《表現の自由自体に大きな規制がかかる危険性があった》
■ゆずみそ単語帳[01]
FOBな人びとの国
TOMOZO
■晴耕雨読[24]
著作権の非親告罪化の恐怖
福間晴耕
■ゆずみそ単語帳[01]
FOBな人びとの国
TOMOZO
■晴耕雨読[24]
著作権の非親告罪化の恐怖
福間晴耕
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ゆずみそ単語帳[01]
FOBな人びとの国
TOMOZO
https://bn.dgcr.com/archives/20160617140200.html
───────────────────────────────────
英日翻訳の仕事をしているので、ふだんから英語と日本語の言葉と、その背景にあるあれやこれやについて思い悩むことが多い。驚いたことにアメリカ生活もそろそろ20年。気づけば、渡米時に1歳だった一人息子は21歳になっている。
子どもがいてトクをしたことは本当に色々あるけれど、その一つに、言葉の収集に役立ったということがある。
異国に住んでいれば、自動的にその国の言葉が身につくかというとそうでもなくて、やはり生活圏と生活のナカミによって言葉の種類は変わる。
成人してから移住したガイジンにとって、子どもの世界で流通している言葉を耳にする機会は貴重。子どもの世界の常識は大人の世界の一般常識の一部でもあるから、まったく無視はできないのだ。
息子が中学生の時にコドモ経由で覚えたスラングのひとつに、「FOB」というのがある。
貿易用語の「本船甲板渡し条件(Free on Board)」のことではもちろんなくて、「Fresh Off the Boat」の略。直訳すれば、「船を下りたて」。
ついさっき外国から着いた船を下りてきたばっかりのような、まだ当地に馴染んでいない移民のことなんだそうだ。
もちろん、移民船やボートでアメリカにたどり着く人は今時分あまりいないが、とにかく着いたばかりのニューカマー、という意味らしい。
ウェブの辞書によれば、この言葉の語源はハワイで、もともとは本土から来てハワイの文化を理解していない白人のことを指した、という説もある。
ハワイで中学に、シアトルで高校に通ったうちの息子によれば、この言葉はどちらの学校でも「あいつFOBだな(笑)」というような感じでよく使われていたという。
息子証言によれば、中学でも高校でも発音は「エフオービー」ではなくて「フォブ」といっていた、そうだ。
アメリカは建国当初から移民の国。今でもどんどん流入は続いている。ハワイなんか、100年以上前からアジア系移民が過半数を占めている。
今住んでいるシアトルの人種構成は、全体では白人が7割くらい。でも地域によってはアジアやアフリカからの移民のほうが多いところもある。
シアトル市の南部にはソマリア人の大きな移民コミュニティがあって、息子の高校のサッカーチームでも、ソマリア生まれの足の速い子たちがフォワードを固めていた。
シアトル市内の公立校に通う生徒たちが話す言語は129種類にもなる。州が市民サービスのために用意している認定通訳の言語も、カンボジア語、ラオス語、韓国語、ベトナム語、広東語、北京語、スペイン語、ロシア語、と環太平洋なラインナップ。とにかく多彩。
学校のキャンパスで生徒たちからFOBと認定されるのは、英語が流暢でないことのほか、「だれも着てないような服を着ている」というのが大きなポイントだそうだ。
個性的な子が自覚的にほかの人と違う服を着ているのではなくて、アメリカのティーンエイジャーなら誰でも理解しているところの服装コードが、まだインプットされていないということ。
靴底の厚さとか、パンツの裾の長さとか、Tシャツに書いてある文字とかのディテールが、完全に中高生の常識から外れた、あり得ない服を着て学校に行ってしまう、無自覚さ。
日本もアメリカも、中学生や高校生の社会というのはやっぱり強烈に同調圧力がはたらいているものだ。
大学生になるとそれぞれのスタイルが確立してきて、周りの目を気にする必要も少なくなってくるが、中学生や高校生にとって服装のコードが読めてそれに従えているかどうかは、イケてるかイケてないかの明暗を分けるきわめて重要な要素。
パレスチナからシカゴ近郊の田舎町に移民した、母と息子を描いた映画『Amreeka』(2009年)で、パレスチナから来たばかりの主人公(高校生男子)に、アメリカで育った従姉妹(同じく高校生)が「学校にこんな服着てっちゃダメよ。FOBみたいに見えるわよ」と注意する場面があった。
