《さて、何と何を結びつけてこうか。》
■わが逃走[61]
さみしい話とあたった話の巻
齋藤 浩
■電網悠語:日々の想い[150]
探す/伝える/結ぶ
三井英樹
■デジアナ逆十字固め...[103]
電子書籍のカラーマネージメント
上原ゼンジ
■わが逃走[61]
さみしい話とあたった話の巻
齋藤 浩
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■わが逃走[61]
さみしい話とあたった話の巻
齋藤 浩
< https://bn.dgcr.com/archives/20100311140300.html
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こんちはー、齋藤です。
◎さみしい話
まず、さみしい話から。寝台特急『北陸』が今週末で廃止になります。さみしいなあ。
前も書いたかもしれないけど、寝台列車の旅のいいところは"だんだん"にある。上野から発車、見慣れた車窓を眺めながら一杯やってるうちに"だんだん"車窓が金沢になってゆくのだ。映画のスクリーンのようだとも言えるし、一枚の油絵が完成するまでの過程を見ているようでもある。
なによりも、乗車した地から終点までが繋がっているということが実感できる幸せ。(飛行機のように)概念として東京と金沢を繋げずとも、視覚的に体感的に東京と金沢が繋がるのだ。これってとても自然かつ健康的だし、それ故に凄いことだと思うんだけど、合理化やら何やらでこういう考えは受け入れられない世の中になってしまったらしい。
まあ寝台特急から食堂車がなくなった時点で、汽車旅の魅力は半減してしまった訳だが、それにしても寂しい限り。利用者が減ったことが廃止の理由らしいけど、JRも売る気なかったよなー。
ものを並べるだけじゃなくて、売るための工夫を! なんて傍観者である私は思う訳だが、まあこのへんは民間企業と(元)国営企業の違いなのだろうか。最終日には全国から"鉄"が集まるんだろうな。オレは行かないけどね。
2◎あたった話
つぎにあたった話をします。私はわりと健康な方だと思うのですが、過去に苦しかったことベスト3を挙げてみると、22歳のときに牡蠣にあたったときと、30歳のときの謎の呼吸困難と、7歳から現在まで続く偏頭痛です。今回は牡蠣にまつわる思い出話をさせていただきましょう。
私は牡蠣が苦手だ。「一度牡蠣にあたると二度と食べられなくなる」と言われる。経験者である私も多くの方達と同様、自ら率先して食べようとは思わない。
よく好き嫌いと誤解されるのだが、私の場合大当たり後に食べた牡蠣は味わいがよくわからんというか、ゴムを食べてるように感じるのだ。たぶん脳があの強烈な苦しみを思い出したくないのだろう。
あれは確か12月の26とか27日だったと記憶している。まだ実家にいた頃だ。母が「Nさんに会ったらね、広島から牡蠣が航空便で届いたからってお裾分け頂いたのよ。ぜひ生で食べてねって」
『牡蠣=高い=ありがたい』という図式があるらしく、声のトーンがいつもより1オクターブ高い。ちなみに私は過去に生牡蠣というものをどっかで一個だけ食べたことがあったのだが、そこまで旨いとは感じていなかった。もちろん、白ワインとあわせて楽しむなどという、大人の世界とは無縁だったということもあるが。
ところで私が永らく酒と無縁だったのは、やはり両親の影響なのだと思う。両親は全く酒を飲まず、当然飲み方も知らない。知らないものはコワい。コワいものは悪。
当然酒の肴という概念がない。料理はもちろん、スルメもチーズも全ておかずなのだ。その日の広島産生牡蠣も、ごはんのおかずとして食卓に登場した。今思えば晩ごはんのおかずに生牡蠣ってのはアリなのか? と思わなくもないが『牡蠣=高い=ありがたい』という図式がそんな考えを寄せつけなかったのであろう。すき焼きや蛍光灯を、神と崇める世代ならではの価値観の構図と似ている。
その日は夕食時に父も帰ってきており、家族そろっての食事となった。で、ごはんとみそ汁をいただきつつ、レモンを絞った生牡蠣を口に入れた私は、ん、生臭いかも。と感じたのだ。
