[2884] 捨ててきたパラレルワールド:IT推進策への決断

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《脳裏に浮かんでいるのはTRONやATOK》

■電網悠語:日々の想い[159]
 捨ててきたパラレルワールド:IT推進策への決断
 三井英樹

■ショート・ストーリーのKUNI[82]
 観察日記
 ヤマシタクニコ

■展覧会案内
 2010 ADC展
 デザインの港2。浅葉克己展。



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■電網悠語:日々の想い[159]
捨ててきたパラレルワールド:IT推進策への決断

三井英樹
< https://bn.dgcr.com/archives/20100708140400.html
>
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韓国のソフトに少しかぶれている。AdobeとMSを中心とした視野の狭さを思い知らされている。米国中心の技術革新の波の中で育てられたせいか、風は東から吹いてくるものと思っていたのかもしれない。

いや、よくできている。開発コンセプトに感心する。デモ自体に驚かされる。パフォーマンスに唸ってしまう。まだ、手を動かしての検証作業に入っていないのは、他のタスクが溜まっていて時間がないからにすぎない。

Javaベースの製品だが、ランタイムを必要とするものと、JavaScriptのみでインタラクションを制御する版との二つを、同じソースから生成する。

 ・RIAソリューションフォーム、XPLATFORM|TOBESOFT
  < http://www.tobesoft.jp/tobesoftJpn/GoodsInfo_Xplatform.aspx
>

講演が発端だった。折りあって、短期間に別々の講演を二回聞いた。どちらも感動した。Flash(FutureSprash)を見つけた時の感触ではない。でも「表現」の領域ではなく、「(円滑な)開発」という領域で、何か心がざわついた。なんだか行けそうだぞ、これ。只者ではないかも。自分でいじり倒していないので、断言はできないけれど、かなりよさげだ。

ドキュメントがどこまで揃っているか、まだ知らない。開発ツールも評価版しかない。無償版がある訳でもない。少し時流に反する点がない訳ではない。でも、心の中の何かが囁き続けている。

ただ、日本語という壁を通しての話であることは注意が必要だ。講演での表現は、少し差し引いて聞いてあげないと駄目だ。AdobeやMicrosoftの欧米開発者が日本語で話すことはまずないから、そこを忘れてはいけない。なまじ日本語で話してくれるので、きびしめに耳をそばだてて、違和感を覚えしまう傾向は否定できない。


実は、製品自体ではないところでも、私のアンテナに引っかかっている。国を挙げて、この製品が後押しされているように見える点だ。この製品は、義務教育のどこかの段階で利用され、それが普及に一役買っているとも聞く。宿題か何かのやり取りの、プラットフォームで使われているのだとか。

ソフトウェアに与えられるものの中でも、特に栄誉ある賞を受け、米国進出も視野に入れて、日本への展開中だ。失礼な書き方かもしれないが、私企業の努力以上の力を感じる。

ちなみに、韓国はワードプロセッサ・ソフトウェアの中で、MicrosoftワードがシェアNo.1を獲得できていない唯一の国なのだそうだ。

 ・アレアハングル - Wikipedia
  < http://bit.ly/alPY8l
>

正直、羨ましいと感じる。当然ながら、脳裏に浮かんでいるのはTRONやATOK。諸々の事情があり、国内展開にさえブレーキを踏まれた技術だけれど、これを正しく国が後押ししていたら、或いは守っていてくれたなら、10年の単位で考えると大きな違いが出ていたのだろうと考えてしまう。


日本発のOSであるTRON。その完成度は、組み込みOSでのシェアの高さからも事実上の実証済み。記憶の中で多少美化している気もするけれど、初めて友人にデモしてもらった時の驚きはまだ新鮮。コンピュータに対して、データ演算装置というイメージの強かった時代に、もっと人間くさい何かを感じた。当時にもっと何かができたなら、今のOS勢力図も、技術人材勢力図も変わっていたかもしれない。

