[2710] 太地喜和子のふくよかな頬

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《人間もまたインプットをアウトプットに変換する装置である》

■映画と夜と音楽と...
 太地喜和子のふくよかな頬
 弾痕/やくざ絶唱
 十河 進

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■映画と夜と音楽と...
太地喜和子のふくよかな頬
弾痕/やくざ絶唱

十河 進
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●手術で最終回を見損ねた「ナショナル・キッド」

少し前のことだが、同僚から「扁桃腺で熱を出して休んだ」と聞いた途端、いきなり子供の頃に受けた扁桃腺の手術を思い出した。兄の自転車の後ろに乗ってウオノメを切ってもらいに医者にいったのを別にすれば、自分の体内に初めてメスが入ったときだ。その日にちまでわかる。1961年4月27日。何だか最近、体に関する古い出来事を思い出す。

扁桃腺とアデノイド、切り取られた肉片を3個見せられた瞬間が甦った。9歳の僕は思わず目を背けた。血にまみれた白く丸い肉片だった。自分のものとは思えなかった。医者は「確かに切り取りましたよ」という証拠なのだろうか、必ず切り取ったものを見せる。10年ほど前には、カミさんの切り取られた大腸を見たことがある。

48年前、小学4年生になったばかりの僕は、目隠しをした姿で椅子に座らされた。のどの奥の両側に何本もの麻酔注射をされた。部分麻酔だから意識はあるし、医者と看護婦のやりとりも聞こえる。手はどうなっていたのだろう。椅子に固定されていたとしたら、どう見ても拷問である。そう言えば「カジノ・ロワイヤル」の底の抜けた椅子に縛り付けられた拷問場面は有名で、映画化された「007/カジノ・ロワイヤル」(2006年)でも再現されていた。

記憶では、手術は30分くらいかかった気がする。その間、口を開け続けていた。「はい、もっと口を開けて」という医者の声で、思いっきり口を開いた。「見えてきたぞ」という声と共に何かをハサミで切り取られるような感覚があり、舌の上にボトリと肉片が落ちてきた。おそらくアデノイドだろう。あのときの生理的なイヤ〜な感触は、50年近くたっても忘れられない。

今から思えば、扁桃腺とアデノイドを除去する手術にしては、ずいぶん安易だった気がする。入院だって「ひと晩でいい」と言われた。兄が同じ耳鼻咽喉科に蓄膿症の手術をして入院していたから、そのベッドでひと晩一緒に寝ていけばいい、ということになった。その夜、兄とは逆の側からベッドに入って眠った。ふたりとも子供だったから、その方が大人用ベッドでゆっくり眠れたのだ。

翌日には自宅に帰った。それからしばらくは、流動食だった。学校の給食のときも特別扱いしてもらった記憶がある。のどの痛みを意識しながら、給食係が大きな深鍋から脱脂粉乳をすくっているのを、教室の入り口の柱にもたれてぼんやりと見ていた記憶がある。あれは何をしていたのだろう? 僕のための流動食のスープか何かを待っていたのだろうか。固形物がのどを通るときには、痛みを感じた。一ヶ月くらいは、そんな状態が続いた。

なぜ、手術した日を憶えているかというと、僕はその日に見たくて仕方がなかったテレビドラマがあったのだ。「ナショナル・キッド」というヒーローものである。その日が最終回だった。前回まで欠かさず見ていたのに、最後に主人公が地球の危機を救う姿を見ることができなかった。僕の中では、未だに地球の危機が続いている。その最終回が1961年の4月27日。番組提供は、「明るいナショナル」の松下電器だった。翌週から「少年ケニヤ」が始まった。

●「ナショナル・キッド」に出ていた少女のその後

「ナショナル・キッド」は東映の制作だった。そのため、東映所属の子役がいろいろ出演している。数年後、東映制作の青春映画でヒロインをつとめる本間千代子も出ていたらしいが、よくは憶えていない。後に太地喜和子という名前になる志村妙子という少女も出ていた。

太地喜和子という女優は、僕はずっと文学座から出た人だと思っていたのだが、少女の頃から東映ニューフェースとして映画に出演し、俳優座養成所を出て文学座に入ったらしい。杉村春子の後継者とまで言われていたが、1992年10月13日、地方公演がはねた後、飲酒して何人かと同乗していた車が港から海に落ち溺死した。

