[4084] 3Dプリントも結局のところマンパワーなのよ

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《真剣にやろうとする人の元には新しい情報も自ずと集まるが……》

■ショート・ストーリーのKUNI[190]
 灰乃児
 ヤマシタクニコ

■3Dプリンター奮闘記[74]
 3Dプリントも結局のところマンパワーなのよ
 織田隆治




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■ショート・ストーリーのKUNI[190]
灰乃児

ヤマシタクニコ
https://bn.dgcr.com/archives/20160310140200.html

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ある日、私は某所でささやかな宴席が開かれると聞いて出かけて行った。

大広間にいくつもの丸テーブルが置かれ、その上に置かれた菓子やサンドイッチをつまみながら、大勢のひとびとが談笑している。

その中に、周囲の人びとから「先生」と呼ばれている人がいた。私は彼を取り巻く人の輪が少し小さくなったころを見計らってそのテーブルに行った。

「失礼ですが、○○先生ですか」

「そうです」

「実は聞いていただきたいことがあるのです。数多の奇異な話を採取しておられる先生なら、お詳しいのではと思いまして」

先生がうなずいたので、私は話し始めた。

私は五年ほど前にある女と知り合い、恋に落ちた。一年後に結婚し、いっしょに暮らすようになった。妻は器量も良く、控え目な性格で私を立ててくれる。

ともに暮らすようになって四年が経った今も、自分が妻を愛する気持ちは変わっていないし、妻のほうも同様である。少なくともそう信じている。

ところが、一昨年あたりから──正確に何月何日とはわからないのだが──あるものが見えるようになった。ふたりだけの家のはずが、何かがすみついたようなのだ。

最初は野球のボールくらいだった。灰色で、輪郭は不定形。ふわふわとして、たえず小刻みに収縮しているようでもある。背後が透けて見えた、と思う。

そういうものがふと気づいたときにはいつも、そばにいる。夫婦で食事をしているとそばにいる。朝、出かけようとすると見送る妻のそばにいる。でも妻には見えていないようである。

薄気味悪いとは思ったが、疲れているせいかもしれないと思った。元の会社が倒産寸前の状態になり、やむなく転職した時期でもあった。

新しい職場は上司も穏やかで人間関係も良く、転職してよかったと思えるものだったが、それでも慣れないことが多く、しばらくはきつかった。

そんなことが影響しているかもしれないと思ったのだ。何よりそんなものが見えるなどと言っても妻は驚き、私を気味の悪い人間と思うだけだろう。そう思って黙っていた。

だが、灰色のものはその後も消えることはなかった。それどころか、少しずつ大きくなり、ボールから鍋くらいの大きさに、そして枕くらいの大きさになった。

背後が透けて見えるようだったのも、次第にそんなことはなくなった。なんというか、しっかりしてきた──ような気がした。

そのことに気づいたときは、すでにそれが出現して一年以上経っていた。もはやそれがいることが「いつものこと」になっている。

さらに月日が過ぎ、あるとき、驚くべきことが起こった。私はそれと、目を合わせてしまったのだ。つまり、それに目ができたということだ。私ははっとした。

そうなるまでは単なる物体であった。だが、目ができるとそうとは言えなくなる。何の表情も示さない真っ黒の穴のような目を見つめながら、私は何かが手遅れになってしまったことを感じた。

そうやって、よく見ると、そいつは移動するようにもなっていた。いや、移動するところが見えるようになったのだ。自分の脚で。

それまではふわりふわりと、あるかなしかの風に吹かれてでもいるような、自分の意志ではないような移動のしかたをしていた。たまたま気づけばそこにいて、また別の時には別の場所にというような。

だけど、そうではなくなった。目をこらして見ると、不定形の塊でしかなかったそいつの、下のほうにふたつの、ほんの小さな突起ができていた──。

「いかが思われますか。私の不安は日に日に増大するばかり、このまま放っておけばいずれ何か大変なことが起きそうな気もします。そうでなくとも、すでに私は妻に対してある種の裏切りをしているような気持ちでもあります」

