[3095] 「映画は世界を変える」とワイラーは言った

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■映画と夜と音楽と...[511]
 「映画は世界を変える」とワイラーは言った
 十河 進

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■映画と夜と音楽と...[511]
「映画は世界を変える」とワイラーは言った

十河 進
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〈黄昏/L・B・ジョーンズの解放〉

●「ローマの休日」で赤狩りを批判したウィリアム・ワイラー

7月の午前中、WOWOWがウィリアム・ワイラー特集を組んでくれた。「ファニー・ガール」(1968年)「探偵物語」(1951年)「黄昏」(1951年)「L・B・ジョーンズの解放」(1969年)「必死の逃亡者」(1955年)の順で放映された。どういう基準でのセレクションなのか、どういう意味付けでの放映順なのかはわからないが、そのプログラムを見ただけでワイラー作品の幅の広さがわかる。

「ファニー・ガール」はバーブラ・ストレイザンド主演のバックステージもののミュージカルであり、「探偵物語」は舞台劇を映画化したシリアスな人間ドラマである。「黄昏」は年齢差のある男女が不倫関係になるメロドラマ、「L・B・ジョーンズの解放」は人種差別を告発する社会派ドラマだった。「必死の逃亡者」は、脱獄囚3人が幸せな一家を人質にして立てこもるサスペンスドラマで、晩年のハンフリー・ボガートが凶悪犯を演じた。

WOWOWのワイラー特集の少し前、NHK-BSの特番で「ローマの休日」(1953年)が取り上げられた。例によって赤狩りとの関係を取材し、分析したものだ。「レッドパージ・ハリウッド」(作品社刊)をまとめた上島春彦さんが出ていたので、僕もその番組を見た。赤狩りでハリウッドを追放された脚本家ドルトン・トランボ(知人名で「ローマの休日」を書いた)については特に目新しい情報はなかったが、ワイラーについては知らなかったことが多く興味深く見た。

NHK-BSの特番ではトランボの娘とワイラーの娘が登場し、家族にしかわからないことを証言したのが印象に残った。なぜワイラーが「ローマの休日」をほとんどローマロケで撮影したのか、なぜ新人のオードリー・ヘップバーンを起用したのか、ワイラーは脚本を書いたのがトランボだと知っていたのか、などなど突っ込んだ情報や分析がいろいろあったし、少し緊張しているような上島さんの顔も見られたので、なかなか面白かった。

ウィリアム・ワイラーについて検索してみると、来年で生誕110年になるのがわかった。ハリウッド草創期に活躍したユニヴァーサル・スタジオの設立者であるカール・レムリの親戚だったそうで、その息子に呼ばれてハリウッドに渡り、小道具係やキャスティング担当、助監督を経て監督になったのが1925年だというから、日本では昭和が始まった年である。生年も監督になった年も、ほぼ小津安二郎監督に近い。

僕がワイラー作品を同時代で見たのは、「コレクター」(1965年)である。中学生の頃に毎月買っていた早川書房の「エラリィ・クィーンズ・ミステリマガジン」に大伴昌司さんの新作映画紹介欄があり、そこで「コレクター」が取り上げられていた。もっとも、ジョン・ファウルズ原作の問題作「コレクター」の映画化なのだが、今でも思い出す印象的なシーンはあるものの、15歳の少年には単なる変質者映画としか理解できなかった。

ワイラー監督は「コレクター」以後、遺作になった「L・B・ジョーンズの解放」までの間、2本しか作っていない。「おしゃれ泥棒」と「ファニー・ガール」だ。どちらも映画雑誌で特集される注目作だったが、僕は新人バーブラ・ストレイザンドの顔が気に入らなくて「ファニー・ガール」は敬遠した。それに、熱心なオードリーファンだったくせに、なぜか「おしゃれ泥棒」(1966年)も見ていない。相手役のピーター・オトゥールが神経質そうで気に入らなかったのかもしれない。

しかし、改めて数多いワイラーの作品群を眺めてみると、僕にとっては思い出深い作品が多い。「嵐が丘」(1939年)「我等の生涯の最良の年」(1946年)「ローマの休日」(1953年)「必死の逃亡者」「大いなる西部」(1958年)...厳選するとこの5本に絞られるが、さらに枠を広げると10本ほどがマイ・フェイバリット・ムービーに入る。もっとも、僕は戦前の作品はほとんど見ていないので、これからも素晴らしいワイラー作品に出会える可能性はある。

●ラストシーンで初老の男の哀感と矜持に涙する「黄昏」

WOWOWが放映してくれた5本のうち、僕が見ていなかったのは「黄昏」と「L・B・ジョーンズの解放」の2本だった。「黄昏」はローレンス・オリヴィエとジェニファー・ジョーンズの共演。モノクロームの映像が美しかった。ローレンス・オリヴィエとワイラーと言えば、「嵐が丘」がある。オリヴィエは「嵐が丘」出演のためにハリウッドに赴くのだが、そのとき愛人だった新人女優ヴィヴィアン・リーを同行した。

