[4079] 押せないボタンの巻

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《まずはデザインの基本の基本! 情報の整理を!!》

■わが逃走[176]
 押せないボタンの巻
 齋藤 浩

■もじもじトーク[36]
 自分が住んでいる町の歴史を調べてみよう
 関口浩之




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■わが逃走[176]
押せないボタンの巻

齋藤 浩
https://bn.dgcr.com/archives/20160303140200.html

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みなさんこんにちは。未だ腰が痛い齋藤です。

とはいえ、だいぶ良くなってきました。しかし、歩き方がまだC-3PO的だったりします。

腰痛であることをうっかり忘れ、自然に見返り美人のポーズをとってしまいグキッときたり、右脚の付け根をかばいすぎたら左足の付け根が痛くなったりと、うっかりミスを繰り返す毎日。

そんな中、公共交通機関を利用してちょいと隣町まで行こうとした際、驚くほどの“障壁”の存在を実感した話は前回『日本のバリアフリーの巻』で語りました。今回もその続きを書かせていただきます。

腰痛になって気になったことのひとつに、歩行者用信号の点灯時間がある。今までまったく気づかなかったが、信号機が青を点灯させている時間は意外なほど短いのだ。

つまり、腰痛持ちは横断歩道を渡り切れないことがある。これはコワイ。この恐怖を感じて以来、信号が青の場合は一旦赤になるのを待って、再び青になったところを渡るよう心がけた。

信号は、地理的・時間的条件などによって点灯パターンが定められているのだと思うが、今回けっこう見落とされてるかも、と感じたのが路面の傾きである。

坂道ならまだわかりやすいが、腰痛がひどいと、アスファルトの微妙な盛り上がりやくぼみですら越えられなくなるのだ。

ましてや慣れない条件の人が車いすで、となると危険にさらされる率はより高まるだろうし、本人のストレスも相当なものとなるだろう。

かくいう私も何度か轢かれそうになり、しまいには「すべて腰痛である私が悪いのです」というような寂しい気持ちになってきて、「これ以上世間様に迷惑をかける訳にはいかないので、外出はせずに家でじっとしていよう…」と考えている自分に気づき、コワくなった。

あれ? 同じようなこと前回も書いたか。でもこれって、いろんな意味で危険だよね??

さらに今回、気になってきたのが踏切だ。今まではとくに気にせず渡っていたが、こういう状況に陥ってみると、「もし渡ってる途中で動けなくなったとき遮断機が降りたら…」などと考えてしまう。

クドいようだが、腰痛だろうとなかろうと、すべての人にこういったことが起こりうるのだ。コワいでしょ??

で、そんなときはどうすべきか。列車に止まってもらうしかない。

そのための手段として、最近の踏切は遮断機脇などに『非常停止ボタン』が設置されている。線路の真ん中に取り残された本人には押せないけどね。でもまあ、ないよりマシだ。

という訳で、近所の踏切を確認してみたところ、またしても問題点を見つけてしまった。

結論から先に言ってしまうと、どこにボタンがあるかわからないのである。

まず、この『非常停止ボタン』を押さねばならない状況を想定する。その状況下における精神状態とはどんなものかを考える。

これはもう、ひと言で表せば『動転』でしょう。

あっ! 友達が線路の上で固まってしまった! と思ったら警報が鳴りだし、遮断機が下りてきた!!

(…そもそもこの時点で『非常停止ボタン』の存在に気づくだけの冷静さがこのオレにあるだろうか)

で、警報機のあたりを見てみる。こんな感じだ。

まず目につくのは三角柱に記された『非常停止ボタン→』という文字だが、矢印がどこを指しているのかがわからない。

https://bn.dgcr.com/archives/2016/03/03/001

近づいてみたのがこの写真。より一層わからない。

https://bn.dgcr.com/archives/2016/03/03/002

ならば引いてみるべし。後ろに下がって周囲を見回すと、道を隔てた反対側にも『非常停止ボタン』の文字があった。どうやら矢印は、これを指していたようだ。

https://bn.dgcr.com/archives/2016/03/03/003

そのあたりに行ってみる。踏切自体が黄色×黒で塗装されているわけだが、周囲には注意書きがたくさん存在し、警戒色だらけになっている。

まずは警報機の赤ランプ、そして赤×白で『STOP 非常停止ボタン』『係員以外立入り禁止』『監視カメラ作動中』『ボタンを強く押す 非常ボタン』『非常ボタン』、黄色×黒で『溝に注意』。

https://bn.dgcr.com/archives/2016/03/03/004

で、『溝に注意』と『係員以外立入り禁止』、『監視カメラ作動中』は置いといて、残った『STOP 非常停止ボタン』『ボタンを強く押す 非常ボタン』『非常ボタン』のうち、どこに本物のボタンがあるのか。どこを押せば列車が止まるのか。

正解はここです。写真のAのパネル内、円で囲まれた部分。

https://bn.dgcr.com/archives/2016/03/03/005

より目立つBのあたりを探していると、間に合わなくなります。いや、すでに間に合わなかったかもしれません。

…これじゃまるで消火器と郵便ポストの間に、シャア少佐を立たせているようなものではないか!

