《恥多き人生は僕だけではないらしい》
■映画と夜と音楽と...[533]
友だちの恋人はきれいに見える?
十河 進
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自分内別人格の反乱
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■映画と夜と音楽と...[533]
友だちの恋人はきれいに見える?
十河 進
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〈友だちの恋人/心/それから〉
●迷いがなく一直線に目標に向かって脇目もふらず歩く少女
凄い世の中になったものだ、とうなった。あることをネットで検索しようとしたら、30年以上も音信を断っていた人の消息がわかってしまったのだ。もちろん、どこで何をしているかは知っていたのだが、その人の写真と共に現在の肩書きまで出てきた。「へえー、すごく偉くなったんだ」と反応するしか、僕には方法がなかった。複雑な気持ちが甦る。
それは、3年ほど前の写真だった。ある美術館のトークショーに、彼女は出ていた。相手は美術評論家である。中央で片手にマイクを持ち質問に答えているのだろうか、表情がわかるほどの大きさではなかったが、間違いなく彼女が醸し出す雰囲気がうかがえた。パステル調の薄いブルーのジャケットがよく似合っている。ショートヘアーが大学生の頃の彼女を思い出させた。
肩書きは、大手出版社の総合編纂局総合編集第一出版部の部長となっている。苗字はJだ。そうか、まだJと結婚していたのか、いつから戸籍名を名乗っているのだろう。20数年前、ある写真家の事務所で彼女と同じ会社の月刊誌編集者に会ったときに「......さん、元気ですか」と旧姓で訊ねたら、その人はなぜか苦笑いしながら「ご存知なんですか?」と問い返し、僕は「高校が同じなんです」と答えた。
才色兼備、優等生、お嬢様...、そんな言葉が歩いているようだった。歩き方に迷いがなく、一直線に目標に向かって脇目もふらない。関係ないものには目もくれない、という歩き方だった。だから、早足になる。追いつくのが大変なほどの早さだった。あの頃、僕の教室の前の廊下をあっという間に通り過ぎたものだ。僕は、彼女に「スタスタ」という渾名を付けた。
「好きだったか」と問われれば一瞬、首をひねって途方に暮れる。一時期、淡い憧れを抱いたのは事実だ。学校でその姿を探していたし、見付ければ目で追った。好きだったのだと思う。綺麗な人だったし、抜群に頭がよかった。その頭のよさを自覚している風だったが、うぬぼれていたわけではない。育ちがよく、自分の優秀さは当たり前のことだと思っていた。
金持ちは自分が金を持っていることなど意識しないし、優秀な人間は自分が優秀であることを意識しない。人間が、なぜ空気があり、なぜ息をするのかと意識しないのと同じことだ。だから、彼女に己を自慢する感じはなかった。人によってはそんなところがイヤミになるのだが、異性の僕から見ると魅力的に見えた。女生徒の評判は聞いたことはない。
彼女の存在を知ったのは、高校二年の初夏だった。二年になって僕は中学からの友人の紹介で、彼のクラスの二人の同級生と知り合いになった。IとJである。Jは高校一年ですでに新聞部の部長を経験しており、様々な伝説のオーラに包まれた男だった。Jはいろんな本を読んでいたし、いろんなことを知っていた。僕は圧倒され、Jに複雑な思いを抱きながらも心酔した。
Jは国立大学附属中学の出身だった。附属小学校から、そのまま中学まで出たのだ。それを聞いたとき「エリートじゃないか。よほど家がいいんだな」と、職人の家に生まれた僕はひがみを感じながら思った。「付属」と呼ばれていた小学校に入り、そのまま中学まで進んだとしたら優秀で金持ちの家の子に違いない。付属は月謝が高いと聞いた。我が家では、義務教育にそんな金は出せなかった。
僕の小学校は近くに刑務所があり、環境面では恵まれていなかった。僕が出たのは松島小学校というのだが、刑務所は通称・松島大学と呼ばれていた。その小学校から同学年でひとりだけ、附属中学に進んだ男がいた。中学から付属を受験して進学するのは、ひとランク落ちると思われていた(本当の金持ちの子は小学校から付属にいく)が、その男は成績が優秀だったので付属を受験し合格した。
僕も教師に附属中学の受験を勧められたけれど、そんなことは夢にも考えられなかった。職人の息子が通うような学校ではなかった。あそこは母親が運転する(あるいは運転手付きの)自家用車で迎えがくる連中がいく学校だと思っていたし、事実そうだった。Jの母親も自家用車を乗りまわし、日常的に市内のデパートで買い物をするような人だった。
