[3787] モトヤ活字資料館がすごい!

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《美しく住みやすい町には何故か猫が多い》

■わが逃走[148]
 シュタイナウ・アン・デア・シュトラーセの巻
 齋藤 浩

■もじもじトーク[07]
 モトヤ活字資料館がすごい!
 関口浩之

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■わが逃走[148]
シュタイナウ・アン・デア・シュトラーセの巻

齋藤 浩
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>
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極親しい間柄の年上の女性Aさんが、10月に休みがとれるのでドイツに行きたいという。私も行きたいが金がないので留守はまかせてくれと言ったのだが、金ならトイチで貸すから行きましょうというので、いろいろ悩んだ末フランクフルトへと旅立った。

今回の旅はフランクフルトを起点に、ジャーマン・レイルパスを使い、ドレスデン、ライプツィヒなど主に東をまわる計画で、到着翌日はフランクフルト近郊の町・ハーナウに住む友人のManuel君を訪ねた。

さて彼が住んでいるのはどんな町かな、とGoogleマップで調べていたところ、そこからさらに東に30キロほど離れたところにもっと気になる町を見つけてしまった。

小さな川のほとりに小さな町と、その中心に小さな城。シュタイナウだ。

正式にはシュタイナウ・アン・デア・シュトラーセという。

アン・デア・シュトラーセとは「街道沿いの」の意。街道とは通商路「ヴィア・レギア」を指す。

車窓から通り過ぎるいくつもの『ドイツの小さな町』に、いつかは降り立ってみたいと思っていたのだが、ここだったら行けるじゃん! 調べたらハーナウからRE(近郊快速列車)で30分!!

戦災をまぬがれ、中世の佇まいを残し、グリム兄弟の家もオリジナルのまま保存されているという。

なにやらオレの理想とする“ドイツの小さな町”ではないか!

Manuel君に相談すると、「それなら僕が車で案内しましょう!」と言ってくれたので、お言葉に甘えて彼の運転するメタリックグリーンのシュコダに乗って、ハーナウから一路シュタイナウ・アン・デア・シュトラーセへと向かったのだった。

ハーナウからアウトバーンで一路シュタイナウへ。
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このときのBGMはクラフトワークの『アウトバーン』。
アウトバーンを聴きながらアウトバーンを走る! 
まさかこんな日が来ようとは! これだけですでに感動指数は100を越えている。

シュタイナウでアウトバーンを降りる。日本と違って高速を降りたらすぐに美しい一般道、というか田舎道だ。

跨線橋を渡り、シュタイナウの駅前を抜ける。Googleマップで見たとおり、静かな風景。日曜だからか人の姿は皆無。

車はゆるやかなS字カーブを下り、旧市街外側の駐車場に停まった。ちなみに駐車場もアウトバーンもタダ。

緑の草原のむこうに木立が続き、それらに守られるように美しいキンツィヒ川が流れている。その向こう岸が旧市街だ。
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橋を渡るとそこは中世のヨーロッパそのものだった。石造りの壁と木組みの家。
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猫も多い。美しく、住みやすい町には何故か猫も多いのだ。
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すぐにでも歩き回りたい! と思ったが、まずは腹ごしらえということになった。

午後2時という微妙な時間、そして日曜日ということもあって開いている店は少ないが、手近なカフェのテラス席に入ることができた。ここのオススメはパンケーキだという。

パンケーキというとつい甘いものを想像してしまうが、そういう訳でもないらしい。そこで私とAさんがポークとオニオンのパンケーキなるものを注文してみたら、こんなのが出てきた。
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写真ではわかりにくいかもしれないが、枕のように巨大な餃子である。こいつの中には、油に浸った大量の豚肉とタマネギを炒めたようなものがぎっしりと詰まっており、そいつに対しさらにサワークリームを塗りたくって食べるのだという。

