《目と手が直結している》
■はぐれDEATH[87]
その「得体の知れないもの」を絵にしろと言われて〈外伝〉
藤原ヨウコウ
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■はぐれDEATH[87]
その「得体の知れないもの」を絵にしろと言われて〈外伝〉
藤原ヨウコウ
https://bn.dgcr.com/archives/20191025110100.html
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ボクの絵に関することは、以前にも何回かそれなりに書いているが、はっきり言ってどうでもいいを通り越して、「よくこんだけ支離滅裂なことを」というようなゴミ同然のことしか書いていない。意図してそうしたのも事実だが、今回は少し深刻に行こうと思う。
創作もどきで神経に深刻なダメージをこうむって、過去の記憶が断片的に復活した。特に幼少期の記憶が多い。
とは言え「いつから絵を描いていたのか?」に関して、はさっぱり分からない。まぁ、絵の描き始めなど大抵記憶も怪しげな時だろうし、おねえちゃんも一緒で、それが普通だと思う(そうかなぁ???)。
描く道具を与えれば誰でも大抵一度は描くだろうし、描くことが楽しいと感じれば飽きるか、疲れ果てるか、誰かに止められるまでひたすら描き続けるだろう。そういう意味では、ボクは幼児期からまったく変わっていないコトになるのだが、そんなことはどうでもよろしい。ボクが一番よく分かってる。
「意識して描く」というやつですら、ボクは相当怪しい。前にも書いたが「人に見られること」を前提に、幼少期はおろか義務教育時代に至っても、そんな風に絵を描いた記憶がほとんどないからだ。別の意味でヤバいのだが、実際どう見られようと気にならなかったし、そんなことはどうでもよかった。
「好きに描く」というのも、実をいうとよく分かっていなかった。それは今もなのだが、「これを描きたい」という欲求そのものが稀薄なのは確かだろう。とにかく、何かを描いていればそれで満足していたのだ。
描く動機すら「何となく」が一番しっくり来るのだ。やることがなくて、何となく手近にあるものに手を出したら、それが絵だったり本だったりというだけの話。積み木とかブロックもあったか。でも後片付けが面倒臭いので、やっぱり絵か本になってたような気がする。
幼少期ならまだいいのだが、義務教育時代までこの状態が残るとなると、もうそうとう特殊な例にしかならない。明らかにおかしいのだ。
正確には50過ぎても変わらない(もっとタチが悪い)。
そのくせ授業で描かされる絵は、徹底的に嫌がっていたのも事実だ。とにかく、興が乗らなければ恐ろしく適当な絵でお茶を濁していた。そのくせ、興が乗るとしつこいぐらい描く。
あまりに露骨すぎるこの態度が表面化し(既に小学校入学時に問題視はされていた)、イイ意味で先生が心配して下さり、親が学校に呼び出されたのは(こればっかりだな)中学の時だ。「月間課題」というのが中学の美術の授業であり、毎月お題に沿った絵を提出するのだが、ボクはこれを徹底的に拒否した。
本来この課題は「美術に苦手意識をもつ学生」のための、救済措置的な機能の方がが大きかった。「なんでもいいから描いてくれれば及第点はあげるよ」という側面が強かったのだ。
それでもサボるヤツはサボる。サボるで止まればまだマシで、ボクのようにあからさまに拒否するとなると、話はややこしくなる。中には「自由課題」というのも一学期に一回は必ずあったのだが、これもその時の気分で描いたり描かなかったり、とにかく気分屋丸出しで三年間通した。
もちろん、理性的な判断ではない。ただ「イヤ」という、それこそ幼児感情丸出しの態度である。「中学生にもなってこの態度はどうよ」という自覚は当時からあったし、それは今もそうである。
幸い、おねえちゃんはこの手のトラブルを起こしたことはないが(こっそり手を抜くという、高度なインチキをしている可能性をボクは排除しない)、もしおねえちゃんが同じコトをしでかしても、ボクは怒ったり、なだめたりすることはしなかっただろう。ボクの家の異常さについては、散々書いているのでどんどん飛ばす。
むしろ応援する側にまわって、奧さんと先生を更に困らせる、という厄介な役すら演じかねない。ボクのお袋がやったのと同じコトをするだけの話だ。呼び出されたお袋はいつも通り「ああいう子なので、先生の判断できちんと落第点をつけて結構です。そのことだけは伝えます」で終わらせて帰ってきた。
なんらかの妥協点があったと思うのだが、この点に関しては未だに記憶が甦らない。ただここまで課題をしなかったのに、10段階評価で4〜6を三年間キープしていたので、先生の方で相当気を使って下さったとしか思えない。
1でも不思議じゃないんですよ。それぐらいこの課題の絵は描かなかった。何で点数取ってたんだろう??? 記述式のテストなんて勉強すらしてなかったから、ロクな点数取ってないはずなんだけど。
「絵が苦手」ならまだ分かるのだろうが、苦手どころかじゃんじゃか描き散らしているのは、美術の先生はもちろん他の先生方もご存じだった。担任の先生(2〜3年は同じ先生)も相当心配してた。同級生(特に小学校から一緒の)はみんな知っていたので「またか」で済ませてくれる(!)。田舎の中学なんてのはこんなもんだ。
