[2840] すれ違う記憶・失われたとき

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《カラオケで歌える歌は日活系しかない》

■映画と夜と音楽と...[461]
 すれ違う記憶・失われたとき
 十河 進

■ところのほんとのところ[37]
 雨よし晴れよしモントリオール
 所幸則 Tokoro Yukinori


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■映画と夜と音楽と...[461]
すれ違う記憶・失われたとき

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20100423140200.html
>
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〈モスラ/熱愛者/舞踏会の手帖/スワンの恋/見出された時─「失われた時を求めて」より〉

●僕が記憶している世界と彼が記憶している世界は違う?

熱海で行われた日本冒険小説協会の全国大会に出かけた3月末の土曜日の夜、自宅から携帯メールが入った。「高松のFさんという方から電話がありました。出かけていると言って電話番号を聞いておきました。087−8X-XXXXです」とカミサンが知らせてきた。

そのメールを見て、僕は戸惑った。Fくんとは、もう30年以上会ってもいなかったし、連絡もなかったのだ。それが、突然に電話をしてきた...。僕の本を読んだのだろうか。それ以外には考えられなかった。3巻目の「映画がなければ生きていけない2007−2009」が出て3ヶ月が経っている。彼の目に触れたのだとしても不思議ではない。

その3巻目の中で、僕はFくんとの子どもの頃のいきさつを書いている。「抜けた歯と縁の下について」というコラムだ。小学生の頃、Fくんと遊んでいて彼が石を投げ、それが当たって僕の前歯が欠けたという思い出だ。Fくんが読んで気を悪くしないように書いたつもりだが、何が人を傷つけるかはわからない。僕は宴会でかなり飲んでいたこともあったが、すぐに電話をかける気にはならなかった。

翌日、起きてからもFくんの電話のことが気になった。新幹線に乗り自宅に帰り着くまでの間、ずっとFくんのことを考えていた。昼過ぎに帰宅し、電話をかけるのを躊躇し、シャワーを浴びたり昼食を作ったりして、のばしのばしにしていた。しかし、電話をかけない限り、気持ちの区切りがつかない。僕は、いきなりFくんの怒声を聞かされたらどうしょう、とドキドキしながら電話をかけた。

受話器を取る音がして、「はい、Fです」と声がした。僕が名乗ると「おう」と懐かしがる雰囲気がすぐに伝わった。ホッとしていると「久しぶりやのう」と、昔のFくんの声になった。「電話もらったみたいで...」と僕が言葉を濁すと、「奥さんに話そうか思ったんやけど、あのときの人と違うと困るから...」と彼は言う。僕は、その意味がわからなかった。

──Nからソゴーが本出したとは聞いとったんやが、この間、図書館いったら
  新刊棚の一番目立つところに置いとったから借りてきたんや。
──Nとは連絡あるんか? 僕は何10年、年賀状しかやりとりしとらん。
──あいつは数年前にガンで胃切って、昔のまま痩せとるで。おまえ太ったな。
──あの写真、3年前やからな。あのときから10キロは落としたで。

いつの間にか、昔の言葉に戻っていた。Fくんは僕の本の冒頭に載っている大沢在昌さんとの対談時の写真を見て、僕がひどく太っていることを指摘したのだ。確かに、まん丸い顔をしている。しかし、僕は大坂に住むNくんの手術のことは何も知らなかった。ずっと年賀状のやりとりだけだったのだ。Fくんは、最近もNくんとは会っていたらしい。

──それからな、おまえの本の中で、おれとは大学に入った頃から会ってないと書いとったけど、おれは方南町の下宿にも泊めてもろたで。あのとき会った娘が、今のカミサンやろ。近くに住んどって、病気やから看病にいくって言うたやないか。もし違ってたらイカン思うて、昨夜は何も言わんかったけど...

