[3441] 動く身体、ブレぬ画家──【フランシス・ベーコン展】を観て

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《ベーコンは動いてる肉》

■武&山根の展覧会レビュー 
 動く身体、ブレぬ画家──【フランシス・ベーコン展】を観て
 武 盾一郎&山根康弘

■ショート・ストーリーのKUNI[136]
 魚
 ヤマシタクニコ




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■武&山根の展覧会レビュー 
動く身体、ブレぬ画家──【フランシス・ベーコン展】を観て

武 盾一郎&山根康弘
< https://bn.dgcr.com/archives/20130314140200.html
>
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武:こんばんは! ぴったり6時半!
山:こんばんはー。今日は予定通りチャットを始められましたよ。

武:もう、風やばすぎ! 昨日、今日。
山:今日(3月11日)そんなに強かったっけ。
武:今日はまあそんなだけど。昨日はひどかった。朝はおだやかだったのに。

山:確かに。空がすごい色になってたな。
武:午前中、「お、晴れてる。窓開けっ放しでも暖かいな」と思って窓を開けておいたんすよ。昼ご飯を食べて昼寝して、気が付いたら部屋が砂まみれ。

山:そりゃひどいw
武:寝室の窓も開けてたから布団も、、夜、眠いのに目がかゆいわ涙は出るわ、、
山:それは花粉症とちゃうんかいな。

武:寝室こそセーフティゾーンでなければならないのに、寝室に入ると目がしぱしぱしてくしゃみが出るなんて、、
山:だから花粉症ちゃうんか、って。
武:春の修羅。

●最近観た中で一番充実感があった「フランシス・ベーコン展」

山:...まあええわ。さて、最近展示に行けてなかったんですが、久々に僕も観て参りました! 東京国立近代美術館、フランシス・ベーコン展です! 僕は最近観た中で一番充実感があった。久々ですよ、この感覚は。
武:俺も! 展示の仕方もよかったよね。見やすかったし。

山:山ほど絵がなかったのがよかったかな。
武:そうそう。ちょうどよかった。なんだかんだ国立近代美術館一番多く観に行ってるんじゃないのか?
山:そうかもな。興味をそそる展示をよくやってるってことか。

武:美術館の存在意義についてまで批判したりしてるけど、結局好きってことだなw

|武:あのさ、実はね、膨大な収蔵作品を観ながら、階段降りてる時に、ふと
|思ったんよ。「この膨大なゴミを保管してどうするんかねえ。。」ってwwww」
|「山:あれと一緒やな、お墓。」
|< https://bn.dgcr.com/archives/20121114140200.html
>

山:常設観ると、やっぱり同じことは思たけど。
武:そういう常設を抱えてるからこそ、良い企画展があるんだよ。どっから見ても「良い人」なんて存在しないw 沢山の駄作があるからこそ素晴らしい作品が生じるw

山:埼玉近美ではあんまりそんなこと思わんのは、常設の数が少ないから、ってことやろか。
武:地元の美術家も収蔵されてるからじゃないのかな。

●ベーコンと同時代の画家

山:ふむ、まあその話はまたするとして、今回はベーコンです。フランシス・ベーコンと言えば、僕が予備校生の時は、周りはみんな好きやったんちゃうかとか思うぐらい人気あったような。もちろん僕自身も、ベーコンは大好きな画家の一人やったけど。

武:ベーコンとか、フロイドとか、デ・クーニングとか。
山:ルシアン・フロイドか。画集持ってるわ。
< http://goo.gl/NGHRY
>

武:身体を描くことにこだわった画家が、その年代で何人かいるよね。身体の抽象表現主義というか。
山:ベーコンは、抽象表現主義全盛の時代に、具象にこだわった画家、ってことになってるよな。デ・クーニングは技法としてはジャクソン・ポロックと同じ、オートマティズム。だからちょっとベーコンとは違うんとちゃうか。ただ、「偶然」を重要視するとか、共通点もありそうやけど。

