

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ローマでMANGA[21]
2万人の中の1%

midori
< https://bn.dgcr.com/archives/20090904140100.html
>
───────────────────────────────────
宿題第二弾です。デ・アゴスティーニの「MANGAを描く」シリーズのサイトの監修の一部です。

毎週、ゴマンとアップされる絵の中から適当に、コマ割りしてあるものを1枚、そうでないものを10枚選んで、講評をするというページがあります。コマ割りは細かく講評し、絵は数行で短く講評します。

なぜ「MANGAを描く」なのに、コマ割りしたものを1枚しか講評しないのかというと、アップされた絵のほとんどが一枚絵なのです。一枚絵と言っても、状況のある(背景があったり、動きがあったり)ではなくて、ポーズをとったお人形さん式の絵、しかも圧倒的にファンアート、つまり既成のキャラクターを描いてます。

好きなキャラをまねして描くのは、いいんです。でも、それを講評しても始まらない。漫画を描くようになってほしい。MANGAを描きたいという人に、このページを読んでほしい。MANGAをちゃんと教えるところはないから、少しでもその役に立ちたい。ということで、少ないコマ割りの絵は必ず一枚選んできっちりと講評。そしてせめてオリジナルを描いている絵を選んで、MANGAの視点から見た講評(性格付けができているかとか、表情がどうかとか)をすることに落ち着きました。

でも、やっぱりMANGAなんだから、コマ割りした原稿に近づいてほしい。自分でコマ割り構成を考えるのではなく、コマ割りをしてあって、そのコマ割りの意味を考えながら絵を当てはめる、という方法だったら、コマ割り原稿を描いたことのない人でも近づくかも…と言う苦肉の策の「宿題」でありました。

●現実の縮図かも

その宿題の第二弾です。日本のMANGAの原稿の大きさ(280mm×170mm)はそのまま、上下2段に分け、1段めをさらに3コマに分けて1コマ目と2コマ目は二人のキャラが言い合いをして、3コマ目は1コマ目のキャラが黙って正面を向く(時間が一瞬止まる)そして大ゴマの4コマ目で3コマ目のキャラの感情爆発。
< http://www.dgcr.com/kiji/20090904/01 >

宿題締め切りは6月15日。アップするのは自分のページですが、その知らせを私のページにすること、締め切り日を守ること、原稿枠の寸法を守ること、提示した原稿条件を守ること。一つでも守らないものは、講評の対象にしないという厳しい態度で臨みました。

一つには、プロの仕事の仕方のちょこっと疑似体験をしてほしかった、もう一つは、全部受け入れた第1回、その多さに講評する時間が激しく取られて、他の仕事にも差し障ってしまったからでした。

6月半ばというのは、学年末に当たり、サイト登録者の多くは中高生で試験時期にあたります。そのせいで、前回の101作品よりぐっと下った66作品の参加、条件を満たした作品が47でした。

「47」って多いのか少ないのか。登録者2万人のサイトということを考えると2%。「漫画家になりたい」「漫画家もいいかも」という漠然とした夢を持っているメダカの大群の中で、実際にMANGA原稿を描いて出版社に持ち込むなどの具体的にアプローチをするのが2%…と考えると現実の縮図かもしれません。

その47作品の中で、これはいけるかも! とおもったのが3〜4作品、つまり1割弱。かなり前のデータですが、日本で単行本を出したことのある「プロ」の漫画家が3000人、自分の原稿だけで食べて行ける人が300人。1割。と、まぁこじつけに近いかもしれないけど、現実の縮図かも。

ただ、いずれの作品も、足りないながらも一生懸命描いた、という気持ちは伝わってきて、それは嬉しい報酬でした。

●「何か」が足りない

いけるかも! の1位は前回の宿題に続いてアレックス君。
< http://www.dgcr.com/kiji/20090904/02 >

若いのに、プロとして仕事してないのに、かなり描いてる人で、キャラの雰囲気が日本の市場で受けるかは疑問だけれど、相当の腕前。こういう、メダカの大群の中にいていいのか? と思っていたら、先月あたり登録を取り消したらしい。

そしてHikaruちゃん。20歳の女性。
< http://www.dgcr.com/kiji/20090904/03 >

実は、セリフを入れてこなかったので、泣く泣く条件満たさずで講評の中には入れなかった。でも、コマの中のレイアウトを見ると、吹き出しが十分に入るスペースを空けてあるし、何よりもその表現力に、このまま没にする作品ではないと、特別枠を設けてコメントをした。

次にLividienちゃん。
< http://www.dgcr.com/kiji/20090904/04 >

年齢を明かしてない。グラフィックデザインをやってるそうで、宿題提出(サイト内の私のブログに書き込む)でも、その原稿のURLをクリックできるように貼付けてくる、という完璧仕事。Lividienちゃんも、セリフを入れてこなかったので特別枠でコメントした。キャラに強さがあり、技術もプロ並み。こういう人にはどんどん自信を持って、どんな形でもいいから作品を作って行ってほしい。

1割のうちの2点が特別枠というのもどうかと思うけど、2万人の中の光る人、ということで放っておけない。応募作の中間層というと、やはり、可もなく不可もなくという段階。
< http://www.dgcr.com/kiji/20090904/05 >
< http://www.dgcr.com/kiji/20090904/06 >

