《当時から編集長はしつこかった》
■羽化の作法[22]
段ボール村になってからの変化
武 盾一郎
■crossroads[26]
プログラミングはお好き
若林健一
■はぐれDEATH[07]
はぐれ関東滞在記
藤原ヨウコウ
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■羽化の作法[22]
段ボール村になってからの変化
武 盾一郎
https://bn.dgcr.com/archives/20160906140300.html
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通称「段ボール村」とは、1996年1月24日の東京都による野宿者強制排除(段ボールハウス強制撤去)によって、新宿西口地下広場に野宿者が集中したことによって出現した。
赤ちゃんも産まれる時は泣き叫ぶけど、段ボール村も都によって強制的に段ボールハウスを根こそぎ剥がされて、泣き叫ぶしかない人々が集まったところから始まった。始まりは「泣き叫び」。これは表現だって同じだと思う。
それまでも、段ボールハウスが密集するエリアはあったのだけど、なんとなく自然発生的に段ボールハウスが増殖して、個人個人が近くに暮らしているだけという感じだった。
「段ボール村」と呼ばれる理由には、個人が密集してるだけではなくて、コミュニティが形成され、明確な意志を持った有機集合生命体のように動き始めた、ことだと思う。その駆動輪となっていたのが野宿者支援活動の「新宿連絡会」であることは間違いないだろう。
だから、「段ボール村」とは「(排除したい)東京都」と「(それに抗う)活動家」の存在によって産まれた「対立エネルギーの実体化」とも言える。
コミュニティが形成されていた証拠は、段ボールハウスの建築様式にある。段ボールを二人がかりで紐で編んで組み立てる建築方法は、協力し合わないと建てられない。建築の専門家も現れた。
参照「羽化の作法[21]段ボール村と段ボールハウス建築」
https://bn.dgcr.com/archives/20160823140300.html
と、ここまではちょっとユートピアチックな原始共産制の出現なのだが、コミュニティができて交流が生まれた一方で、トラブルというか問題も起こるようになった。
人間の関係性密度が濃くなって、良い面だけが高まることはなくて、悪い部分も高くなるのだ。徐々に段ボール村の仲間内のイザコザが多くなっていくのも肌で感じるのだった。
タケヲと僕は、強制撤去から一か月経ない2月15日から段ボールハウス絵画を再開した。
●雑誌「FLASH」に掲載される
1996年2月22日“ネズ公の家を仕上げる(3日間) 大久保さん来るフラッシュ写真とる 東京新聞の記者が偶然通りかかり写真を撮って去る週刊朝日のカメラマン偶然通り写真を撮る:制作ノートより”
「フラッシュ」とは写真週刊誌のことで、強制撤去後に取材をされていた。記事はこちら↓
画像にある絵が、強制撤去されて現在は動く歩道となっている通称〈B通路〉に建っていた段ボールハウスに描いた『スイートホーム』である。
強制撤去後、段ボールハウス絵画と野宿者の所有物は、新宿の地下にある巨大な倉庫に一時的に保管されていた。東京都は強制撤去の際に住民を無理矢理どかして放り出し、家財道具やら段ボールハウスを丸ごとトラックに積んで地下道を一気に片付けたのである。
ある意味、絨毯爆撃の掃討作戦である。いくらなんでもそれは酷いと思ったのか、都は保管してある倉庫を開けて私物を取りに来る日を設定した。
「段ボール村」の人たちは、強制撤去で奪われていた私物を取り戻す際に、段ボールハウス絵画『スイートホーム』も取り返して、西口地下広場に現れた「段ボール村」に戻して建て直していたのだった。
この日の制作ノートには通行人のネガティブな反応も記してあった。
オバタリアン風女性「絵なんか描いてないで仕事するようすすめたら」
中年サラリーマン風オッサン「汚ったねえんだよ」
中年サラリーマン風オッサン「火をつけてやる」(絵を描いている最中に言われて、振り返ると、そのまま人ごみに逃げ込んでいた)
オバサン「役所の迷惑になるようなことはするな。みんな迷惑なんだから絵を止めなさい」
今これを読むと、女性は具体的な提案をしてくるのに対して、オジさんは感情を吐き出すだけの傾向があるようだ。罵声を浴びせられることもあったが、共感してくれる人も大勢いた。
