《何かしら当たりますように》
■装飾山イバラ道[246]
作品を仕上げるということ
武田瑛夢
■Scenes Around Me[51]
豪徳寺に移転したオブスキュア
関根正幸
■crossroads[65]
子ども向けIoTプログラミングデバイス「HaloCode」
若林健一
■装飾山イバラ道[246]
作品を仕上げるということ
武田瑛夢
■Scenes Around Me[51]
豪徳寺に移転したオブスキュア
関根正幸
■crossroads[65]
子ども向けIoTプログラミングデバイス「HaloCode」
若林健一
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■装飾山イバラ道[246]
作品を仕上げるということ
武田瑛夢
https://bn.dgcr.com/archives/20190604110300.html
───────────────────────────────────
絵やデザインを作成する時に、描きたいことへ向かうスピードは様々だと思う。自分の絵画作品なら、私は描きたいところをまず先に描くことが多い。しかし、デザイン案となると少し違う。
あらゆる可能性や、既存のものとかぶらないかのチェック、アタリマエからいかに離すかなどの、アイデアの回り道の時間がとても大切なのだ。
複数人の会議でのブレインストーミングをする場合は、次々にアイデアを出してはぶつけて、安易な案を捻り潰していくようなこともある。
自分が一人で絵に向かう時も、この時の経験のせいか、心の声があーでもないこーでもないと騒がしいことがある。もちろん描きたい気持ちが勝れば、何でも描いてみればいい。心の真ん中にすわる自分の意思が強ければ、雑音はいつかおさまる。
デザイン作業だと必要なあらゆる可能性の幅は、絵画作業だとなんだか邪魔に感じることもあるのだ。
●主観と客観のバランス
物事に取り組む時に必要とされるのは、結局は集中力だ。一つの作業を黙々と延々と、やり続けられることで完成スピードが上がり、手数が蓄積されていく。
しかし集中のあまり、周りが見えなくなり、全体観を失ってやりすぎてしまうこともある。時には離れて作品を見ることも大切だ。
ここでも何度も書いたと思うけれど、寝て起きて初めて作品を見る時の数十秒は、価値ある時間。自分が自分の描いているものを客観視できる、数少ないタイミングでもある。
良い感じに来ているのか、思ったほどでもないのかは見てすぐにわかり、チェックポイントをノートに書き留める。した方がいいこと、可能性を試したいことなどだ。
これはどんな仕事でも同じようなことがあると思う。人に意見を聞くのも大切だけれど、自分の中の他人を呼び起こして助けてもらえると便利だ。
では、どうやったら「自分の中の他人=客観的視点」を、いつでも簡単に呼び出せるのだろうか。
時には、遊んでいる最中に取り組んでいる題材の良いヒントを思いつくことがある。違うことをしている最中だからこそ、別の脳が働いていて、その脳の部分で作品や題材を見るような感じだ。
旅行から帰ってきた後で見るとか、別の仕事で頭をパンパンにした後で見るとか、脳の状態が違う時を利用するのもいい。
お酒を飲んだ時も違う視点で見えるけれど、ポジティブに見えるかネガティブに見えるかどちらに転ぶか分からないので、あまりお勧めできない。ネガティブに見えすぎるのは辛いからだ。
●一度別のものに置き換える
主観的な見方で、現状に執着している状態を切り離して考えるためには、一度「現状を明らか」にしておくのが大切だ。
作品を写真に撮ってプリントするとか、別の紙に再度スケッチしてみるとか。カラー作品なら、モノクロでプリントしてみるなどもいい。文章で表現してみるのも、おすすめだ。
色がきついとか、コントラストがないとか、パッと見て気がついたところをメモに書き出す。「全然ダメ」などのといった抽象的な評価の言葉は避けて、具体的な発見だけをどんどん書く。
「すごく鮮やか」など、ポジティブな発見は書いていいと思う。良くない個所ほど、具体的に「線が太すぎる」などと書くのだ。
この発見メモも、時間をおいて読むとまた違って感じられる。煮詰まってしまった頭には、他人の言葉よりもよく効くのは、自分の過去の言葉だったりする。
過去の発見メモの一言を読んで、なんだ最初からこれで良かったのかと、自分に助けてもらう。
WEBサイトに貼る小さい画像の「サムネイル」。これを作っている時に、「小さくすると○○に見えるんだな」と気がつくことがある。思いっきり小さくしたり、部分を拡大するのも、客観的に作品を見るチェックにとても良いと思う。
そして、これも何度か記事にしている、手鏡で作品を反転させてみる方法。私はデジタルアートなんだから、データでいくらでも鏡像反転できるのに、手鏡でのチェックを今でもしている。鏡の世界は独特で好きなのだ。
鏡の世界で見ると、パソコン画面の状態を丸ごとで反転しているので面白い。ふと、机の上がゴチャゴチャなのに気づいたりもする。
常に視界の中にあり続けることで消えてしまう「気にしなくて良いもの」を明らかにできるのが、鏡なのかもしれない。
会社員時代、トイレで手洗いをしていたら、鏡に映った同僚に声をかけられてビックリしたことがあった。一瞬「誰?」と思ってしまったのだ。鏡の中の見知らぬ人は、ついさっきまで話していた人と同じという不思議。経験ありませんか?
