[3659] 中学の数学は酒の肴にはならない

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《ふぎゃ〜ハズカシイ〜死むるぅ〜》

■Otaku ワールドへようこそ![189]
 中学の数学は酒の肴にはならない
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 若林健一 / kwaka1208


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■Otaku ワールドへようこそ![189]
中学の数学は酒の肴にはならない

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小さいころ、なかなか自転車に乗れるようになれなくて四苦八苦した記憶は、かなり鮮やかに残っている。けど、一度乗れるようになってしまうと、あの苦労がまるで嘘だったかのように簡単で、これができないという感覚がどうにも思い出せなくなっている。戯れにお芝居で乗れないふりをしてみようったって不可能である。

私にとって、中学レベルの数学はそんなようなもんなはず。遠い過去には理解するのにちょっとばかり苦労してたかもしれないけど、一度身についたものは抜けようがない。いちおう、大学の修士課程まで数学を専攻しているわけだし、今でも仕事でちょくちょく格闘している。中学レベルの数学が分からないという感覚が分からない。

アイドルの豊田冴香は、数学が大の苦手科目。まあ、アイドルなんだから、数学なんかなまじできないほうが可愛げがあってよろしいというのも道理だが、それにしても、言語道断にできない。テスト中に寝るという。解けないまでも、せめて時間いっぱい考えればよさそうなもんじゃないかと思うのだが、解ける問題を解いたら、残りは完全にお手上げで、大量に時間が余ってすることがないのだそうだ。

途中で先生に起こされて、大サービスでヒントを出してくれたのだが、それでも状況に何の進展もなかったそうで。まあ、人類の半分以上はそんなもんなのかもしれない。基本的な論理の運びのなんたるかがそもそも意識の埒外で、どんなに教えても理解に至りそうな気配すら漂ってこなくて絶望的な気分になってくるって人って、いるいる。

サエのお袋さんによれば、サエがまさにそれで、とっくに匙を投げたという。教えようとしても、返してくる質問がてんで的外れで、もう教えるのがいやになったと。こんなに馬鹿なのに、何でピアノは弾けるのか不思議でしょうがない、と。

●数音一如

私の感覚では、数学の美しさと音楽の美しさは同質のものである。音楽ができて数学ができないなんてことがあっていいはずがない。どこが同じかといえば、理想美であり抽象美であるというところがだ。

智に働けば角が立ち、情に棹さしゃ流されて、意地を通せば窮屈な、とかく住みにくい人の世を、一段上へと昇華して、山のあなたの空遠く、あっちの世界にあるという。

夏目漱石の『草枕』にはこう書いてある。「住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるいは音楽と彫刻である」と。どうです? ここに数学が入ってないのが不思議なくらいではないだろうか。

スウィフトの『ガリヴァー旅行記』には音楽家と数学者の共通点が書いてある。直径約7.2kmの円形の島が空中に浮いていて、磁石の力によって上下左右前後、どちらにでも自由に移動することができるようになっている。この国の人々は、王も人民も、数学と音楽のことのほかは、いっさい興味がない。

彼らの頭はみんな、左か右か、どちらかへ傾いている。目は、片方は内側へ向き、もう一方は真上を向いている。彼らはいつも、何か我を忘れて、ぼんやり考えごとに耽っている。

人と会話を始めるためには、まず、棒でつついて、こっちの世界に呼び戻してやらなくてはならない。そのための棒を召使いたちが持ち歩いている。現実の用事をこなすことにかけては、何もかも、てんでだめだめで、まるでなっていない。

洋服屋は定規やコンパスで身体の寸法を測り、数式やら何やら紙に書きとめて帰り、6日目に服ができあがるのだが、どうにも不恰好でおかしい。なんでも、計算の数字を間違えたのだとか。よくあることで、誰も気にしちゃいない。

ガリバーはこの国で別にいじめられたわけではないのだが、なんだかみんなから馬鹿にされているような気がしてきたという。

先ほど申し述べたように、私は大学時代、数学を専攻していたのだが、数学科というところは、まあ、ラピュタ島とそんなに違いはなかった。みんな現実のことに興味がなく、無精ヒゲがぼうぼう伸び放題で、服なんてニオイに苦情が出たころに着替えればよろしいと思っている。

