《文芸ジャンキーパラダイスに立ち寄ってみよう》
■エセー物語(エッセイ+超短編ストーリー)[007]
肩書はカジポニスト
四天王寺のごくせん
海音寺ジョー(超短編ナンバーズ)
■羽化の作法[51]
シャーマニズムとアニミズムとアート
武 盾一郎
■LIFE is 日々一歩(64)[コラム]
ネットのない環境で脳内コラムを書く
森 和恵
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■エセー物語(エッセイ+超短編ストーリー)[007]
肩書はカジポニスト
四天王寺のごくせん
海音寺ジョー(超短編ナンバーズ)
https://bn.dgcr.com/archives/20171128110300.html
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◎肩書はカジポニスト
飽きっぽい性格で何事も長続きしなかった。切手収集とか、めんこ、そろばん、スイミングスクール、サッカー、歯医者通い……大人になってからもファミレス、運送会社の仕分けバイト、金物屋、金型屋、漫画喫茶のスタッフ、ラーメン屋、介護業と職を転々としており、自分は〇○屋です、と堂々名乗れるものがないのだが、一つだけ続いてることがある。
それはカジポン研究家、通称カジポニストとしての研究活動である。
カジポン。
一般の方にはなじみが薄いかもしれないが、日刊デジタルクリエイターズ読者の方には知ってる方もおられるだろうか? 『文芸ジャンキーパラダイス』というHPを立ち上げ、文芸研究家と称し東奔西走、文学芸術の魅力を熱く語り、その素晴らしさを日夜発信しているカジポン・マルコ・残月である。
文学芸術絵画のみならず、漫画、舞踏、テレビドラマ、プロレス、コント……カジポン自身が芸術だと観じた全てを網羅したHPは、2017年11月17日現在63561815アクセスを誇り、日々文芸ファンを増やしていってる、個人サイトとは思えぬ「芸術の森」だ。
カジポンは若い頃から誰も手を付けていない地所を掘ることに長けていた。大きな金脈が二筋ある。
ひとつは世界中の芸術家や有名人の墓所をめぐる墓マイラー活動。もうひとつは大人気漫画「ジョジョの奇妙な冒険」の単行本各表紙の主人公たちの、現実にはとれねえだろうと、一見してわかるポーズを無理やり模すJOJO立ちパフォーマンス。
この二大ヒットで新聞、週刊誌、NHK、民放から出演オファーが来るまで知名度を上げ、昨年はヤフーニュースにも取り上げられ快進撃を続けている。
カジポンファンも年々増えており、カジポン研究家として僕も、自分だけのイドルを大衆に奪われたかのような一抹の寂しさを覚えつつ、カジポンの躍進
を喜んでいる。
カジポンとの出会いは、大学のサークル説明会だった。当時近畿大学は文芸部がなく、カジポンが非公認サークルとして新たに創設した文芸研究会、その新入生歓迎ポスターに惹かれて説明会に参加したのだった。
カジポンは我々ひよっ子どもに雄弁に文芸の魅力を語った。大学を休学して学生ローンで金を借りて、ゴッホやベートーベン、ゲーテの墓などをバックパックで半年かけて参ってきたという話を冒頭聴かされて、誰かが「何でそんなことをやらはったんですか?」と声を上げた。
「いや、わしは今までの人生で挫折や悲嘆や何やらでドン底に落とされた時、絵画や音楽、素晴らしい文学作品に勇気づけられて救われてきた、という思いがあってな。それを生み出したやつらに、命あるうちに感謝の念を捧げたいと、そこでそれを形にするには墓参りやと思い至ったわけや」
と述懐し、それを一緒に聴いてた僕は、この人は、まごうことなき正真正銘の変人や!! と直感し、即入会を決めた。
残念なことに僕の卒業後二年で近大文芸研は消滅するのだが、カジポンのカリスマでもっていたところがあり、後に続く僕らも今を生きるのに必死で、後継システムを確立できなかった。
文芸研に入会した年の夏合宿でカジポンは研究発表をした。
「わし、調べたんやけどな」
「何をですねん?」
「わし、小説家、画家、作曲家を可能な限りピックアップして、その寿命を統計してみたんや」
「は……」
「わし、平均寿命を計算してみたんやが、作曲家が一番早死にしてることが判明したんや」
カジポンの文芸家平均寿命研究で、音楽家が一番夭折してることがわかり、合宿に参加した面々はその事実にほおー! と感嘆の声を上げた。カジポンはこう結論した。
「つまり、芸術においては音楽という分野が一番命を削る稼業なんやな。この結果が出て、わし、ますますショパンやシューベルトに畏敬の念を強めたわ」