「母さん、この牡蠣痛んでるんじゃない?」と尋ねてみるも
「ウソよ! 広島から航空便で届いたのよ。牡蠣っていうのはね、こういうお味なの! あんたはお子様だから大人の味がわからないのね」
と聞く耳持たない。
結局2つ目を食べてみたがそこまでの旨さを感じず、3つ目を食べた時点でそれ以上食べる気がしなくなった。父もあまり食べなかった。母はよく食べたなあ。
翌日、全員熱が出た。父は37度、母は38度、私は40度。父は病気をしない体質ではないが、たとえ病気であってもそれを認めない性格なので、「ただ熱があるだけ」ということで会社に行った。
母も(ありがたい)牡蠣(様)にあたったとは認めたくないらしく、「偶然お腹がいたくなって熱が出ただけ」ということで医者にも行かず寝ていた。私はもう、七転八倒の苦しみである。寝てられない、起きられない、当然ながら声も出せない。腹が絞られるように苦しいのだ。
そして緩やかに脈動するように襲ってくる吐き気と目眩。脳内で「もし今が戦争だったらどうするの! 南方でマラリアにかかった日本兵の苦しみはこんなもんじゃないのよ」と母に怒られるという妄想をしてみる。
「ううっ、でも母さん、すでに戦後46年だ。"戦争を知らない子供達"だってもういいオヤジだぜ」と文句をいう妄想をしたところで、痛みは一向に治まらない。
結局その日は仕事納めであったにもかかわらず会社を休み、動けないまま翌日になった。この日も同じ症状が続いた。体力が消耗しきってしまい、立ち上がれない。当然のことながら医者には行けない。
両親はなんだかんだで熱はまだあるようだが、普通の生活を始めている。さすが、戦中世代は強いなあ。
「なんだ、まだ寝てるのか。弱いね」父が言う。
人が苦しんでるというのにそのセリフはなんだよ。文句のひと言も言ってやりたかったが、腹が痛いので黙っていた。
3日目になってようやく動けるようになり、おかゆくらいは食べられるようになった。しかし医者はすでに正月休みなので、結局寝て治すことにした。
4日目。かなり楽になってきた。熱も37度くらいまで下がった。すると、やたら屁が出るようになった。しかも、とてもくさい。硫黄と腐った卵のような匂いだ。しかし、ここまでくさい屁というのはいままで経験したことがなかったので興味深くもあり、屁をする度ににおいを確認した。
そうこうしているうちに部屋がガスで充満したのか、なんだか息苦しくなって
きた。そこへ母が部屋に入ってきた。
「ぎゃー、なにこのニオイ!!!」
すごい形相で窓を全開にする。
「さ、さむいー」
「ガマンしなさい! あー、くさい!!」
短い親子の会話をし、年末の冷たい風から頭を守るために布団に潜る。屁の残り香を感じる。まだ腹は痛い。
窓を開けていると、いろんな音が聞こえてくる。年末の買い物に行き交う主婦の会話や冬休みの小学生の駆け足に混じって、遠くからちり紙交換の声が聞こえてきた。
最初はたいして気にも留めなかったが、近づくにつれ、その異常さに耳が釘付けとなった。こ、これは! 未だかつて聞いたこともない、投げやりなちり紙交換だったのである。歌うでもなくリズムに乗せるでもなく、チンピラが眉間にしわを寄せ、下から睨みつけるような目でつぶやくがごとく
「古新聞ボロ。古新聞ボロ。ボロボロボロボロボロボロボロ。古新聞ボロ。古新聞ボロ。ボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロ。古新聞ボロ。古新聞ボロ、ボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロ!!!」
やたらオペラ調に歌う石焼き芋や、妙に演歌っぽい竿竹屋には出くわしたことがあったが、ここまでオリジナリティのあるちり紙交換は初めてだった。面白い、面白すぎる...。面白いと笑いたくなるものだが、腹が痛くて笑えない。声は徐々に近づいてくる。
「古新聞ボロ。古新聞ボロ。ボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロ。」
