《勝手に「キョージュ」と呼ぶ》
■装飾山イバラ道[218]
てっぺんを押し上げる人々
武田瑛夢
■Scenes Around Me[22]
東京大学駒場寮の事(1)
1997年8月 武盾一郎個展
関根正幸
■エセー物語(エッセイ+超短編ストーリー)[14]
葉ね文庫さんのはなし
ボーフラ文庫の打ち明け話
海音寺ジョー(超短編ナンバーズ)
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■装飾山イバラ道[218]
てっぺんを押し上げる人々
武田瑛夢
https://bn.dgcr.com/archives/20180227110300.html
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●ヘッドフォンをつけてスポーツ観戦
オリンピックで毎日が楽しい。今回のオリンピックのメダルのデザインはシンプルで好きだ。流れる直線が、冬のスポーツ特有の雪や氷にザザーっとつく跡のようで美しい。
メダルデザインには透明とか四角とか斬新なもあるようだけれど、丸くて厚くて金属光沢を生かすものが一番だと思う。
フィギアスケートの羽生選手のフリーの日も、片付けで夫の実家へ行っていた。夫のごっついスキー靴は、無事に一般ゴミとして捨てられた。テレビはつけておいて、オリンピックの音声を聞きながら作業をする。思ったよりも羽生選手の登場が遅かったので、自分の家に帰ってからゆっくりと見ることができた。
いつものようにヘッドフォンをつけて、会場の雑音も聞きながら楽しんだ。ヘッドフォンをつけると本当に臨場感が増すので、スポーツ観戦には欠かせない。特に雪や氷の上を滑る音って、疾走感があって聞いていて気持ち良いのだ。
夫はスケートの羽生選手よりも、将棋の羽生さんの方に興味があったようで、ネットで見ていた。この日は色々な勝負事があった日だ。勝ち負けのある仕事って本当に大変だ。
男子のフィギアスケートは、最終グループでは皆4回転をバンバン飛んでいて見ごたえがあって嬉しい。4回転+3回転のコンビネーションなども見られて、今のスケートのレベルの高さに驚く。
●昔のフィギア論争
2010年のバンクーバー五輪のライサチェクが、金メダルを取った時には論争が起こった。あの時は4回転ジャンプを回避して、綺麗にまとめたライサチェクが勝って、4回転トウループを跳んだプルシェンコが負けたのだ。
難度の高い技に挑戦したことをもっと評価するべきだという意見と、回転数を上げるだけがスケートではないという意見がぶつかった。女子フィギアでも、浅田真央の演技で考えさせられたことだ
4年後のソチで羽生が4回転を飛んで金メダルを取った時には、難度の高いジャンプに挑戦して勝ったことをプルシェンコに称えられた。てっぺんを押し上げる役目を、羽生が受け継いだのだ。
●女子のジャンプ論争
今回の女子フィギアの場合は、演技の後半にジャンプを跳ぶことで加点を稼ぐという勝ち方で、ザギトワの金メダルが決まった。今後ルールが見直されるかもしれないけれど、現状ルールでできる限り金メダルに近づく方法を考えたのだと思う。
前半にステップを入れるというのがいかに疲れることか、普通の選手にはきっと無理な構成だ。音楽に合わせて氷上をくるくると、スケートのエッジを変えながら踊るのがステップだ。
私はステップって、「ジャンプも跳び終えたから、残るパワーをこのステップで使いきるぞ!」と最後の力を振り絞って滑るものだと思っていた。ステップはお鍋でいうところの雑炊。最後のシメであったはずなのだ。
なのにザギトワの滑りは前半に雑炊を作り終え、後半に肉を次々と鍋に投入したようなものなのだ。確かに見慣れない順番のスケートだった。
ジャンプは順番が変わったけれど、どれも高い加点の得られる素晴らしいジャンプだった。見ている方も力が入ったまま見終わった感じだ。私は銀メダルのメドベージェワの演技の方が流れがあって、情感に溢れていて素晴らしかったと思う。
日本の女子選手では、トリプルアクセルを公式戦に使う選手をもっと見たい。坂本花織はもうトリプルアクセルを跳べるらしいので、どんどん公式戦で挑戦して欲しい。
先人の挑戦に感動した若い勇者が実戦に出てくるまで、タイムラグがあるのは仕方がないのだ。見ていてハラハラするのが嫌いな人もいるかもしれないけれど、スノボでもスケートでもジャンプを含む競技は、どれも一か八かの緊張感がつきものだ。
スケート界全体の技術レベルを上げていくためには、やはり一人ではなく複数人が目指すことで強力なパワーになる。
