[3145] 絵とは祈りだった──武盾一郎の絵画考

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《フチって無駄なスペースじゃないんだから》

■武&山根の展覧会レビュー
 絵とは祈りだった──武盾一郎の絵画考
 武 盾一郎

■グラフィック薄氷大魔王[277]
 新Bambooのタッチ&ワイヤレス!
 吉井 宏



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■武&山根の展覧会レビュー
絵とは祈りだった──武盾一郎の絵画考

武 盾一郎
< https://bn.dgcr.com/archives/20111102140200.html
>
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久しぶりにピン原稿なので自分の本心を確かめてみる。

●自分にとって絵とは何か?

それは「描く行為」である。「描いている作業」が重要なのである。僕は最初、音楽として絵画を捉えようとしいてたと思う。演奏している時間が表現であり、演奏が終わったら表現が終わる「ライブ」のように。

「描かれた絵」は描いてきた時間の集積結果なのだが、「完成」すると何かが消えた感じがして自分から離れてしまう。何らかの興味や執着を失うのだ。胸に溜まっていた重いものが昇華して楽になると同時につまらなくなるのだ

「完成した絵」は「屍骸」だった。屍骸は火葬した煙のように実体が消失して拡散すれば良いと思っていた。ただ、屍骸といっても愛着が全くないわけでもない。それらは「時が封じ込められた標本」として、ホルマリン漬けの死体や、止まったゼンマイ時計を眺めてうっとりする、耽美趣味のような気分でたまに眺めたりできる。

ところが、一応仕上がったものの「完成してない絵」がある。案外と多い。それらは死に切らずに自分の身体と繋がったままになる。身体から伸びた半死半生の内臓のようなものを、ズルズルと引きずりながら歩いてる姿こそ、目には見えない画家の真の姿だ(笑)。

ただ「描いている最中にのみ意味がある」。

僕の絵画観の出発はこのようなものだった。

「描かれた絵(結果)」より「描く行為(過程)」が重要だということは、作品の内側に自分の身体が入っていることを意味する。「若さ故のナルシシズム」の強い時期は「生き様パフォーマンスアート」となる。自分は物語の主人公なのだ。

それから先、長く続けて行くとなると、表現方法が絞り込まれて行き職人性が必要になって来る。僕の場合、物語の中に自分が棲む方向ではなく、物語をしっかり構築して、自分なりの宇宙観を表現したいと強く思うようになっていった。「描く行為そのもの」の原点を保とうとしながらも、「描くことは世界観を築くための仕事」になっていき、結果である「描かれた絵」に重点が置かれていく。

そうすると、「完成した絵」は「屍骸」ではなく「産まれたての赤ん坊」になる。このダイナミックな転換を、2004年から2009年にかけてゆっくりと描きながら、身体で実感を掴んでいったのだろう。

●どんな世界を描きたかったのか?

「絵とはファンタジーそのものである」これは彩光舎時代の講師の言葉であるが、自分としては今でもこの教えを守っているつもりだ。「絵とは描く行為のことであるが、描かれた絵はファンタジーそのものでなければならない」と、自分なりの解釈を与えている。

僕が描きたい世界は「不思議で哀しくて恐いファンタジー」だった。

井上直久のイバラードのような浮遊感、ヒエロニムス・ボッスのようなおどろおどろしさ、曼荼羅のような東洋的神秘性。宇宙写真、顕微鏡写真、物理現象といった視覚化画像。植物や菌類など人間以外の生物を単純化した線。元素記号や楽譜や数式のような線。そして家。法則性の強い手書き線の図に絵画性を持たせて、ファンタジーに辿り着きたかったのだ。

そしてファンタジーにレジスタンスをねじ込もうともしていた。

世界の設定としては、
「捨てられる側の世界である事」(判官びいき)
「小さく弱く儚くてもしたたかな世界である事」(マルチチュード)

描き方としては、
「権威がない世界なので天地を決めないこと」(反権威)
「多神的な世界なので重力の中心を一カ所に集めない事」(反中央集権)
「構図やフレーミングは権力構造なのでそれらを決めないで増殖的に描く事」(反権力)
「つたない線である事」(反エリート主義)

これらをルールとしてボールペンで意識して描いていた。なぜボールペンなのかというと、日本人だから「線」を意識したというのもあるけど、安くて面倒臭くないというのが大きな理由だ。

●時を経て僕は変わったのだろうか?