家でも洗面台で鏡越しに夫を見て、あれこんな顔だっけ? とプチ驚きが起こることも。夫のことは年中見ているのに、鏡に映るだけで特徴が露わになって驚いたのだ。
●吟味にかける時間
プリント、メモ、鏡、何度でも別の角度から見直すことで、ここをもっと素敵にできるという作品の声が聞こえてくる。
次はここで、そう来れば次はここ。テニスの選手のように作品作りにもゾーンに入るということはあると思う。短い時間の中で、画面の全てが見渡せていて、迷いなく手が進むような時。
これはいつでもそうなら苦労しない最高な感覚だ。しかし、いつもそうではないので、今回の記事があるのだ。
まったく違う遊びや文化から絵の世界に戻ってくること、そして結局は絵の中で解決すること。作品に戻って来さえすれば、遊びや気分転換で得たひらめきを無駄にすることはない。
●時間の限度
私は平和で幸せな時間が好きだ。しかし、花が枯れたり、物の色が褪せたり、壊れたりする現実を見ることで、時間の厳しさを知ることができる。
この世のどんなものもずっと同じに存在することはなく、変わりゆくものだ。心だって、生きつづければ、知らないことを知り、知っていたことを忘れる。
今の時間の中で変わりゆく自分が、変わりゆく途中の人々と交流しているのだ。自分を、どう楽しませて、どう人の役に立てるのか。活かせる素材はないのか、考える。
作品を作り終える時は、その一枚でやりたかったことが見えた時だ。見せたいと思う人がいる世界で、見せられる状態にすることが当たり前だけれど大切。時間は誰にでも価値があり、限度があるのだ。
この自分が今交流できる方々に何をしていけるのか、残り半分の2019年にしておきたいことを書き留めることにしよう。
【武田瑛夢/たけだえいむ】
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/
東京2020の観戦チケット申し込み、終えたけれどなんだか難しかった。あとは天に任せよう。何かしら当たりますように。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■Scenes Around Me[51]
豪徳寺に移転したオブスキュア
関根正幸
https://bn.dgcr.com/archives/20190604110200.html
───────────────────────────────────
東京大学駒場寮にあったオブスキュアギャラリーは、1998年10月に寮委員会によって強制的に寮を追い出されたのち、共同生活の場を探していましたが、世田谷区豪徳寺に建て替えのために一時貸している一軒家を見つけ、1998年12月に移り住みました。
オブスキュアが移転した先は小田急線と赤堤通りの間に挟まれた、世田谷線の西側にある閑静な住宅街にありました。
オブスキュアで共同生活を送っていたのは、コーキくん、安彦さん、イトヒサくん、ハッチさん、チュンジくんの5名でした。
ただし、彼らは駒場寮にいた時と同様に、頻繁にパーティーや打ち合わせを行い、多数の人間がオブスキュアに出入りしました。そのため、主に音の問題で、近隣とは上手く行かなかったように思います。
私は、最初、イトヒサくんの依頼でデスクトップPCの組み立てやメンテナンスを行うために、オブスキュアに通いました。後には、オブスキュアでアートブックの製作に関わるようになります。
当時、私がオブスキュアに入ろうとしていると分かると、近隣の家の住人は雨戸をこれ見よがしに閉めるなどして、オブスキュアを歓迎していない様子をあらわにしていました。
これに関して一つの出来事を覚えています。
ある時、ひさとし君がオブスキュアに車で遊びにきました。ひさとし君の車は背の高いバンでしたが、塗装を全部剥がし、表面を茶色に錆びさせていて、大変目立っていました。
ひさとし君は駐車違反を気にして、タイヤとアスファルトにチョークを引かれていないか、たびたび確認していたようです。
ところが、ひさとし君が帰ろうとした時、車は無くなっていました。車が盗難にあった可能性も考え、ひさとし君は警察署に電話で問い合わせました。
ひさとし君は、チョークが引かれていないのに車が移動される訳がないと主張し、コーキくんの車で警察署に出向くことになりました。
結局、警察署では、チョークを引かなくても車を牽引出来ると説明され、ひさとし君は納得して、料金を払ったようです。
しかし、コーキ君は当時、ドキュメンタリー映画「W/O」の編集をやっている最中で、作業を中断させられたこともあり、帰りは車を急発進させるなど、相当頭に来ていたようでした。
ひさとし君の車に関しては、近隣の誰かが通報したのだと思います。
今回は、1998年12月28日の引っ越し記念パーティー(?)と、その翌朝に撮影した写真を紹介します。
パーティーはイトヒサくんが連絡をくれたようです。この日はオブスキュアに泊まりました。
翌朝。チュンジ君がソファーで寝ています。
押入れの上段にギャラリーのイベントで使っていたプロジェクターが置いてあります。
オブスキュアは東大内の実験室が捨てたゴミを拾って、インテリアとして使用していました。
冷蔵庫
雨戸を閉めていたため、ガラスに映った自分を撮影しました。
【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://sekinema.com/photos
1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■crossroads[65]