そして、ついにはヤケクソになったらしく叫びだしたのだ。
「ボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロ!!!!!!」
腹が苦しい。とても痛い。「ハァー、ハッッハァ〜」と笑いにならない声で笑うがその度にズキズキと腹が痛む。頼む、早く行ってくれ、頼むー。布団の中で笑いをこらえながら祈る。ようやく声が聞こえなくなったと思ったら突然部屋のドアが開いた。
「ぎゃはは、ちょっとあんた聞いた? 今のちり紙交換。ぎゃはは! ぎゃはは!!」笑うだけ笑うと「あらやだ、笑うとお腹いたいの? たいへんねえ」と言い残し母は部屋を出ていった。うう。健康って素晴らしいな。はやく元気になりたいな。心からそう思う22歳の齋藤浩だった。
結局、なんとか起きて生活ができるようになったのは大晦日の昼頃だった。ようやく普通にものを考えられる状態になってきた。もう牡蠣なんか見るのも嫌だ。二度と食べるもんか。
夜になり、紅白歌合戦が始まる頃。母が私をじっと見つめて「あんたホントに牡蠣にあたったのかしら? たまたま腹痛で熱出ただけなんじゃない? あの日残った牡蠣を、さらにお裾分けでお隣にあげたんだけど、みんなぴんぴんしてるわよ。だから、あんたのはただの腹痛よ」
わ、信仰ってすごいな。って、あの牡蠣お隣にあげたのか?? ああ、でも全員無事だったか。一家そろってスゲー強靭な肉体なんだな。でも、本当によかった...。
あの冬のことはリアルな映像でいまでも脳裏に焼き付いている。母はそんなことすっかり忘れ、いまだ生牡蠣を崇めているようだ。いろんな意味で、おめでたい年末年始であった。
【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。
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■電網悠語:日々の想い[150]
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三井英樹
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Twitterで不満を述べた結果、その不満解消に一歩近づけたという話が増えてきた。企業と個人がダイレクトにつながった好例なのだろう。
サウスウエスト航空の乗客が怒りをツイートして、その結果お詫びのメッセージと次回無料航空券をゲットした話があった(らしい)。Twitter凄いな、と思いつつ少し引っかかった。いやいやちょっと待て。そもそもサウスウエスト航空はユーザ重視指向性の強い会社だ。目の前の仕事に注力する前に、目の前のお客様が望んでいることを考えようとする風土がある。そっちの方が鍵なのではないか。
そもそもお客様サポートという部隊はどこでも持っている。アンケートだってどの機内誌にもついてるだろう。ましてや、口頭で言おうと思えば、空港中にいるその会社ロゴを付けている人すべてが窓口だ。ユーザの声を集める仕組みはなくはない。
そうした窓口にクレームを言う、あるいは書くという行為の敷居の高さはある。レスポンスも早いとは言えないかもしれない。でも、そうした場での振る舞いをきちんとしてきたから、Twitterという波が来ても即対応できたのではないだろうか(検索すると幾つかの失敗の歴史も見れます)。
Twitterに限らず、ネットでの発言は広がりやすい。それは今に始まったことではなく、路上で大声でクレームを叫ばれているのに等しい。更にそれが人という媒体を通して、増幅減衰されながらこだましていく。残響のように延々と続く場合もある。それに眉をひそめることもできるが、真摯に向かい合うこともできる。リスク管理として実直に取り組む企業も多い。
■
情報が、TVのコマーシャルでガンガン流され、紙メディアでダメ押しをする時代が衰退していき、ようやくネット特有の文化が定着のレベルで広まっている。商品をネットで初めて知り、興味を持ち、評判を見て、購入するなり更なる評判を書く。一般ユーザはここ10年で確実にネット社会での振舞いを学習し、身に付けて行っている。