皆しんみりとカジポンの作曲芸術最強脱魂説を傾聴し、納得した。今となってはカジポンがどの事典、図鑑から抽出したのか(当時インターネットはなかった)、時代背景(ペストの流行とか戦争とか)、その人の家系などの未確定要素から、本当に作曲が寿命に影響するのか怪しく思える。
しかし、カジポンがたれ目をくわっと見開き、堂々と断言する勢いには疑問を差し挟む余地などなかった。僕はカジポンの、このような勇み足全力疾走の山師的なところが大好きになり、1999年秋頃からカジポニストを名乗るようになった。
皆さんも、もし良かったら文芸ジャンキーパラダイスに立ち寄って、その多種多様の芸術の魅力に触れてみて下さい。
文芸ジャンキーパラダイスHP
http://kajipon.com
◎四天王寺のごくせん
大阪は四天王寺の活火山高校に、メリルストリープそっくりの生物教師がいてて、名を権田原聖子といった。粗暴な性格で、授業中おしゃべりしてるとチョークやビンタがピュンピュンとんできて、『四天王寺のごくせん』とスチューデントから怖れられておった。
しかし、親の借金のカタにソープに売られた生徒を奪い返しに単身暴力団事務所に乗り込んだり、賭け麻雀で内臓を抜かれかけた生徒を救出するといった武勇伝もあり、人気は武田鉄矢をぶち抜き、その名は四天王寺はおろか泉南河内方面にも鳴り響いてたんや。
そのごくせんこと権田原聖子が2003年12月16日、電撃結婚し学校じゅうに激震が走った。
「あいてはどんなやっちゃ?」
と職員室に生徒が乱入し、授業どころではなかったが、花婿はミルコ・クロコップではなく、世界じゅうの芸術家の墓を巡っている超人ハカマイラーだった。
「な、なにもんや? そいつは!?」
と、騒ぎはさらにボルテージを上げ、もう収拾不能に。
◎海音寺ジョー
kareido111@gmail.com
ツイッターアカウント
@kaionjijoe
@kareido1111
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■羽化の作法[51]
シャーマニズムとアニミズムとアート
武 盾一郎
https://bn.dgcr.com/archives/20171128110200.html
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◎1997年7月8日(火)
「あついぜ」と書かれたこの日の制作ノートNo.10より、描かれた段ボールハウス絵画はこれ。
ところで、駒場寮の門へのペインティングについての記述があった。
◎1997年7月22日(火)
“東大(駒場寮)の門に描けば、たった二人の東大生に反対され、駒場寮委員会が開かれ、無気力派を抱き込んで絵を白く塗るという案を可決”(制作ノートNo.10より)
つまり、門に絵を描くのを反対してたのは二人の駒場寮委員会の東大生だけで、その他の学生はどっちでもよかったのだけど、反対を主張する二人に倣う形で門へのペインティングはNGとなり、加えて「門を白く綺麗に塗り直す」という罰を僕らに与える決定を下したのだった。
「反省の印として門を綺麗に白く塗って、罪を償って貰いましょう」
「野宿者の段ボールハウスに絵を描くアーティストなのに、非常に残念です。君たちにはがっかりさせられましたよ」と、東大駒場寮委員会の議長だか書記長らしき東大生に言われた。
僕らは不承不承門に描れた絵の上から白のペンキで塗り潰した。
そしてこの日、イトヒサと120号のキャンバスでコラボレーションを開始する。
●新宿西口地下道に精霊がいる
制作ノートNo.11の冒頭にこんなことが書いてある。
「僕は「土」から切り離されて育った。団地という小世界に精霊が宿るはずはなかった。僕は子どもの頃、団地でやる「祭り」というものに違和感を覚えていた。
「団地の祭り」のように、霊とコミュニケーションしない「祭り」に嘘を嗅ぎ取っていたのである。まだ「祭り」の意味を知らない頃に」
新宿西口地下道に精霊がいる感じがしてから、僕は「霊」に取り憑かれていて、しょっちゅう「霊」に関することばかり考えていた。それは自分が育った環境に「土着の霊」がなかったことと関係があるような気がしていた。過剰に「霊」を求め、期待していたのだろう。
制作ノートNo.11に続けて書いてある。
「僕にとって解決しなければならない課題がある。それは精霊の問題である。僕は何かを感じる空間に「精霊が宿っている」と言って来た。果たして本当にそうなのであろうか?