思春期なので当然、大人びた意見をいう同級生や先輩もいたし、背伸びしたくなるのが割とよく見られる時期にもかかわらず、ボクはあらゆる面で意固地だった。「中学生だから」とか「思春期だから」というのは、ボクにはなんの効果もなかったし、それどころか「ただの屁理屈」とか「ただの理由付け」と一蹴していたぐらいだ。
むしろ「ボクはいいからほっといてくれ」という気分の方が圧倒的に強かった。断っておきますが「反骨精神」というような大層なものではないです。単に面倒臭かっただけ。
「年相応」という概念そのものを、頭から否定しているのだから始末に負えない。だから、今になって「実年齢よりも10歳以上若く見られて困る」というアホな事態になっているのだが、これはこれでもう諦めている。
おねえちゃんに「おとおさん若いなぁ」と言われるのは、本当に困るのだが(おねえちゃんも大概だけど)仕方がない。自分でやらかしてきたことの積み重ねに過ぎないし、今更生き方をがらっと変えるなど、それこそ面倒以外のなにものでもない。変えたところで何も変わらないし。
ここまで自己完結している人が、好き勝手に描いた絵が「どう見られるか?」などと思うはずもない。文字通り描き散らかしていたのだ。
自分が描いた絵を振り返ることもしなければ、当然、反省もしないし、新たなを持つこともないし、目的に至っては皆無に等しい。何となくだしね。
同級生の絵にもほとんど関心を示さなかった。上手い下手の評価もほとんどしていない。他人の絵を見ておいしいところをパクる、という高度な技(!)を身につけたのは、驚くことに中学生になってからなのだが、ボクが専らパクったのはアーサー・ラッカムだった。
http://spiritoftheages.com/Arthur_Rackham_Collection.htm
家にラッカムの絵本が届き始めたのが、中学の時だったのだが(お袋が買っていた)、この絵を見てやっと「ををっ♪」となったのだ。
ボクの中学時代と言えば1978〜81年にかけてだが、この時期に荒俣宏先生監修の元「ブックス・ビューティフル」時代の挿絵入り本が、日本で初めて本格的に紹介された。これにまんまと乗ったのがお袋なのだが、思わぬところに爆弾があったわけだ。もちろんボクである。
ボクがこの手の本に引っ掛かるのをお袋は察していただろうし、その後の行動も予測していたのかもしれないが、ボクはこの時から「ブックス・ビューティフル」の絵にどっぷり浸かることになる。
ちなみに、ここに至るまでどんな絵を描いていたのかとなると、実はこれまた記憶が相当曖昧である。最初は多分クレヨンだったと思う。鉛筆で絵を描くようになったのは、小学校の中学年になってからじゃないかなぁ?
そもそも鉛筆を「ノートに字や図を書くためのもの」と思い込んでいた節があったし、当然この便利な道具を絵に転用する(大袈裟かもしれないが、気分的にはこんな感じだった)という発想はまったくなかった。だから、教科書の落書きは初年度から皆無。見事なまでにきれいな状態をキープしていたのだ。
もちろん、同級生が教科書を落書きだらけにしていたのは知っていたが、この行為自体よく分からなかったのだ。「本は読むもので、絵を描いていいものではない」という、ある意味おそろしく優等生的な価値観があったのだが、もちろん優等生的な発想ではない。読むほうで忙しかっただけの話だ。
それはともかく本にメモを書くことすらボク的には禁忌で、これはもう育った環境が培ったものとしか言いようがない。
いまだに本どころかゲラにすら、メモ書きができないのだ。付箋を貼ることすらためらうのである。ある種のカルト宗教のような価値観だが、本を持つというのは、保存・管理という責任も当然発生するわけで、ボクは「きれいに残す」という原則を愚直に守っているに過ぎない。まぁここまで神経質にしなくてもいいんだけど。
もっとも、ボク自身が神経をすり減らして「きれいに保存する」ことそのものに躍起になっているわけではない。実際のところ、ただの生活習慣である。
話が逸れた……。
恐らく幼少期から本に出ている絵で、「これは」と思ったものの模写めいたことはしていただろうと思う。ただほとんど無意識に近かったので、記憶に残っていないのではないだろうか?
ボクが絵を描くメカニズムの特徴は、「考えない」の一点にある。ちゃんと脳は機能しているんですよ。ただ絵を描いている時に、脳が理性的な機能をしているとは到底思えない。「目と手が直結している」と言えば分かりやすいのだろうか。本人としてはこれが一番しっくり来るのだが。
もちろん「見たまま」描いているわけでもない。むしろ「どこをどうやったらこれがこうなる?」という絵が、腐るほど(いやほとんどか)ある。ボクはこれを全部「運動律」のせいにしているが、これまた理由がないわけではない。
そもそも「見る」という行為そのものが、主観の塊なのだ。どう見えているかなんてのは、その人本人にすら分からないケースだってある。ボクがそうだしね。描いて始めて「ああ、こんな見方しているのね」程度である。
とか書いてたらこんな記事が出てきてびっくりした。
https://toyokeizai.net/articles/-/290807
主催・参加した皆様には大変申し訳ないのだが、ボクには「?????」としかならないのだ。
「作家の名前を教えない」「解説を読まない」は、ボクのでふぉの行動パターンなので、別に目新しいことでもなんでもないし、ここに参加者の「解釈」を「言語化せよ」となると、ボクには真似できないアクロバット・レベルのものになってしまう。
