ツナLIFE(新連載)綱島に住む漫画家
── みなみ まいこ ──

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◆1……綱島という街

大学を卒業したはいいものの、会社などへは就職せず、学生の頃から通っていた漫画家のアシスタントをしながら、中央線のはずれにある昭島という街にひとりで暮らす祖母の家にズルズルと下宿を続けさせてもらっていた。ある日、趣味を通じて知り合った友人に、ルームシェアを持ちかけられたのをきっかけに、祖母の家を出ることに。

そうして、なんとなく、友人の勧めるままに越してきたのが、東急東横線の綱島という街だった。駅の周りはかつてたくさんの宿場が軒を連ねていた、ちょっと色っぽい花街の風情が微かに残る街だ。温泉の出る大衆浴場が今でも数軒存在している。

越してきた当初は、アパートの更新期限である2年ほどを目処に、自分に見切りをつけて田舎に帰ろうと思っていた。大学在学中に運良く夢である漫画家の仕事に触れることはできたものの、満足に自分の作品も作れず、たまに持ち込みに行っても、次の作品へ繋がるような結果は得られない。

ただただ、日払いの給料を生活の糧として消費するだけの生活に、焦りや、絶望を感じながらも、なお抜け出せず、惰性で日々を送っていた。この時はまだ、2年どころか8年経った今でも住んでいるとは思ってもみなかった。なんとこの街で伴侶に出会い、もうすぐ子供も産まれる。まだまだ安定はしないが、イラストや挿絵、装丁などの仕事ももらえるようになってきた。本当に、人生とはどうなるかわからないことだらけだ。





◆2……綱島に住むということ

漫画のアシスタントだけで半年ほど生活していたが、いよいよ生活が苦しくなってきた頃。駅と自宅の中間ほどにあったスタンディングバーでアルバイトを始めたのをきっかけに、それまで無機質でただ歩くだけだった街が、ようやく色彩を放ち、私の生活を営むための街になったような気がした。

お客さんはサラリーマンが主だが、自営業やミュージシャン、自称占い師なんかも集まる個性的な店だった。まだまだオープンしたての店は、フレンチで学んできたシェフと、飲食店未経験の店長、そして大学生のアルバイトたちが日々、試行錯誤をしながら経営している状態だった。

そんな店だったためか、お客さんたちは流行の料理を紹介してくれたり、店に合うイベントを提案してくれたりと、自然と様々なサポートをしてくれていた。それまでのアルバイトでは店員と客はそれほど密接に関わるようなことはなかったので、客との距離感に最初のうちは戸惑っていたが、今思うと、それが綱島という街の懐の深さだったのだろう。

店に来てくれる人たちはもちろん近隣の他のお店も知り尽くしているわけで、料理が美味しいお店や新規店舗の情報などが飛び交う。他店の店長さんもたまに挨拶がてら顔を出すような、密接な繋がりでこの街の飲食店は回っていた。きっとどこの街でも、持ちつ持たれつで人と人は関わり合っていくのだろう。私のような上京者にとって希薄になりがちな「地域」というものをとても身近に感じた場所だった。

ここでのアルバイトをきっかけに、だんだんと「綱島で暮らす」という気持ちが高まってきた私は、勝手に綱島を題材にした漫画を描くことに。不定期ではあるが、この制作は続けて行こうと思う。

もうバー自体は閉店してしまったが、この店で知り合った人たちに、今でも度々仕事をもらっている。当時はそんなことは考えもしなかったが、人との縁は案外、どこまでも繋がっているものなのかもしれない。

つなさんぽ第一話
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◆3……現在、そしてこれからの私と綱島

アルバイト先は今はもう閉店し、街も私が越してきた時とはだいぶ様変わりしてしまったが、店で知り合った人と4年前に結婚し、いまだにこの綱島で暮らしている。

2019年の暮れから、密かに心に決めたことがあった。それは、漫画の仕事はほぼ一日中座りっぱなしで極度の運動不足になるので、何か運動をする習慣を持つこと。

そこで、運動不足でも自分のペースでできるヨガを習い始めることにした。ヨガに通い始めて4ヶ月ほど経ち、やっと自分に合ったヨガ講師の講座が分かり始めた頃、世の中では新型コロナウイルスが流行り始めた。