私が言うと、先生はうなずきながらも笑みを絶やさなかった。

「心配することはないと思います」

「そうですか」

「似た事例は実にたくさんあります。古くは鎌倉時代の説話集に『灰乃児(はいのこ)の藁より出しこと』という一編があります。

ある男のもとに人とも動物ともつかないものがいつしか現れ、住みつき、何年も生活をともにしていたが突然行方不明になった。それがまた突然藁の山から見つかったという、単にそれだけの話ですが」

「灰乃児、ですか」

「灰を固めてつくったように見えた、との記述があります」

なるほど確かにあれは、言われてみればそのようである。いまにも崩れそうな様。ふわふわとはかなげな様──。

「もちろん、現代でも似た現象は多く報告されています。時代と場所を選ばず、灰乃児は出現する。そこに何の理由も必然性もなく。それが故に人々を不安にさせるわけだが、やがて灰乃児はまた、理由も何もなく消える。

だが、ほとんどの場合、灰乃児は何か悪さをするわけではない。灰乃児のせいで家運が傾くこともないし、反対に栄えることもない」

「ほとんどの場合とおっしゃいましたが、そうではない場合もあるのでしょうか」

「例外がただひとつ、あるのです」

そして先生は話し始めた。

まだ若い夫婦だったが、やはり夫のほうからの報告例である。

何かいるが、妻には見えていない。最初は虫かと思ったそうだ。それくらいの大きさのうちから気づいたということである。それが次第に大きくなる。

まさしく無造作にこねた灰色の塊のようであったものから、脚らしきものができる。手も生えてくる。夫である人と時々、目が合うようになる。しばらく見つめあうこともあったそうだが、意思の疎通ができたわけではない。

そのころ、なんとなく名前をつけたくなったので「カイ」とつけた。なぜそんな名前をつけたくなったのかはわからないが、「灰」に通じるところが興味深い。

しかしもちろん、名前をつけたといっても呼べば応えるわけでもない。

そのうち、妻が妊娠した。胎児は順調に育つ。腹がどんどん大きくなる。カイは妻の腹を興味深げに見ていることが多くなった。もちろん、妻は何も知らない。自分の腹を灰色の何かが見ていることなど。

やがて月満ちて赤子が生まれる。男の子だ。そのころにはカイはかなり大きくなっていて、赤ん坊より大きかった。脚にも手にも、くっきりとした指が生えている。まるで人間のような。

夫が赤ん坊を眺めたりいとおしげに手で触ったりしていると、カイはいつの間にかそばにいて、不思議そうに見ていることもあった。

カイとふたりだけのとき、夫は「おまえの弟だよ」とカイに話しかけたりもしていた。夫にとってカイはもはやわが子のような存在であった。

どこまでも黒い闇のような目からはおよそ感情らしきものも読み取れなかったが、いつも静かで、不気味なほどひっそりとしていた。

そうしてある夜のことだ。仕事を片付けて、さあ寝ようとした夫は何気なく赤ん坊が眠る部屋をのぞいた。

すると何ということか、赤ん坊の上にカイが馬乗りになっていた。そして、赤ん坊の顔を覆うように両手をあてがい、強く押しつけているのだ。

夫は驚いて「やめろ!」と叫んだ。そして、なおも続けようとするカイをはねのけた。いや、はねのけようとしたが一瞬遅かった。赤ん坊はすでに息ができず命を閉じようとしていた。

その赤ん坊の体の中にカイはするすると入り込んでいった。もっと確かなからだがほしいと言わんばかりに。夫の手はすべてが終わる直前に、カイの体をかろうじてかすっただけだった。

やがて息を吹き返した赤ん坊──すでに元の赤ん坊ではない──は火がついたように泣き出し、隣の部屋から妻が走ってきた。そうして赤ん坊を抱き上げ、自分もいっしょになって泣き出した。何があったの、何があったの…と言いながら。

夫は足下に転がった灰色の指先をただ見ていた。カイの左手の、ちぎれた小指だ。

聞き終わった私はしばらく放心していた。手には冷や汗がにじんでいる。

「いささか驚かせてしまいましたか。しかしこれは最初に申した通り、例外というべきものです」

「はあ」

「灰乃児が出現しても、たいていの場合、何の益するところも害するところもなく終わる。いなくなってしばらくして『そういえば最近、あれを見ないがどうしたのだろう』と思う。