そのJに中学時代からのガールフレンドがいると聞いたのが、高校二年の初夏の頃だ。「あの子だよ」と、一年後に体育祭でアジ演説をやって退学になるIが、廊下から指さして教えてくれたのが彼女だった。中庭に、友人と立ち話をしているスラリとした少女がいた。長い髪を両脇で束ねていた。背筋をスッと伸ばし、何の屈託も抱え込んでいない明るさがあった。Iが続けて言った。
──Jと同じ学年だったんだけど、病気をして一年休学したから、今年、うちの高校に入ったんだよ。
●友人の恋人を好きになりひとりで泣いたりする映画
「友だちの恋人」(1987年)という映画がある。日常的なことだけを描いた、非ドラマチックな映画である。エリック・ロメール監督作品は好きになるとクセになるが、そのドラマチックでないところがとてもよい。「友だちの恋人」は「喜劇と格言劇集」の第6話である。コメディとして作られているけれど、別に笑えるわけではない。
そこに登場する男女四人は、あなたや僕のような普通の人たちである。彼らは普通の会話をし、普通の生活を送る。ただ、様々ないきさつから大切な友人の恋人を好きになってしまい、それで自己嫌悪に陥ってひとり部屋で泣いたりする。しかし、街で偶然に友だちの恋人に逢うと、心をときめかしてしまうのだ。愛情は友情に勝るのかもしれない。
舞台はパリ郊外のニュータウン。市役所で仕事をしているブランシェは24歳。近くの大学に通う女子大生レアと知り合い友だちになる。レアは積極的な女性で、現在はファビアンという青年と一緒に暮らしているが、男友だちも多い。その男友だちのひとりとブランシェは付き合うようになるのだけれど、ある日、ファビアンと偶然に出逢い意気投合してしまう。
エリック・ロメール作品だから、そこから深刻なドラマが始まるわけではない。僕たちの日常と同じような時間が過ぎてゆき、いつの間にかそれぞれの相手が入れ代わっているという結末になる。よくある話である。ロメール作品は見ていると身につまされることが多いが、「友だちの恋人」も同じだ。身につまされ、若き日の恥ずかしかったことを思い出しみんな同じなんだなと慰められる。
僕が、いつ「スタスタ」と名付けた少女に好意を持ったのかは記憶にない。気が付くと彼女の姿を追っている己がいた。追っていると言っても、わざわざ彼女がいると思われるところに出かけていったわけではない。僕の教室の前の廊下をスタスタと歩いているのを見かけたとき、あるいは中庭や運動場にいるのを見かけたときなど、じっとその姿を見つめた。
その頃、彼女は新聞部に入部し、生徒会の役員をしていた。その頃の生徒会は付属出身のエリートたちが牛耳っていて、優等生ばかりが集まっていた。新聞部もJを中心に校内のオピニオンリーダーとして機能していた。学校に対する批判記事が多かったのは、Jが部長だったからだろう。ときは1968年、高校でも学園闘争の火が広がり始めた時代だった。
Jの彼女なのだ、と僕は言い聞かせた。しかし、Jはどちらかというと「俺には何人もガールフレンドがいるんだ」といった風を装うところがあり、「おまえが好きになったのなら、別にいいんだぜ」と僕に言った。僕としては気になる女の子という程度だったのに、そう言われると心が騒いだ。体育祭で誰かが盗み撮りした彼女の写真をもらい、文芸誌に挟んで持っていたのを思い出す。
●昔の日記を読み返してみると恥の感覚が甦る
ネットで3年前の彼女の写真を見付けてから、僕は昔の日記を読み返してみた。高校時代は、割にきちんと書いていたのだ。案の定、彼女のことがいろいろと出てくる。僕は16歳。その前年の秋に失恋し、「もう、女になんか惚れるものか」と幼い決意をした。失恋の反動で、いろんなことに積極的に参加しようとした。Jと頻繁に付き合ったのも、彼の様々な知識を吸収したかったからだ。小説や映画や音楽...、今も僕の生活を形作るものの原型は、あの時代に醸成された。
1968年9月6日の日記に、こんな記述があった。
「Fさんは一年七組の生徒委員になっていた。生徒委員会の途中、Jが話しかけてきて『全校回覧のノートを作ろう』と言う。命名は『イソップ』。イソップとは『うわさ』という意味であり、圧制下にある民衆が自衛のために考え出したものだという。『イソップでは......なんだそうだ』という風に話を広める。それを高高に作る。Jは、そう言った。そんな発想をするJを見ると、私(16歳の僕は私と記述していた)は自己嫌悪を感じる。なにもできない自分がふがいない」