インド生まれのヴィヴィアン・リーは、ロンドンで名優ローレンス・オリヴィエと恋に墜ち、ハリウッドに同行し、ヒロインが決まらないままアトランタ炎上シーンを撮影していた「風と共に去りぬ」の現場を見にいき、炎に照らし出された彼女を見たプロデューサーのセルズニックが「ついにスカーレットを見付けた!」と叫んだというのは、ハリウッドにおける心温まる伝説のひとつである。

もっとも、アン・エドワーズが書いた「ヴィヴィアン・リー」(文春文庫)によると、事実はそうではなかったらしい。イギリスで出版されたばかりの「風と共に去りぬ」を読んで、スカーレット・オハラを演じることに執念を燃やしたヴィヴィアン・リーは、映画化権を持っていたセルズニックに熱心に売り込んでいたという。彼女はオリヴィエの相手役でスクリーンに出ていたから、セルズニックもヴィヴィアン・リーのことは知っていたに違いない。

「黄昏」は「嵐が丘」から12年後の作品だ。オリヴィエも若くはない。相手役のジェニファー・ジョーンズとは、かなりな年齢差がある。その若いジェニファー・ジョーンズを愛したが故に落ちぶれていくオリヴィエが哀しく、ラストシーンなど初老の男の哀感と矜持に共感し、思わず涙してしまうほどだった。「男のメロドラマ」と紹介されることもあるが、珍しい男の転落物語である。

シカゴの高級レストランの支配人だったオリヴィエは、女好きの店の客(エディ・アルバート)にだまされて同棲していたジェニファー・ジョーンズを愛してしまい、心ならずも店の金に手をつけて彼女と一緒にニューヨークに駆け落ちをする。保険会社の人間に捕まり、金を返すことで告訴は免れたものの無一文になり、貧乏アパートに暮らしながら日雇い仕事に就く。有名店の支配人として裕福に暮らしていた中年男のみじめさが、ひしひしと伝わってくる。

貧乏暮らしの中、ジェニファー・ジョーンズは妊娠するが流産し、「今は子供を産むのは無理だった」というオリヴィエの言葉から、男が流産を喜んでいると思い次第に心が離れていく。やがて、ジェニファー・ジョーンズが舞台のオーディションに受かり女優として売れていくのとは対照的に、オリヴィエの人生は負への階段を急激に転がり落ちる。ある日、誤解から女が出ていき、仕事もないオリヴィエは浮浪者に身を落とす。何だか、ヴィヴィアン・リー主演「哀愁」(1940年)の男バージョンみたいだ。

こういうみじめな役は、毅然とした、覚悟のある、誇りに充ちたローレンス・オリヴィエのような(何しろ爵位をもらい「サー」の称号がついた人ですから)名優が演じないと、見ている方がやりきれなくなる。冬の夜、安宿も追い出され病に冒されたオリヴィエは、みすぼらしい格好で「食べないと、死ぬ」とつぶやき、今は大女優になった女の楽屋を訪ね小銭をねだる。それでも、オリヴィエの物腰からは男の矜持が感じられるのである。

●二人の弁護士は現実に妥協してきた叔父と理想に燃えた甥

「L・B・ジョーンズの解放」は、若きリー・メジャースとバーバラ・ハーシーが列車の車窓越しにいちゃついているカットと、同じ列車に乗る思い詰めた顔をした大男の黒人のカットが交互に映るオープニングシーンから引き込まれた。黒人は葉巻の空き箱にリボルバーを入れている。黒人は駅の手前で列車を飛び降り、駅で停車した列車からリー・メジャースとバーバラ・ハーシーが降りると、リー・J・コッブが笑顔で出迎える。

リー・J・コッブと言えば「波止場」(1954年)の港湾労働者組合を牛耳るボス、「十二人の怒れる男」(1957年)の根拠もないのに最後まで被告の有罪を主張する固陋頑迷な男の役が記憶にあるので、本人も人種差別主義者で白人至上主義の共和党員というイメージがあるが、大変リベラルな考え方をする人だと何かで読んだ記憶がある。ただし、役柄はいつも悪辣なボスや卑劣な権力者というものだった。そういう顔をしているのである。

そのコッブが演じているのは、60年代末のテネシー州の小さな町で30年も弁護士をしてきた男である。市の顧問弁護士も務めている。彼は黒人も同じ人間だと思っているが、黒人差別に反対しているわけではない。他の大多数の白人たちのようには、露骨な差別をしないだけである。ときには見て見ぬふりをするし、黒人の依頼を断ることも多い。妥協しなければ、黒人差別の強い南部の町で成功することはできなかったのだ。

そこへやってきたのが、結婚したばかりの甥夫婦である。甥は叔父のコッブの裁判を30年前に見て、叔父のようになることを目指して勉強し、弁護士になった。そして、テネシー州の町にやってきて、叔父と共同事務所を持ったのである。リー・メジャースが演じる甥は、理想家肌の若い弁護士である。結婚もせず妻子のいないコッブは、仕事も大きな邸宅も甥夫婦に譲るつもりでいる。

