[3845] FMエアチェックに夢中だった頃

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《『てっこん』は素晴らしい出会いの場だった》

■わが逃走[154]
 さらばてっこん の巻
 齋藤 浩

■もじもじトーク[13]
 FMエアチェックに夢中だった頃
 関口浩之




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■わが逃走[154]
さらばてっこん の巻

齋藤 浩
< https://bn.dgcr.com/archives/20150205140200.html
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超ハイクオリティ居酒屋『てっこん』が、閉店してしまった。

よい酒が安く飲めて料理もとても旨い、知る人ぞ知る名店だった。開店から10年間通い続けた。そこで酒の飲み方も、ひととの付き合い方も、アートのことも、文学についてもいろいろ学んだのだ。

私の育った家庭では酒と外食は罪悪だという文化があった。父も母も酒を飲まない。それが原因だとは言わないが、そういうものにあまり触れる機会がないまま大人になってしまい、若造のオレは飲食店に入ることすらコワかったのだ。

しかも飲み方を知らないせいで、日本酒やワインを"のどごし"で飲んでしまった結果悪酔いしたり、ごはんとみそ汁とおかずが同時にないとどうにも不安で仕方がないといった日々を送っていた。

また、私はもともと食べるスピードが人一倍遅かったのだが、給食をのろのろ食べているとクラスにおける地位が不利になってくるので、小学生の頃からとにかく早く食べる訓練をしてきた。

その結果、異常な早食い野郎に育ってしまった。こういうヤツはモテない。

さて、そんなモテない野郎が結婚した相手が大酒飲みだったのだ。おかげで30過ぎてからは外食もコワくなくなり、また徐々に酒の飲み方というやつもわかってきた。

そんなときに、突如、世田谷は松陰神社前の商店街に開店したのが、『てっこん』だったのだ。

「なるほど、酒に合う料理とはこういうことか!」

目からウロコを落としつつ日々驚きと衝撃に打たれる30すぎのオレ。多いときは週5日通った。

旨いものを知ったのはいいが、比較対象のための基準ができてしまったので、良くも悪くもインチキな料理を出す店に入ってしまうと、今まで以上に怒りと悲しみに襲われるようにもなってしまった。

そもそも『てっこん』よりも旨い店はあるだろうが、『てっこん』よりも安くて旨くて居心地のいい店など存在しないのだから困る。

世話になった人はここぞとばかりにお連れしたし、ぜひここで一緒に飲みたかった人は、まだまだたくさんいたのだ。

酒と料理のクオリティが高いと客のクオリティも高くなる。『てっこん』は素晴らしい出会いの場だった。

ライカが私のもとにやってきたのもこの店のおかげだったし、

※「人生の節目を体験するの巻」 
< https://bn.dgcr.com/archives/20110210140300.html
>

小河孝浩氏と道程青年団を結成したのもここだった。

※「道程青年団の巻」 
< https://bn.dgcr.com/archives/20140612140300.html
>

そしてなによりも、普段はめぐり合う機会がないであろう異業種のプロフェッショナル...介護士や弁護士、編集者、ミュージシャンらと語ることで、これからすべきことが見えてきたり、新しいアイデアが生まれたりといったことが日々続いていたのだ。

行けば誰かいるので面白い話が聞ける。ひとりで飲みたいときはひとりにしてくれる。食材や酒で季節を感じ、常連客の華道のセンセイによる生け花が文字通り華を添える。こんな素晴らしい空間は探してもなかなか見つかるもんじゃない。

新幹線開業の陰で地元の足が廃止されてしまったり、歴史的建築が壊され写真集に「現存せず」の文字が入ってしまったり、そういうことは過去にもたくさんあったし、これからもあるだろう。

松陰神社前の商店街も、世代交代の波が本格的に訪れているように思う。昭和なケーキ屋さんや乾物屋さん、和菓子屋さんが次々と店を閉め、おしゃれなビストロや焼き菓子の店が開店する。

いずれも元気があるし質も高い。しかし、フォーマット化された「おしゃれ」に違和感を覚えるのもまた事実。

統計から推察された最大公約数的な風情を提示されてもいまいち釈然としない。

「ほら、みんなこんな雰囲気好きでしょ?」という歩み寄りじゃなくて、「どうだ! これがオレの美意識だ!!」に共感したいのだ。

若手店主諸君、どうかてっこんのような独自の美学を見せてくれ。頼む。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
< http://tongpoographics.jp/
>

1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。


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■もじもじトーク[13]
FMエアチェックに夢中だった頃

関口浩之
< https://bn.dgcr.com/archives/20150205140100.html
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前回のテーマは「カセットテープが好き!」でしたので、今回はその流れで「FMエアチェックに夢中だった頃」をお送りします!

