[3165] 時代の気分を共有する

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《人生赤字の法則とは?》

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十河 進
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〈ノルウェイの森/青いパパイヤの香り/風の歌を聴け〉

●「ノルウェイの森」を象徴する草原を渡る風のイメージ

草原を渡る風の匂い──彼はそう書いている。

10年ほど前、このコラムで「ノルウェイの森」について書こうとしたとき、僕はそんな風に書き始めた。しかし、先日、改めて「ノルウェイの森」を読み返してみたら、そんなフレーズはどこにもなかった。何か別の村上作品だったのかもしれない。ただし、「ノルウェイの森」の冒頭は、草原を吹き抜ける風のイメージが圧倒的な強さで迫ってくる。

──飛行機が完全にストップして、人々がシートベルトを外し、物入れの中からバッグやら上着やらをとりだし始めるまで、僕はずっとあの高原の中にいた。僕は草の匂いをかぎ、肌に風を感じ、鳥の声を聴いた。それは一九六九年の秋で、僕はもうすぐ二十歳になろうとしていた。(ノルウェイの森・第一章)

37歳の「僕」はハンブルグ空港に着いた飛行機の中で流れた「ノルウェイの森」を聴いて、突然、19歳のときのつらい恋を思い出す。直子といた高原のイメージが頭の中にあふれかえり、座席にうずくまる。その草原は「草の匂い、かすかな冷ややかさを含んだ風、山の稜線...」という描写で何度も繰り返される。

映画化された「ノルウェイの森」(2010年)を見たとき、トラン・アン・ユン監督が再現したかったのは、この草原のイメージだったのではないかと思った。ロケ地はわからないが、自然を写した映像は美しい。スクリーンの中に浸りたいと熱望するほどだ。風が吹き、草の匂いさえしそうだった。秋の草原だけではない。雪景色の美しさ、冬の海の荒々しさも印象に残った。

「青いパパイヤの香り」(1993年)のトラン・アン・ユン監督が「ノルウェイの森」を映画化するというニュースを聞いたとき、「なぜ村上春樹の小説をフランス育ちのベトナム人監督が撮るの?」と思ったが、今や世界文学になった作品だからと思い直し、「トラン・アン・ユン監督なら美しく瑞々しい映像に充ちた映画になるかもしれないな」と期待した。

期待通り、映像は美しく瑞々しい。久しぶりに、スクリーンを吹き抜ける風を観客席で感じた。萌え上がる、くっきりとした緑。草原をおおう真っ白な雪。僕と直子が歩きまわる東京の公園さえ美しい。しかし...と、僕は腕を組みながらつぶやかざるを得ない。もっとも、デビュー作以来、同時代人として作品を読んできた村上春樹ファンの僕は、映画化された「ノルウェイの森」に一体、何を期待していたのかという疑問も湧いてきた。

内田樹さんは村上春樹さんの熱烈な愛読者で、村上作品に関する評論集も出している人だが、先日、文春新書で出した「うほほいシネクラブ 街場の映画論」の中で映画「ノルウェイの森」について、こんな風に書き始めていた。

──好きな小説が映画化されたときどこを見るか。これはなかなかむずかしいです。基本的にはやりかたは三つあると思います。
(1)原作をどれくらい忠実に映画化したか、その忠実度を評価する。
(2)原作からどれくらい離れたか、何を削り、何を付け加えたか、フィルムメーカーの創意工夫を評価する。
(3)原作のことは忘れて、単独の映画作品として、「同じジャンルの他の映画」とのシナリオや映像や演技の質的な違いを評価する。

「ノルウェイの森」を三回も読んだという内田さんは、「忠実度においてすぐれた点」と「裏切り度においてすぐれた点」の両方についてレポートするのだが、結局、その文章を読んで感じるのは、映画版「ノルウェイの森」を内田さんはあまり気に入っていないということだった。そうストレートには書いていないけれど、読み取れてしまうのは仕方がない。

ちなみに、内田さんは年令では僕のひとつ上、出身は東京大学である。ただし、現役のときに東大入試が中止になった、いわゆる赤頭巾ちゃん世代(懐かしき庄司薫くん)だから、一年遅らせて受験したのかもしれない。だとすれば、内田さんが「あの時代」をどう切り抜け、村上春樹作品をどう読み続けてきたか、何となくわかる気はする。

●「ノルウェイの森」は累計で一千万部を越えたという

「ノルウェイの森」は、1987年に出版された。奥付では「9月10日第一刷発行」になっているが、ひと月ほど先の日付にするのが出版界の常識だから、実際に書店に並んだのは8月だったと思う。発売日の朝日新聞の朝刊に掲載された大きな書籍広告を僕は憶えている。「100パーセントの恋愛小説」というキャッチコピーだった。「笑わせるぜ」と思いながらも、僕はすぐに上下二巻を買って読んだ。

「風の歌を聴け」(1979年)「1973年のピンボール」(1980年)「羊をめぐる冒険」(1982年)「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」(1985年)と読み続けてきた僕にとって、二年ぶりの長編だった。もちろん、その間に出た短編集もエッセイもすべて読んでいたが、僕の期待度が高かったのは仕方がないことだと思う。

