[3356] いまさらマジメにインスタ

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《エンドルフィン出まくりでした》

■アナログステージ[85]
 いまさらマジメにインスタ
 べちおサマンサ

■デジタルちゃいろ[24]
 青空と飛蚊症
 browneyes

■ローマでMANGA[57]
 単行本頭と連載頭
 modori




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■アナログステージ[85]
いまさらマジメにインスタ

べちおサマンサ
< https://bn.dgcr.com/archives/20121023140300.html
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前回、チラ裏っぽいニュアンスで書いたSNS放置。このままだと、2013年を迎えるまえに、ソーシャルネットという、リアルでも非リアルとも云えない、中性的な世界から足を洗ってしまいそう。それはそれでスッキリするところもあるだろうが、そこでしか繋がっていない、貴重な繋がりまで途絶えてしまうことになる。

というわけで、「嵌りすぎず、放置しすぎず」というスタイルで、SNSの世界を個人レベルで見直し、いま表立って動いているところから方向転換してみよう! と、見直してみたのだ。

○いまさら真面目にInstagramを愉しんでみる

すでにTwitterで方向転換を図るのは難しい。急な方向転換をするのならば、別アカウントを取得して「べちおサマンサ」の匂いを消さなければ、やる意味がない。そもそも別アカウントで、もうひとりのボクを作る必要性が見えないどころか、いちいちキャラを切替えるのが面倒くさい。

「ちょっとだけおかしいヒト」だと十分に認識されているようだから、本当に精神崩壊してしまえば、想定外な人物の出来上がりになるけど、これ以上おかしくなる必要もない。もちろん、「真面目で誠実なヒト」という認識はゼロに等しいので、いまから改善運動を始めても仕方がない。疲れるからいつも素のままでいい。

しかし、素のままというは、疲れないかわりに、マンネリ化してくることもある。マンネリが長期化すると、そのモノから興味を失ってしまうのが人間の性だ。これはどうしようもない。夫婦生活もそうだが、あれこれ趣向を凝らしながら、「意外な一面」を潜ませているほうが面白い。年を重ねていくと開花してくる場合もあるし。

さてさて。とりあえず、いま継続して遊んでいるSNSの中から、方向転換を図ってみたサービスが、INSTAGRAM(以下、インスタ)。もう説明がいらないくらい、世界中に認知されているアプリケーションソフトウェアなはずなので、下手な説明は省略。

「いんすたぐらむ? T-REXのテレグラム・サムなら知ってる」という方、いらっしゃいますか? 惜しい! 実に惜しい! 近いけど全然違う。「しらねーよ、どうせiPhone持ってないとできないんでしょ?」って投げやりにならずに、まぁまぁまぁ。今年の春から、Android版もリリースされたようなので、そちらからでもどうぞ。「ガラケーなんですけど、なにか?」

サービス開始から、少し時間が経ってから始めたインスタだけど、気まぐれでiPhoneから撮った写真を、ただ漠然として載せていただけのインスタワールドから着手してみることに。ここから先、「オマエはなにをいまさらなことをウダウダと書いているんだ、このトリックオアトリート野郎! ブロッコリーでも齧ってガン予防してろよ」って言われそうですけど、まぁまぁまぁ。

インスタに載せている写真は、オープンに公開しているんだから、世界中のたくさんの人から見てもらえるようにしてみよう! と実験スタート。しかし、なにをすれば世界中のヒトたちから見てもらえるのか分からない。分からないけど、なにかしら行動に移さないと、方向転換はできない。

無差別にフォローを増やしたところで、たくさんの目に触れてもられるかと云えば、否。フォローを増やしても、自分のタイムラインがギッシリと埋まるだけで、フォロワーが増えなければ目にとめてもらえることはない。それはTwitterと同じ。おまけに性格が捻くれているので、フォローを無意味に増やすのは嫌いときている。ノイズ減にもなるし、ストレス抱えそうで精神安定上、よろしくない。

かといって、ポピュラー狙いの博打にでるのは、当たる気がしない宝クジを、延々と買い続けているようなもの。でも、投稿しないことにはポピュラーにも選ばれない以前に、誰の目にもとまることすらないということだ。宝クジも買わないことには当たらない。ポピュラーも宝クジも、いつか当たったらいいなぁ... くらいで宜しいのかと。

○気が付けば簡単なことだった

では、どうしたらいい? ということで始めたのが、ハッシュタグを付けて投稿してみた。それだけ。それだけなのに、世界中からの反応速度が急激に上がった。フォロワーさんからの「いいね!」ではなく、まったく知らない、世界中のヒトたちからの「いいね!」。