まずはデザインの基本の基本! 情報の整理を!!

表記が『非常停止ボタン』『非常ボタン』と統一されてないことも混乱を招く
原因のようだ。

そもそもすべての人に対し、たとえば日本語の読めない人に対しても、このボタンの機能が伝えられているだろうか。

思うにこの『非常停止ボタン』、サイン掲出に関する全国統一規格が存在しないのではないか?

だとしたら今すぐ情報伝達のプロを中心としたチームを立ち上げるべき。人の命にかかわることだ。

森英恵や黒鉄ヒロシではなく、メンバーにはグラフィックデザイナーを起用してほしいと切に願う。

オリンピックまであと4年。日本人の識字率も100%ではない。

以下オマケ:踏切周辺の情報は極力減らすべき。「赤は目立つ」という思考停止が情報伝達を妨害している。またポスターにある椿のイラストが、非常停止ボタンと色、形が似てしまった。

https://bn.dgcr.com/archives/2016/03/03/006

駅のホームの非常停止ボタン。「目立つよう黄色で」というルールは、壁が黄色の場合も有効なのか検証すべき。

https://bn.dgcr.com/archives/2016/03/03/007


【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
http://tongpoographics.jp/


1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。


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■もじもじトーク[36]
自分が住んでいる町の歴史を調べてみよう

関口浩之
https://bn.dgcr.com/archives/20160303140100.html

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こんにちは。もじもじトークの関口浩之です。

みなさんは、自分が住んでいる町に「どういう歴史があるのか?」「地名にどんな由来があるのか?」、気になったことはありませんか?

●歴史を紐解くと面白い

小さい頃、修学旅行で京都・奈良を訪れたことはあるけど、当時の思い出といえば、枕投げしたことぐらいしか記憶にありません(笑)

最近、京都出張する機会がありました。観光地巡りする時間はないけど、その地域の歴史を調べたりすると、新しい発見がたくさんあるなぁと感じました。

修学旅行に行ったのは40年ぐらい前だし、インターネットで、ウィキペディアで調べるわけにはいかなかったけど、行く先々の歴史を調べることはしなかったと思います。百科事典で調べるという方法はあったかもです。

年をとったせいもあると思うけど、訪れる町の歴史を調べるのが、最近、すごく楽しかったりします。

自分が住んでる町のこと、どれだけ知っているだろうか……? 身近すぎてあまり知らなかったりしませんか?

僕は東京に40年近くになりますが、引越しは8回してます。でも、この20年間は江東区の南砂というところに住んでます。気に入っている街です。

ということで、自分が住んでいる町の歴史を紐解いてみましょう。ローカルネタですみません。

●ゼロメートル地帯とは知っていたが

こんな鉄塔を見つけました。これです。ジャーン!
http://goo.gl/0svzjJ


そうなんです。江東区と江戸川区の境を流れている荒川の、両岸地域はゼロメートル地帯なんです。

そういうエリアなのは知ってましたが、駅に向かう途中に建っている鉄塔が、この地域の特性や過去の水害の歴史を刻んでいるなんて知りませんでした。毎日、すぐ近くを歩いているのですけどね……。

上から「外郭堤防高」「大正6年台風・過去最高水位」「昭和24年・キティ台風」「大正7年地表面」「平均海面」と書いてあります。

おぉー、昭和になってから、この高さまで浸水したことがあったのかー。キティ台風を調べてみました。台風の通過が満潮時と重なったことから江東区と江戸川区のゼロメートル地帯一帯が浸水したそうです。