武:ベーコンは身体の身体らしさであるグロテスクな感じをとどめながら具象から逸脱するっていうか。もし身体を抽象画化してくなら、ほとんどの場合が肉々しさを消してく抽象化なんだけど、肉っぽさだけを抽出してる、そう言った意味で、抽象画であるとも言えないか? 肉っぽさというか、肉体の存在の気持ち悪く怖い感じ。

山:ベーコンはグロテスクさ、肉っぽさを抽出したかったのか、っていうとそうでもないかも。展示の中で「リアリティへと至る単純化」というベーコンの言葉があったけど、グロテスクさはあくまでもその結果であって、なんやろ、もうちょっと違うものを求めていたような気がするが。でも、フロイドも肉々しいなw

武:フロイドとベーコンは共通点ある気がしたよ。
山:友人やしね。フロイドを描いた絵が展示されてた。三幅対(トリプティック)ですか。三枚の絵で作られている。

武:あったね、それ観た時、ベーコンってフロイドの影響受けてるっぽいなあって思った、肉感の出し方とか。フロイドは徹底的に肉感を出すんだけど、それはフィックスしてる「塊」なんだよね。ベーコンは動いてる肉。

山:おお、フロイドもベーコンを描いてる。
  < http://www.tate.org.uk/art/artworks/freud-francis-bacon-n06040
>
武:似てるw できてたんかな?
山:ゲイみたいやしな。

武:フロイドも?
山:どうやらフロイドが描く男性はほとんどゲイらしいけど、フロイドはゲイじゃないそうですw

武:フロイドはゲイじゃないのか。ベーコンはゲイであるってのがなあ、やっぱなあ、強いというか。。てか、イギリスのアートってさ、なんかグロテスクなの多くね?

山:言われてみれば多い気がする。
武:牛を輪切りにしたのとかってイギリス人じゃなかったけ?
山:ダミアン・ハーストか。
武:そそ。そういうグロテスクさ。

山:ホックニーもゲイやな。ホックニーはそんなにグロくないけど。
武:けど似た匂いあるよね。洗練されてるけど、どこかキモチワルイの。キモチワルイけど、洗練されてるの。って言った方がいいのか。

山:なんなんやろ。あ、バンクシーもイギリスか。
武:破壊的なんだけど、洗練されてるよね。
山:ギルバート&ジョージ、ジュリアン・オピー、、いろいろいるな。
武:日本人と逆だな、日本人だと、破壊的ではないけど、破綻しちゃってるんだよね。

山:なんでやろ。
武:無理やり開国させられて、戦争で負けたからかな。。
山:ああ、でもそれってさ、そこをどう捉えるかによってだいぶ変わるんとちゃうの。納得してしまうという。実際そこが日本人っぽいところもある。まあそこをたたかれたりもするんやろうけど。

●ベーコンのブレなさ

武:ベーコンは画風というか、テーマが初期ですでに決着がついてるよね。例えば、ポロックや前回のデジクリで書いたポール・デルヴォーは違うじゃん。ちゃんと絵画の歴史変遷を辿ったり真似たりしてるんだよね。ベーコンは50年代で既に手法の原型が登場していて、ずっとそのまんまブレない。

山:ただ、ベーコンは1909年生れで、1944年頃をデビューの年として考えてるみたいだけど、それ以前の絵はほとんど自分で破棄した、と。
武:なるほど! 若い頃の試行錯誤作品は残さなかったわけだ! それはそれですごいな。

山:すごい意識的やな。
武:晩年もブレないんだよね。
山:一貫性はすごくある。生い立ちが謎やけど。
  < http://ja.wikipedia.org/wiki/フランシス・ベーコン_(芸術家)
>

武:アイルランドだっけ?
山:そうやな。この本に詳しくあるらしい。
  < http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4105448013/
>
  そう言えば売ってたか、美術館のショップに。映画もあるね。
  <
>
  俳優そっくりやなーw

武:とても意識的ではあるけど、理屈っぽい感じではないよね。それはやっぱり肉体を描いてるからなんだろうな。
山:不思議やね。絵を作る上でのコンセプトというか、意図はおそらくはっきりあるんやろうけど、結果理屈ではない。本人が偶然を重要視していたってのは、かなり大きいんやろうけど。

