[5094] ツナLIFE(新連載)綱島に住む漫画家

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《ものすごい転換の年となった2020年》

■ツナLIFE(新連載)
 綱島に住む漫画家
 みなみ まいこ
 



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■ツナLIFE(新連載)
綱島に住む漫画家

みなみ まいこ
https://bn.dgcr.com/archives/20201002110100.html

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◆1……綱島という街

大学を卒業したはいいものの、会社などへは就職せず、学生の頃から通っていた漫画家のアシスタントをしながら、中央線のはずれにある昭島という街にひとりで暮らす祖母の家にズルズルと下宿を続けさせてもらっていた。ある日、趣味を通じて知り合った友人に、ルームシェアを持ちかけられたのをきっかけに、祖母の家を出ることに。

そうして、なんとなく、友人の勧めるままに越してきたのが、東急東横線の綱島という街だった。駅の周りはかつてたくさんの宿場が軒を連ねていた、ちょっと色っぽい花街の風情が微かに残る街だ。温泉の出る大衆浴場が今でも数軒存在している。

越してきた当初は、アパートの更新期限である2年ほどを目処に、自分に見切りをつけて田舎に帰ろうと思っていた。大学在学中に運良く夢である漫画家の仕事に触れることはできたものの、満足に自分の作品も作れず、たまに持ち込みに行っても、次の作品へ繋がるような結果は得られない。

ただただ、日払いの給料を生活の糧として消費するだけの生活に、焦りや、絶望を感じながらも、なお抜け出せず、惰性で日々を送っていた。この時はまだ、2年どころか8年経った今でも住んでいるとは思ってもみなかった。なんとこの街で伴侶に出会い、もうすぐ子供も産まれる。まだまだ安定はしないが、イラストや挿絵、装丁などの仕事ももらえるようになってきた。本当に、人生とはどうなるかわからないことだらけだ。

◆2……綱島に住むということ

漫画のアシスタントだけで半年ほど生活していたが、いよいよ生活が苦しくなってきた頃。駅と自宅の中間ほどにあったスタンディングバーでアルバイトを始めたのをきっかけに、それまで無機質でただ歩くだけだった街が、ようやく色彩を放ち、私の生活を営むための街になったような気がした。

お客さんはサラリーマンが主だが、自営業やミュージシャン、自称占い師なんかも集まる個性的な店だった。まだまだオープンしたての店は、フレンチで学んできたシェフと、飲食店未経験の店長、そして大学生のアルバイトたちが日々、試行錯誤をしながら経営している状態だった。

そんな店だったためか、お客さんたちは流行の料理を紹介してくれたり、店に合うイベントを提案してくれたりと、自然と様々なサポートをしてくれていた。それまでのアルバイトでは店員と客はそれほど密接に関わるようなことはなかったので、客との距離感に最初のうちは戸惑っていたが、今思うと、それが綱島という街の懐の深さだったのだろう。

店に来てくれる人たちはもちろん近隣の他のお店も知り尽くしているわけで、料理が美味しいお店や新規店舗の情報などが飛び交う。他店の店長さんもたまに挨拶がてら顔を出すような、密接な繋がりでこの街の飲食店は回っていた。きっとどこの街でも、持ちつ持たれつで人と人は関わり合っていくのだろう。私のような上京者にとって希薄になりがちな「地域」というものをとても身近に感じた場所だった。

ここでのアルバイトをきっかけに、だんだんと「綱島で暮らす」という気持ちが高まってきた私は、勝手に綱島を題材にした漫画を描くことに。不定期ではあるが、この制作は続けて行こうと思う。

もうバー自体は閉店してしまったが、この店で知り合った人たちに、今でも度々仕事をもらっている。当時はそんなことは考えもしなかったが、人との縁は案外、どこまでも繋がっているものなのかもしれない。

つなさんぽ第一話
https://bn.dgcr.com/archives/2020/10/02/images/001

◆3……現在、そしてこれからの私と綱島

アルバイト先は今はもう閉店し、街も私が越してきた時とはだいぶ様変わりしてしまったが、店で知り合った人と4年前に結婚し、いまだにこの綱島で暮らしている。

2019年の暮れから、密かに心に決めたことがあった。それは、漫画の仕事はほぼ一日中座りっぱなしで極度の運動不足になるので、何か運動をする習慣を持つこと。

そこで、運動不足でも自分のペースでできるヨガを習い始めることにした。ヨガに通い始めて4ヶ月ほど経ち、やっと自分に合ったヨガ講師の講座が分かり始めた頃、世の中では新型コロナウイルスが流行り始めた。