それなりに描けるし、自分の絵を持っているのだけど、「何か」が足りない。この言葉にならない「何か」は努力によって補えるものなのか、生まれつきの感性なのか。

あるいは、この「何か」は技術のことではないから、作者のほうで「これを伝えたい」と強く想うことがあり、その想いにうまく入り込めたとき、仏教でいう「三昧」の境地に入れたときに、その「何か」が出てくるのかもしれない。つまり、精神というか、魂関係の問題かもしれないとも思う。

「三昧」の境地に入るためには、広く豊かな知識、豊かで深い心、集中できる心の強さ、加えてそれを表現する技術など、色々な条件が組合わさるのだろうな、とも考える。

●世間はそれほど悪くない…かも

凡夫だからついつい頭に上ってきてしまうのが、仕事量と報酬の関係。サイトはサイト運営自体で直接収入がないので、この仕事の報酬は多くない。時間はかなり取られる。報酬額が頭の上に点滅すると、ついつい手を抜いて適当に…と言う気持ちにもなってしまう。

それでも結局、いやいや…と、考え直すのが、2万人の中の1%の懸命なエネルギーだ。そして、登録者のほとんどが中高生と書いたけれど、素朴な質問に答えた時のその喜びよう。友達同士のチャット以外のこうした世間とか社会(私はそれを具現している)とのコミュニケーションに、実は飢えているのでは、それを少しでも満たしてあげられるのかも、思春期の子供達に「世間もそれほど悪くない」と思ってもらえるかも…との想いだ。

それを証明するかのように、8月始めにサイト運営編集部から、こうした講義関係のサイト全部のアンケートを実施したところ、「MANGAの描き方」サイトの登録者の満足度がとても高かった、ありがとう、とメールをもらった。

【みどり】midorigo@mac.com

世間は夏休みでしたけど、私は夏休みなし。デ・アゴスティーニが夏休みを取ってる間に、前倒しで仕事を進めて楽になろうと思っていたけど、とんでもない。やり直しやら、執筆者や絵描きさんへのサジェスチョンなどで、私の執筆分が思うように進まず、本誌は相変わらず一か月の遅れ、サイトは一週間分先に進んだだけ。おまけに休みの世間に合わせて、夕食会が相次いだせいか、2年ぶりにした血液検査で中性脂肪値が490。150mg/dLが正常値だそうで……。
医者に行ってきます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■編集後記(9/4)

・岡嶋和幸「デジタル一眼レフすぐに上達するテクニック100」を読んでいる(玄光社、新刊)。「これがデジタル時代の新常識!」と銘打ち、100のテクニックを1ページ1項目づつ、作例をうまく使ってきれいに構成しており、適量の文章も読みやすい。テクニックというより心得みたいなのもあるが。筆者の主張は、写真上達のためにはカメラの使いこなしが不可欠であるという常識とは正反対である。デジタルカメラの使い方をいくら覚えても、写真はうまくならない。多機能なデジタルカメラを使いこなそうとする努力は、むしろ写真上達の妨げになる。カメラ操作よりも大切なことは、構図、ライティング、レンズの焦点距離、撮影ポジション、カメラアングル、被写界深度など撮影時のさまざまな「判断」である。その判断をズバッと明解に定義しているのが本書。一般的な写真撮影の解説書とは逆なことも書かれているが、すべて筆者が作品つくりで実践していることだという。「写真が上達して、気がつけばカメラも使いこなせるようになっている。そのような内容を目指して本書をまとめた」とあとがきにある。示されるテクニックは、わかりやすく覚えやすい。カメラの取り扱い説明書や、写真出版各社で出している機種別の解説本は適当に斜め読みして、この本をじっくり読んだほうが写真は上達するに違いない。1ページ単位だから、気になるテクニックから読んで、真似してみよう、意識してみようと思う。逆転の発想のようなスッキリ感を覚える本だ。とても写真の本と思えない表紙も逆転の発想?(柴田)
< http://www.genkosha.com/sp/2009/08/100.html
>
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4768302874/dgcrcom-22/
>
アマゾンで見る(レビュー2件)

・次のDTP Boosterは9月15日、Photoshop特集。/昨日書いたIさんとは10年以上のおつきあい。デジクリの母体会社が倒産した時、デジクリを続けるかどうか相談にのってくれた人。人のつきあいに、甘え上下というのがあるなら、確実に私が甘える方。お泊まり時にも、いろんな話を聞いてもらった。とりとめないコトを話していて、ロルフィングという単語が出た。初耳なので説明を求める。最近浸透してきたマッサージというか整体みたいなもので、彼女は数年前に受けたらしい。筋膜をゆるめて、身体のゆがみを戻すとのこと。痛くはなく、受けた後は身体が楽になるとか。身体のゆがみを戻すには、筋肉じゃないの? コアの部分を鍛えないと猫背になったり……と質問をしたら、彼女は、私も詳しくはないのだけれどと前置きの後、たとえば怪我をしたことがあると、それをかばうような動きをしてしまい、筋肉のつきかた自体に偏りが出てしまう。整体に行っても癖は直らない。ロルフィングはバランスを戻そうとするもの、とのこと。詳しくはリンク先を見て。(hammer.mule)
< http://www.dtp-booster.com/vol06/
>  DTP Booster
< http://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=27399821
>  Wikipediaで
< http://rolfing.or.jp/
>  ロルフィング
< http://www.oct.zaq.ne.jp/afcrj800/rolfing.html
>なんとなくわかったような、わからないような