この映画は、イスラエル占領下のパレスチナから妹の家族を頼ってアメリカに移民する中年シングルママと高校生の息子を主人公に、湾岸戦争の頃のアメリカを描く。残念ながら日本では配給されていないと思うが、切なくも癒される、しみじみとした良い映画だった。
パレスチナで二つの学位を持ち、銀行で10年以上プロフェッショナルな仕事をしていたお母さんだが、アメリカに移住した後、得られた仕事はハンバーガーチェーンの店員だけ。息子はアラブ系だというだけでいじめの標的にされる。
それでもバイタリティいっぱいで、次々に災難に見舞われても誇りと明るさを捨てないお母さんが素敵すぎる。
監督と脚本のCherien Dabisは、パレスチナ人医師の父とヨルダン人の母を持ち、ネブラスカ州で生まれ育ったアラブ系の女性。彼女自身は移民ではないが、この映画にはいわれのない差別を受けて育った自分の経験も織り込まれている。
移民のあるところ、常に問題は起こる。空気も読めないし洋服のセンスも違う「FOB」であった人たちやその子どもたちが次々に社会の構成員になっていき、社会の常識のほうが少しずつ変わっていく。衝突や軋轢を経ながらも異質なものを吸収して変化していく文化の幅は、アメリカそのもの。
この国では歴史と伝統が浅い分、だれもが〈建前上は〉同じ土俵に立っている。
両親がどこの国の人であっても、アメリカで生まれれば法律上アメリカ人だし、どこの国で生まれても、祖国をアメリカと決め、アメリカの法と常識に従うことを誓えば、正当な「アメリカ人」となる。
数年前、久々に大相撲を見た時に、多彩な国出身のお相撲さんが増えているのに驚いた。日本の国技がこんなにも国際化してるなんて、知らなかった。
土俵の上でも外でも全力をつくしてお相撲界のコードを身につける努力をしている若い力士たちも、たとえ国籍を取得しても、日本人から「日本人」とみなされることはないのではないだろうか。ていうか、彼らは「日本人」になりたいと思うのだろうか。
日本には、外国人が「日本人」になるコードが存在しないのだと思う。
流暢な日本語を話し、並みの日本人以上に日本文化を深く知る帰化した人であっても、その人が外国から来た以上、「あの人は日本人になった」と日本人から思われることはないのではないだろうか。
普通の日本人にとって、日本人であることとは、たぶん「身分」のようなものなのだ。国に属するということを、目が二つあるとか、指が何本あるとかというのと同じ、天から授かった属性のように感じている人が多いんじゃないかと思う。
ひょっとすると、国籍を自主的に決めたりするという行為を、冒涜的なことのように感じる人さえいるのかもしれない。
日本人として育った「ハーフ」のタレントの子たちがテレビには多くなった。少しずつ、いろんな色や顔形の「日本人」が増えてきた、としても、それは本当に人口に占める割合でいったら、ほんの楊枝の先でつついたくらいのミクロな数にすぎない。
「社会の懐の広さ」を左右するのは、実は数量的な条件も大きいのだと思う。
アメリカは多民族の移民国家で、あらゆる層に激しい差別を抱えている。その中で、長い時間をかけて、無知で偏狭で自分と違う価値観を認めない人びとの猛反発をひとつひとつはねのけながら、公民権が実現し、機会の平等をシステムに組み入れる制度がゆっくりと整っていった。
人口に対する黒人の割合がもっとずっと少なかったら、公民権は実現しなかったかもしれない。
アメリカで表向きの差別が明確に禁止されるようになってから、まだ、実はそんなに時間が経っていないし、今だって平等な社会なんかでは全然ない。
ないけれども、〈自由と平等〉という強烈な理想とタテマエがアメリカではキラキラした求心力を持っている。その求心力が、たぶん、アメリカの生命力だ。FOBな移民たちは、そのキラキラした約束を一番切実にまっすぐに信じている人たちなのだ。
良くも悪くも30年後、50年後には日本国籍を持つ人ももう少し多様化してきて、一般的な「日本人」の定義も少し変わっているかもしれない。
そうしてその頃には、日本語にも「FOB」に相当するスラングが生まれるのかもしれない。
【TOMOZO】 yuzuwords11@gmail.com
米国シアトル在住の英日翻訳者。在米そろそろ20年。マーケティングや広告、雑誌記事などの翻訳を主にやってます。
http://livinginnw.blogspot.jp/
http://www.yuzuwords.com/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■晴耕雨読[24]
著作権の非親告罪化の恐怖
福間晴耕
https://bn.dgcr.com/archives/20160617140100.html