漫画のアシスタント業務はすべてデジタル・オンライン化し、ほぼ一日中を椅子に座って過ごすようになってしまった。運動不足に拍車がかかる。そして、4月の緊急事態宣言を期に、ついに頼みの綱のヨガスタジオも休館してしまう。綱島の街も、それまで深夜になる程駅前は賑わっていたのに、午後9時には人が消え、店も閉まり、まるでゴーストタウンのようになってしまった。この時期の街は本当に夜が早く、静かすぎて怖いくらいだった。

夜とは反対に、昼はテレワークに切り替えた会社もあり、ランチのテイクアウトを展開する店が増えた。夜に営業していた店も店先に弁当を並べるようになったり、普段なかなか立ち寄らない店を新たに知る機会にもなり、いずれこの流行病とのちょうどいい距離感が持てた時の楽しみを与えてくれた。

5月、緊急事態宣言が解除となり、だんだんと暮らしが回り始めた頃、ヨガの教室も少しずつ再開され始めた。私はそれまでの運動不足を補うべく、張り切ってヨガに取り組んだが、ある日のレッスン中、酷い目眩に襲われ、ポーズが取れなくなってしまった。

繰り返し何度もとってきたポーズなのに、足が上がらない。バクバクと高鳴る心音。これは異常だと、そのポーズをとるのをやめ、水分を摂る。この時は熱中症だと思ったが、後に、妊娠していたことがわかった。コロナ禍で世の中の考え方が変わってゆく中、我が家にとっても物凄い転換の年となった。

◆4……自分の作品を同人誌にしてみる

コミティアというイベントがある。自分の創作した作品を販売するイベントだ。作品は漫画が多いが、小説でも画集でも、ゲームや音楽でもいい。とにかく、オリジナルの創作物を自分でブースを構えて売る。今まで、私は雑誌への投稿用に漫画を描いてきた。賞の規定ページ数、応募する雑誌の傾向、雑誌の対象年齢......。それは読者というものより、編集者に見てもらうことを強く意識してきたと思う。

そんな時、大学の友人にコミティアへ来る「出張編集部」というものに行かないかと誘いを受けた。「出張編集部」とは、本来なら自分から雑誌の編集部に電話をし、漫画持ち込みの予約を取り、予約日に編集部に赴く。という手順を何社も繰り返すところを、イベント当日に何十社もの出版社、雑誌編集部が一堂に会し、漫画を見てくれるという企画だ。

友人は自分のファン活動の質を高めるために、私は漫画家としてデビューし、生きていくために出張編集部に持ち込みをすることにした。

結果は、その時は持ち込み雑誌も、今後私の漫画を見てくれる担当者も見つからなかったが、コミティアに参加してみて、「編集者に向けた作品ではなく、自分のための、自分が表現したいもののための漫画を描いてみよう」という、今思えば創作をする者にとって至極当たり前の気持ちが湧いてきた。

そんな気持ちを詰め込んで、自費出版の一作目を今年の2月に完成させたものの、内容とページ数が合わず、支離滅裂になってしまった。しかし、製本まですることでやっと、ひとつの完成された作品になった。

自費出版1作目『銀のフラグメント』
https://bn.dgcr.com/archives/2020/10/02/images/002

せっかくなのでこの作品も出張編集部に持っていったが、あまり良い感想はもらえず、意気消沈していたのだが、別の雑誌の新人賞に応募したところ、最終選考に残り雑誌に作品名と講評が載った。そこでは酷評はされておらず、印象的には良かった。読む人によって、様々な評価がされるのを改めて実感する作品にもなった。

次に制作した漫画は、久しぶりにすべて手書きの作業にした。一人で漫画を描くことは膨大な作業量になる。最近は漫画専用のパソコンソフトが発達し、ほぼパソコンの中で漫画を完成させることができる。作業効率も格段に上がるが、やはり慣れ親しんだ紙やインク、トーンなどの手触りが私には必要だったらしい。普段の倍くらい時間がかかってしまったが、手触りを感じながら作る作業には、今まで培ってきた技術と説得力を詰め込められたように思う。

この作品は、現在とある雑誌の新人賞に応募中。結果は12月中頃の予定だ。何か、少しでも誰かの心に止まることを願っている。


【みなみ まいこ】
漫画家
nghtbee.oct1@gmail.com
https://twitter.com/maiko_oct1


私の漫画作品を投稿しているサイト
https://daysneo.com/author/373maiko/


今回書いている同人誌の販売も行っています
https://yorunohachi.booth.pm



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編集後記(10/02)

