[3076] 満島ひかりが叫ぶとき

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《ワタクシの愉しみかたは主に「空気と匂い」》

■映画と夜と音楽と...[507]
 満島ひかりが叫ぶとき
 十河 進

■アナログステージ[番外編]
 日に千両が舞い落ちる世界に魅了され──其の壱
 べちおサマンサ



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■映画と夜と音楽と...[507]
満島ひかりが叫ぶとき

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20110701140200.html
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〈愛のむきだし/クヒオ大佐/川の底からこんにちは/悪人〉

●馬乗りになり聖書の言葉を叫ぶ満島ひかり

最近、お気に入りの女優は? と訊かれたら、即座に「満島ひかり」と答える。初めて見たのは「愛のむきだし」(2008年)だった。満島ひかりという女優が僕の記憶にしっかり刻み込まれた作品だ。その後、テレビドラマで女テロリストを演じているのをたまたま見かけたとき、「やっぱり実力のある、売れてくる女優さんだったな」と思った。

そのテレビドラマで、アップになった満島ひかりの目の光が印象に残った。どんなショットでも目が強く輝いている。「女テロリスト? なるほどね」と、僕はつぶやいた。ピッタリだった。しかし、道を歩いていれば僕も振り返るだろうが、それほどの美貌ではない(ゴメンなさい)。むしろ、むちゃくちゃな(というか、がむしゃらな)表情をしたときに魅力を発揮するタイプだ。

「愛のむきだし」でも最も印象的なのは、主人公に馬乗りになり、聖書の言葉(だったと思う)を叫ぶように唱えるシーンだった。記憶がはっきりしないのだが、そのとき、胸がはだけて白い乳房が見えていたように思う(そちらに気がいかないほど、表情の方が印象的だった)。カルト教団に洗脳され、ロボットのようになっていた彼女が、次第に自分の感情を取り戻していく重要な場面だった。

「愛のむきだし」は4時間近くある大作で、そのくせ不安定なキャメラワークが続く不思議な作品だった。ほとんど手持ちカメラで撮っている。それが狙いなのはわかったが、カメラがリズミカルに揺れるカットもあるし、カット割りも目まぐるしく、馴れていない人には辛いかもしれない。自主映画みたいだなと思ったが、園子温監督は自主映画界で有名な人だった。

しかし、4時間近くを飽きさせず、画面に引き込む力のある作品だった。好きか嫌いかと問われれば、僕は「嫌いな方の映画ですね」と答えるが、その作品の持つパワーの凄さは認める。映画を見て数年経った今も、いろんなシーンを憶えているし、フッと映像が浮かぶこともある。その映像の中には必ず満島ひかりがいて、叫んでいる。彼女なしでは成立しなかった映画なのだとわかる。

なぜ僕が「嫌いな方の映画」と答えるかと言えば、人間の欲望について容赦なく露骨に描いているからだ。それも主として性欲である。主人公は狂信的な神父の父親に育てられる。父親に懺悔をさせられるうち、懺悔のために罪をあえて犯すようになり、次第に変態的な嗜好に走る。やがて盗撮の名人になる。盗撮ビデオを出したり、講演をしたり、変態ショーに出演したりする。

ある日、仲間たちとの悪ふざけで女装(梶芽衣子の「さそり」の扮装)をして町に出たとき、男たちにからまれていたひとりの少女(満島ひかり)を救う。その少女は女装した主人公に憧れてしまうのだが、主人公は男としてその少女を好きになる。そこに、カルト教団が関わってきて、血まみれの破局に向かって物語は突き進む。「嫌いだが、凄い映画」という他ない。

昨年、園子温監督は「冷たい熱帯魚」(2010年)を制作し評価も高いのだが、数年前に現実にあった愛犬家殺人事件をベースにした作品らしいので、僕は敬遠した。「愛のむきだし」のトーンで実際の連続殺人事件を描かれたら、僕はスクリーンを見ていられないかもしれない。「でんでん」が殺人犯を演じて評判なので、少し残念ではあるけれど...。

ちなみに、園子温監督は日活映画あるいは梶芽衣子にオマージュを捧げているのだろう、主人公の女装に「さそり」スタイル(その源は「野良猫ロック・セックスハンター」のマコの扮装だ)を採用している。さらに、劇中に出てきた野良猫の墓の卒塔婆には、「野良猫ロックの墓」と書かれてあった。