ボクの評価基準がどうなのか、ボク自身よく分からないが、恐らく「いい」「悪い」の二択しかないと思う。もちろん説明なんかできない。こじつけならいくらでもできるけど、そこまでして説明するほどボクは親切ではないし、幸いそういう場面に出くわすこともなかった。
この記事の主旨そのものに、異を唱える気は毛頭ない。楽しんでいらっしゃるなら、それで結構である。他人様の楽しみに横槍を入れるほど野暮じゃない。ボクになにか迷惑がかかるわけでもないから、好評であれば主催者側も頑張って続けていただきたい。
突き放しているわけでもないです。ボクがおかしすぎるから「できるだけ距離を保った方がお互いのため」というだけの話です。
更に絵に落とし込む時にも、ある身体運動の癖が加わる。
さんざん白状しているように、ボクは美術デッサンなるものの訓練をしていないに等しいので、こっち方面の矯正すら皆無である。それこそ、幼少時からの積み重ねがそのまま運動律になっているに過ぎない。
これが珍しいのか普通なのかは、ボクにはさっぱり分からないのだが、個人的にはどうでもいいし、「もっとデッサンをしなければ」という殊勝なことすら考えないので、実行などするはずもない。
とにかく、何らかの模写めいたことはしていたが、それこそ目と手が直結しているので、理性はそっちのけである。記憶に残るはずもない。
ラッカムが衝撃的だったのは、その後のボク自身の頭脳労働に大きくかかわってくる。「どう線を描けばこのようになるのか」を、徹底的に観察したのだ。ちなみに、観察中は手を一切動かさない。とにかく微に入り細を穿ち、徹底的に主観満載でラッカムの線を頭に叩き込んでいく。
いや、これは格好つけすぎやな。「見てて楽しいからイヤというほど見る」が恐らく一番正解に近い。ここに「素朴な疑問」が発生する。「どう描いたらこうなった?」である。あとは、もうとことん観察するだけだ。これでしっくりきた。
ある程度、頭に入ったところで、やっと手を動かす。描けて満足できなかったら、反省もしないでまたラッカムの線を観察する。
これの繰り返しである。記憶と実践を繰り返しながら、自分の中に新しい運動律を最適化しながら叩き込む。恐らく、似たようなことは幼少期からしていたはずで、ラッカムは生まれて初めて「意識して」やっただけの話である。もっとも、線に関してはこの時が最初で最後だ。
今だから言えるのだが、ラッカムの線は同時期の「ブックス・ビューティフル」に寄稿していた挿絵画家の中でも異様である。癖の塊と言ってもイイ。だからこそ、ボクの目にとまったのだろう。まぁ普通じゃないことだけは確かだな。
技術的な話をすると、いわゆる「遠近法」や「陰影法」に関しても、ボクは相当てきとーである。というか、興味がないのだ。さすがに無意識に影響されていることは否定しないが、本気でこの二つの技術をどうにかしようと思ったことはない。
本格的にイヤになったのは(特に遠近法)、大学時代のパースの実技で、二点透視だの三点透視だのというヤツ。
どうやっても機嫌のいい遠近のかかり方にならないのだ。もちろん「なんで?」と思って同じ素材、同じ視点からフリーハンドで描いたら、あっさり納得するものができた。さすがにこれは提出できないので、一応課題に沿った形で、しかも超遅れまくった上に、汚いことこの上ない成果品を提出した。
原因はどうやら「見え方」にあるらしい。個体差はあるだろうが、ものの見え方は視覚の端に寄れば寄るほど歪みが出る。理由は簡単で、眼球は程度の差はあるが歪んだ球形だからだ。
ちなみにここはうろ覚えで書いているので、気になる方は是非専門書をご一読いただきたい。俗説かもしれないし(をいをい)。真偽はともかく(酷すぎるぞ!)、眼球が完全な球形であっても、更に厄介な視神経とやらが介在する。これがないと脳に情報伝達できないしね。
ちなみにボクは、最初の肉体的な条件でいきなりこけている。利き目である左目は極度の乱視なのだ。そもそも、まともに対象が像を結ばない。二重三重に、しかも微妙にずれてた状態で、脳に情報が送られているのだ。でも、ボクはそれを「ボクに見えた像」として認識してしまう。
一応、メガネで矯正はしているがタカがしれている。それでなくても、矯正がしづらいとされる遠乱視というヤツらしいのだ。
数式と定規ではじき出された風景に、違和感を持つなと言う方が無理がある。ボクに言わせれば「そう見ても不自然」にしかならない。
3Dソフトをさわり出してこの傾向は強まった。冷徹な数字の羅列が生み出す景色にある種の美は感じるが、いざボク自身が欲しい風景となると手に負えなくなる。が、幸いなことに某団体で知り合いになった友人が、CADベースでパースのお仕事をしている現場をのぞく機会があったのだ。
「間接光の反射回数」がどうの、「光の拡散率」がどうのと、ハードの進化と共によりリアルなシミュレーションができるようになったことを熱弁していたのだが、レンダリングが終わった途端に、いきなりPhotoshopで画像を露骨にさわり始めた。
彼曰く「1から10まで機械任せにできるか!」らしい。あの熱弁は何だったんだろう(笑)
とにかく彼曰く「別もん」なのだ。計算結果と人が見る差異を、彼はきっちり分かっているからレタッチが必要になる。たまたま見ていたのは「まだマシ」な方らしく、ものによっては0.1℃づつ上下左右に振ったレンダリング結果を合成して、更に光の加減まで全部Photoshopでレタッチしないと「どないもならん屑」にしかならないらしい。
ちなみに彼は油画の出身である。発想の根にあるのは「計算された図像」ではなく、あくまでも一枚の「絵」なのだろう。そういう意味ではものすごくボクはよく分かるし、腑にも落ちた。真似しようとは思いませんがね。