子ども向けIoTプログラミングデバイス「HaloCode」
若林健一
https://bn.dgcr.com/archives/20190604110100.html
───────────────────────────────────
先日、友人が企画した「車いす運動会」という、車いすに乗って参加する運動会に参加しました。
車いすが必要な方とそうでない方が、一緒に競技できる運動会で、競技内容も分かりやすく、初めて車いすに乗った人でも無理なく参加できる運動会でした。
私は、初めて車いすに乗りましたが、意外と小回りがきき、まっすぐ進むのが難しい(両輪を均等に回せない)な、ということを体感しました。
車いすというと、体が不自由な方の使う乗り物というイメージがありますが、こういう機会があるとまた違って見えますね。本当に良い体験をさせていただきました。
■HaloCodeでIoTプログラミング
以前から気になっていた、Makeblock社のHaloCode(ハロコード)というプログラミング学習用デバイスが、日本でも購入できるようになったので、早速購入してみました。
https://www.makeblock.com/steam-kits/halocode
サイトの説明には、このようにあります。
「HaloCodeは誰もが簡単にAIやIoTアプリケーションを体験し、楽しく創造できる機会を提供できます。」
AIやIoTと言われてもくくりが大きすぎて、具体的にどんなことができるのか、どんなふうに作れるのかわからなかったのですが、実際に使ってみてわかりました。
これは、子ども達がIoTのI(インターネット側)とT(モノ側)の両方を作れ
るデバイスなのです。
さっそく専用のプログラミングツールmBlock5で、音声認識プログラムを作ってみました。
1. HaloCodeの電源を入れると、LEDが全部赤色になりWi-Fiへの接続を開始。
2. Wi-Fiに接続されるとLEDが消える。
3. LEDが消えてからHaloCodeの真ん中のボタンを押すと、LEDが緑になり音声認識を開始する。
4. ボタンを押してHaloCodeに向かって「英語」で話す。
5. 認識処理が終わるとLEDが消える。
6. 話した言葉を認識した、PCの画面上に表示する。
このプログラムをたった12行(mBlock5は、Scratchベースのプログラミングツールなので12個のブロック)で作ることができます。
これは、単に人間が話した結果を表示するだけの「おうむ返し」プログラムですが、行われていることはAmazon EchoやGoogle Homeとほぼ同じです。
たとえば、ステップ6の処理で認識した言葉を表示するだけではなく、認識結果に応じた答えを返すようにすると、自動応答システムになります。
自分のPCと自分のHaloCodeの間だけという保護された環境ですので、プログラミングする上でセキュリティのことを考える必要はありません。
ビジュアルプログラミングツールで作れる、セキュリティ上の心配がいらない、これが子どもたちでもIoTの仕組みを作ることができる理由です。
さらに、ビジュアルプログラミングツールで作ったプログラムを、Python言語に変換できます。
さきほどのプログラムをPython言語に変換した結果はこちら。
# generated by mBlock5 for HaloCode
# codes make you happy
import event, halo
halo.speech_recognition.set_recognition_url(halo.speech_recognition.SERVER_MICROSOFT, "{NAVIGATEURL}")
halo.speech_recognition.set_token(halo.speech_recognition.SERVER_MICROSOFT, "{ACCESSTOKEN}")
halo.cloud_message.start('{TOPIC}')
@event.start
def on_start():
halo.led.show_all(255, 0, 0)
halo.wifi.start(ssid = 'ssid', password = 'password', mode = halo.wifi.WLAN_MODE_STA)
while not halo.wifi.is_connected():
pass
halo.led.show_all(0, 0, 0)
@event.button_pressed
def on_button_pressed():
halo.led.show_all(0, 255, 0)
halo.speech_recognition.start(halo.speech_recognition.SERVER_MICROSOFT, halo.speech_recognition.LAN_ENGLISH, 2)
halo.led.show_all(0, 0, 0)
halo.cloud_message.broadcast('word', halo.speech_recognition.get_result_code())
いきなりPythonで作るのは難しいかもしれませんが、ブロックで作ったプログラムをPythonで作るとどうなるかが見られる、というのはいいですね。