  ・ASCII.jp:「今やTRONは世界でもっとも使われている組み込みOS」
  坂村健氏勝利宣言──"TRON SHOW 2001"で
  < http://ascii.jp/elem/000/000/318/318837/
>
  ・トロン組み込み技術、人材養成の意義を強調
  ──坂村健・東大教授が講演 - 毎日jp(毎日新聞)
  < http://bit.ly/aCAnO0
>

ATOK。こうして日本語で自由に書けるのは、このおかげ。感謝の念は、MS-IMEで誤変換をされる度に忘れまじと心に深く強く浮かび上がる。個人的には、手塚治虫とともに国民栄誉賞ものだと思っているが、長く辛い時期が続いたことに心が痛んだ。

  ・ATOK.com - 日本語入力システム「ATOK(エイトック)」や日本語に関
  する情報のサイト
  < http://www.atok.com/
>
  ・浮川和宣氏の新会社MetaMoJi、1〜2社のIPO目指す
  XMLを中核技術の1つに | BCN Bizline
  < http://biz.bcnranking.jp/article/news/1001/100114_121512.html
>
  ・MetaMoji-jp
  < http://www.metamoji.com/jp/
>


別に、積極的にガラパゴス化を目指すのでも、技術鎖国政策を推している訳でもない。それでも、誰かに良い顔をして招いた、特定技術に対する不遇がなかったなら、どんな未来に今がなっているのかを考えてしまう。失ったパラレルワールドが薔薇色に見えるのが常だとしても、少なくともUS一色に染まっている技術マップに、違う色が添えられている気がしてならない。

進化したTRONがAndroidと名を連ねているかもしれない。既に様々な液晶パネルの上で高度な情報伝達や、コミュニケーションが成立していたかもしれない。教育現場で、電子教科書なんてとうの昔に達成できていたかもしれない。

奇しくも、ラップ系などで日本語へのリスペクトが高まったと思っているのだが、それがもっと早く起こり、もっと深く浸透したかもしれない。文字や言葉を大切にすることが、心を病む人を減らせたかもしれない。方言がもっと日常的に文字(デジタル)化されていたかもしれない。言葉による励ましが活躍できた場が広がったかもしれない。心に沁みるコミュニケーションが、もっともっと日常化したかもしれない。

国が活気を削いだときの影響の長さ、その深さ。そして逆に国が後押ししたときの意義や、影響力。同時に、そうした判断する者の責任感の大きさ。そして、何よりも、常に判断と決断はなされているのだという事実。そして、それは国だけの話ではないということ。何かを選ぶということは、何かを捨てるということ。これからの決断が思慮深くあらんことを。

何度か、このコラムでは書いたけれど、またニーバーの祈りを思い出した。何かを選択したときに必要な勇気。見誤らないで、恐れずに進みたい。

  ・The Serenity Prayer(ニーバーの祈り)
  < http://home.interlink.or.jp/%7Esuno/yoshi/poetry/p_niebuhr.htm
>
  神よ、
  変えることのできるものについて、
  それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
  変えることのできないものについては、
  それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
  そして、
  変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
  識別する知恵を与えたまえ。
              ラインホールド・ニーバー(大木英夫訳)

【みつい・ひでき】 感想などはmit_dgcr(a)yahoo.co.jpまで

・前回、ワールドカップの報道について、事実確認をしないまま、あるまじき表現で感想を記しました。お詫びします。
  ・asahi.com(朝日新聞社):駒野選手の母に謝らせた...
  誤情報炎上、批判殺到すぐ修正 - ネット・ウイルス - デジタル
  < http://www.asahi.com/digital/internet/TKY201007020681.html
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・mitmix : < * http://www.mitmix.net/
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■ショート・ストーリーのKUNI[82]
観察日記