●だまされて「なぜ、わたしなんだよー」と叫ぶ満島ひかり

NHKの大河ドラマ「篤姫」に僕は久しぶりにはまり珍しく一年間欠かさず見たが、その篤姫の夫の将軍役で一般的に人気が出た堺雅人は、その後、何本も主演映画が続いている。実在の結婚詐欺師をモデルにしたという「クヒオ大佐」(2009年)も、その中の一本だ。

日系アメリカ人で軍のジェット・パイロットだと偽り、何人もの女性をだまして金を巻き上げた結婚詐欺師を、いつも笑っているような顔の堺雅人が妙な日本語で演じている。彼の出自は父がハワイのカメハメハ大王の末裔、母がエリザベス女王の妹の夫の従姉妹だという。聞くだけで怪しいものだが、実際にそれで何人もだまされたらしいから世の中はわからない。

そのクヒオ大佐に金を貢いでいるのが、男性経験がほとんどなかった弁当屋の女社長(松雪泰子)である。だが、ある日、クヒオ大佐は松雪泰子と密会していた箱根の宿を出て散歩しているとき、自然教室に子供たちを引率してきていた若い女(満島ひかり)を見かけ、彼女もターゲットにする。彼女は近くの自然博物館(野鳥や昆虫を展示している)の学芸員である。

満島ひかりが演じている学芸員は冷めかけている同僚の恋人がいて、大酒飲みで仕事にも人生にも飽いているいるような感じだ。投げやり、というのとは違うが、仕事にも生きることにも、恋愛にも身が入っていない。「どうでもいいや」という雰囲気を醸し出している。大酒を呑んで記憶をなくし、女性の同僚に電話したことさえ憶えていない。

ある日、彼女は同僚が博物館の個室で、恋人と抱き合っている場面に遭遇する。友人である同僚は「もう別れたって聞いたから...」と居直ったように言う。そのときの同僚のふてぶてしさがいい。「元々、彼を好きだったのよ。あんたが横取りした」とも言う。現場を見られた開き直りが、彼女を強く図太くしているのだ。

満島ひかりが演じるキャラクターの面白さは、こういう場面に出会っても淡々としているところである。元々、冷めかけていた相手かもしれないが、恋人が友人と寝ていたのである。ショックは受けるし、ふたりの裏切りに取り乱すのが普通だ。しかし、彼女は「こんなことも人生には起こるさ」といった感じで受け流してしまう。

おまけに友人の開き直った言葉には、申し訳なさを顕わにした表情をする。そのくせ、ひとりになると「どうして自分が申し訳なく思わなきゃならないのだ」と怒りたくなる。それは、自分自身への怒りだ。自分の性格に対するものであり、他者に強く出られない己のふがいなさ、あるいはそう感じてしまうことへの不満である。だが、同じことが起これば、また同じ反応をするだろう。

そんな満島ひかりに、クヒオ大佐は魔の手を伸ばす。「魔の手」ということでもないのだが、着々と結婚詐欺師としての仕掛けを張り続ける。しかし、満島ひかりはなかなか落ちない。クヒオは彼女の他にも銀座の高級クラブのホステスにも狙いを付けて近付いているので、こちらのエピソードも進行する。しかし、僕は満島ひかりのキャラクターがどうなるのかが最も気になった。

●「みんな中の下の人生じゃないか」と叫ぶ満島ひかり

──わたしなんて、所詮は中の下の女ですから...

何かというとそうつぶやくキャラクターとして登場する「川の底からこんにちは」(2009年)の佐和子は、満島ひかり的キャラクターを突き詰めた結果なのかもしれない。上京して5年目、5つ目の仕事、5人目の恋人...と、冒頭で立て続けに描写されるのは、ヒロインがいかに普通のOLであり、しがない存在であるかということだ。

高卒で上京してきたらしい佐和子は、自分が「特別の存在」などではなく、どこにでもいる「普通の人々」のひとりであることを、骨身に染みて知らされている。自虐的なまでに「わたしなんか、男に棄てられてばかりですから...」と同僚のOLに言い、現在のバツイチ子持ちの恋人を「そんなのやめちゃいな」と言われると、「わたしだって大した女じゃないから、ちょうどいいんです」とまで言い切る。