プログラミング初学者が取り組むなら、Scratch、Python、Node-REDがいいというのが私の持論なので、これは理想に近いプログラミングツールです。
しかも、mBotやCodey Rockyなど、Makeblock社が開発・販売している他の製品と連携するプログラムも作ることができるんです。
つまり、HaloCodeを信号機に見立て、mBotを自動運転車に見立てて、自動車と信号機が連携して実現する未来の交通システムを作ったり、HaloCodeを音声認識装置に見立てて、音声で制御する自動車をじっさいに作って動かすことができます。
ここまでできる環境が揃っていれば、あとはどんなことを実現するかのアイデアだけ。子どもたちはたくさんのアイデアを持っていますから、こんなことができると分かれば大人が思いつかないような(たまにとんでもないものもありますが)ものが出てくることは間違いありません。
いやー、子どもたちがこんなものを作れる環境が整ったとは、本当にすごい時代になったものです。
製品そのものは、ESP32という汎用のマイコンをコアに使った、どこでも開発できるようなものですが、プログラミングツールと合わせたMakeblock社のパッケージングのうまさはずば抜けています。
子ども向けではありますが、大人でも十分楽しめますし、価格も2,500円程度と手ごろなので、ぜひ大人のみなさんにも試してみていただきたいし、お子さんがいらしゃったら、一緒に何かを作るのも楽しいと思います。
自分も色々作ってみて、子どもたちにその可能性を伝えていこうと思います。
【若林健一 / kwaka1208】
https://croads.jp/aboutme/
子供のためのプログラミングコミュニティ「CoderDojo」
https://croads.jp/CoderDojo/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
編集後記(06/04)
●偏屈BOOK案内:「中国・韓国に二度と謝らないための近現代史」その2
この本を改めて読んだら、とても興味深い話がぞろぞろ出てきた。12年前のわたしはどこを読んでいたんだ。戦後は左翼、リベラル、コミュニストが蔓延ってきた。朝日や岩波などに論陣を張ってきた学者、評論家、ジャーナリストなどの手によって、洗脳が延々と続けられてきた。わたしもされる側にいたが、一時期は漫画しか読まないバカだったのが幸いして、染まらずに済んだ。
渡部昇一はそんな洗脳がなぜ延々と続くのか、不思議に思った時期があるという。そして、あることに思いあたった。それを「井伏鱒二現象」と名付けた。猪瀬直樹が著書「ピカレスク」で、「井伏鱒二の主要作品は剽窃である」と暴露したのがきっかけである。この大発見に、マスコミは上を下への大騒ぎになるだろうと見ていたが、テレビも新聞も文芸雑誌も、どこも全く報道しない。
文献学者の谷沢永一が猪瀬の書いたことをことごとく追跡調査すると、すべて真実であった。井伏の代表作「黒い雨」は、広島の原爆被害者・重松静馬のノートを90%以上丸写しにしたもので、ノート返却要求に応ぜず、結局は井伏の家族が120万円支払って手を打った。この作品はテレビ化、映画化されて億単位の収入があったらしい。「山椒魚」はロシア作家の作品が下敷きだった。
「ジョン万次郎漂流記」は石井研堂の「中浜万次郎」を引き写したので、史実の間違いもそっくり同じだった。有名な「サヨナラダケガ人生ダ」という漢詩の訳詩も、すでに江戸時代の漢詩の訳詩集にあったことが判明した。なんと井伏の作品の多くは、先行するものの盗用だった。そのことを谷沢が論文化した。
この注目すべき論文は、しかしながら、どこの出版社の雑誌でも掲載を断られた。結局、文学とは縁の薄いPHP研究所の「Voice」誌に掲載された。「そのとき初めて私は、戦前の日本を憎み、革命に憧れ、中国や北朝鮮を擁護する『東京裁判史観』がなぜ払拭されないのか、その秘密がわかったと思いました」。
井伏は直木賞、読売文学賞、日本芸術院賞、野間文芸賞、文化勲章、東京都名誉都民など数多くの賞を受けている。賞を与える側の賛辞などは活字に残っている。それが剽窃、盗作であると知れたなら、彼らのメンツは丸つぶれだ。剽窃を暴かれては困る井伏と利害(利得)の一致した人が、当時の日本の文学界を支配していることになる。「東京裁判史観(敗戦利得者史観)」と同じだ。
「いまなお戦前の悪口を言い続ける人たちが絶えないのは、彼らが敗戦によって得をしたからである。だから、自分たちの利得を守るために戦前の日本を悪しざまに罵っているのです」。戦前「アカ」と疑われて大学を追放された人たちが、戦後アカデミズムに戻って、大学の世界では位人臣を極めた。そういう人たちを復帰させ、日本の「赤化」に奔走させたのはGHQ内の左翼だった。
筆者はなぜ赤化しなかったのか。恩師達が「敗戦利得者」ではなかったからだ。いわゆる正論を述べた人たち(左翼言論横行のころも当たり前の意見を述べた人たち)の多くが外国文学の出身者であったことも関係がある。筆者も佐伯彰一も英文科、小堀桂一郎と西尾幹二は独文科、その先生方が左翼と無関係だったので、戦前の日本を普通の目で見ることができたのであった。(柴田)
中国・韓国に二度と謝らないための近現代史 「敗戦利得者史観」を排す!
渡部昇一 徳間書店 2007
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/419862321X/dgcrcom-22/
●ええっ、井伏鱒二が?!