一人だけだと天井を突き破っちゃうけれど、何人も集まれば大きな面で押し上がる。プルシェンコや羽生がそれぞれの世代に広げてきたインパクトが、また次の五輪で花開くのが楽しみだ。
【武田瑛夢/たけだえいむ】eimu@eimu.com
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/
欲しいものが多くて困る私だけれど、欲しいもののおかげで得られる経験も多いなと最近思う。ヤフオクだけでなく、フリルやEtsy、インスタのDM取引などの買い物をやってみている。
これらは初めてだとなかなか信用を得られるかどうか心配で、飛び込みにくいものだ。評価の数を蓄積していることが信用につながるのに、今更何もないところから声をかけるわけだから。
たまたま学んだコツは、個人でもほぼ会社のようにやっている人と、きちんと取引して良い評価をつけてもらうと、次の人も安心するということ。そのジャンルの中では有名な個人の評価を得られるのはとても有難い。
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■Scenes Around Me[22]
東京大学駒場寮の事(1)
1997年8月 武盾一郎個展
関根正幸
https://bn.dgcr.com/archives/20180227110200.html
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これまで、高円寺岡画郎、のざらし画廊、ワークショップ・ガロの思い出話をしてきました。
今回から、廃寮問題の最中にあった東京大学駒場寮との関わりについて書くことにします。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/東京大学駒場寮
駒場寮廃寮問題については、Wikipediaにもあるように、1991年に廃寮の計画が立ち上がり、1995年に大学側が入寮者募集を停止、1996年に廃寮宣告がありました。
(Wikipediaの記述は、自分の記憶と食い違う箇所があります。例えば、2001年8月22日にあったとされる強制執行は、その2週間前に行われたと記憶しています)
私自身は学生時代、駒場寮以外の学生寮にいたこともあり、当初は廃寮問題については無関心でした。
1996年頃から駒場寮がおしゃれな場所になったという噂は聞いていたのですが、1995年以降に駒場寮内に入ったのは、1996年10月にワークショップ・ガロのフライヤーを置かせてもらった時と、1997年5月に石川雷太さんの個展のオープニングに顔を出した時の2回しかありませんでした。
そんな私が1997年の後半から駒場寮に頻繁に出入りするようになったのは、武盾一郎さんがきっかけでした。
1997年8月のことでした。当時、私は大学の非常勤講師の仕事以外に、世田谷区池尻にあった測量会社で、コンピューターのオペレーターのアルバイトをしていました。
特に8月は、大学は夏休みで授業がなかったため、毎日池尻まで自転車で通い、昼休みは近くにあった東京大学駒場キャンパスで食事をとっていました。
その日は月曜日だと記憶しているので、8月11日だったと思います。昼食を終えて会社に戻ろうとしていたところ、「キョージュー」と声を掛けられました。
武盾一郎さんでした。以前にも書きましたが、武さんのことは1996年11月、AKIRAさんののざらし画廊に参加してはじめて知りました。
その後、武さんは、私がAKIRAさんのパーティーで酔いつぶれるまで飲んでいるのを見て、私に興味を持ったのかもしれません。
私が非常勤で数学を教えていると知ると、勝手に「キョージュ」と呼ぶようになりました。
それが、駒場寮界隈の人たちが、私のことをキョージュと呼ぶキッカケになるのですが。
武さんは北寮の入口にあるギャラリー(オブスキュアギャラリー)の個展「世紀末とのコラボレーション」で、新宿夏まつりの舞台背景の絵を描いていると言い、よかったら見にこないか、と誘ってくれました。
ところが、その日は昼休みが終わりそうだったのと、おそらくカメラを持っていなかったので、次の日に見に行くと約束して、翌日の昼休みに駒場寮に向かいました。
思うに、新宿西口の段ボールハウス村には、自転車で入ることができなかったので、武さんたちが絵を描いている現場を一度も見たことがなく、この時が武さんの絵を見るはじめての機会でした。
オブスキュアギャラリーは北寮を入ってすぐ右側の部屋で、入口の扉から見て正面と右側の壁に窓がありました。