武:ああ、ある意味オートマティズムは肯定してるんだね。
山:当時の美術の状況として、それが重要な事柄やったんやろうけど。出し方はいろいろあった、ってことなんかな。心理学も関係してんのやろね。ユングとか。で、ベーコンその人っていうのは全然知らなかったんですが、今回の展示を観たおかげで若干印象変わりました。

武:ほう、どんなふうに?
山:そうとう強欲なんやな、と。まあ、芸術家ってそんなもんかもしらんけど、僕はもうちょっとストイックなイメージしてたからw

武:最晩年に主治医の忠告に逆らって、若い恋人のところへ行ったりしちゃうしねw 晩年の絵はものっそいパワフルで肉。肉欲。けど要素や色数が抑えられてるからかな、確かにベーコンの絵からはストイックな感じを受けるのも分かるよ。
山:絵の要素のせいでそう思ってたんかな。

武:藤田嗣治とかって晩年の絵はがらっと変わるでしょ。最晩年で絵が変わる人ってわりといるよ。「悟る」というか。けど、ベーコンは悟らないんだよね。
山:年食えば枯れるってのが普通な気がするんだが。
武:けど、ベーコンの晩年の絵は枯れてないぞ。

山:うーん、例えばベーコンは最初から「枯れてる」、とか。無理矢理っぽいけど。
武:ああ、なるほど。その解釈は面白いね。
山:「枯れ」的なものから始まってる。ただ、日本人的な情緒が一切ない。美はあるんだけど。

武:情緒を表現してるんじゃないんだけど、見え隠れする。新しい恋人を描いてる絵とかはちょっと嬉しそうだし。ジョン・エドワーズか。ジョージ・ダイアが死んでやっぱり暗い絵が登場するし。けど、その感情や感傷が表現のテーマじゃないんだよね。

山:セクシャリティは重要やったんやろね。非常に即物的でもある訳だ。でも、手仕事そのものは変わんないから、「枯れ」て見える。

武:肉体が好きだったんでしょうな。けどさ、人体ばかり描いてるじゃん。歳食うと「自然」に目が向いちゃうじゃん、木とか山とか空とか海とか。ふわっとした抽象とかにも行かなかったってのがね、すごいよ。
山:強烈に身体に魅せられてたんかな。

武:頑固って意味じゃなくて、変えられない何かを持ち続けた人、ではあるよね。それが驚きなんだよな。好きであり続けるって、ひょっとしてその人の努力の問題というよりかは、偶然好きであり続けられた、ってだけなんかもしれないよな。

  もちろんベーコンだっていろいろ努力してるだろうけどさ。天才と言われるピカソの方が「努力」の痕跡が見えてこないか? ベーコンからは努力の痕跡が見えにくい。。

山:確かに努力を重ねて辿り着いた、って印象は受けへんな。
武:好きでやってただけだとしたら本当に凄い話だよw
山:だから歴史に残ったんとちゃうか。

●ベーコンとダンス

武:そうそう、ベーコンとダンス。土方巽の映像、と誰だっけ、最後の展示のダンサーは、ウィリアム・フォーサイスとかいう人。
山:ペーター・ヴェルツ、と二人で作った映像が展示されてたな。ドイツ人やね、二人とも。

武:土方巽のダンス「舞踏」は精神なんだよね。けど、外人のダンスは「身体表現」なんだよね。ベーコンの絵はその両方を捉えてる感じする。
山:それも面白いよな。だって、絵やで? いくら身体を描いてるって言っても。なぜそこまで魅了するんやろ。身体で表現している人達を。

武:絵だからこそ、現実にはダンス・舞踏じゃ出来ない身体を表現している。そして、絵の身体の「有り様」は、ダンス・舞踏が目指したい動きを醸し出してる。とかかな?

山:ほう。絵コンテ的な。確かにベーコンの絵には、動き、スピード感、時間、とかを感じるけど。
武:映像的、なのかな? うーん、映像的って言うと違うか。映像指示書?