「とにかく計算させるところまでさせておいて、後は自分が腑に落ちるようにレタッチしまくれ」が、その後のボクの3Dに対する基本姿勢になったのは言うまでもない。
そもそも、遊び以下の気分でしか描いていなかったのだ。やれ「遠近法」だの「陰影法」だのという技術を、真剣に取得しようなどと思いもしなかったし、なくても特段困らないとすら思っていた。それっぽくは描けたりしたので、そこでお終いである。とてもではないが、マジメな態度とは言えない。
さすがに今は、この二つの技術に関する無駄に詳細な知識はあるので、訓練すればそれなりになるのだろうが、そもそも訓練してまで身につけようという気になれない。いわゆる「デッサン」に人一倍疑念を抱いているので尚更である。
前にも書いたような気がするのだが、ここは大事なので再度取り上げておく。
そもそも「デッサン」の定義そのものが、ボクに言わせれば曖昧すぎるのだ。上記したように、見え方は見た人にしか分からないし、こんなものが平均化されるとは到底思えない。理性で規格化しようとするのが「デッサン」なら、ボクは最初から否定する。馬鹿馬鹿しいにも程があるからだ。
それでも「ヨーロッパ型のデッサン」と「日本型のデッサン」というように、地域差があるデッサンに関しては、括弧付きで認めている。怖いのはこうした地域差から生まれる価値観をない交ぜにして、さも「これが常識」という態度である。馬鹿を言ってもらっては困る。
個人の価値観が環境によって大きく左右されるのは、言うまでもあるまい。その価値観そのものは、身近なところからまず発生する。長じてこの距離が広がっていくのだが、本当に役立つのは実際に触れたり見聞したりする経験値と想像力、それに伴う知識量である。どれが欠けてもいけない。
経験に裏打ちされない想像は、単なる妄想に過ぎないし、想像力を伴わない経験はただの「ををっ!」、ここに知識の欠落まで加わったら、もうとんでもないことになるのは想像しやすいだろう。
この「ををっ!」が好意的ならまだいいのだが、否定的だったり被害妄想的な「ををっ!!」となると、もう始末に負えない。いわゆる「炎上」の大半がここにあるのだが、それは横に置く。
さらに肉体的な部分でも、上記した以外に明確な違いがある。「目の色によってモノの見え方が違う」というのは、もう半ば常識となっているはずなのに、デッサンとなるとなぜかこの重大なポイントがすっぽり抜け落ちる。
ボクは陰影法成立の背景に、この目の色素の違いがあるのではないかと思っている。ものすごい荒っぽいけど、黒い目と青い眼の違いだ(今回は乱暴やなぁ)。同じように見えるはずないのだ。
青い瞳の方がサングラスを必要とする光量でも、現地の人は裸眼で余裕だし、ボクだってバンコクに行った時は終日裸眼で通した。「目が開けられないほどまぶしい」とは露ほども思わなかったし、とにかく実際の風景をこの目で直に見たいという好奇心の方が強かった。で、実際目が疲れることはなかったし。
分かりやすい陰影法は、コントラストを極端に高くした状態だろう。このコントラストの段階を微細にしていくと、きれいな陰影が生まれる。この段階作りをどうも受験デッサンの時にみんなやっているらしいのだが、ボクは遊びでしかやったことがない。しかもHBオンリーだ。それでも、そこそこ段階は作れましたよ。シームレスだけど(笑)
これは目もそうだが、環境にも大きく関係してくる。そもそも技術を理論化するという発想が別モノだし。
シカゴに行った時、空気感の違いに驚いたものだ。自分が日本から持っていたモノですら違って見えた。気分もあるのかもしれないが、明らかにコントラストが強く見えるのだ。バンコクの時もそれなりに驚いたけど、シカゴほどではなかった。
ヨーロッパには行ったことがないので、想像でしかないが、空気の違いはやはり明らかにあると思う。
だが、ボクは日本に生まれて日本で育った。しかも、狭い日本の更に狭いところで、ひっそりと過ごしているのである。さすがにある程度の地域差は許容できるが、ここに物理的にも心理的にもボーダーをなくせ、と言われれば当然、反発する。よけなお世話である。
が、この手の人が少なくないのも事実で、さも「グローバル・スタンダード」とか、逆に「日本サイコー」となると、もうアホらしくて相手にする気にもなれない。
デッサンでも同様のことが言える。というか、目に見えてしまうから厄介なのだ。ここにアホなプライドが加わるケースがやたらと多いので、ボクは辟易しているのだ。「どこまで客観的な判断をして、どこまで主観が混じっているのか」を説明できる人は少ないだろうし、意識すらしていない方がむしろ普通である。
ちなみに、ボクはデッサンの指導なることをしたくもない。というか、絵の描き方を教える気すらない。「好きに描けばいい」がせいぜいである。本当なら「てきとーでいいじゃね」にしかならない。
実際、ボクがそうしてるんだから、それ以上言えないし、ボクの絵を自分で見返して、それでも「こう描きなさい」という気には到底なれない。もう欠陥だらけだからね(笑)
さすがにまがりなりに絵を描くことをお仕事にしてからは、「どう見えるか」はそれなりに意識しているが、基本は担当さんに投げっぱなしである。担当さんが「いい」と言えばそれでおしまいだし、「ここがおかしくないですか?」と言われれば愚直に直す。その場限りだけど。
特にデッサン絡みとなると、相当神経を使う。担当さんの見え方を、こっちが想像しないと修正のしようがないからだ。こういう時のボクは、しつこいを通り越した質問と量を提示する。