その水害の経験から堤防を高くする計画が立てられ、昭和32年から10年かけて、このポールが示す一番上の高さまで堤防を高くしたようです。

ついでに発見しちゃたのですが、この地域は大正7年から昭和55年までの60年間で4.75m地盤沈下したらしい……。

毎日、通勤時に目にしていたこの小さな建物は「南砂町地盤沈下観測所」だったのです! その建物の写真がこれです。
http://goo.gl/mlF5ZI


その後、工場立地の制限がかかり、この地域から大規模工場が転出したようです。でも、その後、地盤沈下は進んでないのだろうか……。気になる。

●地名の由来を調べる

地名に「砂」とつくのは、海辺に近い軟弱な低地であることを示していると聞いたことがあります。なので、「南砂町」の地名の由来は、以前は海に近くて砂地だったことからだと推測しました。

調べてみたところ、正解でした。ウィキペディアによれば、徳川家康が江戸の開発を始めた頃、江東区はほとんどが干潟や砂州、葦原などの低湿地で陸地ではなかった、と書かれていました。

また、江戸時代初頭に砂村新左衛門がこの土地を訪れ、新田開発が行われ、砂村新田とく地名になったそうです。砂村新左衛門の苗字の「砂」の一文字を地名につけたという記事も見つけました。

それから、これも江戸時代初頭の話ですが、江戸市中から出るゴミの捨て場として、この砂村新田が指定さ年れ、埋め立てが行われたようです。

そして、この地域は近郊農業地帯となり、葱をはじめとしてナス、キュウリ、スイカなどが盛んに促成栽培されたという歴史も知りました。

今では再開発がすすんで、畑を見つけることが困難ですが、江戸時代は近郊農業が盛んだったことを知って驚きました。

●地下鉄が南砂町にやってきた

東京メトロ東西線「南砂町駅」が開設されたのは1969年(昭和44年)でした。
いまから64年前のことです。

そして、この南砂町駅は、通勤時にすごく混んでいることで有名なんです。

東西線は千葉方面から都心に向けて、たくさんの人を乗せてくる路線です。朝8時台前半の電車は、南砂町着いた時点で乗車率200パーセントって感じです。乗る時間を間違えると、数回乗り過ごすさないと乗車できないこともあります。

「地下鉄 乗車率」で検索すると記事が出てきますが、東西線の木場駅〜門前仲町駅の区間がJR除く地下鉄でワースト1位なのです。

この区間は、南砂町駅から都内に向かって二つ目の駅なので、すでに南砂町駅ではドアがなかなか開かないぐらい、車両の中に人がいっぱいなのです。

そんなこともあり、最寄駅の南砂町駅はホーム改良工事が着手されました。あと5年で完成です。この記事、ソーシャルでかなり拡散されてました。

・混雑率ワースト返上なるか、東西線で進む大改良
http://goo.gl/dHYbrn


●自分の町の好きなところ

自分が住んでいる町の歴史を紐解いてみたら「水害」「地盤沈下」「ゼロメートル地帯」「昔は砂浜だった」「通勤電車か混雑」とか、暗いキーワードばっかりでした。

でも、前向きに考えれば、『過去の苦い歴史を教訓に生かして対策や改善が進んでいて、今はかなり安心な地域』と言えるかもしれません。

そして、長く住んでいるこの町が好きなのです。長所を書いてみましょう。

・比較的新しい町なので道路が混雑しない。
・新駅なので、駅の周辺がごみごみしていない。
・駅を出たところが公園なので町に静寂感がある。
・大型ショッピングモールが徒歩5分圏に二つあって便利。
・東京駅まで電車で15分なので交通の便がよい。

結構、よい町のようです!

自分の町を知ることで、万が一の際の心の準備もできるし、親しみもわきます。みなさんも、自分が住んでいる町の特性や歴史を調べてみてはどうでしょうか。


【せきぐち・ひろゆき】sekiguchi115@gmail.com
Webフォント エバンジェリスト
http://fontplus.jp/


1960年生まれ。群馬県桐生市出身。電子機器メーカーにて日本語DTPシステムやプリンタ、プロッタの仕事に10年間従事した後、1995年にインターネット関連企業へ転じる。1996年、大手インターネット検索サービスの立ち上げプロジェクトのコンテンツプロデューサを担当。

その後、ECサイトのシステム構築やコンサルタント、インターネット決済事業の立ち上げプロジェクトなどに従事。現在は、日本語Webフォントサービス「FONTPLUS(フォントプラス)」の普及のため、日本全国を飛び回っている。

小さい頃から電子機器やオーディオの組み立て(真空管やトランジスタの時代から)や天体観測などが大好き。パソコンは漢字トークやMS-DOS、パソコン通信の時代から勤しむ。家電オタク。テニスフリーク。


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編集後記(03/03)

