デジタルちゃいろ[24]青空と飛蚊症
── browneyes ──

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仕事が煮詰まって、あの締め切りもこの締め切りも列をなして自分を待っている。緊張感なのか焦燥感なのか、それともそれらが少しずつ澱になったものなのかよくわからないが、そういった諸々が多少ストレスになっているようで、最近は眠りの質が非常に悪い。主に入眠困難。

そんな夜が幾晩か続いて、肉体が悲鳴を上げる。若い頃は肉体優先だったが、衰えきった肉体は、いつしか己の無意識の中でも優先順位が下がっているようで、身体は休息を求めているのに、タガの外れた精神が優先されてしまうらしく、眠れない。

眠れない、といっても、布団に入ってから夜な夜な具体的な何かについて考えこんでいるのか、というと、そういう覚えは特にない。ただ、ただ、眠れないのだ。

ストレスを取り除こうにも、ストレスの正体が曖昧な割にどうしようもなく現実的で、物理的で、淡々と仕事をこなし、片付けていくしかないように思えるのだが、仕事に真面目に取り組めば取り組むほど気持ちに余裕を欠く。余裕を欠けば、更に精神に澱みが増す。

悪天候の合間のような秋晴れの週末。大真面目な方の自分が細々と立てていた作業タスクをうっちゃって、午後、不真面目な方の自分に先導されて河口近くの土手に向かう。向かっているうちに徐々に気持ちが軽くなる。

土手には階段を兼ねた木製の巨大ベンチが段々に重ねられている。電車の7人掛けシートくらいの横幅で、奥行きも、もっとたっぷりある。てっぺんの巨大ベンチに寝転がる。視界が空だけになる。

秋晴れの真っ青な高い空。少なくとも上空、視界の範囲には雲もない。しばらくそうやって「何もない」青を眺めていると、実際は何もない訳ではない事に気づく。いや、実際は何もない。外界には。




外界の何もなさで見えてきたのは、眼球の内側、硝子体の混濁によるゴミ。飛蚊症である。空を見なくとも、日常的に飛蚊症のゴミは見えているし、別件で眼科での検査にはよく通ってるので、飛蚊症自体を心配したり気に病んでいるわけではない。

ただ、通常、日々の視界のちょっとした邪魔者としての飛蚊症が、何もない青い視界の中で偶然、唯一「在る」ものという立場になったことと、それに気づいたことが面白くて、しばらく飛蚊症のゴミをじっくり見てみることにした。

飛蚊症のゴミは目玉の動きに合わせて硝子体内部で動く。やや重たい液体の中のゴミの浮遊と全く一緒だ。目玉が右を向けば右に、左を向けば左に。しばらく目玉とゴミを動かして遊ぶ。

ゴミの位置がうまく視点と合うと、ものによっては鮮明にゴミの像が見える。視点は合ってもどうしてもぼやけたままのゴミもある。違いは何なのか。硝子体内での奥行き的なゴミ位置のせいなのか。

鮮明に見えそうなゴミを、目玉を上下左右に細かく動かしては視点に合わせる。顕微鏡で見る微生物のようだ。人によってはややグロテスクに感じるかもしれないが、きれいだと感じる。

そうやって、自分の目玉の内部から出たゴミをしげしげ眺める。凝視しようとすればするほど目玉は不随意に細かく動くので、見ていたゴミも動いてしまう。

そうこうしているうちに不思議な事に気がついた。極度の乱視である筈なのに、焦点の合ったゴミはブレずに見えている。焦点の合わないゴミも、ボケてはいるもののブレはない。そうか、硝子体は乱視の原因の角膜よりも内側だから、歪みの影響を受けないのか、と思い至る。そして更に考えこむ。

...待てよ、硝子体は、目玉前面の、外界から像を取り込む器官より内側だ。外界のものを見るメカニズムは乱暴に、カメラ同様のイメージで理解出来ている。けれど、このゴミはいったいどうやって脳に像を送っているのだろう。網膜から直送?

外界のものではない何かを眺められるのだという不思議。そして、外界でないものなら、まだ、歪まずに見ることが出来るものが存在するという不思議。

傍目から見れば、土手で長い間虚空を、無表情に、頭も動かさず目だけ頻繁にキョロキョロさせてひっくり返ってる怪しい人だったかもしれないけれど、自分の中では意外に深い気づきと感動だった。

しばらくこうして己の内部世界の一部とも言えるゴミを見つめ続けていたのだが唐突に、右の方にあったらしい黒いボヤけたゴミが他のゴミとは比べ物にならない速さで動き出したのに驚いて、自然と視線がそのゴミに向かう。視点だけでなく、焦点も自然に合わせて行く。

ゴミじゃなかった。外界だ。上空、高い高いところを横切る鳶だった。通常以上に長い距離に焦点を合わせていく時の、ちょっとした機械めいたなんとも言えない不思議な感覚と同時に、ワタシと外界を隔てている角膜による乱視の歪み効果も加わって、一羽だった筈の鳶が二重になって飛んでいく。外界だ。

なんとなく今夜はよく眠れるような気がしてる。

□飛蚊症 - Wikipedia
└< http://j.mp/RQdv2x
>

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■今回のどこかの国の音楽

□Jalsaghar(Satyajit Ray)"Kathak by Roshan Kumari"
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音楽というよりは舞踏がよい系なのですが、印度映画、ベンガル地方の巨匠、サタジット・レイ監督の、Jalsaghar。邦題は「音楽ホール」だったかな。

芸事の好きな没落貴族の転落するまでの物語とあって、自宅の「音楽ホール」に招かれる音楽家の演奏がどれもこれも素晴らしい。その中でも一番魅了されたのがこのカタックダンスの舞踏シーン。

もう何年も前に、銀座のメゾン・エルメスに、数か月サイクルで無料でマイナー系各国映画を見せてくれるル・シネマという空間があり(もうなくなっちゃったみたいです。残念)、しかも何故か印度映画特集をしてて観た映画のひとつがコレなのですが、小さいながらにスクリーンで観たこのシーンはもう、エンドルフィン出まくりでした。

【browneyes】 dc@browneyes.in
日常スナップ撮り続けてます。アパレル屋→本屋→キャスティング屋→
ウェブ屋(←いまここ)しつつなんでも屋。
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□デジタルちゃいろ:今回のどこかの国の音楽プレイリストまとめ
└< http://j.mp/xA0gHF
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最近訳あって我が家にMac miniがやって来た。それまで最後にMacを使ってたのはいつだろう、なにがしかの豹の時か。山ライオンの載っかったMacなんてどんななんだろう、と思ったものの、豪華版iPhoneみたいで大分がっかりした。