一瞬、僕は思考が止まった。思いがけない言葉だった。彼が方南町の下宿に泊まったのなら、僕とは大学時代にもずっと交流があったということだ。僕の記憶とは、まったく違っていた。そのときの感覚は、ひどく不思議なものだった。僕が記憶している世界と、彼が記憶している世界は違う世界ではないのか...、言葉にすれば、そんな感覚だった。

●記憶から完全に消えていた青春時代を甦らせる

モスラ [DVD]今は、あまり本を見かけなくなったが、僕は中村真一郎という作家が好きで、高校生の頃からずいぶん読んだ。オタク的な知識で言えば、彼は福永武彦、堀田善衛と3人で「モスラ」(1961年)の原作を担当した。3人とも文学者と呼ばれる人たちだから、当時、話題になったものだ。また同じ年、彼の原作である「熱愛者」が岡田茉莉子の企画・主演で映画化された。

その中村真一郎が1975年の2月に新潮社から書き下ろしたのが「四季」だった。その段階で、その小説が「夏」「秋」「冬」と続く「四季四部作」の大長編になるとは予告されていなかったが、結果的には1984年まで9年にわたって書き続けられた「四季四部作」を、僕は同時代に作者と併走するように読めたことを幸運に思う。

作者が亡くなってもうずいぶんになるが、僕は今でも時々「四季四部作」を読み返す。特に第一作の「四季」は、数年ごとに4、5回は読み返した。そのたびに新鮮な思いをするのだから、その小説の持つ力は大したものだと思う。その大ロマンは、主人公が失われた記憶を探る話だ。言ってみればマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」の中村真一郎版なのである。

失われた時を求めて〈1 第1篇〉スワン家のほうへ (ちくま文庫)「失われた時を求めて」の主人公がマドレーヌを紅茶に浸した瞬間、その香りから忘れてしまっていた記憶を甦らせるのと同じように、「四季」の主人公は久しぶりに再会した友人が「秋野さんのお嬢さん」と口にした瞬間、記憶から完全に消えていた青春時代を甦らせるのだ。その小説の第一章「夢の発端」は、こんな具合に始まっている。

──それが夢の発端だった。
 突然にKの口から「秋野さんのお嬢さん」という言葉が投げ出された。その名前が冷房のききすぎた夜の部屋の空気のなかで、ブランディーのためにそこだけもやがかかっているように熱していた私の脳に、いきなり飛びこんできて明るく弾けた。

記憶の世界は、夢に似ている。小説家である「私」は、テレビ局に勤める旧友のKと共に、30年前の戦前に軽井沢で過ごしたひと夏の「失われた時を求めて」思い出の地を訪ねるのである。そして、「私」は自分の記憶とKの記憶がずれていることに度々気付かされるのだ。当たり前のことだが、同じ時間を共有した人間であっても、記憶はそれぞれに異なっている。

手探りをするように、ふたりは記憶を辿る。彼らは、多くの若者たちが共同生活をした別荘を探し出し、その夏の記憶を少しずつ甦らせていく。そのきっかけは、夏草の生えた別荘への道だったり、一本の大木だったりする。一瞬にして夢の中の映像のようなものが浮かび上がり、それを手かがりにして30年前のすべてが鮮明に記憶の底から目の前に立ち上がってくるのだ。

記憶は、ひどく個人的なものだ。「私」とKは、ひと夏を軽井沢の別荘で過ごし、秋野さんという小説家や数人の若い女性たちと知り合ったのだが、同じときに同じ場所にいた記憶は共通しているのに、憶えていることは大きくずれていたりする。たとえば、「私」はTが一緒だったと言い、KはTはいなかったと主張する。それが記憶なのだろう。

だから、僕はFくんが「方南町の下宿に泊めてもらったときに、彼女に会ったよ」と言ったとき、自分の記憶とのあまりの違いにひどく動揺したし、不思議な感覚に浸ったのだ。その後で、彼がそう言うのならそういうことがあったのだろう、しかし、なぜ僕はその記憶を消し去ったのだろうかという疑問が湧き起こってきた。

●人間は美しい過去の記憶を甦らせたいと願うのか

過ぎ去ったときは美しい。どんな辛い思い出も過ぎてしまえば、過ぎ去った時間になる。思い出の中の出来事だ。それは何らかの解決がなされた過去のことである。だから、どんな思い出も今の自分を悩ませはしない。それは、安心して振り返ることができるものなのだ。そして、人は記憶の中で過去を改竄する。すべてがすべて自分の都合のいいように変えるわけではないだろうが、何かが変わっていく。

舞踏会の手帖 [DVD]そして、人間はそんな美しい過去を甦らせたいと願うのだろうか。郷愁が、人を過去へ向かわせる。昔から、そんな映画の代表として紹介されるのが「舞踏会の手帖」(1937年)である。僕の親の世代にとっての忘れられない映画として語られてきた。それだけ思い出に残った映画だということは、その映画は多くの人が望む何かを描いているのだろう。