昔、津坂匡章(現在は秋野大作)が太地喜和子と結婚していたと知って驚いたことがある。太地喜和子といえば、妖艶でセクシーでグラマラスな肢体を持つ女優なのに、津坂匡章はひょろひょろした情けなさそうなキャラクターで売り出した人だったからだ。もっとも、太地との結婚生活は早々に破綻している。何しろ「恋多き女」と言われた女優だ。

津坂匡章はテレビ版「男はつらいよ」で、フーテンの寅の弟分のテキ屋をやっていたのが印象に残っている。映画版も最初の何本かには弟分で出ていたが、いつの間にか出なくなった。太地喜和子もシリーズ17作目「男はつらいよ・寅次郎夕焼け小焼け」(1976年)のマドンナで登場し、多くの助演女優賞を獲得した。芸者の役で和服姿がよく似合った。

舞台では「欲望という名の電車」「唐人お吉」「近松心中物語」などの代表作があるが、映画では主演というより助演で印象的な役を多くやっている。最初に評判になったのは、新藤兼人監督作品「藪の中の黒猫」(1968年)だった。その後、「触覚」(1969年)「裸の十九歳」(1970年)と新藤作品に出演している。「裸の十九歳」は永山則夫が起こした連続射殺魔事件の映画化だった。犯人役は若き原田大二郎である。

その新藤作品の間に、太地喜和子は森谷司郎監督作品「弾痕」(1969年)に出演した。加山雄三のスナイパーものだ。この時期、加山雄三は若大将シリーズの間を縫って「狙撃」(1968年)「豹(ジャガー)は走った」(1970年)「薔薇の標的」(1974年)などに主演した。スナイパーを主人公にしたアクション映画である。

「弾痕」で太地喜和子が演じたのは、主人公が心惹かれる前衛的な彫刻家だ。彼女は実年齢では20代後半だったが、すでに落ち着いた大人の雰囲気を身に付けていた。しかし、太地喜和子が受けたのはヌードも濡れ場も辞さない、いわゆる「体当たり演技」であり、情熱的な女の役だった。男と怒鳴り合い、太股も露わに組み付いてくるような演技だった。

そんなイメージがあるからだろうか、芸者や情婦や娼婦の役が多かったし、本人もそんな女を演じることに熱心だった気がする。「弾痕」の翌年に公開になった「やくざ絶唱」(1970年)では、勝新太郎を相手に蓮っ葉な情婦を演じていて、今でも僕の記憶は鮮やかだ。

●太地喜和子さんのいるところだけが明るく輝いていた

「やくざ絶唱」は増村保造監督作品。勝新太郎がやくざな兄貴で、高校生の妹は売り出し中の清純派だった大谷直子が演じた。大谷直子はNHKの朝の連続小説のヒロインが決まっていたのに、岡本喜八監督の「肉弾」(1968年)で全裸を晒し、お堅いNHK幹部を悩ませた若手女優だった。

自分が育てたと自負している兄は妹を聖なる存在として守り続け、兄の異常なほどの過保護と干渉に反発する妹は様々な男たちを誘惑し、男との関係を兄に見せつけようとする。彼女の相手は教師役の川津祐介であり、若き美青年だった田村正和などである。

太地喜和子が演じたのは、兄妹の家にころがりこんでくる勝新太郎の情婦である。太股を露わにしたミニドレス、肩や背中を露出した洋服、時には下着姿でうろうろする。妹の目の前で兄に抱きつきセックスをねだる。それを冷ややかに見つめる妹の目が印象的だ。

その時の太地喜和子は、結局、妹を選択したやくざな兄に家を追い出されるのだが、そのときの兄妹を罵倒する演技が凄い。勝新太郎にくってかかり、むしゃぶりつく。元来、大柄な印象がある女優だったが、スクリーンからはみ出すかと思うほどの動きで迫力があった。こんな人に別れ話を持ち出したら怖いだろうなと、僕は思った。

太地喜和子が勝新太郎と噂になったかどうかは知らないが、勝新太郎は女優として太地喜和子が気に入ったのだろう。「顔役」(1971年)「座頭市物語 折れた杖」(1972年)「悪名 縄張あらし」(1974年)など、勝プロ制作の作品に起用した。「顔役」と「座頭市物語 折れた杖」は勝新太郎自身の監督作だ。

