[4356] はぐれだって漫画を読む

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《デジタルの「デ」の字すら出てこなくなってしまった》

■アナログステージ[154]
 今年の楽しみをやっと見つけた ─ 関東三十六不動 総開帳[前編]
 べちおサマンサ

■はぐれDEATH[31]
 はぐれだって漫画を読む
 藤原ヨウコウ




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■アナログステージ[154]
今年の楽しみをやっと見つけた ─ 関東三十六不動 総開帳[前編]

べちおサマンサ
https://bn.dgcr.com/archives/20170602110200.html

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コンニチハ。文中にデジタルの「デ」の字すら出てこなくなってしまった、べちおです。仕事がアホみたいに忙しいうえに、出張ばかりの生活にあきらめを通りこした境地。

先日、久しぶりに休日をいただき、癒し目的でひとりフラフラと深川不動尊へお参りにいってきました。

そうしたら、なんとまぁ、関東三十六不動の、12年に一度の総開帳が今年からはじまっていたのです!

・関東三十六不動霊場会・公式ホームページ:
http://tobifudo.jp/36fudo/index.html


三年前の2014年、秩父三十四観音が、同じように12年振り(甲午)の総開帳で賑わいをみせておりましたが、今年の干支でもある酉年は、不動明王さまの年でもあります。二年前なら絶対に忘れないであろうことも、いまはスッカリとワーカーホリッカーで、お寺すら遠縁に。

出張先で、西国をチラチラとしか足を運べておりませんが、この機を逃すことなく年内に二回目の巡礼を行ければと目論んでおります。

今回からの三話は、2014年暮れから2015年にかけて満願した関東三十六不動を、十二のお寺さんを区切って綴ってみます。一部デジクリで掲載したものもありますが、巡礼していた当時の記憶を辿りながら、少し書き加えてみます。

お散歩も気持ちいい季節、ご縁があれば、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

ちなみに、原稿書いている時間がないという手抜きではありません。リメイクするほうが面倒なんです(笑)


【一番札所】雨降山 大山寺(大山不動尊)

平日に参拝したこともあって、観光客もハイキング客も疎ら。お寺までの道のりをケーブルカーで楽チンしようかと脳裏を過ぎったのですが、頑張ってお寺まで自分の足で歩くことに。が、この選択は間違っていた。健康体なオイラなら、まったく問題ない山道であるが、いまのオイラは病を患っている身。

ハイキングコースは男坂と女坂があり(高尾山にも男坂と女坂がありますよね)、体の負担が優しそうな女坂のほうを進むも、途中で足が動かなくなってしまったのだ。

後戻りしてケーブルカーの恩恵を考えたが、おそらく半分まで登ってしまっているであろう山道、戻るのも面倒というより、戻ったらいけないような気がして、10分くらいの足休め後に再スタート。いま思い出してもこれはツラかった。

お寺の姿が見えはじめて、ホッとしたのも束の間、「これ、なんて罰ゲームなの?」というくらいの急斜面の長い階段が待ち構えていた。思うように動いてくれない足に、もどかしさを感じながらも、手摺に掴まり、「一歩進めば、一歩近づく」でなんとか本堂へ到着。

勤行を済ませ、本堂にて関東三十六不動の打ちはじめを伝えて、専用の納経帳を購入。大山寺は『発心』の名のとおり、自堕落している心に、喝をいれる絶好の機会でした(神奈川県は発心の道場、東京都は修行の道場、埼玉県は菩提の道場、千葉県は涅槃の道場)。

【二番札所】大雄山 最乗寺(清滝不動尊)

「お寺の場所的に一番行き難いところかな……?」と危惧していたものの、着いたお寺さんは、ビックリするほど立派でした。とにかく広いわ、お堂は全部立派だわで、半日はゆっくりできそうです。

ご朱印をいただいている間、曹洞のお寺さんで、不動明王をお祀りしているのって珍しいなぁと思いつつ、たまたま近くにいた僧侶さまと少し立ち話を楽しみました。

ぜんぜん関係のない話ばかりで、気になっていた曹洞のお寺さんで不動明王のことを聞きそびれてしまった。着いた時間も閉山ギリギリだったので、またゆっくりと足を運んでみたいです。