こういうキャラクターを演じると、満島ひかりは輝く。彼女がいつ開き直るか、あのがむしゃらな(女優的には崩れた、あまり見せたくない)表情をいつ見せてくれるのか、という期待が膨らむ。

女優には守るべきイメージがあり、多くの場合、所属事務所やマネージャーから「うちの○○にそんなことはさせられませんね」とストップがかかるが、満島ひかりに関してはそんな制約がまったくないのではないか。えー、そんなことまで...と思うことが多い。

もちろん露出度や濡れ場については制約があるのだろうが(「愛のむきだし」では露出していたが、その後はほとんどない)、満島ひかりの場合は崩れた顔になる表情も平気で撮らせている。美貌で売っている女優だと、撮影する角度やライティングにもうるさい。満島かおりは美貌で売っている意識がないのかもしれない。月並みな言葉だけど、体当たりの演技という形容が的を射ている。

「川の底からこんにちは」は、ヒロインが5年前に飛び出した故郷に帰るところから話が動き出す。父親が重い病気で入院し、家業のしじみを扱う水産会社の仕事を継ぐために帰郷するのだ。水産会社と言っても、しじみ漁師の奥さんたちが10人ほど働いているだけの零細企業だ。彼女たちの夫は、毎日、川の底をさらってしじみを掬い、それを水産会社に納めている。

しかし、実家を継ぐのに積極的になったのは、会社をクビになった佐和子の恋人の方である。子供を大自然の中で育てたいという理由をこじつけて、ダメ男は佐和子の故郷についてくる。駅に出迎えた叔父(岩松了)に「あの子は誰の子だ?」と訊かれ、説明しようとした佐和子だったが、「説明が面倒だわ。私の子でいいわ」と言う。まさに満島ひかり的キャラクターの面目躍如である。

しかし、彼女の苦難はここから始まる。工場で働いていた高校の同級生が、「佐和子、駆け落ちした相手とはどうなったの?」と口を滑らせたようにみんなの前で言い、ダメ男の恋人までが「それ、どういうこと?」と気にし始める。「父親を棄てて駆け落ちした女」と、工場で働くおばさんたちからは総スカンを喰らう。

不景気で、しじみの出荷も激減している。「このままいくと、数ヶ月後には...」と、事務や経理を担当している番頭格の古参社員に言われる。狭い町だから、佐和子が帰ってきた噂は町中に広がる。そんなとき、恋人のダメ男が佐和子の同級生だった女性社員に誘惑され、子供を佐和子の実家に置いたまま、女と一緒に東京に戻ってしまう。

そんな状況の中、「所詮、わたしは中の下の女だから...」と佐和子は言うだけだ。しかし、そんな態度がいじましく見えないし、うじうじしているようにも思えない。じれったくもない。どことなくさっぱりした、ハードボイルドな雰囲気さえ漂うのは、やはり満島ひかりが演じているからだ。容貌、表情、立ち姿、動き、仕草、口調、そんなすべてのことから形作られる何かが僕を惹きつける。

●叫ぶ満島ひかりからあふれ出す深い深い悲しみ

会社はつぶれかけている。父親は死にかけている。周りの人間には非難されている。男には棄てられる。そんな状態なのに「中の下の女だから...」と言っているだけでいいのか、佐和子! と思わず激励したくなる展開である。そして、観客にそう思わせたのは、監督の勝利だ。物語は、ここから転調する。反撃に出る。

その反撃が始まったとき、僕は思わず拍手しそうになった。これが満島ひかりだという、まさに待ってました的展開である。彼女はダメ男の元恋人が残した少女の親になることを決意し、保育園に入れて毎日送り迎えをする。会社の朝礼で「わたしは中の下、あなたたちだって同じ」と開き直って叫び、おばさんたちの支持を得る。

これだよ、と僕は思った。この叫ぶシーンを見るために、僕は「川の底からこんにちは」を見続けたのだ。「愛のむきだし」で主人公を押し倒し馬乗りになって叫ぶ満島ひかり、「クヒオ大佐」の「なぜ、わたしなんだよ」と男言葉で叫ぶ満島ひかり。それを上まわる絶叫シーンである。荒っぽい男言葉が少年のような彼女には、よく似合う。