───────────────────────────────────
少し前に話題になっていたTPP参加の陰で、アニメーションや漫画の二次創作、そして表現の自由自体に大きな規制がかかる危険性があったのを知っているだろうか。
TPPの中にある著作権の非親告罪化によって、これまでは被害者(著作権者等)だけが著作権侵害に対して告訴出来たのが、第三者や警察が独自に判断して告発・捜査出来るようになるのだが、実はこれには大きな問題点があるのだ。
その問題点とは、海賊版だけでなくパロディやファンが描いたカットや私的な作品までも非親告罪化することによって、「告発マニアが訴えたり、警察が勝手に動いて逮捕される」危険性が出て来たというものだ。
別にこれは極端な話をしているのではなく、同じような法改正が行われた韓国において、ファン同士の抗争から互いを違反申告するという地獄絵図が起きているように、日本でも起こり得る事だった。
もしそうなったら、59万人もの参加者をほこる世界最大規模の同人誌即売会でもあるコミックマーケットを始めとした、日本の創作活動やファン活動は大混乱になって、パロディやファン活動は踏み潰されていたかも知れない。
そもそも政治家は、コミックマーケットなど全然知らなかった。だからこそ、海賊版を潰す為に善意も悪意もなく、海外の交渉で非親告罪を受け入れて著作権は強化される事になったのだ。
こうした政治家に対して、粘り強く説得しロビイングしてくれた、多くの人たちの努力によってこのような問題点が理解され、最終的には安倍総理の口からも「TPPの際には二次創作の萎縮なきように」と答弁があったおかげで、こうした危機は免れたのだった。
こうした危機を救ってくれたのは、もちろん出版業界や漫画協会の二次創作への理解が大きかった事があるが、その中でも漫画家の赤松健さんと山田太郎議員の働きが大きかった事を知ってほしい。
彼らの働きかけが中心になって出版業界や漫画協会がまとまり、国会では議員たちへのロビイングと重要な答弁を引き出す事に成功したのだ。
だが、この山田太郎議員が今、ピンチだという。7月10日投票の参議院議員選挙で当選しないと次がないのだが、以前の参加母体である「日本を元気にする会」を離党し、次の参加団体を巡るゴタゴタもあって、この選挙ではかなり当選が危うい状態なのである。
一難去ったとはいえ、アニメ・漫画だけでなく表現自体も今後規制される危険は続いている。山田太郎氏のような議員はまだまだ必要なのだ。
【福間晴耕/デザイナー】
フリーランスのCG及びテクニカルライター/フォトグラファー/Webデザイナー
http://fukuma.way-nifty.com/
HOBBY:Computerによるアニメーションと絵描き、写真(主にモノクローム)を撮ることと見ること(あと暗室作業も好きです)。おいしい酒(主に日本酒)を飲みおいしい食事をすること。もう仕事ではなくなったので、インテリアを見たりするのも好きかもしれない。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
編集後記(06/17)
●2015年1月3日にテレビ朝日で放送されたクイズ番組「THE博学 新春スペシャル」で「マナーを重んじる江戸しぐさ 肩引きとはどんな行動?」という問題が出て、みごとに正解したのが舛添要一だった。番組が用意した答えは「すれ違うとき肩をちょっと引いて通りやすくすること」。メインコメンテーターの林修は、「東京オリンピックに使える」という発言でオチをつけたらしい。林先生を崇拝する妻は絶対見ていたはずだが、覚えていないというのは何の抵抗もなかったのだろう。じつはこのタイミング、すでに「江戸しぐさ」なる虚構が明らかになっていたのに、マヌケな番組と二人の著名人の情報への疎さが、ネットでは笑いものになった。
原田実「江戸しぐさの終焉」を読んだ(星海社新書、2016)。筆者は偽史、偽書の専門家である。2014年に星海社新書「江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統」で、江戸しぐさなる物件を徹底的に検証した。それは1980年代に芝三光という知識人が現実逃避から創作したもので、江戸時代の風俗とはまったくかけはなれた偽史であり、オカルトであった。没後はその思想を受け継いだ者らが普及活動を続け、やがて文科省や学校教育までも汚染した。推進本が30冊以上に上る中で、批判本は筆者が最初だ。一貫して江戸しぐさ支持の朝日新聞で、荻上チキは「眉つば『ニセ歴史』にツッコミ」と書評を書いた。GJ!