mailで連絡し合い、自分のサイトを作り、Blogに載り、mixiにはまり、SNSをやりつつCGMに加担し、オークションで売買し、アフィリエイトで小銭を稼ぎ、Twitterでつぶやく。しかも、パソコンなしでケータイでそれらを苦もなくやっていく人たちもいる。肩肘張らず、自然体に新しいことを覚え、試行錯誤し、馴染み、自分色に染めて、更に発信する。
もちろん、それらができるのは総人口から考えるとまだまだ少数派だろう。でも何事もアーリーアダプターがいて、広まっていく。その中で、更なる試行錯誤が起こり、喧嘩も起こり衝突も起こり、新たなルールや秩序が生まれていく。それらも数ヶ月のスパンで、徐々に崩壊し再生し育っていく。
個人がネットを受け入れて生活自体を変えていき、ネット自体、社会の一部として何かしら変化をしながら広がって行く。でも、会社はその最後にやってくるようだ。看板のような形としては早かったのかもしれない。もはや自社サイトがない企業は珍しいだろう。10年前には想定しなかった予算がここに使われている。
しかし、その後が続かない。看板を立てて満足してしまったようにも見える。その看板がどのように見えているのかを気にしない。でも紋切型の情報提供の後に続くものがある。それがコミュニケーションである。挨拶をしてから握手をして友人になっていく、そんな関係性の育成が、企業と個人の間で成立するのである。10年前はおとぎ話のように聞こえたかもしれないけれど、実際にそれらは起こっている。
CMを見て検索し、思いついては検索し、人との会話の中でひらめいてアクセスし─。企業や商品と、人との距離感が明らかに変わり始めている。コミュニケーションのスタイルが変わってきているのだ。
その最たる部分が、今はTwitterなのだろう。ようやく企業Twitterも始まり、面白い動きが出てきている。こんなコミュニケーションが成立するのかと驚かされることも多い。いきなり有名社長と話ができたり、提案ができたり、担当者に感情移入したり応援したり。
でも、まだまだ道が定かではない。どこに向かっているのか分からない。広告代理店を通さずに、ダイレクトにコミュニケーションできることに直面して、未だに困っている観がある。だから最近の企業Twitterも、名物担当者で終わってしまう危惧がある。企業として、個人ユーザに真剣に向かい合っているんですよ、と伝えるべき場面なのに。
■
双方向コミュニケーションという言葉を、技術用語として捉えていたんだろうなと、自分でも思う。話ができる二人(企業と個人ユーザ)が出会えば、そこには必然的に会話が生まれるのである。何を話していいか分からないでは済まされない場面も多い。
Web屋はそういった領域でも呼ばれ始めている。より現実的な戦略策定の場である。単なるグラフィックでも、情報整理でもない。事業計画に密接に関わる部分で必要とされ始めている。それは嬉しい。かなり嬉しいと言って良い。
そんなWeb屋の進み方を考えながら、ちょっと前に、自分でネットって何だろうと考えた図を思い返す。ネットの本質は何かを省くもの、何かを集めるもの、そして何かを広げていくものなのだろう。その上で、ユーザも企業もどう使うか。それは探す/伝える/結ぶの3点だろう、と。
▼Flickr Photo Download: The Internet
< http://www.flickr.com/photos/mitmix/3535256327/sizes/o/
>
▼探す
情報を探す、モノを探す、技術を探す、人を探す、熱意を探す、チャンス
を探す
▼伝える
人を伝える、情報を伝える、技術を伝える、想いを伝える、熱意を伝える
チャンスを伝える。
▼結ぶ
人と情報を結ぶ、人とモノとを結ぶ、人と技術を結ぶ、人と想いを結ぶ、
人と人とを結ぶ、人とチャンスを結ぶ。技術と技術を結ぶ、技術とモノと
を結ぶ、技術と情報を結ぶ、技術と想いを結ぶ、技術と人とを結ぶ、技術