【三番札所】成田山 横浜別院延命院(野毛山不動尊)

関東三十六不動を巡礼した年、野毛山不動は、10月に襲ってきた台風18号による土砂崩れで、本堂周りが無残にも崩壊しておりました。本尊の不動明王さまは土砂災害の難を逃れたそうで、当時は仮寺務所(なんとマンションの一室!)に移されており、本当に目の前で、ご本尊さまをお詣りすることができました。

昨年の春に、装い新たになった野毛山不動にお参りにいったのですが、崖の一部はまだ未修のままになっており、当時の被害の大きさを伺うことができました。その後はまだ足を運んでいないので、改修工事は終わっているかもしれません。

【四番札所】大聖山 真福寺(和田不動尊)

参道に、ところ狭しと並ぶ仏像がとても印象的なお寺さんでした。ご朱印をいただいた後、なんと、ご祈願までしていただきました。とても話しやすいご住職で、世間話の小話を交わし、とても親切溢れる、素敵なお寺さんでした。

【五番札所】清林山 金蔵寺(日吉不動尊)

近所のようであまり縁のない街、日吉の奥に、立派な山門に本堂。本堂が閉まっていたので、庫裏から声を掛けると、奥さんが「どうぞどうぞお参りください」と本堂を開けてくださいました。

ここでも少し小話を交わして本堂を後に。寺内を散策しいると、地元のかた達が順番にお参りしており、地元に大切にされているお寺さんというのが、とてもよく分かります。

【六番札所】神木山 長徳寺 等覚院(神木不動尊)

法事を避けるために朝イチでお参り。お寺の所在地をみて、「神木(しぼく)本町」と書かれていたので、もしや……? と思っていたら、ビンゴ。

実は、ここのお寺さんの麓にあるアパートを『隠れ宿』として、18歳くらいまで住んでいたのです。住んでいたにもかかわらず、こんな立派なお寺さんがすぐ後ろにあったとは。

誰もいない本堂にズカズカとお邪魔し、扉を開けたすぐ左に、それは立派な不動明王さまが鎮座されておりました。間近で見るのは野毛山不動尊に続いて二回目になりますが、お顔はやっぱり怖いです。

怖いのですが、なにか引っぱられる力もあり、ズーッとお顔を眺めていると、半分にこやかになってくるような錯覚が。いや、錯覚ではなく、少しだけ笑みを浮かべた表情に見えたりと、なんだか新しい自分が覚醒されてきそうですw

庫裏にて、対応してくださった奥さんと、「このあたりも随分と変わりましたねぇ」と、しばらく昔話で盛り上がり、「ツツジが咲くころ、またいらしてくださいね。とてもきれいですよ!」とお言葉をいただいてきました。

【七番札所】金剛山 平間寺(川崎大師不動堂)

関東圏なら言わずも有名な川崎大師。着いたときに、ちょうど護摩の時間にあたり、ちゃっかりと参加。もちろん、お加持もいただいてきました。

前回参拝したときは、開帳のときだったのですが、とにかく凄い行列だったので、本堂と不動明王堂と薬師堂を参拝しただけで、逃げるようにお寺を後にしてしまったが、いま考えると、実にもったいないなぁ。

【八番札所】高尾山 薬王院 有喜寺(飯縄大権現)

この日はムスコの仕事が休みだったこともあり、ムスコと一緒にお参り。足の具合が心配だったので、行きも帰りもケーブルカーに乗って楽チンしました。

前回と同じように、着いたときに護摩供がはじまったところで、法螺貝の音色が、高尾の山に響いておりました。ステキ。お昼時間もだいぶ過ぎてしまっていたので、山門前のお蕎麦屋さんでランチ。

【九番札所】高幡山 明王院 金剛寺(高幡不動尊)