「どれか当たるだろう」というものすごくいい加減な理由に過ぎないのだが、これでも当たらないことがある。せめて擦ってくれればまだマシなのだが、他の人の意見を聞いて意見がコロッと変わると、これはもう結構な物量作戦にならざるを得ない。
一人でも大概なのに、複数となると尋常ではなくなる。それでも出版社内でおさまってるうちは、どうにかすべきだろう。限定的には違いないのだから。ここさえクリアすれば、ボクとしては「後は野となれ山となれ」に素直に移行できる(笑)
不特定多数の見方を予測し、説得するような自信はボクにはないから、納品したらさっさと忘れるのが吉なのだ。
お仕事の話はもうエエわ。
何度も書いているが、ボクにとって「絵を描く」は「呼吸する」に等しい運動律である。もちろんヤヤこしい様々な要因が絡まった結果なので、普通ではないことぐらいアホなボクでも分かる。だから自分が絵を描く分にはなんの疑念もためらいもないが、他の人となると話は別である。
ボクが普通ではないから、普通の人にとっての「絵を描く」がさっぱり分からないのだ。これが「描き方」となると、完全にお手上げになるのはむしろ当然だろう。
「技術の部分だけ」ならボクである必要がないどころか、ボクよりもまともな人は世の中ゴマンといる。所詮は技術なので、独習でもある程度はどうにかなる。実際ボクは絵の描き方を習ったことはない。
習おうとしたことはあるが、それは大学受験の時だけでこれだって遊び半分である。それでも美術の先生なら何か教えてくれるのだろうと思っていたら、最初の一枚で「これでいい」で済まされたので、ボクはそこできっちりストップしている。遊び半分だから向上心の欠片もなかったしね。
それらしいスキルといえば、恐らく義務教育時代までに出来上がってしまっていた、「記憶だけに頼って描く」ぐらいだろうか。
今思うと我ながらビックリするのだが、なぜか「見ながら描く」を一切していない。これは今でもそうなのだが、描く前に可能な限り対象物を観察する。
無駄にディティールまで記憶したかと思うと、肝心要のところを見逃すなんてのはザラなのだが、とにかく一度頭を整理しないとどうにもならないらしい。ラッカムの線をパクる時に、この癖が露骨に出たのは上述したとおり。
情報処理能力が著しく低いとしか言いようがないのだが、一方で目と手がいかに直結しているかを如実に表している。
書き忘れていたが、この時の目は対象物ではなく、描いている絵そのもの向けられている。あっち向いたりこっち向いたりしながら絵を描けるほど、ボクは器用ではないのだ。
目線が描いている絵にいっている間は、もちろん記憶に頼るしかないわけで、そうなると描く前に徹底的に観察して、頭に叩き込むのが手っ取り早いし集中しやすい。ここまで分析してやっていたわけではありません。「どうやったら楽にできるか」しか考えずに、たまたま辿り着いて、そのまま習い性になっただけの話である。
不器用さもここに極まってる気がしないでもないが、ボクの場合はこれが自然なルーチンなので、特段苦労しているわけではない。
もちろん、ボクのやり方に過ぎません。これは少なくとも義務教育時代からずっとそうだし、今でもそう。
上記したルーチンは無意識に既に発揮されていたようなのだ。小さい時からそうなのだが、とにかくしつこく見る。
写生大会の時など、先生に「早く描きなさい」と言われても、まず素直に手を動かさない。景色がきちんと頭に入ってないからだ。同級生が作業を進めていくのに、ボクの紙は真っ白のまんまで、どんどん遅れていくのだが、それでもしつこく見る。傍から見てると、どうもぼーっとしているようにしか見えないらしい(笑)
おもむろに描き始めたら、もう一切何も見ない。「やっと描き始めたか」と、一安心した先生はボクの絵を見て驚愕する。何をどう見てこうなったのか分からないような絵になっているからだ。おまけに対象物に目を一切向けない。
最初は戸惑って「ちゃんと見ながら描きなさい」と言ってくれるのだが、もちろん無視である。結果「っぽく」描きあがったりしているので、お咎めは当然ない。どうやら描く過程まで異様なようだ。
そもそも描く順番すら、その時々でじゃんじゃん変わる人なのだ。一般的な効率とかも完全に無視している。だから、描いている途中の絵は第三者から見れば本当に理解不能であり、その結果ちゃんと「っぽく」なるのを目の当たりにすると、もう一種の化け物扱いである。
先生方が悪いのではありません。あくまでもスタンダードを無視するボクが招いたことだ。
それでも一応ボクの中では、キレイスッキリ順番通りだったりする。とにかく記憶頼りである。記憶が怪しいところから先に描き始めるのだが、恐らくここの過程の時が、傍から見ていて一番ワケの分からない状態なのだろう。
そもそも記憶が怪しいのだから、絵だって怪しくなる。記憶が鮮明なところは、鮮明なとおりに描くもんだから、結果「っぽく」なるだけの話だ。
アタリすらろくにとらずにいきなり描くのも、結局こういう頭の使い方をしているからに過ぎない。どう完成するかは、描く前に頭の中でほぼ完結させているので、それをアウトプットするだけで、描いている途中での試行錯誤は100%しない。とにかくいきなりいく(笑)
もちろん、思い通りにならないことはありますよ。できなきゃ、できるまで度でも描き直す。それでもアタリはとらない。我ながら度胸が良いのか馬鹿なのかよく分からない。失敗したのは絶対他人に見せないので、後者の方でしょうね、きっと。