翌日の2月25日のノートには、成田空港反対派の過激派をやってると強制撤去前に言ってきたお兄さんが再びやってきて、「じゃがいもくうか?」と言ってじゃがいもを置いて行ってくれたり、「素晴らしい!」と伝えて、人ごみに消えていく人もいた、と書いてある。
●迫川尚子さんとの出会い
強制撤去後に「段ボール村」が生まれてもうひとつ素晴らしい出会いがあった。それが喫茶店ベルクの副店長で写真家の迫川尚子さんである。
西口地下広場、当時の通称〈インフォメ前〉のちょっと奥の方で絵を描いていたとき、可愛らしい女性がカメラを首からぶら下げて「こんにちは〜」とにこやかな笑顔で軽やかに挨拶をしてきた。
彼女が新宿東口の喫茶店ベルクの副店長、迫川尚子さんだった。これまでも木暮茂夫さんに代表されるように、カメラを持って段ボール村に来て撮影していく人は何人かいたけど、迫川さんはかなり違っていた。
覚悟を決めないとコミュニティに入れないハードルの高い雰囲気がある中、迫川さんはまるで爽やかな風のように真っ赤な派手なコートをひらりとゆらして、まるで妖精のように段ボール村の人々の写真を撮るのだ。
最初、ちょこっと撮って通り過ぎて行くだけの人かと思ったのだが、迫川尚子さんはずっとダンボール村に通い写真を取り続けるのだった。
(新宿ダンボール村?迫川尚子写真集1996ー1998)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4925064762/dgcrcom-22/
(つづく)
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■crossroads[26]
プログラミングはお好き
若林健一
https://bn.dgcr.com/archives/20160906140200.html
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こんにちは、若林です。9月にはいって日の出が遅く、日差しが柔らかくなり、秋の訪れを感じるようになりましたね。
秋といえば食欲の秋ということで、毎年この時期から販売が開始されるモンブランを早速いただきました。
奈良県の吉野にあるケーキ屋さんのモンブラン、秋から冬の栗が仕入れられる時期にだけ販売される期間限定商品です。吉野は遠いですが、わざわざ買いにいくだけの価値のあるモンブランですので、是非お試しを。
奈良にある「ラ・ペッシュ」の縦長すぎる絶品モンブランが話題
http://macaro-ni.jp/6634
●仕事としてのプログラミング教育
さて、仕事上や個人的な活動を通じて、「街のプログラミング教室の先生はプログラミングが好きなんだろうか?」ということを、最近特に感じるようになりました。
もちろん、プログラミングが好きな先生もたくさんいらっしゃるとは思うのですが、明らかにそうでない方も多いなという印象。
具体的にどの教室がということではないのですが、たまに質問される内容の中にも「もう少し頑張って考えればできるのに」「子供達は自分で解決しているのに」と思うことがよくあります。
いわゆるパソコン教室(使い方を教える教室)が、既存スクールのフランチャイズとして参入しているところにその傾向が強く、指導は支給されるテキスト任せ、自分たちがテキストの内容を理解することも試してみることもなく、教室に来た子供たちにやらせている。わからないことがあれば、そのまま本部へ質問。というスタンスのところが多々あります。
「世の中の働いている人全部が自分の好きなことを職業にしているわけじゃない」という意見もあるかとは思いますが、そんな先生に教わる子供たちのことを考えたら「そうですよね」とは言えない。というのが正直なところです。
どんな業界でも、自分が仕事で関わっているモノやコトについて深く知ろうとする姿勢があるもの。「プロログラミング」が仕事の対象なのであれば、それについてもっと積極的な態度があるべきだと思います。ましてやそれが「教育」なのであれば。
プログラミング教室の先生方は、プログラミングを通じて「創造力」「問題解決能力」の育成に携わっておられるはずなのに、先生方の「創造力」「問題解決能力」に疑問を感じることも多いのです。
●シンクロニシティ!?