関東三大不動のひとつと数えられており、土方歳三の菩提寺としても有名です。8時半ころにはお寺さんに到着し、山門の目の前にある不動堂では、タイミング良く朝の護摩供が始まっておりました。

奥殿の丈六不動明王坐像(重要文化財)をお参りし、大日堂(本堂)を拝観してお寺を後に。広い境内には、お散歩にはちょうど良い、山内八十八箇所巡拝コースというのがあります。

【十番札所】田無山 総持寺(田無不動尊)

駐車場の場所がとにかく分かり難かった。何回お寺さんの周りをグルグルしたことやら(笑) 参拝した日は、なにやら法事の準備でバタバタと慌しかったのですが、本堂右後ろに佇む、妙見堂。その堂に祀られているのは、初めて目にする『妙見菩薩』のお名前が。

若い住職さんにご朱印をいただき、妙見菩薩さまについて尋ねると、いろいろ丁寧に教えてくださいました。まだまだ知らない仏さまがいるとお勉強になりました。

【十一番札所】亀頂山 密乗院 三寶寺(石神井不動尊)

アホなカーナビに誘導されて到着したものの、地元民しか通らないような道をくねくねと走ってきました。なんなの、このカーナビ。普段は殆ど使うことがないから鈍っているのか。

ナビの愚痴はどうでもいいとして、着いたお寺さんはとても重厚感があふれ、「天台のお寺さんなのかな?」って思うも、真言系のお寺さんでした。単にオイラの内での比較になるんですけど、天台のお寺さんは、とてもシックな佇まい。余分な装飾はせず、「必要であるもの」だけが存在しているような。

本堂で勤行を済ませ、観音霊場用の札を持っていたので、観音堂で納札。大師堂へ向かう道すがら、お砂踏みがあります。

【十二番札所】寶勝山 蓮光寺 南蔵院(志村不動尊)

アホナビに誘導されながら到着したものの、またもや駐車場トラップ。ただの参拝者だが、檀家さん用の駐車場を拝借して、お寺へ。お寺さんの雰囲気は、とてもコンパクトに纏まった印象があるものの、なにか入り難い。

そんなことを気にしていたら進まないので、まずは本堂でお参り。不動堂では護摩が終わったばかりで、お片づけをしておりました。勤行を済ませ、ご朱印をいただきたくも、ご朱印の受付が庫裏なのか寺務所なのか、どこなのか分からない。

境内をフラフラして「もしかしてここが庫裏かも」と本堂に隣接している建物へ。ビンゴ。奥からでてきた奥さんから、「あなた何者ですか?」くらいの視線とご朱印をいただいて、無事にお勤め終了。まぁ、格好が黒い作務衣に雪駄姿ですし、なんか、すみません。

次回は、十三番札所から廿四番札所までをリメイクします。ではでは。


【べちおサマンサ】pipelinehot@yokohama.email.ne.jp

NDA拘束員であり、本当の横浜を探しているヒト。ぶら撮り散歩師。愛機はD90とGRD4。最近はiPhone6で写真撮影多し。全国寺社巡りで、過去の懺悔道中をしております。→ついに西国を打ち始めました。結願まで何年掛かるのやら。


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■はぐれDEATH[31]
はぐれだって漫画を読む

藤原ヨウコウ
https://bn.dgcr.com/archives/20170602110100.html

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実を言うと、漫画に関しては普段の読書体験よりもかなり遅い。しかも、初めての邂逅はかなりディープだった。

そもそもコミックスというか単行本の存在を知らなかったし、漫画そのものに関しても、特に興味深かったわけではない。「そんな本もあるんやなぁ」とうっすら思っていた程度だ。

家にあった本で満足していたし、未読の本も山程あったので、そっちにかかりっきりだったのだ。ボクが買い漁った本ではない。両親が与えてくれた本もあれば、両親の本もあった。好き勝手、手当たり次第に読んでいたし、ラインナップもそれなりにバラエティーに富んでいた。

「吉川英治全集」などは最たるもので「いつになったら読破できるんやろう?」と思っていたぐらいだ。

ついでに言えば、図書館の実在を確認したのは小学校の高学年になってからだ。学校の図書室は一瞥しただけで「家の方が沢山あるわ」とあっさり見放した。今にして思えば、なかなか贅沢な環境である。