とチャンスを結ぶ。情報と情報を結ぶ、情報とモノとを結ぶ、情報と技術
を結ぶ、情報と想いを結ぶ、情報と人とを結ぶ、情報とチャンスを結ぶ。
そして、ビジネスとビジネスを結ぶ。
的をはずしてはいない気がしている。さて、何と何を結びつけてこうか。
【みつい・ひでき】感想などはmit_dgcr(a)yahoo.co.jpまで
次回から少しお休みを頂きます、
・mitmix< * http://www.mitmix.net/
>
・mitmix@Amazon
ビジネス・ツイッター 世界の企業を変えた140文字の会話メディア
< http://astore.amazon.co.jp/milkage-22/detail/482224797X
>
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■デジアナ逆十字固め...[103]
電子書籍のカラーマネージメント
上原ゼンジ
< https://bn.dgcr.com/archives/20100311140100.html
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自分で電子書籍化しようと思っていた「キッチュレンズ工房」だが、書籍化した出版社の方で電子書籍化しないかという話になり、今準備をしている。この本は元々、日刊デジタルクリエイターズでの連載原稿が書籍化されたものだが、次のような段取りで、作業は進められた。
1)まずデザイナーさんがフォーマットを作り、テキストを流しこむ。
2)私の方にInDesignデータが届き、写真とキャプションを入れて戻す。
3)デザイナーさんが、ブラッシュアップをして初稿のできあがり。
たぶんInDesignでやりとりする著者というのは多くないと思うが、こちらとしては文字量が分かりやすいし、原稿と図版を対応させる手間も省けるというメリットもある。
印刷会社には、InDesignファイル+画像ファイルで印刷入稿する場合もあるし、PDF化したものを入稿する場合もある。ただ、私の付き合いのある印刷会社の場合はPDF入稿を勧めているし、最近はチラシやハガキなどのネット入稿の印刷会社などでもPDF入稿の場合はポイントプラス、なんていうサービスをしているところもある。PDFならリンク切れなどの心配もないし、きちんとプリフライトチェックをしておけばエラーも少なくなるからだ。
InDesignのドキュメントにRGBの画像データを配置しておけば、そこから印刷用のCMYKのPDFや、電子書籍向けのRGBのPDFを書き出すことは簡単だ。いったんCMYK変換、リサイズ、シャープネス処理を行ったデータをRGBに戻すとなるとどうしても画質の劣化は避けられない。いったんCMYK化してしまうことにより、色情報は印刷の色再現域に圧縮されて、鮮やかさを失ってしまう。
また、印刷向けのシャープネス処理というのが、画面で見て「ウッ!」というぐらい強めにかけてちょうどいいという感じなので、そのファイルをRGBに戻したとしてもきれいな画像にはならない。RGBの元データからsRGBに変換し、ディスプレイ上でちょうどよく見えるようなシャープネス処理をほどこすというのが、電子書籍向けの理想的なワークフローということになるだろう。
ただし、これをやるためには、レイアウトソフトのドキュメントにRGB画像を配置しておくというRGBワークフローが前提となる。とりあえずCMYKに変換してしまい、それを配置するというやり方はナシだ。そして、色校正、文字校正が済んだ最終的なデータをきちんと管理しておく必要がある。
デザイナーが管理するのか? 印刷会社が管理するのか? 出版社が管理するのか? たぶん今まではRGBデータをきちんととっておく、なんていうことは行われてこなかっただろうから、電子書籍化を視野に入れるのであれば、こういったデータ管理の方法はきちんと整理しておいたほうがいいだろう。
●iPhoneはカラマネされてない。じゃあiPadは?