そんなことを考えていたら、Twitterに同様な意見の投稿が流れてきました。
〈自分ではやったことないですが、子供たちによさそうなので、ぜひやらせた
いです!」というのが、一番いらっとするので、そこのところ、よろしくお願
いいたします。〉
https://twitter.com/abee2/status/772676949760053248
〈特に、教材メーカー、教育関連企業の皆様、少なくとも自社が扱っているも
のについて、思い切り遊んでみてください。作例通り、テキスト通りに作って
ましたというのは、何をかいわんやです。〉
〈教室などを選ぶときの判断基準として有効な質問は、『先生の作品を見せてください』です。嬉々として説明してくれるところはOK。「えっ。私のはないですが、こちらは生徒の作品で素晴らしい創造性が…」はアウトです。〉
いずれも阿部和広先生の投稿で、阿部先生と同じタイミングで同じようなことを考えていた、なんておこがましくてとても言えませんが、やはり世の中どこにも同じようなことが起こっているんだなと再確認しました。
●そこに愛はあるか?
自分の商品やサービスが好きな人といえば、僕の中で真っ先に浮かぶのSteve Jobsです。
Steveはよく「プレゼンテーションの天才」と言われていましたが、プレゼンテーション能力に長けていたというよりは、自分が世の中に送り出す商品が好きで、それを自慢したくてしょうがなかった。その溢れ出る商品愛が周囲にも伝わっていたから、人を魅了していたのではないかと思います。
仕事もプライベートも、愛をもって取り組んでいきたいものです。それはきっと受け取る側の人々にも伝わっていますから。
【若林健一 / kwaka1208】
Web: http://kwaka1208.net/
Twitter: https://twitter.com/kwaka1208
CoderDojo奈良&生駒の開催予定
http://coderdojo-nara.org/
奈良:9月10日(土)午後
生駒:10月1日(土)午後
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■はぐれDEATH[07]
はぐれ関東滞在記
藤原ヨウコウ
https://bn.dgcr.com/archives/20160906140100.html
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実はこれまでの作文は全部前置きだったりする。編集長が最初に依頼してきたのは「3年間の関東暮らしで出くわした面白おかしいネタを」というものだったからだ。
別に忘れていたわけでもなければ無視していたわけでもない。引っ越しネタは時事ネタに近かったけど、その後の作文はどうしても前置きとして必要だったのだ。でないと、これからまたダラダラと書いていこうとしてる事に重大な誤解を与えかねないからだ。
先にも書いたがボクの作文には、脈絡もなければ説得力のカケラもない。価値観は極めて歪んで偏っている。こうしたことを念頭に置いていてくれないと、こちらとしては非常に困るのだ。だからダラダラと前置きを書かざるを得なかった。
もっとも連載の間隔がどれぐらいなのか、ボクはイマイチ理解していないのでいくら前置きをしても無駄という意見も大いにあるが、これもスジを通しておかなければボクが納得できないのだ。面倒な人であることは重々承知している。どうか温かく見守っていただきたい。
と、この回でもいきなり前置きが入ったわけだがやっと本題だ。
■
娘の中学入学を機に単身赴任を決意したのは、手っ取り早く言えばお仕事を増やそうという、実に単純極まりない理由だった。
娘と猫のももちの相手をしたり、本当に気が狂ったり、急病で救急車で運ばれたりと間抜けな事ばかりしていて、営業が疎かになっていたのだ。