しかし、女っぽい役ができないわけではない。吉田修一のベストセラーを映画化した「悪人」(2010年)では、現代的な若い女性を演じた。保険の勧誘員をしながら出会い系サイトで知り合った男とセックスし、金を払わせるような女だ。金持ちに憧れ、鬱陶しがられながらボンボンの大学生にまとわりつく。原作を読んだとき、何てイヤな女なんだと思った。僕は彼女が殺されても同情しなかった。

満島ひかりが「悪人」で演じたのは、解体業の男(妻夫木聡)に殺される女である。僕は「悪人」を読んだとき、評判ほどには感心しなかったが、映画版には深い感銘を受けた。「悪人」とはこういう作品だったのか、と初めてのように感動した。そして、満島ひかりが演じた「殺されるイヤな女」は、まったく違ったイメージで立ち上がってきたのである。

満島ひかりが演じた被害者の女性から、深い悲しみが伝わってきたのだ。彼女は同僚たちと飲食し、同僚に見栄を張って金持ちの大学生と付き合っていると嘘をつく。その夜、彼女が約束していたのは出会い系サイトで知り合い、金を払わせてセックスしている解体業の男だったが、彼の待つ車の前で偶然に金持ちの大学生に会い、大喜びでその男の車に乗る。

彼女は、はしゃぐ。だが、山中で車を止めた大学生は彼女の息がニンニク臭いと非難し、聞くに堪えないひどい言葉で彼女を侮辱する。「降りろ。降りないと蹴り出すぞ」とまで言われる。大学生は誰もいない山中の道ばたに彼女を蹴り出し、置き去りにする。そのときの彼女の気持ちを想像すると、道ばたにうずくまって起きあがれないのもわかる。立ち直れないほどの傷を負わされたのだ。

そこへ自分が寝てやった肉体労働の男がやってくる。尾けていたのだ、すべて見られた、と彼女は唖然とする。自分が見下していた男に、最も見られたくないことを見られた屈辱。その怒りが男に向かう。「車に乗れ。送ってやる」という男に、「何でアンタがここにいるのよ。罰が当たったって思っているんでしょ...、あんたに拉致された。レイプされたと訴えてやる。誰もアンタの言うことなんか信用しないわ」と、腹いせのように彼女は言い募る。叫ぶ。

叫ぶ満島ひかりから、深い悲しみが伝わってきた。胸に迫った。心に響いた。原作を読んだとき、なんて身勝手で薄っぺらな女なんだ、と思った僕は一面的な見方しかしていなかったのだ。その人物を読み込み、血肉を与え、心情を理解し、満島ひかりは現代の典型的な若い女を創り上げた。やはり、演技力のある人が演じると、キャラクターに深みが出るのだなあと、しみじみ僕は感心した。

満島ひかりが叫び出すと、深い悲しみがスクリーンを覆い、あふれだし、観客の胸を締め付ける。僕にとって、それはひとつの定理になった。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
>

こんなことを書いた翌日、テレビCMに満島ひかりが出ていた。お笑い芸人と絡んでいた。同じシリーズCMで芸人が絡むのが「ゲゲゲ」で有名になった松下奈緒だったから、そういうランクの女優になったのだろうか。と思ったら、7月から連続ドラマのヒロインをやるらしい。相手役は瑛太だという。うーん、テレビドラマに出て、一般的な人気に左右されるような女優じゃないんだけどなあ。

●306回?446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が発売になりました。
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●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
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■アナログステージ[番外編]
日に千両が舞い落ちる世界に魅了され──其の壱

べちおサマンサ
< https://bn.dgcr.com/archives/20110701140100.html
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──吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長いが、お歯ぐろ溝に灯火を映している三階の騒ぎなどは手に取るように近く感じられる。明け暮れなどお構いなしの車の行き来はこの町の果てしない全盛を表しており、大音寺前という仏くさい名前とは裏腹に陽気な町だよ、とは住む人の言である。(たけくらべ:樋口一葉)──

●はじめに

東京の下町に魅了されてから早数年が経ち、時間が空いたとき、愛機(NikonD90)を首からぶら下げ、当時(大正〜昭和初期)の面影が残る地域へと足を運び、文化や建築物、歴史を辿りながら余暇を愉しませております。