「浮き名を流す」という言葉があるが、それは太地喜和子にこそぴったりだった。酒と男が好きだと公言し、ホントに酔っているのではないかと思わせるようなテレビコマーシャル(もちろん酒の)に出演し、ふっくらとした頬の目立つ顔で流し目を見せ、テレビの前の男たちを性的な興奮と恐怖によって震え上がらせた。最近の言い方だと草食系だった僕は、怖ろしさだけが印象に残った。

太地喜和子のフィルモグラフィを見ると、映画の出演作は意外に少ない。池波正太郎の「その男」を映画化した三隅研次監督の遺作「狼よ落日を斬れ」(1974年)の尼の役、深作欣二監督作品「資金源強奪」(1975年)の主人公の情婦役を経て、「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」で評価され、80年代に入ると出演作は激減する。

僕は一度だけ、太地喜和子を見かけたことがある。田宮二郎主演の「白い巨塔」が評判になっていた頃だから、1978年である。太地喜和子は主人公・財前の愛人役だったと思う(それにしても、情婦や愛人の役ばかりですね)。僕は「白い巨塔」収録中のフジテレビの廊下で彼女を見かけたのだ。

当時、僕は「小型映画」という8ミリ専門誌の編集部にいて、毎月、フジテレビ・デザイン室のデザイナーに依頼していたタイトル原稿をもらいにいっていた。カラーの一枚タイトルで、「運動会」「春の遠足」「ピクニック」などと描いてもらうのだ。あの頃、日本テレビ、TBS、フジテレビのタイトルデザイン室にはよく通ったものだった。

新宿区河田町の女子医大近くにフジテレビがあった頃だ。半蔵門線の曙橋駅はまだできていなかったから、僕はバスで河田町へ通っていた。受付で断って勝手知ったるデザイン室への通路を歩いていた。当時のフジテレビは、温泉地の老舗旅館のように増築増築で迷路のような廊下になっていた。一度では憶えられない。

途中、スタジオの前も通る。僕は、その一角だけが明るく輝いているように見えて、ふっと目を向けた。そこに細い目をさらに細くしてにこやかに微笑む太地喜和子がいた。もちろん、彼女が微笑んでいた相手はスタッフである。一瞬、僕は見とれた。芸能人にはオーラがある、とよく言われるが、僕はあのときにそれを信じた。明るい色の和服を身に着けた太地喜和子さんには、確かにオーラがあった。

スタジオの外でスタッフと打ち合わせをしていたのだろう。だが、どこにも特別な照明はなかったのに、確かに彼女のいるところだけが明るく輝いていた。僕は「うまい女優だ」とは思っていたが、特別にファンだったわけではない。僕は、ふくよかな人よりスレンダーでスリムな人に惹かれる。だから、そのときも「太地喜和子がいる」くらいにしか思わなかった。しかし、あの一瞬のことが記憶には刻み込まれている。

そのときから14年後、「太地喜和子さんが車で海に落ち死亡」というニュースを聞いたとき、僕は「ナショナル・キッド」に出演していた10代の少女を思い出し、やがて「やくざ絶唱」の怖いお姉さんが甦ってきた。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com

先日、内藤陳さんの誕生パーティに参加してきました。夕方から出かけて店に入ると、オーナーシェフの兄弟分カルロスから「おう、兄弟!」と声をかけられ、西村健さんには「痩せたんじゃない」と言われました。西村さんのラーメン探偵シリーズ「ゆげ福」(講談社文庫)は必読です。ラーメンが食べたくなって、食事制限中に読むと辛いですね。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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■Otaku ワールドへようこそ![103]
人形撮影の理論と実践:それはとってもややこしい

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●人形を撮ると何が写るのか

人形の写真とは、成り立ちのたいへんややこしいものである。......とだけ言ってもおそらくピンと来る人は少ないでしょうから、それをこれから説明しようと思います。

芸術作品一般について言えることだと思うが、作品を鑑賞する側から考えるとき、作品を見る視線の到達点において、3つのモードを変遷するのではなかろうか。

第一に、作品そのもの。誰でも見ればいやおうなしに目に飛び込んでくる、物理的な存在形態そのもの。それを見なければ何も始まらない。例えば、風景画や人物画で言えば、平面上に描かれた絵柄そのもの。全体の構図とか、全体的な明暗の調子とか、色合いとかコントラストとか、線の流れとか陰影のつき方とか。