コッブが甥を事務所に連れ帰ると、黒人紳士が待っている。コッブに「離婚調停の代理人になってほしい」と依頼するが、叔父は何かと理由をつけて断る。それがリー・メジャースには不自然に映り「僕が引き受けてもいいですよ」と言い出したため、コッブは甥の手前、仕方なく葬儀社を営む穏和な黒人紳士L・B・ジョーンズの離婚弁護士を引き受けることにする。

L・B・ジョーンズは人望のある裕福な黒人だが、若い妻が白人の警官と浮気をしたので「男と別れるのなら目をつぶる。別れないのなら離婚する」と言うのだが、妻はジョーンズの金を当てにしているので、「離婚しないし、男とも別れない」と言い出し、自分でも弁護士を立てる。そんな事情を、コッブはすべて承知しているので、浮気相手の白人警官に会いにいく。

コッブは裁判で黒人女の浮気相手の名前が出て、白人警官が窮地に陥るのを防ごうとしたのだ。不名誉だし、それが公になれば、職を失うからである。だが、白人の警官は女の尻ばかり追っかけている男で、ある夜、警官を罵った黒人を逮捕し、その妻が釈放を頼みにくると、パトカーで人気のないところに連れ出し交換条件を出して犯し、犯した後で「釈放はできないな」と約束を反故にするような卑劣きわまりない男である(僕は本当に憤慨した)。

●奇妙な果実とはリンチで縛り首にされた風に揺れる黒人の死体

10代半ば、僕は初めて「ストレンジ・フルーツ(奇妙な果実)」という歌を聴いた。ビリー・ホリディが歌っていた。その歌を聴こうと思ったのは、五木寛之さんの小説にその曲が出てきたからだ。僕がジャズを聴き始めた最初である。奇妙な果実とは、木に吊された黒人の死体のことである。白人たちのリンチで縛り首にされた黒人の死体が、奇妙な果実のように風に揺れている...。

1960年代半ば、人種差別とベトナム戦争でアメリカは揺れていた。公民権運動が高まり、キング牧師が登場した。あの感動的な「私には夢がある」というスピーチが世界に知れ渡った。しかし、キング牧師は暗殺され、黒人たちの怒りは先鋭化し、ブラックパンサーも登場し過激化した。キング牧師と同時代に生きた、過激な黒人解放運動のリーダーだったマルコムXも暗殺された。

「L・B・ジョーンズの解放」は、そんな時代にワイラーが残した最後の作品になった。やりきれない映画だが、ワイラーの誠実さが伝わってくる名作だった。赤狩りの時代に「ローマの休日」を残した、ワイラーらしい誠意の表し方だと思う。コミュニストであることで人間としてのすべてを奪われてしまうこと、肌の色が違うだけで人間扱いされないこと、どちらもワイラーには許せないことだったのだ。

女好きの警官の相棒である年配の警官は、黒人を人間とは思っていない。冒頭、列車から飛び降りた黒人は、その白人警官に復讐するために10数年ぶりに戻ってきたのである。彼は13歳のときにその警官に半殺しにされ、故郷を棄てたのだ。そんな彼は、L・B・ジョーンズが離婚裁判を起こしたことを聞き、裁判が始まる火曜日までボディガードになることを買って出る。

女好きの白人警官がジョーンズの葬儀社にやってくる。彼はジョーンズの妻に離婚を承知しろと説得するが、子供が生まれるので金が必要な妻は承知しない。その子供は間違いなく白人警官の子だという。白人警官は「堕ろせ」と女を殴るが、彼女は承知しない。気の毒なのはジョーンズだが、心優しい彼は殴られた妻の傷を手当てしてやる。黒人は白人にどんな目に遭わされても耐えなければならないのか(ここでまた僕は憤慨した)。

ジョーンズの妻を説得できなかった白人警官は、ジョーンズに「月曜日の夕方までに離婚裁判は取り下げると弁護士に言え」と恫喝する。コッブが白人警官の名前が浮気相手として出ないようにと配慮し、裁判にせずに解決したいと白人警官にアドバイスしたばかりに事態はどんどん悪い方へ転がり、悲劇の予感が漂い始める。

●白人たちの黒人差別に眉をひそめながら見て見ぬふりをしてきた男の罪

コッブが甥に過去を語るシーンがある。コッブが大学に通っている頃、彼の身の周りのことを見ていた黒人のメイドがいた。コッブはそのメイドと関係し、やがて妙な気持ちが生まれた。そう語るコッブにリー・メジャースは「彼女を愛したんですね」と明確に言う。コッブは黒人女を愛するということが理解できない。黒人との恋愛などタブーだった時代である。彼女とのことを婚約者に知られ、婚約を破棄され、そのまま結婚せずに生きてきた、とコッブは遠い目をする。

コッブが南部の大きな都市の大学に通っていた頃のことだから、1930年代である。「アラバマ物語」(1962年)がその時代の南部の田舎町を舞台にしていた。そこで起こった白人娘のレイプ事件で、弁護士アティカス・フィンチは犯人とされた黒人を弁護した。もしかしたら「L・B・ジョーンズの解放」のコッブが演じた弁護士も、若い頃はそんな理想家だったのかもしれない。