下町の文化や建築物、歴史に興味を持たれているかたは、たくさんいらっしゃいますが、皆それぞれ、違った下町の愉しみ方をされていることが、個人BLOGなどから窺うことができます。ワタクシの愉しみかたは主に、「空気と匂い」。その地域により、四季折々の表情があることは、誰もが知っているところです。

ワタクシなんかよりも、下町の歴史に精通されているかたは、たくさんいらっしゃいますし、生粋の東京下町生まれなクリエイターさん達とも親しくさせていただいているので、こうしてコラムとして綴るのは、気後れして恥ずかしいところがあるのですが、このコラムを機に、東京下町に興味を抱いてくれる読者さんが増えると嬉しいなぁ......。

ワタクシが連載させていただいている本編とは別に、不定期掲載ながらも、東京下町の文化に触れながら、番外編コラムの本筋である、「吉原遊郭」という、江戸時代から昭和初期まで実在した、浮き世の世界を綴っていきます。

吉原遊郭の歴史は、現在の東京・日本橋-人形町あたる場所から始まり、明暦3年(1657年)に発生し、江戸の半分が燃え上がったと云われる(明暦の大火)までを「元吉原」と呼び、その後、浅草の裏手(現在の日本堤)に移転し、昭和32年(1957年)まで続いたのを「新吉原」と呼びます。ここでは、扱う内容から、「新吉原」のことを吉原と書かせていただきます。

ただ漠然と、遊郭の歴史だけを綴っても面白みがないので、ワタクシの視点で吉原遊郭という世界を表現していくのと同時に、当時の文化と、今に続く催事や下町の日常にも着目しながら、ゆっくりと綴っていければ幸いです。本編共々、宜しくお願いいたします。

●東京下町散策から「粋と張り」の花魁に魅せられるまで

2009年の春、まずは、都電荒川線沿いから散策してみよう! と、早稲田駅近くのコインパーキングに車を停め、一日乗車券を購入すると、ワタクシの記念すべき、第一回目の東京下町散策がスタートした。なぜ都電荒川線沿いから始めたかと謂うと、Googleで検索したら、荒川線沿いが面白そう! と、至って単純な理由だったり。本来なら、両国や向島、上野、浅草などの地域から散策するようですが......。

・沿線は観光ポイント、都電荒川線【東京のいいところ】:東京人の東京観光
< http://tokyoite.biz/favorite/toden_arakawasen/index.shtml
>

荒川線に揺られた散策は、古くも新しい発見や、子どものころに嗅いだことがある「空気の匂い」が流れており、途中、不審者で通報されないかと心配しながらも、家と家の間にある小道を歩いてみたり、植込みの下のほうにポッカリと開いている穴を覗いてみたりと、童心に戻って満喫。

途中から雨足が強くなってきたので、荒川線のちょうど真ん中くらいに位置している、荒川車庫前駅で一旦下車し、早稲田方面へ向かう電車が来るまで、駅に隣接(駅の敷地そのものですけど)している、都電おもいで広場で、昭和初期に活躍していた車両を眺めつつ、早稲田へと戻った。

早稲田に戻り着いた頃には、雨もパラパラと小雨に。なんだ、そのまま三ノ輪まで電車に揺られながら愉しめばよかった......、と後悔しても仕方がないので、検索してチェックしていた、天丼が美味しいという有名な老舗で夕食を済まそうと、車で三ノ輪方面へ移動。

三ノ輪近くに到着し、コインパーキングを探すも、どこも満車。駐車場の回転が良い観光地ならともかく、いつ空くか分からないコインパーキングを路上待ちしていても仕方ないので、先の天丼が美味しいお店近くまで行く。

幸い、お店のちょっと先にあったコインパーキングが空いていたので、なにも考えずに駐車。このコインパーキングに停めたことが、ワタクシと吉原遊郭の出会いになり、その世界観に魅了される入口になるとは、予想もしてなかった。

時間も18時ころと、普段より早めではあるが、先に腹ごしらえをしてしまおうと、目的の天麩羅屋さんへ向かうと、すごい行列ができている。いまさっき通ったときに、なにやら人の行列ができていたのは、チラっと見えて知っていたが、まさか、いまから食べようとしている天丼で、こんなにも行列ができているとは予想外。