その作品がいかにして生まれてきたかという背後のことには一切考えを致さず、あたかも宇宙の開闢以来そこに存在していたかのごとく、すべてをありのままに受け入れ、直接的に作品と対峙しようという姿勢である。

第二に、その作品を生み出した作家を見る、というモード。作品を、制作者から鑑賞者への手紙のようなものだと捉え、それを通じて制作者を知ろうという姿勢である。そういう鑑賞の仕方が、推奨すべきことなのかどうかは知らない。作品は、発表した時点で制作者の手を離れ、独立した存在となるべきであり、鑑賞者は制作意図にとらわれず自由自在に解釈すればよろしい、という考え方もあろう。

まあ、私生活を穿鑿するような見方は気持ちのいいものではないが、作品ににじみ出る制作者の苦悩や精神世界の深淵に思いを馳せるというのは、自然なことなのではないかと私は思う。

さて、作品、制作者、と来て、そのさらに向こう側に何かが見えてくる第三のモードがあるとしたら、それは何だろうか。作品の構成要素のようなものではないかと思う。風景画や人物画であれば、描いた対象である風景や人物が、まずひとつ。これは、具体的な構成要素である。

しかし、もし、構成要素がそれしかないとしたら、絵画というものは実物の劣化コピーにすぎないということになり、作品の評価基準は実物との類似度という一点だけに縮約され、作品への評価は上手いか下手かしかなくなってしまう。そして、その技量においてはカメラが一番だね、で終わってしまう。

それでは芸術にならないから、作品の構成要素としては、抽象的な何かがきっとあるはずである。テーマとか。動機とか。意図的に作品に込められた抽象概念だけでなく、生い立ちから醸成された世界観とか、別の作品から得た着想とか。読んだ小説、見た映画、つきあった相手、食ったもの、実は何から何まですべてが、直接間接に構成要素として働いているのかもしれない。まあ、作品を見て、これを作った人は三島由紀夫に傾倒していたに違いない、みたいにずばり言い当てられてしまうことはめったにないだろうけど。

作品を見る側からではなく、作る側で考えると、どういうことになるか。「数学者とは、コーヒーを定理に変換する機械である」と言ったのは数学者のポール・エルデシュである(どこが可笑しいのか分からない人は、私に聞かないでください、説明するのがめんどくさいです)。まあ、人間をつかまえて、機械みたく言うのは失礼な感じではあるけれど、究極的に単純化したモデルで考えると、人間もまた、インプットをアウトプットに変換する装置である、という捉え方ができる。その段でいくと、芸術家は外界からの刺激を作品に変換する機械である、ということになろうか。

風景画であれば、インプットは風景である。正確には、網膜に像を結ぶべく風景から飛んできた光線群ということになろうか。その像が、画家の中をする〜っと通り抜けるうちに、世界観とか人生観とか哲学とか政治思想とか体調とか気分とか人間関係とか金まわりとか食ったものとか飲んだ酒とかケチャップとかソースとか、いろんなものが加味されて、一枚の絵というアウトプットとなって出てくるわけである。

インプットがアウトプットに変換される過程において、どれだけしっかりと制作者の中を通り抜けてきたかが作品の面白さを決定づけるといえよう。逆に、インプットに対してまったく何の変換も加わらずにそのままアウトプットとして出てきちゃう、ということはありえないので、どんな作品もいくばくかの面白さはあるのだといえよう。

出来事をそのまま記述した日記のような文章は、練りに練って書き上げた小説に比べれば、創造性が低い。生み出すのに、さほどの労苦は伴わない。しかし、それでも、書いた人の人間性はにじみ出るものである。ものごとのすべてを微に入り細にわたり記述しきることは不可能であるから、どうしたって情報の取捨選択が起きる。何を捨て、何を残したかによって、その人の関心の傾向が分かるってもんである。加えて、どう構成・表現したかによっても、書き手の内面のありようが伝わってくる。