再三念を押しておくが、当時からこんな自己分析をして描いていたわけではない。今だからこうしてある程度の分析はできるが、当時は完全に無意識でやっていた。というか、ボク的に「自然な描き方」をしたらこうだっただけの話である。
今なら一般的に不自然なことはある程度分かるが、それでも「ある程度」である。本気で分かったとは言えないし、言う気にもなれない。まだこの方法は健在だし、変える気もまったくないしね(笑)
悲しいことにこの「っぽく」の結果が、義務教育時代に様々な問題を起こしたのは上述したとおり。だから、高校時代はがっつり封印した。
が、ここで思わぬことが起きる。第一次ガンダム・ブームと、それに伴うSF熱が同級生から感染したのだ。同好会らしきものがなんとなぁく、未使用の木造校舎に生み出され、そこを根城とした妙な集まりに、いつの間にか巻き込まれていた。
ここで「文章組」と「絵組」が、これまたなんとなぁく生まれたのだが、ぼくはもちろん「絵組」になってしまっていた。ここに落とし穴があったのだ。
詳細は省くが、とにかく上手いヤツがいた。上手すぎて真似のしようもない。というか、ボクの運動律から遥か遠くの運動律なのでどうしようもない。加藤直之さんの模写をし始めたのも彼の影響からだが、案の定モノにならなかった。もちろん、アニメ絵も無理。それっぽくは描けるようになったが、なにかがおかしい。
幸い、学内では秘密結社かオタクの集団としか認識されていなかったので、ボク自身の絵が表に出ることはなかった。ボクの「描ける」の封印は、それなりに機能していたのだ。
だから、受験の時に美術の先生のところに指導を請いに行った時「君が?」という顔をされることになったし、ボクからダメモトと宣言していたので、なんとか了解してもらえた。もう一人同級生が放課後に指導してもらっていたので、その末席に座らせてもらうことになったのだ。
もちろん最初は、「まず花瓶と果物と布を置いた構図で一枚描いて持ってきなさい」である。分かりやすく入ったのだが、散々前にも書いたように一発オッケーどころか、先生の予想のはるか上をいく出来だったようだ。
困ったのは先生がこの絵を持って、同じく指導してもらっていた同級生に「こういう風に描けばいいんだよ」と言いだした時だ。
正直に言おう。相当、気まずかった。彼は部活(テニス部)をしながら、家業の焼き物工房を継ぐために、ずっと先生の指導を受けていたのだ。ボクなんかとは立場が違いすぎるし、必死さも桁違いである。
が、悲しいことになかなか進捗が見られなかったようで、ボクが遅まきすぎるぐらい遅くになってお願いをしにいった時は、もうほとんどノイローゼに近い状態にまで追い込まれていた。そんな時に後からぽっと来たボクが、それこそ何気なく描いてしまった絵で、あっさり彼の努力の上を行ってしまったのだ。
さすがにこのことは気になったので、すぐに話をしたのだが(珍しく割とよく話していた子だったのだ)「いや、藤原のせいじゃないから。それよりあんなに描けたの?」と感心される始末である。ますます申し訳なくなってしまった。
ボクが卒業した高校は進学校なので、上位を除けば席次の移動は日常茶飯事で、それこそ下克上があたりまえだった。こう書くと殺気だった雰囲気に思うかもしれないが、不思議なことに、それでものんびりした雰囲気が十分過ぎるぐらいあったのだ。
上記したように、席次が変わるのは日常茶飯事なので、みんないちいち驚かない。むしろそれが普通であり、受けている授業が一緒で差がつくなら、あとは本人の努力次第、ということにしかならないのが当たり前だったのだ。かと言って何かズルをするわけでもなく(この辺は素朴な田舎の高校生)、先生方もそれなりに熱心ではあるが、過剰なことは求めなかった。
できる努力を放棄するという、言語同断なことをする生徒には、当然それ相応の指導があるが(ボクのことだ)、そうでなければ基本野放しだったなぁ。むしろ、マジメに勉強するのが普通だったし(いやそれはこの高校に限った話じゃないと思うぞ)。
進学校なので天才肌はやはりいる。あくまでも天才肌である。努力を惜しまないから席次が上位のまんま。分かりやすい構造である。
ボク自身はもちろん平凡を通り越した出来損ないなので、「すごいなぁ」と感心しているばかりだったので、まさか絵でこの「天才肌」扱いされるとは予想もしていなかった。上記したように同級生にとんでもなく上手いヤツがいたしね。彼は一種の天才肌だったのだが、結局法律関係の大学に進学している。
もちろん、ボクは天才でもなんでもないですよ。ただ絵を描き続けた変な子。「天才肌」の存在がこの学校では実例でいくらでもあったので、変な勘違いを招いたに過ぎない(と思っている)。
話を同窓生との会話に戻す。
「すごいな。いきなり描いてこれって。美術の時間そんなに描けてた?」
「いや、相当サボってた」
「だろうなぁ。知らなかったもん」
「……」
「どうしたらこういうふうに描ける?」
ここで完全に言葉が詰まった。どうやって描いたか、毎度の如く分からないのだ。この会話の後に、ボクは書店で「鉛筆デッサンの描き方」なる本を入手することになるのだが、自分のためというよりも、説明のために買わざるを得なかったというのが実情である。
普通ならこの手の本を読めば、「こうして描けばいいのか」になると思うのだが、なぜかボクの場合は「ああ、こういう風にボクは描いているのだな」という事後確認にしかならなかったことは、素直に白状しておく。
