[2743] 低血圧なんだよ、あたい...

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《これで小説が一本書けるんじゃないか》

■映画と夜と音楽と...[441]
 低血圧なんだよ、あたい...
 十河 進

■ところのほんとのところ[27]
 トークショーで得たいろいろな感触
 所幸則 Tokoro Yukinori

■歌う田舎者[04]
 青森高校の中心で愛を叫ぶ
 もみのこゆきと


■映画と夜と音楽と...[441]
低血圧なんだよ、あたい...

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20091113140300.html
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〈七年目の浮気/お熱いのがお好き〉

●「昔と逆のこと言ってるよ」と言われることがある

ここまで変わる、とは僕も思わなかった。最近、歳とって「ソゴーさん、昔と逆のこと言ってるよ」と言われることが時々ある。本人は変わっていないつもりでも、他の人の目には変節したように見えるのか、と少し反省する。完全に逆の立場になったということでは、たとえば、僕は昔、労働組合の闘士(?)だったが、今は会社の労務担当である。組合を弾圧(?)している。

若い頃、「最後の砦だけは守るぞ」と意地を張っていた。権力者には媚びるまい、上司に楯突く気概はなくすまい、と小心者である己を鼓舞していた。理不尽な仕事への横やりには、ああだこうだと反論し(おかげで「言い訳ソゴー」と言われた)命じられた通りにはしなかった。団交で経営者を相手に机を叩いて怒鳴った(おかげで「瞬間湯沸かし」と言われた)こともあるし、社長室で「そうは、おっしゃいますがね」とムキになった。

そんな姿を見ていた僕より10年くらい後に入ってきた連中は、編集から総務経理部に異動し、すっかり会社側になった僕の言動を見て「変わったなあ」とため息混じりに言う。そう言われると、若干、忸怩たるものもあるのだが、本質的なところでは変わっていないぞ、と言い訳もしたくなる。しかし、最近は言い訳しても無駄だと学び、所詮、評価は他人がするものだと、相手が言うことをそのまま聞くように努めている。

しかし、極端に変わったのは、そういう思想信条や考え方ではなく、実は血圧の話だ。昔、僕は低血圧で朝が辛く、毎朝、ぼーっとした状態で電車に乗り、会社に通っていた。午前中はまったく調子が出なかった。あれは、本当に辛い。夕方くらいから血圧が上がってきて、夜は元気になる。当時の上司には、「きみは残業になると元気だな」と呆れられた。「5時から男」と自称した。

あれは、30前半の頃だったか。2月の雪の朝だった。かなり低気圧の日である。僕は目が覚めても躯が動かなかった。指一本、動かすことができないのだ。痺れているというか、躯が自分のものではないような感覚だった。そのまま2時間近く寝床にいて、ようやく這うようにして起き出し、病欠の連絡を会社に入れて、カミサンの「病院いったら」の言葉に従った。

雪の積もった道をソロリソロリと歩いて、すぐ近くの病院にいった。「朝、まったく躯が起き上がらなかったんです」と訴えると、初老の医師は「血圧測ってみましょう」と言った。定期検診などで血圧を測ると、上が90台、下が50〜60前半くらいの数値だった。ところが、医者は「あんた、78しかないよ」と言った。「下がですか」と僕は聞き返し、医者は「上の数値だよ」と答えた。

それで、自分は極端な低血圧症なのだと思い込んだ。自己イメージの形成である。「低血圧症は特に問題はないよ。血圧が上がるまで、少し辛いくらいだ」と言われていたので、若い頃から検診で「コレステロール値が高いよ」と診断されても、血圧が低いから大丈夫だと高を括っていた。

しかし、50代に入った頃からか、朝がまったく辛くなくなった。ときには、起きたくない早朝に目が覚める。すぐにベッドから起き上がる。歳とると朝早くなるというのは本当だな、と実感していた。血圧は定期検診でしか測らなかったが、いつも正常だと言われていた。上が100〜110、下が60〜70くらいだった。

ある日、起きるとめまいがした。天井がぐるぐるまわっている。後頭部に妙な緊張感がある。何かが張り詰めている感じだ。ジンジンする。躯が起こせない。気持ちが悪く、起き上がるとフラフラした。仕方なく「休む」と会社に連絡をし、数時間経った頃に医者にいくと血圧を測られた。「178と98です」と医者が言った。僕は自分の耳を疑った。