3.11の後、僕は祈るように小さい絵を描いていた。展示の予定も消えたので、家に引き蘢って名刺サイズと葉書サイズの、小さなところに絵を描くしかなかった。

「祈り」とはその行為を好むと好まざるに関わらず、もう、そうするしかない行為である。祈るより他になす術がない時に、人は祈りを捧げるのだ。なので祈りは解決手段にはならず、時として無力ですらある。それはまるで描く行為だ。尊く無力な行為。絵とは祈りだったのだ。

描かれる絵に求めるものも、最近になって変わってきた。あれこれと描き方のルールがあったのだけれど、「描かれた絵が心地良いかどうか」という、意外にもシンプルな基準が明確になってきたのだ。

それが心地良いかどうかは理屈ではない。絵の音感やリズム感を身体感覚で見ることが必要だ。それに心地良さには嘘がない。不快なものを心地良いと感じることは不可能だ。

「心地良さ」には個体の本性が出る。

補助ありから補助なしの自転車に乗れたら意識することがなくなるように、心地良さの表現も最初は意識するけど、コツを掴めば楽に描けるのかも知れない。そして、今までこだわってきたことが、心地良さに結びついてないなら要らないのだろう。

●これからのアートとはどんなものか

これからの問題として、五感では察知不可能な強大な存在をどう捉えるのかというのがある。今この瞬間も原発からは放射能が漏れている。日常でそれを浴びている。匂いも色もなく食べ物が不味くなるわけでもない。見えない、感じない、それでいて命を落とすかも知れない存在と暮らす生活にあるアートとはどんなものだろう?

そして、光速よりも速い物質があるかも知れないとか、暗黒エネルギーと暗黒物質だとか、11次元だとか、生身の人間では認識が不可能なことが科学の世界からやってきている。どんなに目を皿のようにして世界を見たとしても、ほんのちっぽけなところしか見られないのだ。どんなに宇宙の謎が解き明かされても、謎だらけであることが分るだけなのだ。そんな途方もないことだけが分っていく、科学の時代のアートとはどんなものだろうか?

あんがい素朴なものだったりするのかもしれない。

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/アロマに初めて関心を持ちました】
take.junichiro@gmail.com
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武盾一郎の報告書 Take Junichiro report.
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Take Junichiro Art works
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■グラフィック薄氷大魔王[277]
新Bambooのタッチ&ワイヤレス!

吉井 宏
< https://bn.dgcr.com/archives/20111102140100.html
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新しいWACOM Bambooの小さいのを買ってきたのでレビューします。先日リニューアルした三代目Bamboo。MacBook Airといっしょに持ち歩く、モバイル用途が主な目的です。

intuos4はSサイズでもMBA 11インチに匹敵する重さと厚さなので、薄くて軽いBambooは魅力的。表が黒、裏は黄緑色。前モデル同様にペンを差す帯がついてます。かわいいピンクバージョンには惹かれるけど僕が使ってたら引かれる。

< http://wacom.jp/jp/products/bamboo/bambootablet/index.html
>
< http://twitpic.com/77h4wo
>
< http://twitpic.com/77h81u
>

実は、発表された当初、「ぜんぜんダメじゃん!」とナメた勘違いツイートをしてまして(※注1)、その後、お店でちょっといじって「割といいんじゃない?」と考えをあらためましたが、購入して使ってみたら「うおお! これはかなりイイイ!!」にまで進化しました。

ペンタブレットとしての描画性能は、前モデルと同等。intuos4のON荷重1gの繊細さにはかなわないけど、intuos3に匹敵。ペンがラバーコーティングされて描きやすくなってます。それでもビニールテープを巻いてグリップを作りましたけどね。