Fさんというのが彼女のことである。この日記を見ると、Jはもう新聞部の部長を降りていたようだ。彼は学校内の様々なことをノートに記述して回覧する構想を抱き、僕に告げたのだった。学校や顧問の教師による検閲のない文書を出したかったのだが、アジビラを撒くという発想はまだなかった。それでも、僕はJにコンプレックスを感じている。その後、僕は生徒委員会の壇上で文化祭の説明を始めることになった。
「生徒委員会が終わって、私は一年生の前に立った。彼女がいた。私はあがった。顔を真っ赤にしながら説明した。自分でも何を説明しているのか、よくわかっていなかった。自分の説明で彼らが理解できるとは思わなかった。そして、彼女が質問をしたとき、再びあがってしまった。別の一年生が質問してきた。私よりずっと大人びていた。私はその男を憎んだ。そして、私自身も。その質問にはYさんが答えてくれた。私は逃げ出したくなった。誰かがもう一度説明してくれ、と言った。私は前に言ったことをくり返し始めた。途中からYさんの詳しい説明が入ってきた。私は口をつぐんだ」
Yというのは、僕と一緒に文化祭の準備委員をやっていた女生徒だ。彼女とは親しい間柄だったが、こんな風に助け船を出してもらっていたのだと、改めて記憶が甦ってきた。その日、僕は説明が終わって教室の前で、Yさんと話しながらFさんが出てくるのを待っていた、と書いてある。その後の日記には、立て続けにFさんのことが出てきた。
9月12日には「Fさんが私に冷たいのは仕方がない。しかし、何かわびしい。5時限が終わり、教室の戸口に立っていると、Fさんが立ち止まり『今日、きてくださるんでしょう。あなたが?』と言う。それで張り切って出かけたのに、文化祭の仕事はうまくいっていない」という記述があった。おそらく彼女の上品で育ちのよい言葉遣いに感激したのだ。他の女生徒だったら讃岐弁丸出しで、「今日、きてくれるんやろ、あんたが」と言ったに違いない。
そんな淡い恋も、ひと月ほどで終わった。10月1日の日記に書いてあったのは、「昨日、2時限が終わったあと、SからJと彼女が相合い傘で帰っていたと聞いた。アホらしくなった。もうヤーメタ」だった。その後、僕は「こっけいにして残酷な...、奇妙にしてやさしい...、悪魔のようなあなた」という詩のような、あるいは恨み言のようなフレーズを書き連ねている。
●人生は愛と友情と裏切りという三つの要素でできている
「人生は三つの要素でできている。愛と友情と裏切りだ」と言ったのは、フランスの映画監督ジャン=ピエール・メルヴィルだ。現在まで、数え切れない「愛と友情と裏切り」の物語が作られてきた。メルヴィル自身は「影の軍隊」(1969年)のシモーヌ・シニョレや「仁義」(1970年)のフランソワ・ペリエのように、子供への愛情のために仲間を裏切る人間を描いたが、多くの物語は友人の恋人や妻を愛した人間の葛藤を描いてきた。
夏目漱石など作家としての後半生では、そんな物語しか書いていない。「こころ」は友人が好きになった女性を奪った「先生」の物語であり、「それから」は友人の人妻を愛してしまった男の物語であり、「門」は友人の妻を奪って逃げた男の物語である。そのことによって、彼らは苦しみ、罪の意識におののき、ときには自らの命を絶つことさえある。
現在、映画監督の最高年齢を更新しつつある新藤兼人が監督したのが「心」(1973年)であり、なぜか漢字のタイトルになった。劇団四季の人気男優だった松橋登が主演した。この作品では失恋した友人は自殺し、彼が好きになった下宿のお嬢さんを妻にした主人公も何年か後に自殺する。それは「裏切り」という行為に対する罪滅ぼしだったのだろうか。
先日、亡くなった森田芳光監督が映画化したのは「それから」(1985年)である。主人公の代助を松田優作が演じ、友人を小林薫、友人の妻の三千代を藤谷美和子が演じた。森田芳光監督は「家族ゲーム」(1983年)の評判が高いが、僕は「それから」が一番好きだ。松田優作も明治の高等遊民の感じをよく出していたし、市電などの美術も凝っていた。
「それから」は「こころ」と逆である。かつて友人に好きな女を譲った代助は、実家の金でぶらぶらと高等遊民の生活を送っている。そんな彼の前に再び友人夫妻が現れるのだ。「それから」では、実際の不倫が起こるわけではない。代助と三千代の微妙な心のふれあいが繊細に描写されるけれど、露骨な関係にはならない。もっとも、ふたりは惹かれ合う。しかし、それは「友に対する裏切り」なのだろうか。生涯かけて背負う罪なのか。
現実の生活では、「友だちの恋人」のようにそれぞれが心変わりをして、一緒に暮らしていた男が友だちの彼氏になっても気にしないのではないか。「私は友だちを裏切った」と罪の意識にさいなまれるなんて、フィクションの世界だけのことではないのか。もっとも、裏切られた人間はどれほど傷つくのだろうか? 人は、自分が裏切られてみなければわからない。