だが、市の顧問弁護士を務めるまでになったコッブは、現実的妥協をする弁護士になった。白人たちの露骨な黒人差別に眉をひそめながら、彼らのやることを見て見ぬふりをしてきたのだ。黒人の命を何とも思っていない白人たち、犬を射殺するのと同じように良心の仮借もなく黒人を殺してしまう白人たち。そんな白人たちを守ってきたのは、見て見ぬふりをする良識派の白人たちだ。甥のリー・メジャースは、そのことをコッブに指摘し、去っていく。

あの時代から、まだ40年しか経っていない。あの頃、20歳だった僕は60だし、30だった男は70だ。何10年経とうと、その人たちが子供の頃から植え付けられてきた差別意識や偏見が消えるとは思えない。あの白人警官が現実にいたとしたら、まだ、南部の町で暮らしているだろう。「俺たちが若かった頃は、黒人に今のような大きな顔はさせなかった」などと昔語りをしているかもしれない。

僕が子供の頃、まだ、中国人や朝鮮人に対する差別は強く残っていた。父母の世代が差別的な言葉を口にするのをよく耳にした。戦後の民主教育を受けた僕は、父や母がそんな言葉を口にするのがイヤでたまらなかったが、あれから半世紀近くが過ぎた現在、日本の若者たちは韓国やアジアのアイドルに夢中になっている。韓国や中国の映画もたくさん日本で公開されている。差別や偏見をなくすには、長い年月と文化の交流が必要なのかもしれない。

文化交流というと堅いけれど、音楽や映画が持つ力は大きい。偏見や差別意識を払拭させることもある。黒人差別に凝り固まっていた白人が「L・B・ジョーンズの解放」を見て、描かれた白人たちの醜さに己を顧み反省することがあるかもしれない。映画で世界は変えられる。ワイラーはそう確信していたに違いない。赤狩りについても黒人差別についても声高な主張はしなかったが、映画の力を信じ、己の信じる映画を作り続けたのだ。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
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原田芳雄さんが亡くなった。告別式での石橋蓮司さんの弔辞が印象に残った。原田芳雄さんが竜馬を演じた「竜馬暗殺」で、石橋蓮司さんは中岡慎太郎の役を演じた。通夜の客では俳優座養成所同期の地井武男さんのコメントが忘れられない。原田+地井と言えば、日活ニューアクションが甦る。そして、立て続けに中村とうようさんが亡くなった。膨大なレコードやCDなどのコレクションを大学に寄贈しての、覚悟の死だったらしい。合掌。

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女装対決(!?)超絶美しいヴィジュアル系とセーラー服のおっさん

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このごろは、セーラー服を着て一人で電車に乗ってお出かけするのもすっかり平気になってしまった私だが、これはちょっと敷居が高かった。Versaillesのライブ。ヴィジュアル系といえば、多くの場合、男性メンバーからなり、超絶美しく女装してステージに立つミュージシャングループである。おっさんがほとんど悪ふざけのノリで、セーラー服を着て出歩くのとは本質的に異なる。それが、なまじ同じ「女装」という言葉で括れちゃうところが気まずさの根源だ。

しかも、メンバーご本人たちからも見られちゃうという特典つきである。どんな羞恥プレイだ?! Teruさんとのつながりで映像作家の寺嶋真里さんが調達してくれたチケットは関係者席で、ライブ終了後にロビーでメンバーからの挨拶があり、握手したり話をしたりできるのである。なんと、寺嶋さんもセーラー服で来た。やはりお家から一人で電車に乗って。こういうのはたぶん女性にとってのほうが敷居が高かろう。捨て身の攻撃、恐れ入りました。

Versaillesのライブは、ほんとうにほんとうにすばらしかった。視覚的にも音楽的にも。Versaillesの魅力については、にわかファンの私があれこれ言うよりも、由緒正しいファンに語ってもらうのがよく、イタリアのGiulia(ジュリア)さんにコメントをお願いした。

●イタリアで出会ったVersaillesファン

Giuliaさんとは今年の4月3日(日)にイタリアで出会ったばかりである。人形作家の清水真理さんと映像作家の寺嶋真里さんとともにイタリアを訪れ、Brescia(ブレーシア)の教会の敷地内にある美術館 "Museo Diocesano di Brescia" で開かれた日伊文化交流イベント "Il Giappone nel Chiostro" に参加したとき、Giuliaさんも出展者として参加していた。

中庭を囲む廊下に沿ってテーブルが並べられ、出展者たちは日本の文化や生活とかかわりのある、ありとあらゆるものを展示していた。清水さんいわく「コミケ状態」。その中で、Giuliaさんはヴィジュアル系のミュージシャングループをテーマに、ポスターやCD、写真集を展示していた。Versaillesのポスターは中心にどーんと大きく置かれていた。

前の年の9月4日(土)にやはり寺嶋さんがチケットを調達してくれて、私は清水さんと3人で渋谷C.C.LemonホールでVersaillesのライブを見ている。そのことを言うと、Giuliaさんはすごく驚いていた。

Giuliaさんはヴェネツィアに住んでいる。4月5日(火)にBarbaraさん、Simonaさん、寺嶋さんと(清水さんは別行動でフィレンツェなどを観光していた)ヴェネツィアに行ったとき、Giuliaさんは駅で迎えてくれ、丸一日かけてわれわれを案内してくれた。観光地にありがちなことだけど、人通りの多いところにある店は概して高くてまずいそうで、海のほうへだいぶん歩いたところにあるレストランに連れていってくれた。店内の雰囲気よし、窓外の景色よし、味よし。観光案内は地元の人に限る!

