[4462] 中国はやはり昇り龍の勢いだった

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《スマホを持ってないと乞食もできないらしい》

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 中国はやはり昇り龍の勢いだった
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中国はやはり昇り龍の勢いだった

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https://bn.dgcr.com/archives/20171124110100.html

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『中国は昇り龍の勢い』と題して、中国の今後について上向きの予測を書いたのは、2016年2月5日(金)のことである。
https://bn.dgcr.com/archives/20160205140100.html


当時、中国の景気の先行きについて日本では、「バブル崩壊」だの「もはや中国もおしまいだ」だの、完全に失速したように言う論調がみられ、むしろ、そっちのほうが支持をよく集めているようにみえた。

10%を上回るGDPの伸び率が続いていたのが、2015年に6.8%へ減少し、たしかに経済成長が減速していた。その数値でさえ、輸出入額に照らし合わせると、どうも粉飾くさいと言われていた。

高層アパートは供給過剰気味で、不動産バブルがはじける前兆のようでもあった。中国崩壊説にも、一定の説得力があるようにみえた。

しかし、私は、どうもおかしいなぁ、と感じていた。当の中国人が、景気の先行きをまったく心配していないのであった。

東京より1時間遅れで南通にて迎えた2016年の年明け、ホテルの窓から見える範囲で少なくとも五か所から盛大に花火が上がり、一晩中続いた。先行きが不透明だったら節約を心がけそうなものなのに、その気配がまったくなかった。

中国崩壊説が言われているのは、日本だけのようにもみえた。そこには願望のバイアスがそうとうかかっているのではあるまいか。中国よりも三十年ばかり先に高度成長を遂げた日本は、長らく中国を「安い労働力市場」ぐらいにみていて、追いついてくるはずがないとナメているようにみえた。

そこで、私は趨勢と逆のことをあえて言った。中国の経済成長の減速は一時的なものであって、力強い成長の基調は今後も変わらず、龍のごとく上昇を続けていくであろう、と。

あれから二年経とうとしている。今の状況からして、私の予測は「当たり」確定でよいのではあるまいか。誇れるほどの先見の明を持ち合わせていたということではなく、ほどよい頻度で中国各地に渡り、現地の人から話を聞く機会に恵まれてたってだけのことなんだけど。

その恵まれた機会が、セーラー服によってもたらされたってとこは、ちょっと奇妙ではある。

私は現地の人たちとステージ上でじゃんけん大会やハンカチ落としに興じるために、費用先方持ち、プラスたまにはギャラありで呼ばれて行くのであって、現地の最新情報を収集できるのはただの副産物である。

セーラー服を着て、かわい子ぶりっこしているおっさんの写真集などという、普通の感覚からするとあまり価値がなさそうに思えるものがよく売れていることからも、中国の人民が、景気の先行きを少しも心配していないことがうかがえる。奇妙かもしれないが、これが現実だ。


●上昇基調の予想の根拠は教育にあった


『中国は昇り龍の勢い』を軽く振り返ってみよう。

日本では中国崩壊論が一定の支持を集めているようだが、私が中国で目にした景色は、まったく違っていた。雲泥の差の逆で、泥雲の差とでも言うべきか。具体的には冒頭に述べたとおりである。

中国の先行きについて、悲観的な予測を展開している一人に北野幸伯氏がいる。中国という「タイタニック号」はまさに沈みはじめている、と大きく出た。

中国は2018年〜2020年に深刻な危機に突入すると、10年前から予測していたとのことで、理由は、国家ライフサイクルで成長期前期から成長期後期の最末期へ移行したからとのこと。

安い賃金水準を強みに、世界の下請け工場として急成長していくのが前期。その結果、国民が豊かになり、賃金水準が高まり、生産拠点としての魅力が薄れ、外国企業も自国企業も安い労働力を求めて、他国に逃げていってしまう。これが後期。

国家のライフサイクルという長い流れの中で、かつて日本で起きていたことが、いまは中国で起きていて、これから下降線をたどるのは必然とみている、とのこと。

あれから二年経った今、振り返ってみるとどうだろう。国が豊かになったおかげで賃金水準が上がって労働市場としての価値を失い、「世界の下請け工場」としての役割を終えている。そこまでは予測がちゃんと当たっている。

しかし、中国の経済の先行きの見通しには、ちっとも翳りがみえない。ますます勢いを増しているように、私にはみえる。そのあたり、どうなんでしょ?