人が書いているコンピュータプログラムのソースコードをのぞき込んでは、目ざとくグローバル変数やら go to 文やらを見つけ出し、「僕はキタナイものは見たくなーい」などと訓戒を垂れてくる。

アイドルはこうであってはならない。なので、アイドルに数学教育を施すのも考えものではあるが、音楽的センスがありながら数学的センスは皆無とはいったいどういうことかという怖いもの見たさの興味もあって、ちょいと面倒をみてみることにした。

●やばい、笑ってる場合じゃなかった

昨年の12月に鹿児島に行ったときに、もみのこさんに連れていってもらった天文館の地鶏炭火焼のお店「大安(だいやす)」でいただいた赤鶏炭焼がチョー美味かったのだが、そのためにちょくちょく薩摩の国まで参じるわけにもいかず、あの真っ黒で、歯ごたえなんて生易しいもんじゃない硬い鶏肉が、江戸では食せないもんかと探し回ってみた。

中野の「ぢどり屋」が気に入っている。炭火もも焼きともつ鍋とバリバリキャベツを肴に生ビールを中ジョッキ3杯ほど飲み干せば、腹はパンパンになり、財布は空っぽになるが、まあ、九州まで行くよりかは経済的である。

サエX。

実際には、最終的な答えに至るまで解くわけではなく、問題を読んだ瞬間に解く方針がぱっと思い浮かび、それでおしまい。方針さえ見えたら、解くのはただのつまらない作業なので省略。まあ、その作業自体は、自慢じゃないが、人一倍遅く、また、不正確である。連立一次方程式なんて、途中で間違える確率が5割を超える。そこは数学の本質ではないのである。

おや? あれれ? えーっと何? げげ、解けない問題がある? めっちゃアセる。まさかオレ、自転車に乗れなくなってる? やばいぞやばいぞ。

ちなみに、こういう問題。「円Oの円周上に4点 A, B, C, D が(この順に)あり、∠ABD = ∠ADB である。また、線分 BC 上に点 E があり、線分 AE と線分 DC は平行である。三角形 ECA は二等辺三角形であることを証明せよ」。

図は示されているのだが、後でサエに解いてもらう都合上、私が書き込むわけにはいかない。あくまでも眺めて解こうとしている。円周角と錯角で解けるんだろうなぁ、とは思いつつ、円周上に4点もあると、円周角がそこらじゅうにできて、目がちらちらしてくる。あー、だめだ降参。

まあ、ノートに図を書き写してごちゃごちゃやってるうちに解けはしたけど。極楽気分が吹っ飛んだ。

2月27日(木)の夜、渋谷区上原にある「オカオカハウス」にて、「オカオカ学園 女子DJ部 Vol.4 〜学期末テストクイズ大会〜」と題したオールジャンルDJイベントが催され、サエと一緒に参加してきた。

イベントの余興でありながら、学期末テストの問題はまっとうだった。英数国社理から2題ずつ、計10題が出題された。小中学生レベルに設定したという。数学は易しすぎて数学にすらなってない。「根号(√)のカタカナの読み方は?」とか、「2,000の2割は?」とか。

わざと「ルート」じゃなくて「ラディカル」と答えて知識をひけらかしてやろうかとも思ったが、もし採点者が知らなくてバツをつけられても面白くないので、素直に回答した。

英語も易しい。「"difficult" の意味は?」とか、「これは (値段は) いくらですか、を英訳せよ」とか。国語もだ。「夏目漱石の作品をひとつ挙げよ」とか、「一期一会の読み方は?」とか。

ところが、社会科の苦手な私をまるで狙い撃ちするかのごとく、その教科だけやけに難しいのが出題されている。「都を平安京に移したのは何年か?」って、そんなの誰も知らないでしょ。まあ移せばいいんじゃないかなってことで2015年と書いてみたが、もちろん不正解。

この問題だけ落として、私は90点だった。さてさて。まわりが高校受験を前にして、蟻のごとくこつこつと勉強に勤しむ中にあって、キリギリスのごとく歌って過ごした中3のサエは、どれほど惨憺たる成績であったか。

これが、なんと、満点であった。えーっと、オレの面目、どっかそのへんに落ちてませんか?