翌4月6日(水)はミラノを観光したのだが、夕方、ドゥオーモ(大聖堂)前の広場でまた会ってくれた。雅-MIYAVI-のライブを見にいくとのことだった。

今回、Giuliaさんに「Versaillesについて語ってください」とお願いしたところ、翌日には英文の原稿を送ってきてくれた。たった一日でこんなに、と思うくらい存分に語り倒してくれている。Versaillesに対して熱い思いを抱き続け、深く理解している、すばらしいファンなんだなぁ、というのが伝わってくる。

Giuliaさんは日本語も上手で「ほんとは日本語で書けたらよかったんだけど」と言っていたが、まだ英語ほどすらすらとは書けないらしい。なので、英文原稿を全文余さずGrowHairが和訳しました。後ほど。

●会場はゴスやコスがいっぱい──盛り上がるライブ

私もVersaillesにはちょっとした思いがある。2000年ごろ、世紀末的な写真が撮れないものかとカメラを持って原宿あたりをうろうろしているとき、ヴィジュアル系のバンドのコスをしている女性の集団を見つけ、衝撃を受けた。最初はゴシックないでたちの異様さに驚いただけだったが、だんだんと美しさが見えるようになってきたら、もう、撮らずにはいられないという衝動から逃れようがなく、一年以上にわたってほぼ毎週末、そこへ行った。

その中に、LaReine(ラレーヌ)のコスをしている中学生グループがいた。しょっちゅう撮らせてもらい、おなじみさんになった。撮るからには深く理解したいという思いから、CDを買って聞いたりもした。そのLaReineのボーカルのKamijoさんが、いま、Versaillesのボーカルとしてグループを率いている。ファンの人たちを撮っていたら、巡り巡ってご本尊に近づいてきたという不思議な感慨がある。

今回のライブは7月17日(日)、やはり渋谷C.C.Lemonホールで行われた。めちゃめちゃ暑かったが、開場の1時間ほど前に到着したら、会場の前の広場には、すでに多くの来場者たちが集まっていた。Versaillesのコスをしている人たちもいるし、ゴシックなファッションの人やロリ服の人もいる。

寺嶋さんと私は、ちょっとしたシタゴコロをもって早めに行ったのである。寺嶋さんの映像作品『アリスが落ちた穴の中』のフライヤーを手渡しで配布しようという魂胆。そのフライヤーにはVersaillesのギタリストであるTeruさんからもレビューがいただけているのが自慢。

イタリアで清水さんが発見した法則というのがあって「寺嶋さんの映像を食い入るように見ている人たちは、日本もイタリアもファッションが同じだ」というもの。なので、そういうファッションの人に重点的に配る。その作品、すでに知ってたって人が何人かいた。なんと正鵠を射たマーケティング。

海外からの来場者も多い。フィンランド、デンマーク、ポーランド、アメリカなどから。デンマークとポーランドから来たという女性二人組にはライブの後でもちょっとだけ話を聞くことができたが、非常に楽しめたという。今回、日本に観光に来たメインの目的のひとつがこのライブだったそうで。ヨーロッパでの公演にも行ったけど、日本でのほうがトークが多かったり、会場に返答を求めたりと、「遊び」の要素がふんだんに盛り込まれていたという。

ライブは、ものすごく盛り上がった。登場前から会場は総立ちだった。「心得てる」感じの人が多かった。曲によって、光る薔薇の花を取り出して左右に振ったり、髪を振り乱して頭を振ったり。スローなテンポの歌や、インストルメンタルの曲を交えたりして変化に富み、視覚的にも音楽的にも、非っ常〜に心地よい。

ギタリストのHizakiさんのドレス姿が美しい。動きは女性的でしなやかなのだが、エネルギーに満ち溢れ、ちょこまかと動いたり回ったりとすばしっこい。Yukiさんのドラムは、まるで楽々叩いているような安定感で、聞くほうはじっとしていられず、気持ちよくノレる。

寺嶋さんは、お家からセーラー服を着て出て、一人で電車に乗ってやってきたそうで、自分で「狂気の沙汰」と言っているが、開演前にはちゃっかりと持ってきたゴシックな衣装に着替えていた。

ライブ終了後にロビーで関係者へのあいさつがあり、その後で、寺嶋さんは、豪華版のDVDをTeruさんに手渡しした。念願だったそうで。そのとき、Kamijoさんが近づいてきて「僕は貴方の作品の世界観、とても好きなんですよ」と寺嶋さんに声をかけてくれた。そのときはうまく言葉を返せなかったみたいだけど、ブログには「帰りの電車の中で、自然に涙が出てきました」と書いている。