山:映像的、ないし絵コンテ的だとすると、次がある、ってことやんな。そこで終わらない、という。ある状況を説明した絵ではなくて。
武:確かに。スナップ写真みたいな「そこだけ切り取った永遠のポーズ」ではないよな。

山:次の状態を指し示している、指し示すとまでは言わないまでも、暗示させる、絵やと。
武:どうしても次を想像せざるを得ない絵になってるわけか。理想や結論がバーンと提示されてるんじゃないってことだね。

山:そういうことなんやろね。
武:途中っぽくなってるのもそういうのを感じさせるのかな。

山:まあ単純に連続写真をモチーフとして使ってたから、ってだけかもしらんがw さっきも言ったけど、「リアリティへと至る単純化」というベーコンの言葉がある。途中っぽいってのは、過程やからってことなんかな。

武:動いてる写真って、「途中の絵」みたいになるよね。けど、リアリティを追求してるのに、ガラスで隔てて遠くさせちゃうんだよな。

●デザインと色彩

山:つまりリアリティというものをそもそも疑ってるふしもある、ってことなんかな。ガラス。絵の中に出て来る枠もそうやし。
武:絵の内容はガラス額の向こうにある絵の中に作られた枠のそのまた向こうなんだよね。

山:「出来る限り遠ざけたい」って書いてた。ガラスの板が一枚はいることによって、統一感がでる、って言ってたみたいやけど、それはすごくよくわかる。
武:絵の中に更に枠を作りたくなる感じもなんとなく分かる。

山:今それと同じことやってもあかんやろけどねw でもやりたくなる。ベーコンあたりからなんやろね。あと、デュシャンか。
武:「成立しちゃう」ってことなのかな。枠って。

山:仕組みなりを理解するってことか。
武:枠を作れば仕組みが出来たことになっちゃう。理解してる必要はないんだよ、「枠」ってのは、きっとw
山:ほんまかいな。

武:50年代の、暗いバックに口を開けた絵が印象的だけど、グロテスクっちゃあそうなんだけど、色彩はすんごい綺麗よね。
山:深い色やね。

武:あの色が汚らしかったらグロテスクどころじゃなくなるもんな、すごくバランスとれてるんだよね。破綻してないてのはやっぱインテリアデザインの仕事してたからかな。色彩もインテリアっぽいよ。色が収まってるんだよね。
山:いちいちかっこいい。

武:ベーコンってグロテスクと言われてるけど、見る人に不快感を与えたいという気持ちではないよね?
山:うーん、多分違うと思うけど、、わからんなw

武:今回の展示観て思ったのは、ベーコンの特徴って言うと「グロテスクな動く肉体」なんだろうけど、俺としては「色彩の綺麗さ」と「デザイン性」だったなあ。気持ち悪い具象かもだけど、デザインと色彩が効いてるので、成立してる。

山:結局は絵やからね。どこかで美しさを感じないと、伝わらない、とか。理屈っぽくはないが、美的である。美学的、とでもいうのか。
武:肉体を描いてるけど土着っぽくない。かといって観念的でもないんだよな。

山:そういうパラドックスというのかギャップというのかが、絵を非常に魅力的なものにしてるんかね。いやー、なんかまったくまとまらんw
武:ギュッと詰まったベーコンは、やっぱりちょっと切りにくい。

【フランシス・ベーコン展/東京国立近代美術館】
< http://www.momat.go.jp/Honkan/bacon2013.html
>
会期:2013年3月8日(金)〜5月26日(日)10:00〜17:00 金曜日20:00
休館日:毎週月曜日(ただし3/25、4/1、4/8、4/29、5/6は開館)、5/7
観覧料:一般1500円、大学生1100円、高校生700円

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/売り出し中の画家】
『額送線譜』
あなたの額を送ってください!
額に合わせた線譜を描いて、額装して返送いたします!
< http://d.hatena.ne.jp/Take_J/20130303/1362278474
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武盾一郎の画家活動のご支援受付けております!
[埼玉りそな銀行 上尾西口支店 普通 4050735]