漫画のアシスタント業務はすべてデジタル・オンライン化し、ほぼ一日中を椅子に座って過ごすようになってしまった。運動不足に拍車がかかる。そして、4月の緊急事態宣言を期に、ついに頼みの綱のヨガスタジオも休館してしまう。綱島の街も、それまで深夜になる程駅前は賑わっていたのに、午後9時には人が消え、店も閉まり、まるでゴーストタウンのようになってしまった。この時期の街は本当に夜が早く、静かすぎて怖いくらいだった。

夜とは反対に、昼はテレワークに切り替えた会社もあり、ランチのテイクアウトを展開する店が増えた。夜に営業していた店も店先に弁当を並べるようになったり、普段なかなか立ち寄らない店を新たに知る機会にもなり、いずれこの流行病とのちょうどいい距離感が持てた時の楽しみを与えてくれた。

5月、緊急事態宣言が解除となり、だんだんと暮らしが回り始めた頃、ヨガの教室も少しずつ再開され始めた。私はそれまでの運動不足を補うべく、張り切ってヨガに取り組んだが、ある日のレッスン中、酷い目眩に襲われ、ポーズが取れなくなってしまった。

繰り返し何度もとってきたポーズなのに、足が上がらない。バクバクと高鳴る心音。これは異常だと、そのポーズをとるのをやめ、水分を摂る。この時は熱中症だと思ったが、後に、妊娠していたことがわかった。コロナ禍で世の中の考え方が変わってゆく中、我が家にとっても物凄い転換の年となった。

◆4……自分の作品を同人誌にしてみる

コミティアというイベントがある。自分の創作した作品を販売するイベントだ。作品は漫画が多いが、小説でも画集でも、ゲームや音楽でもいい。とにかく、オリジナルの創作物を自分でブースを構えて売る。今まで、私は雑誌への投稿用に漫画を描いてきた。賞の規定ページ数、応募する雑誌の傾向、雑誌の対象年齢......。それは読者というものより、編集者に見てもらうことを強く意識してきたと思う。

そんな時、大学の友人にコミティアへ来る「出張編集部」というものに行かないかと誘いを受けた。「出張編集部」とは、本来なら自分から雑誌の編集部に電話をし、漫画持ち込みの予約を取り、予約日に編集部に赴く。という手順を何社も繰り返すところを、イベント当日に何十社もの出版社、雑誌編集部が一堂に会し、漫画を見てくれるという企画だ。

友人は自分のファン活動の質を高めるために、私は漫画家としてデビューし、生きていくために出張編集部に持ち込みをすることにした。

結果は、その時は持ち込み雑誌も、今後私の漫画を見てくれる担当者も見つからなかったが、コミティアに参加してみて、「編集者に向けた作品ではなく、自分のための、自分が表現したいもののための漫画を描いてみよう」という、今思えば創作をする者にとって至極当たり前の気持ちが湧いてきた。

そんな気持ちを詰め込んで、自費出版の一作目を今年の2月に完成させたものの、内容とページ数が合わず、支離滅裂になってしまった。しかし、製本まですることでやっと、ひとつの完成された作品になった。

自費出版1作目『銀のフラグメント』
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せっかくなのでこの作品も出張編集部に持っていったが、あまり良い感想はもらえず、意気消沈していたのだが、別の雑誌の新人賞に応募したところ、最終選考に残り雑誌に作品名と講評が載った。そこでは酷評はされておらず、印象的には良かった。読む人によって、様々な評価がされるのを改めて実感する作品にもなった。

次に制作した漫画は、久しぶりにすべて手書きの作業にした。一人で漫画を描くことは膨大な作業量になる。最近は漫画専用のパソコンソフトが発達し、ほぼパソコンの中で漫画を完成させることができる。作業効率も格段に上がるが、やはり慣れ親しんだ紙やインク、トーンなどの手触りが私には必要だったらしい。普段の倍くらい時間がかかってしまったが、手触りを感じながら作る作業には、今まで培ってきた技術と説得力を詰め込められたように思う。

この作品は、現在とある雑誌の新人賞に応募中。結果は12月中頃の予定だ。何か、少しでも誰かの心に止まることを願っている。


【みなみ まいこ】
漫画家
nghtbee.oct1@gmail.com
https://twitter.com/maiko_oct1


私の漫画作品を投稿しているサイト
https://daysneo.com/author/373maiko/


今回書いている同人誌の販売も行っています
https://yorunohachi.booth.pm