もちろん数字にも露骨に表れている。青色申告のために毎月経理をしているのだが、ここの段階で実にがっかりな状態がずっと続いていたのだ。さすがに梃子入れしないとこの先ロクなもんじゃない。
ただきっかけが欲しかっただけで、娘の進学はそういう意味では実に分かりやすかった。「何をするにもまず三年」という家訓が実家にあるのだが、三年間と区切ったのは単純にこれに沿っただけである。
旧ソビエトの「五ヶ年計画」とかみたいだが、まぁ三年というのは短期目標としてはボクの性質上実に都合がいい。とにかく落ち着きがない上にオチもなし、という面倒極まりない人なのだ。
だらだらと上京しても、イヤになって翌日には帰ってくる、などということだってやりかねない。この手の失敗は枚挙にいとまがないほどあるので、大事なコトを決意するときは必ず先人の知恵にすがることにしている。
ここで言う先人は父であり、母方の祖父だ。「思い立ったら即行動」という実にボクらしいパターンで行動を開始した。それでも関東となるとかなりビビる。何しろ広島で生まれ育って、京都で学生時代を過ごし、大阪で就職して、フリーになったらまた京都でそのまま居着いてしまったのだ。
本来ならフリーになった段階で東京に移転すべきだったのだろうが、そこは小心者のボクである。幸い初期は写真プリントレベルの反射原稿で入稿、インフラ整備のおかげで、大概の原稿データはネット経由で入稿できるようになっていた。
お仕事さえあれば、距離はほとんど意味をなさない時代になったのだ。とは言え、行き着くところは人と人の出会いであり縁である。こうしたコミュニケーションだけはさすがに電話とネットだけで片付けられない。本人が赴くしか手はないのだ。
この件に関しては前例がある。記憶がかなり怪しいのでいつだったのか、どれぐらいの期間だったかは明確に思い出せないのだが、一時期ボクだけ上京して営業活動をしていた時期がある。
この時に今のクライアントとの関係の下地が出来上がった。呼ばれればすぐに出版社に行ったし、呼ばれなくても営業には押しかけていた。多分、32〜33歳の頃だと思う。我ながらしみじみ「若かったなぁ」と思う。それも色々な意味でだ。
この時は西武新宿線の上井草に基地を作った。もっとも西武新宿線を愛用したのは本当に短い間で、すぐにバスでJR荻窪駅に出て、そこから色々な場所に行くというパターンができた。当時チャリがあったら、また話は変わったかもしれないが。
このせいで中央線界隈に関しては多少の知識を得ることが出来た。それでも、東京生活に嫌気がさしてあっさり京都に戻ってしまった。半年いたかどうかかなり怪しい。とにかくこれで基本的なツテはできたので、どうにかこうにかやっていくことが出来たのだ。
ちなみに編集長と初めてあったのはもっと前である。当時はまだ玄光社に勤めていらした。玄光社と言えば、かの雑誌「Illustration」の出版社だ。実はエカキ志望にも関わらずボクは敢えて避けていた。コマーシャルイラストレーションとは縁がない絵であることは、ボク自身が承知していたからだ。ただある種の羨望はあった。
その玄光社に行く羽目になったのは、京都で会ったある方が、井上(ボクの嫁さんである)を編集長に紹介すると言いだしたからだ。今もあるのかどうか知らないのだが、あるクリエイターグループに加入しないか、という話で窓口として編集長を指名したのだ。
ところで井上はボク以上に変なところでビビる癖がある。これを放っておく程ボクは冷酷ではない。井上のお供として玄光社を訪問することになったのだ。だから、あくまでもボクはおまけ以下の存在と勝手に決めつけていた。
せっかく東京まで行くのだから、やはりここはとばかりに出版社に電話をしまくって、持ち込みの計画を立てていたので、不運なことにポートフォリオは持参していた。が、最後までボクはそれを見せるつもりはなかったのだ。