どんな具象的な描写においても、その中からいくばくかの抽象性は見出せるはずである。とは言いながら、その度合いにおいては濃淡ある。私が面白いと感じるのは、制作者の中でゆっくりじっくり咀嚼され、消化・分解され、流れ渡り、再構成され、最終的にいきみに呼応して股から出てきたようなものである。作品を鑑賞する際の3つのモードというのは、作品を制作する過程を遡る過程である、というふうにみることができるのではあるまいか。

さて、この3つの鑑賞モードを人形作品にあてはめて考えると、どういうことになるか。まずは、作者そっちのけで、人形そのものと対峙するという姿勢。これはいたって普通である。ただ、絵画等の作品と異なるのは、人形が人の姿をしているという点で、見る人は、作品と向き合うというよりは、人と向き合うような姿勢で関係を築こうとしがちである。

人でないものを人のようにみると、面白いことが起きる。自分を投影してしまうのである。人形を見てうかつな感想をもらすのは大変危険である。「この人形、さびしそうだね」なんて言ったら、それは実は自分がさびしいのである。見てる本人の内面のことをぼろぼろと外に流出させてしまう。人形とは、対人間 Winnyである。人形を見て思わず「きゃー、かわいいーーーっ!」と叫んだ場合、それは実は「自分、かわいい」というナルシシズムの投影ということになるのか。......まさにそのとおりだと私は思う。

第二のモードには進まないほうがいいということもある。デートのとき、いくら相手の人が魅力的だからといって、この人を生み育てた親はいったいどんな人なのだろう、なんて方向へ思いを向けては甚だ興ざめであろう。自然にそこに居たのだというテキトーな認識に留めておいたほうが、幸せってもんである。

人形も似たようなもんで。人形愛好家の中にも、作者が男性だと知ったとたんに急速に興味を失う人がいる。やっぱりかわいい人形の背後におっさんの影がちらついては、萎え萎えなのであろう。しかしながら、創作性の高い異形の人形などは、どうしたって作家の精神のありようというものが気になっちゃったりすることはあって、それはそれでいいのではないかと思う。

第三のモードで、具体的な構成要素は、ないことが多い。実の子の精密なコピーを作っておこう、みたいな動機は少ないように思う。小説や神話などから着想を得ることのほうが多いのではないか。具体的な造形などは、人から教わったり資料本を参考にしたり実在の人を見たりするようではあるが、抽象的な構成要素の占める比率のほうが圧倒的に大きいようである。でも、意図してないのに結果的に本人や実の子にどことなーく似ちゃうってことは、よくあることだったりする。

さて、写真においては、どうか。写真もまた、3つのモードで見ることができるという点においては、例外ではない。けど、メカニカルに絵が形成されちゃうという制約上、具体的な構成要素という要因が圧倒的に大きく結果に反映される。人形とは対照的である。

創作においては、制作者の内面をじっくり通り抜けて出てきたものが面白い、と言ったが、その段でいくと、写真とはあんまり面白みのない芸術だ、ってことになってしまう。それは困る。自分の首を絞めた。しかし、写真においても、被写体が写ると思ったら大間違い、撮った本人が写る、と言われている。もし撮った写真がどれもこれも面白みに欠けるものだったら、とりもなおさず撮った人がつまらないってことになる。写真作家で、作品を一目見れば、名前を見る前に、この人の撮ったものに違いない、とピンと来ちゃう人がいる。ちゃんと個性は現れるのだ。

やっぱり、写真もまた、インプットとしての被写体が、撮った人の内面を通り抜けて、出てくるのである。試しに、あたかも目をつぶってでたらめに撮ったような写真を、ちゃんと目を開けてファインダーを覗きながら、意図的に撮ってみるといい。これは大変難しいと思う。自分らしさを写真に反映させようなんて意識しなくたって、自分がちゃんと写真に写っちゃうのである。

しかし、いかにも撮影者の中でゆっくりじっくり醸成されて出てきましたって感じが現れているような創作性の高い写真作品を仕上げるというのは、相当難しいのではないかと思う。この制約があるからこそ写真は面白いのだという見方もできるけど。

さて、それで、人形の写真の話である。ようやくたどり着いた。人形の写真においては、人形制作者の3つのモードと写真撮影者の3つのモードとが、直列つなぎになって、結果に堆積される。「人形制作者の作品そのもの」と「写真撮影者の具体的構成要素」とが共通で、ここがジョイントになっている。