●衝撃的だった横山光輝の『バビル2世』

初めて手にした漫画もお袋が与えてくれたものだった。横山光輝の『バビル2世』、しかもなぜか4巻からである。

「1巻から読まんと分からんやん」と思ったのだがすぐに夢中になった。この段階で1〜3巻はもう後回しである。とにかく続きを読みたいのだが、連載中だったのでまとめ読みといういつもの手が使えない。じりじりしながら新刊を待ちわびる、という体験もこの時が初めてである。

ここからは朧気な記憶を頼りに書くので、事実と違っていたらご勘弁いただきたい。手元に実物がない上にググるのも面倒だからだ。それでもキョーレツなインパクトを受けたのは事実だ。

まず絵がキレイだった。もっともここに関してはお袋の価値観も混じっているので、ボクが意図して選択したモノではないことだけは断言しておく。ただ、絵に関しては既に好き嫌いがはっきりしていたので、その点ではいいチョイスをしてくれたと思う。

とにかく線がキレイなのだ。もちろん手塚治虫の線もキレイなのだが、残念ながら手塚治虫に関していえばボクはかなり不幸な出会い方をしてしまったので、実質上の個人的な評価そのものは大学に入るまで後回しになった。この辺は端折る。書き出すとキリがないことになるのは目に見えてるからだ。

線もキレイなら造形も素晴らしかった。『鉄人28号』で既にその片鱗は見せているし、『バビル2世』が終わった次の作品『マーズ』でもその造形美はいかんなく発揮されているのだが、個人的にはやはり『バビル2世』が一番バランスが良かったように思う。

あくまでも主観です。とにかくそれぐらい惚れ込んでいたのだ。

なかでもロプロスには驚かされた。始めの頃は鳥に見えるように(無理があるけど)擬装されていたのだが、ヨミとの攻防戦で擬装がはがされ、金属部分が露出したのにはかなりビビった。

いや、最初からロボットであることは示唆されていたし、実際そんな行動をしていたのだが、一皮めくれば完全にロボットそのものという展開には度肝を抜かれた。

その点ポセイドンは、最初から分かりやすかった。鉄人28号の正統な系譜の上に則った、言わばベーシックなロボットとして終始活躍したのだ。

ロボットといえばアイザック・アシモフの「ロボット三原則」が思い起こされるが、三つのしもべに関していえば、かなり無茶なことをしている。

敵であるなら容赦なく殺すのだ。もちろんバビル2世の意思に基づいてはいるのだが、目的のためなら人を殺しても自己葛藤など絶対に起きない。もう完全に兵器である。こういう潔さも一つの魅力だと思う。メインコンピューターですら、侵入者をあっさり殺している。

彼ら(?)が守るべきなのは漠とした人類ではなく、バビル2世その人だけなのだ。というか、バビルの継承者の保護が最優先される。だから継承者を見つける時も確認する時も、徹底的に調べ上げるのだ。

条件をオールクリアしたものだけが主人であり、守るべき存在である。もっとも、継承者問題に関してはかなりハードルが高いようだが、地球外生命体のもたらしたテクノロジーをよく使うことが条件でもあるので、十把一絡げに「ロボット三原則」と同列に比較することはできない。条件が違いすぎる。

初代が「好きなように使っていい」と言いながらも、ヨミを排除したのは初代の意思なのか、メインコンピューターの自律的な判断なのかイマイチ憶えていないのだが、とにかくヨミは継承者として選ばれなかった。

脱走を試みたからかもしれないが、とにかく精緻な条件をクリアできなければ、守るべき存在として認識してもらえないのである。

だからといって、ただ守るだけではない。メインコンピューターはバビル2世に説教を垂れる場面もあれば、質問をはぐらかすこともする。一筋縄ではいかない(笑)