●おヌシ、デキるんではないかい?

3月2日(日)、「いつもの」と注文するといつものが出てくる行きつけの喫茶店にて、2時間ばかり、サエを数学漬けにする。問題集から選んだ10題のほかに、私からのとっておきの問題を宿題に出しておいた。

「KさんはA地点とB地点との間を歩いて往復した。往きは時速6キロメートルで歩き、帰りは時速4キロメートルで歩いた。このとき、平均すると、時速何キロメートルで歩いたことになるか」。

手も足も出ないというので、条件を加えて、問題を易しくしておいた。「2地点AB間は12キロメートルとする」。それでもどうにもならなかったという。まあ、6と4を足して2で割って5と答えなかったのはヨシとしよう。それは平均ではない。

答えに至らないまでも、どこまで考えたのか、聞いてみた。すると、正解の割と近くまでは来ているではないか。
往きは 12[km]÷ 6[km/h]=2[h]により2時間かかっており、
帰りは 12[km]÷ 4[km/h]=3[h]により3時間かかっている。
なので、往復では5時間かかっている。
そこまでは自力でたどり着いているのである。

「じゃあ、往復で何キロ歩いたの?」と聞けば、
    12[km]+12[km]=24[km]
と答えられる。ここまで来たら、後は割ればいいだけじゃん、と気がついた。
    24[km]÷ 5[h]= 4.8[km]
これが正解。

いま、問題を簡単にするために12kmという条件を加えているけど、これを取っ払ったらどうなる? aと置けばいいんだ、と、これまた自力で気がついた。先ほどの12のところをaで置き換えて、同じ論理の道筋をなぞりなおすことにより、正解している。結局、aは約分されて消え、AB間の距離によらず、4.8[km/h]となる。

元の問題文には4と6という2つの数値しか与えられていないが、単純に平均をとるのではなく、それぞれの逆数の平均をとり、それの逆数を求めていることになる。これを調和平均という。

サエは、どっかでつっかえていても、軽く誘導すると、ちゃんと正解を思いつく。論理的な思考そのものができる素質はちゃんと備わっている。つまり、素質はあるのだが、今まで勉強をさぼってきたせいで成績に結びついてないだけで、ちょこっとトレーニングすれば、ぐんぐん伸びるタイプだと思われる。

さて、ここからが数学タイムだ。あるいは屁理屈タイムともいう。この問題、先ほど述べたように、5は論外。4.8が正解。実は、もうひとつ、邪道な答えがありうる。

それは、ゼロ。往って帰ってきたのだから、そこにじっとしていたのと同じことじゃないかと。私はこういう答えが大好きで、それこそ数学なのだと思っているが、さてこれ、正解なのか不正解なのか。

実はわざと問題に穴を開けて、あいまいさを残しておいた。「平均時速」と言っており、「平均速度」とも「平均の速さ」とも言っていないのである。物理では、これらを区別する。

「速度」はベクトル量。大きさと向きがある。速度を時間で積分して得られる量もやはりベクトル量であり、その積分時間の始まりから終わりまでの移動ベクトルとなる。2地点間を往復した場合、この量はゼロベクトルとなる。

一方、「速さ」はスカラ量。これを時間で積分して得られる量はやはりスカラ量であり、実際に移動した道のりとなる。2地点間を往復した場合、2地点間の距離の2倍の値となる。

つまり、あの出題だと、ゼロという答えも正解にせざるを得ないのである。

問題集には二等辺三角形に関する証明問題が載っていた。「両底角の等しい三角形は二等辺三角形であることを証明せよ」という問題。具体的には、「三角形ABCで、∠ABC=∠ACBならば、AB=ACであることを証明せよ」という形で出題されている。証明は、大部分がすでに書かれてあり、空欄を3つ埋めるだけの出題形式。

「両底角の等しい三角形は二等辺三角形である」は正しい命題であるが、それを証明せよと言われたときは、まだ知らないという前提にしておかなくてはならない。いくら正しい命題だからといって、これから証明したいことを、うっかり証明の途中で使ってしまったりしては、論理が回ってしまう。