どんなに軽く見積もっても、一時間以上は待ちそうだったので、車を停めたついでに、近辺を散策してみることに。

・土手の伊勢屋:食べログ
< http://r.tabelog.com/tokyo/A1324/A132401/13003745/
>

──コラム本編後記でも書いたのですが、今年の5月に、突然、天丼が食べたくなったので、土手の伊勢屋さんへカミさんと二人で足を運びました。小雨は降っていたものの、運良く5人待ちだったので、2年越しで、土手の伊勢屋さんの天丼にありつけることができました。丼からはみ出る穴子の天麩羅に、海老、イカなど、たくさんの天麩羅が、見た目とは裏腹のタレがたっぷり染み込んでいて、とても美味しかったです。「天丼は関東で喰うべし! 下町で喰うならなお美味し!」──

●衣紋坂から吉原大門

子どものころ、大人の会話の中から「吉原」という地名を聞いてはいたが、実際に「吉原」というところに行ったこともなく、物心がついた頃になると、いろいろな話から、「吉原=ソープランド」というイメージが定着。単純に吉原はエロ繁華街という、誤解した情報だけが頭にあった。

土手の伊勢屋さんからすぐ近くにある、「吉原大門(よしわらおおもん)」と記された信号を渡り、S字カーブになった道路を歩いていくと、一見、マンションが立ち並ぶ住宅地といった景観だが、視線を道路から少し上にあげると、特浴(所謂、ソープランド)の看板がたくさん目に付く。

これ以上フラフラと先に歩いて、羽を掴まれた蝶々になっても仕方がないので、その日は大人しく帰宅することに。ピンクや赤色の看板から後ろを振り向き、ふと電柱に目をやると、そこには「吉原」という地名ではなく、「千束」と記された地名表示が目に入った。

不思議に思いながら、車のナビで近くの住所を見てみると、この辺一帯は、千束か日本堤という住所が表示されており、「吉原」という地名はどこにも表示されていない。

自宅に着いてから調べて始めて知った「吉原」のこと。その日に歩いたS字カーブになった道は、「衣紋坂(えもんざか)」と呼ばれていた通りで、遊郭に遊びにきたお客が、衣紋を繕う通りとして呼ばれていたことを知ると、江戸の庶民文化とはかけ離れた郭(くるわ)の存在を知る。

ワタクシの中で、ただの「風俗街としての吉原」が、突如、「粋な生きかたが密集していた場所が吉原」に一変し、その歴史を紐解きたくなり、吉原遊郭や、そこで生きる花魁(遊女)の生き様に魅了されるきっかけとなった。

その日から2年後の、2011年5月。改めて足を運んだ吉原は、なんの知識もなかったあの日とは違い、優美で妖艶だったであろうその世界に、さらに引き込まれることとなったのです。

・新吉原大門─台東区 今昔物語:イーナビライフ・ドットコム
< http://www.e-navilife.com/taito/story/06/10/index.html
>

大門は、お歯黒溝(おはぐろどぶ)という濠で囲まれた吉原遊郭の、唯一の出入り口で、遊女の逃亡防止と、治安目的から一箇所にされていたと謂われております。大門の他に、お歯黒溝に非常用の跳ね橋があったようですが、普段は架けられていることはなく、酉の市などの縁日などが催されるときだけ、橋が架けられ、普段は吉原に用や目的がない人(女性や子ども)も自由に出入りができたようです。

1881年(明治14年)に鉄製の門になり、アーチはなくなったようですが、その後、映画「吉原炎上」で何度か見れるような、アーチの中央に、弁天像(乙姫さま?)が飾られている大門の姿になったようです。しかし、明治44年(1911年)の大火で、ほぼ焼失したようで、関東大震災が起きたとき、残念ながら吉原と共に撤去されたようです。

しかし、下記動画の中で、吉原最後の芸者と呼ばれている、みな子姐さんが「(門は)戦争で持っていかれた」と仰っているので、実際は、昭和に入ってからも大門は存在していたのだろう。動画を追っていくうちに知ったのですが、残念なことに、みな子姐さんは、昨年の5月に永眠されたようです。日本の文化の灯りが、またひとつ消えてしまったようで、淋しくもある。心からご冥福をお祈りいたします。