疑似科学に造詣の深い松尾貴史は「『でもいいではないか。役立つマナーを語っているのだから』という人もあるだろう。しかし役立つなら嘘や疑わしいルーツを持たせる必要はない。(略)小学校や公共機関が教育や啓蒙活動で安易に採用しているのは問題ではないのか」と毎日新聞のコラムに書いた。「江戸しぐさの正体」は多くの書評、論文、ネットで好意的に扱われて、世間の風向きが変わり、江戸しぐさなるものは捏造であることが明らかになってきた。江戸しぐさ問題の核心とは、虚偽が歴史的事実として教育現場で通用してきたことの是非である。教科書会社は次第に江戸しぐさから撤退しているらしい。
文科省の意向は不透明だが、報道への対応を見る限り、何らかの見直しがされるようだ。だが教育の現場では、いままで江戸しぐさ普及に携わってきた人々のメンツや信念がかかっているから、急速には消えないとみる。カルトがもっとも嫌がるのは「笑われる対象になること」らしい。やがて江戸しぐさはエンタメとして消費される状況になる。それが江戸しぐさの終焉であると筆者は結ぶ。2015年7月の「日本トンデモ本大賞2015」において、江戸しぐさが掲載された「私たちの道徳 小学校五・六年」(著作権所有・文部科学省)が第23回日本トンデモ本大賞」を受賞した(祝)。官公庁編纂物で初の快挙! (柴田)
原田実「江戸しぐさの終焉」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061385828/dgcrcom-22/
原田実「江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061385550/dgcrcom-22/
●TOMOZOさん、ありがとうございます。読み応えがありました。日本人の定義の変化、多様化について考える機会になりました。/二次創作から火がつくこと、遡ることってあるもんなぁ。名前を見ると、頭の中でメロディをつけて再生してしまうなぁ。/教科書で「江戸しぐさ」が扱われたってこと? 「京ことば」とかも学ぶってこと? 教育として? え? にしても芝三光って人は凄いな。創作でカテゴリ作り上げたなんて。空想力に脱帽。
FOB! 懐かしい。外為にいた頃、invoiceでチェックしてたっ。SATCを放送していたテレビ局もFOBだったよねと検索したらHBOだった。全然違ってた……。フジテレビの動画配信はFOD。
脱線ついで。大阪に観光客が増えた。中韓は言葉を聞かなくても、服装と髪型と色でだいたい区別がつく。日本で売ってなさそうなものを身につけていたり。ピンクや赤、緑などが日本と違う色(日本では安っぽいと指摘されてしまう色)。服装コードか、なるほどなぁ。
日本人だと中学生ぐらいまでだろう生足短パンは韓国人の若い女性。それで繁華街は歩いちゃいけませんよぅ。同じ髪型・顔のクローングループもいたぞ…。中国人は団体行動で荷物多め。二人で一つのお菓子を買って分けていたり、三人で一つの定食を注文してこれも分けていたり……。
以前、東京のコンビニ店員さんに中国人が多くて驚いていたら、最近大阪でも見かけるようになった。ドラッグストアは積極的に雇用しているように思う。東京のホテルのメイドさんたちは東南アジア系の人が多い印象(大阪は宿泊しないからわからない)。こういうのにいちいち驚かなくなっていくのね。 (hammer.mule)
や〜まだ た〜ろう〜
http://www.dailymotion.com/video/xd959h_%E3%83%89%E3%82%AB%E3%83%99%E3%83%B3-op-ed_creation
■ゆずみそ単語帳[01]
FOBな人びとの国
TOMOZO
https://bn.dgcr.com/archives/20160617140200.html
───────────────────────────────────
英日翻訳の仕事をしているので、ふだんから英語と日本語の言葉と、その背景にあるあれやこれやについて思い悩むことが多い。驚いたことにアメリカ生活もそろそろ20年。気づけば、渡米時に1歳だった一人息子は21歳になっている。
子どもがいてトクをしたことは本当に色々あるけれど、その一つに、言葉の収集に役立ったということがある。