細かいところを除けば、表面上は概ね本に書いてあるとおりに描いていた。あくまでも表面上はです。実は「記憶して描く」癖はこの時期だって健在だったし、実際ほとんどこの癖だけで描いたのだ。一応それっぽく実物を置いて描きましたけどね。後のやり方は一緒。
さすがに「記憶して描く」が普通ではないことは、薄らぼんやりとは理解していたので、この手は推奨しなかった。結局、通りいっぺんの「観察」の推奨しかできなかったのだ。
言われてできれば、ボクが言う前にできていたはずである。先生はちゃんと指導しておられた。できないから、「できているように見える」ボクに相談したのである。
実は今でもこの時の光景は鮮明に残っているし、いまだに上手に説明できない自分がいる。本当に説明のしようがないのだ。無意識でやってるので説明もクソもない。
無理矢理な説明もつかないから、「なんとなく描いたらこうなった」としか言えないのだ。こんなこと、ノイローゼになりかけてる同級生に言えるか? ボクには無理だったし、今でも無理。
ボクは努力すらしていないのだ。変な育ち方をして、変な描き方を自得(?)しただけの話でしかない。上述したように、人がボクの絵をどう見るかを意識したことすらないのである。おそらく人がどう見るかを意識したのは、この時が初めてだろう。
それぐらい衝撃的だったのだ。向こうは向こうで驚いたようだが、こっちはこっちで相当驚いている。自分の絵に恐怖したのもこの時が最初であろう。
「まさかそう見られるとは思ってもみなかった」体験は、それなりにしていたのだが、上述したように全部スルーしていた。ただこの時ばかりはスルーできなかった。
絵という価値そのものが不安定極まりないものを、ボク自身が真っ当に評価していなかったというのもあるが、自分が描いた絵で二人とはいえ驚かせてしまったのである。しかも「受験」という生々しい事件を目の前にしてだ。生臭すぎてシャレにならん。
「美術室で後輩や部活の子も含めて一緒に」という先生の誘いを、なんとか振り切るのが精一杯だった。
美術の先生なので、もちろん美術部の顧問もされている。進学校だが稀に美術系に進む子もいる。誘われた時、部活の様子も見たのだが「これはヤバい」と本気で思った。もちろん、他人の絵をそれなりにマジメに目にするのは、この時が初めてである。
悲しくなるぐらい下手なのだ。先生の言う通りに描けば、そこまでおかしいことにならないはずなのだが、なぜか先生の言うことを理解できていないようだった。理解していたのかもしれないが絵に反映されない。
ちなみにボクは横で聞いていて、「そうやろうなぁ」と心の中で頷いていた。先生の言うことが理解できるし、どの線をどう描けば効果的に修正できるのかも予測できてしまった。
これで「ヤバい」と思ったのだ。
しつこいようだが、言われてできれば人は苦労しない。言われなくてもできる人はできるし、その気さえあれば嬉々として努力までする。ボクは高校生時まで、絵に関しての努力は一切していないし(努力「っぽい」ことはしたけど)できたと思ったことすらない。本当にただ描いていただけ。
こんな人間が入っていい場所ではないのだ。立ち位置が違いすぎるし、なによりボクという存在がふざけすぎなのだ。
進学校ならではのマジメさは部活にもあるのだが(上記したように殺気だったものではないにしてもだ)、こういうマジメさと対極にいるのがボクである。これ以上、先生や同級生・後輩達の勘違いを助長させるわけにはいかないと、瞬時に思った。
なんだかんだと屁理屈にもならない理由で逃げ出し、「家に持ち帰りやる」で誤魔化したのだが、今でもこの処置は適切だったと思っている。
しつこいようだが、当時は受験して合格できる自信はまったくなかったし、むしろ頭は日本史の方に完全に向いていたのだ。そんな状態で描いた絵である。他人様はともかく、ボク自身が評価するはずないではないか。実際「こんなもんかな?」程度で済ませたし。それが予想外の結果になったのでビビったのだ。
その後、先生の薦めで某美術研究所の模試を一度受けに行って、それなりに上手な人の絵を見て少し安心したのだが、模試の結果がこれまたよくなかった。
前に書いたが、ボクの母校の名前は評価対象にすらなっていなかったので、京都市立芸大のデザイン科で模試を受けたのだが、総合Cだったのがまずかった。
この模試を受けるまでに描いたデッサンもどきはわずかに3枚。総合C評価は「一浪確定」を意味するのだが、実質指導を受け始めてたった3枚で一浪までこぎつけたことになってしまっている。
これでヤバさもさることながら、絵というものがますます分からなくなった。
この美術研究所では終始黙秘権を行使して情報漏洩を防いだのだが、さすがに学校に戻るとこの手は通用しない。先生は見ているからね。
火消しに必死になりながら(何してんねん)受験当日を迎え、終えてから正直肩の荷が下りたと思ったのだが、悪夢は更に続く。合格してしまったのだ。
受験前の火消しはものの見事に無駄になり、火に油を注ぐことになった。これまた何度も書いていることだが、「絵で口に糊するなど夢のまた夢」と考えていたし、実際そうなっているし、本気で会社員で生涯を終える気だったのだ。それぐらい絵に関する評価には不信感がある。
結果エカキになっているが、それだって「絵を描くしか能がない」という身も蓋もない理由からだ。実際そうだし。
根底に「好き」があるのかすら、今となってはよく分からない。「好きだから続けられる」は真理の一面を確かに突いてはいるのだが、ボクの絵に対する態度は、本当に「好き」だから「続いた」のだろうか?