「門」を映像化した「わが愛」(1973年TBS放映)では、親友(加藤剛)に愛する妻(星由里子)を奪われた男(山崎努)が登場し、血が凍るほどのニヒリスティックな演技を見せた。妻と友に裏切られた男は人を信じられない人間になり果て、寒々しい精神の荒野を永遠に彷徨い続ける。そこには、救いなどない...。山崎努の鬼気迫る演技が、そんなことを感じさせた。
さて、Jより一年遅れて東京の大学に入ったFさんは、Jが姉と暮らすアパートとそう遠くないところに部屋を借りた。Jは、よくその部屋に泊まった。僕も何度かJと一緒に訪ねたことがある。高校時代と違ってよそよそしさはなくなったが、打ち解けた感じもなかった。Jを間においての友だちだったし、多少親しくなってわかったのは、僕とは住む世界がまったく違うことだった。
そんなFさんとJ抜きで会ったのは、Jが一年先に就職し彼女が大手出版社を中心に就職活動を始めた頃だった。一年浪人したためFさんと同じ時期に就職活動をしていた僕の下宿に、ある日、Jがやってきた。Jは彼女と別れることにしたという。しかし、就職がまだ決まらない彼女を傷付けるかもしれないから、見守ってやってくれないかと言うのだ。「はあ?」と僕は返事をした。
「はあ?」と返事はしたが、当時、隣同士の部屋で暮らしていた高校時代からの友人であるNと一緒に、彼女を案じてオールナイト5本立てに連れ出したりした。突然の僕らの誘いには戸惑ったのかもしれないけれど、お嬢様育ちの彼女は怖いものみたさでやってきた。しばらくして彼女は誰もが知っている大手出版社に就職が決まり、そのことがきっかけだったのか、Jとヨリが戻り数年後に結婚した。
あれから30数年が過ぎ、先日、僕は彼女の3年前の写真をネットで発見した。その写真を見て僕に甦ってきたのは、強い恥の感覚だった。一度だけ、僕はFさんにみっともない電話をした。その電話を彼女がどう受け取ったかはわからないし、その後、その内容をJに話したかどうかもわからない。僕が何とか踏みとどまり貫いてきたささやかな生き方の中で、そのことだけは今でも悔やみきれない恥だ。
若い頃は、人生でよく起きる単純な出来事を大げさに考える。自分だけの不幸のように受け取る。その結果、人生そのものをややこしくしてしまうのだ。今の僕なら、そう思う。だから、あれから一万四千回もの昼と夜が過ぎ、もうすんだこと、昔のことだと思っていたのに、「きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか」と問われれば、今の僕は「痛む」と答える。やれやれ...である。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
>
「思い出し笑い」ならぬ「思い出し恥ずかし」というのがあり、突然にくる。奇声をあげて走りまわりたくなるが、下唇を噛んで天を仰ぐ...というツイートをしたら、いろいろ反応をいただいた。恥多き人生は、僕だけではないらしい。こんなことを書いているのも、また恥の上塗りか。
●第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」受賞
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「映画がなければ生きていけない1999-2002」2,000円+税(水曜社)
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「1999年版 天地創造編」100円+税
「2000年版 暗中模索編」350円+税
「2001年版 疾風怒濤編」350円+税
「2002年版 艱難辛苦編」350円+税
「2003年版 青息吐息編」350円+税
「2004年版 明鏡止水編」350円+税 各年度版を順次配信
< https://hon-to.jp/asp/ShowSeriesDetail.do;jsessionid=5B74240F5672207C2DF9991748732FCC?seriesId=B-MBJ-23510-8-113528X
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自分内別人格の反乱
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女の真似なんかしてて天罰が下ったのだろうか。七転八倒の激痛、パンツ血みどろの戦い。歩くこともままならず、仕事を3日も休んでしまった。病院に行っておそるおそる診断を仰げば、血栓性外痔核。
●自分内別人格の反乱