もう若くはないヒロインがいる。彼女は、ある日、自分が社交界にデビューした頃の手帖を開き、深い懐旧の念にとらわれる。若かった頃の自分を甦らせるのだ。その手帖には、彼女のダンスの相手をした男たちの名が書き連ねられていた。彼女は、そのひとりひとりを訪ねることにする。しかし、それは苦い幻滅の旅だった。思い出は思い出のままに...、それがこの映画の教訓なのかもしれない。

懐かしい...という思いは、どこかセンチメンタルで切ないものだ。そこには、失われてしまったものは還ってこないという寂寥感もある。甘美な喪失感も含まれているに違いない。失われたものは、すべて美しい。だから、自分がなくしてしまったもの、思い出の中にしか存在しないものに思いを馳せるとき、人はひどく穏やかでやさしくなる。だが、一方で淋しさが胸を占める。還らぬ昔を甦らせることができたら...、と叶わぬことを願う。

記憶を探る。記憶の中の情景を書き綴る。そんな行為は、失われてしまったものを甦らせたいと願う人間の本能なのかもしれない。その代表的な物語がプルーストの「失われた時を求めて」だ。この長大な小説を読み通した人がどれほどいるかは知らないが、そのタイトルだけは世界的に有名になった。それは、歌謡曲のタイトルにさえ剽窃されたのだ。

僕が小学生の頃に流行った舟木一夫の「花咲く乙女たち」という歌のタイトルは、「失われた時を求めて」第二篇「花咲ける乙女たちのかげに」だったのだと知るのは中学生になってからだった。「カトレアのように派手なひと」と始まるフレーズは、「失われた時を求めて」の中で効果的に使われるカトレアからインスパアされたのだと思った。

スワンの恋 [DVD]「失われた時をもとめて」を映像化したいという思いは、多くのクリエイターたちの胸に去来したことだろう。しかし、長大な物語をすべて映像化するのは無理なのかもしれない。1984年の冬、「スワンの恋」(1983年)が日本で公開されたとき、第一篇「スワン家の方へ」の中の第二部「スワンの恋」だけの映画化だと知り、賢明だなと僕は感じたものだった。

それはイギリスの俳優(ジェレミー・アイアンズ)を主人公として、フランスやイタリアの俳優たち(アラン・ドロン、オルネラ・ムーティなど)を配し、ドイツ人(フォルカー・シュレンドルフ)が監督した作品だった。僕は、その映画が公開される直前、中村真一郎の「四季四部作」の最終巻「冬」を読んだばかりだった。「冬」の外函には「プルースト楽派の巨匠のみがなしうることである」という文章で結ばれた、倉橋由美子の推薦文が印刷されていた。

僕も「失われた時を求めて」を読み通したことはない。一部をかじっただけである。しかし、「スワンの恋」は見にいかなければならないと思った。その映画では、ヒロインであるオデットの胸に飾られたカトレアのコサージュを主人公のスワンが直すシーンが官能的に描かれていた。それは、原作でも数ページにわたって描写される印象的な場面なのだが、やはり映像の力は強かった。

また、侯爵役のアラン・ドロンが馬車の中で手鏡を見ながら頬に白粉をはたき、夜のパリで男たちがたむろする場所に出かけていくシーンで、「失われた時を求めて」が男色をひとつのテーマにしていることも理解した。アラン・ドロンは若い男に向かって、「僕は男色者だ」と言うのだ。プルーストの時代、それはとてもスキャンダラスなことだった。

見出された時~「失われた時を求めて」より~ [DVD]「失われた時を求めて」の映画化作品は、もう一本、日本で公開された。最終篇である第七篇「見出された時」を映画化した「見出された時─『失われた時を求めて』より」(1999年)だ。これは、フランスの女優たち(カトリーヌ・ドヌーブ、エマニュエル・ベアールなど)やアメリカの男優(ジョン・マルコヴィッチ)を使い、チリ人(ラウル・ルイス)が監督した作品だった。

残念ながら、僕はこの作品は見ていない。おそらくドヌーブがヴェルデュラン夫人を演じ、オデットをエマニュエル・ベアールが演じているのだろう。この物語のすべてを回想するマルセル役はジョン・マルコヴィッチらしいから、見てみたい。彼らは、「スワンの恋」で登場した人物たちの後の姿である。