ヤマシタクニコ
< https://bn.dgcr.com/archives/20100708140300.html
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○7月21日
きょうからなつやすみだ。
学校からもってかえったあさがおをうえかえることにした。あさがおはどんどんのびるから、ひろいところにうえてあげたい。でも、ぼくのうちには、にわがない。それに、おかあさんは花をうえたりするのがきらいだ。どこにうえたらいいかなあ。

○7月21日
あさがおをへいのそばにうえることにした。へいというのは、ぼくのうちのそばにある、高いへいのことだ。そのへいのむこうには、大きなこうじょうがあった。がっこうがいくつもすっぽり入るくらいで、たくさんのひとがはたらいていたそうだ。だけど、ずいぶんまえにふけいきでこうじょうはなくなって、ずっと、たちいりきんしになっている。へいのこちらがわにはほそながいけど、あきちがひろがって、そこにうえると、大きな花がさく、ときいたことがある。どうしてなのかしらないけど。ぼくは、大きなあさがおの花が見たい。

○7月24日
あさがおはどんどん大きくなっている。つるがからみつくためのぼうの高さをこえてのびている。ぼくはもっと長いぼうをさがしてたててやろう。

○7月26日
あさがおはどんどんのびている。きょうさいた花は25。

○7月29日
へいはとても高い。こうじょうがあったときはふつうのへいだったと思う。なぜかしらないけど、こうじょうがなくなり、さいきん、気がついたら高くなっていた。でんしんばしらより高い。ふしぎだ。だれも気がつかないうちにへいが高くなるなんて。きょうさいたあさがおの花は41。

○7月30日
ぼうをなんぼんもくくりつけて、つないで長くして、へいにたてかけてやった。あさがおがつるをまきつけられるように。

○7月31日
あさがおはうれしそうにつるをまきつけている。それでもたりないので、ぼくはロープをなげ、へいの上のぎざぎざのてっせんにひっかかるようにしてやった。

○8月2日
あさがおはロープをつたい、とうとうへいをこえてしまった。へいのむこうでどうなっているのか、ぼくにはわからない。あさがおはくきも太くなり、葉っぱも花もすごく大きくなっている。きょうは87も花がさいた。いちばん大きい花はぼくのかおより大きい。くきは、さいしょはほそかったのに、もう、ひまわりのくきみたいになっている。はっぱがいっぱいしげって、まるでちいさな森のようだ。

○8月3日
ぼくはときどき、へいのむこうを見たいと思う。ジャックと豆の木みたいにあさがおに登れるんじゃないかとおもって、そうしようとしたことがあるけど、だめだった。のぼるには、あさがおはたよりなくて、むりなようだ。
きょうもあつくて、へいの上のほうを見ているだけでまぶしくてくらくらしてきた。おかあさんは、あまり外に行ってはいけません、といつもいう。

○8月7日
だいはっけん。あさがおのはっぱにあおむしがいたのだ。いままで見たことないあおむしだ。でも、ほんとはあおむしではない。だって、とてもきれいなむらさきいろで、そこにそら色のせんが入っているから。むらさきむしだ。むらさきむしはたぶん、へいのむこうから、あさがおのつるをつたって、きたのだろう。ぼくは、いつもそばで見ていたいので、むしをつれてかえった。はこに入れて、かうつもりだ。おかあさんにはないしょだ。

○8月8日
あおむしはとてもきれいだ。ぼくは、このあおむしをみているとうっとりしてしまう。これがさなぎになり、うかすると、どんなにきれいなむしになるのだろう。そうおもうと、どきどきする。

あおむしはあさがおのはっぱを食べない。おかしいなあ。あさがおについてきたのだから、あさがおのはっぱがすきなのだろうとおもっていたのに。そういえば、はっぱにあながあいているようすもなかった。ぼくはいろんなものを食べさせてみた。ぎょにくそーせーじを小さく切って、やったら、おいしそうに食べたので、ちょっとびっくりした。ふたくち目からは、ぼくの手からひきちぎるようにして食べるのだ。そーせーじはあっというまになくなった。