確かに旨かったが、同じ味が延々と続く。さすがに完食できなかった。

「わー、すごいラードですね。ドイツ人でも全部食べるのはムリですヨー。」Manuel君が言う。彼はチキンの乗ったサラダなんぞ食べてる。賢明でしたね。

それにしてもタイヘンな量であった。晩飯までに消化できるかな。確実に1キロ増えた腹をいたわりつつ、我々は町歩きを始めた。

石畳の道の両脇に木組みの家々が並ぶ。そして、ところどころにグリム兄弟ゆかりの彫刻がみられる。

カエルとお姫様。
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7人の小人はちょっとコワイ。
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通商路「ヴィア・レギア」。実際この場所にあった訳じゃないけど、当時のモノを移して再現しているようだ。この轍がフランクフルトのはるか西からライプツィヒのもっと東へと続いていた。
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城壁隅の水場へ至る小径。こういう人の気配を感じられる空間は好きだ。車が入って来られない道、そこに高低差があったりすると、それだけでシアワセな気持ちになる。
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壁も風情がある。年月を経た地肌の色を大切にする美意識が、そこに住む人々全てで共有できているのだろう。日本の近代化遺産のとある物件は、文化財に指定された途端、表面を削ってピカピカにしちゃった。
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広場には市庁舎、その隣にお城。うーん、ホンモノなのにまるでレゴのようだ。
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西洋時代劇よりも先にレゴに興味を持ってしまった者は、古今東西同様の感想を持つ。Manuel君も「ホントにレゴみたいですネ」。
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跳ね橋の滑車やら門扉のヒンジなどディテールばかり撮っていたら、城全体の写真撮るのを忘れていた。

中庭に入る。城壁の中はリフォームされて、住宅として供給されているらしい。

ここも
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ここも普通に住宅だ。ちょっとびっくり。
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そういえば、ドラえもんでドイツのお城に住む話があったなあ。たしか12巻の最後のエピソードだったと思う。そのお城にも似ているように思えるし、カリオストロの城っぽくもある。
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感想がすべて、小学生の頃に見た漫画とアニメに基づいているってのは、大人としてどうなんだろ。

この季節のドイツは太陽が低く、日差しがとても美しい。
煉瓦の壁に石造りの城と木々の影が落ちる日常。

再度メインストリートに出たり
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脇道に入ったりしつつ、シュタイナウの午後を堪能したのだった。
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夕方の猫
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水路
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煉瓦の建築
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シュタイナウは小さいのですぐにひとまわりできる。しかも時間帯によって表情がどんどん変わってゆくのだ。

観光名所を巡る旅も悪くはないが、こういう町にこそじっくり滞在して日々散歩を楽しみたい。そんな贅沢ができる日が来るといいなあと思いつつ、ハーナウへの帰路についた。

帰りの車の中で「近くにこんな素敵な町があったんですね。知りませんでした」とManuel君。そりゃ私が長いこと大宮に住んでいて川越に行ったことがなかったようなものか。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
< http://tongpoographics.jp/
>

1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。


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■もじもじトーク[07]
モトヤ活字資料館がすごい!

関口浩之
< https://bn.dgcr.com/archives/20141023140100.html
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もじもじトークの関口浩之です。今回は「モトヤ活字資料館訪問記」をお送り
します。

株式会社モトヤ、ご存じですか? ウィキペディアには「大阪に本社を置く印刷関連機材の専門商社。1922年創業。元々は活字の製造・販売業として創業した。その後オリジナルの組版機(タイプレス・MT-5000など)を開発し、印刷業界などにその名を知られる。」と書かれています。

でも、そう説明されてもピンとこないですね……。

僕なら「モトヤはフォントメーカーの一社です。身近な例をあげると、Googleマップやマピオン等のインターネット地図サービスで使われているフォントはモトヤが開発したデジタルフォントなのです。OEM提供しているようです。シーダ、マルベリ、アポロ、バーチなどの書体が有名ですね。もともと、活版印刷で使用される鋳造活字の製造や日本語組版機を手掛けていました。」って説明します。

●活字資料館をお訪ねして

モトヤさんのご厚意で、過去に3回、活字資料館を見学させていただきました。

最初に見学したのが2011年6月でした。今から2年以上前ですね。モトヤさんは大阪なので、関西在住の川合さん、村岡正和さん、秋葉秀樹さん&ちひろさん達にお声掛けてして、みんなでぞろぞろとおじゃましました。

ここの活字資料館、とにかく感動ものなんです。活版印刷時代から現在のDTPシステム、デジタルフォント時代に至るまでのマシンが時系列に展示してあるのです。あわせて、書体の設計工程、鋳造活字の製造工程、植字台で組版する工程などが分かるように、部品や治具の紹介、説明パネルが掲示されています。

ありがたいことに、開発部長の野口さんが楽しいトークを交えて、一時間ほど丁寧に解説していただきました。お忙しい中、親切に対応していただき、ありがとうございました! 

●活字を鋳造し、活版印刷の版ができるまで

活字資料館で撮影した写真を掲載しました。
説明いただいた内容をすごーく簡単にまとめました。
< http://goo.gl/gNCZCJ
>

1)ベントン彫刻機

清書した文字の原図をなぞりながら、活字の母型(金型のようなもの)を作ります。この機械を操作してきれいな母型を作製するには、熟練された技が必要です。日本語の文字の数だけ母型を作る必要があるのと、サイズ単位(5号とか6号とか)毎に用意する必要があるわけです。すごい!