定期検診で「血圧はいつも正常だと言われています」と言うと、朝だけ高い人もいるという。変態性高血圧(?)というのだそうだ。以来、血圧計を買って朝、昼、夜と測ってみると、確かに、朝がひどく高くて150〜160あり、下は90台である。ちょっと後頭部が緊張しているなと思うときは、160を超え、下が100をオーバーしている。完全な高血圧症だった。

しかし、人間の体質はそこまで変わるものか、と僕は信じられなかった。ずっと自分は低血圧なんだと思ってきたから、その自己イメージから抜けられない。20代に比べて20キロも体重が増えたのに、未だにスリムな(傍から見れば貧相に痩せた)青年の頃の自己イメージが消えないのと同じである。人は歳をとり、極端に変わってしまうこともあるのだと、最近は言い聞かせている。

●マリリン・モンロー伝説を下敷きにした倉本ドラマ

「低血圧なんだよ、あたい」と歌ったのは、鬱陶しい喋り方をしていた頃の桃井かおりである。デビュー映画「あらかじめ失われた恋人たちよ」(1971年)で写真家の加納典明と一緒に聾唖のカップルを演じ、ほとんど脱ぎっぱなしだった印象がある桃井かおりだが、僕はショーケンと共演した「青春の蹉跌」(1974年)で女優と認めた。

「青春の蹉跌」はロマンポルノの旗手だった神代辰巳監督作品だからリアルなセックスシーンが多く、桃井かおりは物怖じもせず裸を見せていたが、僕はやはりあの喋り方が苦手だった。しかし、日本テレビで倉本聰さんが書いたショーケン主演ドラマ「前略おふくろ様」で、ショーケンの従姉妹の役「恐怖の海ちゃん」として登場し、独特の個性を生かした演技で一般的にも人気が出た。

倉本さんは桃井かおりがお気に入りだったのだろう、その後、彼女を主演にした連続ドラマ「祭りが終わったとき」(1979年)を書く。このドラマは凝った展開で、ドラマのオープニングシーンがヒロインの葬儀なのである。誰も知らぬ者がいない有名女優になったヒロインの死から物語が始まるのだ。彼女の貧しい踊り子時代から知っていたルポライター(竹脇無我)が、彼女を回想する。

もちろん、倉本さんお得意の一人称ナレーションは竹脇無我が担当した。竹脇無我の恋人(萩尾みどり)の踊り子仲間が桃井かおりで、彼女は金がなく、当時全盛だったビニ本のモデルをやる。その写真を撮ったカメラマンは、彼女の肉体の魅力を見抜き「あの子は大物になる。それまで写真は発表しない」と言う。やがて、ヒロインが大女優になったとき、その全裸写真が流出する。

そのカメラマン(柳生博)は、ルポライターとはいえ恐喝まがいのこともやるようなブラック・ジャーナリズムの世界にいる竹脇無我の仲間である。竹脇無我もヒロインが大女優になった頃、大出版社の編集長から「彼女の伝記を書かないか」と依頼される。彼は、ヒロインの母親が精神病院に入っていたことや、男性遍歴(その中には将来を嘱望される青年政治家もいる)を書くのである。

こんな話、どこかで聞いたことはないだろうか。そう、ノーマ・ジーンという名前を持ち、世界中の男たちから愛された胸やボディラインの美しさを惜しげもなく晒した金髪女優の実話である。一般的には、マリリン・モンローという名前で知られていた。「祭りが終わったとき」は、そのモンロー伝説を下敷きにしたドラマなのだ。

「祭りが終わったとき」でテーマ曲のように使われていたのが、「低血圧なんだよ、あたい。お昼過ぎなきゃ起きられないよ」という桃井かおりの歌だった。実際にヒロインは低血圧の設定で、女優になっても撮影現場によく遅刻をする。マリリン・モンローもそうだった。しかし、マリリン・モンローと桃井かおりに共通項があるとは、当時も今も僕には思えない。