○8月9日
あおむしのすきな食べもの。
そーせーじ。はむ。つなかん。びーふじゃーきー。

○8月10日
ぼくのおこづかいでは、そーせーじやびーふじゃーきーをそんなにたくさんかえない。それで、ゆうべはれいぞうこから、こっそりおにくをもってきて、あおむしにやった。ぶたばらにく、とかいてあったやつだ。あおむしはものすごくおいしそうに食べた。

○8月13日
あおむしはどんどん大きくなっている。ぼくは、こんなに大きなあおむしは見たことがない。

○8月15日
ぼくはとてもこまっている。あおむしが大きくなりすぎて、だんだんかくすことがむずかしくなってきた。あおむしのからだは、いまでは60センチくらいある。いや、70センチかもしれない。まきじゃくをあおむしの体にあててはかろうとしたけど、あおむしがいやがりそうな気がした。あおむしに近づくと、からだがひくひくとなみうつように動いているのがわかり、ぼくはなんとなくびびるのだ。それで、そうっと、おそるおそるはかったので、もうちょっとでまきじゃくを落っことしそうになった。だから、ちゃんとせいかくにはかれたかどうか、じしんがない。

ぼくは、あおむしをはこに入れ、はこのそこに土も入れて、ぼくのへやの、つくえの下にいれている。ふだんは、ふたもしているので、おかあさんはたぶん、気づいていないとおもう。

あおむしがどんどん大きくなるので、なんかいも、大きなはこをさがしてひろってきて、入れなおした。いまのはこは、ぱそこんが入っていたはこだ。とても大きい。あおむしはそれでもきゅうくつそうにしている。これいじょう大きくなったら、どうしたらいいんだろう。

おかあさんは、さっきも「ねえ、いちろう。あそこのスーパー、さいきんぶたにくのぱっく、ラベルのひょうじよりすくないみたい。もんくいわなくちゃね」と言ってたけど、それはスーパーのせいじゃなく、こっそりぼくがなかみをとるからだ。

あおむしは、おなかがすくときげんがわるくなる。そして、きげんがわるくなると、むらさきのからだがどすぐろい色にへんかして、ひくひくと動く。そのようすがなんだかおそろしくて、ぼくはまたびびってしまう。だけど、えさを食べたあとのあおむしはおだやかで、まるくふくらんだせなかが、かわいいとおもう。ぼくはあおむしのせわをせずにはいられない。

○8月16日
あおむしは、もうはこからはみだしそうだ。
ぼくは、なんだかこわい。

○8月17日
あおむしが土のなかにもぐった。

○8月22日
はこの中はしんとしている。あおむしがさなぎになったのだろう。ぼくはほっとしている。いまのところは。

○8月31日
まよなか、ぼくはふと目をさました。つくえのしたの、ふたをしたはこの中で、みしっ、みしっというおとがしていた。ぼくは、おとをたてないようにベッドからおり、はこのそばに行った。まどからがいとうのあかりがさしこみ、はこをななめにてらしていた。

はこの中のおとはしだいに大きくなっていった。めり、めり、ときこえた。ぼくは、むねがどきどきしてきた。ぼくのそだてたあおむし。ぼくは、あおむしがどんなすがたになるのか、この目で見たかった。だけど、いっぽうでは、ぜったい見たくないとおもった。ぼくはどうすればいいかわからなくなった。

おとはますます大きくなり、はこががく、がくとうごきはじめた。ぼくはおもわず、はこにうまのりになった。はこのなかのさなぎはまるで、それがわかったように、もがきはじめた。はこのすみから土のかけらがぼろぼろとこぼれだした。それでもはこの上にのっていると、おとが、かわってきた。くぐもったおとだったのに、はっきりしたおとになった。ぼくは、いきをころし、はこをひっしでおさえつけた。だんぼーるのはこごしに、なにかがうごくのをかんじた。