●都築響一「ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行」ハードカバー版を、見た。読んだ。運んだ(アスペクト、1996)。だいたいのサイズは、26cm×26cm、厚さ3.8cm、重量2100gで444ページと凄まじいボリュームである。重くて、固くて、凶器になり得る物件である。定価9,800円、20年前にしてこの価格は強気である。奥付のタイトルとISBNは地と同じ黒で白抜き文字だが、別紙に印刷されたものを上から貼り付けている。なにか事情があったのだろう。いったい何冊、造(この字がぴったり)られたのだろう。とにかくでかい、重い。狭いデスクトップではとうてい扱えない。手持ち不可能。和室の座卓に運んでようやく開いた。

表1はどうみてもイースター島で撮影したとおぼしき七体のモアイ像だ。しかし、写り込んだ人たちは日本人に見える。ここは宮崎県日南市のサンメッセ日南であった。この超弩級重厚w 写真集は、1993年から「週刊SPA!」で連載した「珍日本紀行」のスポットの中から、特別な珍物件を選び再編集したものだ。いかにも日本らしい美しい風景は皆無、俗悪・軽薄と罵られてもしかたないような、ときには地元の人でさえ存在を忘れてしまいたいスポットばかりが詰め込まれている。美しくない日本、品のない日本、そして居心地のいい日本。名もない地方の道ばたに隠れた宝物がゾロゾロ。解説は日本語と英語だ。

神さま仏さま、モニュメント、廃墟、ローカルスポット、ミニ・ワールド、地獄と極楽、賽の河原と水子供養、エロ宇宙、動物天国、恐竜、剥製、自然科学、考古学、歴史の里、芸能、金と金塊、温泉、仏教テーマパーク、レトロ、メルヘン、アート、貝がら、と一応分類されているが、いったい何物件つめこまれているのか数える気力も失せる、圧倒的なボリューム。物件中でわたしが行ったことがあるのはただ一か所、東大阪市の石切神社だけだ。掲載された物件は20数年後の今、いくつが存在するのであろうか(全部現存したりして)。この写真集は都築響一がたった一人で取材、撮影、編集、デザインしたものだ。

誰もやったことのないネタだから、チームで動く予算はないが、一人ならできるのであれば、それでやるしかない。一人で旅に出て、ブツを捜して写真も撮って、文章も書く。各種の旅行ガイドを読んで、面白そうなスポットをチェックしていくが十中八九はハズレなので、路上で偶然出会ったものが多いという。9割は無許可撮影、無許可掲載。この大冊は写真集ではあるが、作品集ではない。都築響一は「ほしいのは外見の美しさよりも中身の濃さに尽きる」と言う。恐らく日本で一番役に立たない、重くて高いガイドブックである。さすがは図書館の蔵書、図書館のありがたさを重さで実感した。今回は褒める。(柴田)

おまけ◎またステキなメールが来た。[OCNのお客様各位 あなたはまだあなたの電子メールアカウントを使用している場合はアップグレードのために、我々は、私たちのサイト内のすべての電子メールユーザーを閉鎖している。あなたのメールアドレスとパスワードを再度アクティブにはここをクリックしてください。24時間以内に確認されないならば、我々はあなたの電子メールアカウントを一時停止しなければならない。忠実なOCNのメールユーザーいてくれてありがとう。]我々、私たち、とは中韓の人か?

都築響一「ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/489366641X/dgcrcom-22/



●齋藤さんのを読む前に、こちらを読まないでね。非常停止ボタンについての話なんだけど、頷きまくり。確かに全然がどこを指すのかわからない。そして私はBだと思った。Bには四角の中に丸いボタン。Aは丸の中に丸いボタン。そしてまわりのポスターと看板にイラッとした。「壁が黄色の〜」で爆笑した。なんじゃこりゃ〜。

関口さんのは、堤防の高さにびっくり。水位指標の写真を見て、すぐさまIngressのマップを見た。思った通り、ポータルになっていてレベル7。青がガッツリ守っていたわ。

観測所は見つけられなかったけれど、少し離れた場所に「東京都公共基準点」はあった。こちらは緑のレベル7。川沿いにはアートがいっぱい。公園がいっぱい。オブジェやタイルアートもいっぱい。大砲に驚いた。うちの近所より遥かにポータル数が多い。いいなぁ。

りそな銀行からのメール。「貴様」と「こんにちは!」で、いつも爆笑する。これに騙される人なんているわけないよと高をくくっていたら、被害が拡大しているらしい……。 (hammer.mule)