/QRコード決済の続き。とはいえ、友人・家族・親戚には無理に勧めない。こういうサービスがあるよと伝える程度。勧めて何かあったら困る。あくまで自己責任だもん。
理由は、個人情報云々以外に、「トラブルの対処方法を知っておかないといけない」「使える場所が限られている、まだ少ない」「現金より不便なところがある」「災害時に使えない」。
キャッシュレスのリスク自体は、交通系ICカードやクレジットカード、デビットカードと似たようなもの。クレジットカードは保険がつく分リスクは少ない。
けれどコード決済の場合は、スマホの充電が切れて困ったとか、スマホを落としたけれどロック設定してなかったとか、口座残高不足でチャージできずにエラー出たとか、アプリのアップデートしていなくてエラーになったとか、決済サーバやレジ回線トラブルで使えないとか、引き落とし口座や引き落とし設定したカード関係のトラブルとか、現金じゃないと買えない商品があるとか、こちらが当然と思って想定・対処していることを、便利だと教わったけど不便じゃないか、知らなかったのにと怒られそうで。続く。(hammer.mule)
■装飾山イバラ道[246]
作品を仕上げるということ
武田瑛夢
https://bn.dgcr.com/archives/20190604110300.html
───────────────────────────────────
絵やデザインを作成する時に、描きたいことへ向かうスピードは様々だと思う。自分の絵画作品なら、私は描きたいところをまず先に描くことが多い。しかし、デザイン案となると少し違う。
あらゆる可能性や、既存のものとかぶらないかのチェック、アタリマエからいかに離すかなどの、アイデアの回り道の時間がとても大切なのだ。
複数人の会議でのブレインストーミングをする場合は、次々にアイデアを出してはぶつけて、安易な案を捻り潰していくようなこともある。
自分が一人で絵に向かう時も、この時の経験のせいか、心の声があーでもないこーでもないと騒がしいことがある。もちろん描きたい気持ちが勝れば、何でも描いてみればいい。心の真ん中にすわる自分の意思が強ければ、雑音はいつかおさまる。
デザイン作業だと必要なあらゆる可能性の幅は、絵画作業だとなんだか邪魔に感じることもあるのだ。
●主観と客観のバランス
物事に取り組む時に必要とされるのは、結局は集中力だ。一つの作業を黙々と延々と、やり続けられることで完成スピードが上がり、手数が蓄積されていく。
しかし集中のあまり、周りが見えなくなり、全体観を失ってやりすぎてしまうこともある。時には離れて作品を見ることも大切だ。
ここでも何度も書いたと思うけれど、寝て起きて初めて作品を見る時の数十秒は、価値ある時間。自分が自分の描いているものを客観視できる、数少ないタイミングでもある。
良い感じに来ているのか、思ったほどでもないのかは見てすぐにわかり、チェックポイントをノートに書き留める。した方がいいこと、可能性を試したいことなどだ。
これはどんな仕事でも同じようなことがあると思う。人に意見を聞くのも大切だけれど、自分の中の他人を呼び起こして助けてもらえると便利だ。
では、どうやったら「自分の中の他人=客観的視点」を、いつでも簡単に呼び出せるのだろうか。
時には、遊んでいる最中に取り組んでいる題材の良いヒントを思いつくことがある。違うことをしている最中だからこそ、別の脳が働いていて、その脳の部分で作品や題材を見るような感じだ。
旅行から帰ってきた後で見るとか、別の仕事で頭をパンパンにした後で見るとか、脳の状態が違う時を利用するのもいい。
お酒を飲んだ時も違う視点で見えるけれど、ポジティブに見えるかネガティブに見えるかどちらに転ぶか分からないので、あまりお勧めできない。ネガティブに見えすぎるのは辛いからだ。
●一度別のものに置き換える
主観的な見方で、現状に執着している状態を切り離して考えるためには、一度「現状を明らか」にしておくのが大切だ。
作品を写真に撮ってプリントするとか、別の紙に再度スケッチしてみるとか。カラー作品なら、モノクロでプリントしてみるなどもいい。文章で表現してみるのも、おすすめだ。
色がきついとか、コントラストがないとか、パッと見て気がついたところをメモに書き出す。「全然ダメ」などのといった抽象的な評価の言葉は避けて、具体的な発見だけをどんどん書く。
「すごく鮮やか」など、ポジティブな発見は書いていいと思う。良くない個所ほど、具体的に「線が太すぎる」などと書くのだ。
この発見メモも、時間をおいて読むとまた違って感じられる。煮詰まってしまった頭には、他人の言葉よりもよく効くのは、自分の過去の言葉だったりする。
過去の発見メモの一言を読んで、なんだ最初からこれで良かったのかと、自分に助けてもらう。
WEBサイトに貼る小さい画像の「サムネイル」。これを作っている時に、「小さくすると○○に見えるんだな」と気がつくことがある。思いっきり小さくしたり、部分を拡大するのも、客観的に作品を見るチェックにとても良いと思う。
そして、これも何度か記事にしている、手鏡で作品を反転させてみる方法。私はデジタルアートなんだから、データでいくらでも鏡像反転できるのに、手鏡でのチェックを今でもしている。鏡の世界は独特で好きなのだ。
鏡の世界で見ると、パソコン画面の状態を丸ごとで反転しているので面白い。ふと、机の上がゴチャゴチャなのに気づいたりもする。
常に視界の中にあり続けることで消えてしまう「気にしなくて良いもの」を明らかにできるのが、鏡なのかもしれない。
会社員時代、トイレで手洗いをしていたら、鏡に映った同僚に声をかけられてビックリしたことがあった。一瞬「誰?」と思ってしまったのだ。鏡の中の見知らぬ人は、ついさっきまで話していた人と同じという不思議。経験ありませんか?