「泥棒はなぜいけないか」という問いに対して「それを禁じる法律があるから」と答える人がいるが、これも同じことである。法律があるからいけないのではなく、いけないから法律を作ったのである。そこを「なぜ」と問われたときは、その法律がまだ存在しないという前提で考えなくてはならない。

「人殺しはなぜいけないか」という問いも同じことなのだが、これに答えるのは非常に難しい。いっそのこと数学の公理のように、無条件に正しいってことにしちゃってもよいのではないかとも思うが、そうすると、戦争では人を殺してるじゃないか、とか、死刑は殺人ではないのか、とか、無条件ってわけにもいかない例が出てきて、やっぱり難しい。

二等辺三角形の問題は、それよりはだいぶ簡単だ。親切に図も示してくれているし。頂点Aが上にあり、頂点Bが左下に、頂点Cが右下に来るように、ごく自然に配置されている。

頂角Aの二等分線を引き、底辺BCとの交点をDとする。二つに割ったそれぞれの三角形が互いに合同であることを言う。これは、共有する辺ADと、それを挟む2つの角から「二角挟辺」が成立し、言える。その合同性が言えたら、辺ABと辺ACは、対応する辺どうしなので、長さは等しい。こういう道筋。

サエはノーヒントで自力正解している。穴埋め形式で難易度を下げてあるとは言え、なかなかすごい。論理的思考がちゃんとできるということである。

さて、ここからがホントの数学。この命題には、別の証明がある。それがもう、まばゆいばかりのアイデア一閃、天才的な証明なのである。

三角形ABCと三角形ACBが合同であることを言う。それは、底辺BCを共有し、それを挟む角がそれぞれ等しいので、言える。だから対応する辺ABと辺ACは長さが等しい。以上。

どうです? すごくないですか? 三角形がひとつしかないのに、そこにふたつ見えるというひらめき。示されてみれば、めちゃめちゃ簡潔。気分がスカッとする。先ほどの証明がごちゃごちゃして格好悪く見えてくる。

こういうのを「エレガントな回答」という。数学で言う「エレガント」の反対語は「エレファント」。象的な回答。

この証明にエレガントさを見出し、前のより遥かにいいと思える感覚が数学のセンス。サエはというと、この回答を示されたとき、驚きと感動を示してくれた。その感覚があるのなら、数学と音楽が同じだと分かったも同然である。

そうら、やっぱりだ。音楽だけできて、数学ができないなんてことは、ありえないのである。もうあれだね、アイドルはオレがやるからさ、キミは将来、イノベーションの創出によって人類に多大なる貢献をすべく、理系の道を邁進してくれたまえ。

サエは、うんと小さいころ、世界について、大きな勘違いをしていたという。机を割ればその中に、生えてる樹を割ればその中に、われわれが家の中に住んでいるのとまったく同じように、小さい人たちが住んでいると。小人さんの世界の机を割れば、その中にもっと小さい小人さんが住んでいると。いないと分かったときのがっかり感といったらなかったと。

フラクタル幾何学で言うところの「自己相似性」ってやつである。なんてフラクタルな世界観。残念ながら小人さんはいなかったけれど、自然にも宇宙にも、いたるところにフラクタルな構造が見てとれる。

'07年2月9日(金)のこの欄でフィボナッチ数列について書いており、そのときに使った図がまだ置いてある。どこか音楽的な感じがしないだろうか。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/FigDGCR070209/FigDGCR070209.html
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【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。
< http://www.growhair-jk.com/
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早稲田塾のCM動画の第2弾、YouTubeの動画を見ようとすると、その前に強制的に挿入される形で3月10日(月)より配信中。前回は豊田冴香と共演していたが、今回は、Ladybeard氏が加わった。

リアルプロレスラーとプロレスごっこ。私がLadybeard氏にラリアットを食らわす。前回は私が登場したこと自体のインパクトにより、5秒経って湧いてくるスキップボタンを押せまいという狙いで、ほぼ素のままの可愛いモードで登場していた。

今回は趣向を変えて、凶暴モード。黒背景、強烈なバックライト、スローモーションという迫力の絵面。闘志全開。首を振ってメンチ切ると、ヒゲの三つ編みがぐるんと一回転。
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メイキング映像もアップされている。Ladybeard氏と自然体で和やかに交わす英語が上手いと評判だが、もちろん言外に「ただの変態か頭のおかしいおっさんかと思いきや意外と」という限定詞がつく。