駒場寮の他の部屋は24畳で、幅5.4m、奥行き7.2mといったところだと思いますが、オブスキュアギャラリーは他の部屋と作りが違っていたので、それより一回り大きかったのかもしれません。
武さんの絵は巨大な段ボール製のキャンバスに描かれていて、高さ4mの天井付近から吊るされていました。
絵は壁一面では収まりきらず、両側の壁にも折り曲げられていたので、幅7〜8メートルはあったのでしょうか。
驚いたのは、私が見に行った時(火曜日)には絵が描き上がっていて、武さんは別のキャンバスに絵を描いていたことでした。
これ以来、展示期間中の昼休みと仕事が終わった後、駒場寮に通うことになります。
次の写真は、火曜日もしくは、水曜日の晩に、のざらし画廊で知り合った新野君がやって来て、ディジュリドゥを吹きはじめた時のもの。
ギャラリーは入口の扉から二段ほど低くなっていたのですが、その階段の上に三脚をローアングルでセットして、ノーファインダーで撮影したもの。
電球の明かりだけで、数秒ほどのシャッタースピードで撮影したのは初めてで、このような色味になるとは思ってもみなかったので、個人的に大変思い入れのある写真です。
これに味をしめて、暗い部屋の中で長時間シャッターを開ける写真を撮ることにハマるようになりました。
また別の日の夜には、写真家とその助手と思われる人たちがやってきて、段ボールの絵の上に写真を貼り付けていました。
段ボールの絵は、火曜日の段階で完成した訳ではなく、少しずつ加筆されていました。そして、日曜日のクロージングイベントの時、全面的に描き直されることになります。
【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://www.geocities.jp/sekinemajp/photos
1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔
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■エセー物語(エッセイ+超短編ストーリー)[14]
葉ね文庫さんのはなし
ボーフラ文庫の打ち明け話
海音寺ジョー(超短編ナンバーズ)
https://bn.dgcr.com/archives/20180227110100.html
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◎葉ね文庫さんのはなし
葉ね文庫は大阪の中崎町のテナントビルの半地下にある。日本でも数少ない詩歌専門の本屋さんだ。
といっても店主さんの好きな小説も置いてあるし、壁面の一つは古本コーナーで漫画もありバッチなど小物も置いてあるし、正確に言えば葉ね文庫は葉ね文庫の店主さんの好きなものだけが置いてある本屋さんである。
葉ね文庫の店主さん(以下、葉ね文庫さんと略します)は昼間は別の仕事をされてて、平日の夜と土曜日だけ店を開けている。
ヘミングウェイの自伝的小説『移動祝祭日』にパリの、シルビアビーチの本屋のことが書かれている。
そこは本屋というより作家志望の若者が集まるサロンのようだった、と書かれている。シルビアは献身的な女亭主で、若き日のヘミングウェイに好きな本は家に帰って読んでいいと貸してくれたり、貧しい青年には金を貸したりと(ジョイスの『ユリシーズ』はシルビアの貢献で世に出た)、物凄い空間が、大戦前のパリ全盛の時代にはあったんだな、と読後感銘を受けたのだった。
葉ね文庫にも老若男女、詩人歌人俳人柳人、詩歌ファン、同業者さん、現代短歌界のめっちゃ偉い人など、入れ替わりとっかわり往来していて、京都から自転車で通ってるという青年もいて多士済々だ。
ある日、常連の若いお客さんが「これ欲しい、この本ほしい。でも金がない。店主さん、ぼくに金が溜まるまで、この歌集取り置きしてくれませんか」と頼んでいて、葉ね文庫さんが「いいよ〜」と即快諾してるのを傍らで聞き、ここも現代日本版シルビアビーチの店みたい、と思ったものだった。そしてヘミングウェイみたいに、ビッグになる人もそのうちに出てくるだろう。
葉ね文庫の廊下側の壁には短冊が吊られている。それは店を訪れたお客さんに歌や句を記念に書いてもらった短冊で、紐にクリップで留められている。
作歌や句作をやってないお客さんにも書いてもらうケースもあって、様々な言葉が並んでいる。ぼくはこの短冊を見上げるたびに、葉ね文庫さんは首狩り族みたい、と思う。