それを微に入り細にわたり描写して何の役に立つ、と疑問に思われる向きもあるかもしれませんが、今回は他にネタがあるわけでなく、半分ヤケクソ気味にオノレの菊門を天下にさらしてみることにいたしますゆえ、よろしくおつきあいのほどを。
これに限らず病気というものは、苦しみながらもとかく自慢したくなるものでありまして、自慢されたからといってちっともうらやましいとは思わないでしょうけど、巷のバレンタインデー商戦の毎度の浮かれムードにやや辟易されている読者諸兄におかれましては、「パレードに雨」な本稿に中和作用を求めるのも、ご一興かと。
2月5日(日)は下北沢と高円寺で写真撮影のダブルヘッダーだった。下北沢はアイドルの卵たち、高円寺は人形たちが被写体。私の格好は例によってセーラー服。このときは痛みながらもなんとか撮影できた。素早く動くことができない上に、表情がこわばっていたが、後で聞けばあまり気づかれていなかったようで。
翌日、仕事から帰るころがいちばん痛んでつらかった。20年来、出口の調子はあまりよろしくなく、時おり痛んだり出血したりしたものだが、この日はそんなのと比べものにならないほどの激痛。会社のトイレでおそるおそる指でさぐってみれば、アズキ粒大ぐらいのがぴょっこり飛び出している。これ以上固くなりえないというぐらい、パンッパンに張っている。
押し込めないかと、指で押してみる。あまりの痛さにうめき声が出る。個室の外で小用足してる人がいたら、中で何してるんだといぶかしむに違いない。誰も来ないでくれよぉ。がんばると引っ込むことは引っ込む。押さえている間だけは痛みも和らぐ。けど、放すとものの10秒でぷーっと膨れ上がり、元のパンパン状態に戻ってしまう。指は血まみれ。
パンツもすでに血まみれで、しょうがないから間にトイレットペーパーを畳んではさんでおく。けど、そのほうが擦れて余計に痛い。生理用のパッドを当てておくことは考えつかなかった。考えついたとしても、女性に貸してくださいと頼むのもナンだし、会社の売店で売ってるのかどうか知らない。売ってたとしても、チョー買いづらい。
歩いていても、ケツに固い団子をくっつけている感触がする。この団子が強烈な痛みをもって自己主張する。痔核の自覚。会社から駅までの帰り道、タクシーが通りかからないかと振り返り振り返りスロー歩き。重い荷物を背負ったラクダのごとく、人生の宿命を背負い、とぼとぼ歩く。ほぼ泣きそう。普通に歩いている人たちが特急列車のごとくびゅんびゅん追い越していく。
この日、翌朝予定されている月例の進捗報告会用のパワポ資料作成で、けっこう遅くまでかかっていた。火曜日、朝起きてみると、昨晩と状況は変わっておらず、どうにもこうにも出社は無理。休ませていただきたい旨、上司のN河氏に連絡メールを入れる。すると返信で、お薦めの専門病院を教えてくれた。所沢肛門病院。カリスマ肛門科として名高い、とか?
実は、10年ほど前にも激しく痛んで病院に行ったことがある。あんなに痛んだのは初めてだったもんだから、これはいよいよ入院して手術を受けねばなるまいか、と思い、大きな総合病院に行った。ところが、診断によると薬で治療でき、2〜3日で治るとのこと。言われたわけではないけど、もっと深刻な状態の患者を診ている名医の俺のところに、そんなオデキみたいなもんのことで来られてもなぁ、そこらの町医者でじゅうぶんじゃん、と言いたげなふうにみえた。
所沢は中野区のウチからはけっこう遠いけど、その病院は小手指駅から徒歩3分のところにあり、所沢で西武新宿線から池袋線に乗り換えれば行ける。都心方向に向かうよりも、通勤ラッシュと逆方向のほうが、すいてて楽だ。
さすがは専門病院、待合室の座布団からして違う。四角い座布団にドーナツ状に丸く綿が入っていて、真ん中が凹んでいる。これはいい! 20分ほどの待ち時間で診察室に呼ばれたのは、大病院と比べれば格段に早い。顔はヒゲぼうぼうなのに、足がつるつるに剃ってあるのをどう思われたかは知らない。
診断は前述のとおり、血栓性外痔核。薬で2〜3日で治るとのこと。内痔核のほうは慢性化していて、手術しないと治らないとのことだけど、そっちは何とか生活できているので見送ることにした。薬を塗ってもらい、ガーゼを当ててもらった。なんかすでに少し楽になった気がする。
しかし、小手指駅前って、昼メシ食うお店があんまりないね。ウチの最寄もあんまりなく、仕方がないので、一駅手前の、以前に住んでたウチの最寄駅で降り、行きつけの喫茶店でA定食。注文するときは「いつもの」。帰ってから夜まで、よく眠れた。夜は夜で、また眠れた。前夜は痛みでろくに眠れなかったので。結局、水、木も仕事を休んでしまった。
