[3974] 似てしまう話の巻

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《早く、大きく、長く……何のことだ(笑)》

■わが逃走[166]
 似てしまう話 の巻
 齋藤 浩

■もじもじトーク[26]
 宇宙のお話・第二回「太陽系」
 関口浩之




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■わが逃走[166]
似てしまう話 の巻

齋藤 浩
< https://bn.dgcr.com/archives/20150910140200.html
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まずは今、世間を騒がせてる例の話には複数の問題が混在している。

良いデザインなのか、盗作なのか、出来レースだったのか、オリンピック以外の盗作疑惑、著作権の問題、ネットリンチの問題、顔がムカつくなど本筋と関係ない議論、後から個人が勝手に出してきた案がそこまでイイのか、など。

また、こういった輝かしいステージと無縁の人(オレとか)にも、デザイナーという仕事をしているだけで後ろ指をさされたり、決まりかけていた仕事がポシャったりと二次被害、三次被害が発生している。

口蹄疫が流行したときにユンケル黄帝液の売上げが落ちたようなものかもしれないが、後ろ盾のないフリーランスにとっては由々しき事態なのである。

で、ひとの意見というものには憶測とか好き嫌いとか、感情的なものが少なからず入るものだと思う。

そういったものを排除した上で、私の意見は以下の三点。

●デザインと盗用の問題

白か黒かと聞かれればグレーである。立証はできないだろう。見た目は似ているが、コンセプトは違うように思う。ものはシンプルになればなるほど似てくるという意見にも同意。ただし、あくまでその後出てくる別案件の疑惑とは切離して考える。

そもそもあのロゴはイイのか? という問いかけに対しては、

イイところ:シンプルなところ。誰もが記憶スケッチでほぼ正確な形が描ける。RGB、CMYK、モノクロを問わず視認性が高い。

悪いところ:パラリンピックロゴとネガポジの関係としたこと。オリンピックとパラリンピックは並列の関係にあるべきで、オリンピックが光、パラリンピックが影であってはならないと思う。

純粋にロゴとしての良し悪しは5段階評価で4(オレ基準)、しかしケチがついたものは使うべきではない。なので、今回の取り下げは正解。

●釈明問題

そもそも、なぜ釈明会見をデザイナーひとりにさせたのだろうか。

あのエンブレムを選んだのは審査員(アートディレクター)なんだから、コレを選んだ我々に全責任があります、くらい言ってほしかった。

デザインにかかる疑いは、上に立つアートディレクターの責任である。だからこそデザイナーは思い切った提案ができるんじゃないか?

デザイナーはいちいち似たロゴがあるかの検証なんかできないし、それをするのは選ぶ側とそのブレーンの仕事だと思う。

●第三者の作品を無断で使用した問題

これは完全にアウト。ほんとに部下のしたことだったとしても指示したのはアートディレクターなんだから、コレを選んだ私に全責任があります、くらい言ってほしかった。

著作権のチェックもそれに対する教育も、アートディレクターの仕事である。だからこそデザイナーは思い切った提案ができるんじゃないか?

デザイナーのミスは上に立つアートディレクターの責任である。

といったところかな。

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てな訳で、本日はデザイン界における「似てしまう話」を書きます。

私の経験上、アイデアとはゴキブリのようなもので、ひとつイイ案を思いついたら、同時に同じことを考えている人が30人はいる。

あとは、いかにして発表するかで勝負は決まる。たとえば…

1.早く──すぐに仕上げて国際コンペ等に出して入選を勝ち取り、公的に大勢の目に触れさせる。

2.大きく──キャンペーンやイベントで使われるよう広告代理店に売りこむ。

3.長く──瞬発的に似たような表現はブームとなることが多いが、10年、20年と続けているとライバルも減り、結果認知度も上がる。

私の場合はほぼ1と3かな。まあ大きなキャンペーンに不向きなアイデアが多いとも言えるが。

よく、「じぶんの方が先に考えたのにー」と嘆く人がいるが、そのほとんどの場合がwebに載せただけとか、中には誰にも見せずアイデアを温めていただけとかである。

気持ちはわかる。わかるが、その悔しさをバネに戦略を練り、効果的に発表することが肝要。

また、確かにアイデアが盗まれることはある。なので、とにかく信用できるパートナーと組むこと、そして盗まれても決して落ち込まず、次回それ以上のアイデアを出してやるぜと思えるメンタルづくりが、この仕事を長く続ける秘訣かもしれない。

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同時に同じことを思いつく人が複数いるというのは、世の中における文化の流行や気候、事件などさまざまな要因があると思う。

