《つぶれるまで飲む……》
■装飾山イバラ道[210]
他人の勧めに乗る勧め
武田瑛夢
■Scenes Around Me[14]
AKIRAさんとの事(3:1996年11月-1996年12月)
偽アンディ・ウォーホル展のスタッフになる
関根正幸
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■装飾山イバラ道[210]
他人の勧めに乗る勧め
武田瑛夢
https://bn.dgcr.com/archives/20171024110200.html
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他人から何か勧められたらまずはやってみる、この効果はなかなか大きい。
今年の秋には夫の実母の三回忌があった。時間というのはあっという間に過ぎるものだ。過去の法事の反省事項をテキストにまとめてあったので、それを読んだりして失敗のないようにしたけれど、幾つかのミスは起こってしまう。周囲の人の助けによって補いながら、何とか終えることができた。
人にも頼っていいんだよと、お母さんに教えられているような気もした。そういう心のつながりのようなものを感じる。
うちのお寺の副住職さんは、若くてとても心強い。やはり若さというのは未来なのだと思う。よく通る声のお経は、伸びやかで心地よい。
お経というのは参列者も一緒に声を出して読んでよい部分があるので、副住職さんにはいつも声出しを勧められる。
ただ、大きい声を出すというのは恥ずかしさがあって、今までは小さい声でしか読めなかった。昨年私はそれを反省して、今年こそは声を出すと決めていたので、手渡されたお経の本を見ながら、しっかりと声を出してみた。
独特のリズムで進んでいくお経は、思ったよりも読みやすい。息継ぎのタイミングは副住職さんが叩いている木魚の音に合わせればいいのだが、なかなか難しかった。
そして、お香の煙がけっこう喉にくる。何度かむせてしまったけれど、途中から「鼻から吸って口で吐く」呼吸に気がついて、だいぶよくなった。
それにしてもこれだけ長いお経を、私よりお香の煙に近い席で淀みない声で続けていく副住職さんは、すごいものだ。いやそんなことを考えずに、もっと法事に集中せねばなるまい。
一通りお堂でのお経が終わると、副住職さんにも私の声が届いていたとようなことを言って頂けたので良かった。声を出す効果は、やってみていろいろわかった。
故人に言葉を届ける気持ちや、儀式を一緒に作っていく感覚、集まっている人たちが人任せにしない法事を行うために大切だと思った。
今回は雑念がだいぶあったけれど、私のコラムって私の雑念や妄想でできているところが大きいので、しょうがないかと諦める。
●食の勧め
人からあれ美味しいよと言われれば、試してみたくなるのが私だ。私の夫は真逆で、自分の好きな味や食べ方を大事にする。どんなにいろんな種類のケーキが並んでいても、いちごのショートケーキを選ぶ。
今川焼きはカスタードクリームなどの新しいタイプを無視して、夫は小豆しか食べない。冒険しても白あんまでだ。季節限定のかぼちゃあんがあったりしたら、私ならまずはそれを選ぶけどな。
ところが、一緒に暮らすのが長くなったせいか、鍋焼きうどんに卵を落とす美味しさを最近ようやく受け入れた。すごい進歩だ。冒険の扉が少しだけ重いのかもしれない。
逆に私の方が、「結局、ケーキってショートケーキが一番美味しいのかもしれない」と夫のような考えになってきた。お互いの極端さが中和されたからなのだろうか。
人間の健康を考えてみても、偏るよりは平均的な食べ方がよさそうなので、他人の意見に刺激を受けるのは良いことだと思う。嫌いなものや危ないと感じるものを食べないのも、人類の生存確率を上げるために必要なことだ。
「なんでー? 変なの」と思うような食の好みやこだわりにも、何かしらの価値ある訳が存在すると思うのだ。他人のこだわりを自分に取り入れるのも、たまには楽しい。
●ターニングポイントになる勧め
他人の勧めの効果は、より大きいものもある。人生のターニングポイントになるような大きな決断に、人の意見を取り入れる場合だ。私の場合は、後から思い返せばあの決断は大きかったと気がつくことが多い。
若かった私に「絶対Macを買った方がいい」と言ったバイト先の男の先輩、ハワイに行くなら「ハナウマベイに行った方がいい」と言った女の先輩、私からの手紙を読んで「文章を書いた方がいい」と言った若い頃の夫、思い返せば大小いろいろな人生のシーンに「他人の勧め」があった。
上記の勧めはすべて、やってみたらとても良い結果を生んだし、感謝している。
「文章は読んでくれる人がいる場所で書いた方がいい」というような言葉で、このコラム書きを勧めてくれた柴田さんにも感謝。そういえば柴田さんには「早くEメールのネット環境を持て」というような昔の頃から、あらゆる勧めを頂いてきたと思う。あの時ネット回線につないでいなかったら、どうなっていたんだろう(笑)。
これ以外にも色々な方々からの、やるべき勧めがたくさんストックされているので、本当はストックしないでやらなければならない。優先順位があるわけではないけれど、若くないとできないことや、無理してでもやった方がいいことなど、何かを変える可能性のある勧めは率先してやったかもしれない。