ここで注目すべきはロデムであろう。メインコンピューターの目の届かないところで、バビル2世に様々なアドバイスをしている。

ロプロスやポセイドンよりもコミュニケーション能力は圧倒的に高いし、知能に関してもストーリー上表面に表れている部分だけで判断するなら、ダントツである。姿形に関しても他の二体とは明らかに違う。何しろ可塑性なのだ。どんな構造やねん……むしろ、造形物としてどう作られたのか興味がわく。

殺傷能力だってロプロスやポセイドンよりも直接的である。そもそも飛び道具を持っていないのだ。自らの体を変形させて覆い被さったり、首を絞めたりとかなり生で確実にしとめる。もちろん噛むし(爆)

近年急速に発達し実働している人工知能の分野で、よく耳にするのが「人工知能の自我(意識)」である。特にディープラーニングをベースにしたAIでは、様々な意見があるようだ。

このへん、先にも書いたが『バビル2世』に登場するメインコンピューターにしろ、三つのしもべにしろ、漠とした人類を対象にしていないところがキモであろう。

守るべき対象を個人に集約することにより、判断や行動はより自由度を増すし明確になる。作者が意図したのかどうかは分からないが、見ようによっては非常に恐ろしいことでもある。だから、後継者選びが極めて重要となるのだろう。

今の世の中を見渡しても、こうした慎重且つ精緻な後継者選びはほとんどあり得ない。絵空事と笑って流すのもいいが、個人的にはもう少し見習った方がイイのではないかとも思ったりする。あまりに杜撰すぎるし……。

設定も今にして思えば相当きめ細かい。超能力、自律学習型コンピューター(しかも自己修復も出来る)、遺伝子解析、ロボット、地球外生命体(ウィルス)、空飛ぶ要塞、等々。

超能力の解釈の仕方は愁眉だったと思う。能力そのものは備わっていても、その能力を駆使するためのエネルギー源は、超能力者本人の体力(生命力といった方がイイのか?)そのものなのだ。自由好き勝手に使えるもんではない。使えば使っただけ疲労する。超人的な体力を備えているにもかかわらずである。

その他ひとつずつのガジェットに関しても、かなり踏み込んだことをしている。バベルの塔など、もう何でもありなのだが(何しろ気象コントロールすらしてしまうのだ)、ちゃんとした説得力がある。それも説明的ではなくストーリーの中で自然に語られるので、すっと頭に入るのだ。

特にヨミが送り込んだ超能力者とサイボーグ(?)が、バベルの塔に侵入を試みる攻防戦は迫力満点だった。ここでメインコンピューターは、主人公をさしおいて大活躍をする。AIが管理する迷路型要塞戦は、この当時すでに漫画の形で見事に表現されているのだ。

ふと思いだしたのだが、映画『バイオハザード』の舞台となったアンブレラ社の地下研究所「ハイプ」と、そこのメインコンピューター「レッド・クイーン」の組み合わせは、バベルの塔とメインコンピューターのそれと大差ないし、侵入者への対処の仕方も(理由は異なるが)容赦ない点で同様である。

『バビル2世』のメインコンピューターの、機能と魅力を語り出すとキリがないのだが、今でいうDNA解析もすれば治療(バビル2世はバベルの塔の防衛戦で二度も重症を負っている)までやってしまう。バビル2世を治療しながら、バベルの塔の防衛、修理、情報収集と大活躍である。

あとから知ったのだが、こうした設定そのものは特に目新しいものではなく、当時のSF小説の世界でそれなりに展開されていたようだ。

それでも『バビル2世』の完成度は、十二分に匹敵するものだと今でも思っている。ましてやSF小説などまったく読んでいなかった時に、こんなものに出くわした時の衝撃は察していただきたい。

かてて加えてやはり横山光輝の絵の力も、見事としかいいようがない。ワイドスクリーンバロック並みにネタをテンコ盛りしているのだが、絵がこうした大ネタ、小ネタの塊をしっかりと支えているので、読む方はかなり気楽である。