そのとき、「いちろう、どきなさい!」おかあさんがへやにとびこんできた。おかあさんはほうちょうを手にもっていた。そしてぼくをおしのけ、そのはずみにふたがあきそうになったはこをおさえつけた。そして、はこの上にまたがり、ほうちょうを、なんどもなんども、はこの中めがけてふりおろした。はこがものすごいうごきをして、おかあさんは、はこの上からふりおとされそうになっていたけど、やがて、うごきがとまった。へやじゅうに、ものすごくいやなにおいがしていた。


午後の教室で、担任の先生が日記から目を上げ、一郎を見た。

「とてもよく書けているよ、きみの観察日記は」

一郎はだまっていた。提出が遅くなって、しかられるかと思ったのだ。もう夏休みもとっくに終わり、新学期が始まって一週間もたっていた。

「問題は、きみとそっくりの日記を、田村くんも小林くんも、小川くんも、そのほか何人もが書いているということだ。そう...きみが15人目だ」

「ぼ、ぼくはだれの観察日記もうつしていません! 自分で書きました!」

「うつしたなんて、だれも言ってない。それに、結末がちがっている」
先生は疲れたように言った。

「この町の子どもたちのうち、少なくとも15人が、この夏、巨大な青虫を飼育した。だれも見たことのない青虫をね。そして、そのうち14人の青虫は羽化した」

一郎ははっとした。

「14人はきみとほぼ同じ時期に飼育を始めた。すべての青虫のルーツがきみのアサガオかどうかはわからない。そして、青虫は順調に成長し、羽化した。しかし、その後のようすはくわしく書かれていない。14人は観察日記を提出したあと、なぜか欠席している」

教室が妙にがらんとしている、とは思っていた。一郎が登校したのは今日が初めてだった。「箱」の後始末。それに、あのときにけがをしたせいだ。

「しらない間に町が変わってしまっている」

先生はそこで黙り込み「どういうことなんだ」と、ひとりごとのようにつけ加えた。窓の外を一瞬、大きな飛行体の影が通り過ぎていった。

「あの塀を見てごらん」

先生が指さした方向には電柱より高い塀がそびえていた。

「あの塀は今やこの町を完璧に囲んでいる。塀の中にいるのは、われわれなのだ」

切り取られた空の青がまぶしかった。

【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
みっどないと MIDNIGHT短編小説倶楽部
< http://midtan.net/
>
< http://yamashitakuniko.posterous.com/
>

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■展覧会案内
2010 ADC展
< http://www.dnp.co.jp/gallery/ggg/
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< http://rcc.recruit.co.jp/g8/exhibition/g8_ex_current/g8_ex_current.html
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< https://bn.dgcr.com/archives/20100708140200.html
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ギンザ・グラフィック・ギャラリーの7月恒例企画〈2010 ADC展〉の季節となりました。今年も、2009年5月から2010年4月までの1年間に発表されたポスター、新聞・雑誌広告、エディトリアルデザイン、パッケージ、CI・マーク&ロゴ、ディスプレイ、テレビコマーシャルなど多様なジャンルからの約10,000点の応募作品の中から、77名のADC会員によって厳正な審査が行なわれ、グラフィック、広告作品の最高峰ともいえるADC賞が選ばれました。

ADC(正式名称:東京アートディレクターズクラブ)は、1952年の創立以来、日本の広告・デザインを牽引する活動を続けており、ADC賞は、その年の日本の広告・デザイン界の最も名誉あるものの一つとして注目を集めるものです。

本展は、この審査会で選出された受賞作品、優秀作品を、11月末の『ADC年鑑』(美術出版社刊)刊行に先駆け、ギンザ・グラフィック・ギャラリー[会員作品]、クリエイションギャラリーG8[一般作品]の2つの会場でご紹介いたします。
(ギンザ・グラフィック・ギャラリーのサイトより)