異国に住んでいれば、自動的にその国の言葉が身につくかというとそうでもなくて、やはり生活圏と生活のナカミによって言葉の種類は変わる。
成人してから移住したガイジンにとって、子どもの世界で流通している言葉を耳にする機会は貴重。子どもの世界の常識は大人の世界の一般常識の一部でもあるから、まったく無視はできないのだ。
息子が中学生の時にコドモ経由で覚えたスラングのひとつに、「FOB」というのがある。
貿易用語の「本船甲板渡し条件(Free on Board)」のことではもちろんなくて、「Fresh Off the Boat」の略。直訳すれば、「船を下りたて」。
ついさっき外国から着いた船を下りてきたばっかりのような、まだ当地に馴染んでいない移民のことなんだそうだ。
もちろん、移民船やボートでアメリカにたどり着く人は今時分あまりいないが、とにかく着いたばかりのニューカマー、という意味らしい。
ウェブの辞書によれば、この言葉の語源はハワイで、もともとは本土から来てハワイの文化を理解していない白人のことを指した、という説もある。
ハワイで中学に、シアトルで高校に通ったうちの息子によれば、この言葉はどちらの学校でも「あいつFOBだな(笑)」というような感じでよく使われていたという。
息子証言によれば、中学でも高校でも発音は「エフオービー」ではなくて「フォブ」といっていた、そうだ。
アメリカは建国当初から移民の国。今でもどんどん流入は続いている。ハワイなんか、100年以上前からアジア系移民が過半数を占めている。
今住んでいるシアトルの人種構成は、全体では白人が7割くらい。でも地域によってはアジアやアフリカからの移民のほうが多いところもある。
シアトル市の南部にはソマリア人の大きな移民コミュニティがあって、息子の高校のサッカーチームでも、ソマリア生まれの足の速い子たちがフォワードを固めていた。
シアトル市内の公立校に通う生徒たちが話す言語は129種類にもなる。州が市民サービスのために用意している認定通訳の言語も、カンボジア語、ラオス語、韓国語、ベトナム語、広東語、北京語、スペイン語、ロシア語、と環太平洋なラインナップ。とにかく多彩。
学校のキャンパスで生徒たちからFOBと認定されるのは、英語が流暢でないことのほか、「だれも着てないような服を着ている」というのが大きなポイントだそうだ。
個性的な子が自覚的にほかの人と違う服を着ているのではなくて、アメリカのティーンエイジャーなら誰でも理解しているところの服装コードが、まだインプットされていないということ。
靴底の厚さとか、パンツの裾の長さとか、Tシャツに書いてある文字とかのディテールが、完全に中高生の常識から外れた、あり得ない服を着て学校に行ってしまう、無自覚さ。
日本もアメリカも、中学生や高校生の社会というのはやっぱり強烈に同調圧力がはたらいているものだ。
大学生になるとそれぞれのスタイルが確立してきて、周りの目を気にする必要も少なくなってくるが、中学生や高校生にとって服装のコードが読めてそれに従えているかどうかは、イケてるかイケてないかの明暗を分けるきわめて重要な要素。
パレスチナからシカゴ近郊の田舎町に移民した、母と息子を描いた映画『Amreeka』(2009年)で、パレスチナから来たばかりの主人公(高校生男子)に、アメリカで育った従姉妹(同じく高校生)が「学校にこんな服着てっちゃダメよ。FOBみたいに見えるわよ」と注意する場面があった。
この映画は、イスラエル占領下のパレスチナから妹の家族を頼ってアメリカに移民する中年シングルママと高校生の息子を主人公に、湾岸戦争の頃のアメリカを描く。残念ながら日本では配給されていないと思うが、切なくも癒される、しみじみとした良い映画だった。
パレスチナで二つの学位を持ち、銀行で10年以上プロフェッショナルな仕事をしていたお母さんだが、アメリカに移住した後、得られた仕事はハンバーガーチェーンの店員だけ。息子はアラブ系だというだけでいじめの標的にされる。
それでもバイタリティいっぱいで、次々に災難に見舞われても誇りと明るさを捨てないお母さんが素敵すぎる。
監督と脚本のCherien Dabisは、パレスチナ人医師の父とヨルダン人の母を持ち、ネブラスカ州で生まれ育ったアラブ系の女性。彼女自身は移民ではないが、この映画にはいわれのない差別を受けて育った自分の経験も織り込まれている。