ところで、Fくんと電話で話した僕は、その夜、カミサンに「昨夜、電話してきたFは、昔、方南町にいた頃に、あなたに会ったと言ってたよ」と言うと、「そんな35年以上前のこと、憶えてるわけないでしょ。ホントに私だったの」と、とりつく島もなかった。おいおい、あなた以外に誰がいるのか、と反論したくなったけれど、考えてみれば僕が最も記憶のズレを感じるのは、40年以上のつき合いであり、多くの時間を共有してきたこの人だったな、と秘かに溜息をついた。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
>

久しぶりにカラオケにいった。歌える歌は日活系しかない。裕次郎、旭、哲也、圭一郎といったところだ。僕と同じようにあまりうまくなかった宍戸錠の歌だって歌えるのだが、一曲歌ったらあまりに不評だったので、後は聞くだけにした。それにしても最近の若者は、どうしてあんな難しい歌をうまく歌えるのか。音楽教育の違いだろうか。

映画がなければ生きていけない 2007-2009●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
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>
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
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■ところのほんとのところ[37]
雨よし晴れよしモントリオール

所幸則 Tokoro Yukinori
< https://bn.dgcr.com/archives/20100423140100.html
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また旅立ちだ。今度はバンクーバー経由でトロント、トロントからモントリオール。腰が痛い状態で14時間飛行機に乗るのは不安なので、朝から整体にいく。少し楽になったので慌ただしい中だが行ってよかった。

セルリアンタワーからリムジンバスで成田に向かう。こういうとき、近くに国際的なホテルが近くにあるのは助かる。ありがとうセルリアンタワーホテル!空港やリムジンバスの中で無線LANが使えると、iPodタッチが役に立つかなと思って、バスの中で手続きをはじめたけど思ったより、面倒。終わった頃には電池が半分になってる。あほらしい。

空港に着いて、チェックインしようとしたらトラブル発生らしく、JALの人がなにやら調べ始めた。何事だろうと思いながら待っていると、[ところ]より前に「トコロユキノリ」という名前の人間がチェックインしたので、JALのシステムがエラー表示をだしたらしい。

調べてみると、同姓同名の別人だということで無事にチェックインできた。なにやら不思議な体験だけど、会いたいなあって思いが[ところ]は強かった。昔から、モデル事務所の所マネージャー、レーコド会社の所さん、パティシェの所さん、たくさん近くにいるのだけど、いつもタイミングを逃して来た。そういえば、高校の合格発表で所真由美という名前を見て、入ってきたら会いたいと思ったのが始まりだったけど。会えたためしがないんだ。だれか、所さんに会わせて頂戴!

話をもどそう。無事チェックインを済ませて、出国手続きを済ませて75番Gに向かう。なぜかゲートの中で待ってる間に、パスポートチェックがはじまった。随分海外に行ってるけど、初めてのことだった。カナダに行く時は普通なのかな? もちろん、ゲートを通る時もパスポートを見せる。何回見せるんだろ、不思議。

JALは気楽に乗れるから好きだ。ANAでもそうだけど。到着する場所とかもJALは優遇されているので降りてからも楽だし、もう一ついいのはJALは映画のサービスが離陸後30分から始まり、着陸前30分まで見られる。ANAは1時間前に終わるのが少し残念。そこらあたりが同じになればどっちでもいいんだけど。

さて、今回はバンクーバーまではJALということだ。バンクーバー経由トロント、なぜ直接いかないの? って思ったら。JALにはトロント直行便がないそうだ。だったらJALでなくてもよかったのかな。まあいい。値段は変わらない。ただ、面倒なだけだ。

●バンクーバーで走る走る

8時間ちょっとでバンクーバーに着いた。腰はまだ痛いけど、機内でもちょこちょこストレッチしてたせいで、なんとか持ったみたいだ。今回の映画はちょっと。噂のモーガン夫妻は[ところ]の好みではなかった。つまらない。ゴールデンスランバーのほうが面白かったけど、後味はイマイチ悪い。シャーロックホームズも見ようとしたけれど、目が疲れたので帰りの便で見ようかな。

さて、バンクーバーに着いて、まず自分のバッグをピックアップしにいった。いままでで一番っていうぐらい出てくるのが遅い。イライラしました。降りてから1時間近くかかった。乗り継ぎ便が1時間半後だったので、慌てて走った。

途中で親切な空港のボランティアが、トロント行きに案内してくれるのでラッキーと思っていたら、トロント行きとモントリオール行きは2週間前から国際線扱いになったことを知らなかったらしく、国内線に連れて行かれて、またもどるという痛恨のタイムロス!