3月15日(土)にはYahoo!のトップページの「映像トピックス」のコーナーからリンクが張られた。そうとう多くの人が見にきたはずで、中には本格的な英語のプロだっていたに違いない。そういう人からみれば、私の英語なんてインチキくさいゴマカシ英語なのがバレバレだったであろう。

なんという羞恥プレイ! 下手な英語しゃべってる映像が公に供されるって、セーラー服を着て往来を徘徊するよりもよっぽどダメージでかいじゃないか。ふぎゃ〜ハズカシイ〜死むるぅ〜。
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3月13日(木)には、新木場のライブイベントスペース「STUDIO COAST」にて早稲田塾「第35期生卒業生のつどい」が開催され、約1,000人が集まった。Ladybeard氏と私も呼ばれ、英語でごあいさつと乾杯の音頭を仰せつかった。「内容も長さもお任せします」と。

1,000人というのは、私にとって過去最大のオーディエンスである。この大人数を前に、英語でしゃべってください、と。それはちょっとばかり緊張する。

司会の方から、「乾杯の音頭を取るのはこの方たちです!」とあって、例のCM映像が映し出されると、会場から大きな歓声が挙がった。映像終了を待って、上手からLadybeard氏が、下手から私が登場し、映像と同様にガツーンとぶつかり合って、ニコッ♪ おおー、ウケてる、ウケてる。歓迎ムードにほっとする。なんか大スターになった気分。

英語スピーチは、後から振り返ってみれば、もっと大げさな身振り手振りを混ぜ、声にも抑揚をつけて、ハイテンションでドラマチックにやるべきだったと思ったが、出番前に頭の中で練った内容を忘れないように保持してるだけで精いっぱいで、やや棒立ち、棒読み気味になってしまった。けど、まあ、気持ちよく役をこなすことができた感じ。

ゲストには「ベイビーレイズ」と「ケラケラ」が登場。全体を通じて、ものすごーく盛り上がった会となり、私も非常に楽しく過ごさせていただいた。
< https://picasaweb.google.com/107971446412217280378/35
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3月15日(土)は友人の結婚披露宴に呼ばれた。二次会というのは今までに二度ほどあったが、「正装」で披露宴は初めて。席を用意していただきつつ、写真撮影役を仰せつかる。披露宴で写真撮影役というのも、初めてだ。

呼んでくれたのは岡野(旧姓)茜さん。彫刻を専攻し、卒業後も大学に残って制作を続けている。以前に作品を撮らせていただいたご縁で今回は本人を撮ってください、と。

ぜーったいに失敗は許されない。プロの仕事をしなきゃ。愛用機はCANON EOS 5D mkII だが、2台体制で臨みたかったのと、感度を挙げても粒子の荒れない最新鋭機種が必要だったのとで、急遽、mkIII を購入。

これ、いい。ISO感度を3,200ぐらいまで上げても、粒状性がほとんど気にならない程度。色も悪くならない。

プロが撮る場合、撮影者が目立ちすぎないようにとか、列席者の視線を遮らないようにとか、気遣いからいろいろ制約が生じるが、気にせず自由に撮れるという点においては、私にアドバンテージがある。

新郎新婦や芸を披露する列席者たちにぐいぐい寄ったり、ポーズや表情に注文出したり。激写、激写。主役はいったい誰だ、ってぐらい目立ってたかもしれない。


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■Take IT Easy![09]
MacでOfficeを使う

若林健一 / kwaka1208
< https://bn.dgcr.com/archives/20140318140100.html
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私が初めてMacを買ったのが1994年、今年でちょうど20周年になります。最近は、iPod、iPhone、iPadユーザーからMacユーザーに流れる人も多く、「Macを買おうと思うんだけど」と相談を受けることもしばしば。

そんな方から、ほぼ100%受けるのが「MacでOfficeは使えるのか?」というご質問。つまり、Macでも「Word」や「Excel」が使えるのか? ということです。

以前はなかなか難しい話だったのですが、最近はブラウザで使えるオンライン版を含めて選択肢が増え、MacでもOfficeの利用に困ることはなくなってきています。現在、Macで使えるOfficeの選択肢と、おすすめのOfficeソフトを紹介したいと思います。