< http://rose-alice-milky.net/versailles.html
> 寺嶋さんのブログ
< https://picasaweb.google.com/Kebayashi/VersaillesLive110717#
> 写真

●ところで、おっさんがセーラー服で出歩くと何が起きるか

このときも含め、私はいままでに6回、セーラー服着て電車に乗っている。また、コンビニ、喫茶店、ラーメン屋、回転寿司、カラオケ屋、ヨドバシカメラなどにも一人で立ち寄ってみた。交番の前を通ったり、自転車でパトロール中の警官とすれ違ったりもした。で、分かったのだが、何も起きない。人だかりもできない、騒ぎも起きない、通報もされない、石を投げられもしない、逮捕もされない、職質もされない。そんな気配さえただよいもしない。

また、電車や人混みで、自分の周辺だけやけに人口密度が低くなる、ということもない。つまり、人々の日常の営みに、なんら影響を及ぼさないのである。個人個人の自由が最大限に尊重された、成熟した社会。これは女装愛好者には朗報なのではなかろうか。女装でお出かけしたいけど、人々の反応が恐くて躊躇していた方、だいじょうぶです、何も起きません。あなたが通りすぎた一瞬のちには、あたかもそんな事実はなかったかのごとく、かき消されていきます。

ただし、ツイッターではずいぶんつぶやかれる。やっぱ気にはなるわけね。検索をかけてみて分かったのだが、セーラー服を着たおっさんは、実は毎日のように日本のどこかに出没している。週末ともなると、同時多発ゲリラの様相で、あちこちから目撃情報が発せられる。しかし、その情報は、リツイート、リツイートで指数関数的にわーっと広まっていくということはなく、ローカルに小さな波紋を起こすだけで、さっと消えていってしまう。

また、おっさんがセーラー服着て街を歩いた程度ではニュースにもならない。'09年11月10日の読売新聞の記事にこんなのがあった。「さいたま市JR東浦和駅近くで8日夜7時前、30〜40歳くらいの小太りの男が髪をツインテールにして女子用のスクール水着を着て現れ、女子高校生らに「みんなもこんなの着る?」などと声をかけ、高校生らが交番に連絡するなどの騒ぎが起きた」。よくよく読んでみると、法に触れたとも逮捕されたとも書いてないので、セーフといえばセーフなのかもしれないけど、だいたいこの辺が、やっていいことの限界のようである。

それと、こんな趣味が会社にバレたらクビになるのではないかと心配する向きもおられるでしょうけど、まあ、会社によるのかもしれませんが、私の場合は特に隠そうとしてなく、気がついたらなぜかみんな知ってました。今のところ、特にお咎めはありません。

なので、これ、みなさんにもお薦めです。いいストレス解消になります。細かい悩みなんか、吹っ飛んじゃいます。足をつるつるに剃って、短いスカートを履いて歩くと、涼しくて実にいいです。スーパーキュートビズ。普通の格好なんかつまらなくてできるか、と思えるほど、気分が高揚します。

7月9日(土)には、秋葉原の秋月電子の上にある「コスメイトプラス」でセーラー服の夏服をゲットしてきた。店で試着してみて気がついたのだが、白は透ける。下にランニングシャツを着てるのが丸分かりで、かっちょ悪い。なので、一緒にブラジャーも購入。翌日、池袋のロサ会館地下の「Live Inn Rosa」で「国内最大級のGothic & Lolita Under World!!」と銘打った「Alamode Night39」というイベントがあり、さっそく着て行った。

ブラを着けて外出するのは、このときが初めてだったが、これがまた、いい。うまく形容できないけど、なんともいえず、いい。ブラを着用する男性を「ブラ男くん」というのだそうだが、増えてるらしい。また、男性用ブラという商品があり、これがまた売れ行き好調らしい。変な世の中だ。

女装で外出。これから爆発的に流行るポテンシャルがあるように思えてならないのだが、気のせいだろうか。今に女装専用車両とかできたりして。これが混雑する光景というのもあんまり想像したくはないけど。

話がすっかり逸れた。元に戻して、次の段は、Giuliaさんが語ってくれたVersailles の魅力です。

◎日本への思いに火をつけてくれた Versailles ------------------------

私はイタリア人で、名前はGiulia(ジュリア)です。Versaillesは今、私が最も好きなバンドのひとつです。Versaillesを最初に知ったのは2007年のことで、私は17歳でした。あのころ、私は日本の音楽にそれほど興味があったわけではないのですが、友人たち(既に日本のヴィジュアル系のファンでした)が私にいくつか聞かせてくれて、私は一目でVersaillesを好きになってしまいました。

それからというもの、日本への興味はどんどん膨らみ、大学はOriental Language University(東洋言語大学)に行くことに決め、今は日本語と日本文化を勉強しています。Versaillesは、私の日本への情熱に火をつけてくれた発端だったと言えます。