「ノルウェイの森」を読み始めてすぐ、僕は落胆した。「これは『螢』じゃないか」と思った。短編集「螢・納屋を焼く・その他の短編」が出たのは1984年だ。タイトルになるだけあって、「螢」と「納屋を焼く」という短編のインパクトは強く、読後感がいつまでも残る。「ノルウェイの森」の短い第一章が終わり、長い第二章が始まったとき、「まんま『螢』じゃん」と口に出した。

それでも「ノルウェイの森」は読み始めたらやめられず、赤と緑の上下巻を数日で読了した。だが、違和感が強く残った。「これは村上春樹の小説じゃない」と思った。羊男も登場しないし、街を取り囲む壁もない。そんなことは気にならないが、今までの村上作品とは違い、物語と作者の距離感がまったく違う。これでは「ワタナベくん」と呼ばれる「僕」は、作者本人として読まれてもいいと思っているみたいじゃないか。

「ノルウェイの森」の「僕(ワタナベくん)」は、神戸出身で早稲田大学に入学し、演劇を学んでいる。椿山荘の近くにある寮に入る。小説には椿山荘とは書かれていないが、近くのホテルが客寄せに放った螢が紛れ込むのだから、椿山荘の近くなのは間違いない。小説を読むと都電荒川線の駅の近くだ。「学習院下」なのかもしれない。早稲田は近いし、緑の住む大塚にも近い。

自殺した高校時代の親友キズキの恋人だった直子と「僕」は中央線で偶然に出逢い、四ツ谷駅で降り、線路沿いの散歩道を一緒に歩いて飯田橋で右に折れ、神保町の交差点を越えてお茶の水の坂を上り、そのまま本郷に抜ける。その道順を僕は具体的にたどれた。登場人物には名前があるし、実際の地名が登場する。「何だか違うぞ。リアリズムの手法で書かれた普通の小説みたいだ」と再び僕は思った。

しかし、登場人物が普通の名前で呼び合い、どこか具体的にわかる地名が出て、19歳の僕が自殺した友人の元恋人に惹かれていく恋愛小説は、そうであったが故に多くの読者を獲得した。半年後、僕は「この人は絶対に小説なんか読まないだろう」と思っていた先輩から、「ソゴーくん、『ノルウェイの森』持ってたら貸してくれないか」と言われた。自分で買って読む気は最初からないようだった。

●最も村上春樹的ではないのが「ノルウェイの森」だった

僕が「ノルウェイの森」をあまり評価しないのは、それが村上春樹的ではない作品だからだ。「ノルウェイの森」の翌年に出た「ダンス・ダンス・ダンス」を読んだとき、僕はホッとしたものである。「ああ、本来の村上春樹が戻ってきた。ものすごく大勢の人には売れないかもしれないが、これが村上作品なんだ」と、「ノルウェイの森」しか読んでいない人たちに声を大にして言いたかった。

冒頭の話に戻ろう。なぜ僕は「草原を渡る風の匂い」と書いてしまったのか。村上春樹的表現としては、そちらの方が相応しいと思っていたから、誤って記憶したのだと思う。「草の匂いをかぎ、肌に風を感じ」るのでは、あまりにフツーではないか。それに初期の作品には「その日はずっと秋の匂いがした」とか、「街中に雨上がりの夕暮れの匂いがする」といった表現が頻出する。

「秋の匂い」あるいは「夕暮れの匂い」という表現は読み手のイメージを喚起させるが、共通したもの(この場合は「同じ匂い」)を連想させはしない。読み手それぞれが想像する何かである。それが村上春樹作品を読む喜びだった。しかし、「草の匂い」と書くと、ほとんどの人が共通する具体的な匂いを浮かべるだろう。だからこそ、「ノルウェイの森」は多くの読者を得たのだが、僕は「秋の匂い」といった抽象的な表現を好んだ。

「風の歌を聴け」が文芸誌「群像」の新人賞を獲得して同誌に掲載されたとき、舞台となる場所は具体的に示されていないため、多くの評では抽象的な場所だと捉えられていた。中には「アメリカのウェストコーストを舞台にしたような物語」と書いている人もいた。作者が神戸出身だとわかり、神戸をイメージしていると言われ始めたのは少し経ってからのことだった。

初期の「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」にも、「ノルウェイの森」で深く追及されるテーマが書かれている。それは「風の歌を聴け」にさりげなく記述され、「1973年のピンボール」で直子という名を与えられて長めのエピソードが語られ、「螢」の直子として具現化され、やがて「ノルウェイの森」の直子へと発展した。直子的なるものを正面から書くには、それまでの作品における対象との距離感では書けなかったのだろう。

──僕は21歳で、少なくとも今のところは死ぬつもりもない。僕はこれまでに三人の女の子と寝た。────中略────三人目の相手は大学の図書館で知り合った仏文科の女子学生だったが、彼女は翌年の春休みにテニス・コートの脇にあるみすぼらしい雑木林の中で首を吊って死んだ。(風の歌を聴け・チャプター19)

初めて「群像」で「風の歌を聴け」を読んだとき、「僕が寝た三人の女の子」のエピソードに衝撃を受けた。特に二人目のヒッピーの女の子とのいきさつと、数行で片付けられてしまった「首を吊って死んだ女の子」のイメージが僕を捉えた。都会的でオシャレな小説としてもてはやされた作品の中で、その出来事に作者が強く捉えられている気がした。もしかしたら実体験ではないか、と僕は思った。