[ Pages / Numbers / KeyNote ]

Appleが販売しているOfficeソフト。2013年10月1日以降にMacを購入した方なら無料で、それ以前に購入された方は有償で、Mac App Storeからダウンロードできます。

Pages(ワープロ)はWordよりも機能が少なく、これといった特徴はありません。Numbers(表計算)は大きさの異なる複数の表を一枚のシートに自由に配置できるので、複数の表を配置する資料の作成においてはExcelよりも使いやすいのが特徴。

KeyNote(プレゼンテーション)は、テンプレートデザイン、エフェクト、トランジション(ページ切替の時のアニメーション)のデザインが豊富で、Appleの基調講演や製品発表会で使っているような、プレゼンテーション資料が作れるのが魅力です。

iCloudからブラウザで利用できるオンライン版も提供されていますが、現在はβ版で英語版のみとなっています。

[ Microsoft Office ]

これが本家の「Office」。こちらもインストールして使うパッケージ版と、Webブラウザで使えるオンライン版があります。

パッケージ版であれば、Windows用のパッケージ版と同等の機能が利用できます。オンライン版の方は、図形描画などの機能を除く基本的な機能に限定されますが、Windows版の最新である「Office2013」と画面や操作感までがほぼ同じで使えますので、元々Windowsで「Office」を使っていた方なら、オンライン版の方が分かりやすいと思います。

[ Open Office ]

フリーOfficeソフトの代表で、一部の企業では「Microsoft Office」の代替として導入しているところもあります。

他のOfficeソフトとの決定的な違いはデータベースアプリ(Microsoft Officeで言うところのAccess)が使える点。

Microsoft Officeでも、Accessの使えるパッケージは値段が跳ね上がりますので、個人でデータベースアプリを使えるレベルにあるのは、今のところOpen Officeだけと言えるでしょう。Open OfficeにWebブラウザで使えるオンライン版はありません。

[ Google docs(Google Drive)]

以前は、「Google docs」の名前で提供されていたブラウザから利用するオンライン版Officeで、今は共有Driveサービスの「Google Drive」の一部として提供されています。こちらはOpen Officeと反対にインストールして使うパッケージ版の提供はありません。

●どれを使えばいい?

これらの選択肢の中から、どれを使えばいいのか? 主なケースで分けてみま
した。

1. とにかく、Microsoft Officeを使いたい

→おすすめは、「Microsoft Office Online」です。

今までMicrosoft Officeを使っていたから、WordやExcelと同じものが使いたい、WindowsでOfficeを使っている人とファイルを共有して使いたい、という方であれば「オンライン版のMicrosoft Office」がおすすめです。

パッケージ版を購入するという選択肢もありますが、定価で2万円近くしますし、今はネットに接続しないで使っている方はほとんど居ないと思いますので、無料で使えるオンライン版がおすすめです。オンライン版を使ってみて不十分であれば、その時点でパッケージ版の購入を検討すればいいでしょう。

2. Microsoft Officeとの互換性は重視しない

→おすすめは、「Pages/Numbers/KeyNote」です。

個人で文書を作るだけ、文書ファイルを他の人に送ったり共有しない、という方であれば、やはりデザインの美しいApple製がおすすめです。

3.複数メンバーでファイルを共有して編集作業したい

→おすすめは、「Microsoft Office Online」です。

共有するメンバーが全員Appleアカウントを持っている、Googleアカウントを持っている、ということであればiCloudやGoogle docsを使うという手もあるのですが、やはり本家Officeとの操作性を含めた互換性は捨て難い。

AppleやGoogleのアカウントを持っている方なら、Microsoftアカウントを追加で取ることも難しくはないはずですから、わざわざMicrosoftアカウントを取ってでも「Microsoft Office Online」を使った方が良いと思います。

●とりあえず、Officeが使えれば安心

「MacでOfficeは使えるのか?」という質問をされる方に、「どういう目的でOfficeが必要なのか?」と聞くと、これまた大抵の方は「Officeが入ってたら何か使えるかも」「入ってないと不安」という答えが返ってきます。