Versaillesについて、まず言えることは、彼らの美的感覚と演出たっぷりの振る舞いでしょう。それともうひとつあるのは、彼らの音楽の中に見出せる優雅さと美しい暴力性との対比です。それを受け止めると、彼らの世界観と歌のクオリティの高さすっかり魅了されてしまうことは避けようがありません。私見ですが、西洋のメタルバンドとははっきりと一線を画するこれらの要素が、彼らの由来する音楽世界からさえも傑出していることと相まって、彼らの音楽を世界中の誰にとっても面白く魅力的なものにしているのだと思います。

最初にVersaillesを見たのは2009年、日本においてでした。Scuber Diveフェスティバルのライブでしたが、悲しいことに、ベーシストのJasmine Youさんが亡くなる数日前でした。ライブはもちろんすばらしかったのですが、私は、彼を失ったことの悲しみから切り離すことができずにいます。おそらく彼らの思いはステージに100%投入できず、彼らの友人のほうに向いていたでしょうけど、それにもかかわらず、演奏はすばらしかったです。

以来、Versaillesは3回見ています。2010年にMontpellierとParisで、それと数か月前にCava de' Tirreniで。すべてのライブが異なっていて、それぞれ独自の美しさがありました。演奏のテクニックは毎回いつも驚くべきものがあり、歌はパワフルで感動しました。

いちばん面白かった公演はMontpellierのときで、技術的な問題によりKamijoさんがジェスチャーと単語だけで場を盛り上げなくてはならなくなりました。言語の障壁があったにもかかわらず、公演の一瞬一瞬すべてにおいて私たちを楽しませてくれるよう、ベストを尽くしてくれました。そして、この障害をものともせず、親しみのこもった空気を作り出してくれました。

イタリアでの最初のライブは私にとって特別なものとなりました。Versaillesがついに私たちの国で演奏することができ、イタリアのファンたちに出会う機会となったからです。彼らがイタリア語で少し話してくれたのも、なんだか不思議な感じで、楽しかったです。ステージは野外でしたが、エネルギーに満ち溢れ、情熱的でした。

翌日、サイン会が催され、私は日本語で彼らと話すことができ、初めて握手することができました。感動と興奮のひとときでした。彼らはみんなとても優しかったです。ファン一人一人にしっかりと意識を向けてくれていたことが印象的でした。

私の一番好きなメンバーはTeruさんです。とても若くみえてかわいいです。彼は軽い調子で振る舞うことがあるかもしれないけど、本当は、とても深遠で、思慮深い人です。Masashiさんも、私には、とてもとても優しい人に思えます。Amebaからよくメールを彼に送るのですが、彼はいつも「ペタ」(メッセージを読んだという印)を残してくれます。そして、サイン会のときには、私を思い出したと言ってくれました。

彼らにとって、ふさわしい成功がずっと訪れ続けますように!
Giulia
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そして、メールには、もう一言書き添えてある。「あああ、ちょっと書きすぎちゃったみたいですね >_< 」いやいや、たった一日でこれだけ書いてくるって、すごい。しかも、英語ってGiuliaさんにとって外国語だし。好きなことについては語り出すと止まらなくなるって、よくあることだけど、Versaillesへの強い思いがほとばしり出ていて、感動した。

Giuliaさんの例は、決して特異ではない。ヨーロッパ中に、こういうファンがいーっぱいいるのである。日本は、長いこと鎖国している間に西洋の文明の進歩から取り残されてしまったという過去があり、もしかすると、今でも遅れを取り戻さなきゃという対抗意識が強いのかもしれない。それで、スポーツの国際試合で強敵を倒したとか、学術で大きな賞をとったというニュースに過剰なほど大喜びするのだろうか。

それもいいんだけど、海外には、日本のポップな文化が大好きで、熱い思いを向けてくれている人がすごい勢いで増えているのである。そのことこそ、大いに喜ばなきゃ。いつも言ってるんだけど、手を振ってきたら、こっちからも振り返そうよ。たとえば、駅どで困っている外国人を見かけたら、難しい英語は要らない、"Need help?" これだけでいいんだからちょっと声をかけてみよう。

世界一の嫌われ国家であるアメリカの同盟国である日本が、(おそらく)世界一の愛され国家になりつつある。これは奇跡に近い、すばらしい財産なんだよ、ってせつに思う。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

セーラー服カメコ。アート系の叢書「TH Series (トーキングヘッズ叢書)」(アトリエサード)のNo.47は「人間モドキ─半分人間の解剖学」特集。たまたまだが、この号には、撮影させてもらう機会の多い人形作家さんが3人登場する。

清水真理さんの書いたイタリアでの展示のレポートが、7ページにわたって掲載されている。林美登利さんの個展の模様が3ページにわたって、沙月樹京氏によってレビューされている。美登利さんは、まだ無名のころからずっと作品を撮らせてもらっているが、6月にパラボリカ・ビスの企画展として初の個展を開いたことで、はっきりと人形作家のトップ集団の仲間入りを果たしたと言える。

巻頭カラーページでは、吉村眸さんが紹介されている。吉村さんは東京にある国立大学の修士課程を修了し、研究生として人形や彫刻を制作している。人形作家10人と私のグループ展に来てくれたことで知り合った。ありがたいことに、この号では私の写真が何枚か使われている。表紙はイタリアで撮った清水さんの人形。巻頭カラーページでも、清水さん、美登利さん、吉村さんの人形写真を何点か載せていただいている。

さらに清水さんのレポートの中では、私が被写体のセーラー服写真「ヴェニスに死すごっこ」も。あまりにラッキーすぎて怖くなったので、バランスをとるために震災の義援金を追加で振り込みましたけど、動機が不純ですかね?