みなさん、FM情報誌が何種類も発売されていたのを知ってますか?

創刊が早い順に4大FM情報紙を書き並べてみました。※Wikipediaより引用

1. FM Fan - 共同通信社(1966年創刊〜2001年12月10日号にて休刊)
2. 週刊FM - 音楽之友社(1971年創刊〜1991年3月休刊)
3. FMレコパル - 小学館(1974年創刊〜1995年休刊)
4. FM STATION - ダイヤモンド社(1981年7月創刊〜1998年3月休刊)

●FM情報紙は150万部売れてた

本棚の中から「FM STATION」1988年10月3日号が出てきました! じゃーん、これです。
< http://goo.gl/eL0pWT
>

なんと、ピーク時の発行部数は4紙合計で150万部ぐらいだったようです。「FM STATION」(隔週発行)の発行部数のピーク時は50万部と言われています。

高校生の頃は「FM Fan」を読んでました。ビルボードのヒットチャートが掲載されていたのも楽しみでした。当時、ヒットチャートがどうなっていたかを知るには、ラジオ番組か雑誌からでないと情報が入手できなかったですからね。

そうそう、僕がよく聴いていたのは「DIATONEポップスベストテン」でした(1990年代になるとスポンサーが変更になって「COSMOポップスベストテン」になりました)。ジングルが「ダ〜イヤト〜ン、ポップスベ〜ステン」ってやつです。

話はFM情報紙に戻りますね。1980年代になると、「FM STATION」が創刊されました。創刊号からかかさず購入してました。ある時まで、創刊号から10年間分ぐらい残してありましたが、引越しの時に全て捨ててしましました。でも一冊だけ本棚に残ってました!

でも、なんで、FM情報紙がそんなに人気あったんでしょうか?

FM情報紙が流行っていたのは1970年代から1990年代です。もちろんインターネットは普及していません...(笑)。iTunesもありません。なので、音楽を聴くにはレコード(LP/EP)を買うしかなかったのです。

でもお小遣いで買えるレコードは月に一枚がいいところですよね。その後、レコードレンタル屋さんの登場、音楽CD媒体の登場、CDレンタル屋さんの時代がやってきて、手軽に音楽をゲットできるようになりました。

そこで、音楽好きな少年少女たちはラジオやテレビから流れてくる音楽をせっせっとエアーチェックして、カセットテープに録音するのが重要だったわけです〜。少年少女だけでなく、大人も夢中になってましたね...。

●エアチェック

「エアチェック」の意味をWikipediaで調べてみました。

エアチェック(英:Aircheck) は、テレビ・ラジオの放送番組を録画・録音して楽しむこと、またその録画・録音した媒体の意味で使われる言葉。かつて日本では、AM放送よりもFM放送の音質が良いことから、FMチェックと呼ばれる事も多かった。

でも、自分の好きなアーティストの音楽がいつ流れるかわかりませんよね〜。

FM専門誌が流行った理由は、いくつかあったと思うんです。

1. 番組表でエアチェックしたい番組が調べられる(これが一番の理由!!)
2. 好きなアーティスト情報が載ってる
3. コンサート情報が手に入る
4. アーティストのカセットインデックスが手に入る
5. オーディオ新製品情報が手に入る
6. オーディオの特価情報、通販広告も楽しい
7. 読者から寄せられるコメント欄も楽しい
8. ヒットチャートが掲載されてる
9. 広告を読むのも楽しい

こうやって列記してみると、インターネットコンテンツとソーシャルメディアが、紙の中で展開されていたんだな〜と思っちゃいますね。

●28年前の「FM STATION」

写真掲載した「FM STATION」ですが、28年前の雑誌です。思わず30分ぐらい読みふけってしまいました(笑) オーディオ広告のページに当時のアイドルの写真が載っていてドキドキしちゃいました...。

浅香唯、南野陽子、中森明菜、BON JOVI、...

そっか、FUJI FILMのカセットテープのAXIAのCMは浅香唯さんでした!