これは漫画という特殊な表現方法の、いいとこ取りをしまくったイイ例のひとつだと思う。

こんな作品が漫画の初体験となったのだ。ちなみにアニメ版は見ていないし、見る気もなかった。もうどうでもよかったのだ。当時のテレビアニメで、原作の骨太なストーリーが再現されるとは想像できなかった。

実は同時期に、放映・連載されていた手塚治虫の『海のトリトン』『ミクロイドS』もアニメは見ていない。共に原作の方を読んでいる。これが手塚治虫との不幸な出会いであり、ボクが手塚治虫から遠ざかった最大の理由でもある。

マズい。ややこしいところに首を突っ込みかけている。手塚治虫に関してはまたの機会に。

横山光輝の『バビル2世』は、ボクにとって本当に衝撃的だった。『伊賀の影丸』も『鉄人28号』も『マーズ』も読んだが、やはりボクの中では『バビル2世』が飛び抜けて評価が高い。

この一作で、ボクの漫画遍歴はいきなり頓挫する。同級生の間で流行っていた漫画には、当然見向きもしなかった。どれを見ても到底『バビル2世』のレベルに達していなかったのだ。だからまた小説の世界にあっさり戻った。

●はぐれは「マーガレット派」!?

SF小説に行きそうなもんだが、ナゼかそっち方面は避けていたフシがある。どこかでまた落胆するのを恐れていたのかもしれない。

コナン・ドイルからジュブナイル版の「ルパン」シリーズ(『奇岩島』には驚いた)、エラリー・クイーン、アガサ・クリスティー(この辺からちゃんとした翻訳ものを読み始めている)へ向かうことになった。前にも書いたかもしれないが、横溝正史作品は怖くて読めなかった。

SFらしき作品に初めて接したのは、バローズの「火星シリーズ」だったと思う。完全に表紙買いである(笑)。武部本一郎という人を知ったのもこの作品で、この後、武部本一郎の熱狂的なファンになる。「こういう絵を描く人がいるんや」と素直に驚いた。

その後、SF小説を選ぶ時の最大のポイントが、表紙の絵になったのは言うまでもなかろう。

話が大分逸れた。話を漫画に戻す。転機はお袋が買い始めた「別冊マーガレット」と池田理代子の『オルフェウスの窓』である。

池田理代子は『ベルサイユのばら』を読んでいたので、唐突ではなかったのだが、周囲が大騒ぎしていたので、例によって例の如くイマイチのれなかった。『オルフェウスの窓』は割と最初の頃からゆっくり読んでいたので、素直に入れたような気がする。まさかあそこまで続くとは思わなかったけど。

「別冊マーガレット」で、くらもちふさこの『いつもポケットにショパン』に出会ったのは幸いだった。特にエンディングに向かう伏線の張り方には、度肝を抜かれた(もちろん、最終回まで伏線とは気がつかなかったのだが)。

この一作でくらもちふさこの大ファンになったのだが、『バベル二世』の苦い思い出がある。くらもちふさこのその後の作品を、注意深く見守ったのは言うまでもないのだが、この時の思いは杞憂に終わった。新作の度にグレードアップしてくれた。

後で知ったのだが、当時の少女漫画は「マーガレット派」と「花とゆめ派」の二大潮流があったらしい。後者に関してボクはリアルタイムで体験していない。辛うじて引っ掛かったのは萩尾望都の『銀の三角』(しかもハヤカワ書房版の単行本だっ!)だけである。

「少女漫画家がSFマガジンに連載していた」というだけの理由で読んでみた。これまた度肝を抜かれたのだが、萩尾望都にのめり込むことはなかった。なぜかマーガレット路線の方が居心地が良かったのだ。ボクの少女漫画の主流は、こうして出来上がった。

ここに『子連れ狼』と『じゃりン子チエ』が加わり、やっと手塚治虫が登場することになるのだが、これはまたいつか。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com/

http://blog.livedoor.jp/yowkow_yoshimi/


装画・挿絵で口に糊するエカキ。お仕事常時募集中。というか、くれっ!


