笑わない魚[223]再掲載 有名人と呼ばれて
── 永吉克之 ──

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最近、芸術家から、すっかり芸人にシフトした観のある私だが、どちらの分野にしろ、最終的には「有名」にならなければ成功したことにはならないのだ。

世間の熱狂的な称賛を浴び、その成功にあやかるために誼(よしみ)を通じようと目論む人びとに取りまかれ、誰だか知らないけど有名人らしいと聞くと、とにかく一目見ようと集まってくる軽佻浮薄な輩に囲まれて、始めて成功したと言えるのである。

人知れず成功してどうするのだ。カカアとガキの前で自慢話ができるのが関の山ではないか。

そんなわけで私は、成功して有名になって、さまざまな分野業界の人びとと交流を持ち、時の人になってちやほやされるのだ、という野望を胸に生きてきた。

その手段として芸術家を選んだのは、たまたま私が絵を描いていたからというだけのことで、成功する可能性があると思ったら、政治家でも、ボクサーでもバレリーナでも、何にだって手を出しただろう。




私には時間がないのだ。うちの家系の男はみな早死にで、平均寿命に至る前に亡くなっている。早く成功して有名にならなければ、私はちやほやされることのないまま寿命が尽きてしまうかもしれない。

そんなことは断じて許されるべきではない。もしそうなったら私は成仏できず浮遊霊となり、さまざまな霊障を引き起こすであろう。魂魄この世にとどまりて、怨み晴らさでおくべきか。

いや成功なんか、もうどうでもいい。とりあえず有名になりさえすれば、きっと何かで成功した人なのだろうと思ってもらえるからだ。あの叶姉妹のように「何をやってる人なのか分らないがとにかく有名」というのでいい。

いつまでも無名でいるのは御免だ。ああ早くちやほやされたい。両方は無理だというのなら「ちや」か「ほや」のどちらかひとつでもいい。

私はてっきり、40歳くらいまでには有名になっているだろうと思っていたので、そうなったときに手記を依頼されたら、こう書こうとアイデアを練っていたのだが、生きているうちには発表できないかもしれない。そこで今のうちに書いてしまうことにした。

     《特別手記》「有名人と呼ばれて」永吉克之

私は、いわゆる有名人と呼ばれる立場にいるわけだが、実はその自覚がないのである。無名だったころは、漠然と「有名人の生活って、とても素晴らしくて、すごく素敵で非常に良いだろう」と思っていたが、実際になってみると、こんなものかという感触しかない。

「有名人」という地位はあくまで、成功した結果、得られるものである。私は、他人が眠っているときに眠らず、喰っているときに喰わず、働いているときに働かずに努力して成功を収め、それが人びとの知るところとなり、その副産物として「有名人」と呼ばれるようになっただけのことで、私としては、自分がこの道で成功をしたという事実だけで充分満足である。

多くの若い人たちが「有名になりたい」という動機から、短絡的にタレントや歌手などの、いわゆるエンターテイナーを目指そうとする。

有名人とは、その一挙一動がマスコミの話題になり、街を歩けば通行人が振り向き、見ず知らずの人からサインや写真をねだられたりして、ちやほやされる人間のことを言うのであれば、私は有名人などとは呼ばれたくない。

正直なところ、私は最近、有名人として扱われることに少し疲れてきた。贅沢な悩みと言われるかもしれないが、無名だったころが懐かしい。貧しくても、世間の評価を気にすることなく、成功を目指してひた向きに生きていた。

カネがなくて飲めないときは、いきつけのパブでタップを踏んで、客からの「おひねり」で飲んだ。歌えと言われれば歌ったわ。酔客に、五千円やるから長襦袢一枚で逆立ちをしろと言われたこともあったのよ。

辛かったけど、そんな時代もあったねと、いつか笑って話せるわ、まわるまわるよ時代はまわる、喜び悲しみ繰り返しと思って頑張ったわ。

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無名人がいるから有名人も存在しうるのだ。名も無き人びとのおかげで有名人を張っていられるのだということを、われわれ有名人は忘れがちだ。なかにはセレブなどと呼ばれて自分たちが特権階級であるかのように錯覚する者もいる。世界中の人間がみな有名人になってしまったら、有名人はいったいどうやって有名人でいられるというのか。

無名人の方々から「おい、誰のおかげで有名人やってられると思ってんだよ」と言われてもしかたがないのである。言わば有名人とは、どこにでもいるような取るに足らない大衆の皆さまからの投げ銭で暮らしている大道芸人だ。

名もない瓦礫のような大衆の皆さま、塵芥のような大衆の皆さまのおかげで生かせていただいているのだという自覚を、有名人は決して忘れてはならない。

【ながよしかつゆき/ばい菌】thereisaship@yahoo.co.jp

勝った負けたで一喜一憂するのにウンザリしていたので、今年は野球を見るのをやめようと年頭に決心したものの、また去年のようにタイガースが絶好調だと見てしまうのではないかという懸念もあったが、幸か不幸か今年は絶不調で、なんと7連敗という大盤振る舞いまで見せてくれた。もう優勝はムリだ。これで安心して野球から離れられる。