これだけ多くの要因が堆積していると、見る側にとっては、どこに何が反映されているのか、切り分けて見るのが困難になってくる。写真からいい印象を受けたとしても、それは元の人形がいいからなのか、撮った人の腕がよかったのか、判別がつかない、あるいは錯覚してしまう、ってことがしばしば起きる。

人形写真のどの階層を重点的に見るかは、人によっていろいろである。極端な話、人形そのものに強い興味をもっている人は、写真によってかかったフィルタを脳内で剥ぎ取って、被写体に接近しようとする。写真なんてもんは、商品カタログみたいに対象物がハッキリ分かるように撮ってくれりゃいい。アートっぽいことなんか考えずに、カメラ技師に徹してくれ、ってなもんである。被写体を直接見るよりも写真で見たほうが美しく見える現象を「写真マジック」と呼んで、だまされちゃいけない、と警戒姿勢だったりする。

しかし、一方、人形制作者が写真撮影を依頼してくるとき、商品カタログのように撮ってくれ、って人はまずいない。撮る側の役割としては、最低限、人形のコンセプトに合うロケーションを選定し、背景にマッチして統一感のある絵に仕上げることであろう。

撮る側が、あんまり創造性を発揮しすぎるのは、人形作家からも好まれないことがある。背景に溶け込んだ感じを出すために、主題を隅っこに小さく入れる、なんていうのは、構図としては面白いし、見る人は人形のほうへちゃんと目が行くのであるが、まあ、だいたいにおいて、作った側と見る側からブーイングをステレオで聞く羽目にあう。

人形を主役として立て、ディテールがしっかり分かるように大きくはっきりと撮りつつ、背景によって物語性をほのめかす、というあたりに結局は落ち着くことになる。見る側は、分析的に見るなら、直列つなぎの過程をずーっと遡らなくてはならない。しかしながら、人形撮影においては、撮影者が人形を預かっておいて、人形制作者がいないところで好き勝手にばんばん撮るという撮り方は、少なくとも私はしたことがなく、制作者立会いの下、話し合いながら、共同作業として撮っていく。だから、二者の合作だというふうに考えて、並列つなぎのモードで見たっていいわけである。そのほうが、ややこしさを大分解消できるのではなかろうか。

●人形をさしおいて、ついつい生みの親を撮ってしまう

ドールショウのような大規模な人形の展示販売イベントに行くと、人形作家には2つのタイプがいることに気づかされる。ひとつは、人形作りにエネルギーのすべてを注ぎ込んで、みずからの姿を繕うところまでは手が回らないか、考えすら及ばないタイプ。もうひとつは、生活のすべてがファンタジー系の統一コンセプトの下に演出され、みずからもお人形さんのようになっているタイプ。

由良瓏砂さんは、まさに後者。良家の少女のお出かけスタイル風のいでたちがよく似合う。初めて会ったのは2008年3月8日(土)、中央区京橋にある人形の専門店「ドルスバラード」で。10人ほどの作家による人形の展示を見に行ったとき、たまたま在廊していた。ダークブルーのベルベットのドレスを着ていて、神々しい印象だったのをよく覚えている。

瓏砂さんは、劇団 MONT☆SUCHT(モントザハト)の看板女優でもあり、今まで公演などで本人を撮らせてもらうことはよくあったのだが、人形作品を撮らせてもらう話が初めて来たのはつい最近のことである。10月14日(水)〜16日(金)、高円寺の「前衛派珈琲処 Matching Mole」にて人形の個展「アウロラ残照」を開くそうで、販売用の写真を撮ってくれませんか、という話が来たのである。

9月19日(土)、都内の公園にて、撮影。17日(木)の朝、会社に行きがけに下見したとき、私が勝手に「思惟の猫の庭」と呼ぶことにした場所である。縁側で寝ていたでっかい猫が、私が近づくのに気づいても逃げようというそぶりすらみせず、悠然と構えていて、その姿がまるで哲学的な思索にでも耽っているように見えたので。中野区にある哲学堂公園である。

武蔵野の面影を残す雑木林と、庭園っぽく造られた水の流れと、いわくありげな門や建物などからなり、人影はまばらで、のんびりとくつろげるのどかな空気ではあるのだけれど、なんとなく、それだけではない、うすら寒い気配がかすかに漂う。場所や建物に「唯物園」「唯心庭」「時空岡」「演繹観」といった哲学っぽいにおいのする名前がつけられているのだが、中には「鬼神窟」「靈明閣、「髑髏庵」「神秘洞」といったオカルトに近い響きのものがある。