●死後に様々な伝説が流布されたハリウッド女優

マリリン・モンローの遅刻癖に振りまわされたのは、ビリー・ワイルダー監督だ。モンローはトラブルの女王だった。その辺のことはビリー・ワイルダーに取材した伝記「自作自伝」に詳しいが、ビリー・ワイルダー自身が辛辣な人で「言葉はカミソリだらけ」と、何本も一緒に仕事をしたウィリアム・ホールデンに言われた。ワイルダーの言葉はカミソリのように人をズタズタにする。モンローもワイルダーのそんな評判を聞いていたのかもしれない。

しかし、言い過ぎかもしれないが、マリリン・モンロー出演作で映画史に残るのは、ビリー・ワイルダーが監督した「七年目の浮気」(1955年)と「お熱いのがお好き」(1959年)しかない。ジョン・ヒューストン監督の「アスファルト・ジャングル」(1950年)にはワンシーンしか出ないから、出演作から除外した上での評価ではあるけれど。

「七年目の浮気」は、地下鉄の通風口の上でスカートをパラシュートのように翻させるシーンで有名だが、このときのエピソードも「ビリー・ワイルダー 自作自伝」には出てくる。モンローはジョー・ディマジオと結婚していた頃で、そのロケにやってきたディマジオは大勢の見物人に囲まれて、自分の妻が太股も露わな姿を何度も晒していることに耐えられなかった。

そのことが原因かどうかはわからないが、ディマジオとモンローは離婚する。学歴もなく、肉体だけで人気が出た胸の大きな頭の弱い女優というイメージが彼女にはついてまわった。そのことを一番気にしていたのは、モンロー自身だった。彼女はハリウッドからニューヨークに出て、演技の勉強をし直すのである。それも、かのアクターズ・スタジオに入って...。

そのことが縁だったのかもしれないけれど、モンローはアメリカを代表する劇作家アーサー・ミラーと知り合い結婚する。「るつぼ」「セールスマンの死」という代表作を持つアーサー・ミラーは、ワイルダーによると「ハリウッドをバカにする鼻持ちならない奴」だったらしいが、モンローが初めて結婚したインテリである。

モンローは、16歳の時に最初の結婚をする。相手は近所の工員だった。次に正式に結婚した相手は、1941年に54試合連続ヒットの記録を持つ野球選手だったジョー・ディマジオだ。彼はアメリカ人にとっては、英雄だった。その次がアーサー・ミラーである。しかし、モンローは1960年に「恋をしましょう」でフランス男のイブ・モンタンと共演し、私生活でも恋に墜ちる。

モンローとアーサー・ミラー、モンタンとシモーヌ・シニョレの二組の夫婦が同じテーブルに付いている写真が残っている。僕は、その写真を見たときに、彼らは一体どんな会話をしていたのだろうと思った。互いのパートナーたちは、何を考えていたのだろう。あの写真を見たときに、「これで小説が一本書けるんじゃないか」と僕は思った。

エリア・カザンは自伝の中でモンローと関係があったことを明かしているが、彼によれば「モンローは言い寄られると断れない女」だったらしい。おまけに彼女には、言い寄る男がいっぱいいたのだ。ジョン・F・ケネディも、弟のロバートもそんなひとりだったと言われている。

マリリン・モンローは大量の薬物を服用し、そのせいで撮影には遅刻し、言い訳として「スタジオが見付からなかったの」とまで言った。彼女と仕事をすることは相当に大変だったが、それでも彼女が干されなかったのは、人気があったからだ。ワイルダーは、そんなモンローを我慢して使い続け、「お熱いのがお好き」を完成させた。おかげで、モンローもシュガーという酔っ払いの可愛い歌手という代表的なキャラクターが残せた。

マリリン・モンローほど、死後に様々な伝説が流布されたハリウッド女優はいない。出版された本も数え切れない。いや、死後に流れた映像も圧倒的に多い。ケネディ大統領の誕生日に「ハッピー・バースデイ・ディア・プレジデント」と歌う姿は、何度流れたことか。何年か前には、カップヌードルのテレビCMでも毎日のように流れた。

1962年8月4日、マリリン・モンローはロサンジェルスの自宅ベッドで死んだ。36歳だった。当時、日本のマスコミは大騒ぎしていたけれど、小学生だった僕には関係のないことだった。僕の母親と2歳しか違わなかったのだ。まったく興味は湧かなかった。僕は、オードリー・ヘップバーンに夢中だった。