僕と同世代の大森一樹監督も同じだったのだろう。僕は月刊誌編集部にいたとき、大森一樹監督に連載エッセイをもらっていた。ちょうどその頃、大森監督は「風の歌を聴け」(1981年)の映画化を進めていて、ある日、僕に「シナリオにしているのだが、あの小説のどこがいいのかわからなくなってきた」と漏らした。本音だったのかもしれない。

しかし、仕上がった作品は実験的で、原作ではほとんど触れられていない神戸と東京を走る高速バス「ドリーム号」を象徴的に登場させた。内田樹さんにならって「原作からどれくらい離れたか、何を削り、何を付け加えたか」を見ると、フィルムメーカーの創意工夫が評価できる作品だった。そして、その中で大森監督は「僕が寝た三人の女の子」のエピソードを原作以上にきっちりと描き込んでいた。

原作で「地下鉄の新宿駅であったヒッピーの女の子」としか描かれていない二人目の女の子との出逢いを、大森監督は新宿争乱の夜に設定していた。「僕」は学生と機動隊で荒れる新宿駅の地下道でその子と出逢い、自分のアパートに泊める。その映像を見て僕はハッとした。原作を読んだときに気付かなかったことを、大森監督は具体的な映像にしてくれたのである。

首を吊って死ぬ仏文科の女子学生を演じたのは、まだ早稲田の学生だった室井滋さんである。首を吊るシーンはなかったと思うが、小林薫が演じた「僕」と布団の中にいる彼女の細い裸の肩を今も憶えている。当時の大森監督は、自主映画の仲間だった室井滋を必ず何らかの役で使った。その当時、僕も何度か室井滋さんと会ったことがある。その頃の彼女は実に、首を吊って自殺しそうな仏文科の女学生っぽかったのである。

●再読した「ノルウェイの森」から無垢と世俗の闘いを読み取る

現在、「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」の海外での翻訳発売を村上春樹さんは許可していないという。その初期二篇は日本でしか読めないのだ。僕の最も好きな村上作品は「1973年のピンボール」である。暗記するくらい読んだ。その理由は、10年前に「一九七三年のためのレクイエム」(「映画がなければ生きていけない」第一巻216頁参照)というコラムで書いた。

その「1973年のピンボール」の冒頭に直子が登場する。1969年に大学に入った「僕」は直子と出逢い、直子が話していた小さな街の駅を見るために四年後の1973年5月、「髭を剃り、半年ぶりにネクタイをしめ、新しいコードヴァンの靴をおろし」て郊外電車に乗る。感傷的な行為だが、ハードボイルド的に「僕」の心理は記述されない。そのエピソードは、こう締めくくられる。

──帰りの電車の中で何度も自分に言いきかせた。全ては終っちまったんだ、もう忘れろ、と。そのためにここまで来たんじゃないか、と。でも忘れることなんてできなかった。直子を愛していたことも。そして彼女がもう死んでしまったことも。結局のところ何ひとつ終ってはいなかったからだ。(1973年のピンボール)

「ノルウェイの森」で直子を演じたのは、菊池凛子だった。女子高生を演じた彼女の出世作「バベル」(2006年)でも思ったが、どう見ても年令が食い違いすぎる。外国人が見ると違和感がないのかもしれないが、19歳の直子には無理がある。内田樹さんも「僕」(松山ケンイチ)と緑(水原希子)のキャスティングを誉めた後、「直子(菊池凛子)のキャラクター設定については賛否両論があるでしょう」と書いている。

「ノルウェイの森」を初めて読んだとき、僕が気に入ったのは緑というキャラクターだった。彼女は村上作品でおなじみの突拍子もないことを口にする、現実にいれば非常識な女だろうけど、こんな子と話してみたいと思わせる魅力があった。「ねえ、ワタナベくん、今、私が何考えてるかわかる?」というセリフは映画でも使われ、水原希子は緑になりきる。初めてこの女優を見たが、彼女の緑は僕の中にずっと残るだろう。

原作で「僕」が父親の葬儀を終えて旅をしてきた緑と落ち合うのは、新宿紀伊国屋とアドホックを通り抜けた、靖国通り沿いにあるジャズバーDUGである。映画版では別のカウンターバーになっていたが、当時のDUGを再現してくれたらなあ、と僕は思った。つい半年ほど前、僕は久しぶりにDUGに入ったけれど、やはり40年前のDUGとは雰囲気が違う。

しかし、DUGにいると時代の空気感が甦るのか、様々なシーンが記憶の底から浮かんできた。当時の気分さえ、手に取るようにわかった。学生にとっては安い店ではなかったけれど、僕はときどきカウンターに腰を降ろしてウィスキーを頼んだ。コルトレーンやマイルスが流れていた。友人の妹が大学生になったとき、お祝いのつもりでDUGに連れていったこともあった。彼女は、初めてアルコールを口にするのだと頬を染めた。

時代の空気感の再現として、「ノルウェイの森」で感心したのは内田樹さんと同じように早稲田大学の構内の描写である。坪内逍遙賞を授与するくらい村上さんが早稲田出身であることを大学として誇りにしているからか、早稲田大学は全面協力したらしい。現実の早稲田キャンパスを使用したのかはわからないが、ヘルメットの集団が走り、独特の書体で描かれた立て看板があり、雑然とした雰囲気が再現されていた。