訪れた歌人さんから短冊を書いてもらう度に「やった!」とほくそ笑み喜々として紐に吊ってる様は、何か(魂、とったったぜ)みたいな爽快感があるんだろう。歌って一首、二首って数えるし。ぼくの首も三つぐらい頂かれて、吊られている。
葉ね文庫の存在を知ったのは、このエセー物語連載陣、超短編ナンバーズの一人である同人『俳句と超短編』編集長が、うちの冊子を置かせていただきました、とツイッターで店を紹介してたのが切っ掛けだった。
はじめ訪れた頃は俳句も短歌もさほど興味がなくて、自分が参加した同人『俳句と超短編』は関西でも売れてるんかなー? と情勢を見物に来たかっただけだったんだが、当時陳列されてた『めためたドロップス』という小さい歌集のポップな短歌とファンシーノートのようなレイアウトに、石川啄木以来、短歌の世界と言うのはここまで進んじょるんか! とカルチャーショックを受け、そこから定型詩に関心が高まっていった。
その後、医療詠同人誌『短歌ホスピタル』を葉ね文庫で入手し、この本に載ってる短歌に啓発され自分も短歌を始めるようになった。葉ね文庫さんも昔は短歌を詠まれていたらしい。
中崎町はうちからは遠いので、平均二か月に一回ぐらいしか訪れることができないのだが、作歌を始めてからは、何か賞的なのを取ったら葉ね文庫に行き「とれましたー!」と逐一伝えるのが習慣のようになった。
「うちの店をきっかけに短歌に興味を持ってもらえるとは嬉しい!」と都度、称賛してくれ大きな励みになってる。
田中ましろさんの短歌と写真のフリーペーパー「うたらば」の、ブログパーツの短歌公募に挑戦し続け一年二か月の末、一首採用された時も「ついにとれましたー」と報告に行き「おお、すごーい」と褒めてもらい、大いに気を良くした。しかしその後、うたらば本誌に葉ね文庫さんの歌が掲載されているのを知って、大いに恥ずかしくなった。
葉ね文庫さんは昔、とびやまという名で短歌をやっておられたのだった。だけど今は作歌をやめて詩歌を売る側の仕事をされてる。うたらばにとびやまさんの素敵な歌を見つけた頃に、なんでやめたんですか? と尋ねたことがある。
「なんか、自分の詠みたい歌を詠んでるはずが、無意識のうちに募集する人が採ってくれそうな、ええ感じの歌を詠むようになっていってねー、それがしんどくなってん」と答えられ、うーん、そうだったのか、と納得させられてしまった。
しかし……それからも投稿や応募を続けていると、読み手へどう受け取られるかという計算ゼロで、我を通しまくった歌が何故か採用されたり評価されたりするので、功利心丸出しでない方が、つまり受けを狙わない方が良い形におさまるらしいと思えてきた。
うまく説明するのが難しいのだが、選者にいくら阿(おもね)ろうとしても、我というのはどうしても出てしまうのではないか? と、今は思っている。
だから葉ね文庫さんは葉ね文庫さんの歌をまた詠んでほしい。好き放題に詠んでほしい。今度葉ね文庫さんに会ったらそのことを話そうと思う。思いつつ、まだ話せていない。
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◎ボーフラ文庫の打ち明け話
「私昨日変な夢見てさ」とボーフラ文庫の店主さんが言うのである。ボーフラ文庫常連の俺は「フンフン」と相槌を打って続きを促す。
「私がこのボーフラ文庫の常連のみんなとね、大きな屋敷借りて一緒に住んでるって夢なんよ。ルームシェアしてんの。怖い夢やと思わん?」
前歯をむいてニヒヒと笑う。この悪巧み的笑顔をするとやたら可愛い。「いい夢やないすか」「いや、こんな夢さ、まるで私コミュニティを欲しがってるみたいやんか! はー、気持ち悪い」
ボーフラ文庫の店主さんは昼間は別の仕事をしてて、大阪のテナントビルの一室を借りて、夜だけ此処で本屋をしてる。置いてる本は詩歌ものばっかりで、完全に道楽で本屋をしてる。
古本も置いてる。古本は、でも店主さんが面白いと思ったものを、無差別に棚に並べてる。ただし自己啓発本だけは絶対扱わないのだった。本は人生の役に立たないからだそうだ。
そんな店主さんにとっては、コミュニティ作りは気持ち悪く怖い夢なのだった。ニヒヒと笑うので、つられてフヒヒと愛想笑いをしてしまう。常連の俺としては、みんなで一緒に暮らしたいけどなあ、と迷わず思ったけどそんなこと言えるはずなくて、『俳句と超短編』を棚から取って、読んでるふりをする。
【海音寺ジョー】
kareido111@gmail.com
ツイッターアカウント
kaionjijoe@
kareido1111@
葉ね文庫さんのHP
http://hanebunko.com/