痔に自意識が芽生えて反乱起こしてる感じ。本体はいたって健康で、酒も飲みたいし辛いものも食いたい。けど、出口の都合で我慢を強いられる。「なんでこいつのせいで」と言えば「出口をナメたらあかんよ。オレが機能しなかったらどういう困った事態になるか、考えてみんしゃい」と言い返される。ひとりチャットができそう。まるで人面瘡だ。
人面瘡と言えば、昔、指にイボみたいなのができて、限りなく生長していきそうな勢いだったことがある。皮膚科に行ったら、ドライアイスでジュッとやってポロッと取ってもらえた。Novaで英会話を習ってたころで、包帯をして行ったら女子高生から「どうしたんですか?」って聞かれたんで、冗談のつもりで「昔の女の顔が現れて、ぎゃーぎゃー文句言うんだよね」と答えたら、真顔で「そんなに悪いことしてるんですか?」と聞き返されてたいへん困ったことがある。
「ろくでなしのこんこんちきの大馬鹿野郎」を意味する英単語に"asshole" というのがある。文字通りの意味は「ケツの穴」。痔が自我を生じ、痔核に人格が現れ、肛門様がかっかっかっと高笑いするとき、本体は大弱り。やっぱ誰かに恨まれてるんだろうか。
「他にネタもなく」とは言ったものの、これだけで長文を引っ張るのは気がひけるので、そろそろ話題を変えましょうか。
●猫から学ぼう
ウィリアム・サマセット・モームは小さいころ「アリとキリギリス」の話を聞かされてアリが大嫌いになり、見ると踏んづけたというが、私は偉人の伝記を読まされて偉い人が大嫌いになった。イソップ寓話の教訓が気に食わないからといって現実のアリに罪があるわけではないのと同様、伝記を読んでムカッとくるのは偉人のせいではない、ってことに気づくのは、ずっと後になってからのことである。
つまりは、伝記を書いたやつの小人物っぷりが鼻についたのだ。凡人すぎて、書いてる対象人物のことをちっとも理解できてないみっともなさは、今なら笑い飛ばせる。
子供向けの伝記はだいたいパターンが決まっている。幼いころから背負っていたハンディキャップを乗り越え、努力を怠らず、ついには大偉業を成し遂げ、人類に大きな貢献をしました、と。企図がバレバレだ。そこから感銘を受け、偉人にあこがれ、そこに近づく努力をする子供になってほしい、と。はいはいおおきに。偉人自身はダシに使われてるにすぎないやんけ。
そういう中にあって、良寛禅師のはちょっと異彩を放っていた。毎日よく遊び、まりつきが上手かったとか。たいていは一人だが、遊び相手がいるとしても子供たちとか猫たちとか。遺した言葉も「偉ぶった態度はイヤだな」とか「私はダメ人間なので、人間様の相手は向かない。猫ぐらいがちょうどいい」みたいな感じ。一体どこが偉いんだろ? こういうのはじんと心に沁み入り、いつまでも記憶に残る。こんな人が偉人として尊敬を集めるなんて、日本人って、なんだかいいな。よーし今日から俺もダメ人間になるぞ。
2月5日(日)、私はセーラー服を着て出かけ、中野のあおい書店で猫の写真集を買い求め、その足で下北沢の音楽スタジオに行き、アイドルの卵である女子中高生たち6人に写真集にある猫のポーズを代わる代わるとってもらい、撮影した。天の思し召しにより、ちょっとした縁があって、とある芸能事務所の擁するデビュー前のアイドルたちの写真撮影役と英語指導役を仰せつかっているのである。
そのちょっとした縁の始まりは'08年7月20日(日)に遡る。とある劇団の宣伝用写真の撮影を通じて奥井氏と知り合った。いや、もう少し遡ろう。'05年4月29日(日)に浜松町で開かれた「ドールショウ」で人形作家の林美登利さんと知合ったのをきっかけに、創作人形をよく撮らせてもらうようになり、人形作家さんの知合いも増えていった。
その中に、由良瓏砂さんがいた。瓏砂さんはひらめきを感じさせる独創的で呪術的な人形を作るが、役者でもあり、劇団 MONT★SUCHT(モント・ザハト)の一員であった。その劇団の撮影が先ほど述べた日にあったのである。
瓏砂さんはまた、青炎(セイレーン)さんという歌い手さんと「VANQUISH」というユニットを組んでミュージカルを演じる活動もしていた。そのつながりで、青炎さんも来ていて、一緒に撮影させてもらった。青炎さんの所属する事務所「VALOIS ARTISTE(ヴァロワ・アーティスト)」の人としてBMWで送り迎えしていたのが奥井氏である。
< http://www.ness2000.com/va.html
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奥井氏はたいへん親切な方で、私がうっかり容量の見当を誤ってコンパクト・フラッシュが足りなくなったとき、BMWを駆って家電量販店まで連れていってくれた。以降もなにかとお世話になり、'10年4月18日(日)のVANQUISHの公演では、私も神父役として舞台を踏ませていただいた。