たとえば2003年にドイツの雑誌で、私とアムステルダムのアーティストDELTAが並んで紹介されたことがあったのだが、同時多発的感性とでもいうべきか、共通するものが多く、驚いたものだ。

私がDELTAの作品を知ったのはその少し前だったし、彼はおそらく私のポスターなど見たこともなかったはずだ。

そこに紹介された作品は、とくに色彩やモチーフをとらえる角度に共通するものを感じた。

知らない人が見たらパクリと思ったかもしれない。しかし、おそらくは少年時代に見ていた同じアニメの影響だろう。ひとことで言えば、いずれもガンダムっぽいのだ。

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また、師匠やあこがれのデザイナーの仕事には似てしまう。

伝統芸能の世界には『型に入り型から出よ』という言葉があるそうだ。それに限らず、なにごとも習得するには模倣から入る。

言葉も動作も親を真似ることから始まるし、スポーツだって憧れの選手の模倣から自分にあったフォームを発見していくものだろう。

子供がアイドルの振り付けを覚えたい! と思うのと同じように、私も小学生の頃、YMOの書体を覚えたい! とアルバム「テクノデリック」のライナーノーツに使われていた奥村靫正さんによるYMOフォントを、トレーシングペーパーで写経していた。10歳の頃だ。

こういう経験が血となり肉となって、今の表現に繋がっているのだと思う。

たまに私のポスターを見て「カッサンドル?」「リシツキー?」と尋ねる人がいるが、「ロシア構成主義でテクノミュージックを表現した奥村靫正の影響」が正解。

他にも80年代=10代の私は、当時のレコジャケや、資生堂、西武百貨店、セゾン美術館、パルコなどの広告によってデザインの通信教育を受けていたようなものだった。

ブレードランナーやエイリアンなど、映画の美術表現の影響も大きいと思う。またガンダムに登場した全てのモビルスーツは、今でも正確に描くことができる。小中学生の頃にさんざん描いたので、手が覚えているのだ。

同年代にはそういう人も多いと思う。

同様にあの頃憧れたデザイナーの仕事も脳裏に焼き付いているし、体に染み付いているのだ。

『型に入り型から出よ』、果たして私は『型から出』られたのか。これは常に自問自答している。

いろんな人や文化に影響を受けている。それらを自分の人生を、経験をとおしてアウトプットしているつもりだ。

デザインが世の中に出た以上、それは「個人の作品」ではなく「みんなのもの」となる。それにどのような感想を抱いてもそれは見る人の自由だ。

人によっては模倣、盗用ととらえることもあるだろう。10年ほど前、私は居酒屋において隣に座った某出版社副編集長(当時)から「齋藤さんの“リッタイポ”は五十嵐威暢さんのパクリだよね」と言われたことがある。

ずいぶんと表層的なことをいうやつ! と思ったものの、五十嵐さんは私の憧れのデザイナーのひとりだし、文字の立体表現の先駆者であるわけなので、たしかにそういう意見もあるかもしれない。と思い直した。

こうなると、もう、酔いがいっぺんにさめてくる。あの憧れの五十嵐さん、あのパルコのロゴをデザインされた五十嵐さんに「お前の仕事はオレのパクリだ!」と思われたらどうしよう! 家に帰ってもなかなか寝付けない。

そんなある日、銀座の画廊で五十嵐さんの個展が開催中であることを知る。私はすぐに、今まで作った“リッタイポ”シリーズをファイルにまとめ銀座へと向かい、ご本人に直撃したのだ。

「五十嵐さん、ぼくの作品はパクリでしょうか?」

今思えば、面識もない駆け出しのぺーぺーが個展会場にいきなり自分のポートフォリオを持って現れて「パクリでしょうか?」ってものすごい失礼だったと思う。思い出すだけで恥ずかしい!

しかし、五十嵐さんは私のファイルを1ページずつ丁寧に見てくださり、「君のポスター、TDC年鑑に出してたね。審査会で見ましたよ。いいポスターでした。私も票を入れました。パクリだなんて思っていませんよ。これからもどんどん作ってください」と言ってくださったのだ。

画廊から出て、しばらく歩いて雑居ビルの角で立ち止まったら、手も膝も震えていた。(なんて図々しいことをしたんだ、オレ!)でも、これで吹っ切れた。

独立系デザイナーを15年以上やってこられたのも、こうした偉大な先達の言葉によるところが大きい。ありがとうございます。

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アイデアの出し方というのは人それぞれだと思うが、アートディレクターの青葉益輝さんは晩年、体のいろんなところを叩いたりつねったりして脳に刺激を送っていた。