移民のあるところ、常に問題は起こる。空気も読めないし洋服のセンスも違う「FOB」であった人たちやその子どもたちが次々に社会の構成員になっていき、社会の常識のほうが少しずつ変わっていく。衝突や軋轢を経ながらも異質なものを吸収して変化していく文化の幅は、アメリカそのもの。
この国では歴史と伝統が浅い分、だれもが〈建前上は〉同じ土俵に立っている。
両親がどこの国の人であっても、アメリカで生まれれば法律上アメリカ人だし、どこの国で生まれても、祖国をアメリカと決め、アメリカの法と常識に従うことを誓えば、正当な「アメリカ人」となる。
数年前、久々に大相撲を見た時に、多彩な国出身のお相撲さんが増えているのに驚いた。日本の国技がこんなにも国際化してるなんて、知らなかった。
土俵の上でも外でも全力をつくしてお相撲界のコードを身につける努力をしている若い力士たちも、たとえ国籍を取得しても、日本人から「日本人」とみなされることはないのではないだろうか。ていうか、彼らは「日本人」になりたいと思うのだろうか。
日本には、外国人が「日本人」になるコードが存在しないのだと思う。
流暢な日本語を話し、並みの日本人以上に日本文化を深く知る帰化した人であっても、その人が外国から来た以上、「あの人は日本人になった」と日本人から思われることはないのではないだろうか。
普通の日本人にとって、日本人であることとは、たぶん「身分」のようなものなのだ。国に属するということを、目が二つあるとか、指が何本あるとかというのと同じ、天から授かった属性のように感じている人が多いんじゃないかと思う。
ひょっとすると、国籍を自主的に決めたりするという行為を、冒涜的なことのように感じる人さえいるのかもしれない。
日本人として育った「ハーフ」のタレントの子たちがテレビには多くなった。少しずつ、いろんな色や顔形の「日本人」が増えてきた、としても、それは本当に人口に占める割合でいったら、ほんの楊枝の先でつついたくらいのミクロな数にすぎない。
「社会の懐の広さ」を左右するのは、実は数量的な条件も大きいのだと思う。
アメリカは多民族の移民国家で、あらゆる層に激しい差別を抱えている。その中で、長い時間をかけて、無知で偏狭で自分と違う価値観を認めない人びとの猛反発をひとつひとつはねのけながら、公民権が実現し、機会の平等をシステムに組み入れる制度がゆっくりと整っていった。
人口に対する黒人の割合がもっとずっと少なかったら、公民権は実現しなかったかもしれない。
アメリカで表向きの差別が明確に禁止されるようになってから、まだ、実はそんなに時間が経っていないし、今だって平等な社会なんかでは全然ない。
ないけれども、〈自由と平等〉という強烈な理想とタテマエがアメリカではキラキラした求心力を持っている。その求心力が、たぶん、アメリカの生命力だ。FOBな移民たちは、そのキラキラした約束を一番切実にまっすぐに信じている人たちなのだ。
良くも悪くも30年後、50年後には日本国籍を持つ人ももう少し多様化してきて、一般的な「日本人」の定義も少し変わっているかもしれない。
そうしてその頃には、日本語にも「FOB」に相当するスラングが生まれるのかもしれない。
【TOMOZO】 yuzuwords11@gmail.com
米国シアトル在住の英日翻訳者。在米そろそろ20年。マーケティングや広告、雑誌記事などの翻訳を主にやってます。
http://livinginnw.blogspot.jp/
http://www.yuzuwords.com/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■晴耕雨読[24]
著作権の非親告罪化の恐怖
福間晴耕
https://bn.dgcr.com/archives/20160617140100.html
───────────────────────────────────
少し前に話題になっていたTPP参加の陰で、アニメーションや漫画の二次創作、そして表現の自由自体に大きな規制がかかる危険性があったのを知っているだろうか。