──このヘルメットをかぶった学生たちのシュプレヒコールとヘルメットの色分けはまことに現実に忠実でした(社青同がたくさんいて、MLが一人だけしかいないとか、ね。中核と革マルの白メットが出てこないのは「時代考証」した方の個人的な趣味でしょうけど)。(うほほいシネクラブ 街場の映画論)

ということで、映画版「ノルウェイの森」では自然風景と60年代末の気分や空気感が再現されているシーンばかりに目がいったので、肝心の物語については映画を見終わってから改めて原作を読んでみた。その結果、「ああ、昔は何を読んでいたのか」と頭を抱えた。何て未熟だったのだと、若気の至りを村上さんに詫びた。それはトーマス・マンの「トニオ・クレーゲル」と同じ意味合いで、深く象徴的な物語だった。

そこには、無垢と世俗の闘いが描かれていた。直子は無垢(あるいは詩人の魂)なるものを象徴し、一方に世俗的なものを象徴する永沢さんがいる。彼は世俗を突き詰めて、ひとつの典型となっている。無垢な魂を抱えたキズキやハツミさんは自殺をする。しかし、「僕」や緑はその両方を抱えながら生きていく他ない。多くの人々は無垢のまま死ねないのなら、世俗の中で生きていくしかないのである。僕やあなたと同じように...。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
>

自室のレイアウトを少しいじった。ベッドの位置も微妙に変わった。原稿書きコーナーと、DVDを見たり音楽を聴いたりするコーナーを分けるか一緒にするかでずっと改良を重ねているが、なかなか理想型にはならない。理想型になったとしても、きっと飽きてときどき変更するんだろうなあ。

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1999年版 100円+税/2000年版 350円+税

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続編! ミもフタもない英語学習法

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乾いた落ち葉がぐるぐると渦を巻いて舞う夕刻の公園。人々はコートの襟を立て、足早に歩き抜ける。なのに先ほどからベンチに一人腰掛けうつむく女あり。なにやら落胆の様子。おやおや、泣いているではないか。「お嬢さん、どうなされました?」「あ、いえ、TOEICの点数が返ってきまして。これがもう目も当てられないほど惨憺たるもので、こんな私などいっそのこと......」「いやいや、早まってはなりませぬ。なあに、そんなことなら拙者がぱっと解決して進ぜましょう」「え? ほんとうですか?」「うそですが」

どうも世の中を見渡してみると、こんなことで人生を悲観するほど悩んでしまう悲劇的事例が多すぎるように感じます。もっとも、上述のはでっち上げの想定会話で、実際にそんな場面に遭遇したわけではないですが。どういう星の配置のなせる業か、最近、アイドルを目指すリアル女子中学生・高校生の女の子たちに、セーラー服姿で英語を指導する機会に恵まれています。

まぁ、たまにそんなことを仰せつかることがある程度には英語が得意であると自負する立場から、デジクリ読者の諸兄におかれましても何かのご参考になればと思い、英語学習のコツなど、軽く語ってみようと思います。

以前に「決定版! ミもフタもない英語学習法」を書きましたが、続編です。
< https://bn.dgcr.com/archives/20090717140100.html
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●間違いの元凶は学習法ではなく、動機にあり

英語学習指南本の序文にせよ、英会話学校の広告にせよ、言っていることはどれもこれも似たり寄ったりですね。

あなたは過去に一度は英語が上手くなりたいとがんばってみたことがあるでしょう。でも、いくら努力してみてもあまりかんばしい成果がなく、挫折感・敗北感を味わっただけに終わってませんでしたか? それ、努力が足りなかったからでも、素質がなかったからでもありませんよ。方法論が間違ってただけなんです。

あなたは日本語が話せるようになるまで、必死に努力しましたか? そんなことはないでしょう。気がついたらいつの間にか話せるようになってませんでしたか? 英語も同じことなんです。努力なんか、しちゃ駄目なんです。当方の開発した画期的な英語学習法「南阿佐ヶ谷メソッド」にしたがえば、努力などまったく要らず、みるみるうちに上達していきます。ほんとうです。西武立川にお住まいの久佐棒坊さんは「自分にこんな潜在能力があったなんて! まわりの人たちの私を見る目が変わりました」と証言しています。

だいたいこんな感じですよね? 分かりやすいですよね? なんか一条の光が差してくる感じがしますよね? わたし、あなたのようなお人が現れるのを待っていたんです。どこまでもついていきますっ! あ、ついていっちゃいますか。さよなら〜〜〜。

はっきり言います。いや、あんまりはっきり言っちゃうと、そっちで商売してる人たちを敵に回しそうなので、オブラートに包んで言ったほうが面倒が少ないかもしれませんが、でもはっきり言っちゃいます。方法論、関係ないです。英語って、そんなにムズカシイもんじゃありません。単純に、かけた時間に比例して上達します。

いやいや、そうは言っても、ウィリアム・サマセット・モームを原書で読むか、頭を空っぽにしてセサミストリートを見てるかで、おのずと学習効果は異なるんじゃないですか? そういうことをぐだぐだ言ってる間に両方やればいいんです。両方からそれぞれの効果が得られます。

英検一級に合格するためには、3万語の単語を知っている必要があると言われています。単語だけ知ってりゃいいってもんじゃないですが、だいたいの目安です。3万語ってことは、平日も週末も休みなく毎日10単語ずつ覚えて、決して忘れなくても、10年近くかかりますね。どうしたって時間かかります。これを短期間で楽々スイスイなんて方法論、あったら教えていただきたいです。笑ってやりに行きます。