< http://www.ness2000.com/vanquish.html
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奥井氏は下北沢にある音楽教室「VALOIS VOIX(ヴァロワ・ヴォイス)」の人でもある。私は公演の3日後の4月21日(水)からそこでボイストレーニングを受けている。
< http://www.ness2000.com/vv.html
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んで、ヴァロワ・アーティストはアイドルの卵たちとして二組のユニット「CGM」と「AM6」を擁し、デビューに向けて特訓をほどこしている。その一環として、私にも前述の指導役が回ってきたというわけである。詳しく述べれば以上のようなことになるが、ごく簡単にまとめれば、写真を撮っていると芋づる式に人とのつながりが広がっていく、ってことである。
ポージングの練習ということなので、ポーズ集のような本を教科書にしてもよかったのだが、ちょっと猫になってみてほしくなったのは、単なる私の趣味である。アイドルの卵たる女子中高生もかわいいけど、猫もかわいい。そのかわいさは、まったく同質のものではないけれど、共通するエッセンスのようなものはあるだろう。下北沢の音楽スタジオにはなぜかちょうどよく猫耳なんかあるし。
いや〜、猫になってるなってる。こっちもごろにゃ〜んと寝っ転がって撮る。あ゛ー、痔が痛てえ。と、人知れず苦しんで撮った難産のたまものであるところの写真、残念ながら権利うんぬんの制約があり、ここにほいっと公開するわけにはまいりませぬ。3月11日(日)に田町で練習ライブをやるので、どうか実物を見にいらしてくださいまし〜。詳細決まったらここに情報掲載されます。
< http://www.ness2000.com/va2.html
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ライブと言えば、12月25日(日)と1月21日(土)に西川口の「Hearts」にて開かれたライブにも練習として出演していた。12月のときは、曲目に英語の曲が2曲。準備期間が2か月足らずだったけど、ちゃんと歌詞を覚えてくれたし、発音もなかなかよかった。欲を言えば発音にはまだ注文つけたい点があったし、歌詞を覚えるのがやっとで表現力うんぬんというところまでは手が回らなかったということはある。しかし、あの短い期間でやれることは精いっぱいやってくれたと思う。
実際、この英語の歌で会場の空気が引き締まった感じがした。「こやつら何者?」みたいな感じで。こんな小さな箱に納まっているようなレベルではなく、近い将来、大きく羽ばたいていってビッグになるんじゃなかろうかと予感させる「何か」があった。
1月のときはイベント全体としてアニソン縛り。CGMとAM6の合体グループとして15分の枠をもらい、3曲歌った。実は前日の夕方になってもう一枠空いてしまい、急遽穴埋め要請が主催者から来た。アニソンではなかったけど、前回披露したオリジナル曲で、立派にやり遂げた。もともとの枠も、いい出来だった。振りがよく揃ってきたし、前回からたったの1か月なのに、格段に進歩していた。まあ、猛特訓してるから、あたりまえなんだけどね。
面白いのは、振りが揃ってくれば一人一人の個性は埋没してしまうのが道理なようであって、実際は逆だったこと。カメラを構え、レンズを通して一人一人の姿をアップで見ると、歌や振りのレベルが向上した分、いっそう魅力が増し、それぞれの持っている味が際立ってきた。集団で「ハレ晴レユカイ」を演じてあんなに愉快なのは初めて見た。3月のイベントでは、さらにオリジナル曲が増える予定です。
余談だけど。ライブで撮ってるときの私の姿もセーラー服。けど、彼女らはまったく動じない。毎週末見てるんで、慣れっこなのだ。私は外を歩いていると路上で歌っているパフォーマを見かけることがあるが、明らかに笑いをこらえて歌っているのが分かることがあり、「あ、ごめん」と心の中でつぶやいたりする。
ライブの帰りは、リアル女子中高生の仲間たちの中に偽物が一人混ざり、普通におしゃべりしている格好になるが、シュールに見えて面白いらしい。「あ、すれ違う人たちが何で笑ってるのかなぁ、と思ってたら、そっかGrowHairさんかぁ」と。慣れとはおそろしい。