TPPの中にある著作権の非親告罪化によって、これまでは被害者(著作権者等)だけが著作権侵害に対して告訴出来たのが、第三者や警察が独自に判断して告発・捜査出来るようになるのだが、実はこれには大きな問題点があるのだ。
その問題点とは、海賊版だけでなくパロディやファンが描いたカットや私的な作品までも非親告罪化することによって、「告発マニアが訴えたり、警察が勝手に動いて逮捕される」危険性が出て来たというものだ。
別にこれは極端な話をしているのではなく、同じような法改正が行われた韓国において、ファン同士の抗争から互いを違反申告するという地獄絵図が起きているように、日本でも起こり得る事だった。
もしそうなったら、59万人もの参加者をほこる世界最大規模の同人誌即売会でもあるコミックマーケットを始めとした、日本の創作活動やファン活動は大混乱になって、パロディやファン活動は踏み潰されていたかも知れない。
そもそも政治家は、コミックマーケットなど全然知らなかった。だからこそ、海賊版を潰す為に善意も悪意もなく、海外の交渉で非親告罪を受け入れて著作権は強化される事になったのだ。
こうした政治家に対して、粘り強く説得しロビイングしてくれた、多くの人たちの努力によってこのような問題点が理解され、最終的には安倍総理の口からも「TPPの際には二次創作の萎縮なきように」と答弁があったおかげで、こうした危機は免れたのだった。
こうした危機を救ってくれたのは、もちろん出版業界や漫画協会の二次創作への理解が大きかった事があるが、その中でも漫画家の赤松健さんと山田太郎議員の働きが大きかった事を知ってほしい。
彼らの働きかけが中心になって出版業界や漫画協会がまとまり、国会では議員たちへのロビイングと重要な答弁を引き出す事に成功したのだ。
だが、この山田太郎議員が今、ピンチだという。7月10日投票の参議院議員選挙で当選しないと次がないのだが、以前の参加母体である「日本を元気にする会」を離党し、次の参加団体を巡るゴタゴタもあって、この選挙ではかなり当選が危うい状態なのである。
一難去ったとはいえ、アニメ・漫画だけでなく表現自体も今後規制される危険は続いている。山田太郎氏のような議員はまだまだ必要なのだ。
【福間晴耕/デザイナー】
フリーランスのCG及びテクニカルライター/フォトグラファー/Webデザイナー
http://fukuma.way-nifty.com/
HOBBY:Computerによるアニメーションと絵描き、写真(主にモノクローム)を撮ることと見ること(あと暗室作業も好きです)。おいしい酒(主に日本酒)を飲みおいしい食事をすること。もう仕事ではなくなったので、インテリアを見たりするのも好きかもしれない。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
編集後記(06/17)
●2015年1月3日にテレビ朝日で放送されたクイズ番組「THE博学 新春スペシャル」で「マナーを重んじる江戸しぐさ 肩引きとはどんな行動?」という問題が出て、みごとに正解したのが舛添要一だった。番組が用意した答えは「すれ違うとき肩をちょっと引いて通りやすくすること」。メインコメンテーターの林修は、「東京オリンピックに使える」という発言でオチをつけたらしい。林先生を崇拝する妻は絶対見ていたはずだが、覚えていないというのは何の抵抗もなかったのだろう。じつはこのタイミング、すでに「江戸しぐさ」なる虚構が明らかになっていたのに、マヌケな番組と二人の著名人の情報への疎さが、ネットでは笑いものになった。
原田実「江戸しぐさの終焉」を読んだ(星海社新書、2016)。筆者は偽史、偽書の専門家である。2014年に星海社新書「江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統」で、江戸しぐさなる物件を徹底的に検証した。それは1980年代に芝三光という知識人が現実逃避から創作したもので、江戸時代の風俗とはまったくかけはなれた偽史であり、オカルトであった。没後はその思想を受け継いだ者らが普及活動を続け、やがて文科省や学校教育までも汚染した。推進本が30冊以上に上る中で、批判本は筆者が最初だ。一貫して江戸しぐさ支持の朝日新聞で、荻上チキは「眉つば『ニセ歴史』にツッコミ」と書評を書いた。GJ!