これは面白くなりそうだと味を占めてきたので、過去に投稿した写真たちもどうかな? と、それなりに関連性があるハッシュタグを付け直して再コメントしてみると、もの凄い反応。「自分が撮った写真が、世界中のヒトたちに見てもらえるようになった、わーい!」と、自己満足して終わりそうな試みだったが、意外というか、予想していなかった付加価値があった。

フォロワーさんが自然と増えてきたのだ。インスタでフォロワーさんが増えるのは、Twitterと違って、目に見える「色(景色や人など)」の価値観が共有できたような、そんな嬉しさがある。TwitterはTwitterで、140文字のテキストの中から想像する楽しさもあるが、写真という、明確な「色」がある以上、好みもハッキリと別れる。

今回のインスタでの着手は、「いいね!」をたくさん付けて貰うことや、フォロー数を増やすなどの目的ではなく、自身の中で枯れはじめているSNSに、もう一度、潤いを与えて楽しく遊べる場にしてみよう! という試みです。単純に「いいね!」だけをたくさん付けてほしいヒトは、方法がいろいろあるみたいなので、そちらをご参照ください。

以前にも書いたけど、SNSは自分に合った棲み分けが大切だなぁ...... と、しみじみ。

【べちおサマンサ】pipelinehot@yokohama.email.ne.jp
NDA拘束員であり、本当の横浜を探しているヒト
Twitterはコチラ→< http://twitter.com/bachiosamansa
>
まとめはコチラ→< http://start.io/bachio
>

○30代前は間違いなく、うどん派だった。ソバなんて見向きもしなかった/30代に入り、うどん8割、蕎麦2割くらいで食べるようになってきていたのが、いまでは見事に逆転しており、店で食べる際は、蕎麦を頼む率が高い/しかし、それ以上にラーメン率の高さが異常。美味しいソバ食べ終えたあとの満足感って、ほかの麺類にはない幸福感がある。

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■デジタルちゃいろ[24]
青空と飛蚊症

browneyes
< https://bn.dgcr.com/archives/20121023140200.html
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仕事が煮詰まって、あの締め切りもこの締め切りも列をなして自分を待っている。緊張感なのか焦燥感なのか、それともそれらが少しずつ澱になったものなのかよくわからないが、そういった諸々が多少ストレスになっているようで、最近は眠りの質が非常に悪い。主に入眠困難。

そんな夜が幾晩か続いて、肉体が悲鳴を上げる。若い頃は肉体優先だったが、衰えきった肉体は、いつしか己の無意識の中でも優先順位が下がっているようで、身体は休息を求めているのに、タガの外れた精神が優先されてしまうらしく、眠れない。

眠れない、といっても、布団に入ってから夜な夜な具体的な何かについて考えこんでいるのか、というと、そういう覚えは特にない。ただ、ただ、眠れないのだ。

ストレスを取り除こうにも、ストレスの正体が曖昧な割にどうしようもなく現実的で、物理的で、淡々と仕事をこなし、片付けていくしかないように思えるのだが、仕事に真面目に取り組めば取り組むほど気持ちに余裕を欠く。余裕を欠けば、更に精神に澱みが増す。

悪天候の合間のような秋晴れの週末。大真面目な方の自分が細々と立てていた作業タスクをうっちゃって、午後、不真面目な方の自分に先導されて河口近くの土手に向かう。向かっているうちに徐々に気持ちが軽くなる。

土手には階段を兼ねた木製の巨大ベンチが段々に重ねられている。電車の7人掛けシートくらいの横幅で、奥行きも、もっとたっぷりある。てっぺんの巨大ベンチに寝転がる。視界が空だけになる。

秋晴れの真っ青な高い空。少なくとも上空、視界の範囲には雲もない。しばらくそうやって「何もない」青を眺めていると、実際は何もない訳ではない事に気づく。いや、実際は何もない。外界には。

外界の何もなさで見えてきたのは、眼球の内側、硝子体の混濁によるゴミ。飛蚊症である。空を見なくとも、日常的に飛蚊症のゴミは見えているし、別件で眼科での検査にはよく通ってるので、飛蚊症自体を心配したり気に病んでいるわけではない。

ただ、通常、日々の視界のちょっとした邪魔者としての飛蚊症が、何もない青い視界の中で偶然、唯一「在る」ものという立場になったことと、それに気づいたことが面白くて、しばらく飛蚊症のゴミをじっくり見てみることにした。