で、方法論じゃないとしたら、つまずきの石はどこにあるのでしょうか? はい、ずっと手前です。動機。なぜ英語を学習するか。上達してどうなりたいか。そこです。異性にモテたいから? 不純ですねぇ。でも、それ、実はいい線いってます。

一番ダメダメなのは、自分を磨くだか高めるだか、ってやつ。すでにけっこうズタボロなプライドを、せめて英語でなんとかつっかい棒して支えてやろうという魂胆。その時点でもうすでに危うい。空虚な自尊心がモンスターのごとく肥大化しやすいのですよ。人が遊んでいるときにも、こつこつ勉強なんかしちゃってる私。ああ、なんて立派な私。前にも書いたけど、実力の伸びよりもプライドの伸びのほうが速くて、行けば行くほど自己イメージと実像とがどんどん乖離していくんです。怖いです。

英会話学校などによく生息するタイプではあるが、人はたいてい逆らわないように調子を合わせつつ、そーっと逃げてきますね。がんばって自分を磨いても、あんまりキラキラせず、これといった実りにあずかれないのはなんともかんとも報われない。行きつく先は......あんまり考えたくないですね。

ズレてる動機の第二の類型は、将来回収して黒字を出すための、自分への投資ってやつ。就職や昇進に有利にはたらくように、という実利目的。実務能力を高めるために法律や会計やビジネスや装置・薬品等の取り扱いの勉強をするのと同系列で、地道で堅実で、悪くないことのようにみえますね。

けど、私の中では「人生赤字の法則」というのがありまして。つまり、金銭的な見返りだけを目的として何かの努力をした場合、得られる実利は辛抱した分に見合うことはなく、必ず下回る、というもの。付帯的に得られる、数値化できない何か、たとえば、勉強すること自体が楽しくなってきたとか、いろいろな機会がやってきて人生が面白くなってきたとか、そういうのと抱き合わせてトータルでみないことには黒字にならないのですよ。プロ野球選手など、年間数億円も稼ぐ人がいて、うらやましいと思うかもしれないけど、金銭目的だけで猛練習をこなしてきたのだとしたら、やっぱり人生赤字だと思います。

つまり、続かないのですな。見込んだ見返りが得られず、投資分を回収できずに赤字が累積していくと、しまいには「やってらんねーよ!」となります。ただし、一見同じようであっても、営業マンとして今後海外の顧客にプレゼンする機会が生じそうだから、とか、工学方面の研究者として国際学会で発表することがあるかもしれない、という動機はいい。本来目的に沿って英語を使う見通しがあるってところが違うわけです。

ズレてる動機の第三の類型は、英語学習それ自体が目的化しちゃうパターンですね。これ、悪いとは言い切れませんけど。苦もなくハマれるなら、もうそれでどんどん行っちゃいましょう。東京から大阪に行くのに新幹線を使ったとしましょう。このとき、大阪に行くのが目的で、新幹線に乗るのは手段ですね。ところが世の中には新幹線に乗るのが目的で新幹線に乗るって人がいまして。鉄ヲタといいますね。英語ヲタっていうのがいたっていいんじゃないですかねぇ。突き詰めれば言語学者になれるかもしれないし。英語学習方法論ヲタになっちゃうのは、ちょっとなさけない感じしますけど。

●本来の動機はもちろんコミュニケーション

ズレてる例をいろいろ挙げましたけど、それじゃ、ズレてない、本来あるべき英語学習の動機って何でしょう。それは、海外の人たちとコミュニケーションをとりたいから。これに尽きます。言語学者を別にすれば、英語というのは、いや、英語に限らずどんな言語でも、コミュニケーションをとりたいという目的に対する手段としてあります。

海外の人々と交流したいというもともとの目的がなかったら、英語って学習する意味、ぜんぜんないですね。自分磨きとか、自己投資とか、もうみっともなくて恥ずかしくて、見ちゃいらんないです。あ、まったくミもフタもないこと言ってますかね? ハイ、そういう主旨の論考です。どうせ勘違いするなら、おっさんがセーラー服着て歩くほうが、まだしも可愛げがあります。

で、ここが一番大切なとこなんですけど、どうして人々はズレた動機に陥りやすいのでしょうか? それはですね、日本で普通に暮らしてると、実際の生きた場面で英語を使う場面が、いかにも少なすぎるからなんです。せいぜいが道を聞かれるぐらいじゃないですか? 道を聞かれたときなんて、目的地は当然日本語の固有名詞なんだから、聞きとれたそこだけを頼りに、実際にお連れしちゃえば済む話なわけで。

あとは、新宿の路上で、外国人バーだか何だかの客引きにベーシックな英語で話しかけられるとか。その方面には詳しくありませんが、中にはあんまりタチのよろしくないお店もあって、行ってみると他にお客さんがだれもいなくて、女の子が「私もいただいていいかしら?」なんて言ってきて、OKしちゃうと実は法外な値段だった、なんてこともあるみたいです。その場合、英語が全然分からなければそもそも行かないので、まだしも安全だった、てことで。マイナスの動機にしかなりませんな。