マリリン・モンローも、生きていれば83歳になる。彼女も歳を重ねて、何かが変わったかもしれない。女優を続けていたとすれば、早起きになってスタジオに一番乗りしていたりして...。若い女優の遅刻を注意し、「マリリンさんだって、若い頃は遅刻常習犯だったって聞きましたよ」と逆に言い返されているかもしれない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com

久しぶりに入社試験を行った。6年前、初めて採用担当になったときの試験には大勢の応募があり、大きなホールと教室を借りた。そのとき以来、10名以上の採用にタッチしたが、誰も「ソゴーチルドレン」とは呼ばれていない。中には社内で会っても挨拶しない人間もいる。採用するまでは、みんな愛想がよかったのだけどなあ。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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■ところのほんとのところ[27]
トークショーで得たいろいろな感触

所幸則 Tokoro Yukinori
< https://bn.dgcr.com/archives/20091113140200.html
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取りあえず個展が終わった。トークショー初日に石田立雄さん(月刊キャパ編集長)と一緒に喋ってもらった柳喜悦さん(クリエイターのためのブックショップPROGETTO)のご好意で、川崎のPROGETTOでも発売記念展示をすることになった。12月から1月の20日ぐらいまで。
< http://www.progetto.co.jp/info/index.html
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横浜レンガ倉庫では、ヨコハマフォトスライドショー&トークショー(仮)が1月13日から17日まであって。それにも太田菜穂子さん(キュレーター)と[ところ]が出演するライブトークショーがあります。細江英公さんら著名写真家たちと出演します。詳細はまた後日!
< http://www.yokohamaphotofestival.org/
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個展開催中のトークショーのなかで、いろんな発見があった。例えば、建築家の西森陸雄さんの建築家から見ての話。面白いと思うところはうつろいだったりするんだけれども、昔の構造物ならではの部分のディテールもやはり興味深かったらしい。

深瀬鋭一郎さん(キュレーター、コレクター、美術評論家)五野井郁夫さん(日本学術振興会特別研究員、東京大学特別研究員)らが語る、政治学・経済学的見地からの渋谷のこれからを考えると、今後、[ところ]が渋谷を今までのように撮っていけるのだろうか、という話にもなるそうだ。人の動きの不確定要素が少なくなって行くというのが、これからの都市設計ということから来るらしい。別の世界の人と話をしてみると、視点の違いがとても刺激的です。

もちろん、これからももっと見たいから撮って欲しいという熱い思いも伝わって来た。写真関係者のなかでも、凄く濃い人達との話もたっぷりこってりあった。しょっぱなの石田さんや柳さんは、もはや発明に近い時間の捉え方だというニュアンスの話をされたが、ハービー山口さんも坂田大作さん(玄光杜コマーシャル・フォト編集長)も、飯沢耕太郎さん(写真評論家)も、河野和典さん(元「日本カメラ」編集長)も、言葉はみんな違っていても、この表現は確かにキモは概念というか考え方の話であるが、もともとのシャッター切った段階での一枚がすでに見事な構図であり、光のとらえかたであり、すばらしいものなのであるという大前提があり、そこに新しい考え方の手法技法が使われているからこそ成立している、という部分はみんなが一致した見解だった。

いうなれば、土台がしっかりした上での独自の表現をのせているから、写真好きにも腑に落ちるということらしい。[ところ]は、以前のタッチのときは写真界ではあまり評価されていなかったということもあって、今回の沢山のトークショーで、いろんな話が聞けて本当にうれしかったです。

[ところ]はこのテキストを書いて、次の週にはフランスへ旅立ち、そのあとドイツにも行ってきます。寒さにビビっているのだけれども。もちろんその土地土地での1秒を、ぼくなりにとらえにいくのがメインの目的です。

行く直前にニコニコ動画のライブ配信をやります。
< http://ch.nicovideo.jp/community/co60744
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写真家・所幸則1sec(ONE SECOND)プロジェクトのコミュニティ。今回は11月14日(本日)です。21時30分から22時30分の1時間。今回に限り30分後ろにずらしますことをお許しください。今後の[ところ]の1セコンドと、音楽家・近江賢介くんとの展開も含めた話に。毎回ゲストを呼んでのトーク。写真、音楽、アート、ビジネスなどの話をします。ゲストはイラストレーターのラジカル鈴木さんです。