ついには『もともとそんなものはいなかったのかも知れない』『幻覚だったのか』と片付けられてしまう。そういうものです。私にはむしろ、灰乃児はあわれな存在に思えます」

先生はかすかに笑い、話を切り上げるべく尻を浮かせた。私もあわてて席を立った。そのとき私は気づいた。先生の左手の小指が、まるで外側だけで中身がないように、だらりと垂れ下がっていることに…。


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勤めを辞めてから、家の掃除に時間をかけられるようになった。この汚れは取れないだろうと思っていたが、ちょっと工夫すれば……取れるじゃないか! こんな道具があれば便利なんだがと思い……調べたらすでにあるじゃないか! などなど、驚き、そして深く深く反省の毎日。

真剣にやろうとする人の元には新しい情報も自ずと集まるが、そうでない人はウン十年前の手法を繰り返すだけ。どの世界も結局いっしょだと痛感。とりあえず、部屋は以前よりは少しきれいになったものの、まだまだ道のりは遠いのでした。


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■3Dプリンター奮闘記[74]
3Dプリントも結局のところマンパワーなのよ

織田隆治
https://bn.dgcr.com/archives/20160310140100.html

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最近の天気、というか気温の変化は凄いですねぇ…。

昨日は寒かったのに、今日は暑い! 暑いと思ったら、今日は寒い!体調を崩してしまう人も多いんじゃないでしょうか?

気温の変化ってのは、色々なところに影響しますよね。これ、3Dプリントにも言える事なんです。

例えば、FDM方式(熱溶解式プリンター)なんですが、気温の変化で微妙に出力の安定性が変わってきます。

FDM方式(熱溶解式プリンター)のプリンターは、名前の通り、素材を熱で溶かして積層して行くプリンターで、190〜240度という高温で素材が溶け、それをニュルニュルと絞り出して積層していき、それが外気の温度やファンに寄って冷やされて固まります。

以前にもここで書きましたが、物質は熱をかけると膨張し冷えると収縮します。最近のFDM方式(熱溶解式プリンター)の場合、造形テーブルを温めておき、できるだけテーブルに接した所が冷えないように工夫されています。

これは、その熱膨張や収縮により、造形テーブルから造形物が剥がれないようにしている訳ですが、外気があまりに低い場合、テーブルの温度が下がってしまって安定しなくなり、造形物の反りやハガレを生じてしまいます。

このことは素材の性質にもかなり左右されていて、溶解温度が高いABSでは必ず現れる症状です。

後加工や素材の耐久力などを考えると、一般になって来ているPLAよりは、ABSの方がずっと優れているんですが、ABSをきれいに安定して出力できる機種が少ないのはこのせいかと思います。

だったら、3Dプリンターを密封して、できるだけ外気に触れないようにして、テーブル温度を一定に保つようにすればいいのです。

この方法は今のところ、「密封した空間で3Dプリントを行う」ということに特許があるらしく、すべてのメーカーがそのような機種を作れるわけではないという状況にあるようです。

今年から来年にかけて、その特許の効力もなくなるらしいので、こういった密封式FDMプリンターがたくさん出て来る可能性もあります。

最近の3Dプリンターは、かなり精度も安定性も上がってきています。僕が3Dプリンターを使うようになった頃の精度、スピードと比べると、雲泥の差があります。

それでも、まだABSを安定して出力できる機種が少ないのが現状で、早くそういった機種が出て来ることを熱望しています。

素材の方も、最近では色々な種類が出て来ていて、ABSに近い特性を持つPLAや、ポリカーボネイトなど、すごく良い素材が見られるようになりました。

そういった素材を安定して出力するには、この「温度管理」ってのがかなり重要になっていて、本当に「FDM方式での3Dプリントの安定性」って、この「温度管理がどれだけ出来るか」だけなんじゃないかと思っています。