【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。来るか来るかと思ってるとなかなか来なくて、忘れたころにやってくるのは地震ばかりではなく。15年ぶりに人事異動を申し渡された。申し渡されたといっても、池袋の「ビッグエコー」の受付カウンターで職場の偉い方にばったりと会ってセーラー服姿を見られてしまった(←これは事実)のがたたってクビ同然の左遷、というわけではなく、ありえないくらいの温情人事。
今までの職場は埼玉の、もうちょっと行けば田園風景が広々と見渡せる平らな地帯に建つ古い工場の敷地内の研究所。今度の職場は山手線沿いに建つ24階建てビルの22階。ソリューション提供ビジネスを下支えする技術開発部門。近代的で垢抜けた雰囲気。テレビドラマに出てくるオフィスみたい。
上司のM山さんは働く女性の鑑のような人で、社長賞を受賞している(従業員4万人の会社でこれはスゴイこと)。以前の同僚だが、あのころ小さな子供だった娘さんは、今年成人式を迎えたという。窓からはレインボーブリッジと東京タワーと代々木のドコモビルが見える。技術畑で長くやってきた私としては、野暮った〜い空気のほうが落ち着くんだけどなぁ。もっとバリバリ働けってメッセージなのか。にゃ〜〜〜ぉ。
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■編集後記(02/17)
・「日出処の天子」を読んだら、池田理代子の「聖徳太子」も読まなくては。こちらは平成になってからの作品で、大阪の四天王寺創建1400年を記念する行事の一環として、聖徳太子の正史となる漫画制作を四天王寺から池田が受注したものだといわれる。単行本は創隆社から1991年から1994年にかけて書き下ろしで全7巻が発行された。正史となる出来かどうかは別として、また少女漫画特有の表情が見られる絵柄が好きになれないのも別にして、案外よくまとまった作品だと思った。登場人物は「日出処の天子」とほぼ一緒であるが、重要な配役である蘇我毛人の扱いに大きな違いがある。それにしても、曽我大臣馬子の容姿の描かれようはひどいもので、ほとんど盗賊の親分である(山岸凉子の描いた馬子も同様だったが愛嬌があった)。また会話に横文字が出てくるのにはあきれた。スケールの大きな、確かなシステム、ライバル視する、なんて上代の人に言わせてはだめだろう。それでも、いま読んでも充分楽しめる作品だ。ところが、2007年5月に池田が朝日新聞で不用意に「日出処の天子」を非難する発言をしたため、ネットは騒然。池田作品は山岸作品のパクリではないのかと有志が両作品を比較検証してみると、聖徳太子の特異な容姿だけでなく、脇役の容姿や性格設定、史実にないエピソード、漫画テクニック等、盗作疑惑箇所が大量に発見されてしまった。2008年1月には「週刊新潮」が盗作疑惑を掲載した。気の毒だが池田理代子に勝ち目はない。口は災いの元である(自戒をこめて)。(柴田)
・GrowHairさんの血栓性外痔核の話。文章さすが。なんだろうこのテンポの良さ、面白さ、読みやすさ、表現。もっと読みたかった。/iPhoneのToDoアプリ「clear」の紹介動画がすてき。ピンチイン・アウトでタスクがまとまったり、展開されたり。軽快な音、BGM、色、アニメーションが気持ち良い。発売されたので試してみた。UIはとても楽しい。ピンチインで上の階層に上がれる。下から上にスワイプすると下に降りられる。最初の10個ほどあるタスクを試したら、もう使いこなせるようになるぐらい簡単(それ以外のTipsは最上部に書かれてある)。設定で音は消せる。オレンジ以外にもピンクやグレー、グリーンなどのテーマもある。バッジも表示できる。最下部には格言。ジョブズのもあったよ。ただ、終了したタスクを復活させられないのが痛い。clearのように期日の設定をしないものは、繰り返し使えるチェックリストに最適だと思う。出勤時や出張時などに必要なリストを作っておいて、気持ち良いUIと音で消し込んでいけば、準備も楽しくなるってもんだ。でも今はそれができないから、カテゴリ分けのできる一行メモや付箋みたいな感じ。ToDoアプリは数十個持っていて、Toodledoと連携されるもの、チェックリストとして何度も使い回すもの、ショッピングリストなどを主に使っているから、clearはあまり出番なさそう。チェックリストとして使えるなら(ボタンひとつでリストが復活するなら)最高なんだけど。今なら発売セール中よ。(hammer.mule)
< http://www.realmacsoftware.com/clear/
> clear公式。動画も見られる
< http://ascii.jp/elem/000/000/672/672387/
>
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