【山根康弘(やまね やすひろ)/日本酒はやっぱりあかん】
yamane.yasuhiro@gmail.com


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■ショート・ストーリーのKUNI[136]


ヤマシタクニコ
< https://bn.dgcr.com/archives/20130314140100.html
>
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缶ビールを飲みながらスーパーで買って帰った弁当を食べ終えると彼にはもうすることがなかった。テレビに目をやると最近よく見る中年の男の俳優がコメンテーターとして何かしゃべっているところだった。にこやかに、時折手振りを交えてしゃべっている様子を見ていて思い出した。

こいつは、最近大口の脱税で逮捕された政治家とつながりがあるらしい。そのことはネットで読んだ。新聞やテレビではまったく報道されていないがネットでは周知の事実だ。値の張りそうなスーツを着て髪を整え、自宅は豪邸らしいが、その元になっているのは黒く汚れた金なのだ。腹の底のほうから怒りが熱い塊になってわいてくる。缶を傾け、残っていたビールをごくりと飲み干すと彼はテレビに向かって言った。

「ふざけんなよ」
「おまえみたいなやつがはびこってるから、この国がだめになるんだ」
ひとこと言うつもりが止まらなくなる。
「何様だと思ってる。おまえなんかにえらそうにものを言う権利があるのか! どうせ汚い手段でもって成り上がってきたんだろ! おれたちが何にも知らないとでも思ってるのか! くそっ」

缶をねじ曲げると2メートル先のゴミ箱に投げ捨てた。缶ははずれて床に転がった。水がはねる音がして彼がふりむくと「魚」が水槽の中でゆっくり向きを変えたところだった。ああ、そうだ。こいつがいたんだ。

ひと月余り前、彼の妻は子どもを連れて出て行った。何が気に入らなかったんだ、と聞く気にはなれなかった。一年前にあるデザインスタジオを解雇されてから、まともな仕事にありついていなかった。自分より技術もアイデアも劣るやつがどんどん仕事をしているのに。

わずかな蓄えは減る一方、家の中はぎすぎすする一方で、どうしていいかわからなかった。だから、妻と子どもが荷造りを始めても見て見ぬふりをするしかできなかった。そして、彼らは出て行った。自分たちのものはすべて、残さず運び出して。

ただひとつ残ったのがこの水槽だ。当初飼っていたしゃれた熱帯魚はとっくに死に絶え、澱んだ水がそのままになっていたものなので、持って行く気にもならなかったのだろう。

2週間くらいたったある日、ふと思い立ってその水槽を捨ててしまおうと彼が手をかけたとき、濁った水の中で何かが動いた。小さな魚だった。鉛色のうろこにおおわれた、わずか3センチほどの体。

───こんな魚、飼ってたのかな?
彼の疑念に応えるように、魚はぱしゃりとはねて水面に顔を出した。目が合った、ように思った。

それから捨てられないまま水槽は居間にある。彼は魚など飼ったこともない。飼い方を調べてまで飼う気もない。時々パンくずやクラッカーのかけらを入れてやると食べているようだ。少なくとも、まだ死んでない。それどころか、成長している。

彼は毎日、ひまさえあれば悪態をついていた。

コンビニで買い物をするとレジの店員が釣りを間違う。指摘すると「ああ」とだけ言って不足分を渡してくる。なんだこいつ。いったいこの店ではどんな従業員教育をしてるんだ。怒りが口元まで出かかるが、のみこんで家に帰る。

だが、買って帰った酒を飲んでいるうちに怒りはますますふくれあがり、おさまらなくなる。テレビではアナウンサーがニュースの読み間違いをする。彼は持っていた箸をアナウンサーに投げつけ「死ね!」と吐き捨てる。

「どいつもこいつも、なんでおれのまわりにはろくでもない、低レベルのやつしかいないんだ?! なんでおれの周りでばかり不愉快なことが起きるんだ? まるで、まるでおれをねらっているみたいに」