「年をとるとなかなかアイデアが出なくなる。じっとしていたらもっと出なくなる。だからとにかく動かしてみるんだ」と目の前で顔を叩き始めた。

「この前はこのあたりをつついたらいいアイデアが出た。今日はどこかな」。

もちろん、触覚だけでなく視覚や聴覚への刺激も有効だと思う。音楽を聴けばそれをBGMとした映像がうかぶし、視覚を刺激して出すのなら私の場合は地図帳とか細胞の写真とか、仕事と無関係なものを見ているときの方がイイものが出やすい。

デザイン年鑑を見てヒトサマの考え方を参考にすることもあるけど、見すぎると表層的に似てしまうからほどほどを心がけている。

ずいぶん前に聞いた話だが、コピーも見ながら書くと似るらしい。憧れのコピーライターの本を片手に机に向かうと、それっぽいコピーがつぎつぎと書ける。しかし、ホンモノには遠く及ばないそうだ。

どうやら『型に入り型から出よ』の『型』とは、メビウスの輪のような存在のようだ。努力を重ねて一度はそこから出たものの、油断しているといつのまにか型の中に戻っていた、なんてこともあるかもしれない。

肝に銘じることとする。


【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
< http://tongpoographics.jp/
>

1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。


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■もじもじトーク[26]
宇宙のお話・第二回「太陽系」

関口浩之
< https://bn.dgcr.com/archives/20150910140100.html
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こんにちは。もじもじトークの関口浩之です。

今日は、宇宙のお話・第二回「太陽系」をお送りします。

日が暮れるのがだいぶ早くなりましたね。昼間の時間が一番長かった夏至が6月22日だったので、その日から少しづつ昼間の時間は短くなっていたのです。

僕は「昼間が一番長い日」は7月だと思い込んでましたが、6月なんですねー。6月は梅雨の季節なので、「昼間の一番長い日」は本格的に暑くなる7月だと思ってました。そう思っていたのは僕だけじゃないはずです……笑

そして昼間が一番短い冬至が12月22日なので、夏至から冬至に向けての中間折り返し地点が、今月23日の秋分の日なのです。

つまり秋分の日は、昼間の時間と夜の時間が同じになる日(正確には同じではなく昼間の時間のほうが少し長いらしい)なのです。

天文学の観点からも「春分」「夏至」「秋分」「冬至」の四つは一年を通じて節目になる大事な出来事なのです。

一年をさらに細かく分けると「二十四節気」という節目があります。たとえば、天気予報士が「今日9月8日は暦の上では白露(はくろ)ですね。大気が冷えてきて露ができ始める季節となりました」と説明するしたりしますよね。その「白露」が二十四節気のひとつになります。

小寒(1月6日)
大寒(1月20日)
立春(2月4日)
雨水(2月19日)
啓蟄(3月6日)
春分(3月21日)
清明(4月5日)
穀雨(4月20日)
立夏(5月6日)
小満(5月21日)
芒種(6月6日)
夏至(6月22日)
小暑(7月7日)
大暑(7月23日)
立秋(8月8日)
処暑(8月23日)
白露(9月8日)
秋分(9月23日)
寒露(10月8日)
霜降(10月24日)
立冬(11月8日)
小雪(11月23日)
大雪(12月7日)
冬至(12月22日)
小寒(1月6日)
大寒(1月20日)

その年によって日がずれることもありますが、これら二十四の節目は、地球からみた太陽の見かけ上の通り道(黄道)において、太陽が春分点を通過する時点を起点して24分割したものになります。

このように年間を通じていろんな節目が刻まれていることで、太古の時代から人類が農業を営む上で、とても役立つ指標になっていたのではないでしょうか。

地軸が傾いている関係で、黄道の春分点を起点にした「春夏秋冬」があるわけで、日本は春夏秋冬の季節感を最も感じることのできる絶妙な緯度(北緯25〜45度)に位置しているのです。

現在は協定世界時(UTC)があり、世界共有の時刻や暦を共有できていますが、暦の歴史をひも解くと、暦の体系や分類は時代や地域によりまちまちです。

ちょっと調べてみたのですが、暦の歴史を理解するには数日掛かりそうです……。いつかまとめてみたいと思います。

先日話題になった閏秒(うるう秒)や、通常四年に一度やってくる閏年(うるう年)の調整を、もし実施しなかったら、何万年か経過してるうちに季節がずれてしまうことになりますね。う〜ん、暦って深い……。