「感じたことを描くだけ」であるならば、僕は理想や欲求など持ってないはずだ。しかし、僕の中に薄ぼんやり自分の桃源郷があり、それを目指してるところもある。
霊感(インスピレーション)を重要視していくと、想像力や欲求といった類のものはどんどん薄らいで行く。想像力とは欲望なのだ。
霊というものを重要視して行くと、表現は「向こうの世界」のメディアになり、想像物という著作権意識は消える。表現物は霊(宇宙)と現世を繋げる「おふだ」みたいなものになるのだ。
作者は「芸術家(創作者)」ではなく、「使者」であり「シャーマン(巫女)」のようなものになる。彼の中に理想はない。ただ単に霊界の風景を写し取って行く媒体なのだ。
しかし、そうすると「現世」と「霊界」は別々に分かれていることになる。僕の直感する「霊の世界」は「人間の精神」であったり「自然の精神」であったり「宇宙」であったりして、「現世」と繋がっているのだ。
心の奥のそのまた奥に精神がある。空の上のそのまた上に宇宙がある。物質の向こう側に霊界がある。見えないが感じることによってこの存在が証明出来る。
段ボールハウス絵画の描き方は、「現場に行ってその場で描くことを決める」だった。それは予め考えていた図案を段ボールハウスに当てはめてしまうのは、家主に失礼だと思ったから。
結果、行き当たりばったりに絵を描く方法になった。
絵の描き出しは何の意図を持たずに「なんかこの辺りにボリュームがある」とか、そういった当てずっぽうのカンみたいなのを頼りに描いていく。
テンションを上げて、何かに憑依されてるように描くのだ。その画面から見えてきたものを描いて行く、というやり方だった。
言葉で言えば、原稿用紙に適当にひらがなをばら撒いて、そこから各々思いついた単語を生えさせ、接続させて文章にしていって原稿用紙を埋める。みたいなことだ。
で、案外と毎回それで絵に成って行ったりするのだ。この描き方を続けていると「この作品は自分の創作物なのだろうか?」という疑問も生まれてくる。
そして、絵が上手く行きそうかどうかは、描き始める時にすでに予感めいたものがある。
なので、「精霊に描かせて貰ってる」気がしたのかも知れない。ひょっとしたら本当に「精霊」なのかも知れないが。
「霊」とは何か? 科学では扱っていないが、洋の東西を問わず昔から「霊」を意味する言葉はある。
自分は絵を描いているので「創作」と「霊」を結び付けて考えていた。人は創作をするが、その根本は「霊」と関係している、と。
「芸術」の発祥を遡っていくと、それは「祭り(神事)」になる。「祭り」とは人が霊(界)と繋がることなので、芸術にも当然「霊」が流れ込んでいるはずだ。その霊成分が高いほど良い芸術になる。と、当時は考えていた。
僕は巫女のように霊界との媒体として憑依状態で絵を描き始め(シャーマニズム)、飛び散った絵の具の端々に霊性を籠め(アニミズム)、そこから朧げにある自分が描き出したい世界観に繋げて、「アート」という形に持って行きたかった。
制作ノートNo.11の9月4日にはこんなことも書いてある。
「『清らかなる小さくとも強く凝縮された美しい石の玉』のようなものを、作品から感じる人はとても多くいる。僕はこの「小さなとても硬いそれでいて何よりも強く美しい光を発する何か玉のようなもの」を見付けるのが大好きだ。発見した時には、いてもたってもいられなくなる。業や情を超えたところにそれは有る。1999年に僕は今の思いを形にする。」
1999年まであと2年。果たして僕はこの時の想いを形に出来るのだろうか。(つづく)
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目指せジャケ買い!『星野智幸コレクション・全四巻』(人文書院)
星野智幸コレクションI スクエア
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■LIFE is 日々一歩(64)[コラム]
ネットのない環境で脳内コラムを書く
森 和恵
https://bn.dgcr.com/archives/20171128110100.html
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こんにちは! 森和恵です。いま、これを新横浜へ向かう車中で書いています。始発で家を出たのですが、真っ暗だった空も日が昇り、きれいな朝焼けの車窓です。
新横浜駅は、横浜駅から遠いそうです。電車を乗り継いで20分ぐらい。これは想定内なので、びっくりしませんでしたけど。
新〇〇駅と〇〇駅は離れているもんだと思うのが関西人。新大阪駅と大阪駅、新神戸駅と神戸駅。思ったより離れてて失敗した経験があるはずです。(あれ? 私だけかしら?)