2)活字鋳造機

母型に地金を流し込んで活字を製造する機械です。地金の主な成分は鉛で、スズやアンチモンという素材も混ぜるようです。地金を熱して液状になったものを母型に流し込み、その後に冷やすと、凸型の活字が完成です。

3)植字台で組版

鋳造活字が並べられた棚から活字を拾って(文選)、行送りや文字間調整とかは小さいパーツと組み合わせながら組版してゆきます。最後に木枠を糸でしっかりと縛ります。まさに職人技で組版していることがよくわかります。

それにしても、膨大な数がある日本語活字を文選する作業だけでも、すごい! よく使う活字は取りやすい場所に置いたり、熟練の技が必要ですね…。

一方、活字を鋳造するメーカーの「すごい!」ことと言えば、鋳造する膨大な活字ひとつひとつを、どの比率で製作するかです。経験からはじきだされた統計データのようなものがあって、比率が決まるのだと思います。

なので、鋳造活字を注文する際は「〇〇書体を〇〇Kgください」というようです。よく使われるひらがなはたくさん製造するでしょうし、漢字も使用頻度に応じて製造したのですね…。すごい世界です!

●和文タイプライター、DTPシステムへ

「日刊デジクリ[#3768] 我が家にタイプライターがやってきた!」で、英文タイプライターについて書きました。

よくよく考えると、日本語タイプライターで必要な文字数って膨大な数ですよね…。日本語って英文の文字数に比べて100倍以上あるわけです。だから、キーボードをパチパチと打つような仕組みでは、和文タイプライターは実現しませんね〜。

モトヤ活字資料館には、タイプライターの日本語版みたいなのが展示してありました。日本語の活字がずらずら〜と機械の中に収まっています。そして文字盤から必要な文字を一個一個、手動で選択するタイプのものと、電子式で選択できるものがありました。

和文タイプライターって表現がいいのか、組版機と表現するのはいいのか、よくわかりませんが(どっちもOKのような気がする…)、商品名である「タイプレス」で分かる人には分かるようです。

そして、1980年代初頭に日本語ワープロや電子編集組版機が開発され、同時にレーザープリンタが普及するようになり、DTPシステムの礎になりました。

●先人の英知を学ぶことは楽しい!

活版印刷の組版の工程だけでなく、鋳造活字が作られるまでの工程を実際に見た体験は、想像力がアップしたというか、感性がシェイクされたという感覚でした。日本語をいう特殊な文化を持つ、日本人としての心も豊かになった気がします。

先人の英知を実際に目にすることができる博物館級の展示室は、これからも長く保存されることを願っております。

最近では、デザイナーでない人でも、ちょっとした印刷物をKeynoteやPowerPointで作成する場面があったりします。高性能なカラープリンターでマット紙に印刷かければカタログや説明書も完成しちゃうわけです。

アウトプットが紙であってもPDFデータであっても、情報を伝えるための一番重要なエレメントは文字だと思うんです。

モトヤ活字資料館のような活字や文字の歴史、DTPのルーツを学ぶ場所が全国いたるところにあるといいなぁとつくづく思いました。デザイン力や想像力が広がるはずです。

ガリ版(謄写版)、活版印刷、写植(写真植字)、DTPを学ぶ場所がもっともっと増えるといいなと思っています。日本人なら誰もが体感できる活字博物館ができるといいのですが。

・株式会社モトヤ
< http://www.motoya.co.jp/
>

【せきぐち・ひろゆき】sekiguchi115@gmail.com
Webフォント エバンジェリスト
< http://fontplus.jp/
>

1960年生まれ。群馬県桐生市出身。電子機器メーカーにて日本語DTPシステムやプリンタ、プロッタの仕事に10年間従事した後、1995年にインターネット関連企業へ転じる。1996年、大手インターネット検索サービスの立ち上げプロジェクトのコンテンツプロデューサを担当。

その後、ECサイトのシステム構築やコンサルタント、インターネット決済事業の立ち上げプロジェクトなどに従事。現在は、日本語Webフォントサービス「FONTPLUS(フォントプラス)」の普及のため、日本全国を飛び回っている。

小さい頃から電子機器やオーディオの組み立て(真空管やトランジスタの時代から)や天体観測などが大好き。パソコンは漢字トークやMS-DOS、パソコン通信の時代から勤しむ。家電オタク。テニスフリーク。


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編集後記(10/23)