「30歳以上の人がセーラー服で来店するとラーメンがタダ」という企画を掲げるラーメン屋が鶴見にある。6月11日(土)に行ってきた。2ヶ月近く掲げていたが、実行したのは私が一番乗りだそうで。ありがたく一杯ごちそうになってきた。翌週、店に写真を置きに行ってみると、先客がいて、その方が2番手だった。セーラー服のおじさんが2人、並んで座り、ラーメンをすする。

同じ日、3番手さんから連絡が来て、写真をブログに掲載させてほしいとのこと。放送作家さん。女性。そのブログ、アラフォー女の心の葛藤が表れてて笑える。世の隠れ女装愛好家の方、思い切ってセーラー服で外出するときは、自分への口実として、このお店を目指すとよいかも。地元では人気店で、けっこう美味い。おっちゃんは69歳、お店は8月で丸36年になるという。店の名前はないが通称「ラーメンショップ高梨」。京急鶴見市場駅が最寄り。
< https://picasaweb.google.com/Kebayashi/Takanashi110611#
>
GrowHair の写真
< http://ameblo.jp/jyoshi-kosuplay/entry-10928345941.html#main
>
3番手、てしこさんのブログ
< http://r.tabelog.com/kanagawa/A1402/A140210/14036225/
> お店の情報

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■編集後記(7/29)

◎デジクリは明日から8月21日(日)まで、23日間の夏季メンテナンス休暇に突入します。猛暑の折(ここしばらく涼しいが)みなさまもご自愛ください。

・小松左京さん逝く。80歳。わたしはこの作家の膨大な数の作品の、いったい何%を読んだことだろうか。かなりの読み手であると自負はあるが、よくわからない。大手出版社で全集が編まれなかったのは、著作物のあまりの多さが理由だと思う。10年以上前、BookParkがオンデマンドで全集を細々と出版していた(続行中)のを取材したことがあるが、「小松左京全集完全版」という書籍が城西国際大学出版会から出版されているとは知らなかった。500部限定のこれもオンデマンド印刷である。欲しい。しかし全55巻(予定)で約25万円とは手が出せるはずがない。小松左京全集は、やはり電子書籍向きである。どこからか出版してほしい。それまでには端末買いますから。この夏休み、書庫にある小松左京本を整理し、まとめ読みを決意。/セミ。27日現在、江東区の猿江公園ではまったく鳴いていないという情報あり。戸田市内で、一昨日初めてニイニイゼミの声をかすかに聞く。昨日、ミンミンゼミとニイニイゼミ、それぞれ単独で鳴いているのを聞く。これでいいのか、日本の夏。(柴田)
< http://www.iocorp.co.jp/
> 株式会社イオ・小松左京事務所

・黄昏はきつかった覚えが。家族への贖罪、女への大きな愛なんでしょうか。人生への諦めなんでしょうか。そんなプライドはいらん(哀)。/GrowHairさん、顔が変態じゃないんだよなぁ。教授や研究家の顔。化粧をしているわけじゃないし、何か意味あってやっていると思ってしまう。東京だし。劇団の人なのかなぁとか。密度が減らないのはそのせいなのでは? 顔が怪しかったら涼しくなると思う。にしてもメンドクサイことをやってはるなぁ。書かれてある諸々に加え、プリーツのアイロンがけがメンドクサイ。もちろんハンカチだってピシッとかかっていて、裁縫セットや救急セット、無色リップクリームもいるのだ。いまみたいに、いざとなれば百貨店やコンビ二行こう、なんてのはナシだ。時間割に合わせて持ち物入れ替えたり。リボンは校則で禁止されているから、黒か茶のゴムよ。スカートの丈は膝下10cmよ。胸からマスコットが見えているじゃないの、そこは生徒手帳を入れるところよ。あー、懐かしくなってきた。あれはあれで楽しかったが、男性のように化粧せずに外出できたらと思ってしまう私にはもう無理だ。時々するおしゃれは楽しい。が、とってもメンドクサイ。パワーがない。まずは体型改善に体力増強だ。規則正しい生活だ。/Toodledoのサイト。デザイン良くなってる! 普段はiPhoneからしか使っていなかったので、いつから良くなったのかは不明。ここのローカライズやりたいなぁと思ったこともありました。/昨日の続きを入れるスペースがなくなった。続きは休み明けに。みなさま、毎日暑いですが、乗り切りましょう!(hammer.mule)
< http://www.toodledo.com/
>  Toodledo