季節や時刻の基準になるのは太陽ということなのですね。地球にとって太陽は、生みの親であり、生命の源なのです。おてんとうさまに感謝しないとね……。

●水金地火木土天海(冥)

小学生のころ、つまり45年ぐらい前になりますが、理科の授業で太陽系の惑星は「水金地火木土天海冥」と教わりました。

冥王星は2006年までは惑星とされていました。しかしながら、近年の研究や望遠鏡技術の発達により、冥王星に類似した天体がいくつも発見され、国際天文学連合の総会にて冥王星くんは「準惑星(dwarf planet)」と呼ばれるようになりました。

なので、現在、太陽系の惑星は? と聞かれたら「水金地火木土天海」ということになります。なんか寂しいですね……。

僕は、自称、ベランダ天体少年(天体おじさん!)なので「水金地火木土天海」の太陽系の惑星をいくつか撮影したので、ご披露します。じゃ〜ん!
< http://goo.gl/kYrmQP
>

空が明るい都内のきびしい環境の中、結構きれいに撮れたでしょ。でも、これを実現するために、下記をコツコツと中古やバーゲンで揃えました。

・笠井製15cm反射望遠鏡(F値が明るいf750mm、つまりF5.0)
・自動追尾ができるモータードライブ付き赤道儀(ビクセンGP2赤道儀)
・F値の明るいカメラ(オリンパスXZ-2、F1.8〜F2.5)

車に望遠鏡を積んで重装備で星の綺麗な山の中へ出かけて撮影したことは、実はまだ一度もないのですが、リビングから数メートルの横のベランダでお手軽に天体観測するのも悪くないです。

観測する数時間前に望遠鏡をベランダに出して(望遠鏡内の空気の温度を外気温度になじませるため)、観測のセッティングに10分、観測後の撤去に5分というお手軽なベランダ観測所なのです。

さて、すべての惑星を解説すると長くなるので、僕が好きな木星と土星を簡単に紹介します。

●木星

木星は太陽系の中で一番大きな惑星です。直径(赤道面)は約143,000kmなので、直径換算で地球の十倍以上になります。

木星の特徴は、赤道と平行して綺麗な縞々が確認でき、大赤斑という渦巻状の模様もあります。木星は岩石などで構成されているわけではなく、水素とヘリウムガスで構成されています。

そして、望遠鏡でも確認できる四つ衛星は、ガリレオ・ガリレイが発見したので「ガリレオ衛星」と呼ばれています。

そして、その中のエウロパと言われる衛星には、氷に覆われた海が確認されており、氷の下には水があると考えられ、生命の存在が期待されています。

先ほどの天体写真でも木星の縞々が確認できますよね。うまく撮影ができて、実は自分でもビックリしました……。

ウィキペディアで、太陽系惑星の大きさ比較のイラストが掲載されていたので紹介します。小学校の理科の復習だと思ってご覧ください。
< https://goo.gl/1JnHiZ
>

●土星

土星は太陽系で二番目に大きい惑星です。誰もが知ってる通り、綺麗な環(輪)が見えます。

土星の中心には岩石から成る核があるようですが、木星同様に水素とヘリウムガスが主成分で構成されている惑星と考えられます。

土星はなんといっても環(輪)が魅力ですよねー。先ほどのベランダ天体写真でもちゃんと輪が映ってたでしょ! 本当に東京の江東区のマンションのベランダから撮影した土星なんです。

土星までの距離は平均で13-16億kmですね。どのくらい遠い検討がつきません。地球一周が4万km換算で約36,000周の距離のようです。余計にわからなくなりました…(笑)

次回は更に範囲を広げて、銀河系のお話をお送りする予定です。

ほんと宇宙は不思議ですね。そして楽しいですね〜☆


【せきぐち・ひろゆき】sekiguchi115@gmail.com
Webフォント エバンジェリスト
< http://fontplus.jp/
>

1960年生まれ。群馬県桐生市出身。電子機器メーカーにて日本語DTPシステムやプリンタ、プロッタの仕事に10年間従事した後、1995年にインターネット関連企業へ転じる。1996年、大手インターネット検索サービスの立ち上げプロジェクトのコンテンツプロデューサを担当。

その後、ECサイトのシステム構築やコンサルタント、インターネット決済事業の立ち上げプロジェクトなどに従事。現在は、日本語Webフォントサービス「FONTPLUS(フォントプラス)」の普及のため、日本全国を飛び回っている。