若い人に言いたいのは「初めてだけれどちょっと無理をすればできる」ようなこと、は絶対にやった方がいいということだ。
すっごく無理ならやめる選択もあるけれど、ちょっと頑張ればできそうならやる。「やったことないので」と断ってしまう人をたくさん見てきたので、そう思う。もちろん、選択はその人自身のものなので自由でいいけれど。
私もかなり自分勝手なので、勧められたものをそのまま受け入れてはいないし、気乗りがしなかったり、熟考しすぎたりしがちな方だ。「でもなー、だけどなー、やっぱりなー」というタイプの、重い腰体質が嫌になることもある。
しかし、なぜかポーンとできる時もあるので、その違いを自分でも気がついたらいいのだと思う。
そこに飛び込む前の自分には、その後に起こることはわからないのだが、飛び込んだら変わる自分を、信じるしかないのだと思う。心から言ってくれる人の想いを大切にしたい。
【武田瑛夢/たけだえいむ】eimu@eimu.com
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/
スプラトゥーン2はアップデートのたびにブキを変えてみたりしている。ボールドの限界を感じたので、N-ZAPをしばらく使っていたけれど、最近はプライムシューターに変えた。射程が長いのっていい! と気に入っている。
照準合わせのエイムはまだ自信がないので、ギアでエイムが素早く合う「オートエイム」があればいいのにと妄想。
私はアニメの「コブラ」が好きだったので、あの自動照準が欲しいのだ。そんなのあったら逆につまんないか。と思って検索してみたら、有名なチート(ズル)の手段として、既にこれで荒らされたゲームがあるんですね。
「オートエイム」とか「エイムアシスト」とか言うらしい。私も考えたことがあるのだが、ズルいなぁ。まぁ、きちんと自分のウデを上げようと思う。
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■Scenes Around Me[14]
AKIRAさんとの事(3:1996年11月-1996年12月)
偽アンディ・ウォーホル展のスタッフになる
関根正幸
https://bn.dgcr.com/archives/20171024110100.html
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AKIRAさんは、のざらし画廊・捨て看板展の後も、管理人兼アトリエとして使っていたA倉庫に関係者を招いて、何度かパーティーを開きました。
これはAKIRAさんがアメリカ放浪中に奨学金をもらった、アンディ・ウォーホルへのオマージュとして、ウォーホルが主宰したファクトリーのような状況を作ろうとしたのかもしれません。
同時に、1997年1月に開催することになる「偽アンディ・ウォーホル展(以下、偽ウォーホル展と記す)の、スタッフを集める目的もあったと思います。
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写真は1996年12月の忘年会の時のもので、偽ウォーホル展に展示するシルクスクリーンが壁に飾られています。
手前が当時大川興業に在籍していたバンビ高橋さん、奥に宝珍さんと武盾一郎さんが写っています。二人は、後に東京大学駒場寮でのサークル「蟻天国」の立ち上げに関わります。
ブラジルの民族楽器ビリンバウを演奏する宝珍さん。
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岡画郎定例会でもそうでしたが、この頃私はパーティーや飲み会でつぶれるまで飲むことが多く、AKIRAさんのパーティーでも、酔い潰れて管理人室に泊めてもらうことがありました。
そして、おそらく最初に管理人室に泊まった時だと思いますが、AKIRAさんにのざらし委員長に任命され、のざらし画廊の名簿の管理と偽ウォーホル展のスタッフをすることになりました。
他にも、捨て看板展の参加者から、偽ウォーホル展のスタッフが何人か選ばれ、打ち合わせや作品の製作に立ち会うために、A倉庫に頻繁に集まることになります。
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今回は、一年前、茨城県北芸術祭を見に行った時に撮影した、袋田の滝の写真を紹介します。
茨城県北芸術祭は、2016年9月にたまたま水戸に行った時、開催することを知りました。
当初は、チラシに紹介されていた、イリア・カバコフ&エミリヤ・カバコフの「落ちてきた空」だけ見て終わらせるつもりだったのですが、instagramの情報で、他にも魅力的な作品が多数展示されていることを知り、通い詰めることになります。
この日は太子町内に展示された作品を一通りみて回った後、会場の一つである袋田の滝に着きました。
作品は袋田の滝の展望台への通路の中に設置されていました。展望台は有料でしたが、茨城県北芸術祭のパスポートを持っていると、入場券と引き換えることができました。
作品と袋田の滝を見学後、次の会場に行くことも考えましたが、午後4時過ぎていたことと、その日、袋田の滝がライトアップされるというので、結局、袋田の滝に留まることにしました。