2017年10月26日(木)に配信されたメルマガ『ロシア政治経済ジャーナル No.1639』で北野氏は次のように述べている。


◇中国は今、「国家ライフサイクル」で、「成長期後期の末期」にある。2005年以来、ずっと同じことを書きつづけているが、中国の成長期は、2020年前後で終わるのだ。その後は、日本で1990年に起こった、「成長期から成熟期への移行に伴う混乱」が待ち受けている。◇


ううううむ。まだ言ってるのか。ブレないねぇ。

一方、まったく逆の予測を展開している一人に、田村耕太郎氏がいる。中国はテクノロジーのとてつもない進化を足がかりに、先進国の先を行き始めたと主張する。

国家による巨大投資のもと、アメリカの名門大学でエンジニア系の博士号を取得し、最高の研究機関で修行した中国人が続々と本国に戻っており、その人数の多さはかつての日本にはなかったスケールだという。先進国を超えるテクノロジーを持ち始めた中国をわれわれはリスペクトしながら警戒すべきという。

私は、こっちの立場を支持してきた。経済成長の減速は、国としてのステータスが「世界の下請け工場」から「最先端テクノロジーエンタープライズ」へと自立転換する際の一時的なものであって、いわば階段の踊り場、成長基調はますますパワフルになっていくと読んでいた。根拠は教育にある。

企業間の利潤追求の競争が激化し、なおかつ、ゲームの場がグローバル化していく時代の流れにあって、勝つための一番の決め手は、技術力の優位性にある。

思いつきだけで事業を展開すると、他社にすぐ真似され、値下げ競争になっていき、利益が出せなくなる。コアコンピタンス(競合他社を圧倒的に上回るレベルの能力)がないと続かないのだ。

他社の追随を許さない最先端テクノロジーを保有し、それをコア技術として事業を展開する企業が勝つ。しかも、一番の勝者が旨みを総取りするような構造になってきている。

技術がかくも大事だとなると、その方面でハイレベルな能力をもった人が事業の守り神ってことになる。科学技術分野で基礎的な学力を有し、新たな技術を生みだしていく潜在力を備えている人が実質的に事業を支える。

必然的に教育に力を入れるべし、となる。世界の国々で、学生の学力レベルが高いのは、中国とシンガポールである。経済協力開発機構(OECD)による生徒の国際学力到達度調査(PISA)の結果が示している。

中国の学力水準の高さは、国を挙げての、ちょっと強引にみえるほどのスパルタ教育のなせる業だ。手段はどうあれ、ちゃんと結果を出せているのが、絶大な強みになっている。

日本においては1990年代に校内暴力や学級崩壊が起き、その原因は競争に重きを置きすぎたことによるストレスであろうとの分析から、詰め込み教育の手綱を緩める「ゆとり教育」を打ち出さざるを得なかった。

それが学力低下を招いたと反省され、「ゆとり」が悪者のように言われ、今は脱してきているけれども、相変わらず中国には遅れをとっている。

どうも日本は高齢化社会のせいか、何につけても変化を嫌う傾向にあるようだ。余計なことをしてトラブルを招くよりも、何もしないのが無難でよい、と。座して死を待つ大作戦。英語教育の低年齢化もなかなか進まない。