それにしても、あれだけテレビで取り上げられていた3Dプリンター。最近では、テレビというメディアでは殆ど見ることがなくなってきました。

僕がテレビをほとんど見なくなってしまったので、僕が「見てない」ないだけかもしれないですけどね…。テレビという大衆向けのメディアでは、センセーショナルな話題が優先されるんでしょうかね。

その反面、ネットのニュースでは色々な記事がアップされるようになってきました。この一〜二年の3Dプリント技術の進歩って凄いです。

当然、色々な技術が開発されており、ハード面、ソフト面での進化のスピードが上がって来ていることは当たり前なんですが、これは使う人の技術も上がってきているのも要因のひとつじゃないかな〜と思います。

これまで、3Dプリンターをどのように使って行くかを試行錯誤してきたが、ようやく効率よく使う方法が見えて来た、ということもその要因のひとつなのかな〜と。

最近、フルカラー石膏プリントの造形物を扱う仕事をしていて感じるのは、その精度がかなり上がって来ていることです。

フルカラー石膏プリンター自体の精度も上がってきてはいるんでしょうけど、それを扱う人の技術がかなり上がってきてるように感じます。

以前では、こんな細かいもの、石膏だし折れちゃうねって感じでしたけど、最近では、かなり細かい造形物を見る機会が増えてきました。

これって、出力をしている人の技術もかなり上がって来てるからじゃないでしょうか?

やっぱり、3Dプリントってのは、最終的にはそれらを扱う人の技術になってくるんだなぁと、実感するところでもあります。

同じ形状のものをプリントしたとして、そのプリンターの特徴を理解して、

「3Dプリントするデータを、いかにうまく3Dモデリングできるか?」

「どういった角度でプリントすれがきれいに出力できるか?」

「出力した物を、後加工でどれだけきれいに仕上げることができるか?」

といった考えが重要になってきている気がします。そういうことをマスターすると、もっと3Dプリンターを上手く使いこなせるようになって来ます。

今のところ、ハード面では、かなりの進歩が見て取れるようになってきました。確かに、最近は色々凄いプリンターが出て来ています。

しかし、その機械を使っていかに良い物を作り出すかといことで、後に付いて来るのは、「使う人の技術と知識」になってくるんだな〜と思います。

これって、3Dプリンターが普及する前の工作機械にも言えることなんでしょうね。結局、人の力なんだな、と。

なんだ、結局「マンパワー」なんだ。

同じ機械を持っていても、それを扱う人の技術で、出来上がりがかなり変わって来る。これ、普遍的なことなんですね。

最近、僕は色々な学校や会合などで、そういったことをお話しさせて頂いたり、実技をするようになってきました。そこで、必ず出て来るのが、こういう感想です。

「仕上げ作業でこんなに出来上がりが変わって来るんですね」

3Dプリンターの基礎を理解して、それをいかに上手く使って行くか、ということが重要なんですね。

おかげさまで、僕の仕事も一時はほとんどが3DCGとかプランニングでしたが、最近はほとんどが立体制作や講義に変わって来ました。

一時的なものではなく、これって、今後もどんどん増えてくるように感じています。

要は「マンパワー」でっせ! ということで、頑張ります!


【___FULL_DIMENSIONS_STUDIO_____ 織田隆治】
oda@f-d-studio.jp
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編集後記(03/10)

●一か月に一冊も本を読まない人が47.5%という、文化庁の調査結果がある。信じがたい数字だが、これは真実のようだ。元凶はネット・携帯・スマホの普及である。本からの乗換えが始まって何年も経過した。ネットで情報を得ていれば、本を読まなくても済む、という若い人の感覚が広まっている。ネットがあるから新聞は購読しないという人も多い。ネットには無限の情報があるが、それをいくら読んでも、いくら見続けても教養は身につかない。教養の基本となるのは実体験と豊かな読書体験である。本を読まない人間はけだものと同じだ。これからの子供たちにどうやって本を読ませるかが、大人の課題だ。