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編集後記(06/02)

●志波秀宇「まんが★漫画★MANGA 日本の漫画はなぜ世界一なのか」を読んだ(2016/三一書房)。筆者は元小学館コミックス編集室室長で、いまは名古屋造形大学で漫画史の講義をしているらしい。コマとフキダシを使った、どうしようもない装幀。いまどきこんなヘタレな表紙も珍しい。これで1,500円…。

筆者の研究では、ヨーロッパ漫画の父&アメリカン・コミックの創始者とされるロドルフ・テプフェールは、「北斎漫画」に多大な影響を受けていると断定できる。こんにちの漫画の出発点は葛飾北斎にあった。日本の漫画表現が世界一優れているのは当然なのだ。漫画は日本から始まったからだ。いい話だね!

「室町時代の奈良絵本や江戸期の赤本が童話や夢物語を描き、やがて葛飾北斎の北斎漫画が描かれる。大和絵から発して進化した浮世絵はヨーロッパを圧倒し、戯画の世界はヨーロッパ風味の肉づけをもって明治維新以降の日本に上陸して日本の漫画が生まれる。これが大雑把な漫画の歴史である」。そうかな〜。

「むずかしい話をする必要はない。日本の漫画は面白い。面白いに決まっている。千年を超える日本の文化が支える、適当で、いい加減で、遊び心がいっぱい詰まった日本漫画は、人類の宝物なのだ」。そうかな〜。適当で、いい加減で、なんて言っていいのか。日本の漫画制作システムの中枢にいた人の言葉か。

3.11という巨大な厄災から立ち上がる日本を、世界が目をみはっている。それは今や漫画という文化が、大きなメディアとして世界中で注目されるに至ったことと無関係ではない。世界は明らかに日本の方を向いている……とかいうが、そう言い切っていいのかな〜。「贔屓の引き倒し」という言葉が浮かぶ。

「今、よしきにつけ悪しきにつけ日本が世界で話題になるのは、民衆が生んだ漫画という娯楽=もっともわかりやすいメディアがあるからだと言っても過言ではない」。過言だよ。「漫画の力が異なる言語を持つ人々の意思の疎通や交流を促すことは実証されつつある」。一部にあるだろうが、言い過ぎでは?

「日本の漫画の秘密は、擬声語の微妙な感覚に起因するところが大きい」と言う。日本語は世界中の言語に比べて、異常なまでに擬声語が多く使われるらしい。なにか核心に迫っているような気がする。ところが、その秘密とやらは明かされない。擬声語と関連ある作品例を示すこともせず、言いっ放しである。

筆者と20年来の友人である中国人とは、歴史や政治の話では口角泡を飛ばすが、最近の中国では日本語を学ぶ若者が多いという。漫画やアニメを原語で見たいからだ。その状況は理解している。中国人は言う。「もうひとつ。最近の中国の子どもたちがやさしくなりました。他人のことを考えるようになりました。

『ドラえもん』のおかげなのです」。これはいい話だ。どこかで聞いたような気もするが。「『ドラえもん』に限らない。日本の漫画は、これからますます世界中で愛読される。そして、だからこそ、日本の漫画は人類を救う」が結論。日本の漫画はなぜ世界一なのか、結局なんだかわかりませんでした。 (柴田)

志波秀宇「まんが★漫画★MANGA 日本の漫画はなぜ世界一なのか」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4380160025/dgcrcom-22/



●ダイエット続き。教えて!gooの回答から。

「脂肪だけを落としたいのだという場合、筋トレして筋肉が落ちないように気を付けながら、少しずつ痩せていくというのが妥当です。」「一日に200グラムぐらいの減量ペースが限界だと思います。」「頑張っても腹や下半身は弛んだまま、体重が軽くなるだけです。」

「運動でカロリーを消費するのはとても大変な事なので、カロリー制限は食事の量でコントロールしましょう。」「ダラダラと、運動する時間が長いほど脂肪が減らず筋肉が落ちることが明ら
かになっています。」

そういえば、運動翌日は、筋肉量は減るかほぼ横ばいだったわ。続く。 (hammer.mule)

1日で7200kcalの運動したら1kg減ってる?
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8605994.html