「哲理門」は、寺社であればあうんの仁王像が納まるべき場所に天狗と幽霊がいて、それぞれ物質界と精神界とを象徴しているという。幽霊が出ると言われる梅の木を移植してきたりもしている。この施設を作った人って、本物の哲学者というよりは、哲学趣味の、ちょっと頭のおかしな金持ちの道楽おじさんだったのではあるまいか、なんて私は勝手に想像してしまった。

実際は、本物の哲学者で東洋大学の創立者でもある井上圓了博士が精神修養の場として明治37年に開設しているのを後で知ったのだが。井上氏は、幽霊の研究者としても相当だったが、妖怪変化の信奉者というわけではなく、むしろ逆で、迷信を吹っ飛ばせと説いてまわって、人気を博していたようである。今でいう「と学会」のようなもんか。

風水やら鬼門やら縁起やらをまるで考慮しない配置になっているそうで、それでも神罰も祟りも起きないではないか、と実証してみせたかったようである。しかし、まあ、皮肉なことに、最近は心霊スポットとしての認識が広まっているようである。うーん、21世紀ってこれでいいのかなー。

さて、瓏砂さんもまた、哲学的な香りの漂う人である。8月28日(金)の神楽坂と9月13日(日)の池袋での MONT☆SUCHT の公演では、「クォンタム氏の可能性と不可能性」という演目の脚本を担当している。「コペンハーゲン解釈」と「エヴェレット解釈」といった量子物理学の用語が飛び出したりして、なかなか難解である。

ニュートニアンな世界観の下では、すべての物理現象は線形の微分方程式にしたがうので、初期値が決まれば、後はすべて必然的に決まってしまう。偶然とか自由意思の入り込む余地はない。自分は自由にものごとを決めていると思ってもそれは錯覚であって、実際は機械と同様に刺激に反応しているにすぎないということになる。

ところが科学がもっと進歩して、非決定論的な世界観が支配的になる。すると、人間は真に自由な存在であったという裏づけが得られ、それが喜びにつながっていく。だけど……。機械は故障や誤動作はあっても発狂するということはない。それとは対照に、自由の与えられた人間は、本人は解き放たれた精神の自由を満喫し、最大限の喜びで満たされているつもりになっていても、傍目にはそれって発狂してるだけやん、みたいなことにもなるうるよね、と。私は勝手にそう解釈した。サイコでホラーで怖いお芝居なんだけど、美しい。

ところで、瓏砂さんは自然観察眼もなかなかのものがあるなぁと、今回一緒に哲学堂を回って思った。花梨の木に、毛虫が20匹ほどうじゃっと一箇所に固まってついているのを見つけている。若い女性ならきゃーとか言って逃げていきそうなもんだが、しばらくじっと観察していたらしい。ときどき一斉にぴくぴくと動くのが不思議で面白い、と教えてくれた。どれどれ、と見ていると、確かに、ずっとじっとしていた毛虫たちが、ある瞬間、あたかも全部が一本の神経でつながっているかのごとくシンクロしてぴくっぴくっと動くのである。わぁ! シュール! これはいったい何の合図なのだろう?

こういうのをちゃんと見つけるって、なかなかの観察眼で、もしかして、科学の方面に進んでいれば、そこそこ実力を発揮して頭角を現したかもしれないのではないか、なんて考えちゃう。感性と理性、両方の領域で並々ならぬものがある。おまけになかなかの美貌の持ち主ときたもんだ。天が一人に二物も三物も与えるとは、いったいどうなっているのだ、と心の中でぼやきつつ、ついついカメラを向けてしまうわけだ。

写真は、こちら。販売用のを除外したセカンド・ベストです。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/Park090919/
>
瓏砂さんの個展情報は、こちら。
< http://dollexhibition.blog93.fc2.com/blog-entry-183.html
>