USBケーブルは従来のタブレット本体直付けでなく、intuos4のようにミニUSBコネクタで抜き差しできるようになってます。今まで太くて硬くて長いUSBケーブルがのたうって邪魔でしょうがなかったのです。同梱されてるのは細くて短めのケーブルだし、さらに短いケーブルを用意して使うこともできます。ただし、標準のミニUSBプラグではなく、デジカメなどで使われてるような薄型ミニUSBの一種なので入手しにくそう。こういう部分は標準のプラグにしてほしいなあ。

●タッチ機能でジェスチャー操作

Magic Trackpadとほぼ同等の操作がタブレット上で可能(Launchpadを起動する操作など一部のジェスチャーは未対応)。以前のモデルよりタッチの機能は格段に増えてるし、スクロールの方向もLionと同じ。つまり、Magic Trackpadとペンタブが兼ねられる! ってことは、Magic Trackpadの置き場所に困らなくて済む!

慣れ具合によっては、大きい方のBambooをメインタブレットとしても悪くないかも。マウスもMagic Trackpadもなしで、ペンタブとキーボードだけでイケるってのはスゴイ! MacBook Proだけで仕事する場合、乗り上げさせたタブレットにトラックパッドが隠れてしまうため、スクロールだけのためにマウスかMagic Trackpadを使う必要があったんです。

ペン操作とタッチを同時使用するときの誤動作は少々ありますが、実用にならないほどではないです。描画がメインの作業のときは、タッチはオフにすればいい。タッチをオフにするのはペンタブ上の大きなボタン一発。

前モデルではなぜか試したことがなかったけど、摩擦調整のために紙を敷いた上からタッチ操作が使える! コピー用紙数枚や薄いプラスチックの下敷きくらいぜんぜん平気!(タッチのジェスチャー操作は前モデルからですが、カッティングマットを敷いてたのでほとんど使ったことなかったんです)

●ワイヤレスキット!

新Bambooの目玉は、別売りのワイヤレスキットを組み込むと無線ペンタブになること。キットの中身を本体裏のフタを開けて組み込む。USBのレシーバーはパソコンに差す。本体横にレシーバーを収納するスペースもあります。携帯電話のコネクタ扉のようになってます。
< http://twitpic.com/77h8iu
>
< http://twitpic.com/77h9gu
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ペンタブのワイヤレス化を強く要望してたくせに、BluetoothのFAVOやintuos4が実現したとき使ってみたところ、バッテリーの減りが気になっちゃってダメでした。接続直後にユラユラとちょっと不安定になることも。

Bambooの2.4GHzRF方式ワイヤレスはすぐ繋がって安定してます。ワイヤレスの連続使用は8時間程度らしいけど、バッテリーを2〜3個くらい用意してローテーションすれば完全ワイヤレスで使える。モバイルでもケーブルゴチャゴチャにならず、快適。

※注1
新しいBambooの製品写真を見たときの感想......。「描画面が端まであってフチがないように見えるけど大丈夫か? 『フチなんかいらないからコンパクトに』って声があるのは知ってるけど、フチって無駄なスペースじゃないんだから。フチがないと手の置き場がなくてめちゃくちゃ描きにくいんだから。

それは実際にフチをとってみないとわからない。僕も初期のFAVOのフチをジャマだと思って切り落としてみて、なるほどフチは必要だと納得した。フチと描画面が一体化されただけならいいけどと思ってたけど、そのとおりでした。すいません。描画面の境界線はトンボがプリントされてます。

初代と二代目のBambooは、描画面のすぐ外側のフチが傾斜になっていて置いた手が滑り落ちるため、僕的にまったくダメでした(HAL_さんはフチの傾斜はまったく気にならないとのことでした。たぶん、描画面に掌をべったりつけずに小指だけ置いて描くタイプの人は大丈夫らしいです)。

【吉井 宏/イラストレーター】
HP < http://www.yoshii.com
>
Blog < http://yoshii-blog.blogspot.com/
>