21時からニコニコ動画生配信します。一応、直接のリンクといいますか、コミュニティを開いていただくと、生配信中は、配信を見るというボタンが出ているはずです。コミュニティに入っておくとスムーズに見られます。Firefox(Mac環境)の方がちゃんと見える場合があるようです。次回とその次は、パリから挑戦します。21日は時間がずれる可能性もあります。日本時間の21時はパリではお昼なので、アポがあるかもしれないので、その場合は深夜になるかも。ご容赦ください。

【ところ・ゆきのり】写真家

CHIAROSCUARO所幸則 < http://tokoroyukinori.seesaa.net/
>
所幸則公式サイト  < http://tokoroyukinori.com/
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■歌う田舎者[04]
青森高校の中心で愛を叫ぶ

もみのこゆきと
< https://bn.dgcr.com/archives/20091113140100.html
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わたしは責任感あふれる人間である。実際に見たことも触ったことも揉んだことも舐めたこともない事柄を文章にして書いてはならないと思っている。

前回のコラムで『ジプシー・金癖』、いやいや『ジプシー・キングス』について言及したものの、ホンモノを見たことはない。こんな不都合な真実が発覚する前に既成事実を作ってしまわねば! と焦っていたところ、ブルーノート東京でのライブ情報を耳にし、早速足を運んだ(正確には、ジプシー・キングスの中心人物であったチコ・ブースキーが92年に結成したバンド『チコ&ザ・ジプシーズ』のライブである)。ギター7本とベース1本が奏でるパーカッシブで情熱的な調べ。注目点はもちろん彼らのポールが右にあるか左にあるかだが、最後尾の席からは確認できなかったのが非常に残念だ。

わたしの責任感は『ジプシー・金癖』だけに留まらない。『玉川上水に入水する』と書いたからには、もちろん太宰治ゆかりの地にも出かけなければならない。太宰治の出身地は青森である。何がなんでも既成事実にせねばなるまいて。

そんなわけで、長きに渡る東京出張をいいことに、JR東日本の3連休フリーパスを使って、10月に青森に行ってみた。このフリーパス、26,000円で新幹線も含めJR東日本管内のすべての列車に乗り放題なのだが、東京─仙台レベルの往復では元が取れない。どうしても北東北まで行かねばならぬシロモノなのだ。なんという好都合なチケットであることよ。太宰よ、待っておれ!。

......と、太宰治をダシにしたが、実は青森と言えばわたしの愛する佐藤竹善様(Sing Like Talking)の出身地なのである。しかもWikipediaを放浪していたときに、太宰治と佐藤竹善様は同じ高校出身であることを知った。ついでに言えば、淡谷のり子・寺山修司も同じ高校であるらしい。♪窓を開ければ 港が見える〜(※1)。書を捨てよ、青森高校へ行こう。そして佐藤竹善様が触れた校舎の壁を撫で回して帰るのだ!。

え? 青森高校だけ? それだけですか? ねぶたの里を見るとか、十和田湖に行くとか、八甲田山死の彷徨の足跡を辿るとか、美人すぎる市議のサインをもらうとか、きっと帰ってくるんだとお岩木山で手を振る(※2)とか、もっとやることいっぱいあるだろう! と、青森県民の困惑する顔が目に浮かぶ。しかし、わざわざ青森まで行って青森高校の校舎の壁を撫で回して帰るだけ、というシンプルすぎる目的が醸し出すラグジュアリー感。これこそセレブリティーの旅と言えよう......誰がセレブリティーだ?