飛蚊症のゴミは目玉の動きに合わせて硝子体内部で動く。やや重たい液体の中のゴミの浮遊と全く一緒だ。目玉が右を向けば右に、左を向けば左に。しばらく目玉とゴミを動かして遊ぶ。

ゴミの位置がうまく視点と合うと、ものによっては鮮明にゴミの像が見える。視点は合ってもどうしてもぼやけたままのゴミもある。違いは何なのか。硝子体内での奥行き的なゴミ位置のせいなのか。

鮮明に見えそうなゴミを、目玉を上下左右に細かく動かしては視点に合わせる。顕微鏡で見る微生物のようだ。人によってはややグロテスクに感じるかもしれないが、きれいだと感じる。

そうやって、自分の目玉の内部から出たゴミをしげしげ眺める。凝視しようとすればするほど目玉は不随意に細かく動くので、見ていたゴミも動いてしまう。

そうこうしているうちに不思議な事に気がついた。極度の乱視である筈なのに、焦点の合ったゴミはブレずに見えている。焦点の合わないゴミも、ボケてはいるもののブレはない。そうか、硝子体は乱視の原因の角膜よりも内側だから、歪みの影響を受けないのか、と思い至る。そして更に考えこむ。

...待てよ、硝子体は、目玉前面の、外界から像を取り込む器官より内側だ。外界のものを見るメカニズムは乱暴に、カメラ同様のイメージで理解出来ている。けれど、このゴミはいったいどうやって脳に像を送っているのだろう。網膜から直送?

外界のものではない何かを眺められるのだという不思議。そして、外界でないものなら、まだ、歪まずに見ることが出来るものが存在するという不思議。

傍目から見れば、土手で長い間虚空を、無表情に、頭も動かさず目だけ頻繁にキョロキョロさせてひっくり返ってる怪しい人だったかもしれないけれど、自分の中では意外に深い気づきと感動だった。

しばらくこうして己の内部世界の一部とも言えるゴミを見つめ続けていたのだが唐突に、右の方にあったらしい黒いボヤけたゴミが他のゴミとは比べ物にならない速さで動き出したのに驚いて、自然と視線がそのゴミに向かう。視点だけでなく、焦点も自然に合わせて行く。

ゴミじゃなかった。外界だ。上空、高い高いところを横切る鳶だった。通常以上に長い距離に焦点を合わせていく時の、ちょっとした機械めいたなんとも言えない不思議な感覚と同時に、ワタシと外界を隔てている角膜による乱視の歪み効果も加わって、一羽だった筈の鳶が二重になって飛んでいく。外界だ。

なんとなく今夜はよく眠れるような気がしてる。

□飛蚊症 - Wikipedia
└< http://j.mp/RQdv2x
>

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■今回のどこかの国の音楽

□Jalsaghar(Satyajit Ray)"Kathak by Roshan Kumari"
└<
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音楽というよりは舞踏がよい系なのですが、印度映画、ベンガル地方の巨匠、サタジット・レイ監督の、Jalsaghar。邦題は「音楽ホール」だったかな。

芸事の好きな没落貴族の転落するまでの物語とあって、自宅の「音楽ホール」に招かれる音楽家の演奏がどれもこれも素晴らしい。その中でも一番魅了されたのがこのカタックダンスの舞踏シーン。

もう何年も前に、銀座のメゾン・エルメスに、数か月サイクルで無料でマイナー系各国映画を見せてくれるル・シネマという空間があり(もうなくなっちゃったみたいです。残念)、しかも何故か印度映画特集をしてて観た映画のひとつがコレなのですが、小さいながらにスクリーンで観たこのシーンはもう、エンドルフィン出まくりでした。

【browneyes】 dc@browneyes.in
日常スナップ撮り続けてます。アパレル屋→本屋→キャスティング屋→
ウェブ屋(←いまここ)しつつなんでも屋。
□立ち寄り先一覧 < http://start.io/browneyes
>
□デジタルちゃいろ:今回のどこかの国の音楽プレイリストまとめ
└< http://j.mp/xA0gHF
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最近訳あって我が家にMac miniがやって来た。それまで最後にMacを使ってたのはいつだろう、なにがしかの豹の時か。山ライオンの載っかったMacなんてどんななんだろう、と思ったものの、豪華版iPhoneみたいで大分がっかりした。

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■ローマでMANGA[57]
単行本頭と連載頭

modori
< https://bn.dgcr.com/archives/20121023140100.html
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●「世界初、子供宇宙飛行士ユーリ」出発のつまずき