現在、すでに雑誌をPDF化して電子書籍として販売するというようなことは行われているが、RGBワークフローというようなことが行われているかと言えばちょっと疑問だ。まあ小さな画面でちょっと見るというような場合はそれでも構わないが、PCやiPadでビジュアル誌や美術書を読む、なんていうことを想定した場合は、画面上できれいで忠実に色再現される方法を考えるべきだと思う。
たとえばCMYKのドキュメントがあり、それを電子書籍のビュアで表示させたとする。あるビュアでは、表示自体ができない可能性もある。またあるビュアでは「とりあえずRGB化」したせいで、「残念な色再現」になってしまう可能性もある。デバイスにより、なりゆきで色がちょっと変わるというのはしょうがないけど、意図しない色変換のせいで、変な色になってしまうというのは、ちょっと困る。
実際のところ電子書籍のカラーマネージメントというのは、どうなっているのだろうか。私もよく知らないのでご存知の方がいれば教えていただきたいのだが、電子書籍の規格でカラースペースの取り決めやICCプロファイルへの対応というのは、どう定義されているのか? 私の予想では、「カラースペースはsRGB、ICCプロファイルへは未対応」という感じなんだけど、これで合ってますか?
とりあえずiPhoneで検証用のPDFを表示させてみたんだけど、カラーマネージメントは効いてませんね。これは純正メールソフトとSafariで確認した結果だ。ということは、iPadもICCプロファイルによるカラーマネージメントはサポートしてなさそうだな。MacBookなどとは、ちょっと違うものだと認識したほうが良さそうだ。
それから、Adobe製の電子書籍ビュアソフトであるAdobe Digital Editionsで同じ検証用のPDFを表示させてみたのだが、これはAdobe Acrobatで表示するのとは、また違う結果になった。電子書籍用だからカラーマネージメントしてないのか? と思ったのだが、実際にはカラーマネージメントが効いていないのではなく、「電子書籍ではこんな感じの見え方になるよ」というシミュレーションをしているようだ。
こんな複雑なことをやるのはAdobeぐらいだろうから、ほかのビュアで見たら、また色は変わってくるはず。色はアプリケーションによっても、OSによっても変わってしまうということ。さらに様々な端末が開発されている現状から言えば、デバイス間での差も広がり、電子書籍の色は無法地帯になってしまう可能性がある。
じゃあどうすればいいの? という話だが、正しい方法でsRGBのデータを作り上げ、プロファイルを埋め込んでおけばいい。プロファイルをサポートできる環境であれば正しい変換が行われるし、サポートしていない環境でもトンでもない色になるわけではない。
もしCMYKのデータであれば、変換した時と逆の計算をきちんとしておいてやればいい。この計算が管理できないと、どこかで意図しない色に変換されてしまう可能性があるということだ。
どうせうまく色をコントロールできないのだから、といい加減なデータを作るのではなく、制作サイドとしては極力まっとうなデータを作り上げるよう努力すべきだと思う。
●カラーマネージメントのチェック用ファイルを公開
今回カラーマネージメントが効くか、効かないかの判定に使ったPDFをWEB上で公開しています。使用上の注意をよくお読みの上お使いください。
< http://www.zenji.info/color/test/test.html
>
◇煙突男の写真展
超芸術トマソンの煙突男、飯村昭彦さんの写真展が始まりました。基本的に毎日顔を出すとのことですが、直接本人に解説して貰うと面白いので、行く前に画廊に確認を入れるといいですよ。
飯村昭彦「芸術状物質の謎」出版記念写真展
< http://www.kouzome.com/news.html
>
会期:3月10日(水)〜3月20日(土)会期中無休
会場:香染美術(東京都杉並区)
◇ゼンラボ・ワークショップの受講生募集中!