あの時、玄関でまわれ右をしていたら、今こうしてアホな作文を書くこともなかったと思うが、当日の玄光社は外から見ても結構エラいコトになっていた。後から聞いた話だが大雨だったか台風だったかで、編集部が水浸しになりてんてこ舞いだったらしい。結局ボクも訪問することにした。単に井上が心配だっただけの話だ。
幸い編集長は笑顔で迎えてくれ、井上のグループ加入もあっさり決まった。もちろん、井上のポートフォリオを見ての上だ。ここまでは予定通りだったのだ。(ここにいう編集長とは、デジクリ編集長の意味で、当時は雑誌の副編集長であった:柴田)
話の途中で編集長がボクに話を振ったのだ。なりゆきとしては当然なのだが、ボク的には最悪の展開である。ポートフォリオといっても、成果品がまだロクになかった頃だ。勝手に有名な文学作品を拝借して、装画・挿絵の方面だけに的を絞っていた。だから持っているネタだってそっち用に特化している。
しかも、よりによって江戸川乱歩だの、泉鏡花だの、ウイリアムス・ギブスンだのといった、コマーシャルイラストレーションとは真逆なものばかり。出し渋ったのは言うまでもなかろう。見せずに帰りたい、というのが本音だった。
「Illustration」と言えばボクが読み始めた頃は(高かったので立ち読みだ)スーパー・リアルイラストレーションが世間を席巻し、さらに日比野克彦氏の登場で、アートという言葉が今のように使われ出した頃のことである。
当然縁遠い世界だし、こうした動きを見ていたから、ボクはイラストレーターにはならず就職したのだ。ちなみに未だにアートという言葉の意味はよく分からん。イラストレータを名乗らず(呼ばれるぶんには別に構わない)あえて挿絵画家を名乗っているのは、こうしたある種の挫折があったからだ。
ただ、当時から編集長はしつこかった。あの手この手で、結局ポートフォリオを見せざるを得なくなり、編集長は「あんたもついでに入りなさい」と言い出したのだ。もちろん抵抗はしたが、あまり抵抗して話をややこしくし、井上に悪影響が出るのを恐れたボクは渋々承知した。
恐らく実質的には一時間程しかいなかったと思うのだが、とにかく長い長い時間だったことだけは未だに憶えている。針の筵とも言ってもいい体験だった。
話が思いっきり逸れた。逸れついでに簡単に書くが、この団体に入って、グループ展に参加することで大いに恩恵を受けたのは言うまでもあるまい。ただ、はぐれはやはりどこまで行ってもはぐれなのだ。結構長いこと在籍していたと思うが、ボクだけ途中で脱退した。
印刷会社を就職先に選んだ人である。印刷もしくはプリントがどこかで頭の隅にあったのは言うまでもない。とにかく印刷が大好きなのだ。ボクはDTP前夜と黎明期という実に幸運な時期に、印刷会社にいただけではなく、後のDTPに関する知識も上からの命令で勉強させられていた。
とにかく現場が大好きなので(特に製版)、勉強と称しては工場に足繁く通い、部署に戻ってはMac(当時はFXである)とCanon製のカラーレーザープリンターをいじくり回していた。
当時の製版にしろ刷版にしろ加工にしろ、工場には必ず生き字引のようなおっちゃんがいたのだが、ボクはこうしたおっちゃん連中の話を聞いたり、作業を眺めたりするのが大好きだったのだ。
更にアナログ印刷の最高峰技術を目の当たりにするという機会にも恵まれた。そんなボクの目からすれば、当時のプリンターがとてもではないが作品を出力できる品質になっていないことは明白であり、鬱憤を貯めていたのだ。グループ展に参加していた最後の時期は、そんなプリンターに対する挑戦の日々でもあった。
【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com/
http://blog.livedoor.jp/yowkow_yoshimi/
装画・挿絵で口に糊するエカキ。お仕事常時募集中。というか、くれっ!