個人的には、全者横並び教育から脱して、エリート教育、やっちゃえばいいのにと思う。

ありゃ。二年前に書いたことを軽く振り返るつもりが、思わず熱くなって深入りしてしまった。


●スマホが塗り替えた中国社会


約一年前の2016年11月12日(土)、福建省厦門(あもい)で開催されたイベント『厦門酷玩国際娯楽節』でステージに上がり、トークとじゃんけん大会の後、引き続きステージ上でポスターを売っていると、あたりまえのようにスマホ決済を求めてくるお客さんが何人かいた。

そのときは対応できず、現金払いにしてもらった。以降のイベントでは、当然想定しておくべきことという認識で、スタッフに対応をお願いした。

私自身はスマホどころかガラケーすら所有したことがなく、もし仮に持っていたとしても、WeChatやAlipayで個人間決済できるようにするのは、外国人にとってハードルが高いのだ。

スマホによる個人間決済って、人々の生活にそんなに浸透してるの? と、兆候を感じたのがたった一年前なのに、あれよあれよという間に、スマホが中国社会を塗り替えた。

タクシーを呼ぶのもスマホアプリで。行き先も伝わっていて、料金もスマホで決済できるので、運転手とほとんど話さずにすべてが済んでしまう。レストランの予約もそんな感じ。

黄色など目立つ色に塗装された自転車が、歩道に大量に停めてある。道が広いので、ちっとも邪魔にならない。スマホで解錠し、乗り終わったら別の場所へ返してもよく、スマホでまた施錠すると、自動的に課金されるらしい。

道端に露店を広げて花やら果物やら売ってるおばちゃんだって、スマホ決済の用意がちゃんとできている。もはや、人は出かけるとき、財布をもたなくなりつつある。ほぼ全面的にキャッシュレス社会になってきていて、現金はなくても困らないのだ。スマホを持ってないと、乞食もできないらしい。

個人の信用が点数づけされていて、レンタル屋さんで借りたものの返却期限を破ったりすると、点数が減る。公共料金などをきちんと支払っていると、点数が増える。一定値以上に達した人だけが参加を許される、善男善女のための合コンみたいなイベントが催されたりしているらしい。

日本よりも遅れて急速に大発展しただけあって、中国はどこに行っても未来都市みたいでピッカピカだ。逆に、中国から東京に帰ってくると、どことなくすすけた感じがして、どよよよ〜んと淀んで生気の抜けた空気を感じる。

もともと中国人はデカくて派手なものがお好きなようで。とてつもなくへんてこりんな格好をしたビルがよく建っている。まるで一部が崩れ落ちたようにみえるビルとか、一階一階が右へ左へとランダムにズレてて、設計を間違えたようにみえるビルとか。

あと、壁面全面が液晶ディスプレイになってて、夜になると極彩色の抽象模様がうねうねするすると動くやつもよく見かける。日本だと、車の運転手の気が散るからと、そういうのは禁止されているらしい。

居住用の高層アパートは、30階建てぐらいの、まったく同じデザインのが4棟から10棟ぐらいまとめて、互いに割と近接しあって生えている。

そういうのがこっちに一群、違うデザインであっちにまた一群とコロニーをなしていて、全体としてビルの大群生になっている。

今年に入ってから私は4月に北京と寧夏回族自治区銀川へ、7月に山西省太原と甘粛省蘭州へ、8月に雲南省昆明へ、9月に陝西省西安へと行っているが、どこも東京や大阪に比肩しうる大都会の眺めで、スマホの浸透ぶりも似たり寄ったりであった。

こういうのを人に話したら、ぜんぜん知らなかったとびっくりされ、逆にこっちがびっくりした。日本の一般の人々って、中国が現実にどうなっているか知らないし、関心もないのかね。

中国は日本にものすごく関心があって、時々刻々動きをしっかりウォッチしているというのに、逆向きの関心が薄いというこのバランスの悪さ、どうなんでしょ。

日本の置いていかれっぷりのひどさを目の当たりにすると、ヤバい、このままじゃ確実に沈むぞ、なんとかしなければ、とあせってくる。ほんとにヤバいんだってば。中国人も、日本だいじょうぶか、って心配してるよ。