私の場合、デザフェスでセーラー服着て歩いていたら、アメリカ人の若い男性にほめられましたけど。前回もいたけど、また会ったね、と。前回 "You are truly awesome!" と言ってくれた人と同一人物かどうか覚えてませんけど。あと、仕事で、海外からお客さんが来て打合せしたり、海外と電話会議したりってことはときたまありますけど。生活してて普通に英語を使って会話するって機会、まずめったにないですね。一体全体、この国は鎖国でもしてるんかいな、と思えるほどに。

本来の目的が明確になれば、英語学習の方法論も自然に見えてくるというものです。最良の環境は、英語ネイティブばかりの集団の中にたった一人置かれることです。海外留学して、すごく上達して帰ってくる人と、まったく変わらない人と、両極端に二分する傾向があります。これって、そういう環境にあえて身を置いたか、日本人ばかりでつるんで過ごしたかの違いです。前者のような状況に置かれたら、なさけなくて心細くて、ぜったい泣きます。つまり、泣いたか泣かなかったかが分かれ目です。

インターネットがまだ黎明期で、Match.comが世界でたったひとつの出会い系サイトだったころ、私は、アメリカのコロラド州デンバーに住むJulieAnnと知合い、ずっとメールをやりとりしてました。日本に来たい来たいと言ってて、その機会が訪れました。学校の英語教育でネイティブの先生による授業をするというJETプログラムというのが始まり、それに応募したら採用されたとのことでした。自然がいっぱいある田舎を希望したら、大船渡に配属になったとのこと。1999年の夏のことです。

JETプログラムで集まった英語ネイティブの人たちが、夏休みだったもんで東北エリアに配属された人たちみんなが終結したところに行ってきましたね。まさにネイティブの集団の中のたった一人の日本人という環境に置かれました。泣きはしませんでしたけど、実に楽しかったですねぇ。みんなで飲食店に入ったりすると、なぜか私まで店の人から外国人と思われたりして。溶け込んでたんでしょうかね。あ、英語ができるとこういうふうに楽しいんだ、これが本来あるべき英語の活用のしかただったんだと悟りました。毎日がパーティでした。

夜明け前、漁港に行くと、漁船が次々と戻ってきて、大量の魚が水揚げされていきます。それをその場で分類し、競りにかけられます。珍しいのがあると、どこが落とすかみんな注目します。そういうのはスーパーのマイヤがよく競り落としてました。カッコいい写真がいっぱい撮れました。港の人たちはみんな親切で、よく話をしてくれました。大船渡、住みやすくていいぞ、とか。狭い領域になんでもかんでも揃ってるから、都会よりもかえって便利かもよ、とか。うん、いい町だね、って私も思いました。人生哲学的な話にもなったりしました。いい人たち。いい思い出です。

その後、コンタクトがなくなってしまいましたが、震災にはさぞかしショックを受けていることでしょう。大船渡駅の駅舎が跡形もなくなっているのには、私も絶句しましたから。

道路沿いの電柱には高さ2メートルぐらいの位置に横棒が引いてあって、1960年のチリ地震のときにはここまで水が来た、と警告が書かれていました。分かっていたのに、と思うと悔やまれますが、今それを言っても仕方ないですね。私なんぞが感傷に浸ってても詮のないことで、現実に復興が進んでいくことを祈っています。

●そういう経験の機会、みんなに行き渡れば

小学校のカリキュラムに英語の授業を組み込むべきか、ってことがよく議論になります。って、議論の時期は過ぎ去って、もう導入が決まってるんでしたっけ? 私は基本的には賛成です。もちろん反対意見のあることもよーく理解しています。外国語はどれほど勉強しても母国語よりも上手くなることはない、という法則があります。なので、日本語もしっかりしないうちから、外国語なんか習ったりすれば、どっちも貧弱な薄っぺら〜い習得のしかたにしかなりません。外国語よりも母国語が先決! それは正論で、私もまったくそのとおりだと思います。

小学校に導入するとしたら、ABCを教える、後でテストする、なんて授業授業した授業はやらなくてよろしい。ほんとに、一切やらなくていい。それよりも生徒たちと同世代のネイティブの子供たちと交流する機会を作ってあげましょう。あとは、電子辞書でも渡しておけばよろしい。

4月にイタリアのブレーシアで展示したとき、親子連れのお客さんが我々の展示の前で立ち止まってくれて、いろいろお話しした中で、私が「子供ってかわいいけど、残酷なとこあるよね?」って言ったら、小学校高学年くらいの男の子だったけど、ケラケラ笑ってました。あ、通じてるんだ、と驚きました。小学生に英語を教えるんだったら、ああいうふうになってほしいもんだなぁ、と理想像を見る思いでした。まあ、ヨーロッパに住んでいれば、英語を使う機会って日常的にあるんでしょうなぁ。

小学生どうし交流って、実現困難なんじゃないかと思われるかもしれませんが。今は、テレビ会議システムが、けっこうよく整備されています。そういうのを使って海外と合同授業とかやればいいんじゃないでしょうか(時差のことは置いておいて)。

さて、私は、アイドルを目指す中高生たちに英語を教えてますけど、さしあたっては12月25日(日)のライブに向けて、英語の歌が歌えるよう、発音の特訓をしています。けど、一段落ついたら、彼女らにも、実際のコミュニケーションの機会を作ってあげられたらなぁ、と考えているわけです。