家でも洗面台で鏡越しに夫を見て、あれこんな顔だっけ? とプチ驚きが起こることも。夫のことは年中見ているのに、鏡に映るだけで特徴が露わになって驚いたのだ。
●吟味にかける時間
プリント、メモ、鏡、何度でも別の角度から見直すことで、ここをもっと素敵にできるという作品の声が聞こえてくる。
次はここで、そう来れば次はここ。テニスの選手のように作品作りにもゾーンに入るということはあると思う。短い時間の中で、画面の全てが見渡せていて、迷いなく手が進むような時。
これはいつでもそうなら苦労しない最高な感覚だ。しかし、いつもそうではないので、今回の記事があるのだ。
まったく違う遊びや文化から絵の世界に戻ってくること、そして結局は絵の中で解決すること。作品に戻って来さえすれば、遊びや気分転換で得たひらめきを無駄にすることはない。
●時間の限度
私は平和で幸せな時間が好きだ。しかし、花が枯れたり、物の色が褪せたり、壊れたりする現実を見ることで、時間の厳しさを知ることができる。
この世のどんなものもずっと同じに存在することはなく、変わりゆくものだ。心だって、生きつづければ、知らないことを知り、知っていたことを忘れる。
今の時間の中で変わりゆく自分が、変わりゆく途中の人々と交流しているのだ。自分を、どう楽しませて、どう人の役に立てるのか。活かせる素材はないのか、考える。
作品を作り終える時は、その一枚でやりたかったことが見えた時だ。見せたいと思う人がいる世界で、見せられる状態にすることが当たり前だけれど大切。時間は誰にでも価値があり、限度があるのだ。
この自分が今交流できる方々に何をしていけるのか、残り半分の2019年にしておきたいことを書き留めることにしよう。
【武田瑛夢/たけだえいむ】
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/
東京2020の観戦チケット申し込み、終えたけれどなんだか難しかった。あとは天に任せよう。何かしら当たりますように。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■Scenes Around Me[51]
豪徳寺に移転したオブスキュア
関根正幸
https://bn.dgcr.com/archives/20190604110200.html
───────────────────────────────────
東京大学駒場寮にあったオブスキュアギャラリーは、1998年10月に寮委員会によって強制的に寮を追い出されたのち、共同生活の場を探していましたが、世田谷区豪徳寺に建て替えのために一時貸している一軒家を見つけ、1998年12月に移り住みました。
オブスキュアが移転した先は小田急線と赤堤通りの間に挟まれた、世田谷線の西側にある閑静な住宅街にありました。
オブスキュアで共同生活を送っていたのは、コーキくん、安彦さん、イトヒサくん、ハッチさん、チュンジくんの5名でした。
ただし、彼らは駒場寮にいた時と同様に、頻繁にパーティーや打ち合わせを行い、多数の人間がオブスキュアに出入りしました。そのため、主に音の問題で、近隣とは上手く行かなかったように思います。
私は、最初、イトヒサくんの依頼でデスクトップPCの組み立てやメンテナンスを行うために、オブスキュアに通いました。後には、オブスキュアでアートブックの製作に関わるようになります。
当時、私がオブスキュアに入ろうとしていると分かると、近隣の家の住人は雨戸をこれ見よがしに閉めるなどして、オブスキュアを歓迎していない様子をあらわにしていました。
これに関して一つの出来事を覚えています。
ある時、ひさとし君がオブスキュアに車で遊びにきました。ひさとし君の車は背の高いバンでしたが、塗装を全部剥がし、表面を茶色に錆びさせていて、大変目立っていました。
ひさとし君は駐車違反を気にして、タイヤとアスファルトにチョークを引かれていないか、たびたび確認していたようです。
ところが、ひさとし君が帰ろうとした時、車は無くなっていました。車が盗難にあった可能性も考え、ひさとし君は警察署に電話で問い合わせました。
ひさとし君は、チョークが引かれていないのに車が移動される訳がないと主張し、コーキくんの車で警察署に出向くことになりました。
結局、警察署では、チョークを引かなくても車を牽引出来ると説明され、ひさとし君は納得して、料金を払ったようです。
しかし、コーキ君は当時、ドキュメンタリー映画「W/O」の編集をやっている最中で、作業を中断させられたこともあり、帰りは車を急発進させるなど、相当頭に来ていたようでした。
ひさとし君の車に関しては、近隣の誰かが通報したのだと思います。
今回は、1998年12月28日の引っ越し記念パーティー(?)と、その翌朝に撮影した写真を紹介します。
パーティーはイトヒサくんが連絡をくれたようです。この日はオブスキュアに泊まりました。
翌朝。チュンジ君がソファーで寝ています。
押入れの上段にギャラリーのイベントで使っていたプロジェクターが置いてあります。
オブスキュアは東大内の実験室が捨てたゴミを拾って、インテリアとして使用していました。
冷蔵庫
雨戸を閉めていたため、ガラスに映った自分を撮影しました。
【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://sekinema.com/photos
1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■crossroads[65]
子ども向けIoTプログラミングデバイス「HaloCode」
若林健一
https://bn.dgcr.com/archives/20190604110100.html
───────────────────────────────────