遅すぎる! ってエアーカナダの人に言われながら、もうだめなの? って不安な気持ちで待ってたけど、なんとか乗れるらしい。ホッとしたなあ。エアカナダでトロントに向かう。

ここで一つ気がついた。バンクーバーとトロントって時差が3時間あるそうだ。また8時間近く乗るのかと思ってたら5時間弱だった。少しほっとしたけれど、何時も通路側なのに今回は3人席の真ん中だった。遅かったからそうなったんだろう。チェックインのとき、エアーカナダの人が端末を操作しながらぶつぶついってたのはそういうことだったらしい。

機内でも初めての経験が待っていた。映画を見ようとしたらイヤフォンがない。みんな自分のものを出してジャックに刺してる。おー、そうか。マイバッグもエコだけど、イヤホンもマイイヤホンなんだ。[ところ]だけないの、つまらんなあ。言えば売ってくれるらしいけど。

さあ、今度の機内食はどんなんだろう、腹減ったなあと思って待っていたら、なんと、売ってる! 車内販売スタイルだ。財布を入れたバッグは上の荷物入れにある。両サイドの席には屈強な若者が二人。しかも、二人とも食べる気なしだ! [ところ]は空港で食べる暇もなかったんだよー。わざわざ通路に出て、荷物降ろして、バッグから財布出して買うほど度胸がないです、はい。機内食なしかー、まずいまずいと文句は言うけど、ないのもつらいものでした。

●トロントでは散歩がてら撮影

トロントのホテルに着いたのは夜の9時ぐらい。チェックイン後、食べに出る元気もないので近くのコンビニらしきところに、水とかチョコとか買おうと行ってみる。なんだか日本のコンビニより高いなあ。カナダって物価高いんだなあ。スニッカーズみたいなものがあったので、値段を見たら2.90カナダドル、300円かよ。水も一番安い1.3Lサイズで250円ぐらいかな。

あとで知ったことだけど、カナダの水道事情はかなり良好で水道水で充分なんだそう。だからミネラルウオーターも贅沢品ってわけ。チョコレートなんかも贅沢品、で税金がたっぷりのってるそう。逆に、パンとか最低限の主食ものなんかは非常に安い。医療も無料だそうだ。

朝起きると晴れていたので、8時半くらいからホテルの回りを散歩がてら撮影。結構撮りやすい街だ。スーパーも見つけた。だけど水などはあんまり値段が変わらないなー。2時間近く撮影をしてとりあえずホテルに戻り、データーのバックアップ。

11時にホテルのロビーに来たガイドさんに挨拶して、まず朝撮影した写真を見てもらう。撮影のテーマを簡単に話して、モントリオールとの比較のために立ち寄ったことも話した。普通の観光には興味がないことを言って、どういうところに行くか相談する。

まずはタクシーで、候補地と一番のオフィス街なんかも一応ざっくり見ておくことに。実際、[ところ]が宿泊してるホテルの側のストリートがテーマにあっているんだそうだ。よくわかった。カナダのNYみたいなところがトロントだ。街全体がうまく収まっていて、イメージがつかみやすい街だ。そして、カナダのパリみたいな所がモントリオールらしい。

●モントリオールの働き者のガイド

次の日、モントリオールに飛んだ。飛行時間は1時間前後、これなら映画も機内食もどうでもいい。

ホテルに着いたのが11時ごろ、天気は悪いけれどとりあえずホテルの回りをぐるっと。なんかこうイメージが違う。中国みたい。チェックインしたホテルまで中国っぽい。どうやらチャイナタウンの一角のホテルらしい。

道路の向こう側には、カッコいいビルや教会らしい建物も見えて、ヨーロッパっぽいぞ。ちょっと撮影してみたら、結構いい感じだった。お腹がすいて来たので適当な店を探してみると、ベトナム料理屋らしき店が見える、結構人で一杯だ。牛肉と団子と内臓のフォーを頼んでみる、あたりだ! うまい。