ひとつの方法として、メールによるペンパルを作ってもらうというのはきっと効果的だろうと考えました。ネイティブではありませんが、イタリアで展示のとき大いにお世話になったBarbaraさんに相談を持ちかけてみると、大いに乗り気で、たった一日で、5人の希望者を集めてくれました。

日本人と友達になれる機会に、大喜びで飛びついてくるイタリア人が多いのには驚きました。概して親日的なムードです。嬉しいことです。だから、海外の人たちが手を振ってきたら、日本からもぜひ振り返そうよ、って前々から言ってるわけなんですが。実際に始められるのはおそらく年明けからになるでしょうけど、かなり楽しみです。

そういうわけで、デジクリ読者諸兄におかれましても、もし英語を学習しようというのであれば、ぜひとも英語でコミュニケーションをとる相手を作ることをお薦めしたいです。ま、それが本稿を通じて言いたかったことであります。

さて、どうやって相手を見つけるか。そこが問題ですね。とりあえず、セーラー服を着てデザフェスに行ってみるとか。外国の方、感覚的ですが一割近くいらっしゃいます。そう言えば、先ほどのBarbaraさんと、ローマを案内してくださったSimonaさんが、来年秋のデザフェスに出展参加する方向で計画を進めているそうです。

イタリアに行く準備に忙しい日々を送っていた3月、ドイツからコンタクトがありました。私のウェブサイトを見たとかで。あと数日で日本に向けて出発するから、着いたら会わない? とのお誘い。で、新大久保の韓国料理のお店でサンナクチ、何かというと、タコの足の動いてるやつですが、を食べたって話、前に書きましたっけ? 東京に滞在しているときに、震災がありまして、予定を一日早めてそそくさと帰っていきましたけど。

この手の機会って私のところには比較的よく来るので、もしあらかじめ言っておいていただければ、飲み会などにご一緒していただくのもよろしいんじゃないかと。英語上達の秘訣はナンパ師のようなマメさにあり、と言えましょうか。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

人形作家の吉村眸さん、ときおり作品を撮らせていただいている方ですが。12月21日(水)から作品の展示を催します。最近ちょっとした偶然の出来事がありました。展示の案内ハガキをデザフェスで配ったのですが、もらってた分が全部はけていました。中野の行きつけのお店などにも置かせてもらいに行きたいので、刷り増ししたら下さい、と言ってありました。刷り増ししたので、いつお渡ししましょうか、とメールで連絡が来たのが11月26日(土)のこと。うっかり返信するのを忘れていました。

翌日の日曜日、初台にあるギャラリーカフェ「Zaroff」に人形と写真の展示を見に行くと、なんと、吉村さんがいるではありませんか。ちゃんとブツを持ってきてるという。用事、片付いちゃいました。私はいまだにケータイというものを所有したことがありませんが、特に不便を感じません。電波は脳から直接出せばいいのです。

◎吉村眸×岡野茜 二人展
期間:12月21日(水)〜12月26日(月)12:00〜19:00 最終日は17:00まで
場所:gallery re:tail(本館)
< http://thetail.jp/archives/7429
>

Zaroffに行ったのはそのときが初めてでした。一階が喫茶店で、二階がギャラリーになっています。アンティークな洋館風の内装の、とても素敵なお店です。初めてなのに、マスターはセーラー服姿の私を見るなり「GrowHairさん!」と。わっ、私、有名ですか? いやいや、私とおつきあいのあるアーティストさんたちと、幾重にもつながりのある画廊さんだから、ってだけです、実は。

映像作家の寺嶋真里さんも、ここで「アリスが落ちた穴の中」の上映をしています。Zaroff 3周年を記念して、つい最近まで新作の制作に勤しんでいました。制作しているときの寺嶋さんの集中力って人並み外れたものがあるようで。今度のを作っていて背中を傷めたそうです。どれだけ同じ姿勢で固まり続けていたんですかいな、と。その力作の上映、楽しみです。12月10日(土)にZaroffであります。要予約。
< http://www.house-of-zaroff.com/ja/gallery_2nd/20111210/index.html
>

今は、人形と写真の展示が開かれています。この前私が行ったときは前期でした。人形を制作したのは林美登利さん、由良瓏砂さん、森馨さんなど5名。写真は岩切等さん。何年か前に銀座の「ヴァニラ画廊」で森さんの人形の展示があったとき、岩切さんは人形の写真を展示していて、私が岩切さんの作品を見るのはそのときが初めてでした。いやぁ、すごいなぁ、と立ちつくしました。被写体にまとわせる光の構成が繊細で非常に面白いし、ひとつひとつの写真にいろいろな工夫が凝らされている意欲作揃いでした。今回の展示の見どころは、人形だけでなく、人形作家さんも被写体になってる、ってところです。美登利さんの変貌ぶりにびっくり。名前を読むまで分かりませんでした。

そう言えば、岩切さんとの出会いも不思議な偶然でした。例によってセーラー服を着て道を歩いていると、ブティックの前で何やら撮影が進行していました。2本の金属パイプを垂直に立て、間に黒い布を張り、開けた穴からレンズを突き出して撮っています。本格的。何かに使う目的があってプロが撮っているな、というのが一目瞭然です。横目で見ながら通り過ぎようとすると、「GrowHairさん」と。岩切さんでした。初めてお会いするのに、なぜか私をご存じでした。私も岩切さんの写真は拝見してましたが、どんな方なのかは知りませんでした。