< http://www.zenji.info/workshop/announce.html
>
【うえはらぜんじ】zenstudio@maminka.com
< http://www.zenji.info/
>
< http://twitter.com/Zenji_Uehara
>
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■編集後記(3/11)
・齋藤さん、メルマガでタイポグラフィの実験か?/TOSTEM IN-PLUSのCM「ある夫婦の物語」が、じつにリアルでいたたまれない。なぜこんないや〜な感じをCMで味あわされなければならないのだ。なにが原因か、ものすごく不機嫌でとりつくしまのない妻がいる。窓際で外を眺めて振り返る夫、視線をあわせない妻。「まわりの声がそんなに気になるぅ、そりゃ回りはいろいろ言うさ、でもそんなの雑音じゃない、気持ちの問題だよ、...また俺の問題?」(防音編)。帰宅した夫、背を向けた妻。「仕事終えて帰って来てねぇ、何だろ、この家の冷えた感じは、...俺のなにがいけないの、何が問題?」(断熱編)。そして、喫茶店で向かい合う二人、黙りこくる妻に語りかける夫、最後に「...帰ってきてくれないかな」。困惑しきって、冷えきった関係をなんとか修復しようとする堤真一、じつにうまい。妻役の一言も発しない粟田麗、冷たい雰囲気と無表情がじつにこわい。夫婦を長くやっているとこういう場面は必ずあるわけで、身につまされる。思い出したくもない。「今回のテレビCMは、『窓の問題ではないですか?』という問いかけをキーワードに、倦怠期を迎えた夫婦間の問題と家の問題を重ね合わせたトステム初のドラマ仕立てのテレビCMです」というが、ちょっと無理がある。やっぱりCMはハッピーなほうがいい。ネットでCMを何度も確認していて、落ち込んだ。日本共産党の穀田恵二議員、堤真一の兄貴みたいな風貌でかっこいい。思想はご遠慮申し上げるが好感度高し。(柴田)
< http://www.tostem.co.jp/lineup/sash/reform/inplus/gallery/
>
< http://www.tostem.co.jp/newsrelease/2009/nr048.htm
> TOSTEM IN-PLUS
・iPhone版「ストリートファイターIV」が出たので、早速ダウンロード。ファイルサイズ約200メガ、900円。YouTubeにあがっている動画群を見て、予想していたより操作しやすそうだなぁと。オープニングムービーと、Specialとしてあがっている「スーパー・ストリートファイターIV」のCMムービーは必見。動きのある水墨画や版画のよう。迫力がある。ローディングで数秒待たされる。対コンピューターでは「総当たり戦」、対戦相手を選べる「自由組手」、操作方法の学べる「練習部屋」があり、対人はBluetoothのみ。オンライン対戦できないのが不満。家庭用ゲーム機を買ってねってことか。キャラクターはリュウ、ケン、チュンリー、ベガ、ダルシム、ブランカ、ガイル、ストIVからのアベル。設定で、カンタン必殺技モードや、オートガードが選べる。バトル中にもポーズボタンからコマンドリストを確認したり、リプレイデータの保存もできる。めちゃくちゃ下手なので、練習部屋からスタート。慣れるのに時間はかかりそうだが、技は出るし、もっさり感もない。戦っている時にスピーカーを指で遮ってしまい、音が聞こえにくくなることはあった。邪道だが、テーブルの上に置き、人差し指でやると楽。家族は早速、総当たり戦をやり、15分ほどでクリア。一度コンティニューしたから次は本気でやるわ、と。すぐにクリアできちゃうのもったいないね、と悔しいので言ってみる。コンティニューなしだと何かあるらしい。何年もストIIシリーズやっていなかったくせに、PS3版のスーパーストIVの予約をするとか何とか言っているようだが聞こえないふりをしよう。(hammer.mule)
< http://www.capcom.co.jp/iphone/sf4_jp/
> 公式サイト
< > 操作動画
< >
リプレイ動画。うまいなぁ。