●偏屈BOOK案内:平林純「信長もビックリ!? 科学でツッコむ日本の歴史 〜だから教科書にのらなかった〜」2018 集英社
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4087808599/dgcrcom-22/


とんでもなく長いタイトルのソフトカバー単行本。表紙のビジュアルはヘタなマンガ。装幀はこの種の本に共通する派手な色使いで、目立つけどじつに安っぽい。本文も同様で品がない。内容はそこそこ面白いが、蔵書にするほどでもない読み捨てタイプの本で、書棚に差すと違和感ありあり。マイナー系の出版社が発明したスタイルだが、この頃は大手も進出している。天下の集英社がこんな品のない本を出すご時世なんだ〜。

「起きたこと・起きること」を因果関係を含めて、一番単純に説明することができるのが「科学」である。なぜなら、「起きる現象には必ず理由があって、それを解き明かすことができるから……だそうだ。「歴史教科書には載っていないかもしれないけれど、教科書に書かれた歴史事件の数々を、科学探偵が解説したのが本書です」と、サイエンスライターは自信満々である。

イメージをくつがえすビックリ、スゴすぎる舞台裏にビックリ、ヤバすぎる異彩にビックリ、残念な現実にビックリ、どんでん返しにビックリ、それぞれ7本のビックリとやらが並ぶ。計35本。オールカラーじゃないけどね。トップを飾るのは「豊臣秀吉の『中国大返し』すごいのは、裏で動いた石田三成の名プレー?」ての。

「本能寺の変」をいち早く知ったのは、京都から約200km以上離れた備中(現在の岡山県西部)にいた秀吉。「信長死す」という知らせを、翌6月3日の夜には手に入れていた。翌日には戦いの相手だった毛利輝元にはったりをかまして和解、もちろん信長の死はヒミツで。毛利はあとで悔しがる。ここから、あの伝説の「中国大返し」が始まる。2万人の秀吉軍、岡山から京都に向かって走る走る。

走り続けること1週間以上、距離は約200km。6月12日には、光秀のいる現在の京都・大坂の境・山崎に着く。到着翌日、光秀を倒す。200kmを1週間から10日で走ったということは1日平均20〜30km、時速約3km、たいしたことではない。拍子抜けである。ポイントは「2万人が200kmを移動するエネルギー(食べ物)を用意した石田三成のすごさ」だ。少なく見積もっても、一人あたり一日3個以上のおにぎりが必要だという。

そこからは算数が天敵のわたしも一生懸命考えた。「つまり、10日間で200km歩くには、一人あたりおにぎり約100個がいる。2万人なら、おにぎりは全部で200万個必要」だそうだ。一人あたり一日10個という計算か。そこからが大問題、2万人が200kmの長距離を移動するコース脇に、200万個のおにぎりを用意しなければならない。

そこまで考えが及ばなかったわ。誰がこの難問を解決したか。石田三成である。「中国大返しの2万人×200kmの移動レース、拍手を送りたいのは、おにぎりでサポートした三成の名プレーでした」。なるほどねー、三成は戦の後方支援に長け、兵士の移動や食糧の輸送、敵の情報収集や外交にその能力を発揮した人だった。

あの有名な毛利元就「3本の矢」伝説。じつは3本束になっても容易に折れる。みんなで力を合わせろ、と言いたいだけだろう。じつは、あっと驚く衝撃の事実がある。長男の隆元は、元就より6年も早く死んでいる。死期が迫る元就のもとに3人が集まるのは不可能。それどころか、息子は3人ではなく9人もいた。ビックリ35本中、へえホンマかいなと感心したのは1/3くらいか。アッと驚くのは為五郎だが、これを知っている人はけっこうお歳だろう。(柴田)


●みなみさん、よろしくお願いいたします! そして、おめでとうございます!

/サイトで『つなさんぽ』の続きを読んだ。バーって一見さんお断りって感じで入りにくいと思ってた。住職さん素敵だな。キャラの濃いコーヒー豆屋さんに遭遇してみたい。

/他のマンガは不思議な話が多かった。「ちょっと呪っていかないか」って! なんとなく、スマホ用の縦スクロールマンガにも合いそうな気がした。次どうなるんだろうって毎日読みたくなるマンガだった。(hammer.mule)