齋藤孝明治大学教授には、小中学校の通信簿の国語に「読書」という欄を付け加えるという、独創的なアイデアがある。これいいなあ。成績につながるんだったら、間違いなく多くの親が率先して子供に本を読ませるようになる。子供の頃に読書の面白さに触れれば、必ず本好きの大人になる。数学者の藤原正彦が考えたのは、東大の入試で読書を課すという方法だ。たとえば、定員の1.2倍までは学力一本で判断し、そのあと定員の1倍まで絞る過程では、読書を中心に面接する。入試の3年以上前に課題図書を100冊くらい挙げておき、それについていろいろ聞く。そうなれば、学生は目の色を変えて本を読むようになる。

東大がやればほかの公立大や私立大が真似をする。それに備えて、子供の頃から本を読むようになるし、親も読ませるようになる。読む習慣がつけば、本の面白さが段々分かってくる。必ず本好きの大人になる。林公の提唱した「朝の読書」運動が成功したように、ほかにも色々方法があるだろう。といったことを、「新潮45」2015.2の特集「『出版文化』こそ国の根幹である」で、藤原正彦が「『読書と教養』が国民の大局観を育てる」で書いていた。いまの子供たちは、ゲーム機とスマホの虜になっているから、これで読書習慣が身につくのか心配になる。わが孫たちどうなのか、日常で接していないから分からない。

二人の孫は小学校に入るまでは殆どわが家で過ごしていたから、絵本を読み聞かせし、人生ゲームをはじめ各種ゲーム、トランプ、花札(笑)などアナログな遊びを熱心に教えた。幼稚園に入る前に、買い物ゲームでお金の単位を覚えてしまった孫2号(いま小4)は、算数が異常にできるらしい。ある時、母親にこう言ったという。「じいちゃんが死ぬときに、『本を読む面白さを教えてくれてありがとう』って言うんだ」。ほんとかよ。死ぬとき、はともかく(笑)、これは本望である。ときどき、届け物があって娘の家に行くと、大抵はゲーム機片手の彼が玄関に出てくる。君はいつ本を読んでいるのかな〜。 (柴田)


●「真剣にやろうとする人の元には〜」……(頷く)。/金型職人を連想した。

/教養は映像でもいいような気はする。そのぐらい充実していると思う。人の成長には実体験が一番。本を読まなくても、読む人と普段から接して吸収するのはアリかなぁ。似たような本を10冊読むより、長時間セミナーに出た方が得るものが大きかったりすることもある。

普段使うボキャブラリーや知識は限られているし、表現力を広げても受け取る側に感性や知識がなかったら伝わらないし、行間より人の心の機微がわかった方が生きやすそう。繊細で傷つきやすくなるより、心や体を鍛えてタフになった方がいい。編集長は実は文武両道なのよね。

私も読書大好き、文字大好き人間。もちろん読む方がいいに越したことはないと思っている。とはいえ、映画やマンガでも学べるし、アプリで遊びながら勉強できたりするし、今はいいねぇ。

受験勉強だってお金をかけずにできるし、他人のノートは見られるし、覚え方などのテクニックは検索したらゴロゴロ転がってる。英語の本や新聞、音声、字幕を高いお金を出して買っていたのなんてバカみたい。

睡眠時間を削れと言われていた昔と違い、効率的な勉強方法を知っていることがうらやましい。水飲むなというスパルタ時代が終わり、適切な運動方法を知っているのも。かわいそうなのはスピード面かな。のんびりできない。

今からの時代、まず必要なのは疑問に思うこと、検索をめんどくさがらないこと、検索テクニックと応用力とそれらを組み合わせる力、覚える記憶力とかかなぁ。

入口増やして最新情報も仕入れておかないと、検索ワード自体が得られない。同じOS、同じ検索エンジンを使っているのに、情報の収集力に差があったら、得られる知識量が変わってくるよね。せっかく図書館(玉石混淆の)が目の前にあるのに。で、やっぱり行動力にコミュニケーション力。

検索で情報を見つけられない大人たちを、子供たちがスルりと追い抜いていきそうな気が。知識や情報が当たり前の時代になり、それ以上のものを期待されていくと思うのだ。ベースになる収集力で同世代間でも格差が生まれそう。と書きつつ、本屋や図書館に行く私であった(笑)。 (hammer.mule)

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「人のノートを借りても役には立たない」上のはノートの取り方の参考にするだけだろうとは思う。書いて整理したくなるもんね。

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