先日、友人が企画した「車いす運動会」という、車いすに乗って参加する運動会に参加しました。
車いすが必要な方とそうでない方が、一緒に競技できる運動会で、競技内容も分かりやすく、初めて車いすに乗った人でも無理なく参加できる運動会でした。
私は、初めて車いすに乗りましたが、意外と小回りがきき、まっすぐ進むのが難しい(両輪を均等に回せない)な、ということを体感しました。
車いすというと、体が不自由な方の使う乗り物というイメージがありますが、こういう機会があるとまた違って見えますね。本当に良い体験をさせていただきました。
■HaloCodeでIoTプログラミング
以前から気になっていた、Makeblock社のHaloCode(ハロコード)というプログラミング学習用デバイスが、日本でも購入できるようになったので、早速購入してみました。
https://www.makeblock.com/steam-kits/halocode
サイトの説明には、このようにあります。
「HaloCodeは誰もが簡単にAIやIoTアプリケーションを体験し、楽しく創造できる機会を提供できます。」
AIやIoTと言われてもくくりが大きすぎて、具体的にどんなことができるのか、どんなふうに作れるのかわからなかったのですが、実際に使ってみてわかりました。
これは、子ども達がIoTのI(インターネット側)とT(モノ側)の両方を作れ
るデバイスなのです。
さっそく専用のプログラミングツールmBlock5で、音声認識プログラムを作ってみました。
1. HaloCodeの電源を入れると、LEDが全部赤色になりWi-Fiへの接続を開始。
2. Wi-Fiに接続されるとLEDが消える。
3. LEDが消えてからHaloCodeの真ん中のボタンを押すと、LEDが緑になり音声認識を開始する。
4. ボタンを押してHaloCodeに向かって「英語」で話す。
5. 認識処理が終わるとLEDが消える。
6. 話した言葉を認識した、PCの画面上に表示する。
このプログラムをたった12行(mBlock5は、Scratchベースのプログラミングツールなので12個のブロック)で作ることができます。
これは、単に人間が話した結果を表示するだけの「おうむ返し」プログラムですが、行われていることはAmazon EchoやGoogle Homeとほぼ同じです。
たとえば、ステップ6の処理で認識した言葉を表示するだけではなく、認識結果に応じた答えを返すようにすると、自動応答システムになります。
自分のPCと自分のHaloCodeの間だけという保護された環境ですので、プログラミングする上でセキュリティのことを考える必要はありません。
ビジュアルプログラミングツールで作れる、セキュリティ上の心配がいらない、これが子どもたちでもIoTの仕組みを作ることができる理由です。
さらに、ビジュアルプログラミングツールで作ったプログラムを、Python言語に変換できます。
さきほどのプログラムをPython言語に変換した結果はこちら。
# generated by mBlock5 for HaloCode
# codes make you happy
import event, halo
halo.speech_recognition.set_recognition_url(halo.speech_recognition.SERVER_MICROSOFT, "{NAVIGATEURL}")
halo.speech_recognition.set_token(halo.speech_recognition.SERVER_MICROSOFT, "{ACCESSTOKEN}")
halo.cloud_message.start('{TOPIC}')
@event.start
def on_start():
halo.led.show_all(255, 0, 0)
halo.wifi.start(ssid = 'ssid', password = 'password', mode = halo.wifi.WLAN_MODE_STA)
while not halo.wifi.is_connected():
pass
halo.led.show_all(0, 0, 0)
@event.button_pressed
def on_button_pressed():
halo.led.show_all(0, 255, 0)
halo.speech_recognition.start(halo.speech_recognition.SERVER_MICROSOFT, halo.speech_recognition.LAN_ENGLISH, 2)
halo.led.show_all(0, 0, 0)
halo.cloud_message.broadcast('word', halo.speech_recognition.get_result_code())
いきなりPythonで作るのは難しいかもしれませんが、ブロックで作ったプログラムをPythonで作るとどうなるかが見られる、というのはいいですね。
プログラミング初学者が取り組むなら、Scratch、Python、Node-REDがいいというのが私の持論なので、これは理想に近いプログラミングツールです。
しかも、mBotやCodey Rockyなど、Makeblock社が開発・販売している他の製品と連携するプログラムも作ることができるんです。
つまり、HaloCodeを信号機に見立て、mBotを自動運転車に見立てて、自動車と信号機が連携して実現する未来の交通システムを作ったり、HaloCodeを音声認識装置に見立てて、音声で制御する自動車をじっさいに作って動かすことができます。
ここまでできる環境が揃っていれば、あとはどんなことを実現するかのアイデアだけ。子どもたちはたくさんのアイデアを持っていますから、こんなことができると分かれば大人が思いつかないような(たまにとんでもないものもありますが)ものが出てくることは間違いありません。