小さい頃から電子機器やオーディオの組み立て(真空管やトランジスタの時代から)や天体観測などが大好き。パソコンは漢字トークやMS-DOS、パソコン通信の時代から勤しむ。家電オタク。テニスフリーク。


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編集後記(09/10)

●曽野綾子「人間の愚かさについて」を読んだ(新潮新書、2015)。豊かな見聞と経験から語られる人生哲学に、わたしは共感する。肯くところが多い。ところがこの人が書く文章は、ときどき問題になる。あとがきにその騒動が書かれていた。産経新聞の連載エッセイ「透明な歳月の光」の中で書いた文章の一部が、人種差別とアパルトヘイト擁護だとネットなどで問題になった。それは曽野が南アで見聞した、あるマンションで起こったもめ事を描いたもので、彼女の虚構ではない。そこで南アの駐日特命全権大使に会見したところ、どうやら事実ではない部分があることが分かり、直後の連載で経緯を書いている。

産経新聞には少なからぬ団体から抗議が来て、作家の謝罪と記事の撤回を要求した。「一作家が、誰かを代表するということもなく、自分の考えを書いていることに対して、さらに私が現実に人種による差別的行為をしたり、示唆したりしているのでもないのに、謝罪と記事撤回を要求する、ということに私は驚きを感じた。今の日本はこういう国だったのか、と理解した」。「たかが作家」(と本人がいう)の書くことではないか。それでも談話を求めてきた相手にはすべて対応し、書面で質問が来れば原稿で書いた。ラジオの録音取材にも応じた。外電は「安倍総理のアドバイザー」というありもしない肩書きをつけた。

「肩書き一つ正確に書けなかった新聞や通信社が、こうやってヘイト・スピーチを繰り返し、そこに覆面のツイッターが群集として加わって圧力をかけ、どれだけの人数か知らないが、無記名という卑怯さを利用して、自分たちは人道主義者、曽野綾子は人種差別主義者、というレッテルを貼ることに無駄な時間を費やしている、その仕組みを今度初めて見せてもらって大変ためになった。私は覆面でものを言う人とは無関係でいるくらいの自由はあるだろう」「人権を口実に一人の人間を憎しみの対象にする過程がよく見えたのはいい体験だった。また個人を攻撃するイジメの仕組みも実感をもってわかった」

という曽野だが、以前からネットの世界とは関係ないので、生活は少しも乱されなかったという。ネットの罵詈雑言は届かなかった。いままでは、彼女の書いたものに反対意見のある人は、書面で書いたり電話をかけてきたりしたものだが、この事件では一切なかった。それにしても、たかが作家(と本人がいう)に求める「謝罪」とはどんなものだろうか。このたび問題となったエッセイで描かれた、黒人が基本的に大家族主義で、買ったマンションにどんどん一族を呼び寄せるのと、「生活保護を受けたらいいじゃないの」とすぐ国家に押しつけようとする冷たい日本人を比べてみると、複雑な思いがする……。 (柴田)

< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106106140/dgcrcom-22/
>
「人間の愚かさについて」


●似たような音楽や雑誌を好む人が、かっこいいと言うデザインは似ている。違う人に見せたら即却下される。世代によっても違う。確かにそうだった。影響されるものが違うから当然なんだな。/ベビーメタルのTシャツ。もっと可愛いのが欲しい、黒生地以外があってもいいのと思ってしまう。メタル的なデザインに思い入れがないのだなぁ。

Ingress続き。最初の頃は、キー集めのためのハック散歩をしていた。貧弱なので敵のポータルは壊せない。なので中立である白いポータルを探して、レゾネーターを挿し8本にする。最初の1本目を挿した人が、そのポータルのオーナーとして表示される。

そして味方色に変わる。これが嬉しかった。味方のポータルで8本未満のものがあれば、残りを埋める。そして集めたキーを使い、リンクをはる。

近所のキーを集めておけば、どこかしらリンクでき、3辺とも自分でリンクをはらなくても、誰かが1辺、2辺を結んでいれば、残りをリンクするだけで三角形ができあがる。

自分が挿して8本にしたばかりのポータルに、誰かが遠くからリンクを飛ばしてきた時は、役に立てたんだなぁと幸せな気分になった。レベルの低いレゾネーターで構成された自分のポータルを、レベルの高い人たちが差し替えてくれる、その頼もしさ。続く。 (hammer.mule)

< http://rakuenmetal.blog.jp/archives/22210517.html
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「BABYMETALの歴史 Tシャツの歴史」ギミチョコとダークナイトのイラストちっくなのがいい。