今にも崩壊しそうなのは、こっちなんだってば。

この共通認識がないと、日本の今の状況をがんばって変えようとしても、現状でもうまくいってるんだから、無理して未知の方面に手を出して、かえってトラブルを招くようなリスクに飛び込まなくたっていいんじゃないの? という、のほほーんとした反応になっちゃうんだろうね。

私が一人でぎゃーすか言ってても、いまひとつ情報拡散力に欠けるなぁ、と思っていたら、割と最近になって、そこを言ってくれる大きなメディアがちらほらと出てきた。

■中国で「飲食店のドタキャン」が起きない理由
 テクノロジーが「不信社会」を塗り替える
 2017年11月07日
 東洋経済
 中島 恵(ジャーナリスト)
 http://toyokeizai.net/articles/-/195858


これはすごい良記事。すべてその通りと思う。事実関係も筆者の意見も。たしかに、もともと「不信社会」だったからこそ、こういうシステムが歓迎されて急速に普及した、っていうのはある。

■スマホ大国・中国、日本のはるか先を行くワケ
 2017年08月16日 09時38分
 YOMIURI ONLINE
 瀬口清之(キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹)
 http://sp.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20170815-OYT8T50024.html


これも良記事。固定電話から携帯電話へ、さらにスマホへという段階的な技術の普及をすっ飛ばして、中国は一気に「馬跳び」的発展を遂げたという。後発組の強みとも言える。最後のまとめがすばらしい。


◇日本企業は中国がリードする「馬跳び」型発展がもたらす変化をきちんと把握しながら、それに適合する形で日本の得意な技術・サービスを提供する形でしか、活路を見いだすことはできないだろう。一年どころか数か月訪れないだけで、中国の変化にはついていけなくなる。経営者自身が、少なくとも年に数回は中国に足を運び、自らスマホ社会の急速な発展を体感することが不可欠である。◇


ううむ。いいんだけど、そんな活路、まだ残ってるかなぁ。ぜんぶ自国で完結しちゃいそうな気が……。

■ここ二年、上海に起きた「進化」が日本を完全に周回遅れにしている
 2017.11.08
 週刊 Life is beautiful
 by 中島 聡
 http://www.mag2.com/p/news/328912


この記事は中国で実用化されているテクノロジーにフォーカスしている。磁気浮上式リニアモーターカーの乗り心地とか。

ちなみに私は2014年10月25日(土)に楽天タワーで開催された『Rakuten Technology Conference 2014』に聴講参加し、中島氏のスピーチを聞いている。

あの会社は公用語が英語で、呼んだ講演者にも日本語をしゃべらせないという悪漢ぶりだが、中島氏の英語は流暢だった。米国のマイクロソフトでプログラマーをやってるんだから、あたりまえか。

私が思うに、テクノロジーの進化やスマホの社会浸透の早さもびっくりすべきポイントではあるけれど、一番びっくりすべきは中国人の性格ががらっと変わったという点なんじゃないかと思う。

中国人って、もっと粗野で、我欲丸出しで、不満だらけで、よく大声で怒鳴り合い、暑いとシャツをめくって腹を出して歩く人たちじゃなかったっけ?

私が初めて中国本土を踏んだのは、2014年4月30日(水)のことで、場所は浙江省杭州だった。空港からホテルまで乗ったタクシーの運ちゃんは、ちょっとした渋滞で思うように進まなくなると、お釣り用の小銭プールに左手を突っ込んでじゃらじゃらとかき回し、ものごとが思い通りに進まない不満を露骨に表した。

みんな欲望ギラギラで、人より前に出たくて闘争心旺盛で、ズルするやつがいっぱいいて、手に入らないものへのフラストレーションを溜めて、イライラしてる感じだった。

今は、性格が穏やかで、人に親切で、ちょっとした困りごとなどは協力しあってさっと解決しちゃうし、先行きが希望に満ちあふれていて明るいのだ。中国人中国人したあの人たち、どこ行っちゃったの?