むしろ漫然と「描いてて飽きなかったから描き続けていました」でしかないような気がして仕方がない。
「好きだから」と「飽きなかったから」では、当然のことながらモチベーションにだって大きな落差が生まれる。実際、ボクにはさして絵に対するモチベーションらしきものはない。
文字通り、惰性に次ぐ惰性で描いているに過ぎない。稼業にしてからはそれなりの知識なりなんなりを伴う実践をしているが、それだって必要に駆られてからであり、特段高いモチベーションでやったわけではない。やってる間にハイになることはよくあるけど、それとこれとは話が別だし。
ただひたすらに他の事をロクにせずに(読書は別)、絵ばかり描いていたからこうなっただけなのだが、ここまで絵を否定しているのだ。矛盾の極みだが、こればかりはどうしようもない。
得体のしれないモノを人一倍いやがるくせに、自分が得体のしれない存在になっているのと同様に、自分でもワケが分からないのだが、これはもうある種の精神病と言うことにしておくことにした。手に負えん。
で、終われば良かったのだが、新たな暗雲が上賀茂方面からもくもくと強大な勢力をもって迫ってきている。
おねえちゃんである。詳細はさすがに省くが、シャレにならない上手さである。早生まれなのでまだ18歳だが、ボクだって同時期にここまでは描けなかったし、いまでもちょっとヤバい。
さて、どうしてくれよう。そこそこ真っ当な大学の第一志望に受かって、せっかくホッとしたと思ったのに。今は「頼むから勘違いだけはしないでくれ」と祈るばかりである。本来なら非情になって芽を摘み取ることもできるのだが、さすがにおねえちゃん大好きのボクには無理である。
幸い、興味の幅はボクよりも圧倒的に広いし、実行力もある(かな?)。ボクみたいに「絵を描くしか能がない」にならないように仕向けるしかないのかなぁ? まぁ奧さんの眼が光っているので、変なコトにはならないとは思うけど、血の半分はボクのやからなぁ…それも変なのばっかり行ってるし…
絵は色々呪うよ。いや、マジで。
■はぐれDEATH[86]その「得体の知れないもの」を絵にしろと言われて〈その4〉
https://bn.dgcr.com/archives/20191011110100.html
■はぐれDEATH[85]その「得体の知れないもの」を絵にしろと言われて〈その3〉
https://bn.dgcr.com/archives/20190927110100.html
■はぐれDEATH[81]その「得体の知れないもの」を絵にしろと言われて〈その2〉
https://bn.dgcr.com/archives/20190705110000.html
■はぐれDEATH[79]その「得体の知れないもの」を絵にしろと言われて
https://bn.dgcr.com/archives/20190621110000.html
【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com
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編集後記(10/25)
●参議院埼玉県選出議員補欠選挙の投開票日は27日(日)である。最後の追い込みの選挙カーが……来ない。一度も来たことがない。立候補しているのは、無職・無所属の上田きよし(71)と、「NHKから国民を守る党」代表・立花孝志(52)のふたりだけ。ポスターは2点しか貼られていない。盛り上がりなし。
政治キャリア26年、なにかと問題の多い政治屋稼業の上田と、なにかとお騒がせの立花、それなのに盛り上がりなし。だって、埼玉だもん。上田の悪い噂をよく聞くが、そんなものに興味はない、わけじゃないが、めんどうなので、二人の選挙ポスターについて、感じたことを述べてみたい、ってほどでもないが。
上田はオーソドックスな選挙ポスターで、巨大な顔写真と「上田きよし」、キャッチフレーズは「国政と県政のかけ橋」、赤文字で「即戦力」、以上。何か難癖をつけなければと思い、よく観察すると笑った口元が気に入らない。下の歯並びが悪いのは仕方ないが、せめて黄ばんだ個所は修整しておきなさいよ。
立花は横長サイズ、赤っぽい外枠、歪んでる。ポスターをヘタに複写したような拙い出来。「NHKから国民を守る党」と党名が巨大、「既得権益をぶっ壊す!」もデカ文字、姓名よりもでかい。「消費税を5%にします。」って大風呂敷。「家庭をお助け!」として、生活保障はベーシックインカム、スマホ購入時に助成金支給、電動アシスト自転車購入時に助成金支給など、金額入り。
顔写真はビーバーちゃんみたいな前歯がかわいい(かな)。笑っちゃうのは、掲示責任者の「堀江貴文」の文字サイズで、横並びの「立花孝志」よりウエイトとQ数を少し下げたゴシック、まるで候補者みたい(ほんとに常識外れ)。立花のポスターが貼られていない掲示板も少なくない。投票率の低さが定評の埼玉県だが、今回はもしかしたら少しはアップするかもしれない。(柴田)
立花孝志と上田清司の埼玉補選ポスター(堀こうどうさんのサイト)
https://horikodo.com/saninsaitamahosen2019-poster/
●昨日のヤマシタさんの話。「女は社会と折り合いをつけながら、ほどほどにやっていける普通の人じゃないとだめなんだな」はズシンと来た。「フツー」になるため、めっちゃ頑張ってきたけど、なりきれなかったからだ(笑)
変わっていると言われ続けていたが、中学までは、言われていることにもあまり気をつかっておらず、自分の世界に生きてきた。矯正してくれたのは高校生ら、それも女子校という枠の中で。それでもあんまりなりきれなかった(笑)
歳を重ねるにつれて学習し、これでもだいぶフツーになった。でも今になって、そのフツーになるのに使った労力を、他に使っておけば良かったな〜と思ったりする。
フツーじゃない人のことを排除する感覚が薄く、(ファッションとしてではない・作られていない)フツーじゃない人を見ても「それもアリよね」と思ってしまうため、気をつけた方がいいと友人には言われている。
資生堂のウェブ花椿に、「ダルちゃん」という漫画が連載されていた。はるな檸檬さん作。はるなさんは、宝塚あるある(「ZUCCA×ZUCA ヅッカヅカ」)、を描かれている方で、こんな重い話を描かれるとは正直思わなかった。
編集担当さんの文章から抜粋。「女性の生きづらさや、創作に携わる人物の孤独を描き出す長篇作品です」。私も登場人物のサトウさんみたいな怒れる人だった時期もあったのになぁ……。(hammer.mule)
ZUCCA×ZUCA
http://www.moae.jp/comic/zuccazuca
私はここまでディープなファンじゃないが、爆笑しながらこの連載を読んだよ
ダルちゃん
http://hanatsubaki.shiseidogroup.jp/comic2/2228/
6話まで読めます
ダルちゃん(単行本)
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4091792685/dgcrcom-22/