私症説[17]これがプロフェシオナールだ!
── 永吉克之 ──

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体調が悪いのは年中ですけど、このところ目立って悪いんです。毎年、この時期になると、花粉症ではないのだけれど、とにかく何かのアレルギーで、鼻の奥がしょっちゅうムズムズして、くしゃみを連発するんですよ。そういう時は頭がどんよりして、面白いアイデアも浮かばないし、気の利いた文章も書けません。そのうえ腰痛がまた始まっちゃって、長時間パソコンの前で座っていることができないんですよ。

だから、今回は休載を申し出ようかとも思ったんですけど、敢えて受けて立ったのには理由があるんです。前の日、大阪の桃谷にある料理店「羊頭狗肉」でパーティがあって、ジェントルマン的な紳士たちや、レディ的なご婦人たちと、素敵なひとときを過ごしたので、今日はもうすっかり二日酔いに苦しんじゃってるからなんです。

わたしが何を言っているのかよく分らないでしょう。すいません。つまり、いろんな肉体的苦痛のなかで、二日酔いほど創作意欲をそぐものはないんじゃないかということなんですよ。頭痛とか歯痛みたいな痛みは局所的だけど、二日酔いは頭痛とか胃のもたれとか吐き気とかだるさといった全身にわたる苦痛をともなうからなんです。

まだ、わたしが何を言っているのかよく分らないでしょう。つまり、鼻水と腰痛と二日酔いという三重苦を背負ってコラムを書くことができるということを証明したいんです。どんな状況下でも、一定のレベルを維持することができるかどうかが、プロフェシオナールとアマチュールの違いだと思うんですよ。

もちろんわたしは、これでご飯を食べてるわけじゃないので、アマチュールなわけですけど、わたしとしては自らを「潜在的プロフェシオナール」と呼んでいるんです。しかし、こんな才能のある人間をいつまでもプロフェシオナールにしてくれない世間を俺は呪い、社会秩序を破壊してやろうと思った。



                 ■

俺は手始めに、小学校時代、何か言うたびにいちいち癇に障る口のきき方をしていた意地悪な用務員を成敗してやろうと、近鉄電車で名古屋まで行った。そして学校の敷地内に侵入すると、まっすぐに自動販売機のところまで行った。小銭がないので、千円札を投入口に差し込んで商品を選ぼうとしたら、それが牛乳パックの自販機だということに気がついた。俺はタバコを買うつもりだったのだ。タバコを吸うことは、世界に対する反抗の第一段階だ。

しかたなく俺は牛乳を飲みながら、用務員の詰め所に向かった。詰め所の前では、あの恨み骨髄のデブ用務員が、棒切れを振り回して、野良犬の集団を追い払っていた。昔からこの学校には野良犬がよく入り込んで、用務員の弁当を食べたり、校長室のソファを食い破ったり、保健室で交尾をしたり、生徒を噛み砕いたりして手を焼いていたのだ。

「おい。久しぶりだな、デブ。俺だ。憶えてるか」「貴様か。何しに......」
用務員が俺に気を取られたスキに、野良犬の一頭が背後から飛びかかって、脳天に噛みついたので、奴はうつ伏せにどうと倒れた。そこに他の犬たちが駆け寄ってきて、用務員の脚といわず尻といわず腕といわず食らいついて引きちぎろうとするので、奴は起き上がることもできずに、げふげふ言いながらもがくしかなかった。

「おい。助けてくれ。誰か呼んできてくれ」
「助けてやってもいいが、その前に訊きたいことがある。お前は、俺のことをアマチュールだと思っているか?」
「なんなんだ、それは? そんなことより早く助けてくれ!」
「答えろ。俺をアマチュールだと思っているのか? どうなんだ」
「わかった。認める。あんたはアマチュールだ。だから早く!」
「ばかやろう! おれは潜在的プロフェシオナールだ!」

そう言って、俺は学校を去った。用務員の奴も、生きていれば反省していることだろう。帰途、近鉄電車の線路沿いに広がる屈斜路湖の照り返しに目を細めながら発泡酒を飲んだ。

                 ■

うーむ。座って執筆しているのがますます辛くなってきました。腰痛だけじゃありません。胃もたれと全身のだるさが、わたしを畳の上に引き倒そうとします。それに、鼻の通りが悪くて何も考えられないのですが、そんな時でも、いやそんな時だからこそ、プロフェシオナールはより鋭い筆鋒を見せつけなきゃいけないんですよ。

過去の怨恨にいつまでも拘泥しているわけにはいかない。ましてや過去に報復することに何の意味があるだろう。俺たちは生きている限り、死ぬ直前まで将来について語る権利を持っているのだ。どんなに短い人生でも将来はある。だから俺は近鉄電車が大阪に着いても降りず、そのまま終点の群馬駅まで行った。

俺は将来、群馬か熊本か鳥取か鹿児島で暮らすのだ。どの県にも動物の名前が含まれているからだ。そこで先手を打つために、群馬駅を出たところにある郵便ポストの横に立って、目を閉じて夢想を始めた。俺が群馬に転居届けをだして、それから一生を終えるまでの夢想だ。

まずは、住む所を見つけなきゃいけないわけだが、俺が不動産屋を見つけて、その前で物件の張り紙を見ているところまで夢想したとき、ちょっとちょっと、と誰かが声をかけてきた。最初、俺は夢想のなかの不動産屋が声をかけたのかと思ったが、目を開けると、変な色の口紅をつけた若い女が、俺の前にいた。

「群馬はあなたが夢想できるほど簡単な国じゃないわよ。お帰んなさい」
「どういうこと?」
と聞き返すと、その女は、今度は口を閉じたまましゃべった。
「群馬はつねに夢想を裏切る国なのよ」
変だと思ったら、その女の後ろから、もうひとりの女が出てきた。体格も服装も髪型もまったく同じなので、重なって立っていると、ひとりに見えるのだ。
「君らはソーセージなのかい?」
と聞くと、ふたりの女は、ひとつながりの文章のようにして答えた。
「ちがうわ。ほら、顔立ちがまるっきりちがうでしょ?」
「おわかりかしら? あなたの夢想なんて、モグラの見る夢と変らないのよ」

たしかに、前に立っていた方の女は、目鼻口が顔の中心に凝集していて、後ろにいた方は拡散している。
「もしかして君たちは、プロフェシオナール?」
「そう、プロフェシオナール。名前は、肺魚シスターズ姉妹よ」
「どうして肺魚なの?」
「とくに意味はないわ」
俺は熊本へと向かった。

【ながよしかつゆき】thereisaship@yahoo.co.jp
このテキストは、私のブログにも、ほぼ同時掲載しています。
・無名芸人< http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz
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