社会がすっかり秩序立っていて、スムーズに回っている。国が丸ごと塗り替わってる印象だ。テクノロジーが人をいいほうへと変えちゃうのか?

ずばっとストレートに、「中国崩壊論」を暴論と斬り捨てる記事も出てきた。

■「中国経済崩壊論」は暴論だった! 10年後には世界一に
 2017年9月19日(火)5時00分
 RecordChina
 八牧浩行
 http://www.recordchina.co.jp/b190899-s136-c20.html


「中国は名目GDPでも2029年に米国を抜き名実ともに世界一の経済大国になる」。

「10年後には、ワシントンでなく北京がIMF本部になっているかもしれない。規定に、経済規模が最大のメンバー国に本部を設置する、とあるので」。

「隣国のパワーによって日本経済が救われている現実を直視すると、嫌中本が、いかに一方的で浅薄か分かる」。

いやぁ、バシっと言ってくれるねぇ。気持ちいいぜ!

さて。じゃあ、日本ではなぜ中国崩壊論がかくもウケていて、その手の本が大量に出版されているのか? この記事は、そこもすっぱ抜いてくれている。


◇ある月刊誌編集者は「読者の多くは中国の急成長ぶりに脅威を抱き、中国のマイナス情報を求めているので、勢いアラ探し的な記事が多くなる」と釈明した。ある週刊誌の編集幹部も「中国の悪い話を大げさに書くと、確実に部数がはける」と打ち明ける。出版・新聞不況の中で「嫌中」論は「貴重な金鉱脈」として期待されているらしい。◇


ええと、左様ですか。出版・新聞不況のひどさは同情するに余りあるけど、これ、いいのかなー。真実を書いたんじゃやっていけず、読者の読みたいほうへ寄せて、事実を歪曲させて書いて食いつなぐ以外に生き延びる道がなかったってことでしょ?

これってもはや、自分の足を食ってるタコだよね? 紙媒体に印刷されている情報は、信憑性なんて期待できないんです、って白状してるわけでしょ?

印刷情報よりもネットに上がっている情報のほうが信頼性が高いっていう、逆転が起きてるってことかな。もちろん、ネット情報のごく一部が、ってことではあるんだけど。情報が新鮮なうちに届くというアドバンテージはもともとだ。

紙媒体の嘘を見抜けず、中国の崩壊を今か今かと待ちわびている旧人類に属する真面目な読者たちは被害者と言ってよく、ほんとうにお気の毒としか言いようがない。こんなのは、ちょっくら海を渡って自分で見てくりゃ、即、見抜けるんだけどなぁ。

いいですか? 紙よりもネット、ネットよりも自分の目ですよ! 大事なことなので、もう一度言いましょうか?

中国まで行ってくるお金がないって嘆いている人、いい方法があります。奇矯な格好して往来を闊歩するのを続けてれば、そのうちイベントに呼んでもらえますって。


ここまでが前置きで、今回はそれに関連した新たなテーマで書くつもりだった。しかし、前置きで熱くなりすぎて、すでにそれなりの分量を書いてしまった。考えていたトピックは、先送りします。


【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。
http://www.growhair-jk.com/



《最高に疲れる夢》

朝、目が覚めると、数学の問題が解けていた。求める確率密度関数はこれだ。

f(x, y) = (1/(2π)) δ(√(x^2 + y^2) - 1)

これって、X-Y平面全域で積分すると、ちゃんと1になるよね?