・今も現役 最後の「吉原芸者」 その生き様と在りし日の遊郭
< http://video.google.com/videoplay?docid=4496365666294561142
>

●あとがき

今回は、きっかけから吉原大門について綴りました。次回は、花魁に纏わる内容を考えておりますが、もしかしたら、遊郭とその文化背景を綴るかもしれません。順番的にいくと、先に花魁の話から進めると、遊郭の文化が面白くなるし、遊郭の文化を知ることは、花魁の魅力を知ることになるので、書く順番に悩んだりしてます。

とにかく、吉原遊郭から派生するキーワードアイテムが多いことと、ひとつひとつが、とにかく濃い内容なので、各々をバラバラに綴り、パズルのピースを合わるような、そんなコラムでも面白いかもしれませんね。

【べちおサマンサ】pipelinehot@yokohama.email.ne.jp
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○このコラムの趣旨:中学生のころから、江戸時代の文化には興味は持っていた/吉原遊郭といっても、エロ要素はなし。エロ産業としての文化に魅了されたのではなく、「粋と張り」を信条にし、当時のファンションリーダー的な存在でもあった花魁(遊女たち)の生き様に魅了された/オイラは歴史に強いわけでもないので、識者のかたが読んだら、オマエは何も分かってない!って怒られそうですけど、「ふーん、こんな見方もあるんだ」くらいでお願いします。

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■編集後記(7/1)

・小澤裕美「爆笑! エリート中国人」を読む(幻冬舍新書、2010)。筆者は中国の金融情報サービスや日中間のビジネスコンサルティングなどを行う会社の社長で、夫は中国人だ。30年前に中国に留学した経験があり、自らを「かつては証券会社を渡り歩くバリバリのキャリアウーマンだった」というような人だから、ちょっと日本人の感覚とは違うとは思ったが、やはり違う。筆者は心の底から中国人好きで、「聡明で強くて楽しい中国人をもっと好きになって」と言うためにこの本を書いたようだ。エリートだけでなく、普通の中国人のとんでもない行状も隠さず書かれているから、ますますこんな人たちとは関わりたくないと思わされるのだが、それでも「相手は中国人。しかたがない。大目にみてやろう」と思えば彼らの横暴さも気にならなくなり、「中国人って、おもしろい」と思えるようになればしめたもの、と筆者は「発想の転換」をすすめる。ンなばかな、だったら中国人にも発想の転換をすすめろよ、と言いたい。「少しでも中国の人と日本の人が理解しあい、人材交流や技術交流、経済交流などがすべてうまくいくことを願ってやみません」とまとめているが、結局この本は筆者の会社のPRのために書かれたものではないのか。あるいは、中国に警戒心を持つ日本人対策の、その筋の本。全然「爆笑!」できない。(柴田)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4344981847/dgcrcom-22/
>
→アマゾンで見る(レビュー9件)

・国内のスマホシェア一位がAndroidに。/テレビで見たガガのライブでは、スマホで動画や画像を撮影している人たちが大勢いた。そしてそれが様々な投稿サイトに掲載され、参加していない人たちにまで知れ渡る。ガガのサイトに、日本での番組出演の報告があって、そこには誰かが勝手にYouTubeにあげた番組動画をも貼っていた。これってテレビ局側は削除申請するんだろうか。するなら、改めて公式動画をアップして欲しいなぁ。ガガキティはファンがあげたことになってる。作者なのに。コメント欄で指摘している人がいたわ。「Like」押しといたぜ。ウエンツが密かに人気?(hammer.mule)
< http://gagadaily.com/2011/06/lady-gaga-visits-japanese-talk-show-sukkiri/
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ガガキティと番組
< http://topsy.com/blog.dgcr.com/archives/20110629140200.html
>
まつむらさんの「サンダーバードのデザイン」がRTされつつある
< http://www.gizmodo.jp/2011/06/post_8989.html
>
ネバダ州でロボットカーの行動走行が認定
< http://blog.livedoor.jp/booq/archives/1450409.html
>
探偵ナイトスクープがまたパクられそうに
< http://alfalfalfa.com/archives/3712249.html
>
会社のホームページのソースコードが恐いと話題に
< http://www.oricon.co.jp/news/movie/89391/full/
>
次の仮面ライダー。昭和の香りが......