そう口にすると、そうとしか思えなくなる。歯車がかみあって回転を始め、どんどんどんどん速度が上がる感じだ。とまらない。

「そうだ、そうに違いない。ほかのやつらが何の悩みもなさそうな顔して生きていけるのは、おれみたいな人間にばかりしわよせが来てるせいなんだ! なぜなんだ!?なんでおればかりが損な目にあわなくちゃならないんだ。ああ、そうか......そうだ。だれかが......おれを憎んでいるせいなのか」

これまでにも、彼には思い出すたび胸くその悪くなること、こぶしがぶるぶる震えるのを抑えられないことがたくさんあった。職場でも、ふらりと入った店先でも、駅でも、往来の中でも。むかつくことが多すぎる。それはだれかが、なにかのために、彼を選んでやったことなのだ。そう考えれば辻褄があう。あれも、これも、すべてがつながってくる。

彼はまたテレビに向かって言った。わかっているぞ。わかっているぞ。自分をこんな目にあわせているやつらは大きな組織に属しているはずだということくらい。その組織はたぶん、おまえらメディアとつながっている。コンビニのむかつく店員も、何かに熱中しているときに限ってやってくるセールスマンも、何度もかかってくる間違い電話も、すべては大きな組織がおれにさし向けているのだ。おれは知らないうちにそいつらの標的にされている。

「おれが何もわからないとでも思っているのか!」
「おれを、甘くみるな!」
「おまえらの好きにさせるもんか!」

水槽の中で魚が動いたらしく、水がうねる気配がした。魚はすっかり成長して、いまでは30センチを超えていた。澱んだ水とよく似た鉛色の体が、澱んだ水をもわもわとかきわけて泳いでいる。水槽が狭そうにみえる。彼はしばし呆然とした。

───いつのまにこんなに大きくなった?

何年ぶりかでむかしつきあっていた女からメールがあったときは、魚はさらに大きくなっていた。彼は水槽のガラス越しにぶよぶよとふくらんだ魚を見ながら返信を打った。すぐにまたいい返事が来て、彼は返す。また返信がくる。会わない? 会おう。いつ? 今日でも。来いよ。おれひとりだから。

「へー。魚飼ってるんだ」
女は居間の水槽を一瞥して言った。
「ああ。別に飼ってるんじゃない」
「そうなの?」
「おれは魚を飼う趣味なんてない。時々はえさをやるけど」

言ってからはっとした。彼が曲がりなりにもえさのようなものを与えたのは最初だけで、すっかり忘れていた。少なくともふた月くらい、何も与えていない。

───なのに、なんでこいつはこんなに大きくなったんだ。

魚は長辺が70センチはありそうな水槽をきゅうくつそうに泳いでいた。いや、泳ごうとしてもがいていたというのが正しい。向きを変えるのもひと苦労のようだ。

「もっと大きな水槽を買ってほしいわよね、魚ちゃん」
女が魚に笑いかける。どっぷん、と水がうねる。

そのまま女との日々が始まる。女はこまめに食事をつくり、身の回りの世話をしてくれる。まったく違うペースで毎日が動いていく。悪くない。いつのまにか部屋が片付いている。どこかいいにおいがするのは花が飾ってあったりするからか。シャンプーやリンスが新しくなっている。おだやかに日が過ぎる。食べたことのない料理が出てくる。

「料理、うまかったんだ。知らなかった」
「うまくないわ。ふつうよ」
テレビで歌ってるのは最近売れているらしいグループだ。歌を聞きながらの食事か。いいかもしれない。だが。

「なんか様子が変だな、こいつ」
「変? 何が」
彼は水槽の中の魚を指さす。水槽はしんとしている。
「あら」

女も気づいた。魚が......縮んでいる。水槽からあふれそうだったのに、半分くらいにしぼんで、じっと底にうずくまっている。
「えさはやってるんだけど......」
「ほんとかい?」
「ほんとよ」
女はむっとして言った。
「病気かもしれないわねえ」

灰色の薄汚い魚に愛情を感じたことはなかった。出て行った妻や子どもは草花やベランダにやってくる小鳥にさえ名前をつけてかわいがっていた。愛情があれば名前をつけたくなるのかもしれない。彼は水槽にいるものを「魚」としてしか認識していなかった。どうすればそいつが喜ぶとかいやがるとかも考えようとしなかった。魚が同じ室内にいる状態を否定はしなかったがそれ以上ではなかった。