しかーし。問題がなんだったか思い出せない。寝る前に数学の問題なんて、考えてなかったぞ。ってことは、出題も夢の中でだったのか。意味ねーじゃん。


《ダ・ヴィンチさま》

レオナルド・ダ・ヴィンチと500年ぶりに会ったので、記念2ショ。
https://photos.app.goo.gl/hhGFHxrJ1mWzrW9C2


まあ、アンドロイドなんだけど。まばたきするし、口が動くし、顔の向きが変わる。カメラが内蔵されていて、向こうからもこっちを見ているのかと思ったら、それはないらしい。作りの精巧さがすごい。

作ったのは、大阪大学の教授である浅田稔氏。
http://resou.osaka-u.ac.jp/ja/research/2015/20150821_1


JST戦略的創造研究推進事業(RISTEX)が公募する研究開発のうち、「人と情報のエコシステム」領域において採択された研究プロジェクトのひとつである『自律性の検討に基づくなじみ社会における人工知能の法的電子人格』のキックオフシンポジウムが 11月22日(水)、銀座松竹スクエアで開催された。
http://www.ams.eng.osaka-u.ac.jp/ristex/index.php/events/kickoff/


この研究プロジェクトの代表である浅田氏がダ・ヴィンチを連れてきていたというわけだ。


《何かを共有しあう三人》

11月20日(月)、仲間内三人で飲んだ。なんか不思議な力に引き寄せられて凝集した感じがビジュアル的にも漂ってこないだろうか。

チェック柄のシャツの人は国際協力機構(JICA)の人で、ボツワナから一時帰国している。私は初めて会った感覚だったが、四年くらい前に原宿駅近辺を走る山手線の車内で声を掛けて一緒に写真を撮ったことがあるのだとか。

写真:
https://photos.app.goo.gl/acFKPc7N5du2ooCE2



《セーラー服おじさんがARゲームに!》

セーラー服おじさんが拡張現実(Augmented Reality; AR)ゲームになりました! 題して『JK Bazooka』。

マイクロソフト社製のARゴーグル「Hololens」を装着して、透明ガラス越しに現実世界を見ていると、二頭身の小さいセーラー服おじさんが何匹も出てきて、ちょろちょろちょろちょろ走り回ります。

現実世界とちゃんと整合していて、机の上を走ったり、椅子の下に隠れたりします。

狙いをつけて、エアタップというジェスチャをすると、ミサイルが発射されます。命中すると、ぼわんと爆発して、セーラー服おじさんはハートを散らしながら昇天していきます。

デモ動画:
https://vimeo.com/238889418


作ったのはNest+Visualという会社です。7月27日(木)、会社におじゃまして、私の3Dデータを取ってもらいました。

9月21日(木)、22日(金)に幕張メッセで開催された「東京ゲームショウ」のビジネスデーで、Nest+Visualのブースにて展示していただきました。

写真:
https://photos.app.goo.gl/D9vuMBkON7mCqVjx2


んで、11月21日(火)、ついにリリースされたというわけです。Hololensをお持ちの方、ぜひ遊んでみてくださいませ。120円。

【Windowsストア】
https://www.microsoft.com/ja-jp/store/p/jk-bazooka/9np2m4gf0c3s?rtc=1



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編集後記(11/24)

●誰かの本で、森茉莉の「ベスト・オブ・ドッキリチャンネル」が面白いというので、図書館で借りた。ちくま文庫/1994年刊。「ドッキリチャンネル」は1979年から1985年まで約5年半、「週刊新潮」に連載されて評判をよんだエッセイである。そのダイジェスト版を編集したのが、わたしと同時代の中野翠である。この本に収録された1979〜1985は、わたしたちの30代中盤頃だ。

森茉莉のテレビ評は容赦ない。ほめるにしろ、けなすにしろまったく手加減なしで、おもしろいのなんの。悪態の芸術度は本邦最高峰である。ところが、俎の鯉は、名前と顔は知っているが、出演番組をしっかり見た覚えがない。毎晩遅くまで仕事して、それも苦にならない時代で、あまりテレビを見ていない。

「あのもみあげを長くした田中邦衛は三百年続いた西班牙(イスパニア)の貴族の、血族結婚のために頭の悪くなった城主に仕えているソメリエ(酒の係り)で、城主の食事のために地下室へ下りて行って葡萄酒の壜の蜘蛛の巣を払って持って来る、そういう男の感じだ」と書く。なんというイマジネーションの厳密仔細さよ。これは引用しなければと思っていたら、中野もこれを引いてきた。