会期:7月5日(月)〜7月30日(金)11:00〜19:00 日祝休
会場:クリエイションギャラリーG8(東京都中央区銀座8-4-17 リクルートGINZA8ビル1F TEL.03-3575-6918)

会期:7月5日(月)〜7月29日(木)11:00〜19:00 土18:00 日祝休
会場:ギンザ・グラフィック・ギャラリー(東京都中央区銀座7-7-2 DNP銀座ビル TEL.03-3571-5206)

大阪巡回[会員・一般作品]
会期:9月14日(火)〜10月30日(土)11:00〜19:00 土18:00 日月祝休
会場:dddギャラリー(大阪市西区南堀江1-17-28 なんばSSビル1F TEL.06-6110-4635)

◇トークショー
受賞者とその制作スタッフを招いて、制作にまつわるエピソード等を聞く。
・一般部門=旭化成「企業広告」制作スタッフ
日時:7月21日(水)19:10〜20:40
出演:中嶋貴久、平山浩司、磯島拓矢、石毛浩介、藤井保
会場/クリエイションギャラリーG8 入場無料 要予約(TEL.03-3575-6918)
・会員部門=「図録 葛西薫1968」
日時:7月28日(水)19:10〜20:40
出演:葛西薫とその仲間たち(葛西薫さんを中心に、図録制作に関わった出版社、プロデューサーなどのスタッフを予定しています)
会場:クリエイションギャラリーG8 入場無料 要予約(TEL.03-3575-6918)

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■展覧会案内
デザインの港2。浅葉克己展。
東洋的核なもの 西洋的核なもの 宇宙的核なもの
< http://www.kanakengallery.com/asabakatsumi2/
>
< https://bn.dgcr.com/archives/20100708140100.html
>
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会期:7月7日(水)〜7月22日(木)10:00〜18:00 土19時 最終日16時
会場:神奈川県民ホールギャラリー(横浜市中区山下町3-1 TEL.045-662-5901)
入場料:一般500円、学生・65歳以上400円

内容:昨年に引き続き、第2弾となる「デザインの港」は、東洋、西洋そして洋の東西を越えた宇宙的な規模という3つのテーマから構成されます。東洋的核「書」、西洋的核は「デザイン」が特に重要な要素と浅葉は考えます。そこで本展では、中国・西安の「大雁塔」にある「雁塔聖教序」の臨書、書家紫舟によるNHK大河ドラマ「龍馬伝」題字の原書(展示は7月20日まで)、甲骨文字をモチーフした作品、土橋靖子のかな文字、そしてデザインの殿堂ドイツ・バウハウスに題材を得たポスターなどが出品されます。

さらに、地球的視点に拡大したコーナーでは惑星科学者の松井孝典氏がこれまで研究を重ねた固体地球学、惑星物理学を糸口に、地球の成り立ちに関わり太古の神秘を想起させる隕石などをモチーフにしたポスター等をご紹介します。
(サイトより)

◇ギャラリー・トークショウ「書家・紫舟と龍馬伝。」
日時:7月10日(土)15:00〜
ゲスト:紫舟(書家)
NHK大河ドラマ「龍馬伝」の題字やTVCM出演で今話題の書家紫舟を迎えてのトークショウ。世界に通用する"アート"としての書を目指す彼女が語る「龍馬伝」とは?
参加無料 ただし展覧会の入場券が必要

◇ギャラリー・トークショウ「一本の線から宇宙へ飛ぶ。」
日時:7月18日(日)15:00〜
ゲスト:松井孝典(惑星科学者)
地球の生成や宇宙のシステムを探る松井氏。世界各地の調査と研究を糸口に、浅葉克己と宇宙的核について語る。
参加無料 ただし展覧会の入場券が必要