ちなみに、なぜ横浜へ向かっているかというと、
◎BREAKOUT SESSIONS【wb1】13:50〜14:40
《Dreamweaver最新ワークフロー!PSDカンプからBootstrapページを世界最速コーディング》に登壇するためです。
たった50分の登壇のために、準備に費やした時間は、丸三日(72時間)ぐらい。
ほとんどのセッションが、ライブ動画配信予定だそうですので、もしお手すきでしたら、ちらりとのぞいてみてください。
【Adobe MAX Japan】
https://www.event-web.net/adobemaxjapan/
現在、車中でインターネット回線がありません。お得意のネット検索で、いろいろ調べるということができない状況です。考えた結果、今回は脳内で思いついた言葉を綴るコラムとしました。
◆ネットで検索してコラムを書くとは
普段コラムを書くときは、「何かしら役に立つ情報を」と思って書いてます。いつものわたしの記事を思い出してもらうと、参考URLがいっぱいついてますよね。
コラムのテーマを決めた後、最新のニュースから初めて、さまざまな派生の情報を調べます。それをいっぱいメモして、コラムの大筋を考えた後にまとめていくのです。
このコラムなら、A4の紙で5枚程度でしょうか? 今日はというと、2枚ぐらいに思ったことを綴って、ある程度ストーリーを決めてから書いてます。
先日、某番組で「ネット検索ばかりしているとバカになる」というくだりがありました。
「ネット検索で手軽に情報をみつける」→「検索した情報をコピペで羅列する」→「最後にちょこっと自分の意見を述べて、話をしめる」
最近の大学生の論文は、こんなふうに作られたものばかりなのだそうです。
わたしは、その番組をずっと納得いかずに見ていました。検索が悪いんじゃなくて、そのあとの情報の咀嚼をさぼるのがダメなんじゃない? と思うのです。
なんでもそうですが、情報を手に入れたら、裏付けを取って、検証して、応用してみるなりして、自分なりにかみ砕いて取り入れるようにしています。
そうじゃなければ、何の意味もないと思うのだけれど。。。
◆検索をしないで、脳内にあることだけを書いてみる
と書いてきましたが、いかんせん今日はネット検索ができません。それでは、これから登壇する予定のセッション内容について、思いを馳せてみましょうか。
今日は、Bootstrapというものについて語ります。
Bootstrapとは、HTML+CSS+JavaScriptで構成されるCSSフレームワークです。もうちょっとかみ砕くと、「HTMLページを作るときの土台」です。
Bootstrapには、HTMLページのひな型だけでなく、サイトを作るための様々なパーツがついています。パーツをBootstrap風に呼び変えると、コンポーネントです。
今日紹介するコンポーネントは、この三つです。
・レイアウトの基本枠「グリットレイアウト」
・ナビゲーションが簡単に作れる「ナビバー」
・トップページによく使うメッセージ性のある大きな写真枠「ジャンボトロン」
Dreamweaverの挿入パネルを使うと、実に簡単に組み込むことができます。コードをまったく書かなくても、ある程度の形ができちゃいます。
ただ、これだけだとだれが作っても同じデザインになっちゃいますので、オリジナルのデザインを、スタイルシートというものを使って書き加えてカスタマイズします。
と、Bootstrapを説明するときに、ほぼ10人が10人説明する話をしただけではつまらないですよね。
そこで、今回はBootstrapの利用シーンを明確に設定することに拘りました。
・中規模くらいのウェブ制作会社
・WordPressを入れるまでもない小規模案件が多い
・10万円ぐらいの価格で静的サイトを作ることがある
こういう制作会社さんがあれば「Bootstrapありきでサイト制作をしましょう」と話をすすめていきます。
Bootstrapをつかうと、同じようなページになってしまうよね……と思っているあなた。
そんなこともありません。とくに、最近はサイトデザインが画一化してきています。普段見るサイト、わりと同じようなレイアウトしてませんか?