「FM STATION」は僕にとって生活の一部でした。カセットテープのインデックス(アーティストラベル)と鈴木英人やバックスバニーのカセットサイズのイラスト付録が最高でした。
http://goo.gl/eL0pWT〉


こうやって並べてみると素敵でしょ! 自己満足☆ このカセットテープたちは30〜40年前にエアーチックものです。

アーティストラベルですが、自分のお気に入りのアーティストシールは何枚も必要なので、集めるのが大変でした。あと、メジャーじゃないアーティストはなかなか登場しないので、文字列を組み合わせて切り貼り作成したりしました...。

そういえば、当時、兄の部屋にはオープンリールがありました。

まずはオープンリールに番組ごとまるまる録音して、あとからカセットデッキに編集するんです。当時の音楽番組は、DJトークや曲名紹介と音楽の部分がかぶらないように気を遣っているのも多かったですね。

とはいえ、タビングする時に、DJの声が入らないようにするのも大切な作業でした。手間掛かるけど楽しかったですね〜

音楽って心を豊かにしてくれますよね。音楽って楽しい!

次回は、文字の話をお送りする予定です。

【せきぐち・ひろゆき】sekiguchi115@gmail.com
Webフォント エバンジェリスト
< http://fontplus.jp/
>

1960年生まれ。群馬県桐生市出身。電子機器メーカーにて日本語DTPシステムやプリンタ、プロッタの仕事に10年間従事した後、1995年にインターネット関連企業へ転じる。1996年、大手インターネット検索サービスの立ち上げプロジェクトのコンテンツプロデューサを担当。

その後、ECサイトのシステム構築やコンサルタント、インターネット決済事業の立ち上げプロジェクトなどに従事。現在は、日本語Webフォントサービス「FONTPLUS(フォントプラス)」の普及のため、日本全国を飛び回っている。

小さい頃から電子機器やオーディオの組み立て(真空管やトランジスタの時代から)や天体観測などが大好き。パソコンは漢字トークやMS-DOS、パソコン通信の時代から勤しむ。家電オタク。テニスフリーク。


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編集後記(02/05)

●神田千里「織田信長」を読んだ(ちくま新書、2014)。信長といえば、日本史上最も知られた人物だ。「戦国大名のなかで全国統一の野望を最初にいだき、実行に移した」と学校で習う。多くの小説の中では、信長とは伝統的権威や因習に囚われない"冷酷な"「革命児」というイメージが濃厚だ。年末に本の整理をしていたときに、工藤かずや+池上遼一の漫画「信長」全8巻をまたもやむさぼり読んで、わたしの中の信長のビジュアルは固まった。だが、正月に神田千里の本を読んだら、わたしの知る信長像はどんどん萎んでいく。今まで広く知られてきた信長とは全然違うのだ。

筆者は信長や織田政権の専門的な研究者ではない。戦国時代に起こった「一向一揆」に関する研究で知られる宗教学の泰斗だ。一向一揆研究の中で、信長に重大な関心を持つようになり、多くの史料をあたると、通説でいわれてきた信長の事業の意義や、政権の特質にかなり疑問を抱いた。広く行き渡った信長のイメージは果たして歴史的な事実といえるのか。筆者によれば、いままでの信長観は牢固とした観念の「箱」に入っていたが、先入観をリセットし史料を読み込むことで、この「箱」には収まり切らないまったく異なった側面を有していたことがわかった、というのがこの本の結論だ。

信長は本当に「革命児」だったのかが主題だ。当時最大の伝統的権威である将軍と天皇に、信長はどう対処したか。足利義昭は言われるような無力な傀儡だったのか。天皇や朝廷に対して信長はどのような関係にあったのか。利用すべき単なるシンボルでしかなかったのか。また、果たして「天下」取りの野望の持ち主だったのか。支配領域を拡大し、毛利や武田を併合し全国制覇を目指していたのか。これらについて史料をもとに検証する。その上で、筆者の専門である、信長が諸宗教勢力にどう対処したかを考える。すると、いままでの信長像はなんだったんだという結果に至る。「革命児」ではなかった!

よく知られるテーマが次々と出てくる。十七箇条の練言、将軍追放、蘭奢待切取り、長篠の合戦、京都の馬揃え、「天下布武」の朱印状、織田・毛利戦、織田・武田戦、一向一揆、石山合戦、比叡山焼討、佐久間信盛の追放、イエズス会とキリシタン......通説とは大いに違う。通説はイエズス会の杜撰な通信録と、江戸時代の講談や偽書「武功夜話」などから生まれたようだ。どうやら、信長は常識を重んじ、世間の評判にも敏感な"寛大な"武将であったようだ。ちょっと夢を壊された気がしないでもないが、信長フリークには絶対おすすめの本だ。新書版だから手軽に読める。面白すぎる!(柴田)

●hammer.mule の編集後記はしばらくお休みします