「権勢の保持と利慾にしか頭が働かない人物で、顔ときたら又、農家のおやじで、(今夜は地主どんの家で酒と馳走が出るが、あまり早く行っても物欲しそうじゃから一寸遅れて行こうわい)と言って出かける感じだ」って、誰のことか。これは引用しなければと思っていたら、中野もこれを引いてきた。

名手・中野も膨大なエッセー群を一冊の文庫版に収めるのに苦労したという。そこで森茉莉の「たしかな好悪の精神」とレトリックの芸を抽出するのが一番の眼目と定め、父・鴎外ら家族の話、結婚離婚の経緯、巴里賛美、知り合いの芸能人や文化人たちとのいさかい、それにまつわる悪態、などを割愛している。

森鴎外と三島由紀夫はわかっていない、と断じる森茉莉。作者が小説の中の人物に引っ張られて行くのでなくては、面白くもおかしくもない。「それが鴎外にも、三島由紀夫にもわかっていない。これが鴎外と三島由紀夫との二人の生徒に対して呈出するモリマリ先生の忠告である」。もう手遅れだが、という。

「杉並とか阿佐ヶ谷とか、ああいう町の大通から何度も細い横丁を曲がり曲がった細い路地の奥にある喫茶店にいて、薄暗い卓子にいて、集まってくる近所の、これも贋ものインテリ客たちに、(志賀直哉がどうだとか、太宰治がどうだとか)さもインテリ振って喋っている女給の感じなのが気に入らない」

そういわれる標的はいしだあゆみで、萩原健一との結婚に反対であるという森茉莉である。森が好きなのは、ずぼらでノンシャランな風格と、どこか得体の知れない、やくざなムウドの沢田研二で、「太陽を盗んだ男」を大評価している。藤竜也は巴里の市役所や区役所によく居る顔で、アラン・ドゥロンを越えた色男役者の田村正和とともに、フランスで映画が撮れる、と評価する。

泉鏡花賞受賞の知らせを聞いたときの、喜びの文章がかわいい。ダイジェストで満足だが、完全収録版の森茉莉全集を読みたくなった。筑摩書房で全8巻、なんと60,400円、これは手がでません。おお、蕨図書館にあったー。ところで農家のおやじは大平正芳を指す。ひどい言い様だが面白過ぎる。(柴田)

森茉莉「ベスト・オブ・ドッキリチャンネル」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/448002932X/dgcrcom-22/



●個人間決済、早く進んで欲しいなぁ。イベント入場料も簡単に決済できるようになるんだろうなぁ。買い物に現金を使うことが少ないので、お釣りを作るのに苦労する。

小銭を持たなくていいように、端数を出して枚数を減らす癖があるし。友人らはお釣り用に小銭入れを用意してくれたりして申し訳ない。しかし私の周囲にはケータイで十分な人たちが多く、あまりメリット感じられないかも……。

/WBSでしょっちゅうこの手の話は放送されている。テレビは興味のない話でも耳に入ってくるところがいい。リモコン持っちゃダメ(笑)。

/タクシーや自転車うらやましい。日本じゃ法律変わるまで日数かかるから、簡単にはいかないんだよなぁ。その分、守られているんだけど。

そういや新品の新刊を図書館みたいに貸し出してもらえる書店もあった。カフェや書店内で読めるようになっている、日本でもよくある書店の延長。どこで利益を、汚損はと思ったら、番組内でも突っ込んでいた。

QRコードを読み取っての決済は、別のコードを上に貼られて横取りされることがあるそうな。あ、中国式のタクシー呼び出しで、空港からの白タクが横行していて問題になっている。料金2/3ぐらいだし、母国語通じるとかで大人気らしい。続く。 (hammer.mule)