フランス語圏ならベトナム料理が有望だ、その判断に間違いはなかった。チップのシステムを理解してなかったので、普通に払って出る。780円ぐらい、まあいいんじゃないだろうか。滞在中にもう2回は来そうな気がするので、そのときチップを多めに払おう! うまいし。

その日はゆっくり寝て、二日目は朝からガイドさんがくることになっている。あいにくの雨なので、まずはじっくり作戦会議をすることに。思ったより小さい街のようだ。パリらしい風景と、アメリカっぽい風景、ヨーロッパ的な風景も入り乱れている。宿泊しているホテルから、メインにするべきポイントまでかなり近い。

このことは、旅行代理店とかなりコミュニケーションがとれているということだね。[ところ]の写真に対する理解度が高いようだ。[ところ]はとっても感謝してます。

小雨のなか歩きながら撮影する。意外に撮りやすい。人間もラテン系のせいか撮影してても好意的だ。いままで文句を言われたのはドイツと渋谷だけ(苦笑)昼ご飯には、スモークミートというモントリオール料理を薦められた。まあおいしいけど、肉の薄切りのようなスモークされてるような、別に、まあいいかというのが[ところ]の正直な感想。

雨だけど写真は順調に撮っていた。もういいかな? と思ったところ、働き者のガイドさんが人気の街があるから行ってみないか? と言いだした。早く終わると申し訳ないと思うんだろうか。いかにもモントリオールらしい家並みだという。[ところ]の作品的には興味がないけれど、一応行ってみることにした。なるほどね、ポストカードにしてもよさそうな街並だ。

モントリオールで一番美味しいと評判のベーグル屋さんとか、パンが一番美味しいお店にも連れて行かれた。いいかげん疲れたし、データのバックアップのため一旦ホテルに戻りたい。もうこんなに働いた日はないよと思いながら、お疲れさまって言いかけたら、旧市街地も行ってみましょうということになり、う〜ん、観光に来たんじゃないんだけどな。

ガイドのキャリアが浅いから、憶えた所に全部行ってるのかもしれないと思いながらも、一応つき合ってみる。モントリールで最初に作った街並だというセントポール、たしかにパリみたいだ。しかし観光だなあ......。もう今日はダウンです。

●[ところ]は感動的についている

3日目は、ばてていたので休養中心でゆっくり30分程歩いただけ。

4日目は、もう今日晴れないとどうしてくれようって思ってたら、朝早くに少し日差しが。慌てて撮影してみるけれど、朝早過ぎて人もいないのでとっとと帰る。帰ったらニコニコ動画の生放送だ。

日本時間の21時はモントリオールの8時だ。外国からの放送は、ゲストもいないせいか視聴者が少なめなんだけど、今回は意外と多かった。100人見に来てくれたようです。ありがとうございました。次回は登録し間違えた21日の水曜日、日本に到着する日だ。

モントリオールから送り出したニコ動を終えて、ひとまず仮眠、雨降ってるしね。目が覚めたのが13時頃、とりあえずベトナム料理屋に行き昼ご飯を食べて、元気をつけてメトロに乗って、気になってた場所に行ってみる。雨だけどね。

しかし、思いがけず良い写真が撮れた! すげえ、って喜びながらホテルにバックアップしに帰ると、窓から青空が見え始めた。疲れてるから今日はこれで充分と思っていたのに。[ところ]はついているのか? ついてないのか?明日も雨かもしれないし、覚悟を決めてまた外に出る。青空は見えるけど、小雨もぱらつく。だけど撮ってるうちにドンドン晴れて来た! 大あたりだ! こういうときは疲れを忘れてしまってドンドン歩く。

小雨の日に撮ったメインの場所に行ってみる。意外だな。天気が違うと、いいと思うポイントも違うものなんだなーと改めて実感する。ほんと全く違う。あたり前だけど感動的だった。

勢いに乗って5日目、最終日も晴れ間が結構出て来た! 凄い凄い。だけどまあ今回はロケハン的な意味もあるし、倒れたら帰れなくなるので、程々にして早めに就寝した[ところ]でした。

●「PARADOX」ギャラリートーク

さて、帰るとすぐに、いま開催している所幸則写真展「パラドックス」のアソシエイトキュレータ岡山くんとニコニコ動画、4月21日という変則の放送。というのも4月24日(土)に会場でアーティストトークとギャラリーツアーがあるので、宣伝も兼ねて写真のことを一緒に話したかったのだ。