疑似科学に造詣の深い松尾貴史は「『でもいいではないか。役立つマナーを語っているのだから』という人もあるだろう。しかし役立つなら嘘や疑わしいルーツを持たせる必要はない。(略)小学校や公共機関が教育や啓蒙活動で安易に採用しているのは問題ではないのか」と毎日新聞のコラムに書いた。「江戸しぐさの正体」は多くの書評、論文、ネットで好意的に扱われて、世間の風向きが変わり、江戸しぐさなるものは捏造であることが明らかになってきた。江戸しぐさ問題の核心とは、虚偽が歴史的事実として教育現場で通用してきたことの是非である。教科書会社は次第に江戸しぐさから撤退しているらしい。
文科省の意向は不透明だが、報道への対応を見る限り、何らかの見直しがされるようだ。だが教育の現場では、いままで江戸しぐさ普及に携わってきた人々のメンツや信念がかかっているから、急速には消えないとみる。カルトがもっとも嫌がるのは「笑われる対象になること」らしい。やがて江戸しぐさはエンタメとして消費される状況になる。それが江戸しぐさの終焉であると筆者は結ぶ。2015年7月の「日本トンデモ本大賞2015」において、江戸しぐさが掲載された「私たちの道徳 小学校五・六年」(著作権所有・文部科学省)が第23回日本トンデモ本大賞」を受賞した(祝)。官公庁編纂物で初の快挙! (柴田)
原田実「江戸しぐさの終焉」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061385828/dgcrcom-22/
原田実「江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061385550/dgcrcom-22/
●TOMOZOさん、ありがとうございます。読み応えがありました。日本人の定義の変化、多様化について考える機会になりました。/二次創作から火がつくこと、遡ることってあるもんなぁ。名前を見ると、頭の中でメロディをつけて再生してしまうなぁ。/教科書で「江戸しぐさ」が扱われたってこと? 「京ことば」とかも学ぶってこと? 教育として? え? にしても芝三光って人は凄いな。創作でカテゴリ作り上げたなんて。空想力に脱帽。
FOB! 懐かしい。外為にいた頃、invoiceでチェックしてたっ。SATCを放送していたテレビ局もFOBだったよねと検索したらHBOだった。全然違ってた……。フジテレビの動画配信はFOD。
脱線ついで。大阪に観光客が増えた。中韓は言葉を聞かなくても、服装と髪型と色でだいたい区別がつく。日本で売ってなさそうなものを身につけていたり。ピンクや赤、緑などが日本と違う色(日本では安っぽいと指摘されてしまう色)。服装コードか、なるほどなぁ。
日本人だと中学生ぐらいまでだろう生足短パンは韓国人の若い女性。それで繁華街は歩いちゃいけませんよぅ。同じ髪型・顔のクローングループもいたぞ…。中国人は団体行動で荷物多め。二人で一つのお菓子を買って分けていたり、三人で一つの定食を注文してこれも分けていたり……。
以前、東京のコンビニ店員さんに中国人が多くて驚いていたら、最近大阪でも見かけるようになった。ドラッグストアは積極的に雇用しているように思う。東京のホテルのメイドさんたちは東南アジア系の人が多い印象(大阪は宿泊しないからわからない)。こういうのにいちいち驚かなくなっていくのね。 (hammer.mule)
や〜まだ た〜ろう〜
http://www.dailymotion.com/video/xd959h_%E3%83%89%E3%82%AB%E3%83%99%E3%83%B3-op-ed_creation