しかも、青森は初回のコラムでチラリと書いたが、47都道府県の中で、わが鹿児島県と並ぶ貧乏で不憫な県として、わたしが並々ならぬ愛着を抱いている県なのである。

目的地が青森とあらば、移動手段は ♪上野発の夜行列車(※3)が定石であるが、時間の都合上、新幹線はやて+特急つがるでショートカット。駅舎にそびえる煤けた青緑色の「あおもり駅」という丸ゴシック文字が妙にうら寂しい(青森県民の皆さん、ごめんなさい、ごめんなさい)。気がつけば ♪津軽〜の女よ〜 枕乱して引き込む恋女〜(※4)(←すげぇ歌詞だ)と歌いながらこぶしを握りしめるわたしである。

とりあえず郷土料理店でホタテ味噌焼きとじゃっぱ汁定食を食らい、駅前の2番停留所から青森市営バスに乗り込む。整理券を取り料金表示板を見ると、130円と表示されている。ふふっ、心に芽生える勝ち誇り感。わたしが通勤に使う鹿児島市営バスの料金は180円スタートである。青森の方がより貧乏ではないか。

しかし、それは罠だった。上がる上がる、停留所を過ぎるたびに小刻みに上がり続ける料金。結局20分の乗車時間の間に、130円の料金は270円にまで上がってしまった。ええいっ、油断させおって。おいどんげぇのバスじゃれば180円のままでいける距離じゃっど。

調べてみると、青森県の地域別最低賃金は633円(平成21年10月1日現在)。鹿児島県は630円(平成21年10月14日現在)である。青森県の方が3円も金持ちではないかっ!。ふっ......敗北感にまみれるわたしの心。

気を取り直して青森高校前でバスを下車。校門から校舎を窺う。特に警備のおいちゃんも立っていないが、侵入したら不審者として摘み出されるやもしれぬ。人目に触れぬように匍匐前進で校舎に近づく。
「隊長っ! 出入り口はすぐそこですっ!」
「そっ、そうか......手を、手を貸してくれ......うぐっ」
「隊長っ! しっかりしてくださいっ! 傷は浅いっ!」
「この目で、この目であの扉を開き、壁を撫で回すまでは、死にはせぬ、死にはせぬわっ」

傷だらけの肘で体を支え、頭を上げると、陽光に輝く自動ドアがなめらかに開いた。......自動ドア?? なんで自動ドアだ? 太宰治や佐藤竹善様が通っていた高校が自動ドアとな?

補習が終わって校舎から吐き出されてきた女子高生を捕まえる。
「あぁ、これこれ、そちに尋ねたき儀これあり。近う寄れ」
「は? あなた誰ですか?」
「通りすがりの旅の婆じゃ。ここは太宰治や佐藤某が通うておった学校に間違いないな」
「そうですよ」
「この校舎はなにやら新しく美しいが、いったいいつ建設されたのじゃ」
「三年前です」
「なにっ!?」
「さっ、三年前ですってば」
「ということは......太宰治も佐藤某も、この校舎で勉強したわけではないのじゃな」
「あぁ、そうですね」
「この壁も、その扉も触ってはおらぬのじゃな」
失笑する女子高生。
「なぜじゃ! なぜ建替えなどしてしまったのじゃ〜〜〜!!」
青森高校の中心に響き渡る悲痛な叫びは、時空の彼方へこだまするばかり。わが愛は行き場を失った。

窓ガラスに張り付くヤモリのように校舎に張り付き、竹善様の触ったであろう壁を撫で回すわたしの野望はあえなくついえた。♪君だけに、ただ君だけに、あぁ巡り合うために〜(※5)青森までやってきたというのに。

青森には平成22年に新幹線が来るそうだ。同時にタイムトンネルも開通させてくれたら、30年前の青森高校に行って高校生の竹善様をナンパできるのに......。

傷心のわたしは、駅近くの食堂で一人寂しくホタテカレーを食べ、焼き立てアップルパイを買い食いしながら帰路についたのだった。

ちなみにお土産に買ったものは、太宰治生誕100周年記念「生まれて墨ませんべい」である。さらば青森。タイムトンネルが開通する日まで。

JR東日本:3連休フリーパス
< http://www.jreast.co.jp/tickets/info.aspx?GoodsCd=1468
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※1「別れのブルース」淡谷のり子
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※2「帰ってこいよ」松村和子
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※3「津軽海峡冬景色」石川さゆり
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※4「津軽恋女」新沼謙治
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※5「君だけに」少年隊
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厚生労働省・最低賃金情報
< http://pc.saiteichingin.info/
>
生まれて墨ませんべい
< http://news.ameba.jp/economy/2008/10/18865.html
>