葉ね文庫さんのツイッターアカウント
@tobiyaman
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編集後記(02/27)
●齋藤元章「プレ・シンギュラリティ 人工知能とスパコンによる社会的特異点が迫る」を読んだ(2017/PHP研究所)。筆者は詐欺罪と法人税法違反で東京地検に起訴されている。筆者の開発したスーパーコンピュータは2016年6月期まで世界ランキングGreen500で史上初の3連覇を達成した。2018年にはエクサスケールのコンピュータが稼働する予定だったが、それも夢と消えるのか。
この本は、筆者が2014年末に出版した600ページに及ぶ大冊「エクサスケールの衝撃」の内容を約半分に凝縮した抜粋版である。当初、この大冊はありえない夢物語やトンデモ本として捉えられていた。しかし2年後の2016年末、この本に示された衝撃が、本当に訪れる可能性が出てきた、と力説するのだけど。
2005年にレイ・カーツワイルが「特異点は近い 人類が生命を超越するとき」で、シンギュラリティ(特異点):コンピュータ自身の知性か、それが作り出す新しい人工的知性が「人類全体の知性の総和」を大きく超越する世界、という概念を示した。その前にプレ・シンギュラリティが到来するというのが本書である。
プレ・シンギュラリティを我々人類がきちんと消化し、次世代に向けて昇華させた後に、本当のシンギュラリティを安全なかたちで迎えられる、という。我々人類は最初の衝撃であるプレ・シンギュラリティにしっかり備え、適切に対峙し、遅滞なく対処しなくてはならない。それは間違いなく急務であり、人類最優先課題である。許された時間はわずか5年か10年ほどしかない、という。
エクサスケール・コンピューティングによってもたらされるプレ・シンギュラリティの変革は、まずエネルギー問題の解決から始まる、と筆者は断言する。そして安全性が十分に担保された遺伝子編集技術と、高度に進化した生産・栽培・養殖・収穫技術によって食糧問題の解決と、自然環境の保全、そして極めて重要な生物多様性の維持にも大きく貢献することになる、という。
「衣・食・住に関する問題はそのすべてが解決され、生活必需品のすべては事実上無料で『フリー』と呼び得る状態での入手が可能となるのだ」「人類は生活のために働く必要性から、有史以来、初めて完全に解放される日を迎える」「プレ・シンギュラリティの変革において、我々は二つの“ふろう”、すなわち「不労」と「不老」を、なんとほぼ同時に手にすることになる」、という。
「簡単にまとめれば、ある時点で次々と起こるその変革の連鎖は、同時多発的に生じるようになり、やがて沸点とも呼べる相変換点に到達し、我々がこれまでの現世人類の25万年史と呼んできたものとは完全に異なる種類の時代と世界をつくりだす、ということになる」とはすごい話になってきた。ついて行けぬ。
2020年から2030年にかけて、膨大な研究開発の成果が生み出されるという。各種の発電効率の大幅な改善、様々な新しいエネルギー創出方法の確立、食料・衣料・住居が無料化、お金自体を不要とする社会、公平・公正・平等で安全な社会、老化を制御して不老の実現……むしろ、ディストピアだと思うがなあ。
唯一納得できたのは終章。何のしがらみもなく、新しい世界を創出するための要件を備えた唯一の国、それが日本だ。最後に太文字で「我々日本人こそが次世代スーパーコンピュータを開発し、新世界を創出しなくてはいけない」。そういうご本人が不名誉な事態に陥っている。もしかしたら国際的陰謀?(柴田)
(おまけ:平壌オリンピック←故意)雛壇のメダリストが一人づつしゃべる。みんなものすごくヘタだねえ。スポーツ馬鹿。まともなのは宇野昌磨だけだ。
齋藤元章「プレ・シンギュラリティ 人工知能とスパコンによる社会的特異点が迫る」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/456983244X/dgcrcom-22/
●すっかり忘れていた、トイレ高速点滅の続き。チェックして問題がなかったので、点滅をリセットしたいのだが、どうやったらいいのかわからない。公式サイトや取扱説明書PDFにはリセット方法なし。
検索すると動画が出てきた。動画コメント欄に別機種でもリセットできたとあって、真似してみたが高速点滅のまま。「出張見積もりだけで最低7千円ほどかかる」とも書かれてあった。続く。 (hammer.mule)
イナックス シャワートイレ サティスの電源点滅リセット方法