●舞の海秀平「勝負脳の磨き方」を読んだ(育鵬社、2014)。小よく大を制する“発想法”、困難に立ち向かうための“メンタルコントロール術”、勝負脳を活かした“伝える力”、親方や先輩から教わった“勝負脳の要諦”という4章立てで、目次の構成がとてもうまい。しかし、書いてあることはよく理解できるが、ビジネスにも通じる「勝つための極意」は読み取れなかった。なにか物足らない。見出しはすばらしく上手だが、内容がついていかない。エピソード自体は面白いが、むりやり見出しのような結論にもっていくところに無理がある。でも、これを講演で聴いたのだったら、必ず満足できるだろう。やっぱり相撲の話は面白い。

舞の海は日本相撲協会の人間ではなくフリーのタレントだ。NHK相撲中継の解説者として、土俵上で起きたことを、軽妙な語り口でわかりやすく説明している。解説者同士のかけあいを持ち込んだのも舞の海だ。北の湖理事長と雑談していたとき「俺は解説で呼ばれても、力士に対してあんまり厳しいことを言えないんだよなあ」とぽつりと漏らした。「力士には故郷に親兄弟がいるだろう。そんな人たちが遠く離れた地で、俺の解説を聞いていると思うと、どうしても厳しくは言えないんだ」と打ち明けたそうだ。それからの舞の海は、言葉を選ぶ引き出しを増やす勉強をしているという。年中不機嫌そうであまり好感度がなかった北の湖だが、けっこういい人なんだなと思ったエピソードだ。

いまや日本人は家族や故郷を思う心が薄れつつある。故郷を背負って都会の土俵で戦う。そして故郷に錦を飾る。それが大相撲の世界に飛び込んだ力士たちの共通の志だった。豊かになった日本では、それが過去のものになっているようだ。志があるのは外国人力士だ。彼らは故国の誇りが胸中から消えることはない。その誇りが気持ちを奮い立て、懸命に技を磨くことにつながる。あの朝青龍がTwitterで、ハングリー精神がなくなり努力も不足、さらには家族愛の不足や甘いものの食べ過ぎが、日本人力士の弱体化の原因なのだと書く。礼儀知らずの乱暴者・朝青龍は嫌いだったが、この指摘は間違いではない。

現在の力士の平均体重は約160キロで、三横綱はすべて平均以下である。体重が強さでない、技術が強さだと三横綱が証明している。志に加え鍛錬して得る技術、それが日本人力士に不足している。まだある。外国人に負けてたまるかという根性がない。舞の海の現役時代、曙が史上初の外国人横綱になった。あのときの日本人力士の心には「曙を横綱にさせてたまるか」という意地があったという。いまはどうだ。大関で最も冴えなかった鶴竜をやすやすと横綱にしてしまった。「いまの日本人力士にモンゴル勢への対抗心が感じられないのが寂しい限りです」と舞の海。「日本からは横綱は誕生しないだろう」と朝青龍。あと半月もすると十一月場所だ。楽しみというより不安が……。(柴田)

< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/459407099X/dgcrcom-22/
>
「勝負脳の磨き方」


●『アウトバーン』を聞きながらアウトバーン!/モトヤ活字資料館。前回は行けなかったから、次は行ってみたい〜!

小柳奈穂子さんのインタビュー第三回目。

「タカラヅカの本拠地は関西」「タカラヅカのテーマパークみたいな雰囲気」「おっとりとした住宅地にあるところが、ショービジネスの文脈から言うと、何ともユニーク」「東京の荒波に揉まれ過ぎなかったから、かえってよかった」

「小林一三は、家族向けの健全な娯楽ということにこだわり、芸能人ではなく、良家の女性による歌劇を考案した」ことで「テレビが普及してからは、規模を縮小したり、解散をした」他の女性だけの歌劇団と違い、発展し続けている。「大正時代に、100年後に通じる独自のビジョン(清く、正しく、美しく)を持っていた、というところが、神懸かっている」

「ブランディングについては、結構シンプルに考えていたんじゃないかな、と思います。ただし、その核心は強固でブレなかった」「ブランドを作るには、今も昔も、個人名が出ないと、だめじゃないかと思う」「人が個人名を出して大勢に対峙する時って、すさまじいパワーが出」る。

「アップルはスティーブ・ジョブズ、マイクロソフトはビル・ゲイツ、アマゾンはジェフ・ベゾス」「他の歌劇団は個人名で語られることはなかったけれど、タカラヅカだけは常に小林一三という名前と一緒」 (hammer.mule)

< http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20140908/270935/
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「非論理」で100年生き抜くタカラヅカ