◇東洋的核・宇宙的核 コンサート
日時:7月19日(月・祝)15:00〜
浅葉克己×一柳慧 演奏:真鍋尚之(笙)
参加無料 ただし展覧会の入場券が必要

◇「浅葉克己の筆を持つ会」講演とワークショップ
世界中の文字を研究し続ける浅葉克己と一緒に"半紙に筆をすべらせる感触"を体感しませんか?
日時:7月11日(日)15:00〜17:00
会場:神奈川県民ホール6階大会議室
料金:一般1,000円、学生500円 詳細はサイト参照

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■編集後記(7/8)

・「真摯にうけとめる」とか「遺憾の意」とか、けっきょく何も言っていないのと同じような言葉は、ある場面では言ってはならぬという習慣ができるとよい思う。こういう包括的に曖昧な言葉は、相手があるときは使用しないほうがいい。と、かつて書いたことがある。だが、相変わらず頻繁に使われているいやな言葉だ。「遺憾」とは、思い通りでなく残念なこと、残り惜しく思うこと(岩波国語辞典)である。これだけである。だが、「遺憾の意を表する」となると、三省堂国語辞典には、(自分のしたことに対して)釈明する、(相手・第三者のしたことに対して)軽い非難の気持ちをのべる、とある。感覚的にはよくわかる。でもその程度だろう。強い意味の謝罪や非難の言葉ではないはずだ。ところが、自分が謝罪すべき場面で「遺憾だ」などと他人事を装って言う、輩がいる(国がある)。じつに腹立たしい。一方で、今年5月、仲井真沖縄県知事は、鳩山首相と会談した際に「名護市辺野古沿岸に移設するという趣旨については大変遺憾だ」と発言した。裏切りに対して強烈な憤慨を表すべきときに、殆ど空気のような軽い言葉を使った。これでは非難の気持ち通じない。やっぱり公式の場で遺憾は使ってはイカン。昨日の「ナニコレ珍100景」で、老人の「孫にランドセルを買ってやった」という発言が字幕では「買ってあげた」となっていた。問題な日本語だ。NHKでは口蹄疫を「口てい疫」と書く。口蹄疫が一日も早く終息して、この違和感ある表記も消えることを祈る。(柴田)

・2882号 グリーンランド航空の飛行機はなぜ赤い? 津田淳子
バージョンアップ版を姉妹メルマガ「写真を楽しむ生活」に掲載しました
< http://photo.dgcr.com/
>

・確かに視野は狭くなっているような気がする。業務用だと特に。/ヤマシタさんの怖いよ〜。いったんほっとしたのに〜。/ある企業の工場に行ってきた。営業所は別にある。入り口は商品が積み上がっていて、フォークリフトで移動中。その操作をしている年配の男性が、挨拶とともに用件を聞いてくださって、受付を済ます。その親切さ、笑顔、爽やかさがとても印象的。この男性だけかと思ったら、すれ違う人が皆、大きな声で挨拶をしてくださる。エレベーターの中には5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)と社是。事務所の人たちも丁寧で親切。とても気持ちがいい。同じ仕事ならこういうところに頼むよね。生き残る会社ってこういうところだと思う。/うちのマンションではほとんどの人が挨拶をする。しない人の気持ちもわからないでもない。挨拶をしても返さない人の気持ちはわからないけれど、返されなくても気にしない自分がいる。学生さんらは自分からはなかなか挨拶をしないが、されたら大きな声で堂々と大人より良い挨拶をする。明らかに挨拶慣れしてる。挨拶の声が小さい自分としては、見習って大きな声を出せるようになりたい。自分が歳とって「おばちゃん化」して良かったなぁと思う原因のひとつが、エレベーターで同乗した人に躊躇なく話しかけられるようになったこと。昨日乗って来た若い男性には、パジャマ姿の幼稚園ぐらいの女の子と、もう少し小さな男の子の「パパ、いってらっしゃい」。聞くと、起きている時はいつでもエレベーターまで送ってくれるのだそう。最高! 「今だけだと思うんですけどね」と、照れながら話してくれたよ。(hammer.mule)