そのときの被写体が人形作家の清水真理さんでした。今進行中のZaroffの展示のための撮影でした。清水さんはアリス風の少女チックなひらひらの格好で、たいへん可愛かったですが、「いやいやグロウさんには負けます」と。で、通りすがったついでに私も撮っていただきました。清水さんと2ショで。まだ見てませんが、土曜日にZaroffで岩切さんとお会いしたとき、よく撮れてるとのことでした。見るの楽しみです。後期は清水真理さん、ほか。
< http://www.house-of-zaroff.com/ja/gallery_2nd/now/index.html
>

デザフェスでnaoさんに撮っていただいた写真。ご自身のアルバムに上げて下さっています。会場を練り歩く美しいゾンビの面々、ほか。私もちょこちょこ混ぜていただいています。やっぱ、デザフェスで一番強烈なインパクトをまき散らしていたのは我々だったか?
< http://qhoto.org/111113/index.html
>

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■編集後記(12/02)

・先日、黒いキヤノンの上に白いエプソンを載せ、床に置いて写真を撮りデスクに送った。今度買ったエプソンのプリンターは、こんなに小さくて格好いいんですと報告したのだ。すると、「ぴっかぴかの床ですね!」との返信。ちがうでしょ〜、反応する対象が。はい、うちのフローリングはいつもぴかぴかです。毎朝、妻が念入りに掃除機をかけ、その後でわたしがドライシートで拭く。定期的にワックスをかける。床を異常に大切にする妻を「床と結婚した女」と呼ぶ。固いものや水気のあるものを床に落としたりするとすごく怒られる。カルピスの類いをこぼしたりするとパニックだ。12月、いよいよ大掃除のシーズン来たる。でも毎年11月から少しずつやっているので、とくに大変なことでもない。現在わたしに与えられた指令は、全部のドアを徹底的に拭きあげること。一枚のドアでどれほど拭く部分があるのか。最大面積のドア表裏に厚みの部分の天地左右、つごう6面もある。ドアを受け入れる枠に至っては、面積は細長くて狭いがなんと7面×3(天と左右)+地3面、合計24面、それに把手が2つもあるのだった。毎日、仕事に入る前に一枚ずつこなしている。一戸建時代に比べればお掃除楽勝。歳とったらマンション住まい、大正解である。(柴田)

・コミュニケーションの相手か......。/何度か書いているネタ。英語関係の体験が少なすぎるってことだな......。たった一ヶ月のホームステイだったが、オックスフォードで泣いた。ホームシックはなく、日本食が食べたくなったりはしなかった。バスの停留所がわからずに迷ったり、アナウンスのない鉄道での乗り換えを間違いそうになったりしたけれど、身振り手振りで汗かきながらどうにか乗り越えられたりすると、これはこれで面白いわ〜と後から思える性格。このホームステイだって、学校からまとめて行っているから、授業中にはクラスメイトらがいるというのに、放課後は一人、もしくは二人程度で動きたくなる。日本だと巣ごもり体質なのに、海外だと限られた時間しかないからと動きまわりたくなる貧乏体質。自分自身のスキルを正確に把握していないから無茶する性格とも言う。ホームステイ先は常時外国人を受け入れていて、前後一週間は別の人と一緒。ブラジルの女の子とドイツ人の男の子だった。どちらも英語ができないから身振り手振り。ちょっと仲良くなった頃、うちのクラスにも日本人らがいるよ〜と紹介され、誘われて夜にパブに。で、初めて会った人たちの前で、会話が通じることに泣いた。自分のクラスにも日本人はいるのに、放課後の自分とは切り離して考えていたみたい。ホームステイ先で会話はほとんどできず、電話がかかってきてもドイツ人の男の子と共同で頑張ったのに、まともな対応はできなかった。が、たった一ヶ月のホームステイで私なりに成長したとは思う。特に耳。筆記(文法)テストはできても、リスニングやスピーキングは平均以下。帰国後、出席日数の関係で卒業できるかどうかという時に、アメリカ人の代表(学科の校長みたいな人)に直談判しに行ったもんね。私より出席日数が多く、点の良かった子は留年したのに。直談判した時、私のことを劣等生と呼んでいた先生の、ほぉ、と感心した顔や、ニコニコした顔は忘れられない。たぶん内容より、劣等生だった私の成長度(会話してる)を微笑ましく思ってくれたんじゃないかなぁ。で、無事卒業。直談判時は卒業させないと言われたんだけどね。/と書いていて思った。数年勉強するより、一ヶ月のホームステイだな〜。

単語学習を毎日コツコツできる人は凄いと思う。予習ができる人も。Webサイト制作に関しての学習は、やんなきゃなーと思いつつ斜め読みして、なんとなくできそうで終わっていて、本当の勉強は仕事をしながら。本を何冊も読むより、仕事で一つ作る方が遥かに勉強になる。本に書いていないような出来事ばかり起きるしね。/いやー、あのぴかぴかの床は驚異的でしたよ。床掃除セミナーが開けそうなぐらい。/YouTubeで映画レンタル開始。新作400円、旧作300円。30日間。返し忘れによる延滞料金がないのはいいよね。iTunesでの映画レンタルも価格は同じで、HD映画だと500円になるぐらいか。(hammer.mule)
< http://dt.business.nifty.com/articles/8902.html
>  YouTubeで映画