普通の写真展のトークショーは、写真家がただ語ったり、誰かと対談するのが通例だが、今回はそういう普通のこともやった上で、この会場のように大きな、しかも回廊型のギャラリーでしかできないような、作品の展示を見ながらキュレータが展示意図なども話しながら回遊していく、ギャラリーツアーといえるようなことをやります。ただ展示をみるだけではなく、ガイド付きで回って行くので楽しいですよ。

◇所幸則写真展「PARADOX」ギャラリートーク開催
時代と並走する展覧会をつくる。これがGALLERY21が目指す企画展です。現在も制作が続行するシリーズ「PARADOX」プロジェクトを、アーティストとキュレータが語ります。オープニングレセプションにいらっしゃれなかった方も是非ご参加くださいませ。
4月24日(土)17:00〜18:00
Part 1:アーティストトーク 所幸則
Part 2:ギャラリーツアー 太田菜穂子(チーフキュレータ)
参加費:無料
お問い合わせ先:info@klee.co.jp / TEL.03-5410-1277 / 担当:株式会社クレー・インク/岡山修平

◇所幸則写真展「PARADOX」
< http://www.gallery21-tokyo.com/jp/exhibitions/2010/yukinoritokoro/
>
< http://www.gallery21-tokyo.com/jp/artists/yukinoritokoro/
>
会期:3月30日(火)〜5月30日(日)10:00〜20:00 最終日17時
会場:GALLERY 21(東京都港区台場2-6-1 ホテルグランパシフィック LE DAIBA 3F)入場無料

【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則 < http://tokoroyukinori.seesaa.net/
>
所幸則公式サイト  < http://tokoroyukinori.com/
>
http://www.genkosha.co.jp/cp/mook/271.html


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■編集後記(4/23)

・デジクリは明日から5月9日(日)まで、ゴールデンウィークメンテナンス休暇に入ります。次の発行は5月10日(月)の予定です。休暇中に臨時の発行があるかもしれません。ないかもしれません。ではまた。

・全国学力テストを受験した。新聞に掲載された問題に挑戦したという意味。小学校6年生対象の国語は簡単にできて、自己採点の結果、満点だった(いばるほどのことではない)。算数はBの「バスの折り畳みドア」の問題にちょっとひっかかったが、これも満点。中学校3年対象の国語は、微妙に満点。記述式の問題はちょっと考え込んだ。いずれにしろ、よく読めばわかる素直な問題ばかりだった。この学テは過去3回、対象校は原則全校だったが、民主党政権は3割の抽出校と希望参加にしてしまった。これにより、これまで可能だった学校や市町村ごとのデータ蓄積はできなくなった。学力を継続的に把握して改善につなげられる制度をやめて、なぜ抽出にしたのか。民主党は「学校、地域間の競争激化や序列化につながりかねないと懸念する教育現場の声を取り入れた」というが、それはまさしく全校学テに猛反対する日教組への迎合だ。抽出により費用は約25億円節約できたが、失ったものは金に換算できないほど大きい。事業仕分けパフォーマンスでいくら節約しても、高校授業料無償化や、在日外国人の外国に住む子どものために湯水のようにつかわれちゃうんだよ。ところで学テ、中学校3年対象の数学だが、まるっきり自信のないわたしは、テスト会場から逃亡したのだった。(柴田)

BALLERINE(全2巻) 草刈民代写真集・草刈民代さんの広告に使われていたヌードのポスターが欲しい。写真集までは考えていないが、このヌードは美しくてうっとり。ただ、気になったのが膝の方向。見えちゃうからわざと股関節を開かなかったのかな。/永吉さんが、「世界で最も中途半端な曜日は何曜日だと思うかというアンケートをとったら、木曜か火曜がトップになると思う。私は火曜を推したい。」とツイートされたので、私は木曜日だなぁと。火曜日派と木曜日派が出てきて、当日が木曜日だったせいもあり、木曜日優勢。/この休みのうちに、お仕事を進めて、引っ越し荷物や、仕事資料や道具類の整理がしたい。立て直ししたい〜。皆様、素敵なゴールデンウィークをお過ごしください〜!(hammer.mule)
< http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20100422/enn1004221158000-n1.htm
>
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< http://twitter.com/nagayoshy
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永吉さんのタイムライン