元来、サイトのレイアウトは、ある程度共通化するべきだと思ってきました。だって、サイトによってボタンの位置や記事の配置が違ってたら、読みにくいですよね。
本や雑誌は、ある程度のルールの中でレイアウトされていますよね。
中に入る「文言、写真、フォントの形、色」などを変えることで、十分に違ったサイトに見せられていると思います。
ちょうどいまさっき、京都駅を通ってきましたが、フォームの形は大阪駅とおなじだけれど、壁面に「朱色の大きな傘を差した舞妓さんの写真」があったり、売店の壁紙が昔ながらのカルタの絵だったりすることで、京都らしさを伝えていました。
無機質ではなく、風情がそこにちゃんとありました。
ユーザーインターフェースと呼べばいいのでしょうか? 外枠の箱なんて、共通でもいいんですよ。
Bootstrapを外枠にして、ビジュアルを載せていってもいいんです。そのほうが、なにせ楽ですから。
……ということで、今回はここまで。徒然に語ったコラムなので、尻切れトンボですみません。
今日のセッションのスライド・使用したソースコードは、後日公開予定なので、よかったらわたしのTwitterをフォローしてくださいね。
まっさきに、Twitterでお知らせします。
さて、次回のお題は、MAXのお土産話もしましょうか。ではまた、次回お目にかかりましょう!(^^)
【森和恵 r360studio ウェブ系インストラクター】
mail: r360studio@gmail.com
Twitter: http://twitter.com/r360studio
講座受付中: http://r360studio.com/seminar/
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編集後記(11/28)
●日下公人「新しい日本人が日本と世界を変える」を読んだ(2016/PHP研究所)。2011年の東日本大震災という未曾有の災害によって、戦後の日本に蔓延った空虚な理想主義は瓦解し始め、もともと日本人が持っていた歴史に根ざした現実主義と、庶民の「暗黙知」が自らを助けるものだということが明らかになった。
震災当時の民主党政権のあまりに愚かな言動を見せつけられ、同時に多くの無名の日本人のみごとな振る舞いを知った。震災の前と後では、日本人の心、暮らしぶりに変化が起きている。敗戦を境にしての「戦前派」と「戦後派」と同じように3.11を境に「災前派」と「災後派」に分けられる、と筆者はいう。
自衛隊があの震災でいかに多くの国民を救ったか。「反自衛隊」や「謙自衛隊」を売りにしてきた政治家の多くが、未だに自らの不明を恥じるどころか、頬被りのままだが、多くの国民の意識は変わり、自衛隊に対するテレビ報道の仕方も明らかに変化した。新聞の取り上げ方にも、意図的な悪意は少なくなった。
2016年の熊本地震でも、自衛隊は即座に陸海空部隊を派遣し、約二万人体制で救援活動を展開した。こうした自衛隊の活動に感謝し、率直に頭を垂れるのが「災後派」の人たち、すなわち「新しい日本人」である。彼らには日本を「我が国」と思う一体感がある。同胞の絆を大切にし、日本の価値観を尊び、歴史や伝統文化に対して謙虚である。だからといって単純な「戦前派」ではない。
戦前との歴史の連続性に気づき、それを大切にしようとする人々が、戦後70年余の「戦後体制」から脱却しようとする「新しい日本人」なのである。「戦争は嫌だ」と言っていれば巻き込まれることがないのか、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼していれば、日本は未来永劫無事でいられるのか、そんな観念の遊戯はとっくに破綻していることを知っているのが「新しい日本人」だ。
有事の際には自衛隊がちゃんと機能することを知っている。条文解釈云々の前に、憲法の条文違反であることを知っている。いったい誰が、自らを守る権利を一方的に封ずることを了とするか。日本国憲法のスローガンは日本人が望んだものではない。アメリカの洗脳手段である。いつまで拘束具を着続けるのか。
「一国の憲法とは、普遍的な地球人類の理念を追求するものである必要はなく、そこに暮らす人間のローカリズムに根ざした価値観、歴史的な習慣や常識に照らしてつくればよい。そこに立ち返ったとき、日本は守る力を持つと同時に、もっと自由で豊かな国になれると私は思っている」。まったくその通りだ。
現行憲法はGHQによる英文の草案を邦訳したものである以上、そこに並んでいる言葉は日本人の精神やこころを反映していない。日本人が英語を主体にモノを考え始めると「知」が劣化する。日本語にあって英語にない単語やニュアンスがたくさんあるからだ。武士道も騎士道もない、たかだか240年しか歴史のないアメリカには「潔い」という意味の言葉が存在しないのである。(柴田)
日下公人「新しい日本人が日本と世界を変える」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569832350/dgcrcom-22/
●GrowHairさんのを読んでの中国続き。「ランダムにズレている」は施工ミスの可能性が(笑)。上海の有名ホテルのトイレでさえ、ドアが微妙に斜めについていたりした。
平行や水平はあんまり気にしないんだなぁ、日本だとそこは最低限だと思うものなのだけど。そもそも柱が垂直でないとか、まっすぐじゃない可能性もあるよなぁ。
隣のビルに行くまで遠かったのを覚えている。後記に書いたかも。道路は広く、ビルはどれも大きくて。
日本でも最近の大規模開発されたところは、隣のビルまでが遠く、上にも高いので、時間が読めない。地下鉄でもそう。駅から徒歩5分って書いてあるけど、その出口まで10分ぐらいかかるわ! 続く。 (hammer.mule)
中国はやはり昇り龍の勢いだった
https://bn.dgcr.com/archives/20171124110100.html