いやー、子どもたちがこんなものを作れる環境が整ったとは、本当にすごい時代になったものです。
製品そのものは、ESP32という汎用のマイコンをコアに使った、どこでも開発できるようなものですが、プログラミングツールと合わせたMakeblock社のパッケージングのうまさはずば抜けています。
子ども向けではありますが、大人でも十分楽しめますし、価格も2,500円程度と手ごろなので、ぜひ大人のみなさんにも試してみていただきたいし、お子さんがいらしゃったら、一緒に何かを作るのも楽しいと思います。
自分も色々作ってみて、子どもたちにその可能性を伝えていこうと思います。
【若林健一 / kwaka1208】
https://croads.jp/aboutme/
子供のためのプログラミングコミュニティ「CoderDojo」
https://croads.jp/CoderDojo/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
編集後記(06/04)
●偏屈BOOK案内:「中国・韓国に二度と謝らないための近現代史」その2
この本を改めて読んだら、とても興味深い話がぞろぞろ出てきた。12年前のわたしはどこを読んでいたんだ。戦後は左翼、リベラル、コミュニストが蔓延ってきた。朝日や岩波などに論陣を張ってきた学者、評論家、ジャーナリストなどの手によって、洗脳が延々と続けられてきた。わたしもされる側にいたが、一時期は漫画しか読まないバカだったのが幸いして、染まらずに済んだ。
渡部昇一はそんな洗脳がなぜ延々と続くのか、不思議に思った時期があるという。そして、あることに思いあたった。それを「井伏鱒二現象」と名付けた。猪瀬直樹が著書「ピカレスク」で、「井伏鱒二の主要作品は剽窃である」と暴露したのがきっかけである。この大発見に、マスコミは上を下への大騒ぎになるだろうと見ていたが、テレビも新聞も文芸雑誌も、どこも全く報道しない。
文献学者の谷沢永一が猪瀬の書いたことをことごとく追跡調査すると、すべて真実であった。井伏の代表作「黒い雨」は、広島の原爆被害者・重松静馬のノートを90%以上丸写しにしたもので、ノート返却要求に応ぜず、結局は井伏の家族が120万円支払って手を打った。この作品はテレビ化、映画化されて億単位の収入があったらしい。「山椒魚」はロシア作家の作品が下敷きだった。
「ジョン万次郎漂流記」は石井研堂の「中浜万次郎」を引き写したので、史実の間違いもそっくり同じだった。有名な「サヨナラダケガ人生ダ」という漢詩の訳詩も、すでに江戸時代の漢詩の訳詩集にあったことが判明した。なんと井伏の作品の多くは、先行するものの盗用だった。そのことを谷沢が論文化した。
この注目すべき論文は、しかしながら、どこの出版社の雑誌でも掲載を断られた。結局、文学とは縁の薄いPHP研究所の「Voice」誌に掲載された。「そのとき初めて私は、戦前の日本を憎み、革命に憧れ、中国や北朝鮮を擁護する『東京裁判史観』がなぜ払拭されないのか、その秘密がわかったと思いました」。
井伏は直木賞、読売文学賞、日本芸術院賞、野間文芸賞、文化勲章、東京都名誉都民など数多くの賞を受けている。賞を与える側の賛辞などは活字に残っている。それが剽窃、盗作であると知れたなら、彼らのメンツは丸つぶれだ。剽窃を暴かれては困る井伏と利害(利得)の一致した人が、当時の日本の文学界を支配していることになる。「東京裁判史観(敗戦利得者史観)」と同じだ。
「いまなお戦前の悪口を言い続ける人たちが絶えないのは、彼らが敗戦によって得をしたからである。だから、自分たちの利得を守るために戦前の日本を悪しざまに罵っているのです」。戦前「アカ」と疑われて大学を追放された人たちが、戦後アカデミズムに戻って、大学の世界では位人臣を極めた。そういう人たちを復帰させ、日本の「赤化」に奔走させたのはGHQ内の左翼だった。
筆者はなぜ赤化しなかったのか。恩師達が「敗戦利得者」ではなかったからだ。いわゆる正論を述べた人たち(左翼言論横行のころも当たり前の意見を述べた人たち)の多くが外国文学の出身者であったことも関係がある。筆者も佐伯彰一も英文科、小堀桂一郎と西尾幹二は独文科、その先生方が左翼と無関係だったので、戦前の日本を普通の目で見ることができたのであった。(柴田)
中国・韓国に二度と謝らないための近現代史 「敗戦利得者史観」を排す!
渡部昇一 徳間書店 2007
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/419862321X/dgcrcom-22/
●ええっ、井伏鱒二が?!
/QRコード決済の続き。とはいえ、友人・家族・親戚には無理に勧めない。こういうサービスがあるよと伝える程度。勧めて何かあったら困る。あくまで自己責任だもん。
理由は、個人情報云々以外に、「トラブルの対処方法を知っておかないといけない」「使える場所が限られている、まだ少ない」「現金より不便なところがある」「災害時に使えない」。
キャッシュレスのリスク自体は、交通系ICカードやクレジットカード、デビットカードと似たようなもの。クレジットカードは保険がつく分リスクは少ない。
けれどコード決済の場合は、スマホの充電が切れて困ったとか、スマホを落としたけれどロック設定してなかったとか、口座残高不足でチャージできずにエラー出たとか、アプリのアップデートしていなくてエラーになったとか、決済サーバやレジ回線トラブルで使えないとか、引き落とし口座や引き落とし設定したカード関係のトラブルとか、現金じゃないと買えない商品があるとか、こちらが当然と思って想定・対処していることを、便利だと教わったけど不便じゃないか、知らなかったのにと怒られそうで。続く。(hammer.mule)