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

カメコ。同じ日の夜、熊野神社のお祭りに MONT☆SUCHT のメンバーで行こうって話になっているとのことで、私も混ぜてもらえることに。いったん帰って、新宿へ。わ、すごい人出。待合せは漠然と熊野神社としか決めてないよ。これで会えたら奇跡に近いんでは? 希望を天に託して、鳥居の足に腰かけ、モツ焼きをつまみにビールを飲んで待つ。こういうとき、持ち運び可能なちっこい電話があると便利だよね。音声を電波に乗せて飛んでけ〜、みたいな。ま、そういうのは21世紀まで待たないとだめかな。いや〜、そこまで小型化するには、100ナノメートル(1ミリの1万分の1)程度の太さの配線を引き回さないとならないから、技術的に可能でも、コスト的に無理かな。1台あたり100万円ぐらいになっちゃったりして。もし、値崩れしたら、それはそれで大変だ。花形産業として経済を牽引すべき半導体が、斜陽産業になり下がっちゃうかも。有能な半導体技術者たちは、激務の割にはろくな実入りが得られないことに疲れ果て、世をはかなんでデジクリに寄稿するようになっちゃったりして。……とかなんとか妄想を膨らましていると、声かけてくる人あり、振り向けば瓏砂さん。ラッキー! つーか、俺、目立つ?

10月12日(月)〜24日(土)、銀座ヴァニラ画廊にて、少女主義的水彩画家たまさんの原画展「Gallows」が開かれる。ほぼ一年前、3人の人形作家の人形と私の写真の展示を催したなつかしの画廊。たまさんの作品の写真と私の撮った写真とが「トーキングヘッズ」という雑誌の同じ号に掲載された。11月のデザフェスで初めてお会いした。というご縁。たまさんの絵って、色がやわらかくて調和がきれいで、繊細な感じ。少女の無邪気さと残虐性が溶け合う不思議な世界。
< http://www.vanilla-gallery.com/gallery/tama/tama2.html
>

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■編集後記(9/25)

・GrowHairさん曰く「持ち運び可能なちっこい電話があると便利だよね」は、ケータイ中毒社会への皮肉ですからね。念のため。/ここ数日、久しぶりに肩こりが気になり、朝から不快。モニタに向かいながら、ふと思いついてメガネを変えてみた。すると、こんなにきれいに見えてしまっていいのか、こわいくらいな世界が展開。テキストは黒々と美しく、画像もなんてカラフルなんだ。iPhotoの写真もじつに美しい。これまでわたしは何を見ていたんだ。今まで使っていたメガネは約30年前につくったもので、日常では使っていなかったが、何年か前にモニタが見にくくなったのでかけたところ、こんなにきれいに見えてしまっていいのか、こわいくらいな世界が展開。以来、仕事中や書店で本を捜すときだけメガネをかけていたのだが、その古メガネも現在の眼には能力不足になっていた。新しいメガネは何年か前につくったものだが、なぜか強過ぎて、結局つかわずにしまっておいたものだ。いまは快適、椅子の背に身体をあずけて背筋も伸びる。肩こり、腰痛対策は正しい姿勢が基本だ。しかし、ほんと見え過ぎちゃってこわい。これがないとメルマガできない……。(柴田)

・「ツイッターヤム」で、twitterアカウントの価値を調べてみた。デジクリで15,510円、ひと月前にはじめた姉妹誌「写真を楽しむ生活」のは789円だった。どちらもバックナンバーをtwitterfeedで飛ばしているだけだったので、仕方がないとは言え、ちょっと残念だったわ。もっと積極的に宣伝するべきだったか? 個人アカウントはテスト用にtwitterfeedで飛ばしたまま放置していた。しまった〜。/DTP Booster。次の東京は10月13日「InDesignの文字組みアキ量徹底攻略」、大阪は10月30日「カラーマネージメント講座─書籍ができるまでを例に」。大阪の講師はおなじみ上原ゼンジさん。来阪されるこのチャンスにぜひ! 懇親会もあるので、そちらにもぜひぜひ参加を! 曖昧になっているところをびしっとモノにして、客先や同僚の前で披露してくだされ。Mebic扇町の「このクリ博」にも参加しているよん。/デジクリサイト。吉田印刷所の笹川さんが、twitterへの自動ポストやiPhone・ケータイ用表示、lightboxなどを仕込んでくださった。何より嬉しかったのが指定日公開。いままで手動で公開していて、外出すると遅れたりしていたの。感謝!(hammer.mule)
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