とは言え、展望台から外に出てしまったので、遊歩道をギリギリ近づける場所まで移動して撮影しました。
この後、自転車で常陸多賀の塙山キャバレーに移動、ネットカフェに一泊しました。
【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://www.geocities.jp/sekinemajp/photos
1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔。
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編集後記(10/24)
●橋田壽賀子「安楽死で死なせて下さい」を読んだ(文春新書/2017)。座りの悪いタイトルであるが、要するに「自分の死に方について考えたとき、安楽死が選択肢のひとつとして、ごく自然にあったらいいな、と思うのです」ということである。語り下ろしのスタイルで、たぶん構成者がまとめた本であろう。
90歳を過ぎた壽賀子さんは、天涯孤独な人である。夫にはとうに先立たれ、子孫がいなくて、親戚つきあいもない。会いたい友達や思いを残す相手もいない。生きていて欲しいと望んでくれる人もいない。もう人の役に立たない。それが寂しいわけではなく、他人に迷惑をかけたくないだけなのだ、という。
そう考えると安楽死しかない。だが、日本では安楽死が認められていない。早く法制化してほしい。でも壽賀子さんには間に合いそうにない。文藝春秋2016年2月号に「私は安楽死で逝きたい」と寄稿すると読者の反応がよく、第78回文藝春秋読者賞を受賞した。でも、安楽死の法制化の旗振り役になろうとかは考えていない。ただ「自分はこう死なせて欲しい」と言っているだけなのだ。
治療を続けることがその人の尊厳を守ることにならず、本人も望まないときは「幸せに死なせる」「上手に死なせる」ことも医療の役目ではないか。その判断が医者個人に委ねられたり、医者に責任を負わせることにならないよう、ルールや制度があったらいいと思うだけだ。そう、徹底して「思う」だけの人。
その思いを淡々と語るこの本だが、じつに説得力がある。テレビドラマを一切見ないわたしでも、「おしん」「渡る世間は鬼ばかり」などの有名脚本家であることは知っていた。功成り名遂げた人のエラそーなところが全然ない。自分の考えを人さまに勧めるつもりはないと言う。なんという素直な語りなんだ。
安楽死は死期を積極的に早めること。尊厳死は無駄な延命を行わないこと。安楽死はスイス、オランダなどヨーロッパ各国、アメリカの七つの州で合法である。尊厳死は世界の多くの国で認められている。日本では安楽死は認めておらず、その手前の尊厳死さえも規定する法律がない。なんという政治の怠慢だ。
その代わり「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」があり、「消極的な安楽死」については容認する、とも読める内容である。家族がいない壽賀子さんは、昏睡状態になったら“最善の”延命措置をされてしまうに違いないない。それを怖れているが、事前に意思表示すればある程度は叶えてもらえるかもしれない。でも、安楽死させてほしい。自己決定を尊重してほしい。
安楽死の判定にはきちんとしたルールを作り、シビアな線引きをしなければならない。第三者がかかわって厳重な審査が必要だ。安楽死が制度化されれば、健康問題で自殺する人は減る。制度を使うかどうか、選ぶ権利は一人ひとりにある。死に方の選択肢は人によって違う。壽賀子さんは最後にこう書く。
「安楽死という言葉を使うと、どこか仰々しくなりますね。簡単に言えば私は、“安”らかに、“楽”に、“死”にたいのです」。さすが、といっていいのか。
文藝春秋は穏健な保守の代表だと思ってきたが、この頃「文藝春秋」の特集が異様になった。松井清人社長は「極右の塊である現政権をこれ以上、暴走させてはならない」と批判する極左の人だった。文藝春秋は朝日新聞化してしまった。でも、文春新書はいいタイトルを出し続けている。がんばれ〜。(柴田)
橋田壽賀子「安楽死で死なせて下さい」文春新書
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4166611348/dgcrcom-22/
●「他人から何か勧められたらまずはやってみる」「食べてみる」「勧めに従う」に共感。何でもやりたい性質。しかし人前で話すことだけは避けているなと反省した。相手がいることなので、申し訳ないと思ってしまう。
/ワールドビジネスサテライト(WBS)をたまに見る。先日、コーナー「トレたま」にイケメン若手男性アナウンサーが出てきて、思わず「お〜っ!」と声を出してしまった。いつもは女性。とうとう私もオッサンや……。
どちらかというとかっこいい女性が好き。女性キャスターやタカラジェンヌ、女性主役の映画やドラマが好きなのはそのせいだと思う。
なのに、イケメン若手男性が出てきて、その意外さと若さに、なんかいいな〜って思ってしまった。新鮮。レギュラー男性が担当することはあるのだが、見慣れた顔なので。続く。(hammer.mule)
WBS
http://www.tv-tokyo.co.jp/wbs/