東京大学駒場寮にあったオブスキュアギャラリーは、1998年10月に寮委員会によって強制的に寮を追い出されたのち、共同生活の場を探していましたが、世田谷区豪徳寺に建て替えのために一時貸している一軒家を見つけ、1998年12月に移り住みました。
オブスキュアが移転した先は小田急線と赤堤通りの間に挟まれた、世田谷線の西側にある閑静な住宅街にありました。
オブスキュアで共同生活を送っていたのは、コーキくん、安彦さん、イトヒサくん、ハッチさん、チュンジくんの5名でした。
ただし、彼らは駒場寮にいた時と同様に、頻繁にパーティーや打ち合わせを行い、多数の人間がオブスキュアに出入りしました。そのため、主に音の問題で、近隣とは上手く行かなかったように思います。
私は、最初、イトヒサくんの依頼でデスクトップPCの組み立てやメンテナンスを行うために、オブスキュアに通いました。後には、オブスキュアでアートブックの製作に関わるようになります。
当時、私がオブスキュアに入ろうとしていると分かると、近隣の家の住人は雨戸をこれ見よがしに閉めるなどして、オブスキュアを歓迎していない様子をあらわにしていました。
これに関して一つの出来事を覚えています。
ある時、ひさとし君がオブスキュアに車で遊びにきました。ひさとし君の車は背の高いバンでしたが、塗装を全部剥がし、表面を茶色に錆びさせていて、大変目立っていました。
ひさとし君は駐車違反を気にして、タイヤとアスファルトにチョークを引かれていないか、たびたび確認していたようです。
ところが、ひさとし君が帰ろうとした時、車は無くなっていました。車が盗難にあった可能性も考え、ひさとし君は警察署に電話で問い合わせました。
ひさとし君は、チョークが引かれていないのに車が移動される訳がないと主張し、コーキくんの車で警察署に出向くことになりました。
結局、警察署では、チョークを引かなくても車を牽引出来ると説明され、ひさとし君は納得して、料金を払ったようです。
しかし、コーキ君は当時、ドキュメンタリー映画「W/O」の編集をやっている最中で、作業を中断させられたこともあり、帰りは車を急発進させるなど、相当頭に来ていたようでした。
ひさとし君の車に関しては、近隣の誰かが通報したのだと思います。
今回は、1998年12月28日の引っ越し記念パーティー(?)と、その翌朝に撮影した写真を紹介します。
パーティーはイトヒサくんが連絡をくれたようです。この日はオブスキュアに泊まりました。
翌朝。チュンジ君がソファーで寝ています。
押入れの上段にギャラリーのイベントで使っていたプロジェクターが置いてあります。
オブスキュアは東大内の実験室が捨てたゴミを拾って、インテリアとして使用していました。
冷蔵庫
雨戸を閉めていたため、ガラスに映った自分を撮影しました。
【せきね・まさゆき】
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1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