なのに、魚が急に元気をなくすと、そのことが頭を離れなかった。そして、黙り込んでそのことを頭の中でぐるぐるとめぐらせているうち、ふと「この女のせいかもしれない」という考えが浮かんだ。耳がぴんと立つ思いだった。まちがいない。彼は立ち上がった。

「何かおれにうらみでもあるのか」
男が尋常でない目をしているので驚きながら女は答えた。
「どういう意味?」
「あの魚に何かしただろ」
「してないわ」
「じゃあなんであんなに弱ってるんだ」
「知らないわ!」
「知らないはずがないだろ!」

彼は両の手にこぶしをつくり、ぶるぶると震わせていた。そんなことはひさしぶりだった。

「しらばくれるな。おまえも結局同じ仲間だったんだ。寄ってたかっておれをないがしろにしている。おれが、おれがいやな思いをして、いつもいらいらして、おれの毎日が、人生が台無しになればいいと思ってるんだ。そうだろ、正直に言えよ」
「なんのことかわからないわ」
「嘘を言うな!」
「嘘なんか言ってないわ」

女は泣き出した。彼はそれでも女をののしり続けたが、ふと首のあたりにぱしゃりと水がかかったので振り向いた。すると、彼は目を疑った。さっきまで水槽の底で縮こまっていた魚が倍以上にふくれあがり、今にも水槽のガラスを破りかねない勢いでのたうちまわっていた。

ぎらぎらと輝く鉛色のうろこにびっしりとおおわれ、はちきれそうな肉の塊が今にもこちらに向かって飛び出しそうだ。動くたびに水があふれ、水槽の回りはすでに水浸しになっている。うろたえる人間をあざ笑うように魚が口を開けると、鋭い歯が並んでいるのが見える。ああ! 彼は理解した。

───こいつは、人間の憎悪や敵意を吸収して成長するんだ。

彼は危険を感じ、自分を落ち着かそうとした。女をののしる言葉が自分の口から出るのをおさえた。そうだ。こうしていればこいつを制御できるはずだ。よし。制御するための方法さえわかっていれば、何も問題はない。彼は安堵しかけたが、それは計算違いだった。

「よくも、そんなことが言えたものね!」
涙をふき、顔を上げた女が激しい憎悪を込めて彼をののしり始めた。
「あんたみたいに人の心を理解せず、自分だけが被害者と思ってるような男はさっさと滅びればいいのよ! あんたなか大嫌い、あんたなんか、最低よ!」

魚は急激にその体をふくらませ、ついに水槽を破って飛び出した。

【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
< http://midtan.net/
>
< http://yamashitakuniko.posterous.com/
>

この頃急に暖かくなったが、ちょっと前、まだまだ寒かったときにカメラをぶらさげて近くの梅林に行った。見渡してもほとんど枝ばっかりだし、人もまばらだったのだが、それでもたまに、咲いてる梅がいた(いた、と書きたくなる)。おお、とカメラを向けて撮っていると、「咲いてますなあ」「いやあ、咲いてるやん」と、何人もの人に声をかけられた。「あっちのほうでも咲いてるで」と教えてくれる人もいた。花っていいものです。


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編集後記(03/14)

●我が家の大型ブラウン管テレビはちゃんと地デジが映っていた。妻が「奥様は魔女」ほかお気に入り番組をHDD録画し、タイムシフトして鑑賞していたのだが、突然映らなくなった。原因は地デジレコーダー「バッファロー DTV-H500R」のACアダプターが断線したからだ。

代替品はないだろうか。ACアダプターなんていくつもあったが、だいぶ前にまとめて処分していた。ようやく見つけたのがかつて使用していたオリンパスのMOドライブの付属品。そのACアダプタをつけてみたら、チューナは使えたが、HDDは動作しない。DTV-H500RのACアダプタの出力は12V 2A、オリンパスの出力は5V 1.6Aである。電圧が足りないのでHDDが動かない。だが、この流用は危険だし、HDDが動かないのでは役に立たない。