【もみのこ ゆきと】qkjgq410@yahoo.co.jp

働くおじさん・働くおばさんと無駄話するのが仕事の窓際事務員。かつてはシステムエンジニア。
人様の軒先を借りて書かせていただいているコラムに、ウソを書いてはいかんよなぁ......と、書いたことは一応調べてみたりするのだが、鹿児島市営バスの料金、わたしの利用する路線は180円スタートなのだが、他の路線では130円スタートも結構あることが判明。全然知らなかったよ。勉強になります。
ところで、わたしは責任感あふれる人間である。実際に見たことも触ったことも揉んだことも舐めたこともない事柄を文章にして書いてはならないと思っているが、前回のコラムで言及した中で最も難しいのは『殿さまキングス』のライブを見ることではないかと思う今日この頃である。

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■編集後記(11/13)

・以前は医者から高血圧だけが問題だと言われていたが、最近は何もしてないのに理想値になっていて、悪いのは悪玉コレステロールだけだと言われるわたしの身体。/10月15日に創刊された「漫画の新聞」は、世界初のマンガによるニュースサイトである。政治・経済、国際、社会、芸能・スポーツなどのニュースを、文字の多い2ページのマンガにして、毎日2〜3本掲載する。〈「マンガで読むニュース」というキャッチコピーを掲げ、世界のどのようなニュースメディアより「分かりやすく」ニュース速報を伝えてまいります!〉と熱血な編集長は、「他のニュースサイトを競合とは思っていない。むしろ今までニュースに接してこなかった人を取り込み、その架け橋になれば。教育現場での需要も見込んでいる」(品川経済新聞10/21)と言う。志は買う。だが、内容は...気の毒だが、全然おもしろくない。たしかにマンガではあるが、大方はニュースを絵にしただけで、ひねりもオチもなければ気の利いた解説もない。おそろしく内容が薄い。絵のレベルもほめられたものではなく、有名人の顔が似ていない。そもそもニュースとしての機能があるのか。新聞になっているのか。少人数が短時間勝負で必死にやっているのだと思うが、このままで早晩行き詰まるだろう。なんて、ボロクソに言っちゃうのだが、多少評価できるマンガもある。「事業仕分け、2日で529億円の廃止」「たばこ税、増税の方向で検討へ」「鳩山首相、所信表明演説 友愛政治へ」「鳩山首相、集団的自衛権の解釈変えず」などはマンガになっている。すべてのマンガをこんな感じで行けば、今までニュースに接してこなかった人を取り込めるかもしれない。速報にこだわる必要はないが、内容は練る必要がある。今後に期待したい。(柴田)
< http://newsmanga.com/
>

・ソゴーチルドレン! 最近は朝4〜5時起きを目標にしている。だから夜は22時ぐらいまでには寝たいのだが、夕食がたいていその頃になり、もたもたしているうちに0時を過ぎる。なので4〜5時に目を覚ましても、少し用事を済ませて二度寝しちゃったり。近くのマンションに4時には電気がついているお部屋があって、夜型の人なのかな〜なんて思っていたが、夜は電気が消えている。ちょっぴり親近感。/マンションでの挨拶。昼間に会う人たちはきっちりにこやかに挨拶をするが、夜に会う人たち(仕事帰り。見るからに疲れて帰宅)は、挨拶する気はなさそう。中高生あたりが一番難しい。声をかけても頭を下げるだけか、人がいたら避ける。19時頃にエレベーターで一緒になったある男性は、別れ際に「おやすみなさい」と言った。へぇ。他の人は無言で頭を下げるか「ありがとう」「お先に」「失礼します」ぐらい。しかし、誰の顔も覚えていないワタクシ......。外国人男性と一緒になった時でさえ、「白人」「スーツ」「(たぶん)iPod」「背が高い」というキーワードだけで顔は覚えていない。数人いるコンセルジュさんたちの顔をやっと覚えてきたところ。事件があっても証人になれないな......。(hammer.mule)
< http://newsmanga.com/political_economy/20091024_12216231_002.html
>
どこの牧師さんかと
< http://www.dtp-booster.com/vol09/
>
制作者のための「出力できるPDF」。
< http://www.dhw.co.jp/ef/gs/event/
>
クリエイターのための法務対談スペシャル