週刊モーニングに掲載すべく、南イタリア特有の人生観「宿命」をマフィアのファミリーを借りて、400ページの大作を描いていたイタリア人漫画家イゴルト、この機会を最大限に活用しようとしたのか、別の企画を提示してきた。それが以前にスウォッチで出したキャラ「ユーリ」だった。

イゴルトの提案に応えて、担当編集者の堤さんはイゴルトの画家としての作品集から、グリーンカンガルーという巨大宇宙船や、遊び好きの巨人といった世界と混ぜあわせた世界を作り上げようと提案した。

堤さんはユーリというキャラの持つ強さに世に出せるという確信を持ち、オールカラーで40ページの単行本を目指し、アニメやグッズなどの2次使用の提言もして、イゴルトを喜ばせた。それこそが、イゴルトが日本の大手出版社と仕事をしようと画策した理由だからだ。

堤さんの提言を受け、イゴルトは嬉々として全40ページのネームを用意し、その勢いで彩色チームも構成した。これが問題だった。

堤さんはまず週刊誌に連載して読者をつかむ、という基本姿勢を提示した。一回に8ページ。8ページで一回づつ読者をつかむ構成をしていく必要がある。ところがイゴルトは、堤さんの通信を読んで自分が理解し、賛成した部分を以って、将来単行本になることをまず頭に浮かべてさっさと構成をしてしまった。

新年の挨拶の後、一冊目のネームを送った旨の連絡に続いてウキウキと、「この企画の制作に準備万端です」と言い、「色彩はただ単に美しさを増すためではなく、色彩を通しても物語は語られます」そして「なにか新しいスタイルが生まれつつある気がします。一連のイメージで作られた物語。マンガでもアニメでもない物語。ストーリーボードに似てますがもっと完成されたもの。なにかまだ定義さえ知らないこの新しいものを作ってるんだと思うと興奮します」と締めくくっている。

堤さんの提言で、絵本を思わせるような大きなコマ割りと背景も描き込んだオールカラーという構成で行くことになった。確かに今までなかった表現方法で、私も行き先が楽しみだった

ただ、ここで前回から繰り返していることだが、イゴルトが「単行本」を前提としていることと、「連載」を前提とした堤さんとのスレ違いが表に出た結果になった。

実は週刊誌とか月刊誌とかの漫画雑誌は日本に特有なもので、連載掲載のあり方をイゴルトが無視した形になってしまったことを、一概には責められない。それでも、「アモーレ」で日本の編集部とやり取りを経験してたわけだし、新年の挨拶の前の通信で堤さんは「おおまかなラフを出してください」と言っていた。

ネームを担当編集者に送った時点でさっさとペン入れや彩色を始めてしまい、「おおまかなラフを出してください」という一文の重要さが頭からすっ飛んで、無視してしまった。イゴルトは、ユーリを講談社から出すということに夢中になっていたのだった。

●manga制作システムは日本独自

イゴルトのキャッキャッと高揚している通信を受けた担当編集者の返事は、困惑に満ち満ちていた。これまで丁寧な日本語だったのが、ときどき怒ったような口調が挟まっていることからもわかる。

イゴルトのネームは40ページの物語として構成され、これを8ページに機械的に分けて掲載と簡単に考えて「連載頭」を悩ませた。
そこで再々度、重要な項目を三つあげた。
1)各号8ページしか用意できない。
2)各章にタイトルをつけてほしい。
3)まず一話目のおおまかなラフを出してほしい。

さらに、イゴルトの単行本頭は作品を見開きで始めてしまった。これは、少なくとも講談社、モーニング誌のやり方には合わない。全作品片起こし(左ページから始まる)で構成されているので、一作品見開きで始まる作品を入れると混乱が起こる。

堤さんは全40ページの絵本型で単行本にするという構成を考えていたが、イゴルトのネームを活かすことを考えて88ページまで増やすことを提案した。つまり、8ページの物語11章。

問題としては、40ページでも絵本としてはやや多すぎる。ページを増やして絵本型にすると定価が高くなりすぎる。つまり、別のスタイルの本を考える必要が出てきた。厚い本となると大人も子供も楽しめるクオリティーが必要になる。これで、堤さんの当初の計画を大いに変更する事態になってしまった。