濱村さんは会計ソフトでもテンキーを使わない! って知って、僕もがんばってテンキーなしでやってます〜。その気になればすぐ慣れるんですけどね。Appleがテンキー廃止の方向に行ってるのはレガシー認定ってことかな? 英語だと上の数字キーそのままでいいけど、日本語だと全角と半角を切り替えたり変換する操作が加わるから、ちょっと面倒なんだよな〜。

●iPhone/iPadアプリ「REAL STEELPAN」ver.2.0がリリースされました。
「長押しロール」のオン・オフ切り替えスイッチを追加しました。
「オフ」ではレスポンスが速くなるので、素早い演奏が可能になりました。
REAL STEELPAN < http://bit.ly/9aC0XV
>
●「ヤンス!ガンス!」DVD発売中
amazonのDVD詳細 < http://amzn.to/bsTAcb
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■編集後記(11/02)

・京極夏彦「オジいサン」を読む(中央公論新社、2011)。たった一人で、社会の隅で、ひっそりと生きている72歳6か月の益子徳一の七日間を描いた「老人小説」である。「若い人にはわからない」というキャッチフレーズだが、若くはないわたしにもわからない小説だった。普通に平凡にただ生きている老人の、愚にもつかぬ熟考を重ねるさまを延々と描く。一日目を読んでつまらないからやめようと思い、気を取り直して二日目を読みますますその感を深め、毒を喰らわば皿までまでと(意味が違うか)三日目と四日目を読み切り、ほとんど苦痛の中で五日目を読み、やっぱり投げ出そうと決意するも、もしかしたら大どんでん返しのものすごい結末に至るかもしれんと微かな望みを抱いて、六日目・七日目に突入する。望みかなわず、わずかなハッピーエンドか。埒もないことに囚われている老人の独白が殆どの小説。たいしたことではないのだろうと思いながらも、そうした細部を明確にしておくことこそが年寄りの暮らしには重要なのだ、と72歳6か月に語らせるが、それはたぶん今50歳前の作者の老人観、価値観であろう。なんか違うな〜と思う。いわゆる「京極節」が好きな人以外にはおすすめできない。「若いうちに思う程、人は老成も達観も出来ない。しかし若いうちに思うより、肉体はずっと衰弱してしまうのである。この溝に気づき、早め早めの老人構えを施すことが老人ライフの基本だと思う。」というアドバイスは、確かにそうだと思いますわ。(柴田)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/412004209X/dgcrcom-22/
>
→アマゾンで見る(レビュー8件)
< http://www.chuko.co.jp/special/ojiisan/
>
オジいサン特設ページ

・香りものは好きだ。アロマ検定や香道に興味を持ちつつ何もしてないや。目が悪い分、鼻が利くらしい。香水をつけすぎたと焦ってても、まわりにはほとんど香らないと言われる。といっても、化粧品売り場で倒れることはないし、少々の加齢臭や、夏場の他人の道着にだって耐えられる強さは持つ。大阪日本橋だって歩けるぞ。観劇時。席に座るため、既に座っている人の前を通る。あ、この人......。自分にとっては隣の隣なのだがツライ。すぐ隣に座った友人に薔薇の香りのする洋モノハンドクリームを渡し、自分もつける。怪訝な顔の友人に、大丈夫ならいいんだけど、気になったら手を鼻に持っていくのだぞと伝える。幕間。意味がわかったと納得の友人。キッチンの焦げたにおいで大事に至らなかったり、はじめての場所、海外でも、危険かどうかわかったりもするよ。危険な場所って不衛生なところが多く、下水や生ゴミのにおいがする。食べ物は消費期限よりにおいで判断。欠点は自分の部屋のにおいや体臭には気づけないこと。迷惑かけてるのかも。会う人みんなにハンドクリームを配布したいよ......。もっと鼻が利いたらデカワンコできるのになぁ〜。/ペンタブレットがワイヤレスっていいなぁ。intuos4を買ってはみたものの、仕事上ほとんど使わないことに気づいた。難しくて、なかなか慣れない〜。/ルール策定に間に合わないそうな。賛成派の言うTPP参加メリットは消えたね。(hammer.mule)