エセー物語(エッセイ+超短編ストーリー)[007]肩書はカジポニスト・四天王寺のごくせん
── 海音寺ジョー(超短編ナンバーズ) ──

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◎肩書はカジポニスト

飽きっぽい性格で何事も長続きしなかった。切手収集とか、めんこ、そろばん、スイミングスクール、サッカー、歯医者通い……大人になってからもファミレス、運送会社の仕分けバイト、金物屋、金型屋、漫画喫茶のスタッフ、ラーメン屋、介護業と職を転々としており、自分は〇○屋です、と堂々名乗れるものがないのだが、一つだけ続いてることがある。

それはカジポン研究家、通称カジポニストとしての研究活動である。





カジポン。

一般の方にはなじみが薄いかもしれないが、日刊デジタルクリエイターズ読者の方には知ってる方もおられるだろうか? 『文芸ジャンキーパラダイス』というHPを立ち上げ、文芸研究家と称し東奔西走、文学芸術の魅力を熱く語り、その素晴らしさを日夜発信しているカジポン・マルコ・残月である。

文学芸術絵画のみならず、漫画、舞踏、テレビドラマ、プロレス、コント……カジポン自身が芸術だと観じた全てを網羅したHPは、2017年11月17日現在63561815アクセスを誇り、日々文芸ファンを増やしていってる、個人サイトとは思えぬ「芸術の森」だ。

カジポンは若い頃から誰も手を付けていない地所を掘ることに長けていた。大きな金脈が二筋ある。

ひとつは世界中の芸術家や有名人の墓所をめぐる墓マイラー活動。もうひとつは大人気漫画「ジョジョの奇妙な冒険」の単行本各表紙の主人公たちの、現実にはとれねえだろうと、一見してわかるポーズを無理やり模すJOJO立ちパフォーマンス。

この二大ヒットで新聞、週刊誌、NHK、民放から出演オファーが来るまで知名度を上げ、昨年はヤフーニュースにも取り上げられ快進撃を続けている。

カジポンファンも年々増えており、カジポン研究家として僕も、自分だけのイドルを大衆に奪われたかのような一抹の寂しさを覚えつつ、カジポンの躍進
を喜んでいる。


カジポンとの出会いは、大学のサークル説明会だった。当時近畿大学は文芸部がなく、カジポンが非公認サークルとして新たに創設した文芸研究会、その新入生歓迎ポスターに惹かれて説明会に参加したのだった。

カジポンは我々ひよっ子どもに雄弁に文芸の魅力を語った。大学を休学して学生ローンで金を借りて、ゴッホやベートーベン、ゲーテの墓などをバックパックで半年かけて参ってきたという話を冒頭聴かされて、誰かが「何でそんなことをやらはったんですか?」と声を上げた。

「いや、わしは今までの人生で挫折や悲嘆や何やらでドン底に落とされた時、絵画や音楽、素晴らしい文学作品に勇気づけられて救われてきた、という思いがあってな。それを生み出したやつらに、命あるうちに感謝の念を捧げたいと、そこでそれを形にするには墓参りやと思い至ったわけや」

と述懐し、それを一緒に聴いてた僕は、この人は、まごうことなき正真正銘の変人や!! と直感し、即入会を決めた。

残念なことに僕の卒業後二年で近大文芸研は消滅するのだが、カジポンのカリスマでもっていたところがあり、後に続く僕らも今を生きるのに必死で、後継システムを確立できなかった。


文芸研に入会した年の夏合宿でカジポンは研究発表をした。

「わし、調べたんやけどな」
「何をですねん?」
「わし、小説家、画家、作曲家を可能な限りピックアップして、その寿命を統計してみたんや」
「は……」
「わし、平均寿命を計算してみたんやが、作曲家が一番早死にしてることが判明したんや」

カジポンの文芸家平均寿命研究で、音楽家が一番夭折してることがわかり、合宿に参加した面々はその事実にほおー! と感嘆の声を上げた。カジポンはこう結論した。

「つまり、芸術においては音楽という分野が一番命を削る稼業なんやな。この結果が出て、わし、ますますショパンやシューベルトに畏敬の念を強めたわ」

皆しんみりとカジポンの作曲芸術最強脱魂説を傾聴し、納得した。今となってはカジポンがどの事典、図鑑から抽出したのか(当時インターネットはなかった)、時代背景(ペストの流行とか戦争とか)、その人の家系などの未確定要素から、本当に作曲が寿命に影響するのか怪しく思える。

しかし、カジポンがたれ目をくわっと見開き、堂々と断言する勢いには疑問を差し挟む余地などなかった。僕はカジポンの、このような勇み足全力疾走の山師的なところが大好きになり、1999年秋頃からカジポニストを名乗るようになった。

皆さんも、もし良かったら文芸ジャンキーパラダイスに立ち寄って、その多種多様の芸術の魅力に触れてみて下さい。

文芸ジャンキーパラダイスHP
http://kajipon.com



◎四天王寺のごくせん

大阪は四天王寺の活火山高校に、メリルストリープそっくりの生物教師がいてて、名を権田原聖子といった。粗暴な性格で、授業中おしゃべりしてるとチョークやビンタがピュンピュンとんできて、『四天王寺のごくせん』とスチューデントから怖れられておった。

しかし、親の借金のカタにソープに売られた生徒を奪い返しに単身暴力団事務所に乗り込んだり、賭け麻雀で内臓を抜かれかけた生徒を救出するといった武勇伝もあり、人気は武田鉄矢をぶち抜き、その名は四天王寺はおろか泉南河内方面にも鳴り響いてたんや。

そのごくせんこと権田原聖子が2003年12月16日、電撃結婚し学校じゅうに激震が走った。

「あいてはどんなやっちゃ?」

と職員室に生徒が乱入し、授業どころではなかったが、花婿はミルコ・クロコップではなく、世界じゅうの芸術家の墓を巡っている超人ハカマイラーだった。

「な、なにもんや? そいつは!?」

と、騒ぎはさらにボルテージを上げ、もう収拾不能に。


◎海音寺ジョー
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