そして、イゴルトのネームで、機械的に8ページに分けても「読者の気持ちと目を集中させることができない」ので、ネームを生かしつつ堤さんは二章の構成を考えた。

二章ともタイトルを付け、イゴルトのネームの何ページを生かして扉と数枚ページを付け足すという提案をした。なにしろ、もう彩色を始めてしまっているのだから。一章は主人公ユーリに焦点を当てて、その可愛らしさを強調する。二章はサブの遊び好きの巨人、異形にもかかわらず無邪気なこのキャラの様子を描く...というように何を見せるのか、ということを強調した。

自分にとってあまりにも当たり前の事項は、ついつい説明を疎かにしてしまう。というのは、私自身、ローマのマンガ学校でMangaセミナーを始めた時に痛感した。

問題点は、こちらにとってあまりにもあたり前なので、なにが相手にとってあたり前でないのか見極めることが難しいということだ。Manga制作に関して言えば、すべてがヨーロッパのやり方から見てあたり前ではない。

モーニング編集部の海外作家作品掲載企画で時間がかかったのは、まさにこの部分である。

一つの話を週刊あるいは月刊誌に分割して連載することと、日本のManga構築法が日本独特のものだということが、日本国内とManga世界にどっぷりいるとわからない。

だから、このイゴルトの単行本頭と堤さんの連載頭とがずれてものを言ってしまうというのと似たようなことが多々起こった。だいたい、日本の、まぁ、私の場合モーニング編集部しか知らないのでこの編集部を頭に描いて発言するわけだけど、日本のManga編集部の「編集者」と作家のあり方からして日本独特のものということも、この企画で初めて編集長はじめ編集部員一同は知った。

編集者がまずラフネームを求め、それをたたき台にして編集者と作家が意見を交換するのは(モーニング)編集部ではあたり前のことだ。ヨーロッパでは、作家が自分のアイデアを示し、編集部はそれを出版するかしないかを決める、というのが大雑把だけれど普通のやり方だ。

イゴルトが「アモーレ」で日本式のやり取りをわかったはずなのに、「ユーリ」で高揚のあまり、ユーリの基本事項を確認しただけでせっかちに仕事を進めてしまったのも、ヨーロッパのやり方からみれば普通のことなのだ。

堤さんはこの通信で、もう一度全体を再構成し、おおまかなラフを作成するように頼んだ。今回のFAXには「おおまかなラフ」に下線が引いてあった。私がこの通信をイゴルトに翻訳した時も、下線を忘れなかったのは言うまでもない。

この通信は「いろいろ文句を言ってきましたが、絵はすごくいい。だが、日本の出版界では絵がいいだけでは成功することはできない。『ユーリ』が単に絵がいいだけのちょっと印象的な作品にまとまるか、日本の出版界に衝撃を与える新鮮な力として現れるかは、この段階の努力にかかっている。ぜひ、もう一度がんばってほしい。イゴルト氏の才能を信じ、友情を込めてお願いする」で締めくくられている。

イゴルトのすばらしいところは、こうしたやり直しや再構成の依頼に対し、かならず応えたところだと思う。講談社と仕事を始めた時点で、すでに15年以上プロとしてやってきている。作家側からの企画が気に入るか気に入らないかというだけの判断、OKが出た後は作家が自由に作品を作る、というヨーロッパ出版社のやり方に慣れて来た作家には難しいやり方だったと思う。

そしてやっと「ユーリ」制作が軌道に乗って行く。
これは次回へのお楽しみ。

【みどり】midorigo@mac.com

安倍総裁が誕生。これで解散総選挙となれば安倍総理率いる内閣が誕生して、ようやく日本を本来あるべき姿に戻していく希望が見えてくる。

宮崎の口蹄疫でも3.11の災害でも、現与党は『統治せず』を実行し、ただでさえ大きな災難の被害を大きくしていった。マスゴミは報道すべきを報道せず、この片棒を担いだ。安倍叩き、麻生おろしから民主党政権に世論を導いたのもマスゴミの活躍が大きかった。

今度は違う。マスゴミの安倍叩きにだまされない。。。人が多くなったと思う。破局の方へ舵を取る民主党政権の3年で、日本丸の軌跡が大きくずれてしまった。でもそのおかげで、平坦な海原、晴天に恵まれるばかりではなく、実は近くに暗礁があったり海賊がいたりというのを見えなかっただけなんだ、ということを多くの人が気がついた。失ったものばかりではない。

最近、表に出た「復興予算21億円が中韓友好促進団体に。団体トップは民主大物議員と外務省OB...」
< http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20121018/plt1210181552007-n1.htm
>
これを知るに至っては、なんだかもう怒ったらいいのか、呆れて笑ったらいいのか。もう国政を私物のように扱う人々から政権をとりあげようよ。