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編集後記(09/06)
●「ミス・メドウズ 〜悪魔なのか? 天使なのか?〜」を見た(2014、アメリカ)。花柄ワンピースの女性が小型拳銃を構えて笑っているようなビジュアル、ケイティ・ホームズ主演「正義は私が決める。」が煽り。あとから知ったが、この女優はトム・クルーズの元妻で子持ちらしい。劇中の彼女は小学校の臨時教師を務める、明るくさわやかなお姉さんだ。一人暮らしで友達はいない。母親と度々電話で会話しているが、彼女の幼い頃のフラッシュバックから、母親は既に死んでいることがわかる。メンヘラちゃんだ。年齢不詳の役だが、時々衣裳とまるで似合わない中年女の顔になる。実年齢が30代半ばの女優だ。
可憐なお嬢さんっぽいメドウズだが、平然と、無造作に拳銃をぶっ放す。相手は女子供に害をなすクズどもである。彼女のダークサイドは秘密の「ひとり自警団」だった。なかなかスカッとする展開だが、あまりに粗雑な殺人なので、すぐ足がつくのではないかと心配になる。風変わりな彼女に、好意を持つ男が現れる。地元の若い警官である。二人はいい仲になるが、これは悲劇で終えるための設定に違いないとわたしは断定した。殺人事件を捜査する側の彼は、やがて犯人の正体を知って懊悩するはずだ。ところが、彼はどうやら「法は守らず、彼女を守る」と決めたようだ。ミステリーではなくファンタジーである。
結局、連続殺人事件の犯人は挙げられないまま、ってありえない話だが、もういい。結婚式の当日、メドウズが教会に現れない。彼女が殺人鬼を始末した現場を見た少女がいる。その子が拉致されたのだ。メドウズは目星をつけていた男の家に乗り込む。その男は刑期を終えて娑婆に出てきたばかりである。この対決ではさすがのメドウズも窮地に陥る。なにしろ不意打ちが得意の彼女なのだがそんな局面ではない。メドウズ最大のピンチ、という盛り上がりはなかなかナイス。そして予想を裏切る衝撃のラスト(笑)になる。確かにあり得ない話だ。どうせなら全編もっと派手に、もっと多数の成敗を見たかった。
オリンピック開催中、卓球陣の活躍の余韻もさめやらぬタイミングで見た「燃えよ!ピンポン」がビミョー。2007年のアメリカ映画。元天才卓球少年だった主人公は中年デブとなり、今は卓球曲芸で細々と生計を立てていた。彼は裏社会で極秘に行われる卓球世界大会に出場する。お付きのFBIは河野洋平似。全編くだらなくて下品なギャグとキワモノ感が横溢。日本の着物や力士など目を覆いたくなるいい加減さ。シャム双生児の卓球選手が出てきたりして危ない。敗戦選手は毒の吹き矢で殺されるという展開はナイス。卓球シーンはそこそこで球はCG。卓球とCGの相性はいい。もっとミラクルな戦いが見たい。 (柴田)
「ミス・メドウズ 〜悪魔なのか? 天使なのか?〜」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B016MA26GC/dgcrcom-22/
「燃えよ!ピンポン」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00191UQRQ/dgcrcom-22/
●モンブラン食べたい……。/「自分ではやったことないですが」はちょっとわからないなぁ。やりたくなっちゃうもんなぁ、何でも。/製版がお好きとは!
保険相談続き。保険会社は統計を持っていて、掛け金はそれに合わせて作られている。決して保険会社が損するようにはなっていない。リスクが高い人は掛け金も高く、そうでない人は安い。
男性が高いのは女性の方が長寿だからで、喫煙者が高いのも同様。喫煙したって長寿はいると主張する人はいるが、保険会社の長年の統計では、リスク(確率、比率)が高いと出ているのは確かなようだ。
掛け金が年齢によって上がるのはリスクが高くなるから。逆に言うと掛け金を算出されて高くなった人ほど入った方がいい(笑)。一般的な保険を断られた人の方が、入れる保険を探した方がいい。今は既往歴があっても入れたり、掛け金の上がらない保険はあるし。
余談だが、天災による怪我は保障されていないことが多いが、大震災レベルでは支払われているそうだ。一社でも払うところが出てくると、払わないところはイメージダウン。誰がそんな保険会社に入り続けるかと、解約が続くからだろうとのこと。 (hammer.mule)