おそらく、実際にはネットの利用がほとんどだと思うのですが、まだまだ「パソコン=Officeを使うもの」というイメージは強く残っているようですね。


【若林健一 / kwaka1208】 kwaka1208@pote2.net
Take IT Easy! - 人にやさしいIT
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編集後記(03/18)

●佐々木圭一「伝え方が9割」を読む(ダイヤモンド社、2013)。どこかで見覚えのあるタイトルだ。「人は見た目が9割」なんていうタイトルだけキャッチーなスカスカ本があったが、あれとソックリだ。筆者は有名なコピーライターらしいが、タイトルが似てちゃだめでしょう。余白が多いデザインで、文章のくりかえしも多く、208ページあるが実質はその半分以下。30分もかからず読めてしまう。最初は少しばかにして読んでいたのだが、次第にそれが、なるほどね〜となり、うまいね〜となり、最後には、わたしもこの技術をもっと早く知って身に付けたかったと思ったのであった。もういいけど。

正しく美しい日本語を学ぶのが目的の本ではない。人の心に届く伝え方を学び、身につけることでビジネス、人生に成功したい人のためのテクニック本である。どのコトバが相手の心に響くかという一点に絞って話が進む。普通よりも伝え方がヘタだった筆者が、あろうことか大手広告代理店のコピーライターに配属され、まるっきり仕事ができないストレスで過食になり、一年で10キロ増。何年ももがき続けた結果「心を動かすコトバには法則がある」ことを発見し体系化した。コトバはから降って来るものではない。突然のひらめきやセンスなんかなくてもいい。作り方のレシピがきちんとあった。「ノー」を「イエス」に替える技術があった。

強いコトバとは、人の感情を動かすエネルギーのあるコトバである。強いコトバをつくる5つの技術がある。サプライズ法、ギャップ法、赤裸裸法、リピート法、クライマックス法と名付けられた技術は、じつは笑っちゃうほどたわいない。簡単過ぎる。だが人間の本能に基づいたコトバの作り方である。だからグローバルに展開できる。筆者はどんな体調が悪くても、どんなに時間がなくても、プロとして一定レベルの言葉を書けるように技術を系統だてたという。ほんと、簡単すぎる。作例はあまり感心できないけど。ああ、それはナントカ法かと見抜かれたらちょっと恥ずかしいかも。

わたしの人生で出会った素敵な言葉、強く感情を揺さぶられた言葉がいくつもある。といいながら、にわかに思い出せないのが情けないが。それらの言葉にはきっと法則があったのだろう。それがわかったら、自分でも応用できたはずだ。また、伝えたいことが伝わらずに残念な思いをしたことは何度もある。これは伝え方の技術を知らなかったからだ。筆者は「わたしが膨大な時間とトライ&エラーで導き出した方法論を整理しました。この本は最短距離で、あなたのコトバ/伝え方を磨くためのガイドだと思って下さい」と言う。騙されたと思って読んでみたら。かなり実用的だ。すぐ読めるし。しかし「コトバ」って表記、わたしはきらいだ。(柴田)

<http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4478017212/dgcrcom-22/>

佐々木圭一「伝え方が9割」
<http://www.febe.jp/affiliate/landing/9xLnroD1VSEIaVNU-1/product/162149>

オーディオブック版


●続き。「フェルデンクライス・メソッド入門書」の説明文は、「フェルデンクライス・メソッドは、人間の学習能力の仕組みに着目した『体の学習法』。独自のレッスンを通して、無駄に力んだ体や効率の悪い動作に気付き、無駄な力を使わない、効率の良い動作を学びます。」

レビューは「本書で紹介されているレッスンの内容はpodcastでもフォローされており」「実際やってみると、意外と自分の体が固まっていたり、必要以上に緊張していたりと、気づきがありますよ!」など。

Podcastには10アイテム。「眼の動きを感じるレッスン」「肩をゆるめるレッスン」「背中をゆるめるレッスン」などがあった。聞いてみようっと。(hammer.mule)

<http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4862206492/dgcrcom-22/>

フェルデンクライスメソッド入門

<https://itunes.apple.com/jp/podcast/ferudenkuraisumesoddo-ru-men/id487118145?mt=2>

Podcast版