そこでハードオフに行って、ジャンクの棚で規格にあうACアダプターを捜索した。手が真っ黒になったが、成果なし。やはり、バッファローから入手しなければならない。DTV-H500Rを買ったノジマに行って相談したら、このパーツは量販店扱いはできないので、バッファローのサポートで本体の型番を言って求めてくださいと教えられた。

そこで、バッファローのサポートに電話すること一日に5回、各10分間待たされたがサポートスタッフと会話することできず。たぶん永遠にサポートはつながらないだろう。次はバッファローのサイトに行ってみた。ここのサイトは使い勝手が悪い。文字が小さすぎるのは最悪だ。ようやく、備品販売窓口ページでACアダプターが手に入ることがわかった。

ところが、DTV-H500Rはすでに生産終了、製品名がないので選べない。どうしたらいいんだ。電話は通じないし。すると、FAXでの申し込みが可能とある。そこに書き込んで送りつければ、なにか反応があるかもしれない。めんどうくさいが仕方ない。わたしの奮闘を見ていた妻が「2年使ったことだし、そろそろテレビを買い替えてもいいかな」と言う。いい展開になってきた。(柴田)


●武さんの『額送線譜』はとても素敵。どのぐらい素敵かというと、置くと、雰囲気が様変わりし、似合わないまわりのゴチャゴチャを片付けたくなるぐらい。机の上が散らかりがちな人(私含む)には特におすすめ!

Livescribe続き。iPadを持っているのになぜairpenやLivescribe? 私の使っているスタイラスペン(Su-Pen)では細かな字が書けなかったり、対応アプリのスピードが遅かったり。筆圧が弱いため反応が鈍いのだ。手を画面につけて書くため、リストガード機能がうまくきかないと使い物にならなかったりするし。iPad用にはJot Proを買おうか迷っているところ。HEX3 jajaというのも良さそうだ。

Livescribeを知ってすぐに、U.S.のAmazonでクレカ入力直前まで行って冷静になろうと思いなおした。ペンは太くて重そう。ノートの紙質はわからないが、アメリカンならザラザラしてそう。日本の印刷と紙は最高だと思っているのだ。専用ノートってことはランニングコストもかかるなぁ。

送料を考えなければ、A5ノートはいま使っているF.O.B COOPのリングノートとさほど変わらない。メモ帳として使っている、貰い物のA4アピカノートは1,500円だって! ミミズのような文字が這ってるよ......大事に使わないといけなかったな......。アピカのは大好きだったマルマンのルーズリーフみたいにツルツルなんだぜ。マルマンとシャーペンとの相性は最高だった。今もあの質を保っているのかな? あー、だからairpenでいいのよ、きっと。Livescribeを買ってairpenを売りに出したい気分だけどさ。(hammer.mule)

< >
ピント合ってなかったわ......。後ろのはバレエの先生にもらった

< http://product.metamoji.com/su-pen/
>
Su-Pen
< http://necojarashi.blogspot.jp/2012/12/ipad201217.html
>
iPadで使えるスタイラスペン2012年レビューした17本まとめ
< http://getmadcat.com/video/307631/How-to-Take-better-notes-with-the-Livescribe-Echo-Smartpen.html
>
筆圧弱くてもいけそう
< http://zonostyle.com/2010/12/stylus04.html
>
oStylusが良さそう。
< http://ostylus.com/index-DOT.html
>
いまは先の細いoStylus DOTというのが出てるわ
< http://wacom.jp/jp/products/inkling/
>
Wacom Inkingならレイヤーが使えるのか。

< http://www.apica.co.jp/cd_notebook/
>
アピカ プレミアム CDノート
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B006ZS9AX4/dgcrcom-22/
>
アマゾンなら1,200円
< http://www.e-maruman.co.jp/
>
マルマン

< http://www.lifehacker.jp/2013/03/130314google-reader.html
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7月1日に終了するGoogleリーダーの代わりに使えるサービスは?