主に料理の写真を載せたブログを書いてます。
< http://midoroma.blog87.fc2.com/
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編集後記(10/23)

●この休みは風邪のためベッドの中にいた。寝込んでいたわけではない。任務である犬の散歩には何度も行っている。よりによって(と読後に思う)沼田まほかる「痺れる」(光文社、2010)を読む。この作家は「九月が永遠に続けば」で2004年日本ホラーサスペンス大賞を受賞(未読だが)。それで知った名前だが、ホラーサスペンスなら風邪撃退にちょうどいいのではないかと。「痺れる」は小説宝石に掲載された9つの短編からなる。

ボケが出ている老婆が物入れを整理しながら、失踪したという姑の実相をひとりごちる。レイプされた女がその後に不倫相手およびレイプ犯にとった態度は。古い山荘にひとりで住む女のところに舞い込んだ若い男が帰る日が迫って。家に出入りしていた植木屋が沼毛虫を体内に入れてから人が変わって。畑にかこまれた一軒家に住む女と巡回便利屋の青年、男が次第に強引になって。

映画館で痴漢にあった女が、木曜日毎にこの甘美な儀式を相手と共有し。町会のうっとうしい世話焼き老人を殺そうと思った女。女がひとりで庭仕事をしていると、通りがかりを装い接近してくる男がいる。不倫相手の男には7歳年上の妻がいて献身的に愛されているらしいが、離婚して女と結婚するという。

9編すべて女性が主役だ。2編ではみごとにだまされた。いずれも明るい話ではない。むしろ怖い話ばかり。とくに女性の悪意が怖い。「新作を書くにあたり、いつも思うことがある。光の中に居ない人、暗い所でひっそりと生きる人を書こう。なぜって、自分がそうだから」と大藪春彦賞を受賞したときの読売新聞「顔」欄にあったのを読後に確認した。若い作家には描けない世界かもと思っていたら、60代なかばの女性だった。

しかも「30代、実家の寺の僧侶となった。40代、友人と会社を起こした。でも、どちらも『対人恐怖』で頓挫、50代半ばで志したのが一人でできる作家だった」というから、小説家にとってけっこうな経歴だ。なかなか面白かったが、風邪で滅入っているときに読む本ではなかった。意味不明の悪夢を見た。(柴田)

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●「いんすたぐらむ? T-REXのテレグラム・サムなら知ってる」うう、両方とも知ってた。けど、いんすたぐらむは使ってない。iPhoneアプリは正方形の画像を撮る時に使ったりはする。foursquareと連携させると良さそうなんだが。そうかハッシュタグか。宝塚関係の画像をfoursquareに投げているので(というより撮影するのはそのぐらい)、連携させてみようかな。/「若い頃」って、browneyesさんはおいくつなのかしら......。/midoriさんの続きが気になる。

続き。飲食禁止だけど、飴は(勝手に)許してもらう。喉がいがらっぽくなると咳が出て迷惑がかかる。咳をする時は暗転時か、大きな音楽が鳴っている時。風邪の時はマスク。鼻が出ても音をさせてかむ人はいない。においにも気をつける。汗くさかったら、携帯デオドラントシートなどでふいておく。香水は控えめに。そういや劇場で受け付けるお弁当は、あまりにおいのするものはないような気がする。古い記憶では、団体さんがいたら、二部はみかんの香りがしていたものだが。

ここまで注意しなきゃいけないのか、やはり舞台は観たくないなぁと思う人はいるだろう。けどお互い様というか、お互い配慮するから気持ちよく観劇できるというだけのこと。学生さんたちも始まる前はうるさいのに、舞台がはじまるとマナーを守ってくれるよ。

そうそう、私のまわりでは開場前、幕間のトイレにも気をつけてる。したくなくてもトイレに行く。利尿作用の強い飲み物も飲まない。途中退場するのは迷惑だし、トイレが近い人は通路側の席をとってる。観劇歴ベテランの友人に同行すると、1時間以上前には劇場近くにいる。電車が遅れることはあるし、苦労してとったチケットであり、他の娯楽に比べても安くないし、途中入場は自分にとってもまわりにとっても憎むべきこと。ああ、このぐらい私も仕事の打ち合わせ時に配慮すべきなんじゃないかと思う今日この頃。時間の区切りをつけるため、アラームをいっぱい仕掛けているのに、マナーモードにするのを忘れること度々......。(hammer.mule)